それは30分ほど前に遡る。
「あ、醤油切れてるの忘れてた……どうしよう、今から買いに行くのもアレだしなぁ……」
1Kという狭い学生寮の一部屋には一組の男女がいた。だがそれは遊びに来たという仲睦まじい関係でも同棲という愛し合う関係でもなく、彼らはメイドと主人という日本では滅多にお目にかかることのない関係だ。
それはなんの冗談でもなく一時的な関係でもない正真正銘の主従関係。一部の人が発狂しそうなシチュエーションでも主人である一方通行にとっては迷惑極まりない行為だった。
彼女は上層部からの命令で派遣されたメイド、それも一方通行の意思など無関係に勝手に送り付けてきたのだ。彼は能力の関係で一人でいることが多いため、学園都市最強でもこういう時どうしていいか分からなくなるのだ。
「きゃっ!……あー、お皿割っちゃった……」
しかし最近これを受け入れている自分がいることも確かだ。今まで同じような毎日を繰り返してきたせいで闇と全く無関係の人物と話すことが新鮮でいい暇つぶしになっているのかもしれない。
未だに上層部の思惑を読み取ることは出来ないが、少なくともこのメイド――佐天自身が『悪』だとは考えにくい。今までの行動から何か探りを入れるような仕草は見られないし、何かの準備を始めている気配もない。もし仮に彼女の言動全てが演技で元々は暗部で活動する人物だと判明したなら、一方通行は容赦はしない。闇に潜む者に情けをかける必要はない。
でも……そうあってほしくない。
「あ、あれ?これ砂糖じゃん……塩と間違えちゃった……」
最近考えなくなっていた佐天暗部説がここにきて急に浮上したのは幻想御手のせいだ。一方通行が調べた限りではアレはとてもじゃないが合法とは思えない。そもそも合法なら都市伝説になるはずがないし、一時間近くかけてやっと見つけた隠しページに置いておくわけがない。
恐らくこれは暗部に身を置くものが作ったものだろう。しかし彼が問題視しているのはそこではない。佐天がそれを持っていたことだ。これが自分の意思で手に入れたものか、誰かに頼まれて手に入れたのかで話が全然変わってくる。
その事について聞こうと思っていたのだが……
「ハァ……」
どうも佐天の様子がおかしい。何時もならミスなく完璧にこなし一方通行をもてなす佐天が今日に限っては素人がやりそうなミスを連発し、彼女らしくないため息までついてるのだ。
まるで心ここに有らずといった様子だ。表情も暗く落ち着きもない。中身がまるっきり入れ替わったと言われても納得できてしまうほど変わっていた。
その姿が、どうしてか目について。
「(……なンだ?俺は一体何が引っ掛かってンだ?)」
一方通行がよぎった謎の違和感。何時もの佐天と違うのは明らかだがそれだけではない。目に見えない何かが動いている、そんな予感が。
「(……気のせいか)」
しかしその時一方通行は気づかなかった。いや、今の一方通行だからこそ気づかなかったと言うべきかもしれない。それに気づくのはもっと先のことになるなんて、思ってもみなかっただろう。
「そういえばさっき買ったやつ冷蔵庫に入れてなかったっけ」
佐天はエプロンを外して玄関近くに置いてある荷物の方へ向かう。それを一方通行は見届けて、一度大きく息を吐いた。
一方通行の根の暗さと佐天の底なしの明るさのギャップのせいか佐天と一緒にいるとどうも調子が狂わされるのだ。何をしでかすか予想できない相手とほぼ毎日接するのは学園都市最強の能力者でも苦労する。
だが。
玄関の方からドサッという何かが倒れたような音がしたのは本当に予想外だった。
「……あァ?」
ソファで寝転んでいた一方通行は気になって立ち上がり、音のした玄関の方へ向かう。そこにはスーパーの袋から取り出された野菜やら肉やらいっぱいあったが、それ以上に目を引くものがあった。
どうしてメイド姿の少女が倒れているのだろうか。
それはさっきまでいた少女ではなかろうか。
「……オイ」
一方通行は何度もこの姿を見てきた。それはゴーグルをかけた制服を纏った少女だったがいつも情けはなかった。与えられたオモチャを壊れるまで遊ぶのが彼のやり方。相手も命乞いはせずに死を受け入れるだけの機械。
何度も見てきたがゆえに、その手を動かすことは出来なかった。
助けるべきなのだろうが、今の自分にそんな資格があるというのだろうか。
今まで四桁に及ぶ人を殺してきた。既に両手は汚れ切り、誰かに触れることすら許されないモノが、果たして『誰かを助ける』という行為をしても良いのだろうか。
どうして佐天が倒れたのかは分からない。だがこの様子からして簡単に起き上がることもないだろう。本来なら手を伸ばして安否を確認すべきだし、それでもヤバいと思ったら救急車を呼ぶべきだろう。
でも、彼が手を伸ばしてきたその行為は――
――と突然プルルルという機械質な音が突然聞こえた。それは佐天の身体の方から。恐らく佐天が持っている携帯電話なのだろう。ポケットから僅かに頭を出した携帯電話を見つけて、気まぐれでその携帯の画面を見た。
そこには、『御坂美琴』という文字。
「(コイツが言ってたもう一人の超能力者ってのは……)」
その苗字は耳にタコができるほど聞いた言葉だった。その彼女の顔と瓜二つの少女を嫌になるほど何度も見てきた。
でも彼女は、その瓜二つの少女のオリジナル。七人しかいない超能力者の第三位。そして、超能力者の中で唯一暗部に身を置かず光の人間として生きている希少な人間。
