Game of Vampire   作:のみみず@白月

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グレンジャー歯科医院

 

 

「やだ! やだやだやだ! やぁぁぁだぁぁぁ!」

 

視線の先であらん限りに暴れながら泣き叫んでいる男の子を見て、アンネリーゼ・バートリは透明にしている翼をぷるりと震わせていた。……どんだけ嫌なんだよ。というか、親の方も容赦なさすぎないか?

 

「いいから行くの! ちゃんと歯磨きしないからそうなるんでしょうが!」

 

「するもん! 今度からちゃんとするもん! だからもう帰ろうよ!」

 

「ダメです。それに、ここの先生は痛くしないって有名だから……こら! どこ行くの!」

 

話の途中で母親らしき女性の拘束を振りほどいた男の子は、目の前の建物から離れるべく全速力で通りの向こうへと駆けて行く。つまるところ、彼は『グレンジャー歯科医院』に断固として入りたくなかったようだ。

 

「待ちなさい、ロブ! 待ちなさいったら!」

 

「やだもん!」

 

何者にも侵されぬ自由を得た男の子の捨て台詞を背にして、恐る恐る『拷問医院』へと歩き出す。民家らしき建物がすぐ隣にあるのを見るに、どうやら住宅に医院部分が併設されているようだ。……マグルの家の基準はいまいち分からんが、ダーズリー家よりは遥かに大きいな。かなり儲かっているらしい。

 

医院側と住宅側。一瞬どちらを訪ねようかと迷った後で、とりあえずは医院側のドアを開く。普通に営業時間中みたいだし、ハーマイオニーも夏休み中は雑務を手伝っていると言っていたのだ。こっちに居る可能性の方が高いだろう。

 

入り口を抜けた途端に微かなアルコールの匂いを感じつつ、それなりに人気のある待合室に入ってみれば……うーむ、不思議な空間だな。皆どこか緊張した様子でソファに座って順番を待っている。窓際の女の子なんか処刑を待ってるみたいな雰囲気だぞ。

 

その異質な空気に若干引きながら、受付らしきカウンターへと近付いてみると……私が声をかける間も無く、白衣を着たふくよかな女性が身を乗り出して質問を捲し立ててきた。

 

「あら、お嬢ちゃん。初診ですか? お母さんかお父さんは? 一人で来たの?」

 

「残念ながら、客じゃないんだ。ハーマイオニー・グレンジャーの友人でね。彼女は居るかな?」

 

「まあまあ、ハーミーのお友達! ちょっと待ってて頂戴ね。今呼んできますから。」

 

少し驚いたような反応の後、女性はカウンター裏のドアへと引っ込んでいく。……ふむ、どうやらハーマイオニーのことをよく知っている職員のようだ。昔から勤めてたりするんだろうか?

 

しかし、もう少し時間を考えるべきだったな。ハーマイオニー経由で午後からダイアゴン横丁に行くことは伝えてあるものの、肝心の訪問時間を伝え忘れてしまった。まさか午前からこんなに混んでるとは思わなかったぞ。昼までに捌き切れるのか? こんな数。

 

拷問医院の意外な繁盛っぷりに感心していると、診察室らしき方向に繋がる通路の奥から……おや、ハーミーパパだ。白衣に身を包んだグレンジャー氏が歩み寄ってきた。

 

「こんにちは、アンネリーゼ君。……それとも『バートリさん』と呼んだ方が良いのかな? 頭の固い私たちには少し難しいんだが、ハーミーが言うには私なんかよりもずっと歳上なんだとか。本当なのかい?」

 

「年齢に関してはそうだが、呼び方は好きにしてくれたまえ。キミたち夫婦にとっての私は……まあ、そうだね。『娘の友人』だよ。それ以上でもそれ以下でもないさ。」

 

「うん、それなら分かり易い。だったら精一杯歓迎したいところなんだが、ちょっとだけ予約が立て込んでいてね。それに、ハーミーにも買い物を頼んでしまったところなんだ。あの子が戻るまで少し待っていてくれるかい?」

 

本当に申し訳なさそうな表情で言うグレンジャー氏に、肩を竦めて頷きを送る。予想通りの展開だな。

 

