お嬢様が通うこの常盤台中学では華やかという言葉がピッタリと断言できるほど生徒は美しく煌いている。
それはこの学校の特性ゆえのことだろう。レベル3以上の女子中学生しか通うことが許されないこの学校では派閥という小さなものはあれど生徒一人一人が平穏に過ごし、賢くまじめで殆どの学生には笑顔が絶えない。先生も問題児がいないので苦労をせずに過ごすことが出来る。
しかし、今日は違った。
皆の表情は何故か暗い。休み時間にも関わらずまるでお通夜のような空気がクラスに漂っている。それは教室に入ってくる先生にも影響を及ぼしていた。教室に入るなり近くの生徒に『どうしたの?』と聞く始末である。
その内容は至ってシンプルで、かつ即座に理解出来ないものだった。別に誰かが亡くなったとか、事故や病気で入院しているとかそんなことではない。だがこれは常盤台中学だからこそ起こったことなのかもしれない。
曰く。
『今日の御坂様は様子がおかしい』
最初その言葉を聞いた時自分の耳を疑った。そちらに視線をやっても御坂はただボーっと窓の外を眺めるだけで特に変わった様子は見られない。その時先生は首を傾げることしか出来なかったが、それはチャイムが鳴ってすぐに理解できた。
ペンを忘れ、予習をしてくるのも忘れ、当ててみても話を聞いていないという始末。
御坂は常盤台中学の中でも特に有名だ。能力が宿った当初はレベル1だったが、地道な努力を重ね、今では七人しかいないレベル5の第三位まで上りつめたのだ。常盤台中学にいる者なら誰もが知っている伝説。自分たちがレベルを上げる苦悩を知っているからこそ計り知れない努力した御坂を尊敬している生徒は多い。
努力家の御坂を知っているからこそ、こんなミスを犯す御坂が信じられなかった。まるで中身がごっそり入れ替わってしまったような錯覚。誰もが心配の眼差しを向け、でも彼女がレベル5が故に話しかけることが出来ない。常盤台中学の殆どがレベル4とレベル3の能力者。レベル5にいる御坂とは住む次元が違うし、今の御坂をそうさせている要因を知ったところで、自分たちにアドバイスが出来るとも思えない。
恐らくそれが可能な人物は、御坂と同じ舞台に立つ人間。
例えば。
「はぁい御坂さん」
この学校に通うもう一人のレベル5の能力者とか。
「今日はえらく不機嫌じゃない。そんな顔じゃあお嫁に行けないんだゾ☆」
学園都市に七人しかいないレベル5の第五位、心理掌握(メンタルアウト)、食蜂操祈。星の入った瞳、背に伸びるほどの長い金髪、長身痩躯、巨乳、そして派閥の一員から『女王』と呼ばれている御坂とは何もかもが対照的なお嬢様。
普段滅多に顔を合わせることのない二人が、同じ教室で会話を交わしていた。
息を飲む音が聞こえた。どうしようもない緊張感が教室を支配する。口を動かすことも瞬きすることすら許されないようなそんな空気。彼女たちはレベル5だ。それは一人で軍隊と戦えるほどの力を有していることの証明でもある。そんな彼女たちが、そして 食蜂が喧嘩を売るように話しかけたこと自体が、生徒たちを怖がらせている。もし二人が本気で真正面から戦ったら、なんて思いたくないがその可能性が現在否定できない以上、彼女たちはただ恐怖に押しつぶされるしかなかった。
「……」
しかし御坂から返事はない。普段なら誰に対しても笑顔で優しく返してくれる御坂のこの対応をどう読み取るべきなのか。様々な憶測が彼女たちの頭の中で繰り広げられる中、 食蜂はお構いなしに話を続ける。
「大体御坂さんっていつも一人でいるわよねぇ。もしかしてお友達がいないのかしらぁ?」
「……」
「ルームメイトだった同級生には逃げられちゃうしぃ、それって御坂さんの性格に問題があるのかもしれないわねぇ」
「……」
「……ここまで無視を貫かれると流石に辛いんだゾ」
しかし御坂はハァとため息をついて変わらず窓の外を眺めている。それをジッと見つめて、ようやく食蜂は御坂の異変に気が付いた。「ふぅ~ん。そういうつもりなんだぁ」と適当な言葉を放ちながら食蜂はカバンの中からリモコンを取り出し、
壊れない程度に、御坂の頭にゴンとぶつけた。
小さな鈍い音が響き、ようやく御坂がこちらを向いた。
「ったあ!誰よいきなり殴……なんだ食蜂か」
「なんだとは酷いわぁ。さっきからずっと話しかけてたのにぃ」
