Game of Vampire   作:のみみず@白月

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香港特別魔法自治区

 

 

「ほら、見えてきました。あれが香港特別魔法自治区の入り口です。」

 

記憶よりも少しだけ……というか、かなり煌びやかになっている駅を指差しながら、アリス・マーガトロイドはコンパートメントの三人に語りかけていた。我らがロンドンの発展にも目を見張るものがあったが、香港はこの半世紀でそれ以上に変化してしまったようだ。

 

魅魔さんから渡されたコインのことを調べるために、リーゼ様、咲夜、美鈴さん、そして私の四人で香港旅行にやって来たのである。もちろんパチュリーの魔法なら一瞬で移動できたのだが、折角ということで列車を使うことに決まった。美鈴さん曰く、こういう風情を楽しんでこその旅行らしい。

 

7と1/2番線からヨーロッパ特急に乗り込み、五時間掛けてイスタンブールまで移動して、別の列車に乗り換えてシルクロード経由で香港へ。魔法の列車にしてはそれなりに長い移動時間だったが……うん、懐かしくて苦ではなかったぞ。このルートを通るのは二度目なのだ。

 

しかし、香港の駅舎はえらく変わっちゃってるな。道中の風景なんかは五十年前の卒業旅行当時のままだったのに、ここに来ていきなり記憶との齟齬が生じてしまった。何と言うか、近代的だ。あるいは『マグル的』と言うべきなのかもしれない。

 

遠くに見えてきた香港自治区の駅を眺めながら首を傾げる私へと、隣で窓にべったり張り付いている咲夜が声をかけてくる。異国の景色に興味津々のご様子だ。

 

「凄いね、アリス。この辺全部が魔法使いの街なの?」

 

「ええ、そうよ。……って言うか、そのはずなんだけどね。どうも昔より街そのものが拡がってるみたい。建物もこんなに高くなかったはずだし。」

 

何せ夕暮れに光るビル群は記憶よりも高く、多くなっているのだ。こんなのどうやって隠蔽しているんだろうか? その魔法界らしくない変化に驚いていると、車内販売で買ったシェリー酒を飲み干したリーゼ様が声を放つ。

 

「話には聞いていたが、実際見てみると不思議なもんだね。近代的なのに神秘が濃いぞ、ここは。目に映るものと感覚がズレてる所為で酔っちゃいそうだよ。」

 

「あー、分かります。私も違和感凄いですよ。こんな場所があるんですねぇ。」

 

「おや、美鈴もそうなのかい? この辺はキミにとっては故郷だろうに。」

 

「残念ながら、微妙に違いますよ。ヨーロッパ圏の人だと一緒にしがちなんですけど、実はイギリスとフランスくらいに違うんです。……私がこっちに居た頃は、の話ですけどね。」

 

そうだったのか。美鈴さんの返答を受けて分かるような、分からないような表情を浮かべたリーゼ様は、やがて肩を竦めながら口を開いた。どうやら考えるのを放棄したようだ。

 

「ふぅん? ……まあ、何でもいいさ。言葉は通じるんだろう?」

 

「それも厳密に言えばちょっと違うんですけどね。通じることは通じると思いますよ。……訛りもあるでしょうし、古くさい表現にはなるかもですけど。」

 

「それでも全く話せない私よりはマシだよ。英語以外の会話は任せたぞ、美鈴。それにアリスも。」

 

「私も広東語は『片言以下』くらいの実力なんですけどね。だから美鈴さんの同行が必要だったわけですし。」

 

現地の人の早口が相手だと、なんとか聞き取れるが話すのは難しいってとこだろう。殆どの場合は美鈴さんに頼ることになりそうだ。私が苦笑して返したところで、甲高いブレーキ音と共に列車が速度を落とし始める。

 

「それじゃ、混む前にさっさと行こうか。咲夜は私かアリスから離れないようにね。……美鈴もだぞ。」

 

「もうそんなに子供じゃないです!」

 

「私もです!」

 

「咲夜には一応言っただけだが、キミには本気で言ってるんだからな。忘れないように。」

 

年の差二千歳以上とは思えない二人に注意を放ったリーゼ様に続いて、私たちもコンパートメントを出て歩き出す。ホグワーツ特急よりも荒めのブレーキによろめきながら、たどり着いたドアの前で開くのを待っていると……うわぁ、これは凄いな。列車のドアが開いた瞬間、記憶とは全く違ったホームの光景が見えてきた。

 

「……この様子だと、私の記憶は何の助けにもならなさそうですね。何もかもが変わっちゃってます。」

 