「もちろん構わないさ。私も訪ねる時間を伝えておくべきだったと反省してたところだ。あっちのソファで大人しく待ってるよ。」

 

「いやいや、せめて飲み物くらいは出させて欲しいな。付いて来てくれるかい? 向こうに職員用の休憩スペースがあるんだ。」

 

「ふぅん? なら、お邪魔させてもらおうかな。」

 

悪くないな。見知らぬ施設にちょびっとだけ興味があるのも確かなんだし。先導するグレンジャー氏に従っていくつものドアを横目に歩いて行くと、やがて目立たない位置にある雰囲気の違うドアの前へとたどり着いた。まだ廊下の先があるのを見るに、予想以上に大きな建物らしい。奥側に広がっていたわけか。

 

「さあ、ここだよ。二十分くらいでハーミーは帰ってくると思うから、それまでは……ああ、丁度良かった。コートニーさん、このお嬢さんに何か飲み物を用意してもらえませんか? ハーミーのお友達なんです。」

 

そのまま『職員専用』と書かれたドアを抜けてみれば、大きなテーブルが中央に置かれた休憩室らしき室内が目に入ってくる。椅子の一つに座っていた女性に声をかけたグレンジャー氏は、私に一つ頷いてから慌ただしい様子で仕事へと戻っていった。

 

「あらまあ、ハーミーちゃんのお友達だなんて! こっちへいらっしゃいな。コーヒー……じゃないわね。ジュースか何かあったかしら?」

 

「あー……コーヒーで構わないよ。紅茶があれば尚良いが。」

 

「それなら紅茶にしましょうか。ちょっと待ってて頂戴ね、今淹れますから。」

 

マグルの歯科医院では世話焼きのおばちゃんしか雇っちゃいけない決まりでもあるのか? ニコニコ顔で紅茶を準備し始めた女性を横目に、部屋の設備を見回していると……ドアが開いて三人の白衣を着た女性が入ってくる。こっちは若いな。というか、女性ばっかりなのはどういう訳なんだ?

 

「だけど、あれはもう交換するんでしょ? だったら別に……あら、可愛い。この子は誰なの? コートニー。」

 

「わぁ、綺麗な黒髪ね。迷って入ってきちゃったの?」

 

「そうじゃなくて、ハーミーのお友達なんですって。あの子が通ってるのは全寮制の学校らしいし、きっといいトコのお嬢様なのよ。やっぱり雰囲気が違うわよねぇ。こういうのが育ちの差ってやつなのかしら?」

 

「あー、分かるわ、それ。うちの子とは大違いだもの。雰囲気がもう落ち着いてるのよね。こんにちは、お嬢ちゃん。十歳……なわけないか、ハーミーのお友達なら。十一か十二歳かしら?」

 

……マズいぞ。どうやっても十六歳には見えないだろうし、五百歳ですと言うのは論外だ。私がどう答えようかと迷っている間にも、当人を差し置いて姦しい会話はどんどん進んでいく。

 

「ちょっとコートニー、安物の紅茶なんかじゃなくてオレンジジュースでも出してあげなさいよ。冷蔵庫に入ってるはずでしょ? 今朝ドナが入れてたのを見たもん。」

 

「お嬢ちゃんが紅茶でいいって言うんだもの。きっと育ちの悪いあんたと違って飲み慣れてるのよ。……でも、そうするとティーバッグはマズいかもね。茶葉ってどこに置いたんだった? グレタが旅行のお土産に買ってきてくれたやつ。」

 

「戸棚に仕舞ってあるはずよ。……そっちじゃなくて、上の戸棚。そうそう、そのビン。どうせなら甘めのやつにしときなさいよね。私たちが飲んだって味が分かんないんだから。紅茶も味が分る人に飲まれた方が幸せでしょ。」

 

「ねえ、お嬢ちゃん? クッキーは要らない? チョコのやつと、シナモンのやつと……あれ? ピスタチオのやつはどこに行っちゃったの? 誰か食べた?」

 

凄まじい勢いだな。ホグワーツの女生徒といい勝負じゃないか。強引に座らされた椅子でちょっとだけ気圧されつつも、とりあえず手近な質問の答えを返した。

 

