地球人最強の男、オラリオにて農夫となる   作:水戸のオッサン

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其ノ十 炉神

 

 

 

「ごめんなさいでしたっ! ガネーシャ反省っ!!」

 

 男神の声が酒場に響き渡り、給仕人(ウェイター)は何事かと視線を動かす。

 象頭の被り物をした男神が額を床に(こす)り付けている、そんな姿が彼らの目に入った。

 

 大柄な男神が床に這いつくばっているのは、誰の目にも奇異に映る。

 たくましく浅黒い肉体をした男神・ガネーシャが謝意を向けるのは、女神であった。

 

 ふわふわした蜂蜜色の髪を背に流した女神・デメテルは、柔和な目尻に困惑の色を浮かべていた。

 足もとに半裸の大男がひれ伏しているのはどうにも居心地が悪く、周囲の視線も痛い。

 

「まったく、ガネーシャはしゃーないなぁ」

 

「ロキ、貴方ねぇ……」

 

 まるで他人事のように言う女神・ロキに、デメテルに代わって非難の目を向けるのは燃えるような色の髪をしたもう一柱(ひとり)の女神である。

 

 鍛冶神・ヘファイトストス

 

 彼女が主宰する【ファミリア】こそ、オラリオで最も有名な鍛冶の派閥である。

 この【ヘファイトス・ファミリア】の職人が鍛え上げた数々の名作は、常に英傑と共に在った。

 中でも上級鍛冶師(ハイ・スミス)、まして最上級鍛冶師(マスター・スミス)の作品ともなれば、それを手にすることは冒険者にとって最上の誉れとされ、武具というより栄典(トロフィー)にみられてしまうこともよくある話だ。

 

「ファイたーん、そんな睨まんといてやぁ。ウチはただ、『新王者の誕生や、盛大に祝ったろ!』って()うただけや~」

 

「その『ファイたん』って呼び方はどうにかならないのかしら……」

 

 聞き入れられない永年(長年)の抗議は、もはやヘファイトスの独白になりつつあった。

 

 ちょうどアイズたちが市外の丘にいた時、とある酒場に四柱(よにん)は集まっていた。

 入り組んだ路地の奥にひそむこの場所は、すっかり世を忍んでいる。入口は地階に潜り、そこへ続く階梯(かいてい)を小さな魔石灯が(ほの)かに照らす。黄昏の路地裏に浮かび上がるそればかりが、此処(ここ)にたどり着く(かす)かな手掛かりだった。

 

 オラリオでも高名な神々の話題を独占しているのは、デメテルの眷族()・クリリンである。

 とりわけ今は、クリリンと【猛者(おうじゃ)】の激闘の後、神輿を担いで騒ぎを大きくした神と、それを煽動した神が、ヘファイストスにジト目を向けられていた。

 

「もうっ、ロキは昔からいたずらっ子なんだから」

 

「い、いたずらっ子かあ……」

 

 泣く子も黙る天界の道化師(トリックスター)ロキも、地母神の正当なる後継者デメテルにかかっては子供扱いだった。

 大女神の懐の深さをそのまま表しているかのような胸元、小さな動きで大きく揺れるソレが目に入り、調子に乗って軽口を叩いていたロキが思わず素に戻る。

 そこらの凡神(ぼんじん)がこんな口を利けば、ロキの気分によっては派閥(ファミリア)ごと消されかねないが、そうはならないのはひとえにデメテルの神徳(じんとく)と威光ゆえである。

 

「ほら、ガネーシャも。せっかくの食事が冷めてしまうわ。早くいただきましょう?」

 

「寛大な御心にガネーシャ感服っ!!」

 

「おお……これが大女神デメテルか」

 

「貴方たち……いつか祟られるわよ……」

 

 ガネーシャとロキに、ヘファイストスは呆れてつい(たわ)いないことを言う。

 

(神が神を祟るとは一体……)

 

 そんなことを、それぞれの神の護衛役は内心でつっこんでいた。

 

 神々は気を取り直して乾杯し、杯を(あお)る。

 

「クリリンか。本当に凄い子が現れたものね」

 

 ヘファイストスの置いた杯が、コトリと音を立てる。

 

「ホンマになぁ。アレでレベル1っちゅーんやから、たまらんわー」

 

 ぷはぁっとロキが息を吐く。杯はすでに空いていた。

 

「せや、デメテル────」

 

 ロキはデメテルの方に身を乗り出して問う。

 

「これを機にウチの首を、都市の覇権を狙ってたりするんか?」

 

 

 空気が凍った。

 

 

「お、おいロキ」

「貴方、何を!?」

 

 物騒なロキの言葉に、ガネーシャとヘファイストスが慌てる。

 ずいぶん丸くなったとはいえ、天界にいた頃の悪神(道化師)ロキを二柱(ふたり)が忘れるわけが無い。

 

 そして同時に二柱は()()を突き付けられる。

 見ない振りをし、後回しにしようとしていた事実が、二柱の前で鎌首をもたげていた。

 

 新たな王者の到来。

 

 それは都市の勢力図をたった一人で塗り替える。

猛者(おうじゃ)】にあんな勝ち方をしたのだ。クリリンという男に正面から対抗しようとすれば、【フレイヤ・ファミリア】も【ロキ・ファミリア】も、全てを(なげう)たねばなるまい。

 二大巨頭でもこれなのだ。他の派閥に関しては、はっきり言って俎上(そじょう)に載せる気にもならない。

 

 ガネーシャにもヘファイストスにもわかっていた。いまや【デメテル・ファミリア】は最強クラスの派閥に変貌したのだ。

 突飛な物言いはロキの言葉を冗談めかす。

 しかし、道化を装う表情の裏でロキはけっこう本気でデメテルの真意を探っている。それに気付かぬ二柱ではなかった。

 当然それはデメテルにも知れるところであり、ふぅっと悩ましげにため息をついてからロキに言葉を返す。

 

「ロキったら急に変なことを言うのね。都市の覇権なんて、興味ないわ」

 

 デメテルが(かも)すおっとりとした空気に、物騒な気配が霧散する。神々の背後で護衛役(こどもたち)がひそかに息を吐いていた。

 

「ひひひっ、まあデメテルのことやからそう言うと思っとったで!

 おーーい、にいちゃん! おかわり頼むわー」

 

 どこまで本気であったのか、しかしロキはもう調子を戻している。その横でヘファイストスは疲れた表情を浮かべていた。

 

「おーーーい、にいちゃん? ……何かあったんか?」

 

 呼び掛けに鈍い店内を見回せば、給仕人の気配が遠い。

 

「外で何かあったみたいね」

 

 ヘファイストスがそう呟く。

 

「よしっ! ガネーシャが見てこよう!」

 

 ドタドタと騒がしく外へ出ていくガネーシャを、護衛が慌てて付いていく。

 

「デメテル、ファイたん、ウチらもいこかっ!」

 

「えぇ??」

 

「しょうがないわね……」

 

 テーブルには護衛役を一人だけ残し、ロキたちも外に出る。

 

 店から這い出てみれば、路地裏は賑わっていた。

 これほどの人影を今までどこに(かくま)っていたのか、閑散としていたはずの通りは(にわか)に活気づいていた。

 

「なんや、喧嘩でもあったんかいな?」

 

「でも子どもたちを見てると、そうでもなさそうだけれど……」

 

 ロキとデメテルが辺りを見回していると、ガネーシャが騒々しくこちらへ戻ってきた。

 

「空が光ったらしいぞ」

 

 ガネーシャの第一声はそれだった。思わず三柱は目が点になる。

 話を掘り下げてみれば、さっきまで市壁の外から音や魔力の波動が伝わってきていたらしい。

 

 それを聞いたロキとデメテルの表情がなんともいえないものに変わる。

 いやこの二柱でなくとも、何者かが市壁の外で恐ろしいレベルの戦いを繰り広げていたことは想像に難くない。

 

 問題は誰が戦っていたか、であるが────

 

(空を光らしたんは、まあクリリンのしわざやろな。相手はアイズたんか、それともどこぞの怪物か……いずれにせよ)

 

 ロキが空を見上げる。

 

(空が光ってから音沙汰無くなったっちゅうことは、決着はついたんやな)

 

 双方のどちらが勝ったかは考えるまでもなかった。

 

「ロキ、デメテル、貴方たち何か心当たりがあるんじゃないの?」

 

「なにっ!? そうなのか!?」

 

 ヘファイストスが訝しみ、ガネーシャの意識もロキたちに向く。

 

「さてな、ウチらは何も知らんよ。な、デメテル?」

 

「ふふ、そうね」

 

 さも何か知っていますと言わんばかりのやりとりであったが、ヘファイストスは追求する気にはなれなかった。

 

「ファイたん、なんやお疲れやなあ」

 

「誰のせいだと思っているのよ……」

 

「まーまー、戻って飲み直そ!」

 

 ロキを先頭に、神々は再び路地裏を覆う宵闇に姿を(くら)ませるのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

「まあ! ヘスティアが地上に?」

 

 そろそろ日付も変わろうかという深夜の通りを、デメテルとヘファイストスは歩いている。

 日ごろ規則正しい生活を送っている二柱にとってはずいぶんな夜更かしだ。ロキとガネーシャはまだ飲むらしく、デメテルたちとは別れて色とりどりの魔石灯がきらめく不夜の街に消えていった。

 

「私も地上に降りてからけっこう経ったから、本当に久しぶりね」

 

 帰路の途上で話題に上がったのは、デメテルにとってもヘファイストスにとっても親交の深いとある女神。

 

「ヘスティアってば、いつ降りてきたのかしら?」

 

「………………」

 

 この後ぼそりと呟くヘファイストスの言葉を聞いて、デメテルは唖然とすることになる。

 

「何か月も前に降りてきていたなんて…………私ちっとも気が付かなかったわ」

 

 都市の喧騒から遠いようでいて、実のところデメテルは情報通だ。というのも、都市内の女神ネットワークの中心にいるのがこのデメテルだからである。

 広場で、カフェで、浴場で。

 何柱もの女神が集まっては膨大な量の情報が交わされていく。特に色恋沙汰は大好物だ。

 

 そんなデメテルをして、ヘスティア降臨の報は初耳だった。

 

「それはそうよ。あの子ってば私のところでずーーーーっと引き籠っていたんだから!」

 

「あ……あら」

 

 ぷんぷんしているヘファイストスを宥めようにもデメテルは言葉が見つからない。

 

 

 炉の女神・ヘスティア

 

 

 およそ神格(じんかく)破綻者しかいないともいわれる天界にあって、貴重な善神の一柱である。

 美醜や位階といったことに拘らず誰に対しても分け隔てなく接するのが美徳で、同じ神として驚くほど(やま)しいところが無い。

 この点についてはデメテルもヘファイストスも好ましく思っているのだが。

 

 いかんせんヘスティアは超が付くほどマイペースだった。

 天界が戦乱の中にあった時なんてあの女神はなんと言ったか。

 

 ────ボクはこの戦いに関与しないよ。炉を見てなきゃいけないし、そもそも興味もないからね。

 ああでも、神殿(うち)に遊びにくるのは一向に構わないよ。神殿を話し合いの場にしたいというなら提供もしよう。

 ただし喧嘩は駄目だ。争いは他所(よそ)でやってくれよ?────

 