もう建物の形状からして違うし、下手すれば場所さえ違う気がしてきたぞ。ホームの壁一面には隙間なく宣伝用のポスターが貼られ、その上からスプレーか何かで別の宣伝文句が重ね書きされている。目に痛い色でピカピカ光るポスターくらいならまだマシな方で、喋るポスターや歌うポスター、果ては店に来るようにと恫喝してくるポスターまである始末だ。……この混沌とした雰囲気だけは記憶の中と同じだな。

 

治安の悪さを一瞬で感じさせるホームへと降り立った私に、リーゼ様がクスクス笑って返事を寄越してきた。私と咲夜はマイナス方向の感情を顔に浮かべているが、リーゼ様と美鈴さんは何故か嬉しそうな表情だ。

 

「んふふ、実に良い雰囲気じゃないか。ここは『妖怪向き』の街らしいね。」

 

「気に入りましたか。」

 

「ああ、気に入ったよ。……見たまえ、あのポスターなんか凄いぞ。人間の脳みそをバラ売りしてるんだとさ。後で冷やかしに行こうじゃないか。」

 

「……古いポスターですし、もう店が潰れてることを祈っておきます。」

 

ノクターン横丁でもそんなものは売ってないぞ。えらく物騒な文言が書いてあるボロボロのポスターを無視しつつ、列車を降りた乗客の声が満ちてきたホームを通り抜けると……うーん、これぞ無法地帯。見えてきた駅の構内には所狭しと出店が並んでいる。どの店も無許可であることが一目で分かるハリボテ具合だ。

 

もちろん地面に『足を付けている』店もあるが、その上に乗っかってる店や天井からロープか何かで吊るされている店、宙に浮いている店すら大量にあるぞ。縦横無尽に張り巡っている木組みの足場がそこまでのルートを提供しているようだ。まるで出店の壁で出来た三次元的な迷宮だな。

 

「……ねぇ、アリス? ここってその、大丈夫なの?」

 

「間違いなく大丈夫じゃないから、絶対に私から離れないようにね。……何処から外に出るのかしら?」

 

見回してみても確認できるのは無数の小さな出店だけで、案内用の看板など一つとして存在していない。というかまあ、誰かに剥ぎ取られちゃったのだろう。本来看板があったような形跡のある場所には、英語と中国語で書かれた『両替承ります』という胡散臭い手書きの看板がぶら下がっている。

 

喧しい呼び込みの声に顔を顰めながら咲夜の手をしっかり握っていると、愉快そうな表情で周囲を眺めていたリーゼ様が進むべき方向を指し示す。

 

「あっちじゃないか? 来慣れてるような連中があっちに向かって行ってるみたいだぞ。」

 

「従姉妹様、従姉妹様、あれ買ってもいいですか? 焼き鳥みたいです。」

 

「後にしたまえ。それに、あんな形状の鳥は魔法界にだって居ないと思うよ。正しくは『焼き鹿』なんじゃないか?」

 

「んー、『焼きトナカイ』っぽくもありますけどね。……まあ、タレが美味しそうなら何でもいいですよ。肉は肉です。」

 

これはまた、私なら絶対に食べたくない見た目だな。角に目が生えてるトナカイなんて自然の生き物には存在しないはずだぞ。ニコニコ微笑みながら謎の肉を焼いているおじさんの店を横切って、目移りしまくっている美鈴さんを制御しながら出店の迷路を進んで行くと……ようやくか。駅の出入り口らしき巨大なアーチが視界に入ってきた。

 

そして、その付近には多種多様な言語のプラカードを持ちながら呼び込みをしている案内人たちの姿がある。五十年前は怪しすぎて無視したのだが、その所為でかなりの時間迷い歩く羽目になったんだったか。若き日の苦い経験を思い出しつつ、先頭を歩くリーゼ様に問いかけを送る。

 

「案内人、どうしますか? 雇います?」

 

「いいや、ここでは無視だ。こういうのはそれぞれのホテルで手配させた方がハズレが無いからね。こんな胡散臭い連中に道先を任せる気にはなれんよ。」

 

「昔もそう思って無視したんですけど、結果としてホテルにすらたどり着けなかったんです。」

 

「なぁに、何とかなるさ。いざとなったら上空から確認すればいいじゃないか。この街だったら私が飛んでても誰も何も言ってこないはずだ。」

 

それはまあ、そうかもしれない。何故なら駅構内の時点で飛ばないと入れない店なんかが沢山あったからだ。訛りの強い英語でしつこくアピールしてくる案内人をあしらって、落書きだらけになっている大きな石造りのアーチを抜けてみれば……おお、ここから見た景色だけは面影があるな。懐かしき香港自治区の大通りが見えてきた。