「クッキーは要らないよ。紅茶もティーバッグで結構だ。私はハーマイオニーが戻ったらすぐに──」

 

「きゃー、可愛い。聞いた? ねえ聞いた? すっごく可愛い口調よ、この子。抱き締めちゃいたいわね。」

 

「それよりお嬢ちゃん、ちょっとお口を見せてくれない? ……ほら、見なさいよあんたたち! こんな綺麗な歯並び見たことある? 矯正したのかしら?」

 

「天然でしょ。この感じは間違いないわ。神様は不公平よねぇ、顔も歯並びも良いだなんて……あら、上の三番は尖っちゃってるわね。ここを削れば完璧よ。」

 

なんて恐ろしい会話なんだ。削らんぞ、私は。言われるがままに口を開けながら抗議の視線を送っていると、一人の女性が奥に置いてあったゴム手袋を嵌め始める。騙したな、ハーミーパパ! 診察する気満々じゃないか!

 

「ちょーっとだけ見せて頂戴ねー……真っ白よ、真っ白。やっぱり犬歯以外はパーフェクトみたい。舌も綺麗だし、歯のズレも隙間もないわ。惚れ惚れするわね。」

 

「私は犬歯もこれでいいと思うけどね。形は綺麗だから、チャームポイントで通用するでしょ。……見て見て、歯石も一切無いじゃない。ツルツルよ、ツッルツル。若いって羨ましいわ。」

 

「でも勿体無いわよ。ここだけ削れば『良い歯』の見本として飾れるくらいなのに。教科書に載ってたやつより綺麗じゃないの。」

 

「こうして見てみると骨格も大事だっていうのがよく分かるわね。歯磨き粉は何を使ってるの? フロスは? 歯ブラシは?」

 

早く帰ってきてくれ、ハーマイオニー。そして私を救い出してくれ。自分の口腔を多数の人間に覗き込まれるという訳の分からん状況を受けて、久々に情けない表情を浮かべるのだった。

 

───

 

「あー……うん、それは災難だったわね。でも、褒められたんでしょう? 良い歯並びだって。」

 

そしてハーマイオニーが帰ってきた後、住宅側のリビングへと誘われた私は、紅茶を飲みながら栗毛の友人に怒りをぶつけていた。顔が笑ってるぞ、ハーマイオニー。友人の災難を笑うとは何事だ。

 

「キミね、一体全体どういう場所なんだい? あそこは。変な職員ばかりじゃないか。普通は他人の歯並びなんかに興味を持たないぞ。」

 

「んー、魔法界だとそうでもないんだけど、こっちだと歯並びは一種のステータスなのよ。だからパパもママも仕事に困らないってわけ。魔法界だと簡単に『弄れる』から興味が薄いのかも。」

 

「まあ、繁盛してるのはよく分かったよ。私には縁のない場所だってこともね。」

 

そこそこの値段がしそうなソファに身を預けて言ってやると、ハーマイオニーは苦笑しながら返事を寄越してくる。しかし、やけに写真が多いリビングルームだな。ハーマイオニーの写真なんか数え切れないほど飾られてるぞ。

 

「あの人たちのお墨付きを貰えたなら確かに縁はないでしょうね。……私の友達が訪ねてくるのなんて初めてだから、みんな興奮しちゃったのかも。」

 

「ま、ドリル無しなんだったら別にいいけどね。それで、グレンジャー夫妻はいつ頃仕事を抜けられそうなんだい? ダイアゴン横丁に行く前に話しておきたいんだが。」

 

「えーっと、つまり……『あの件』について聞きに来たのよね? 許可を得たかどうかってことを。」

 

よしよし、いいぞ。途端に表情が曇ったのを見るに、グレンジャー夫妻は一人娘を危険に晒すことを是とはしなかったようだ。内心の喜びを隠しつつ大きく頷いてやれば、ハーマイオニーはため息を吐きながら弱々しい声で説明してきた。

 

「現時点では反対なんですって。この後事情を知ってるであろうモリーさんと話して最終結論を下すらしいわよ。……私は納得してないけどね。」

 

「んふふ、それだけ心配してくれてるってことだよ。……どうかな? ホグワーツを離れて冷静になってみて、頭の良いキミならそもそも通るはずのない提案だって気付いた頃だろう?」