 この言い分を大神は通したというのだから二重で驚きだ。

 そして言葉通り、ヘスティアは中立で在り続け、最後まで神殿に引き籠り続けた。

 そういうヘスティアの超然とした一面も、それが許される立場だったことも、ヘファイストスとしては羨ましく、また感心するのだが。

 

「ヘスティアはさっそく地上の洗礼を受けたのね」

 

 デメテルは遠き日の自身を顧みてそう呟く。

 地上はこどもたちの世界だ。

 悠久を生きる神々にとって、人の世は儚く、慌ただしい。

 千変万化、万物流転。

 しかし、これこそが地上に生きる醍醐味(だいごみ)というものだ。

 が、浮世は早々にヘスティアを置き去りにしたらしい。

 

「いつまで経ってもグータラしていたから、こないだ叩き出してやったわ」

 

 ふんっ、とヘファイストスが鼻を鳴らす。

 地上に降りたヘスティアがまず当てにしたのがヘファイストスだった。

 姉御肌のヘファイストスは旧友の頼みを快く引き受けた。ヘスティアが自分の派閥(ファミリア)を立ち上げるまで全面的な支援を約束したのだ。

 しかしこれが裏目に出た。当座をしのぐ当てが出来たヘスティアは、生来のマイペースぶりを発揮した。

 明日から本気だす──────そんなヘスティアの言葉をヘファイストスは何十回聞いただろうか。ヘスティアは何も変わらぬまま月日は幾つも流れ、季節はひとつふたつと移り変わっていった。

 神々からすれば瞬きほどの時間。しかし地上の感覚に染まって長いヘファイストスが我慢の限界に達するには十分な時間だった。

 

「あらあら、ヘスティアったら」

 

 くすくすとデメテルが笑う。

 

「笑いごとじゃないわよ……」

 

「うふふ、ごめんなさい」

 

 振り回されたヘファイストスには悪いと思いつつ、ヘスティアがちっとも変わってないことにデメテルはついつい笑みをこぼしてしまう。

 

「さすがにヘスティアも本気出したかしら」

 

「叩き出して一日もしない内に戻ってきたけれど」

 

「まあ」

 

 ヘスティアが再度、自分に泣き付くであろうことはヘファイストスも分かってはいた。

 分かってはいたが、音を上げるのが早すぎやしないだろうか。

 ヘスティアはいったい何しに地上へ来たのかと、ヘファイストスとしては思わざるを得なかった。

 しかし、ヘファイストスのお人好しも度を過ぎていた。

 

「いきなり追い出したのは私もやりすぎたと思ったし、住む家と職くらいは探してあげようと思ってるの」

 

 このお言葉である。世にいう『女神』とはヘファイストスに違いない。ヘスティアでなくとも拝みたくなろう。

 

「私もなにか手伝えることがあるかしら」

 

 そしてまたもう一人の『女神』が旧友のために動き出した。

 

「……そうね、他に考えていることはあったけど、デメテルを頼るのもいいかもしれないわ────」

 

 満月の明かりの下、二柱の女神による炉神更生がいま始まろうとしていた。

 

 

 

 ◆◆

 

 

「ロキ! さっきは何を言い出すのかと、このガネーシャも焦ったぞ!」

 

「さっきの、って何のことや~?」

 

「デメテルに、ロキの首をどうとか聞いていただろう!」

 

「あーー、それな」

 

 デメテルたちと別れた後、新たな酒の宿を見つけたロキとガネーシャはまだまだ飲み足りぬとばかりに酒を呷る。

 

「ちょっとしたジョークやジョーク」

 

「寿命が百年は縮まったぞ!」

 

「そらあスマンかったな」

 

 かかかっ、とロキは笑う。

 寿命とは神々が下界の子どもたちに定めるものだ。ならば、ガネーシャの寿命はいったい誰が定めたというのか。しかも百年などと、神々にとってはあってないようなものだ。

 そう、ガネーシャの言い分は子どもたちが言いそうなことだ。

 しかし、ロキはそこを指摘するようなことはしなかった。ロキもガネーシャも、あるいはデメテルもヘファイストスも、地上の子どもたちと共に生きてきた。百年という時間の感覚はすっかりと変わってしまった。

 もっとも、寿命が百年も縮まればエルフといった長命種を除き即死待ったなしなので、そのあたりはまだまだ地上の感覚からズレてはいるが。

 

「ただなあガネーシャ、ウチが冗談のひとつも言いとうなる気持ち、わからんでもないやろ?」

 

「うむ、ガネーシャもわからなくはない」

 

 二柱の脳裏に浮かんだのは一人の子どもの姿だ。

 

「強すぎるわ、クリリンは」

 

「うむ……そうだな……」

 

 クリリンのぶっ飛んだ強さはもちろんガネーシャも間近で見ている。

 それでも、都市最大派閥の主神(トップ)が実際に口にすると事実が重みを持って()し掛かってくる、そんな気がするのだ。

 

「クリリンは強すぎる。あんなん反則や。アレが一人おるだけでなんでもやりたい放題っちゅうもんや」

 

 ぐびっ、と酒を飲み下してロキは続ける。

 

「そこらの凡神(ボンクラ)が手に入れとったら、間違いなく面倒なことになっとったで」

 

 神々にとってクリリンは最高の玩具(おもちゃ)になるだろうことは誰の目にも明らかだ。

 

「だがロキよ、クリリンは善き子だ! ガネーシャにはわかる! それにあのデメテルが我が子を悪事に利用するなど考えられん!」

 

「わかっとるっちゅーねん。せやからジョークって言うとるやろ!」

 

「そうだったな! すまんっ!」

 

「ま、ええわ。それに問題は他にもある」

 

 酒の勢いもあってつい熱が入る二柱であったが、ここでロキは一息つき、調子を変える。

 

「それはな、クリリンが『レベル1』っちゅーことや」

 

「む? ロキはクリリンがレベル詐称をしていると言いたいのか?」

 

 ロキの言葉を受けてガネーシャがまず浮かんだのはこれだった。しかし

 

「ガネーシャの名に誓って言おう! クリリンは嘘をついていないっ!」

 

 自信満々にガネーシャは言う。

 オッタルとの騒動の後、ギルド主導でクリリンへの事情聴取が始まり、レベルの確認はすぐに行われた。

 その方法は単純だ。神々による審問。子は神々の前では虚偽を許されない。ガネーシャはその時の参考神(さんこうにん)の一柱だった。

 

 クリリンはレベル1

 

 いかに信じ難くとも、それは紛うこと無き真実だ。

 

「信じられん気持ちはわかるぞ! しかし! ロキもあの場にいたではないか!」

 

「そうやない。ウチが言うとるんはそんなんちゃう」

 

「むぅ……?」

 

 ガネーシャはロキの言わんとすることがわからず口を半開きにする。

 

「ええか? クリリンはつまり()()()()()あの強さ、っちゅーことや」

 

「あっぱれなことよな! 我々の力なしに自分の力だけであそこまで強くなるとは!」

 

「それや」

 

「うむ?」

 

ウチら(神の恩恵)に頼らず自力ででっかくなった、それを()()()()()()()()やと思う(ヤツ)もおる」

 

「──────────ッ!」

 

「否定できんやろ?」

 

 グラスを置いたロキは冷笑を浮かべていた。

 

「子を支配したがる(おや)、あるいは下に置いておきたい神。そんなんぎょーさんおるやろうな」

 

 クリリンの存在を『神々の権威の失墜』と騒ぎ立てるやつ絶対出るで~、とロキは言う。

 

「く、くだらん……!」

 

「ウチもそう思うわ。ただなガネーシャ、自分みたいに子どもの自立を手放しで祝福できる神はそうおらんのが現実や」

 

 ガネーシャもロキも、そしてデメテルやヘファイストスも、子の成長を喜べる神だ。しかし、そんな神は全体をみればむしろ少数派であるとロキは見ている。

 今はまだ面白がっている神も多いだろう。しかし、クリリンという存在が示す事実(意味)、それを理解したとき神々はどんな反応をするか。

 

「きっと新しい時代はすぐそこまで来とるんや。今の恩恵(システム)が古くなるっちゅうことなら、またなんか考えればええ」

 

「…………」

 

「でも凡神(ボンクラ)どもはそうは考えんやろ。古いやり方にしがみついて、なんとか自分らの威を保とうとする。自分に自信がない(ヤツ)ほどそうやろうなあ」

 

 変化を求めて下界に来たんとちゃうんかい

 ロキはそう皮肉をこぼす。

 

「デメテルやクリリンが、しょーもないことに巻き込まれんとええけどなあ」

 

「…………もしそんなことになれば!」

 

「あん?」

 

 ロキがガネーシャに向けて瞼を薄く開ける。

 

「もしそんなことになれば! このガネーシャが! 群衆の主たるガネーシャがクリリンを守ろう!」

 

 ガタッ、と椅子を押し退けてガネーシャが立ち上がり、その肉声が空気を振動させる。

 

「自分、声がデカいっちゅーねん!」

 

 ロキは耳に指を突っ込んで不満を言う。しかし、そう言うロキの表情は柔らかい。

 ガネーシャの護衛()も呆れ混じりに笑っていた。

 

「クリリンを守る、か。ま、好きにすればええ。ウチは止めん」

 

「む、ロキはクリリンの味方はしないのか!?」

 

「さーてな。ウチん派閥(とこ)はガネーシャん派閥(とこ)とはちゃうからな。全ては【勇者】の思惑しだい、やなあ」

 

 都市の憲兵隊ともいわれ公益性の強い【ガネーシャ・ファミリア】は特殊なケースだ。その点では【ロキ・ファミリア】は普通の派閥(ファミリア)である。ロキとて個神(こじん)的な友誼や義理を派閥に持ち込むつもりは毛ほども無かった。

 

「まークリリンとはいわず、ウチの目の前で子どもたちを嬲るような凡神(ボンクラ)がおったらその場でしばいたるわ。目障りやからな」

 

 そう言って笑うロキの(かお)を見てガネーシャの子はゾッとした。それも一瞬、ロキはころりと表情をもとに戻してしまう。ガネーシャの背後を守る彼はロキの調子に狐につままれたような心境だった。

 

「そういえばガネーシャ、自分とこ宴を開くんやってな?」

 

 今までの緊迫した空気はどこへやら。ロキはあっけらかんと話題を変える。

 

「うむ! ちょうど一か月後だな! 盛大に行うのでロキも来るがいい!」

 

 招待状どこやったっけなー

 ちゃんと部屋片付けて下さいっす!?