 

左右に立ち並ぶ異国の雰囲気が漂う店々、頭上に連なる提灯の明かりや不規則に設置されている野晒しの暖炉、壁という壁を埋め尽くす看板と路上に落ちた大量のビラ。通りに犇めく雑踏から発せられる言語には統一性がなく、明らかにヒトではない存在が普通に歩き回っている。そして空には飛翔術の影が見えたり、巨大なウミツバメが飛んでいたり。時刻が黄昏時なのも相俟って、まるで別世界に迷い込んだような雰囲気だ。

 

「いやぁ、正しく混沌の都だね。この光景を見てるとイギリス魔法界が『まとも』に思えてきちゃうぞ。」

 

リーゼ様が呆れ半分、感心半分くらいで言うのに、私たち三人も深く頷く。何もかもが不確かで、全てが許される街。そんな香港自治区の風景に圧倒されている咲夜の手を引きながら、観光客でごった返す駅の階段を下りていると、隣を進む美鈴さんが喧騒に負けない声でリーゼ様に向かって話しかけた。

 

「それで、どうします? 私としてはホテルに向かいがてら食べ物屋さんを巡ってみたいんですけど。」

 

「それも悪くないが、どうせ行くなら美味い店がいいな。数が多すぎるから絞り込まないと勿体ないぞ。」

 

「あー、それもそうですね。……今から戻って案内人に聞いてきましょうか? 付いて来るのは邪魔くさいですけど、オススメの店を聞くだけなら問題なさそうですし。」

 

マズいな。この二人に舵を取らせたら明日になってもホテルにたどり着けないぞ。踵を返そうとした美鈴さんを慌てて止めて、遠くの刃物店に興味を持ち始めた咲夜の手を引っ張りながら提案を放つ。うん、咲夜もダメみたいだ。ここは私がしっかりしなければ。

 

「先ずはホテルです。拠点を確保してからの方が満喫できますし、少しでも明るいうちに探しておくべきですよ。香港は夜になると建物の位置が変わっちゃうんですから。」

 

「でもほら、美味しそうですよ? あの店なんか特に。アリスちゃん、包子好きでしたよね?」

 

「ダメったらダメです。店は逃げないんですから、後回しにしても問題ないでしょう?」

 

正確に言えば香港の店は逃げたりもするが、今は黙っておくべきだろう。断固としてホテル探しを主張する私を見て、美鈴さんはがっくり肩を落としながら渋々頷いた。

 

「まあ、アリスちゃんがそこまで言うなら……。」

 

「分かってくれて何よりです。それじゃ、行きましょうか。……咲夜、貴女も諦めなさい。ナイフはこの前買ったばかりでしょ?」

 

「それは料理用のナイフだよ。あっちのは違うみたいだし、ちょっと見てきちゃダメ? さっと見たらすぐ『止めて』戻ってくるから。」

 

「ダメよ。料理用以外のナイフが必要になるとは思いたくないしね。」

 

未練がましく唸りながら刃物店を見つめる咲夜の手を引いて、ホテルがある方向……『あるはずの方向』へと歩き出す。苦笑しつつのリーゼ様と未だ包子の屋台を見ている美鈴さんが付いて来ていることを確認してから、片手で地図を開いて目的地までの道のりを頭に叩き込んだ。

 

「よし、こっちで合ってるわね。」

 

「……本当に? もうスタートからして地図と違うように見えるよ?」

 

「大丈夫よ。多分あの辺の店が新しく建っただけでしょ。……多分ね。」

 

だって、そうじゃないと説明が付かない。だから合ってる……はずだ。今度こそ迷わずたどり着いてみせるぞ。小さな決意を胸に秘めながら、心配そうな咲夜にしっかりと頷くのだった。

 

───

 

「ほらね、こっちだったでしょ?」

 

そしてすっかり陽も落ちた頃、巨大なホテルの玄関先でえへんと胸を張る咲夜を前に、少し赤い顔で俯く私の姿があった。……何故だ。あの道で合ってたはずなのに。絶対合ってたはずなのに。

 

「……キミ、実は方向音痴だったりするのかい? 新発見だぞ。」

 

ちょっと呆れた表情で聞いてくるリーゼ様へと、ジト目を返しながら口を開く。迷いまくった挙句、案内役を咲夜と交代した途端にホテルが見つかってしまったのだ。

 

「違います。香港の街と相性が悪いだけです。そうに違いありません。」

 

「まあ、いいけどね。そんなアリスも乙なもんだよ。」

 