「……え?本当?」
「何だか心ここに在らずって状態だったけどぉ」
「……ゴメン」
「……み、御坂さんが謝るなんて……本当にどこか頭を打ってッ!?」
「ああもういちいちムカつくわねアンタは!!」
……これを見てほっこりしたのは何故だろうか。生徒たちは安堵の息を吐きながら友人と会話を始める。
それを横目で見ながら、御坂は大きく息を吐く。
「まあそうね。私らしくないのは確かだったわ」
「ま、どうせ幻想御手のことでしょうけど」
「……なんでアンタがそれを知ってるのよ」
「ちょっと知り合いから。つまるところ御坂さんのお友達がその被害者ってところかしらぁ?」
「食蜂は幻想御手の犯人のことについて知っているの?」
「知るわけないでしょぉ。昨日知ったんだからぁ」
「じゃあアンタは何しに来たのよ」
と御坂が聞くと食蜂はうーんと困ったように視線を泳がせた。
「?」
「とにかく!!御坂さんはまず自分に焦点を当ててみてはどうかしらぁ!?」
若干頬を赤らめて食蜂にしては珍しく怒ったように声を荒げる。ますます御坂は食蜂の行動に疑問を抱くことになった。
「何よ突然」
「だーかーらーぁ」
呆れたように食蜂はリモコンが入っていた小さなカバンの中に手を突っ込む。出てきたのは小さな手鏡だった。食蜂はそれを御坂に向けて、そこでようやく御坂は食蜂の言いたいことを理解した。
彼女の髪はやつれたようにところどころ跳ね上がっており、制服のカッターシャツはボタンを掛け違えていた。
「……」
「灯台下暗しって言葉知ってるかしらぁ?」
「ああ、うん。こりゃあ駄目だわ」
「お友達が心配なのは分からなくはないけどぉ、目を覚ました時に貴方のそんな姿を見たら……きっと悲しむゾ☆」
「……まさか食蜂にそんなことを言われる日がやってくるなんてね」
「今のはちょっと聞き捨てならないゾ」
「じゃあ私早退するから先生に風邪で早退したって言っといてね」
「あらそ……ってえええ!!?」
眼玉が飛び出そうな勢いで驚く食蜂を差し置いて御坂は生徒の人混みを潜り抜けて、雲一つない空のような清々しさで教室を後にした。
「……あんな元気な病人いないわよおおぉ!」
今度会ったら絶対なんか仕返ししてやる。そう心に決めた食蜂であった。
――――
―――
――
―
風紀委員第一七七支部では傷だらけの白井を初春が手当てをしていた。
「ちょっと染みますよ~」
「ぐぅ……!」
幻想御手による力を得た能力者が日に日に増えていき、その対処に追われる白井は疲労の蓄積もあり能力者達を無傷で倒すことが出来なくなっていたのだ。
もちろん白井が殆どの能力者に対して遅れを取ることなどないのだが、それも数が増えれば話は変わってくる。
「……大変ですね白井さんも」
「初春、貴方がそれを言いますか……でもとりあえず私たちがすべきことは三つ。幻想御手の拡散阻止と、昏睡した使用者の回復、そして幻想御手開発者の検挙。これを開発し、ネットに広めた何者かを、必ず見つけ出して目論見を吐かせてやりますわ」
言いながら二人の視線はある電子機器に向いていた。それは佐天が持っていた音楽プレーヤー。幻想御手が入っているそれはこの開発者を見つけるために限りなく重要なモノだ。
これを脳の専門家である木山に見てもらえば、もしかしたら。
「本当は御坂さんに手当てしてもらいたいんじゃないんですか?」
「お姉さまにこんな姿見せられませんわ」
「大丈夫ですよ。誰も見たくないですから」
「あーん?」
裸の身体に包帯を巻かれた状態の白井が初春の首を絞めるように前後に揺らす。
そんな時だった。
「黒子、初春さん!私に何かできることあ――」
ゴンと、突然テレポートした初春が御坂の頭上に激突した。二人は成すすべなくそのまま激痛に襲われて倒れこむ。そして白井はその間にカッターシャツを急いで羽織って、
「ご、ごきげんようお姉さま」
しかしそこには伸びている御坂と初春がいたとかいないとか。
「あんた達学校はどうしたのよ?」
御坂はぶつけられたところをさすりながら白井達に問うた。
「私達は緊急事態ということで風紀委員の今日の授業は免除されましたの。お姉さまこそ昼前で授業がありますのにどうなさ……まさかお姉さま」
「べ、別にいいでしょ緊急事態なんだから!」
