地球人最強の男、オラリオにて農夫となる   作:水戸のオッサン

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其ノ六 剣姫

 

 

ラウル・ノールドがフィンの指示を受け、【ロキ・ファミリア】の本拠地(ホーム)に戻ってから二時間が経とうとしていた。

 

化物騒動に対処すべく、市外にある【デメテル・ファミリア】の農地に向かったフィンとティオネは未だ戻らない。

 

ラウルは【ロキ・ファミリア】の上層部が揃う一室の末席で縮こまっていた。

 

隣にいるのは同僚のアナキティ・オータム。

アキという愛称の猫人(キャットピープル)の女は、ラウルとは対照的に落ち着いた様子である。

 

ラウルの報告を受けた上層部は、団全体を警戒体制に置き数人の団員を情報収集に走らせた。

本隊も既に準備は整っておりいつでも出動できる。ラウルとアキは上層部との連絡役としてこの部屋で待機していた。

 

上層部を前に畏縮している姿からは想像できないが、ラウルはレベル4の凄腕の冒険者である。

 

レベル4にまで登り詰めた冒険者は世界広しといえどそうはいない。

【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】といった超名門でもなければどこの派閥にいっても主力を担うであろう人材である。

 

さらに驚くべきことに、ラウルの隣にいるアキもまたレベル4の傑物である。

 

世界でも希少なレベル4が二人肩を並べる異様な光景は、しかしこの【ロキ・ファミリア】にあっては日常にすぎない。

 

事実、そんな二人が発する勢威はこの場にあっては霞んで見える。

彼らが二線級に甘んじている「理由」、それらは目の前にいた。

 

 

 

 

「――――オイ」

 

上層部の一人である狼人(ウェアウルフ)が口を開く。

 

「フィンはまだ戻らねえのか」

 

名工の手で作られた上等なソファーでふんぞり返るのは、

 

凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガ

 

【ロキ・ファミリア】が世界に誇る第一級冒険者の一人。

 

ベートの言葉にラウルが慌てて返答する。

 

「定時連絡の内容はさっき伝えた通りっす。随時連絡は今のところ入ってきてないっすね」

 

先の定時連絡での、【猛者(おうじゃ)】が【デメテル・ファミリア】の農夫と戦い始めたという情報には、【ロキ・ファミリア】上層部としても大いに困惑していた。

続報、もしくはいま渦中にいるであろうフィンとティオネの帰還が待ち遠しい。

 

ベートはチッと舌打ちする。

 

「情報収集も碌にできねぇ雑魚共はさっさと引き戻せ」

 

ベートの言葉に部屋は静まりかえる。

 

 

 

「いまなんて言った」

 

アマゾネスの少女が静寂を破る。

 

大切断(アマゾン)】ティオナ・ヒリュテ

 

双子の姉であるティオネと共に幹部の一人であり、ベートと同じ第一級冒険者である。

 

「誰を雑魚呼ばわりした」

 

ティオナの怒気にラウルとアキの(きも)は底冷えした。普段の天真爛漫なティオナとはかけ離れた言動だった。

 

「今でてる奴、全員だ」

 

ベートはソファーにふんぞり返ったまま吐き捨てる。

 

ピシッと音を立てて空気が凍る。

 

ティオナが、つかつかとベートの前に出る。

 

「仲間を、家族をいちいち雑魚呼ばわりしないと話できないの?」

 

ティオナを一瞥もせずにベートは言う。

 

「雑魚は雑魚だろーが」

 

その一言で完全にティオナの頭に血が上る。

 

「人と話すときは目を合わせなよ」

 

ティオナの声が一段と低くなった。

 

ベートの態度はいつもこうだ。

フィンやリヴェリアは、ベートなりに仲間を気遣っているのだと言う。

主神(ロキ)は、ベートは不器用なんや、ツンデレ(?)なんやぁと言う。

もしそうなら、今のやりとりのどこに情があるというのか。

ティオナは全く理解できなかった。

 

ベートはティオナを無視し、もはや返事もしない。

 

「それとも、ビビってんの?」

 

「あ"ァ?」

 

ティオナが煽り、ベートは低く唸る。二人の間の空気は冷えきっていた。

 

「ひいぃぃぃぃ」

「ちょっと二人とも落ち着いて!」

 

ラウルが(おのの)く一方で、アキは諌めようとする。が、その言葉は弱々しく二人には届かない。

 

 

あわや闘争か、とラウルたちが冷や汗をかいたその時だった。

 

 

「――――やめんか」

 

 

部屋の奥から重々しい声が響き、ティオナとベート、二人の戦意が霧散する。

 

「チッ………」

「はーい、ごめんなさーい」

 

先ほどまでの空気が嘘のように、ベートもティオナもあっさり矛を収める。

 

二人の第一級冒険者を、書類に目を落としたまま一言で制したのは、威厳と気品に満ちたエルフの麗人だった。

 

【ロキ・ファミリア】副団長

九魔姫(ナイン・ヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴ

 

団長のフィンが不在の今、本拠地で待機する全戦力の指揮権は彼女に在る。

 

 

「わっはっはっ、若い(もん)は元気じゃのう」

 

「笑い事ではないぞガレス。あやうく部屋が吹き飛ぶところだった」

 

豪快に笑うドワーフの老兵に、リヴェリアが呆れる。

 