本当なら顔も合わせたくない声も聞きたくない彼だったが、でも佐天と同じ場所にいる彼女なら……
そう思い、電話を取った。
『あ、佐天さん?ちょっと話したいことがあるんだけど、今大丈夫?』
「……お前がコイツの友達ってことでいいンだな?」
『ッ!?』
「急にコイツが倒れやがったンだが、お前何か知ってるか」
『佐天さんが倒れた!?ってかアンタ誰よ!名前を名乗りなさい名前を!!佐天さんに何をしたの!?』
「名前なんてどォだっていいだろォが。ンなことよりコイツをどうすりゃいい?お友達ならそれぐらいの対処法ぐらい思いつけよ」
『……その前に確認させて。アンタが佐天さんを襲ったわけじゃないのね?』
「一応な」
『……多分それは幻想御手による副作用よ』
「副作用?」
一方通行は確かに幻想御手について調べたが、それはあくまで佐天が暗部の差し金でそれを持たされたか確認するため。隠しページにあるとはいえネットに流失しているのを確認してからはそれ以来幻想御手そのものに興味が湧かなくなり幻想御手について詳しく調べようとしなかったのだ。
だから幻想御手に副作用があるなど初めて聞いたのだ。
『今あらゆる病院に謎の昏睡状態に陥る患者が増えているのよ。で、その学生の一部に共通していたのが書庫に載っているレベルを上回る力を手にしていたこと。それでそのレベルを上げる装置っていうのが』
「幻想御手っつーわけか」
『そうよ。今のところどんな薬を使っても改善の様子が見られてないらしいけど、アンタもその子を病院に連れていって。佐天さんのお友達のお願いなんだから、それぐらい聞いてくれるわよね』
チッ、と舌打ちしながら一方通行は電話を切った。これ以上話すことはない。必要な情報と目的が得られたのだから彼女と仲良く会話する必要もない。
改めて一方通行は佐天の姿を見た。彼女は電話を出る前と出た後で一寸の狂いもなくそこに倒れている。どこか怪我したわけでもなく、誰かに倒されたわけでもなく。
必要な情報は得た。
目的もハッキリとしている。
後は一歩踏み出すだけ。
彼が手を伸ばす人物には残酷な死が待っている。それが当たり前で、その生活を受け入れて、彼は人を極端に拒絶するようになった。
でも佐天と触れて今までの認識が変わり始めている。
それが今までの行為を清算するわけじゃないけれど。
彼の抱えている闇が消えるわけでもないけれど。
「(……クソッ、何なんだよ畜生が)」
彼は初めて、誰かを助けるために手を伸ばす。
――――
―――
――
―
「佐天さんが倒れた!?それは本当ですのお姉さま!?」
『うん。今佐天さんの近くにいた人が病院に送ってくれたわ……』
その情報は御坂の携帯を通して風紀委員第一七七支部へと伝わっていた。傍にいる初春も深刻な面持ちで白井の方を見ている。
「……お姉さま、まさかとは思いますが」
『そのまさかよ。佐天さんは幻想御手を使ってた……』
「……」
『色々思うことはあると思う。でも今は幻想御手について手掛かりを見つけるしかない。そして佐天さんを助け出して、その思いをぶつけましょ』
自分でもなく初春でもなく、佐天と一番仲のいい御坂が一番悔やんでいるはずなのに、苦しいはずなのに、それでも御坂は前を向いていた。確かに幻想御手で昏睡状態に陥っている人たちを救出することが最優先事項。それを言葉で示したのは他ならぬ御坂だった。
「……分かりましたわ。私たちもやれることは全てします。お姉さまは――」
『私だけ大人しく寮に戻ってろ、なんて言わないわよね?』
それでも御坂は感情的だった。頭ではやることが分かっていても助けたいという気持ちが無くなるわけではない。本来は警備員や風紀委員の管轄だ。しかし幾度となく御坂は事件に首を突っ込み、その度に注意するも一向に治る気配がない。そんな御坂が佐天を助けるために大人しくしているはずがない。
白井は心の中でため息をつき、年上である御坂に指示を出す。
「わたくしたちは再び幻想御手の犯人について探しますわ。そこでお姉さまは佐天さんの幻想御手の回収をしてほしいんですの」
『幻想御手の?何でそんなことを……』
「私たちには分からなくても、木山先生なら」
『なるほど、分かったわ』
そういってプツリと強引に電話を切った。
「(……まあ、もしあそこでお姉さまが素直に帰っていたら幻滅していたでしょうけど)」
ブラックアウトした携帯電話の画面には僅かに頬を緩めている少女の姿があった。
「初春、一からデータを見直しますわよ」
「……はい!」
少しずつ、事件は進んでいく。
――――
―――
――
―
既に陽は沈み、夜の静けさが残るこの学園都市でもこの日は違った。
ある少年はシスターを助けるために担任の先生の家を訪ねていた。
ある少女たちは事件の真相を暴くためにパソコンと資料に目を通していた。
ある少女は寮の門限が過ぎているのにも関わらず病院へと向かっていた。
ある少年は自分の罪をはっきりと認識しながらも倒れた少女に救いの手を伸ばした。
そして、ある女性は机の上に置いてある教師をしていた頃の写真を見ながら唇を噛み締めた。
それぞれの思惑が交差する中、男にも女にも子供にも老人にも聖人にも囚人にも見える『人間』は、生命維持装置のビーカーに逆さまに浮かびながら、不敵な笑みを浮かべていた。