 などと、ロキは後ろの眷族とやりとりをしてから、宴に思いを馳せてげんなりとする。

 

「神の宴か……あんま気ぃ進まへんけどなぁ……」

 

 そう言ってロキは杯をまた呷るのだった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 クリリンが異世界に来て五日目を迎えた。

 

 昼時はもうとうに過ぎた頃、一人の女が西のメインストリートを歩いていた。

 

 肩まで伸ばした髪を揺らすヒューマンの女は、通りを東に向かっている。エプロンを着けた華奢な姿は女給を思わせる。目鼻立ちも整っており、道を歩けば幾らでも声がかかりそうなものだ。

 

 だが、女の風采がそれを許さなかった。

 

 勝ち気で自信に満ちた目、美しく堂々とした姿勢。

 極め付けは、その()()にあった。

 

 団章にも等しいその装いは、とある豪傑が営む酒場の店員であることを示している。

 

 ただの酒場と思うことなかれ。

 その酒場の従業員はなぜか戦闘員といってもいいほどの実力を有する。

 はっきり言って半端な強さでは無い。それこそ大手の探索系派閥にいっても即戦力で通用する者がゴロゴロいる。

 否、その酒場自体が有力派閥といっても差し支えないだろう。

 事実、女たちしかいないはずのその酒場で、粗相をして叩き出された冒険者は枚挙に(いとま)がない。

 

 西のメインストリートに構えるその酒場の名は『豊穣の女主人』

 そして、その一従業員、ルノア・ファウストは店のアイドルタイムにふらりと外へ出ていた。

 

 いつもは賄いを頬張りながら同僚と駄弁って過ごすことが多いが、たまには外に出たい時もある。今日のルノアはそういう気分だった。

 

 向こうから冒険者たちが歩いてくる。

 屈強な冒険者たちにも全く怯むことなくルノアは道を進む。

 

「【猛者(おうじゃ)】がまたクリリンと戦ったらしいな」

 

「!」

 

 すれ違いざまに男たちの話が耳に届き、ルノアは思わず足を止める。

 

「うぇっ!? まじかよ…… でもよ、【猛者】もレベル8になったんだろ? 今度はいい勝負になったんじゃねえのか??」

 

「いやそれが、行商の話じゃ土まみれの【猛者】を担いだクリリンが街道を走っていったんだと」

 

「嘘だろ!?」

(嘘でしょ!?)

 

 男とルノアの内心が一致する。

 ルノアが聞き取れた限りで推測すると、どうやらクリリンに挑んだ【猛者】はオラリオの外れまでぶっ飛んだ末に、当のクリリンによってオラリオまで送り返された、という話のようだ。

 勝負の行方など語るまでも無い。

 

 ふぅっ、とルノアはため息をつく。

 

(まさか眷族(ペルセフォネ)達の中に、化物が紛れ込んでいたなんてね)

 

 クリリンの噂は当然、ルノアも知っていた。ルノアにとって驚愕を一段と強めたのは、その者がデメテルの眷族だったことだ。

 

 なぜなら

 

 

 ルノアもまた、デメテルの眷族であるからだ。

 

 

 といっても、ルノアは普通の眷族とは違い派閥(ファミリア)の活動には参加していない。

 これには事情があるのだが────

 

 

 ルノアはぼんやりと空を眺める。

 

(クリリン、さんかぁ)

 

 あっさりとオラリオ最強の座に付いた男の名を、ルノアは思い浮かべる。

 

 オラリオ最強

 

 ほとんど世界最強と同義の称号に、かつてオラリオに来たばかりのルノアも力試しとばかりに挑んだことがある。

 腕っぷしには自信があった。

 

 そして

 

 あっけなく、その自信は砕かれた。

 

 標的とした【フレイヤ・ファミリア】の第一級冒険者、それは【猛者】の部下に当たる存在だが、その彼らに返り討ちに遭った。

 今でもルノアは夢に見ることがある。

 殺されずに済んだのは決して逃げ切れたわけでも運が良かったわけでもなく、相手がこちらに興味を失ったからだろう。

 

 地下迷宮(ダンジョン)がとめどなく化物を産み出すように、迷宮に抗する地上の都市(オラリオ)もまた、化物が跋扈(ばっこ)する世界だった。

 

『最強』のずいぶん手前にいるはずの相手にすら完敗し、在りし日のルノアはすぐに思い知った。

 自分はもう、一番では無いのだ、と。

 

 ルノアはいつの間にか広場に出ていた。

 目の前に(そび)えるはバベルの塔。

 数多(あまた)の冒険者を飲み込んできた迷宮の入口は、もうすぐそこにある。

 

 上ばかり見ていたルノアはその『少女』に気が付かなかった。

 

「うわあっ!?」

 

 ぽいーん

 

「!?」

 

 少女とぶつかってしまったルノアは腹部に極上の感触を味わう。

 

(こ、これは!! デメテル様の他にもこれほどの巨峰(パワー)を持った子がいるなんて!!)

 

 見ればルノアの胸に、裸足の小柄な女の子の頭が埋まっていた。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

「うぅ、お腹すいたぁ~~」

 

 広場に蹲って少女は声を絞り出す。

 

「なんだいヘファイストスのやつ、ちょーーーっとのんびり下界の生活を楽しんでいたからってあんなに怒ることないのにさっ」

 

 少女は唇をとがらせて文句を垂れる。

 屋外にも関わらず彼女の足もとに履物などは見当たらない。それだけを見れば、路頭に迷う薄幸の少女ともおぼしき姿だ。

 

 しかしこの少女、どういうわけか女神ヘファイストスの名を気安く呼ぶ。

 なんという分を弁えぬ放言かと(たしな)めたくなるものだが、少女の姿を正対して見れば出かかった忠言も引っ込むに違いない。

 

 少女の容姿は整い過ぎていた。

 

 背丈や顔つきこそ年端もいかぬ少女のようであるが、手足も含めた身体各部の長さの比は、この世のものとは思えないほどの調和を保っている。

 肌は染みや汚れとは全く無縁だった。体のラインにぴったりと合うワンピースは(あで)やかな曲線を描き、あどけない雰囲気とのギャップを生み出している。特に胸元の豊かさは目を見張るものがあった。

 その身を飾るのはリボンぐらいなものでシンプルな装いだったが、余計な装飾品(アクセサリー)はかえってこの存在(もの)の気品を損なうように感じてしまう。

 

 きりりっ、と表情を引き締めさえすれば、人の子は彼女の威に敬服し平伏(ひれふ)すしかあるまい。そこに疑いの余地は無い、のだが

 

「あーーもう帰りたいーー! 帰ってじゃが丸くん食べながら冒険譚(ほん)の続きが読みたーーい!」

 

 駄々をこねる有り様は、実に見苦しかった。

 

「あ、ヘスティアさまだっ!」

 

 背後から声を掛けられて、この不可思議な少女はピタリと動きを止める。

 振り返って見れば、母娘(おやこ)がこちらに笑いかけている。

 

「ヘスティアさまー、きょうも『けんぞく』さがししてるのー?」

 

「ははは、まあね……」

 

「もしかして、まだひとりもみつかってないの?」

 

「グサーーーーーーーッ」

 

 幼女の無邪気な一言が少女の心を容赦なく抉る。

 

「まあこの子ったらなんてことを! 申し訳ありません、ヘスティア様」

 

「い、いやいいんだ。気にしないでくれよ……」

 

 言葉とは裏腹にこの少女、虫の息である。純真な幼女には勝てなかったよ。

 

 申し訳なさそうに頭を下げる母親と、元気よく手を振る女の子を見送って、ヘスティアと呼ばれた存在はため息をつく。

 

「は~~~あ、眷族集めがこんなに捗らないものだったなんて思ってなかったよ」

 

 降臨した炉神・ヘスティアは、思うようにならぬ状況に辟易していた。

 それもまた下界の楽しみというものだが、目下(もっか)迷走中のヘスティアはこの逆境を楽しむ余裕は無かった。

 

 ヘスティアの見通しはこうだった。

 道を歩けば神様ぱわーで物言わずとも子どもたちは自ずから列を成す。あなたが神か。いかにも神だ。どうか私めをあなたの眷族に。苦しゅうない(ちこ)う寄れ。

 こうして眷族(ファミリア)は結成。上納金でヘスティアは左団扇で暮らしたとさ。めでたしめでたし。

 

 ヘスティアの頭の中ではこうなるはずだった。が、現実はどうだ。

 早朝から日没まで声を掛け続けること二日。そうまでしてもヘスティアの眷族になりたいと手を上げる者は一人としていなかった。

 

「さすがのボクも自信失くしちゃうぜ~」

 

 明るく弱音を吐くヘスティアだが、いま彼女が置かれている状況は不遇でもなんでもなく、当然のことだった。

 

 今のオラリオには既にたくさんの神が下りてきている。

 神の恩恵は、どの神が与えても同質だ。

 ゆえに、黎明期(れいめいき)ならともかく、現代のオラリオで資本もノウハウも無い神の眷族になりたがる者など皆無といっていい。

 いかにヘスティアが天界では一目置かれる神だったとしても、だ。

 

「あ、ヘスティア様だ。こんにちは~」

 

「やあ、君か」

 

 声を掛けてきた冒険者の女にヘスティアは言葉を返す。昨日、勧誘して断られてしまった子だ。

 

「こんな時間からダンジョンかい? 気を付けて行くんだよ」

 

「は~い」

 

 バベルに向かう子どもの背をヘスティアは見送った。

 

 勧誘は失敗続きだが、声を掛けられることは多くなった。

 顔や名前はよく売れている。事実、ヘスティアはその愛らしく人懐こい気質で早くもマスコットとしての地位は確立しつつあった。

 それを嬉しく思う気持ちはあるのだが

 

「いやいやいや、これじゃ野良猫と変わらないじゃないか…………!」

 

 自身の置かれた状況を改めて認識し、ヘスティアはがっくりとうなだれるのだった。

 

 そんなときだった。

 

「うわあっ!?」

 

 ヘスティアは、広場を歩いていた女の胸にぶつかってしまう。

 

「え~と、キミ、だいじょうぶ?」

 

「ん、誰だい?」

 

 頭上から降ってきた聞き慣れない声に、女の胸に埋っていたヘスティアは顔を上げた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 ルノアは、進んで他人(ひと)の事情に介入しようとする気質ではない。

 

 ルノア自身もまた戦災孤児だったということもあり、相手が孤児であったり貧民であったりしてもむやみに憐憫を振り撒くような真似はしなかった。

 

 ルノアの同僚には、愛想と好奇心でどこにでも首を突っ込んで世話を焼くヒューマンと、ほとんど潔癖ともいえる真面目さで正義を貫くエルフがいる。

 

 その二人と比べてしまうと、ルノアは相当にドライな方だ。とはいえ、ルノアも根っこには良識を備えている。

 

 小柄な背丈に裸足の女の子。

 

 そして、ミスマッチなほどに豊かな胸元。何者かは知らないが、その大きさはルノアの上を行く。

 

(正直、この子以上のモノ(おっぱい)はデメテル様ぐらいしか…………いやいやそうじゃなくて!)

 

 なにやら不憫な気配が漂うこの少女を、ルノアはどうにも見過ごせなかった。

 

「え~と、キミ、だいじょうぶ?」

 

 ルノアは少女にそう声をかけたのだが

 

 少女は、人間では無かった。

 

「ん、誰だい?」

 

 透き通るような青みがかった瞳を向けられて、ルノアは息を飲んだ。

 

(め、女神様!?)