重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロック

 

フィン、リヴェリアと共に【ロキ・ファミリア】最古参のメンバーである。

 

第一級冒険者同士の緊迫した事態すら笑い飛ばす豪胆さは、オラリオ最強の大魔道士であるリヴェリアをして理解しがたいものだった。

 

しかしラウルは、理知的で良心的なリヴェリアの思考にすら異常性を感じる。

 

リヴェリアが懸念しているのは部屋が吹き飛ぶこと「だけ」だ。自身の身の危険など些かも気に留めていない。

 

ベート、ティオナ、リヴェリア、ガレス

この4人に、フィンとティオネ、そして今は部屋を離れているもう一人――――

 

彼らこそがこの【ロキ・ファミリア】の中核。

 

ラウルはため息をつく。

派閥内で彼らに次ぐ位置(ポジション)にいるのは、ラウルたちだ。

しかし、彼らとラウルの間には高すぎる壁がある。

世界が違うのだ。

実力があるからこそ、決して埋められない差があるとラウルにはわかってしまう。

 

閉塞感に苛まれるラウルをよそに、相変わらず幹部の面々は超然としている。

 

そんな中、待ち望んだ報がラウルたちにもたらされる。

 

「団長とティオネさんが戻られました。お二人ともご無事です。間もなくこちらにいらっしゃいます」

 

部屋に入ってきた伝令が告げる。

 

「やれやれ、ようやくか。さて、どんな話が聞けるのか楽しみだな」

 

リヴェリアが書類の束から顔を上げる。

 

「ご苦労だった、下がっていいぞ―――」

 

いや待て、とリヴェリアは伝令を引き留める。

 

 

 

 

「アイズに此処へ戻るよう伝えてくれないか」

 

リヴェリアが口にした名には強烈な言霊が宿っていた。

 

 

 

アイズ・ヴァレンシュタイン

 

 

 

それは【剣姫(けんき)】の二つ名を持つ、オラリオ最強の女剣士の名だった。

 

 

 

 

一人の少女が剣を振るっていた。

 

その剣筋に一切淀みはない。

 

金の髪と金の瞳、透き通るような白い肌。

 

神憑(かみが)かった剣の冴えに、女神と見紛う美貌が相俟(あいま)って、見る者にはこの世ならざる光景に映る。

 

少女こそオラリオ最高の女剣士として立つ、時代の寵児

剣姫(けんき)】アイズ・ヴァレンシュタイン

その人である。

 

 

アイズは剣を振りつつ、オラリオの外にいる未知の強者に思いを馳せる。

 

 

今からおよそ一時間半前、緊急事態ということで召集に応じたが、本拠地(ホーム)に戻ればフィンとティオネがいない。

聞けば未曾有の怪物が都市外に現れ二人は現場に向かっているという。

ならば自分も現場に、という言い分は通らず。

しぶしぶ引き下がった直後、殺気が膨れ上がったと思えばより大きな気配が一瞬でねじ伏せ、幹部全員が武器に手をかけたまま硬直した。

待ちに待った続報で怪物の敗北を知る。誰が倒したのか問えば、誰も知らぬ農夫だという。

話はそれで終わらなかった。その農夫に【猛者】が戦いを仕掛けたというのだから驚きを通り越して全員が困惑する。

アイズのみならずティオナとベートも現場急行をリヴェリアに願い出た。

詰め寄る三人の圧力(プレッシャー)もどこ吹く風か、リヴェリアの判断は「待機」

居ても立ってもいられず、アイズはついに部屋を飛び出して中庭で剣を振り始めた―――

 

 

昂る気を紛らわせるために始めたはずが、市外から伝わる戦いの気配に当てられて、剣を振る身には熱が入るばかりであった。

怪物の気配を微かに感じた時点で、立ち止まらず現場に直行すれば良かったと己の失策を今さら嘆く。

 

 

その時だった。

市外からの衝撃がアイズを、オラリオを、天地をも震わせた。

 

館のあちこちからどよめきが起こる。

そんななかアイズは視界の奥、上空に打ち上げられた影を見る。

 

衝撃に動揺しつつも、眼を凝らしてなんとか影の正体を見定める。

 

 

【猛者】だった。

 

 

【猛者】が空を飛んでいる。否、【猛者】は打たれたのだ。

 

 

地上にいる何かとてつもない存在に討たれたのだ。

 

天高く飛んだ【猛者】を茫然と見ながら、アイズは【猛者】の敗北を悟った。

 

 

 

◆◆

 

 

(ア……アイズさん!今日も麗しい………!)

 

 

物陰からアイズに熱視線を送るのはエルフの少女、名はレフィーヤ・ウィリディスという。

 

将来を嘱望された魔道士であり、リヴェリアが直々に教えを授ける才媛である。

魔道士ならば誰もが羨む恵まれた環境にいる彼女だが、その恩恵を受けるに足る確かな実力をレフィーヤは持っている。

今はまだレベル3と数字だけ見れば主戦級には及ばないが、その火力は既にアイズやティオナといったレベル5勢を上回る。ひとたび魔法が放たれれば、一気に勝負を決めてしまえる破壊力がレフィーヤにはある。

 

 

都市最大派閥【ロキ・ファミリア】に期待をかけられ、大切に大切に育てられているレフィーヤだが、アイズを見るその顔は(ゆる)みに弛んでいた。

 

実力、功績、美貌

全てを持つアイズが衆目を集めるのは無理からぬことだが、レフィーヤがアイズに寄せる思いはしばしば暴走しがちであった。

 

アイズを神聖視するあまり、今日に至るまでまともに話しかけたことがないレフィーヤは、物陰からなかなか出てこられない。

 

そもそもレフィーヤはアイズを呼びにここへ来たのだ。

団長たちが戻り警戒体制は解かれ、今は団員たちが手分けしてアイズを探していた。

 

レフィーヤが真っ先にアイズを見つけたのは日頃の行い故であろう。

 

(今日こそ!今日こそアイズさんとの距離を縮めてみせる!)