 

苦笑を浮かべながら言ってやると、ハーマイオニーは渋々という感じで首肯を返してくる。

 

「学校に居た時から薄々は気付いてたわよ。だけど、望みがあるなら賭けてみたいじゃない。……ねえ、リーゼ? 貴女はどう思ってるの? 未成年だとか、大人としての責任だとか。そういうのを抜きにした、友達としての貴女の意見を聞かせてくれない?」

 

「ふむ、難しい質問だね。……端的に言えば反対かな。私が思うに、重要なのは物理的な距離じゃないんだよ。『その瞬間』に側に居ないとダメってことはないんじゃないかな。」

 

「どういう意味?」

 

首を傾げて聞いてきたハーマイオニーへと、苦笑を深めながら口を開いた。参ったな。私がこんな話をする日が来るとは思わなかったぞ。

 

「つまりだね、ハリーにとってのキミたちは……そう、日常なんだ。帰るべき場所だよ。全部やり終えたハリーをホグワーツで迎えてあげたまえ。それは私にも、ダンブルドアにも、他の誰にも出来ないことなんだから。」

 

言葉にして説明するのは難しかったが、ハーマイオニーには私の思うところが伝わったようだ。ほんの少しだけ寂しげな笑みを浮かべると、深いため息を吐いてこくりと頷く。

 

「……うん、興味深い意見だったわ。私の役目は一緒に戦うことじゃないってわけね。」

 

「ハリーには安心して腰を下ろせる場所が必要なのさ。これまでの数年間だってそうだっただろう? キミたちに弱音を吐けるから、ハリーはいざという時に迷わず前を向けたんじゃないかな。運命や戦いとは関係のない、生き残った男の子が『ただのハリー』に戻れる場所でいてあげたまえよ。」

 

「うー……悔しいけど、納得よ。気持ちだけで付いて行くよりも、そっちの方が役に立てそうだわ。」

 

ぐしゃぐしゃと髪を掻き回しつつそう言ったハーマイオニーは、ソファに凭れ掛かって天井を見上げながらポツリと呟いた。吹っ切れたような、それでいて悔しそうにも見える表情だ。

 

「ん、分かった。もう付いて行くのは諦める。……本当は分かってたのよ、足手纏いにしかならないってことくらい。それでも我儘を言ってたのはつまらない意地の所為ね。ハリーや貴女にとって胸を張れる友達でいたかったの。バカみたいだわ。」

 

「んふふ、相変わらずキミは変なところで抜けてるね。私やハリーにとって、キミたち二人は胸を張って自慢できる友達だよ。とっくの昔にそうなってたんだ。……気付いてなかったのかい?」

 

「なら、私は勝手に勘違いしてた大間抜けさんってことね。……私はホグワーツで帰りを待つわ。ハリーと、そして貴女の帰りを。だから約束して頂戴、リーゼ。本音を言わせてもらえば、ヴォルデモートとの決着なんか私にとっては二の次なのよ。私にとって大切なのは、貴女とハリーが無事に帰ってきてくれるってことだけ。だからそれだけは約束して欲しいの。もしそれさえ叶うなら、他の全てを放り投げて帰ってきてくれたって構わないわ。」

 

真剣な表情で右手の小指を差し出してきたハーマイオニーに対して、私も真面目な顔で頷きながら小指を出す。

 

「約束するよ、ハーマイオニー。私は大嘘吐きの吸血鬼だが、今回ばかりはきちんと守ろう。ハリーは必ず無事に帰してみせるさ。」

 

「貴女もよ、リーゼ。ハリーだけじゃなく、二人とも無事に帰ってこないと意味がないの。」

 

「いやまあ、それは約束するまでもないと思うけどね。……分かったよ、ちゃんと二人で帰ってくる。約束だ。」

 

苦笑しながらも小指を合わせると、ハーマイオニーもクスリと微笑んでそれを絡めてきた。……なんだか懐かしいやり取りだな。こんな風に約束したのはいつ以来だろうか。

 

小指の先にほのかな温かさを感じつつ、アンネリーゼ・バートリは静かに微笑むのだった。

 


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