 

 そう意識した途端、行き交う人々も、都市の中心たる摩天楼(バベル)も、ルノア自身もまた、この小さな女神の背景と化した。

 

 超越存在(デウスデア)

 

 人知を超えた、異次元の存在。

 

 見知らぬ女神との邂逅(かいこう)にルノアが固まっていると、女神が口を開いた。

 

「あ! もしかして君ぃ、ボクの眷族になりたいのかな~?」

 

「…………………………はい?」

 

 唐突な勧誘に、ルノアは間が抜けてしまう。

 茫然とするルノアをよそに、ヘスティアは勝手に話を進める。

 

「いやぁ~困ったねぇ~。ボクはそう簡単に眷族を作らない主義なんだ」

 

 浮かれきったヘスティアは心にも無いことを口にする。そもそも今のヘスティアは、眷族を選べる立場では決してない。

 

「しかし! 君は実に運がいい。今は『炉の女神さま降臨記念キャンペーン』を実施中であるっ! 希望者は全員、我が眷族に迎え入れようじゃないかっ!!」

 

 なんとも偉そうな態度である。

 いや、実際に偉い女神ではあるのだが。

 

「しかもっ、今なら()えある眷族第一号という称号付き────」「ごめんなさい」

 

 得意気に語るヘスティアをルノアは(くじ)く。

 

「えーと、ごめんなさい。私はもう、別の神様から恩恵を授かっているので……」

 

「ガーーーーーーン」

 

 それを聞いたヘスティアは満面の笑みにピシリとひびが入り、しおしおと膝を付く。

 あまりの落胆ぶりに、ルノアもたいそう気の毒になった。

 

 どう慰めたものかとルノアが言葉を選び終わる前に、ヘスティアはついに限界を迎えた。

 

「うわああああああああああああん! なんでさ!? なんで誰もボクの眷族になってくれないのさっ!!」

 

「えぇ…………」

 

 人目を(はばか)らずヘスティアは号泣し始める。

 はた目から見たら、ルノアがヘスティアを泣かしているみたいではないか。

 そう思うと、別に何も悪いことはしていないはずなのに、ルノアは居心地が悪くなってくる。

 

「お腹空いたよ~~~~ 朝から何も食べてないんだよう~~~~~」

 

(いや私も仕事だったからお昼まだなんだけど)

 

 ただ、こんなことになってルノアの食欲もどこかへ吹き飛んでしまったのだが。今は昼食よりも何よりも、この場を離れたくてしょうがなかった。

 

 ここにきてルノアはようやく、自分は厄介事に巻き込まれたのだと悟った。

 

 冒険者に絡まれたとかなら拳一発で沈めるところだが、女神を相手にそういうわけにはいかないし、かといってこの状況を放置できるほどルノアは冷血ではなかった。

 

(あーもう、柄でもないことするんじゃなかった!)

 

 見知らぬ者に自分から声を掛けたこと、そもそも今日に限って休憩中に広場に来たこと。

 ルノアは今日の行いを思いっきり後悔した。

 

 打開策は全く思い付かない。

 泣きたくなるルノアだったが、ここでついに救いの手は差し伸べられた。

 

「あら、ルノア?」

 

「へ?」

 

 ルノアが振り返ると、そこには『女神』がいた。

 後ろに流した髪がふわりと風に舞っている。

 その姿はあまりにも優美だった。

 

「デメテル様!?」

 

「ふふ」

 

「お久しぶりです、ルノアさん」

 

 豊穣の女神・デメテルと、護衛として傍に控える武装農夫がルノアに微笑む。

 穏やかな空気が辺りを、ルノアを包み、ざわついた心が安らいでいく。

 

「どうしたのかしら? 何か困っているように見えるけれど」

 

 にこにことしたデメテルはすかさず距離を詰め、ルノアの手を握る。

 

「も、もうデメテル様ってば!」

 

 ルノアは思わず赤面する。心の準備が整わない内に近付かれると、女神の美貌に当てられてしまうのだ。

 それでも手を握られるぐらいならまだいい。

 子ども大好きデメテル様はなんと抱きしめてくることもある。

 どこに触れても柔らかいデメテル様だが、この御方、とりわけ胸部に最胸の兵器を配備している。

 もし不意にこれを押し当てられるようなことがあれば、女であろうと一発昇天しかねない。

 

「え、え~とですね」

 

 あたふたしながらもルノアは今も号泣しているヘスティアの方を見る。

 デメテルもルノアにつられて視線を移す。

 

 二柱の目と目が合う。

 デメテルの目はまんまるに開いていく。

 

「ヘスティア!?」

「デ、デメテルぅ!?」

 

 デメテルとヘスティアの顔が驚愕の色に染まる。

 

「し、知り合いなの? デメテル様?」

 

 思った以上の反応に、ルノアは唖然とするばかりであった。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その巨大な建造物は北西のメインストリートにあった。

 

 白大理石で造られたそれは、古代最高の職人たちの技術(わざ)を今に伝える。

 造立(ぞうりゅう)当初は新しい時代の幕開けを象徴したこの建物も、気が遠くなるほどの歳月を経て、いつしか(ふる)き時代の遺物とも呼ばれるようになった。

 しかし、その高度な技術、華やかな意匠は現代においても色()せることはない。

 

 神の恩恵を受けた冒険者の統制機関・ギルド

 その本部がここに置かれていた。

 

 昼も夜も冒険者の姿が絶えないこの場所は今、異様な雰囲気に包まれていた。

 

 

 

 

「お嬢ちゃん、本当にやるのか?」

 

 ギルド本部の前で、オラリオ最強の男・クリリンは目の前の少女に問う。

 

「は、はい! よろしくお願いします!」

 

 答えたのはアマゾネスの少女だ。

 傍らにはさらに二人、彼女の友人とおぼしき少女たちが、ハラハラしながら状況を見守っていた。

 

 この少女たちとクリリンは面識がある。

 

 三人は三日前、馬が畑に現れたとき真っ先に駆け付けた冒険者連合のメンバーだ。

 

「ど、どうぞ……!」

 

 そう言って、アマゾネスの少女は目をきゅっと瞑る。

 キスをせがんでいるようにも見える格好だ。

 この少女があと四、五年早く生まれていたら、あるいはクリリンの心臓(ハート)もドキリと跳ねたかもしれない。

 

 

 しかし状況はそんな甘酸っぱいものでは決してなかった。

 

(うわあ…………)

 

 偶然この場に居合わせたエルフの少女は口をあんぐりと開けながら、気絶している冒険者を建物の壁際に寄せていた。

 

【ロキ・ファミリア】のレフィーヤ・ウィリディスである。

 

 二日前のクリリンとの戦いで、レフィーヤはレベル4への『昇格(ランクアップ)』を果たした。

 今日はその届け出をするためにギルドへ足を運んでいた。

 

 レベル4への昇格。

 それだけでも世間は高い関心を寄せるはずだ。

 しかも昇格を果たしたというのが都市最大派閥(ロキ・ファミリア)の若手となれば尚のことだ。今日一番のニュースになりえた。

 

 が

 

 ご覧の通り、今日の話題は全部クリリンが持っていった。

 いま起きている『珍事(インパクト)』の前では、レフィーヤの『偉業』など遠く霞んでしまう。

 

 気絶している冒険者は一人や二人では無い。二十はいる。

 これらは全員、クリリンの一発に沈んだ者たちだ。

 

 レフィーヤも話だけは知っていた。

 それを耳にしたのは二日前、本拠(ホーム)を飛び出したアイズの足取りを追っていた時だったか。

 その話は、昇格した【猛者】にあやかって、クリリンに殴られにいく冒険者が続出しているというものだった。

 そのときはレフィーヤもアイズを追うのに必死だったため聞き流していたが、こうして実際に現場を目撃してみると胸に去来するのはただただ「なにやってるんですか、この人たち……」である。

 

 そして、当初は『強くなるため』殴られにいくというものだったはずだが、今はだいぶ目的がズレてきているようにレフィーヤは感じる。

 どういうことかといえば、要は『クリリンに会った記念に』殴られにいく、というように流れが変わりつつあるのだ。

 それは他の有名人に会った場合なら、握手を求めたり、サインをねだったりするのと同じことだ。今クリリンと向き合っている少女の意識も『強くなるため』と『記念』というのが混ざっていると思われる。

 その変化に気付いてしまったとき、レフィーヤはいっそう「なにやってるんですか、この人たち……」という思いを強くした。

 

(それにしてもまあ、全部の種族を網羅する勢いですね)

 

 路上に沈んだ冒険者たちを放置すると往来の妨げになるので、クリリンとの好誼(よしみ)もあってレフィーヤもなんとなく冒険者除去に一肌脱いでいる。

 こうしてみると、野戦治療院のように見えなくもない。

 

 壁際に並べた冒険者の種族は色とりどりだ。

 ヒューマン、獣人、ドワーフ、アマゾネス、小人……

 上級冒険者どころか第二級冒険者すらいる。

 

(まったく、あなたたちがどうにかできる相手じゃないですよ……)

 

 レフィーヤは呆れる。ただまあ、彼らのことばかり悪くもいえない。

 クリリンに手も足も出なかったのはレフィーヤとて同じであるし、一昨日(おととい)は結局アポ無しで畑に押し掛けて相手をしてもらったのだから。レフィーヤはお咎めなしだったが、幹部勢はこってり絞られたらしい。

 

 冒険者を片付け終えたレフィーヤが一息ついていると、横から同僚に話しかけられた。

 

「ねぇ、レフィーヤ……」

 

「? なんですか?」

 

 この同僚は団長(フィン)の指示でギルドに詰めているメンバーの一人だ。

 レフィーヤが彼女の方を見てみると、どうにも顔色が悪い。

 

「あの人、とんでもない化物じゃないか……!?」

 

 震える指でクリリンを差す同僚に、レフィーヤはキョトンとして言葉を返す。

 

「クリリンさんの強さはあんなものじゃありませんよ。もっともっと、強くなっていきます」

 

 きっぱりと断じるレフィーヤの返答に、彼女の顔が引きつる。

 第二級冒険者の彼女だが、その彼女と同等以上の戦闘力を誇る冒険者が、二人の足もとにゴロゴロ転がっている。

 彼らを昏倒させた一発も、レフィーヤに言わせればいかにも手加減されたものだった。

 

「うそでしょ……!? そんなの、どうしようもないじゃない……!」

 

「どうしようもないでしょうねぇ。少なくとも、ここにいる冒険者では」

 

 アンタなんでそんな余裕なのよ、とでも言いたげな同僚の視線を、レフィーヤはさらりと流す。

 クリリンの強さを初めて味わったあの日から既に二日経っているレフィーヤにとっては、もう受け入れられた現実だ。

 尚、当日のレフィーヤの狼狽(うろた)え様は彼女の比では無かったが、これ以上の言及は控えておく。

 

 視点はここでクリリンに戻る。

 

(うーん、気が進まねえんだけど……)

 

 十三かそこらの歳の、それもなかなか可愛い子に『一発ほしい』と言われてもクリリンは戸惑うばかりだ。

 

 異世界生活五日目にして『親の顔より見たギルド』での用事をようやく済ませたと思ったら、今日もまたこんなことになってしまったのである。

 

 同伴していたデメテルや護衛役の同胞と、その辺の店で遅めの昼をとってから畑に戻る予定だったが、とりあえずデメテルたちを先に行かせ、後で合流することにした。

 まだまだオラリオの地理には明るくないクリリンであるが、気を探れば居場所はわかるので問題はない。

 

 しかしまあ冒険者ってのは酔狂なもんだ、とクリリンは思う。

 最初の男を殴り飛ばしてから今日で三日目。殴り飛ばした冒険者の数は、延べ百人以上は確実か。

 中にはリピーターまでいるのだから、クリリンとしては訳がわからなかった。

 

「あ、あの」

 

「ん?」

 

「手加減、してくれますよね?」

 

「当たり前だろ」

 