 

弛んだ表情を引き締めて、緊張に震える身を叱咤する。

今日まで何度もチャンスをふいにしてきた。

その度に臆病風に吹かれた自分を呪った。

鈍重(のろま)な我が身に嫌気がさした。

不甲斐ない己を嘆き、毎晩枕を濡らした。

 

(そんな屈辱にまみれた日々も、今日で終わりです―――!)

 

レフィーヤが物陰から飛び出す。

 

「ア、アイズさ…」「アイズさーん」

 

レフィーヤのか細い声は、同僚の快活な声にかき消される。

 

振り向いたアイズに同僚の女は声をかける。

 

「団長が戻られたので、リヴェリア様が部屋に戻るように、と」

 

「わかった。すぐ戻るね。ありがとう」

 

アイズは颯爽と中庭を後にする。女はそれを見送って、振り返る。

 

「………で、アンタは何やってんの」

 

女の視線の先で、よつんばいになって失意に沈むレフィーヤが滂沱(ぼうだ)と涙を流していた。

 

レフィーヤの敗北の日々はまだ終わらない。

 

 

◆◆◆

 

 

部屋にはフィン以下幹部全員が集結し、流れでラウルとアキも同席していた。

 

周囲に急かされるまま、フィンは畑で起こった事件について語り始める。

 

フィンとティオネ以外の全員が目を丸くしていた。

 

クリリンなる【デメテル・ファミリア】の農夫が、都市最強の【猛者】に土をつけた。

 

怪物もクリリンが威を放っただけで降伏したらしい。

しかもそのクリリンのレベルは1だとか。

 

意味がわからないし、何から驚けばいいのかもわからない。ラウルなぞ話の序盤で早々に放心していた。

ここでフィンが「いや冗談に決まっているじゃないか」とでもいえば済む話だが、そんな素振(そぶ)りはない。ニコニコして皆の反応を楽しんでいる気すらある。

 

 

「……ぷ」

 

 

静まっていた空気が弾ける。

 

「あっははははは!」

 

もう堪らないといった風情で、リヴェリアが笑い出す。

 

フィンとガレス以外の若いメンバーは、何かとんでもないものを見たと言わんばかりに表情が固まる。

 

常に冷静沈着なリヴェリアだが、稀にこうしてツボに入って大笑いすることがある。

付き合いの長いフィンやガレスでさえもリヴェリアのこうした姿を見る機会は極端に少なかった。

それにしてもとりわけ今のリヴェリアは楽しそうに笑っている。

 

 

「――いや、すまない。しかしオラリオにまだそんな奴がいたのか」

 

リヴェリアは目尻に滲む涙を拭う。

世にも珍しい光景であったが、そんなリヴェリアの姿も気品に満ちていた。

 

(なんかずるいなぁ)

 

アキは内心そう思った。

 

「ふむ、レベル1のヒューマンか。どんな男なんじゃろうな」

 

ガレスが髭を撫でながら言う。

そうねぇ、とティオネはクリリンの姿を思い浮かべる。

 

「鼻と髪の毛が無かったわ」

 

「ほとんどバケモノじゃの!?」

 

「クリリンは化物よ。最初からそう言ってるじゃないの」

 

愕然とするガレスに、呆れるティオネ。そんな二人の様子に、話が噛み合ってないねと苦笑するフィン。

 

 

「うはー、【猛者】やっつけちゃうレベル1がいるなんてビックリしちゃうな!」

 

「目の前で見てた私はアンタの百倍は驚いたわよ」

 

表情がコロコロ変わるティオナに、ティオネはため息をつく。

 

「クリリンって人、凄いなぁ。ね、アイズっ!」

 

「うん、凄い。戦ってみたい」

 

ティオナの言葉にアイズは頷く。

剣を振る間ずっと感じていた大きな力。

そして勝負を決したであろう最後の一発。【猛者】を地上から引き剥がしたあの一撃だ。

クリリンの放った力で間違いないだろう。

レベルも種族も超越した力。力に飢えるアイズの目の色が、いつの間にか変わっていた。

 

「……アイズ?」

 

雰囲気が変わったアイズをティオナが気にかける。

 

「フィン。ききてぇことは山ほどあるが……」

 

アイズの様子が面白くないベートは不機嫌にフィンに問う。

 

「なにかな」

 

「クリリンって野郎の武器はなんだ。スキルは分かるのか。戦闘スタイルは―――どうやってあの猪野郎をぶっ飛ばしやがった」

 

フィンを半ば睨み付けるようにして答えを待つ。その態度にティオネがキレそうになるもフィンがなだめる。

 