む、と白井はムキになり何か反論しようとした。しかし爆弾魔の事件もあって今の風紀委員は人手不足。今は猫の手も借りたい状況で御坂が力を貸してくれるなら、そしてレベル5の頭脳をもってすれば犯人特定できる手掛かりを見つけてくれるかもしれない。
「……今回だけですわよお姉さま」
「よっしゃ!じゃあ私何すればいい?」
クリスマスに欲しかったプレゼントをもらった子供のような無邪気さで喜ぶ御坂。それに対して白井は。
「まずはその寝ぐせを直してくださいな」
「……あっ」
食蜂に言われたこと、直接ここに来たからそういえばまだ直してなかったなと気づいた御坂であった。
「木山先生の話では、短期間に大量の電気的情報を脳に入力する為の学習装置(テスタメント)と言う特殊な装置もあるそうですの。でも、それは視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の五感全てに働きかけるもので」
「そっか。幻想御手は聴覚作用だけだもんね」
寝ぐせを直し制服を着なおした御坂は早速今の現状を整理する。初春がお茶を入れている間に白井から語られた内容は幻想御手に繋がりそうで繋がらないものだった。
いくらレベル5といってもそれは所詮広く浅くの知識しかない。こういう特定の分野に対しては専門家に大きく劣る。やはりここは協力してくれた木山先生に頼るしかないのだろうか。
「お茶入りましたよー」
「ありがとう初春さん」
出された湯吞を手に取って緑茶を口に流し込む。淹れたてなので舌が火傷しそうな熱さだったがコーヒーブレイクにはこれぐらいが丁度いい。
お茶を呑んで一度落ち着いて、ふと気づいたことがあった。
「……曲自体に五感に働きかける作用は無いの?」
「どういうことですの?」
「ほら、かき氷の時の」
「さささ佐天さんとのか間接的なキッスのことをななななんで今思いだし」
「いや違うから」
こんな時でさえ食べ比べできなかったことを思い出した白井に御坂は思わずため息をつく。彼女が言いたいことはもちろんそんなことではない。
「共感覚性よ」
「共感覚性って、確か風鈴の音を聞くと涼しく感じるとかの……あの共感覚性ですの?」
「そうよ。一つの刺激で複数の感覚を得ること」
「……それを使えば学習装置(テスタメント)と同じ効果が!」
「かもしれないわね。初春さん!」
「はい!早速電話をかけています!」
もちろん相手は木山春生だ。脳科学者である彼女であればこれをヒントに幻想御手の解決になる手掛かりを見つけてくれるかもしれない。かなり任せきりのところもあるが、詳しいことが分からない以上仕方がない。
『なるほど共感覚性か。それは見落としていたな』
「はい。一度その線で調査をしてほしいんですけど」
『あぁ……そういうことなら、ツリーダイアグラムの許可も下りるだろ』
「ツリーダイアグラムですか!?あのスーパーコンピューターの!?」
『ああ。結果が出たら報告しよう』
「あ、あの、今からそっちに向かってもいいですか!?」
『……ああ、構わんよ』
「ありがとうございます!」
とツリーダイアグラムを使うところを見る事が可能になったため興奮が冷めない初春は高揚しながら電話を切った。それと同時に、初春の両耳がむぎゅーと引っ張られる。
「うーいーはーるー?貴方こんな非常事態だというのに一体どこへ行こうと言うのですの?」
「い、痛いです白井さーん!」
白井はフンと吐き捨てながら両耳から手を離し、
「まあいいですわ。こういう時こそ電話越しではなく直接会ってお話をした方が案外スムーズに解決できるかもしれませんし」
「白井さん!」
「だから早くお行きなさい。木山先生もお忙しいんですから一秒も無駄にしてはいけませんよ」
「はい!」
「………………イヒヒ、これでお姉さまとふた」
ゴーン。
「くーろーこー?アンタこんな非常事態だというのに一体何をするつもり?」
「い、痛いですわお姉さま……」
アハハ、と苦笑いしながら初春はテキパキと荷物を纏める。
「じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい!」
「が、頑張ってくださいですの……」
御坂が元気よく、白井が殴られた箇所をさすりながら弱々しい声で呟いたのを聞いて、初春は木山春生のところへと向かっていった。