 おどおどと訊ねる少女に、クリリンは苦笑する。

 もし加減を間違えるようなことがあれば少女はオラリオごと消し飛んで、壊滅した都市の瓦礫が彼女の墓標になってしまう。

 しかしこのクリリン、加減を間違えることは無い。『常識』もきちんと備えている。

 ついうっかりやり過ぎることがある親友とは違うのだ。

 このとき、どこぞの酒場でとあるエルフがくしゃみをしたのだが、クリリンが知る由はない。

 

(まーいつまでもこうしてたってしょうがねえし、やるか)

 

 クリリンはようやく気をとり直す。

 少女といっても相手は冒険者、しかもレベル2である。

 少女たちにとって打撲や捻挫は日常茶飯事、骨折だってするし、ひどいときは手足が千切れかけたことも、内臓がいくつか破裂したことも、死にかけたことすらある。

 

 その点、クリリンの一発は命の保証がされているのだから安心だ。

 

 拳を引き構えたところで、クリリンはふと思い付いた。

 昔、親友が天下一武道会で披露した技がある。

 あれをやってみよう、と。

 

 クリリンは引き絞った拳を高速で突き出す。

 観衆の知覚を完全に置き去りにした腕の振りは、周囲の空気をごっそり奪いながら圧縮した。

 途方もない力で押し潰された空気の塊が炸裂し少女の体を弾く。

 少女は意識を刈り取られながら、向こうの茂みまで吹っ飛んだ。

 一部の空間が真空状態となった北西のメインストリートに風が流れ込む。

 この間、約二秒の出来事である。

 

 レフィーヤ達は風に煽られたスカートを押さえていた。主神(ロキ)の下心のせいで自分の嗜好よりやや短いスカートはこういうとき困る。

 

「ふぅっ! すごかったですね~。じゃ、吹き飛んだあの子を探しに行きましょうか」

 

「いやだからレフィーヤ! アンタなんでそんな平然としてんのよ!? 今の見てなかったの!?」

 

「へ? 速すぎて見えなかったですけど」

 

「そうじゃない!! そりゃ私だって見えなかったわよ! 見てたけど、見えなかったわよ!!」

 

「もうなにがなんだか」

 

 

 結局この十五分足らずで、クリリンの前に撃沈した冒険者の数は二十四名にのぼる。

 うち

 レベル1 六名

 レベル2 十二名

 レベル3 五名

 レベル4 一名

 

 それなりの規模の派閥を一つ潰してみせたようなものである。

 

 そんな恐ろしい数字を残し、クリリンは図らずも新王者の姿をこの北西のメインストリートに刻み込むのであった。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 下界で再会を果たしたデメテルとヘスティアは、あの後、西のメインストリート沿いにある酒場に移動していた。

 

 その酒場とはルノアの職場、『豊穣の女主人』である。

 

 高級酒場という店構えや店主の強面(こわもて)ぶりが、冒険者たちに()じ恐れられる要因だが、これは『豊穣の女主人』の一面にすぎない。

 

 昼と夕でガラリと替わるメニューや価格構成によって、客層は時間帯で大きく異なる。

 日中は一般市民の客が多く、価格もリーズナブルだ。

 逆に夕方以降は冒険者で賑わう。

 いつ死ぬかもわからない稼ぎ方をしている馬鹿共は宵越しの銭など持つんじゃないよ、とばかりに夜メニューは一皿の量を盛りそれに合わせて価格も盛り上げている。

 しかし、如何な大金を店に落とそうとも、店の流儀に従えない者は容赦なく叩き出される。

 

 かように、力にものを言わせて好き勝手に騒ぎたい冒険者にとってはやりづらい店であるが、安心して食事を楽しみたい客にとってはむしろ憩いの場である。

 冒険者が騒ぐと食器や酒瓶が飛んでくるのは当たり前で、酷いときには椅子やテーブルが宙を舞うのだ。おちおち食事を楽しんでもいられない。

 そんなわけで、特に一般市民が夜に外食を楽しみたい場合は慎重に店を選ばなくてはならないのだ。

 

 さて、昼は過ぎ、しかし夕方というにはまだ早い時分、さすがの『豊穣の女主人』も空席が目立つ。

 

「いや~それにしても久しぶりだねデメテル」

 

 椅子に掛けて足をぶらぶらさせながらヘスティアは言う。

 

「久しぶりどころじゃないわよ。本当にもうっ! あなたは放っておくと永久に会いに来ないんじゃないかしら」

 

 同じくテーブルに付いたデメテルはヘスティアに苦笑する。

 

「そ、そんなことないって! 五千年ぐらい前に会ったばかりじゃないかっ」

 

「五千年よ、五千年! みんな集まる時だってヘスティアだけ『炉を見る』って言って来ないじゃない」

 

「い、いやぁ、そんなこともあったかな!?」

 

「それに、ヘファイストスから聞いたわよ? ずいぶん前から地上に降りていたみたいじゃない。私にはちっとも顔を見せに来てくれないんだもの。妬けちゃうわ」

 

「い、いやぁ……まいったなぁ」

 

 わざとらしくむくれてみせるデメテルに、ヘスティアはあたふたとする。

 

 デメテルたちの他には三組の客がいる。うち一組は冒険者らしく、ときおり大声を出しては女給(ウェイトレス)たちに鋭い視線を浴びせられていた。

 

 日中にしては粗っぽい空気が漂うが、デメテルの護衛を務める武装農夫の心境はだいぶ落ち着いていた。

 彼女の視線の先にいる女給が、大皿をテーブルに持ってきた。

 

「おまたせ~。旬の食材で彩った前菜十二種盛りだよ!」

 

「うおおおおおおおお……!!」

 

 ルノアが置いた皿の盛りを見て、ヘスティアは目を輝かせる。

 

「私たちの野菜をここまで見事に調理してもらえるとは、生産者冥利に尽きますね」

 

「うふふ」

 

 デメテルたちもまた、皿の彩りに頬が緩む。

 

「いただきまーーーっす。んむっ!? う、うまああああああい!!」

 

 ヘスティアはほっぺたが落ちんばかりのリアクションを見せる。

『豊穣の女主人』が恐れられながらも繁盛している一番の理由が、この旨い酒と旨い料理である。

 

「そういえばデメテルとそっちの子は主菜(メイン)を頼まないのかい?」

 

 料理に舌鼓を打ちながら、ヘスティアはふと浮かんだ疑問を投げ掛ける。

 

「もう一人、私の子が来る予定なの。今ちょっと騒動に巻き込まれているのだけれど。追加の注文はその子が来てからにするわ。ヘスティアは先に食べていて頂戴」

 

「ふぅん。それにしても、デメテルもしっかり【ファミリア】をやってるんだねぇ」

 

「うふふ、ありがとう」

 

 

 そんなデメテルとヘスティアのやりとりを、ルノアたちはパントリーから見ていた。

 

「……すごい光景ニャ」

 

 細身の猫人(キャットピープル)の女がそう呟く。

 理知的な瞳が映すのは二柱の女神────の胸元であった。

 

「とんでもない戦闘力ニャ。オラリオの二大巨峰と言っても過言ではないニャ」

 

「大真面目な顔してなに言ってんだ」

 

 クロエ・ロロ

 その賢そうな見た目から放たれる頭わるそうな発言に、ルノアは突っ込まずにはいられない。

 ただし、二大巨峰についてはあながち間違いでも無かった。

 

「さすがは女神さまなのニャ。クロエとは大違いなのニャ」

 

「おい今なんつった、そこの馬鹿猫」

 

 もう一人の猫人の従業員、アーニャ・フローメルのほとんど遠慮がない一言にクロエの怒髪は天を衝く。

 

「このクロエ様のスレンダーなプロポーション! それがわからぬとは、やはりアーニャはアーニ(馬鹿)ャでしか無かったか」

 

「クロエは胸まで『すれんだぁ』なのニャ!」

 

「ぐっはぁ!!?」

 

 決まった! つうこんのいちげき!

 クロエはその場に崩れ落ちる。

 

「勝ったニャ!」

 

「いやなんの勝負だったのコレ」

 

 胸を張るアーニャの横で、ルノアは力が抜ける。

 傷心のクロエはその目にみるみる涙を浮かべる。なかなかに嗜虐心をそそるその姿は、すでに瀕死だった。しかしこのクロエ、ただでは死なぬ。

 

「ミャアの胸はスレンダーじゃないニャ!! あっちのポンコツエルフの方が『ぺちゃぱい』ニャア!!」

 

「なっ────!?」

 

 クロエのファイナルアタックはあらぬところに飛び火した。

 その暴言を受けて、みるみる頬が染まるのはエルフのリュー・リオンだ。

 

「訂正しなさい、クロエ! 私はポンコツでも、ぺ……『ぺちゃぱい』でもないっ!!」

 

 三人の乙女はぎゃーぎゃーと(かしま)しい。

 この流れはマズイとルノアは直感した。

 いや勘では無い。この店の従業員として、この同僚(馬鹿)たちと共に働く日々の中で、何度も繰り返されたがゆえの経験則というものだ。

 

「三人とも! もうちょっと声を抑えて────」

 

 ルノアがそれを言い終わる前に『終焉』はやってきた。

 

 ズゥン、ズゥン

 

 地獄の奥底から響くような足音に、「遅かった……」とルノアは絶望する。

 遅れてクロエたちも気付く。三人は一様に表情を固くする。

 

「おい、馬鹿娘ども」

 

 ルノアたち四人は振り向けない。

 背後にナニがいるかはわかっている。

 腕利き揃いの従業員たちを、拳骨一発で黙らせる化物中の化物。

 この店の『女主人』にして、全ての従業員の『母』

 

 

 その女傑の名は、ミア・グランド

 

 

「仕事中にくっちゃべってんじゃないよぉぉぉぉぉぉ!!!」

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 

「バッシングでもしてきなあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 悲鳴を上げながらもルノアたちの行動は早かった。

 第二級冒険者ですら軽くひねるそのステイタスを限界まで発揮して、瞬く間にテーブルを片付ける。

 

「ふぅ、行ったニャ……」

 

 再び厨房に引っ込むミアの背中を見送って、クロエはようやく生きた心地がした。

 

「母ちゃんの怒りのゲンコツをもらわなかっただけ良かったのニャ」

 

 そう言ってアーニャは身を震わせる。

 ミアの目が離れた隙に、性懲りもなく再び無駄話に花を咲かせるクロエたちである。

 

「そういえば、ルノア。ずっと聞こうと思っていたのですが」

 

「ん? なによ、リュー」

 

(くだん)の【猛者】を破った男は、神デメテルの眷族でしたね」

 

「!」

 

 リューの言葉に、ルノアだけでなくアーニャとクロエも表情を変える。

 

「その、クリリンさん、でしたか。その方とルノアは前から知り合いだったのですか?」

 

「ううん」

 

 リューの問いに、ルノアはかぶりを振る。

 

「私も眷族(ペルセフォネ)の中に、そんなに凄い人がいるなんて知らなかったし、ありえないって思ってた」

 

 むしろ【デメテル・ファミリア】に武闘派の気配を一切感じなかったからこそ、ルノアはデメテルの眷族になったのだ。

 

「まあ私も眷族全員の顔を知っているわけじゃないけどね。それにクリリンさんはレベル1って言うし、今まで表に出なかったのはきっと何か事情があってのことだと思う」

 

 百年に一度とも言われたあの化け馬騒ぎがなければ、クリリンはずっと(おおやけ)になることはなかったかもしれない、とルノアは思う。

 