「さて質問の答えだが、クリリンは素手でオッタルを倒している」

 

「んだと!?」

 

「信じられないというのはわかるが事実だ。もちろんオッタルはフル装備でクリリンに挑んだ」

 

「魔法使ってるとかねぇのかよ!」

 

「ない。あのオッタルを、クリリンは正面から突破した」

 

「――――ッ!!」

 

ベートの顔が歪む。

たった一人であらゆる戦術を覆し戦略すら破壊するオッタルを、クリリンとやらは素手で殴り飛ばしたとでもいうのか。

 

「あとクリリンにスキルや発展アビリティの発現もほぼ無いとみてる。なぜなら」

 

「もういい」

 

フィンの言葉を遮り、ベートは立ち上がって扉に向かう。

 

「ベート?」

 

「フィン。てめーの話を聞いてもここまで要領が掴めねえのは初めてだ。埒があかねえ。あとは自分の目で見て確かめる」

 

「ベート」

 

「止めんなフィン。俺は行く。実物見なきゃ納得できねぇ」

 

「いやベート。いったん扉から離れたほうが」

 

ベートが扉に手をかける寸前、扉は勢いよく開け放たれてベートの鼻をしたたかに打つ。

 

「うおおおおお…………!」

 

ベートが鼻をおさえて蹲る。レベル5のベートであるが意識の外からの急所への奇襲は存外効いた。

 

「よーみんなお揃いで!

ん?ベート、自分そんなとこで何してんのん?」

 

「ぐっ……ロキ、てめー後でぶっとばす」

 

涙目で悶えるベートがなんとか声を絞り出す。

 

扉を開けて入ってきたのは、緋色の髪に糸目、独特の訛りで話す「神」

 

フィンたちが戴く主神、ロキである。

 

「もう外がえらい騒ぎになっとるわ」

 

足下のベートは放置してロキが部屋を見回すと、アイズが目に入る。途端に、ロキの顔がいやらしく弛む。

 

「アイズたん、今日もかわええなぁ。チューしてええ?」

 

かつては天界きってのトリックスターといわれたロキだが、アイズに鼻の下を伸ばす姿はオッサンそのものだった。

 

「嫌です」

 

絡むロキに、すげないアイズ。お約束である。

糸目をほんの薄く開けてアイズを見たロキは、残念~と言ってあっさり引き下がる。

いつもより聞き分けのよいロキに逆に不信感を抱くアイズであったが、今日のロキはそれ以上アイズにちょっかいをかけることはなかった。

 

「やあ、ロキ。ロキも外に出ていたのかい」

 

「せや!なんやラウルが慌てて館に戻ってきた時にピンと来てな」

 

「もしかしてロキも畑に来ていたの?」

 

フィンとロキの会話にティオネが加わる。

 

「そ、街に出たらちょうどガネーシャんとこと()うてな。一緒に行ってん」

 

ロキにガネーシャ

この不穏な組み合わせにフィンとティオネが揃って半目になる。

 

「なるほど。あのお祭り騒ぎにはロキも一枚噛んでたというわけだね」

 

戦い終わったクリリンのもとに大衆をけしかけたのは、おそらくこの悪戯神(いたずらもの)であろうとフィンは推測する。

 

「ええやんええやん。それに、フィンたちもおもろいもん見れたやろ?」

 

全く悪びれる様子もなくロキは言う。待機組が首を傾げて、フィンやティオネに目で問う。二人はもちろんロキの言う()()()()()()が何かは分かる。

 

あのとき、クリリンは空を飛んでいた。

また、これはロキも知らないことだが、クリリンはオッタルに見つかるまで気配をおさえていた。

 

フィンはそのことを説明する。クリリンという男にはまだ何かあるのかと、待機組の醸す空気に呆れが混じり始めている。

 

「あの、何か道具(アイテム)による可能性とかは………」

 

アキがおそるおそる発言する。

 

「その可能性はあるが、クリリンの戦闘技術をみるに、それは希望的観測にすぎると思う。クリリン固有の技術だと考えておいた方がいいだろう」

 

それに、とフィンは言葉を付け足す。

 

「あれがクリリンの技術なら、是非とも欲しい」

 

空を飛ぶ術に、気配を抑える術。

冒険者でなくても垂涎の術だ。なんとか伝授してもらいたいものだ、とフィンは思う。

 

「そのためにも、クリリンと【デメテル・ファミリア】とは良好な関係を保ちたい」

 

フィンの言葉にうんうんと頷く幹部たちだったが―――

 

「今後しばらくは一方的な私用でクリリンおよび【デメテル・ファミリア】との接触は控えるように」

 

「あぁ!?」

 

「えぇ!?どうして!?」

 

「……しばらくっていつまで……?」

 

続く団長命令に、ベート、ティオナ、アイズから不平がもれる。

 

「今回の騒ぎでクリリンはもちろん、【デメテル・ファミリア】も対応に追われて相当な負担がかかるだろう。そんなときにうちが余計なことをして、心証を害するのは避けたい」

 

命令は状況をみて解除する、とフィンは付け加える。

 

 

「そんな固いこと言わんでもええやんか、フィン」

 

不満はあれど反論できないアイズ達に、ロキから助け船が入った。

 

「デメテルは大~らかなやっちゃ。そないなこといちいち気にせんよ」

 

