【Infinite Dendrogram】名も無き<マスター>達の独白記 作:ナーバス
監獄所属 【盾巨人】Ⅵ:ガーディアン・アームズ
24時間というあまりにも長い虚無の時間。それはまさしく私にとって死の代償である。
いつもと同じように、あの世界に置いてこの身が不死であることに感謝し、そして同時に嘆きながら過ごすその代償の時間は私にとってただ過ぎゆく時間ではなく、激情に染め上げられた精神を洗い流す時間であり、そして新鮮な憎しみを肉体に貯め込む時間である。
そうして現実から舞い戻った世界の空は、いつもと同じように憎たらしいほど晴れ渡っていた。
何をしても変わらない世界。何をしても前に進めない自分。
もはや見慣れた光景になったのだろう。リスポン地点に戻り、24時間と少し前と同じように看守に申し立てをする愚か者を見て反応する者は、もういない。
いずれにしてもこの身がすることは変わらない。
どれだけの視線に晒されようと、どれだけの思想に襲われようとも、どれだけ否定されようとも、この身がすることは変わらない。
この身に許された行動はもはや一つ。私が許す私に課した使命はあの悲劇を生み出した元凶に正義の鉄槌を与える。その唯一の望みがこの身を突き動かす。
一歩。足を動かすごとに身体の中に溜まった液体状の何かが揺れ動く。
その液体が由来するものは他でもない矮小な心の器から零れ落ちた悲哀の念だ。深く傷つき、胸に空いた真っ黒な穴からとめどなく流れ落ちる冷えた情を受け止めてしまった、自責の念と言うのもおこがましいほどに醜い澱みだ。
また一歩。この身が着実に奴に近づいているという感覚が心を揺らす。
同時に24時間と少し前の光景が脳裏に蘇る。
夢の果てに見た幻想が。輝かしい未来が悪意に脅かされ、灰色の火の雨に焼き尽くされる。
写真が燃えるようにクシャクシャと記憶が縮小されていく、夢はそこにはないのだと、突きつけられた現実を直視することもかなわずこの身は朽ちていく。
灰毒の妄言が世界の理屈を書き換える。事実、思いだけではどうにもならない歴然とした格差があった。
揺れ動く器から滴り落ちた悲哀の感情が大地に注がれる。
この せかい に かみ は いない
問題はこの身に宿る大地を構成する物質が既に常人のそれとはまるで違うことだ。一度封じ込めたはずの溶岩は冷えて固まるどころか幾度とか無くつぎ込まれる悪感情を燃料に温度を上げもがく。
燃え上がる大地の上に蓄積していく理想は、つまりものわかりが良いふりをする自分の心で、ガラスのように脆いそれは溶岩に溶かされてゆく。
どこまで蓄積しても、ガラスはガラス。隠すことなく熱を伝え、悲哀を蒸発させて分厚い膜を作る。
そうしたことを繰り返した膜は幾重にも層を作り、そうしてやがてつもりに積もった思いはついに自重を支えきれなくなり、大きな雨粒を落とすのだ。
雨は濁流となり、この身の世界を洗い流そうとする。溶岩とガラスで作られた大地の端に積み上げられた石ころのような誇りと、腐り切った心根を飲み込んで土石流を作る。
爆発した感情は行き場を失い、心の弁を叩く。
それは叫びだ。前に進むふりしか出来ないこの身の叫びだ。
叫びを聞いてくれる人がいないことなんて知っている。
否、初めから誰かに聴いてほしくなどないのだ。
心が叫び続ける。いつか自分の手で必ずあの悪魔を討ち滅ぼすのだと言い切る。それだけが自分に最後に残された宿命なのだと。
ヤツを探し、求め、そして事実を知った。
あの悪魔は監獄に送られたぞと。
胸の扉は絶え間なく土砂に叩かれて、このままでは心が壊れてしまうのではないかと自分でわかるほど、すべてに拒絶されたような感覚だけが広がる。
どうすればこの身の果てにある幻想は戻るのだ、どうすれば自分は自分を許せるのだ。
いや、許すことなど許されない。
この身のありとあらゆる感情が燃え尽きるのが先か、余剰の思いを抱きかかえて失意の海に滲み消えるが先か。
もはや、手段を選ぶ道すら許されていなかった。
だから私は、アレを追うために犠牲を求めた。なあに、すでに誇りは雨に攫われた。心根など、枯れ腐っていた。
死の大地を作り上げた、死者の山を築き上げたあのクソに鉄槌を。鉄槌を叩き込む。
心の奥底に溜まった悲哀の水溜まりをグツグツと沸き立たせる。
この身に宿るのは後にも先にもたった一つの思念だけだ。
己の全てを犠牲にしてでも成し遂げるという意思。
奴の死を望む。
膨大な後悔に塗り固められた過去の己が、今日も首筋に手をかける。
どうしてこの身は不死なのか。
あの日、あの時、あの場所で見た光景の全てが己の無力さを知らしめる。
そして今も。
何も出来ないことをわかっていながら、今日も奴の場所へと赴く。
命を賭して守りたいと思える人たちがいた。
豊かな土地に恵まれた国があった。
そう……あった。
沢山の人が死んだ。国が一つ滅んだ。
絶えた。
絶やされた。
看守の承認が下りた。
いつもと同じように、アレのいる場所に運ばれる。
身体にまとわりつく風が変わったのを感じる。もはや随分と慣れ親しんだ死の風に触れた事を理解する。
一歩。足が前に進む。器の中身は既に空だ。一滴も残っちゃいない。
この動力源はなんだ、嘆きか、恨みか、怒りか、憎しみか、悲しみか、絶望か。
いいや、名の無い激情に過ぎない。
その激情が喉を切り裂きながらヤツの名を叫ぶ。
それだけが、唯一この身に出来ることだから。
どうせ、この身はあとわずかな時間で壊れてしまうのだから。
「キャンディ・カーネイジイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
叫び声が閉鎖された空間に反響する。死に犯された鼓膜が自らの殺意に耐え切れず破れる。
だが、あの悪魔には届かない。羽虫の声など、届くはずがないのだと。当然のことのように、一蹴さえされない。
そしてまた。
奴の意識を削ぐことも敵わず、私は死んだ。
そしてまた。
安すぎる死の代償を待つ時間を過ごすのだ。