「そうですね……【デメテル・ファミリア】に所属しているというのも戦いの中に生きることを望まぬ証左でしょうし、神デメテルならそれも受け入れるでしょう」

 

「うん、そうだね。デメテル様ならきっとそうする」

 

 ルノアの『古傷』が疼く。

 あのとき自分はデメテルの誘いを断った。自分のような日陰者が正式に【ファミリア】の活動に参加してしまったら、デメテルや眷族たちに迷惑がかかると思ったからだ。

 そしてその判断は間違っていなかった。

 それから日を経ずして、ルノアは闇派閥(イヴィルス)側だった商会の連合に命を狙われたのだ。

 この『豊穣の女主人』が戦場になったからこそ人的被害は無かったが、もし【デメテル・ファミリア】本拠が戦場になっていたら大きな被害が出ていただろう。()()()()()()()。クリリンの存在を知るまでは。

 

「そっとしておくべきなのでしょうが……どのような方なのか気にはなりますね」

 

「ふっふーん」

 

 リューの言葉に、アーニャは得意気に鼻を鳴らす。

 

「ミャアは知ってるのニャ! クリリンは、鼻と()がないのニャ!」

 

「そら『頭』が無ければ鼻も無いに決まっとる」

 

「目も耳も口も無いでしょうね」

 

首なし騎士(デュラハン)かニャ?」

 

 アーニャの迷言に、ルノア、リュー、クロエがそれぞれコメントを添える。

 アーニャに言わせれば、クリリンはおよそ『死の予兆(デュラハン)』だった。これもあながち間違いとは言い切れないのだから困る。

 

「っと、ほらほらさぼってるとまたお母さんに怒られるよ────」「離して下さい!」

 

 穏やかでない声が聞こえ、ルノアたちはフロアを覗く。

 先ほどからうるさかった冒険者の一人が、デメテルの眷族の手首を掴んでいた。

 

「そうつれねーことを言うなよ、姉ちゃん。オレぁ深層帰りで疲れてんのよ。ちぃっと酌してくれってだけさぁ」

 

「お断りします。それに私は任務中ですので」

 

「へっへっへ、そりゃあご苦労なこった。そんなに時間はとらせんよぉ」

 

 あの野郎、とルノアは青筋を立てる。

 

「君、そのへんにしたまえよ」

 

 とヘスティアが窘めるが

 

「おお、これは女神様。この娘、ちょっとお借りしますぜ」

 

 と、冒険者の男は取り合わない。

 むぐぅ、とヘスティアは口をつぐんでしまう。聞き分けのない子ども相手にどうしたものかと、ヘスティアはデメテルを見る。

 

(ぐ、この男、強い…………!)

 

 護衛の女は掴まれた手を振りほどこうとするも敵わない。

 それを見たデメテルがいよいよ止めに入ろうとしたところで、男から悲鳴が上がった。

 

「て、てめぇ……!」

 

 男の手首が掴まれていた。

 男は血走った目で背後を見る。

 

「しつこい男は嫌われるよ?」

 

 ルノアはその細腕に見合わない怪力で男の手を押さえ込む。「ぐあっ!?」と苦しげに呻いた男は、思わず掴んでいた女の手首を放す。

 

 男の目が驚愕に見開かれる。全身で抵抗するも、肘から先は微動だにしない。まるで万力で締め付けられているようだ。

 

「へぇ……おじさん、けっこうやるじゃん。『深層帰り』っての、嘘じゃないみたいだね」

 

 そう言うルノアの目は据わっていた。その目を見て男はぞわりと寒気がする。

 

(こ、この女、()()()()()()!?)

 

 男は自分より小柄な女に見下ろされている気分だった。

 

「くそっ、このガキぃなめやがって…………!! おぉい、てめぇらも手ぇ貸せえ!!」

 

「おぉ──────!?」

 

 男の連れである二人の冒険者が助太刀に入ろうとするも、男の元に近付くのは敵わなかった。

 

「おうおう、母ちゃんの店で騒ぐたぁいい度胸してるじゃないか」

 

「食事中に騒ぐやつは、お天道様に()かれるといいニャ!」

 

 二人の冒険者の前には、クロエとアーニャが立ち塞がった。

 

「そこをどきな、猫女ぁ!!」

 

 二人の男が掴みかかるも、クロエとアーニャは一糸乱れぬ動きで足を払い、男たちは同時に床に転がった。

 これには周囲の客も思わず歓声を上げた。

 

「あの猫二匹、こういう時は息ピッタリなんだから」

 

 ルノアは呆れながらも楽しそうに笑う。

 

「て、てめえらいったい何者だ!? オレぁレベル3で、あっちの二人もレベル2だぞ!?」

 

 状況に頭が付いていけない男が喚き散らす。

 しかし心境は、近くで見ていたヘスティアもわからないでもなかった。

 

「本当にあの娘たちは何者なんだい? 酒場の店員にしちゃ強すぎるぜ?」

 

 ヘスティアはデメテルに問う。

 

「あまり私の口から語るべきではないのだけれど、ここの店の()たちは何らかの事情で道を外れざるを得なかった娘たち……肉親を失ったり派閥を追放されたりしてね。元冒険者だった娘も少なくないわ」

 

「そうか、事情はわかったよ」

 

「そうよね。私よりもヘスティアの方が、そういう子たちに向き合ってきたのだもの」

 

 孤児の保護者としても知られるヘスティアだ。デメテルがみなまで言わずとも、おおよその事情は理解できる。

 

「そんな娘たちを真っ当な道に引きずり戻したのが、ここの店主であるミアなの」

 

 デメテルはそう言って、ルノアに目を向ける。

 

「う~ん、何者かって言われてもなあ」

 

 ルノアは男の問いに考える素振(そぶ)りをするが、すぐに答えを出す。

 

「私はお母さんの娘」

 

「はぁ?」

 

 ルノアの返事は予想の斜め上を行くもので、男は思わず間の抜けた声を上げる。

 

「そう、私はお母さんの娘。どんな冒険者も裸足で逃げ出すとっても怖ーいお母さんの娘」

 

 ルノアの言葉に、傍で聞いていたクロエもアーニャもリューもウンウンと頷く。

 

「ふ、ふざけやがってぇ……!!」

 

 ルノアの答えに納得できず男は猛る。

 

「態度を改めるなら、もう一度、客としてもてなすつもりだったけど、しょうがないなぁ」

 

 ルノアと男のやりとりを、リューは少し離れた場所から見ていた。

 

(私の出番は無さそうですね)

 

 ルノアに加えて、クロエとアーニャも臨戦態勢に入っている。相手の力量を思えば、すでに過剰戦力だ。

 ただ自棄(やけ)になった冒険者は何をするかわからない。客の安全を確保するためリューも一応、戦線に加わってはいる。

 しかし、目の前の騒動に対するリューの関心はかなり薄れていた。

 それよりもリューが気になるのは

 

(先ほどから外が騒がしい…………)

 

 そんなことをリューが思った矢先だった。

 

 轟音が全ての雑音を飲み込んだ。

 鼓膜より先に胸や腹に響く音だった。

 衝撃が窓を叩きガタガタと音を立てる。

 震動がリューたちから平衡感覚を奪い、まるで床が傾いたかのような錯覚を植え付けた。

 天井からぶら下がった魔石灯がギィギィと振れている。

 

 今まで余裕の態度を崩さなかったルノアたちだが、ここにきて初めて顔色を変えた。

 

「な、なななな、なんだい今のは!?」

 

 ヘスティアが混乱まっ只中の横で、彼女たちが平静をとり戻すのは極めて早かった。

 

「どうやら、いらしたようですね」

 

「そうね。ヘスティア、紹介するわ。もう一人の私の子を」

 

「こんなときに何を言っているんだ、デメテル!?」

 

 衝撃のあまり、ヘスティアはデメテルの言葉の意味が理解できなかった。

 

 一方で話を聞いたルノアたちは、この衝撃を引き起こした者に当たりを付けた。

 そして、ルノアたちの勘が正しければ、その者は店の扉に近付いてきている。

 

 ルノアもリューも、誰もが硬直する中でその声は響いた。

 

「客だ。出迎えな」

 

 いつの間にかカウンターの向こうに姿を現していたミアは動じない。

 客を出迎えろと従業員たちに命じる。

 

「母ちゃん、わかったニャ!」

 

 いつもと変わらぬ母に店内は活気をとり戻す。まずはアーニャが扉に向かうも、取っ手に手を掛ける前に扉は開いた。

 

「お客様一名入りまーす」

 

「シ、シルぅ~~~!?」

 

 まず飛び込んできたのは薄鈍(うすにび)色の髪を揺らすヒューマンの女、シル・フローヴァである。

 にこにこと愛想を振り撒く姿は平常運転だ。客の中にもファンは多い。

 

「えらく長い休憩だったじゃないか」

 

 ミアが皮肉を込めてじろりとにらむ。

 

「ごめんなさい、お母さん! その代わり、とびっきりのお客様を案内してきたから!」

 

 そう言ってシルは進路を開ける。

 シルの影から現れる人物に一同は刮目する。

 

「やあ、どーもどーも。あ、デメテルさま、お待たせしました」

 

 正真正銘、クリリンである。

 

「シルちゃんもありがとな」「はーい」などと言葉を交わしているこの二人、出会ったのはほんの十分前である。

 クリリンもシルも互いに対人能力(コミュ力)お化けだ。会って十秒で意気投合したのであった。

 

 ルノアたちは一見、拍子抜けした。

 どう見てもこの農夫と先の事象が結び付かない。

 が、その懸隔(ギャップ)もすぐに無くなった。

 

 クリリンがこちらに近付いてくる。

 その歩みが、その動きが、極めて洗練されたものであると、ルノアは僥幸(ぎょうこう)にも気が付いたのだ。

 技巧を凝らした跡も無く、ただただ自然な動きだった。

 街ですれ違ったとしても、目に留まらない、意識にも上らない、雑踏に溶け込む素朴な仕草。

 それは裏の世界で生き残り、どんな小さな動きや違和感も見逃さないという自負を持つルノアをしてそう思わせる。

 

 恐ろしい事実だった。

 

 もしこの男が悪意を持ってルノアに近付いたとしたら、おそらくルノアは誰に何をされたかもわからぬまま仕留められることだろう。

 

 ルノアは背中に嫌な汗をかいていた。

 

(つ、強い弱いって話じゃない…………! この人、()()()!?)