よしいいぞロキ、とアイズ達三人は内心でエールを送る。

 

フィンはにっこりしてロキに言う。

 

「ロキは、オラリオに流通する農産物のほぼ全てを【デメテル・ファミリア】が供給していることを知っているよね」

 

「もちろんや!ホンマ大したもんやでデメテルんとこは」

 

【デメテル・ファミリア】はオラリオ最大の農業系派閥である。

穀物・野菜・果物の生産を一手に担い、オラリオの食を牛耳る一大派閥と目されている。

オラリオの胃袋を掌握する【デメテル・ファミリア】は、探索系派閥(ファミリア)が幅を利かせがちなオラリオにおいて、商業系としては数少ない有力な派閥だった。

 

「そんな【デメテル・ファミリア】の農産物に、大麦と葡萄がある」

 

「せやな……?」

 

この時点で察しのよいリヴェリアやアキはフィンの言わんとすることがわかった。

 

「これは麦酒(ビール)葡萄酒(ワイン)の原料になる」

 

【ロキ・ファミリア】上層部、特にロキとガレスに電流が走る。

 

「もし【デメテル・ファミリア】の業務に支障がでた場合、オラリオの食卓から麦酒や葡萄酒が消え――」「みんなッ、フィンの言うことよぉーく聞くんやで!デメテルんとこのお仕事邪魔したらアカンで!!」

 

沈みゆくロキをアイズ達三人は冷めた目で見ていた。

 

それから間もなくこの場はお開きとなった。

 

 

 

 

そして翌日

 

さらなる激震が【ロキ・ファミリア】を襲った。

 

 

◆◆◆◆

 

 

アイズはギルドに向かって駆ける。

 

 

 

畑での騒動から明けて翌日。いつもなら朝から迷宮(ダンジョン)に潜るアイズだが、クリリンのことが気になり地上を離れられずにいた。

 

とはいえ【デメテル・ファミリア】との私的な接触はできないため、館内をうろうろすることしかできなかった。

 

 

 

フィンは団員の個人的な接触を戒めたが、もちろんクリリンの動向について情報収集を怠るつもりはない。

常識的な対応が出来る、あるいは機転の利く団員数名を走らせている。

特にギルドには常に団員を置いていた。

 

 

そんな日の昼下がり、度肝を抜く報が黄昏の館にもたらされる。

 

 

 

 

【猛者】オッタル

昇格(ランクアップ)

Lv.7→Lv.8

 

 

 

この報はオラリオ中を瞬く間に駆け巡り、市内は驚天動地の大騒ぎになった。

 

一方で、クリリン側に昇格という話は出ず、それがまた騒動が過熱する一因となっている。

 

昇格には『偉業』、つまり器を昇華させるに足ると神々が認めるほどの経験が必要になる。

『偉業』とは、必ずしも自分より高レベルの相手を倒すことと同義ではないが、それでもレベル1の相手に敗れた【猛者】の方が昇格するなど誰にも予想しえなかった。

 

千年に渡り地上の子どもたちに恩恵を与えてきた神々とて、その全容を理解しているわけではない。

今回の件で恩恵というシステムについて新たな議論が起こることになった。

 

 

それはさておき、レベル8である。

 

レベル7こそが人の限界、あるいは最終到達点という向きも濃厚だったが、オッタルは見事に打ち破った。

 

そして、そのオッタルが昇格するきっかけになったクリリンは、実質レベル8以上の強さであろうことは誰もが容易に想像できた。

 

 

 

オッタルの昇格を聞いて、アイズは立ち尽くす。

 

アイズがレベル5になって三年が経とうとしていた。

どうしても前に進めない。

足踏みしている間に、置いて行かれる。置き去りにされる。

その感覚がたまらなくイヤだった。

日に日に焦燥は募っていった。

 

(はた)から見れば、アイズは順調に成長しているように見えるだろう。

そもそもレベル5にまで到達できる者はごくごく稀なのだ。常識的に考えれば既に完成しているという考え方もできる。

だがアイズは16歳。心身の盛りはまだ先。腰を据えてたゆまず努力を続ければさらなる成長も望める。そうまで生き急ぐ必要があるのか。

そんな周囲の声はアイズには届かない。

 

そうして立ち尽くしていたアイズであったが、弾かれるように駆け出し館を出ていった。

オッタルの昇格、その事実がゆっくりとアイズの心を侵食し、停滞するアイズの閉塞感を強めていく。

 

往来には人が溢れていた。

アイズは群集のわずかな隙間を縫って駆けていく。

その速度は常人の目に追えるものではなく、人々はただ一陣の風が吹き抜けたようにしか感じられなかった。

 

ギルドの前にも人だかりが出来ている。

アイズは速度を緩め、歩を進める。大衆はアイズの姿を見るとすぐに道を譲った。

 

 

「!」

 

アイズは総毛立ち、ギルドの入口を注視する。

ギルドの前に集まっていた大衆も察知し、ギルドの入口の前を広く空ける。

 

ギルドから姿を現したのは

 

 

神フレイヤ

 

 

 

そして

 

 

【猛者】オッタル

 

 

 

人々はオッタルの姿に息を呑む。

その肉体はより充実し、纏う覇気はさらに濃い。

 

 

この場には、負けて最強の座から引き摺り落とされた【猛者】を嗤いに来た者もいた。

が、そのような者を含め全員が一言も発せなかった。

 

 

都市最強で無くなったからといって、決して【猛者】は弱くなったわけではないのだ。

敗北を知り、オッタルはより強くなった。

 

他を寄せ付けぬ最強の男は、畑から帰ってきた。

 

以前とはまるで次元の違う怪物となって―――

 

 

(戦ってもないのに、凄い気配………!)

