【Infinite Dendrogram】名も無き<マスター>達の独白記   作:ナーバス

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無所属 【大狩人】Ⅴ:ギア 

    無所属 【大狩人】Ⅴ:ギア  

 

 

 

 冷ややかな談笑が鼓膜を揺らす。酒気を帯びた粘りのある空気が肺を犯し、骨の髄から熱を奪う。

 賑やかな雰囲気にもかかわらず俺の心はどこまでも独りだ。

 失くしたものを埋めるためか、酒場やギルドに賑わいを求めに寄せられるが取り戻せない現実に苛まれる始末はまさしく灯取虫と言えるだろう。

 

 およそ穢れを知りえぬ彼らの傍に自分のようなものがいることが大罪のように思い、疼く右手を押さえつけ静かにその場を去る。 

 虫の声一つ聞こえない暗黒の中にこそ俺の居場所はある。伸ばした己が手も見えぬほどの光なき夜。

 それは月の生まれ変わる夜だと教えてくれたのは誰だったか。失えた過去が脳に反響し、幻聴が鼓膜にへばり付く。

 それは毒だ。世界中のどんなものよりも邪悪な毒だ。そうとわかっていても逃れることなどできない。捕らわれた蝶のように毒に侵されて魂が壊されるのをただ待ちわびる。

 疼く右手を固く握りしめたまま、俺はゆっくりと暗黒の過去へと意識を落とした。

 

 

 

 

[伸ばした右手の先に人の手で出来た壁。全てを掴むことは難しくとも誰か一人ならなんとか救えた。そしてそうすることで己自身を救ってもらえただろうに]

 

 

 

 

 都市部から離れた辺鄙の村。山賊、モンスター、奴隷商、疫病、ありとあらゆる脅威にさらされながらも、そこに住む人たちは強くたくましく、そして何よりも温かかった。

 人付き合いが苦手で周囲と上手く馴染めなかった俺にとってその村の人たちは本当に特別で、仮に彼らが俺のことを脅威から村を守るための道具と割り切っていたとしても、いいやそんなことは断じてあり得ないのだが、俺には嬉しかった。

垂らされた蜘蛛の糸ではないが事実俺はその関係に縋っていた。

 

 

 イモ洗いが得意だったおばさんと料理好きなその娘。酒造りの名人爺さん。金勘定の得意な少年。木工細工師のおっちゃんと村一番の歌い手の嫁さん。

 他にもたくさんの人たちが力を合わせて生活をしていた。

 

 誰かが病気になれば村中で看病する。誰かが恋をしたなら村中で行く末を見守る。そう。あの村はきっとあの人たちだけで十分うまく行ってたんだ。

 

 それを、俺たち余所者がぶち壊した。

 

 

 規律正しく連携の取れたミツバチの群れがあったとして、そこにハチモドキが入ればどうなるか。秩序は崩壊し、混乱が熱病となって群れ全体を覆いつくす。

 俺たちがやったことは、つまりそういうことだ。力のあるマスター、頼りになるマスター、金と道具を持ってきてくれるマスター。

 美しい均衡のとれた村は一瞬で崩れ去りその隙間を欲が跋扈する。詰みあがらない煉瓦。埋まらない溝。人が人であるかぎり生まれる軋轢の針が村人の善性を突き殺した。

 

 

 

 おれはただ、良い村があるとみんなに知ってもらいたくて、掲示板に書き込んだだけだったのに。その許されがたい愚かな厚かましい善意によって、俺の愛した村は姿を変えた。

 

 

 

 元々裕福な村ではなかった。特産品があるわけでもなく、狩場としても不安定で何かの拍子で何時消えてもおかしくないような村だった。

 そんな村にマスターが常駐すれば、今までと違って歪みが生じるに決まっている。

 必要以上にマスターを頼り、マスターにおべっかをかいてほかの村人を出し抜こうと躍起になる。村人はどんどんと不仲になり、およそ村といえるような体制は蜻蛉の一夜の如くなくなっていた。

 そして、そんな村人たちに嫌気がさしたのか、それとも単純に飽きたのか。常駐していたマスターたちは忽然と姿を消した。

 

 独り、俺を残して。

 

 

 

 けれど俺は心底ホッとしていた。マスターたちがいなくなれば、村は元に戻ると俺は思っていたんだ。今になって考えると、それは愚かに過ぎた考えだった。

 

 

 独り残した俺を見つめる村人たち。意地の悪そうにガラス玉ほど眼をランランと輝かせ、黄ばんだ歯を見せつけるように笑う。

 彼らに俺の姿はどう映っていたのだろう、少なくともそれは同じ生き物を見る目ではなかった。珍獣でも、いいや、金を、いいやどちらもふさわしくない。そう、あれは獲物を見るような目だ。感情を感じられず、意思の疎通ができるとは到底思えない類の、例えるなら……そう、蟲の目だ。

 

 

 

 おばさんも、娘も、爺さんも、少年も、おっちゃんも、嫁さんも。

 

 皆がみんな、蟲の目で俺を見る。

 

 

 寄越せと、働けと、金になれと、媚びた笑顔を振りまきながら、蠱惑の花を食い尽くそうと振る舞う。

 

 

 毒だ。この村は毒に侵されてしまった。

 そしてその毒を運んだのは紛れもない俺だ。

 毒に侵されたのなら、刈り取らなくてはならない。けれど俺にはそれが出来なかった。毒を運んだ責任を、俺は果たす覚悟を持てなかった。

 伸ばされた村人の手を誰一人掴むことなく俺は村を後にした。

 

 

 優しい思い出は黒い思い出に塗りつぶされてしまい、美しさを思い返すことも難しい。幸せを運ぶミツバチになれないモドキは、あの時どうするのが正解だったのだろうか。

 そんな答え。聞いたところで今更どうしようもない。

 

 それでも、村を出るときに村人に掴まれた右手が今も疼く。あの差し出された手を払いのけてしまった瞬間の彼らの表情が忘れられない。あの蟲の目が、今も俺をどこかから覗き込んでいるような気がして恐ろしい。

 

 

 俺が臆病だったから、俺が正しくあれなかったから。俺の、俺が、彼らを蟲にしてしまったのだと。蟲にも劣る魂性が、こんじょう無しが、一人前に憤りを感じているのが心底惨めで、なによりも軽蔑する。

 どれだけ嘆いたところで、もうあの村は元に戻れないだろう。少なくとも、俺が、マスターがあの村に入ってしまえば、それを観測することは出来ない。もう、どうしようもないのだ。

 

 

 

 

[ひとりむしかえすこともなくくらやみのふちにしずめばくもらずはえるのか]

 

 

 

 

 

 願わくば、彼らが物言わぬ蛹となり、再び正しく春を迎えられていることを、疼く右手にかけて祈っています。

 

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