 

 ミアの一喝で活気が戻ったはずの店内は再び静寂に包まれた。

 誰かが息を飲む気配がする。

 客も知っているのだ。いま現れた男が何者かを。

 知らぬのはヘスティアと、『深層帰り』というこの冒険者たちばかりであった。

 

「ちぃッ、なんだ、このハゲは!?」

 

 ルノアの注意がクリリンに引き付けられ、思わず手が緩んだ隙に男は逃れる。

 

 男は気に入らなかった。

 

 クリリンが現れてから、店員の関心は全てこの男に向いた。

 第二級冒険者である自分が、一握りしかいない強者であるはずの自分は、もう誰の目にも映っていなかった。

 

「口のわるいヤツだな。まさかデメテルさまの知り合いってわけじゃないだろうな?」

 

 ちょっとムッとしたクリリンは同胞に目を向けるも、護衛の農夫はぶんぶんと首を横に振る。

 

 クリリンはフーとため息をつく。

 

「今のは聞かなかったことにしてやるから、おまえも席に戻れ。食事中だったんだろ? オレも今から食事をするところなんだ」

 

「~~ッ!!」

 

 男はわなわなと震える。

 

「大物ぶりやがって!! てめぇなんざ、このオレに勝てるわけがないんだあぁぁぁぁぁ!!」

 

 男がクリリンに飛び掛かる。

 

 これに慌てたのはヘスティアだけだ。

 

(あの冒険者、死んだな)

 

 これが店内にいた者の、大方の見解だった。

 

 男の豪腕が振り下ろされ、握り締めた岩のごとき拳がクリリンに当たった、ように思われた。

 

「なっ────────!?」

「なにぃーーーーー!?」

 

 男とヘスティアの叫びが同調する。

 

 男の拳は、指一本で止められていた。

 

「そ、そんなばかな!? オ、オレの拳が……ミノタウロスを素手で殴り倒せるオレの拳が…………!?」

 

(ミノタウロス程度でイキるレベルじゃ、どうやっても()()には勝てんニャ)

 

 クロエが冷ややかに男を見る。

 

 やれやれ、とばかりにクリリンはため息をつく。

 

「痛い目を見ないうちに止めとけって。気の毒だけどウデが違いすぎる」

 

「そ、そんなはずはなあぁぁぁぁぁぁい!!」

 

 男は猛烈な連打を繰り出すも、一発として有効打にはなりえなかった。クリリンの指一本、たったの指一本を男は打ち崩すことができない。

 

(す、すっげーニャ)

 

(いくら格下(レベル3)相手とはいえ、あそこまで鮮やかに(さば)くとは。あの冒険者の技量では、よもや一歩動かすことも敵うまい)

 

 アーニャとリューが内心で驚愕する。

 もちろん二人の実力なら、あの冒険者を手玉にとることは可能だ。だが、クリリンほど見事に圧倒するには至らなかった。

 

 冒険者の息が荒くなる。

 真っ赤に染まっていた顔は次第に色が悪くなり、ついには青白くなっていた。

 デメテルの横に控えている護衛はそこに、熟れた果実が枯れゆく(さま)を見た。

 

「ま、こんなもんだな」

 

 クリリンの言葉に男はギクリとする。

 指で受け止めた攻撃をクリリンが軽く払えば、男の拳は腕ごと弾かれた。

 胴がガラ空きになる。

 そこをクリリンは狙った。

 

 傍で見ていたヘスティアの目には、クリリンの手が僅かにブレたようにしか見えなかった。

 気付けば男は吹っ飛び、仲間の冒険者の足もとに転がった。

 

「手刀が八発」

 

「最後に蹴りが一発入りましたね。それも向こうに転がす程度に加減された絶妙な一発が」

 

 ルノアとリューが、あの一瞬で何が起きたか言葉にする。

 見えたのはミアとルノアたちだけだった。

 他の者には見えるはずが無い。ルノアやリューですら微かにしか見えなかったのだから。

 

「リューもあれぐらい手加減できればいいのに」

 

「うぐっ……」

 

 じと目のルノアが煽るも、痛いところを突かれたリューは言葉に詰まる。結果、「うぐっ」とか「ぐぬっ」などと(うめ)くことしかできなかった。

 

 ルノアとリューの横で、ヘスティアは歓喜に震えていた。

 

「す、すごいぞ………!」

 

 ヘスティアは椅子からぴょーんと跳び上がり、クリリンの前に降り立ってその手をとった。

 

「すごいじゃないか! いったい君は何者なんだい!? いやそんなことは後でいい! どうだい、ボクの眷族にならないかい!? ボクと君なら天下だって獲れちゃうぜ!!」

 

 唐突に現れたとしか言えないロリ巨乳に、クリリンはどぎまぎするしか無かった。

 

 そして、クリリンは何も知らぬまま、事態は暗転した。

 

 

 引き金を引いたのはもちろんヘスティアだ。

 

 状況を正しく理解しているルノアと護衛の女は顔を青くした。

 豪傑で知られるミアも僅かに顔をしかめている。

 

 

 

 これは、『禁忌(タブー)』だ。

 

 

 

 天界の神々なら当然知っている、ヘスティアだって知っているはずのことだった。

 

 クリリンの強さを目の当たりにして浮かれ切ったヘスティアは、クリリンがすでに『誰かの眷族(こども)である』という可能性を、すっかり失念していた。

 

 ヘスティアの肩に手が置かれる。

 

「んーなんだい? いま大事な話をしているんだ……よ!?」

 

 振り返ったヘスティアは恐怖のあまり目玉が飛び()そうになる。

 

 ヘスティアの背後で()()()()()()のはデメテルだった。

 瞳から光は失われ、幽鬼のように佇んでいる。

 

 これにはヘスティアもクリリンも死ぬほどビビった。

 

「ヘスティア…………貴方も私の子を(かどわ)かすというの…………?」

 

(やっべええええええ!! この子、デメテルの子だったあぁぁぁぁぁぁぁ!!)

 

 ヘスティアはようやく、自分がとんでもない悪手を打っていたことを理解した。

 

 かつてデメテルの愛娘(ペルセフォネ)が冥界に連れ去られた時、怒り狂ったデメテルによって地上が荒廃したことは、神々なら誰でも知っている。

 

 ふだん温厚な者ほど怒らせると怖いというが、デメテルの場合は怖いでは済まない。

 

 

 

 天変地異が起こる。

 

 

 

 デメテルの権能は偉大すぎる。そのデメテルを怒らせてしまうと普通に世界の危機なのだ。

 そのため、デメテルの機嫌が悪くなった時点でもう大神案件となる。

 

 だからこそ他の派閥は、クリリンを奪い取るという動きを、少なくとも表立っては見せていないのだ。

 

(ま、まずい、まずいぞ!! 次に出す言葉を間違えたら世界がヤヴァイ…………!)

 

 考えるまでもなく、クリリンほどのウデの持ち主が野良であるはずはなかった、とヘスティアは自身の言動を後悔する。

 

 こうして、うっかり世界の命運を背負うことになった、さすがのヘスティア様である。

 

(うわああああああん! なにも思いつかないよーーー! この地に座す神々よ! 誰でもいいから(たす)けに来てくれえええええ!!)

 

 果たして、ヘスティアの祈りは天に通じた。

 

「デメテル、落ち着きなさい。ヘスティアがまだ派閥を結成できてないのは知ってるでしょ。誰彼構わず勧誘してるのよ」

 

「へ、ヘファイストスぅ~~~」

 

 ヘスティアとデメテルの間に入ったのはヘファイストスだった。

 

「ヘスティア、あんたもビビりすぎ。地上にいるデメテルにそこまでの力は無いし、そもそも世界を枯らしたら他の眷族だって危ないじゃない」

 

「うぅ~~~ありがどう、ヘブァイズドズぅ~~~~」

 

「ちょっと、ヘスティア!? 鼻水付くから離れて頂戴!」

 

 腰にまとわりつくヘスティアを、ヘファイストスは押しのける。

 

 そんなわけで、救世主ヘファイストスの働きにより、世界存亡の危機は回避されたのである。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「取り乱してしまってごめんなさい」

 

 あの後、正気をとり戻したデメテルが深々と頭を下げる。

 

「デメテルもここのところ気を張っていたでしょうし、仕方ないわ」

 

 ヘファイストスはそうフォローを入れる。

 

「そういえば、ヘファイストスもここに食事に来たのかい?」

 

 ヘファイストスの隣の席にいるヘスティアが問い掛ける。

 

「違うわよ。ほら、これ」

 

「ん、お弁当? もしかしてボクのかい?」

 

「遅くなっちゃったけど、お昼のつもりで持ってきたのよ。でも、バベルのところにいなかったじゃない? どこほっつき歩いてるのかと思ったら、なんか騒ぎになってたのよね。それで騒動の中心に向かっていたらここに着いたわけ」

 

「うぅ~ヘファイストス、やっぱり君は良い(やつ)だよ~」

 

「はいはい、調子がいいわねぇ」

 

 抱き付いてくるヘスティアを、鬱陶しそうにヘファイストスは押しやる。

 

「来る途中にたくさんの冒険者が寝かされてたのは初めて見る光景だったわね。ガネーシャのところの【剛拳闘士】なんて市壁にめり込んでいたみたいだし、言葉も出なかったわよ」

 

 ヘファイストスが注文したコーヒーを運んできたルノアがその言葉を聞いてギョッとする。

 

「え!? 【剛拳闘士】って、あのレベル4の!?」

 

【剛拳闘士】ハシャーナ・ドルリア

【ガネーシャ・ファミリア】の上位団員であり、この酒場にもよくやって来る。ルノアのイメージでは、色男だが強いという認識だった。

 実際、ルノアがハシャーナと一対一(サシ)で戦うとなれば、相手は現役の戦闘員である分、ルノアの方が不利だろう。

 

 それほどの実力者であるハシャーナを市壁にめり込ませたのは、当然クリリンの所業であった。

 

 あのとき店内を揺るがした衝撃は、クリリンがハシャーナを西のメインストリートの端っこまで殴り飛ばしたときの余波である。

 

 ルノアの傍では目撃者の一人であるシルが、その常人には見えざる一撃を一生懸命に再現しようとしているが、腕をちょこんと突き出しながらペロッと舌を出す様は、ただ可愛いだけだった。

 

「……貴方がクリリンね。話は聞いているわ。私はヘファイストス。デメテルやヘスティアとは(ふる)い付き合いなの」

 

「ど、どうも」

 

 クリリンに向けたヘファイストスの瞳の色が深くなる。

 

「ところでクリリン、貴方なにか武器を使ったりしないのかしら」

 

「いやあ、特には」

 

 多林寺にいた頃に武器を扱うこともあったので多少の心得はあるが、基本クリリンは無手である。そもそも今のクリリンの力に耐えられる武器がそうそうあるとも思えなかった。思い当たるのは如意棒ぐらいか。

 

「へっへっへ、やめておいた方がいいぜクリリン君。ヘファイストスは鍛治神なんだけど、そこの【ファミリア】が作る武器はべらぼうに高いんだ」

 

「高くないわよ。きちんと値段相応の性能はあると自負しているわ。それに価格帯は広くしているし。第一、ヘスティア、貴方の生活費はうちの売上から出ていることを忘れないでよね?」

 

「うっ……わるかったよ、ヘファイストス」

 

 ヘファイストスに正論で返され、小さくなるヘスティアであった。

 

「クリリン、貴方も忙しいでしょうけど、よかったらうちの工房に遊びに来てちょうだい。きっとうちの子たちも刺激になると思うから」

 

「あ、はい」

 

 クリリンの返事を聞いて、ヘファイストスは満足げに頷く。

 

「さてと、せっかくこうして三柱が集まったのだし、ヘスティアのこれからについて話そうかしらね」

 

「ぎくり」

 

 ヘファイストスの発言に、ヘスティアの顔色が変わる。一度はヘファイストスのところを追い出された身だ。これまでのように気楽な生活は送れまいとはヘスティアも感じていた。

 

「ど、どうかご慈悲を~~」

 

「なに言ってるの、これまでさんざんダラダラしてきたくせに。貴方が再三(さいさん)口にした『本気を出す明日』をついに迎えたのよ」

 

「うぅ~」

 

 すり寄るヘスティアを、ヘファイストスは突っぱねる。

 

「ヘスティアには、デメテルのところに住み込みで働いてもらうことにしたから」

 