 

 

オッタルの進む先にはもはやアイズしかいなかった。大衆は既にその進路から退き、遠巻きにして見ている。

 

 

【猛者】は【剣姫】を見咎める。

 

「御前を遮るは何たる不敬。早々に道を空けよ【剣姫】」

 

 

美の女神に付き従うオッタルが気を放ち、その猛烈な力にアイズの肌がひりつく。

今のオッタルならば、剣を抜くことなくアイズを圧倒できる。

レベル8とレベル5

その力の差はあまりにも大きかった。

歴然たる彼我の差に屈しかけるも、しかしアイズはその場を動かず、オッタルに何か問うような視線を注ぎ続けた。

それを見たオッタルの目が剣呑な光を帯び始める。

 

場の空気が重く沈んでいく。

目の前で【剣姫】は一刀両断されるのではないか。

人々は恐れたが、その空気を打ち破ったのは女神だった。

 

 

「あらあらオッタルってば。か弱い少女に力で迫るなんてなかなか背徳的よ」

 

 

くすくすと笑うフレイヤがオッタルをからかう。

 

 

「は、いやしかし……」

 

 

フレイヤの言葉にオッタルは狼狽する。釈明しようとするも言葉が見つからずうろたえるオッタル。その光景たるや珍事に他ならなかった。

 

フレイヤのたった一言で重苦しい空気は消え去った。

フレイヤはオッタルをさんざんに振り回す。美の女神にかかっては【猛者】も形無しだった。

天下に名だたる【剣姫】を称してか弱いとする発言といい、世界の枢要に座す女神の言動に大衆はただただ圧倒されていた。

 

 

「私のことならかまわないわ。問いの一つや二つ、答えてあげなさいな」

 

フレイヤはそう言って笑う。凡俗が直視しようものなら心身全てが魅了し尽くされる、おそろしい微笑だった。

今日のフレイヤはオッタルが戸惑うほどに上機嫌である。

 

「フレイヤ様の御高配に感謝するがいい。【剣姫】よ、用件を言え」

 

「!」

 

気を取り直したオッタルがアイズの言葉を促す。

 

言いたいこと聞きたいことはある。しかしアイズはうまく言葉に出来なかった。

 

 

「……どうして昇格出来たのですか?」

 

アイズはなんとか言葉を絞り出したが、それはあまりに粗放なものだった。

 

しかしオッタルはその心を汲み、言葉を返す。

 

「さて、な。ただ一つ言えることは、奴と戦った時の俺は無我夢中だったということだ」

 

「今のあなたならクリリンに勝てますか」

 

アイズは質問を重ねる。

それに対してオッタルはくつくつと笑う。

 

「今の俺でも届かぬと見ている。昨日の戦いにおいても奴は全く底を見せていない」

 

オッタルの言葉はアイズのみならず大衆にも衝撃を与えた。

 

「俺が屈したあの一撃も、クリリンにとっては軽く腕を振り上げた程度に過ぎぬ」

 

オッタルはそう言い切る。

 

オッタルの言う一撃はアイズにも覚えがある。天地を揺るがす凄まじい一発だったはずだ。

しかしオッタルはそれすらもクリリンの全力には程遠いと言う。

 

 

オッタルはフレイヤを見る。あらもういいの?と言いつつ女神は歩き始める。

茫然とするアイズの横をフレイヤとオッタルは通り過ぎる。

アイズはハッとして、オッタルの背に最後の問いをぶつける。

 

 

「クリリンは!一体何者なんですか!?」

 

その問いに、オッタルは振り返ることなく言う。

 

「自分の目で確かめればよい。知りたくば行け。空と大地が交わるその場所に」

 

 

オッタルは去り、アイズはその場に取り残される。

衝動に突き動かされるままギルドまで来た。そこでオッタルに会い、話が聞けたのは思わぬ収穫であった。

 

 

―――無我夢中

 

 

アイズはオッタルの言葉を思い返す。

その言葉がアイズの迷走を助長する。

 

(【デメテル・ファミリア】に迷惑をかけなければいい。会って一言二言交わせれば)

 

(もう)に囚われ暗闇の中で迷う子は光を求めて足掻く。自分の立場やそれに伴うしがらみを頭の隅に追いやる。

真の強者との出会いを求めてアイズはオラリオの外へ、昨日感じた力の震源地へ歩き始めた。

 

 

 

 

―――アイズの視界いっぱいに畑が広がっていた。

茜がかった空と緑に埋め尽くされた畑。今アイズが立っている世界にはそれだけが在った。

アイズの目線の奥の奥で、空と大地は交わり一本の線を成す。

絵本に描かれる美しい世界そのものだった。

童話の中にしかないと思っていた豊かな世界だった。

 

(オラリオのすぐ傍にこんな場所があるなんて知らなかった……)

 