「さて、と」
「初春も行ったとこですし」
「まさか私に何かするとは言わないわよね」
「普段なら愛を育んでいたでしょうけど、今はそんな暇はありませんし」
普段ならしてたのかよ、と怪訝な顔を浮かべる御坂を無視して初春のパソコンの画面を見る。
「今この瞬間も幻想御手を使った能力者の被害が相次いでいますの。風紀委員として見過ごせませんわ」
「じゃあ私も行――」
「ダメよ御坂さん」
と、忠告してきたのは先ほどまでパトロールに行っていた固法美偉。御坂達よりも年上の高校生でこの一七七支部のリーダー的存在。彼女は扉にもたれかかるようにして腕を組んでいた。
「そこから先は風紀委員の仕事。一般人は大人しくしてなさい」
「……でも」
「友達が心配なのは分からなくもないけど、ね?」
「……黒子はいいって言ったのに」
「あら白井さん面白い冗談を言うのね」
「こ、固法先輩……これには深ーいわけが」
「じゃあそれも含めてタップリ聞くわね」
彼女がレベル3にも関わらず風紀委員第一七七支部でリーダー的な存在になっているのが何となくわかった気がした。
さすがの御坂もその威圧感には逆らえず。
「……じ、じゃあ、私は佐天さんの様子見てくる」
「そ、それなら私も。初春は朝に行ったみたいですけど」
と言って逃げるように二人は外に出た。
それは、本当に突然のことだった。
佐天が入院している病院の近くまで黒子とやってきた御坂は迷うことなく病院の入り口へと向かった。
その時、病院から出てくる男と視線があった。
「ッ!?」
その男の目を見ただけで、何故かこう思ってしまった。
殺される。
一度も会ったこともない男だった。白髪で赤眼という珍しいアルビノ。スキルアウトと思ってしまうほどに目つきも悪かったがそれでも普通こんなことにはならないはずだ。ましてや自分は学園都市レベル5の第三位。よほどの相手じゃないと負けるはずがない。
その緊張感は、男が通り過ぎるまで続いた。後ろを振り返り、見えなくなったのを確認して、大きく息を吐いた。
「どうかなさいましたかお姉さま?」
白井の方は何も感じなかったらしい。御坂はすぐに笑顔を取り繕って、
「ううん。なんでもない」
駆け足で白井の背中を追った。どうしようもない違和感を抱えながら。
病室には健やかに眠っている佐天がいた。
身体の健康上は何も問題がない謎の昏睡状態。もちろん原因は幻想御手だとは分かっているのだがその対処法が全く分からない。いつも笑顔だった彼女が目を瞑って動かない様子を、ただ眺めることしか出来ない無力さを感じながら、二人は病室を後にする。
廊下を歩いていると、背後から突然声がした。
「君たち、ちょっといいかな?」
白衣を纏っているのでこの病院に勤める医者だとすぐに分かった。しかし意外な反応をした人物が約一名。
「リアルゲコ太!」
「お姉さま違いますの」
……そう見えなくもない彼は冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)。どんな病気・負傷であっても最後まで患者を見捨てず、あらゆる手段を用いて治療してしまうという外科医のスペシャリストだ。
その医者に呼ばれて連れて行かれたのは彼が独自に研究を行っている部屋の一室。そこに置いてあるパソコンには音の波が映し出されていた。
「これは昏睡状態の患者たちの脳波だ」
マウスをずらすと他にも色んな人の脳波が映し出されていく。素人の御坂と白井にはこれの違いが全く分からない。
「どれも同じに見えますわね」
「そう。これらの波形はほぼ全て同じなんだね?」
「どういうことですか?」
「脳波は指紋と同じで個人個人で違うから波形が同じなんてありえない。こんなことをしていたら人体に影響が出るだろうね?」
「……じゃあみんなが植物状態みたいになっているのはこれが原因ってわけか」
「一体何のために……」
「それは君たちの仕事だろう?でもまあ、偶然にも発見してしまったんだね?」
と冥土帰しは御坂達の方を向き直し、
「幻想御手の被害者と同じ脳波を持つ人物……それがこの人なんだね?」
映っていたのは、御坂と協力関係にあり、先ほど初春が会いに行った人物。
「木山先生!?」
果たして偶然か必然か。食蜂が言っていた言葉がそれを的確に表していた。