「えーーーーーーーー!?」

 

 ヘファイストスの電撃発表に、ヘスティアは顎が外れんばかりに驚愕した。

 

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってくれヘファイストス!?」

 

「待たない」

 

「いや働いてたら眷族集めはどうするのさ…………?」

 

「休日でも使いなさい」

 

「…………休日はゆっくり過ごしたいんだけど」

 

「休日なんだから好きに使えばいいじゃない。自分で生活費稼いでれば誰も文句は言わないわ。眷族集めも貴方のペースでいい。それこそ百年二百年かけたっていいのよ」

 

(ひゃ、百年二百年か~。さらっと言うなぁ)

 

 横で話を聞いていたクリリンは神々の尺度(スケール)の大きさに呆れて苦笑していた。なんなら自分はたった十七年で一度、人生の幕を閉じたのだ。神々の世界は、地球人最強の男とて想像の埒外にあった。

 

(でもアイツは、死後も界王さまのところにいるアイツは、これから神さまのように永い時を過ごすことになるんだろうか)

 

 クリリンは亡き友を思う。

 

 ヘファイストスはコーヒーに口をつける。

 

「ま、あとはデメテルから話を聞いてちょうだい」

 

「ふふ、よろしくね、ヘスティア」

 

 デメテルは楽しそうに微笑む。

 

「いや~、でもな~、なんか心細いというか……あ、そうだ!」

 

 ヘスティアはさも名案というような顔をして、近くにいた人物に声をかける。

 

「ルノア君! 君もボクと一緒にデメテルの畑で働かないか!?」

 

「……………………はい!?」

 

 突拍子もない発言にルノアは混乱する。まさかここで自分に話が振られるとは露程も思っていなかったルノアである。

 

「頼むよ~、一人で新しいことを始めるのはなんか不安なんだよ~」

 

「大丈夫ですって! デメテル様も眷族(ペルセフォネ)たちもみんな優しいですから!」

 

 ルノアは慌てる。それにヘスティアの言う不安が、ルノアにはどうもピンとこなかった。

 そしてルノアがもう一つ気がかりなのは、案外デメテルたちが乗り気なのでは、ということだ。

 

「ヘスティア様、私そもそも仕事しているんですよ、ご覧の通り! だから無理ですって!」

 

 そう言いながら、ルノアは助けを求めるようにミアの方を見る。

 ミアは険しい顔をしながらデメテルたちを見る。しかし、それも長くは続かなかった。

 

「朝の仕込みまでの時間は好きに使いな」

 

『女主人』の見解は以上だった。

 

(そ、そんなあ~~)

 

 ミアの言葉を断る口実に使う目論見はこれで消えた。

 

「ル、ルノア……いいのよ? 無理しなくて」

 

 デメテルやヘスティア、あるいはシルやリューたちに見つめられて、ルノアは半ば自棄(やけ)だった。

 

(もう、なるようになれ!)

 

 ルノアは後日、このときのことを振り返って思う。

 この話を断れなかったのは、まだ何か自分の中にわだかまりがあったからではないか、と。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 それから二日後の夜明け。

 

【デメテル・ファミリア】の畑には農夫たちと共にルノアの姿があった。

 

(私、本当にここで働くんだな)

 

 自分が【ファミリア】の活動に参加することなど一生ないと思っていたのに、わからないものだとルノアは思う。

 

 ルノアは自分の手を見る。

 かつて裏社会の傭兵として都市の混迷に関わった、血にまみれた自分の手。

 

(私なんかが、みんなの畑に関わっていいのかな)

 

 あのときもそう思って身を引いた。今でもそう思っている。

 ただ正直にいえば、当時より気後れはしなくなったと、ルノアは感じる。

 どうしてかはわからない。

 居場所が出来て、家族が出来て、友人……もまあ出来て。曲がりなりにも日の当たるところでいっぱしに働いて。それで心境が変わったのか。

 それとも単に、時間が解決したのか。

 思えば、あの酒場で働き始めてからそれなりの年月が過ぎた。それこそ、傭兵時代なんて夢だったんじゃないかと思うほど。

 

(あーーーもう、良いか悪いかなんて考えるのはよそう。私がここにいるのは、ほとんどヘスティア様のせいなんだから!)

 

 ルノアは、あのヘンテコでマイペースな神様に全部丸投げすることにした。

 神様の言う通りにした、それだけだ。

 

 さて、ルノアが【ファミリア】と距離を置いた理由は他にもある。その一つが、裏社会との抗争に眷族たちを巻き込みたくない、というものだった。

 ただ、ルノアを狙っていた商会連合はすでに潰したのでほとんど心配も無かったのだが、たとえあの商会連合が健在でも絶対に手出し出来ないであろう戦力が、なぜかこの畑に集結していた。

 

(なんで【ロキ・ファミリア】がここにいるのさ!?)

 

 ルノアの割とすぐ傍に、彼女たちはいた。

 

「収穫って、もっとこう、牧歌的なものだと思ってたわ」

 

怒蛇(ヨルムガンド)

 

「収穫ってたいへんなんだねー。昨日も夜明けから始めたのに夕方まで終わらなかったし」

 

大切断(アマゾン)

 

「テメーは荷台に詰め込みすぎなんだよ! 何度ひっくり返しゃあ気が済むんだ!? 仕事増やすんじゃねー!!」

 

凶狼(ヴァナルガンド)

 

「今日も、がんばろう。じゃが丸くんのためにも」

 

剣姫(けんき)

 

 一人につきルノア五人分の戦力はあるだろう。

 そんなのが四人もいるのだ。死ねる。

 というより、服装のせいか最初はルノアも気が付かなかった。なんかやたら圧のある眷族たちがいると思ったら、まさかのこいつらである。心臓が止まるかと思ったルノアであった。

 

 加えて、少し離れたところには巨大な馬の影がある。

 一目見て「あ、これはヤバイ奴だ」とルノアの思考は停止した。こいつはもう次元(レベル)が違う。

 

(商会の連中が来たとしても、一瞬で消滅するわこれ)

 

 そして、極め付けはこの男。

 

「おはよう、クリリン」

 

「おう、アイズ、おはよう」

 

 来た、とルノアは思う。

 この畑が戦力インフレを起こした根源は間違いなくこの男、クリリンだとルノアも考えている。

 自分がこの畑で働くことになったのも表向きはヘスティアの暴走だが、実はクリリンが黒幕じゃないかという気がしてならない。

 

「おはよう、クリリン君、ルノア君」

 

 どこか気だるげなヘスティアの声が、ルノアの後方から聞こえる。

 

「おはようございます……ってどうしたんですか、その(クマ)!?」

 

 ルノアがヘスティアの顔を見て驚く。

 ヘスティアの両眼はくぼみ、青黒い隈に縁取(ふちど)られていた。

 

「寝不足なだけだよ」

 

「そりゃ、なんでまた」

 

 ルノアの問いに、ヘスティアはクワッと目を見開く。

 

「では聞くがねルノア君。もし君なら、ピュウピュウとすきま風が吹く建物で、見上げれば星空が見えるような、そんなところでゆっくり休めると思っているのかい?」

 

 どういうことかとルノアが思えば、横にいるクリリンが説明した。

 

 住み込みで働くことになったヘスティアの私室は、市内にある本拠(ホーム)・麦の館では無く、この畑にある旧詰所(つめしょ)の一つが(あて)がわれた。

 旧詰所というだけあって、それなりに老朽化が進んだ建物である。それでも緊急避難所だとか物置に使っていたのだが、いよいよ解体費用の予算を組もうかというところで、今回ヘスティアの用に供することとなったのだ。

 

 この対応にはヘスティアも唖然とし、デメテルに神意を問いただした。

 デメテル曰く、自身は神友を迎えるに当たり、相応のものを(しつら)えるつもりであったが、そこにヘファイストスから待ったが掛かったという。

 彼女(ヘファイストス)が言うに、あまりヘスティアを甘やかすな、と。不自由を楽しむのが地上で生きる楽しみであり、そして、自分で少しずつ住まいを良くするのもまた楽しみなのだ、と。

 それはどうかとデメテルも主張したが、ヘファイストスの弁はさすがに説得力が違い、多少言いくるめられる形で今回のような対応になった、ということらしい。

 

「それ、防犯は大丈夫なんですか?」

 

 ルノアがクリリンに確認する。

 

「夜警部隊が回ってるし、まあ(あいつ)もいるからな。それだけは、よっぽど大丈夫だろうよ」

 

「ああ、たしかに」

 

 住み心地云々は実物を見ないとはっきりとは言えないが、『自分の場所』が確保されているならまだマシな方じゃないかと、路上生活経験もあるルノアは思う。

 

「ヘスティア様、寂しくないですか?」

 

「寂しいに決まってるだろう、ルノア君!? この辺りは夜になると真っ暗なんだぜ!?」

 

 一応、詰所には眷族の誰かがいるが、ヘスティアの寝所からは一番近いところでも1K(キルロ)ある。

 灯りもない真っ暗な農道を通って遊びに行く気にはならなかった。

 夕べのヘスティアは、寝台の上で膝を抱えながら、死んだ目で蝋燭の火を見つめ続けていたという。

 

「まあそれも、一人でも眷族つかまえれば解決しますよ」

 

「それができるなら苦労はしないんだよ、クリリン君。あーボクが他の神に雇われてるなんて知れたら、ますます入団希望者が遠のく気がするぜ……」

 

 ヘスティアはガックリと肩を落とす。

 

 そんなヘスティアの姿を朝日が照らし出す。

 

「まったく、ボクが悩もうが何をしようが、お構い無しに日は上るんだから」

 

 そう呟くヘスティアの横で、ルノアもまた夜明けを告げる日の出を眺める。闇に慣れた目にはちょっとばかり眩しい。

 

「さてと、そろそろ始めるかな」

 

 クリリンがそう言うと、示し合わせたかのように農夫たちが整列する。

 

 え? とヘスティアとルノアは固まる。これから何が起ころうとしているのか彼女たちには見当がつかない。

 見れば、アイズたち【ロキ・ファミリア】も同様に姿勢を整えている。

 

「せいっ」

 

 クリリンの号令で、ヘスティアたちを除いた全員が、クリリンに(なら)って動き始める。

 

「なんだい、これはぁ!? 何かの儀式かい!?」

 

「儀式ってより、東方武術の型に見えるんですけど!?」

 

 のちに『クリリン体操』と言われるこの動きは、もともとクリリンが畑に入る前に行っていた準備運動(ウォーミングアップ)である。

 それを農夫たちが真似してやってみたところ、体の動きが良くなるということで、今では全員がやっているのだ。それは、あの『馬』も例外では無い。ここまでの規模になると一体感もすごい。ちょっとハイになったりする。

 

(いやいや、馬ァ! お前は無理すんな!)

 

 内心でルノアは突っ込む。

 

 そうして、周囲からとり残されたルノアとヘスティアだったが

 

「わ、私たちもやってみますか」

 

「うん、そうだね……このまま何もしないでいるのは、なんかつらい」

 

 空気に負けて見様見真似(みようみまね)で動き始めるルノアたちだったが

 

「へぶっ!?」

 

 さっそくヘスティアは足がもつれて転倒した。

 

 そんなヘスティアの姿も照らしながら、日は上り続ける。

 

 かくして、女神ヘスティアの物語はここから大きく動き始めるのであった。

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