アイズは景色に目を奪われながら農道を進む。畑のあちこちに人影がある。彼らにクリリンのことを尋ねるか、それとも仕事の邪魔になってしまうだろうか。

そう考えていると突如、地平線の向こう側から巨大な馬の頭がニュッと出てきた。

一瞬ビクッとなるアイズ。あの馬が今回の騒ぎの発端だろう。今は殺意や敵意の類は一片もない。

しかし、馬が生かされていたことにアイズは驚く。何が理由かは知らないが、クリリンがいなければこの一帯を壊滅させていたであろう存在を許容する【デメテル・ファミリア】は、寛大にも程がある。ほとんど酔狂といっていい。

 

(まずはあの馬のところへ行ってみよう)

 

しかし、アイズの思考もまた常人のソレを大きく外れていた。

アレが一度、世界を恐怖と絶望のどん底につき落としてからようやく一日が過ぎたばかり。そんな存在にわざわざ自分から近付こうというのだ。正気の沙汰ではない。

 

だがここにアイズを止める者はいなかった。

この楽園のような未知の世界を、アイズは奥へ奥へと進んでいった。

 

◆◆◆◆◆

 

 

「アイズ、かなりヤバイ目ぇしとったで」

 

 

【ロキ・ファミリア】本拠地、黄昏の館の執務室でロキとフィンは向かい合っていた。

 

 

「クリリンの件、下手に束縛せえへん方がよかったんやないか?」

 

「アイズは幹部だ。甘やかしすぎるのはよくない。これでも団長という立場からはかなり譲歩しているよ」

 

「はぁ~~~しっかしフィンの立場もいつの間にかむつかしくなりよったなぁ」

 

ガシガシとロキは頭を掻く。

 

「組織が大きくなるとどうしてもね。年を重ねれば自由の質も変わってくるさ」

 

フィンは椅子の背もたれに身を預けて息を吐く。

 

「逆にリヴェリアは、爆発する前にガス抜きした方がいいと考えている。外に飛び出したアイズにはこっそりリヴェリアが付いている。まあ後は任せるさ」

 

「リヴェリアマッマに任せとけばそう悪いことにはならんか。ただベート達の姿も見えん。こらもうひと騒動あるかもな」

 

ロキがニマッと笑い、フィンがため息をつく。

 

 

「オッタルの昇格が完全に誤算だった。予想通りクリリンが昇格していれば事態はもう少し緩やかに進んだだろうに」

 

 

【デメテル・ファミリア】に持っていく菓子折の選定を急ぐとするよ、とフィンは遠い目をしながらそう言った。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

【デメテル・ファミリア】の団員たちは気さくで善人だが、それでいてなかなか個性的である。

 

 

異世界生活初日、クリリンが持ち込んだ大猪をあっさり捌いた少女しかり。

 

そして今、馬と向かい合う三つ編みの少女もまた興味深い個性の持ち主だった。

まだ十代半ばというこの少女は動物と心を通わせることができるのだとか。

 

 

――お腹空いてません?何か召し上がりますか?

――其ノ厚意ダケ頂コウ。食事ハ外デ済マセテ来タ

 

 

馬と少女の睦まじい交流を、クリリンと婦人は少し離れた場所から見守る。

何を話しているかは空気で察するしかないが、コミュニケーションについては問題なさそうだ。

あの馬は動物なのか、些か疑問だが深く追及するものでもない。

 

 

クリリンの異世界生活3日目は夕刻に差し掛かっていた。

クリリン達は今、畑を見渡せる小高い丘の上にいる。

日に照らされた麦の穂が風に吹かれて金色の波を立てる。

 

あの馬は奇跡的に生かされた。

といってもあの馬に手出し出来るのはクリリンかオッタルぐらいではあるが。

ギルドとの話し合いで馬の処遇については真っ先に議題に上がったが、クリリンが「悪いやつではないと思う」と言った瞬間、終着点はほぼ決まった。

しばらくはギルド職員や【ガネーシャ・ファミリア】の団員が視察に入るとのことだが、クリリンの判断は尊重されるようだ。

 

クリリンが馬を庇った理由はいくつかある。

純粋な悪では無く理性を備えていたというのもあるが、クリリンが害しづらいとした最も大きな理由は馬の身に宿る神性だった。

その神性はごく僅かで、馬は何か神霊の残滓ではというのがクリリンとデメテルの共通見解だった。

馬がその力のほぼ全てを何故失ったのか、この畑に来たのは偶然か必然か、詳しいことは不明だが、【デメテル・ファミリア】はこの馬を友とすることに決めた。

 

 

 

風が吹く

 

 

クリリンは丘から畑を眺める。

仕事を終えた同胞たちが帰路についている。

ギルドからなるべく急いで戻ってきたが、今日の仕事はもう終わりのようだ。

 

「すいません、なんか大騒ぎにしてしまって。畑にも朝しか入れてないですし。まあ新人のオレが畑にいてもかえって足手まといになるだけですけど」

 

「いえいえそんなことはありません。それに、助けて頂いたことは望外の喜びですわ」

 

婦人はそっと微笑む。

 

「クリリンさんは本当にお強いのですね。武の道を歩まれたきっかけというのはあるのですか?」

 

「いやーははは、お恥ずかしながら本格的に武道を志したのは、強くなって女の子にモテようとしたからでして」

 

「まあ」

 

クリリンと婦人は和やかに笑い合う。そろそろ館に戻ろうかというところで―――

 