「本当に違うんですからね! だって、方向音痴だなんて言われたことないですもん。だから違うはずです。今回は特殊なケースだったんですよ、きっと。」

 

「はいはい、分かってるよ。キミは方向音痴なんかじゃないさ。」

 

むぅ、信じてないな? 含み笑いをしながらホテルに入って行くリーゼ様を睨め付けていると、美鈴さんが私の肩に手を乗せて慰めの言葉をかけてきた。

 

「大丈夫ですよ、アリスちゃん。私も全然分かんなかったですもん。……私たち、方向音痴仲間ですね!」

 

「違いますってば!」

 

うんうん頷きながらリーゼ様の背に続く美鈴さんに言い放ってから、苦笑している咲夜と共に私もエントランスへと進む。このままじゃダメだ。明日あたりにもう一度案内役を買って出て、そこで挽回しなければ。

 

後でこっそり周辺の地図を確認しておこうと心に決めてから、ドアマンが開けてくれた大きなドアを抜けると……うーむ、外観通りの高級そうなホテルだ。この前行ったニューヨークのホテルよりも数ランク上かもしれない。

 

ロビーの奥にはアジアンテイストの豪華なラウンジが見えているし、各所でスタッフが用はないかと目を光らせている。外のごちゃごちゃした街並みとは別世界の雰囲気じゃないか。ホテル周辺には怪しい出店が無かったし、この街は富裕層と貧困層がはっきり分かれているようだ。

 

そういった部分もまた、この街の『混沌』を深めている要因の一つなのかもしれない。品の良さそうな客たちを眺めながらフロントへと近寄って行くと、リーゼ様が早速予約の確認をしているのが目に入ってきた。うむうむ、フロントデスクに背伸びして乗っかってるのが何とも可愛らしいぞ。目の保養だ。

 

「やあ、予約したバートリだ。案内を頼むよ。」

 

「お手数ですが、確認の為にこちらに杖を当てていただいてもよろしいでしょうか? ……はい、ありがとうございます。確認いたしました。すぐにご案内させていただきます。」

 

ふむ、面白い確認方法だな。フロントスタッフが差し出した金属製のプレートにリーゼ様が杖を置くと、そこに嵌っていた黒ずんだ小石が一瞬にして青い宝石へとその姿を変える。どういう仕組みなんだろうか?

 

「リーゼ様、予約の時点で杖を使いましたか?」

 

好奇心から囁きかけてみると、リーゼ様は一つ頷きながら答えを返してきた。

 

「ああ、手紙に杖を当ててくれと書いてあったからね。それがどうかしたのかい?」

 

「いえ、ちょっと気になっただけです。」

 

なるほど。その時点で小石を使わなかったってことは、杖そのものではなく漏れ出る魔力でチェックしているのか? ……うーん、香港の魔法技術の高さが垣間見える方法だったな。こと安全性から言えば、本人確認の方法はグリンゴッツよりも上だぞ。

 

ただまあ、これだと他人が代わりに受付を済ませることは出来ないはずだ。その辺の兼ね合いもあってグリンゴッツは鍵を使った方法を選んでいるのかもしれない。魔力の使い方に秀でた小鬼がこの方法を知らないとは思えないし。

 

魔法界の安全システムについて思考を巡らせていると、いきなり咲夜が手を引いて私を促してくる。

 

「どうしたの? 案内の人が困っちゃってるよ?」

 

「あら、ごめんなさいね。ちょっと考え事をしてたの。」

 

「……魔女の悪い癖だと思うよ、それ。パチュリー様も、アリスも、それに魔理沙も。後でゆっくり考えればいいだけなのに、何か気になることがあるとその場で考え出しちゃうんだもん。」

 

「あー……まあ、そうなんだけどね。こればっかりは魔女の性ってやつなのよ。」

 

呆れた表情で引っ張ってくる咲夜に従って、目線で先導するベルマンに謝ってからエレベーターの方へと歩き出す。いけない、いけない。こういうことをしているからどんどん変人になっていくのだ。もっと気を付けないと。

 

特に今回の旅行中は私がしっかりしなければ。美鈴さんは早くもベルマンにホテル周辺の美味しい飲食店のことを聞き始めちゃったし、リーゼ様はホテルのリーフレットを読んでバーの品揃えを確認している。……この二人はコインのことなんか既に忘れちゃってそうだな。

 

この地を訪れた目的を達成するためにも、私がきちんと二人を『制御』しなくては。内心で気合を入れ直しながら、アリス・マーガトロイドはやけに大きなエレベーターへと足を踏み入れるのだった。

 


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