 

 

風が吹いた

 

 

その風は、何かただならぬ者の気配と共に畑に吹き込んだ。

 

 

クリリンは先程その気配の主が畑に踏み込んだことに気付いていたが、やはりその者はこちらに向かってきている。

今日という日はまだ終わりそうにない。

 

「……どうかしましたか、クリリンさん」

 

顔つきが変わったクリリンに、婦人が問う。

 

「来客です。どうやらそれなりの人物みたいっすね」

 

クリリンの目線の方向に、婦人もまた目を向ける。

 

 

やがてその気配の正体が、丘を上り姿を現す。

最初に見えたのは金色に流れる髪だった。

次に金色の瞳、神々すら崇める人間離れした容貌。細身のようでいて其の実よく鍛えられた肢体。

 

圧倒的な存在感を放つ剣士が、クリリンと婦人、二人の前に顕現した。

 

 

「まさか……この方は……」

 

「知ってる人なんですか?」

 

問われた婦人がクリリンに返事をする前に、剣士の方が口を開いた。

 

 

「……お仕事の邪魔していたら、ごめんなさい。私は【ロキ・ファミリア】のアイズ・ヴァレンシュタイン。ある方に会いに、ここへ来ました」

 

発する言葉を迷いながら、アイズはその名と用件を告げる。

 

(この子、【ロキ・ファミリア】ってことはフィンとティオネの仲間か)

 

クリリンはそう考えながら横を見ると

 

 

婦人が固まっていた。

 

 

 

どうやらこのアイズ・ヴァレン(なにがし)はやはり相当な人物らしい、とクリリンは思う。

 

 

「お姉さまの反応も無理はありません。あの方は【剣姫】さん。才色兼備の、謂わば時代のヒロインですわ」

 

アイズが現れたあたりからクリリンの隣にいる三つ編みの少女がフォローする。

 

時代のヒロイン、確かにそうだとクリリンも内心肯定する。

いやヒロインなんて生易しいものではない。

例えばオッタル。アイツもまたこの世界のこの時代において重要人物に違いない。

世界のためにオッタルはいる。

しかし、このアイズとやらは違う。

()()()()()()()()()()()()

突飛な話だが、そう考えるのが一番しっくりくる。

 

クリリンが考えを整理している内に、正気を取り戻した婦人と隣にいる少女がアイズに名乗る。

クリリンもまた彼女たちに倣って名乗ろうとしたが、その前にアイズが口を開く。

 

「ある方とは、【猛者】を倒したというクリリン、さんのことです。会って、話をしたい、のですが」

 

アイズは伏し目がちに願いを告げる。

 

「あの【剣姫】さんのご用件なら、まあそれしか考えられませんね」

「クリリン兄さまも一躍時の人ですね」

 

そう言って婦人と少女が同時にクリリンの方へ目を向ける。

その様子にアイズはハッとする。アイズの視線を浴びてクリリンは答える。

 

「名乗るのが遅れたな。オレがクリリンだ」

 

「!」

 

 

アイズは目を見張る。

ついにクリリンに会うことが出来た。

しかし都市最強の男を前にした感触は全く無い。

オッタルをあの領域まで導いた存在とはとても思えない。

アイズには本当に素朴な農夫にしか見えなかった。

 

アイズが次に出す言葉を悩んでいる間、クリリンはアイズに抱いた印象をさらに整理していく。

 

正直言ってスゲーかわいい。

そして、強い。

今のアイズではオッタルにはどうやっても敵わないだろうが、しかし内包する潜在能力(ポテンシャル)はかなりのものだ。

 

天才といっていい。

 

さすがに一年二年では厳しいだろうが、オッタルより遥かに早く今のオッタル以上の力を身に付けることが出来るだろう。

 

 

このアイズ・ヴァー某は、正しく天寵を負う子だ。

クリリンはそう評価する。

 

だがそんなことよりも、この子は……

クリリンがそう思っているところで、アイズが話しかけてくる。

 

 

「私は、強くなりたい、です」

 

クリリンはその言葉を受け止め、咀嚼する。

 

「私は、どうしたらクリリン、さんのように、強くなれますか」

 

たどたどしく、また一見感情を抑えた話し方だったが、クリリンはその裏に潜む激情に気が付いていた。

 

 

クリリンから見たアイズは破滅寸前だった。

 

アイズは何か人として大事なものを、ごっそり失っていた。

それでも少しだけ残った人としての感情や理性、だがそれすらも空いた穴から流れ落ちていっている。

 

 

放置すれば世界にとって極めて危険な存在だった。

先の印象通り、アイズのために世界は在るようなものだ。

真っ当に生きれば間違いなくアイズは救世主たりえる。

 

 

逆に闇に飲まれてアイズが破滅する時、世界は道連れとなってアイズもろとも破滅するだろう。

 

 

アイズが強くなりたいというのは、きっと失ったものを取り戻すためだな、とクリリンは思う。

 

 

(さて、どうしたものか)

 

クリリンは考えるが、結論はすぐに出た。

 

 

(そうだ、別に難しく考えなくていい。迷子の女の子が、こちらへ必死に手を伸ばしてきてるだけのことだ)

 

クリリンは息を吐く。

 

(ならオレがすべきは、その手をとって寄り添うことだ。それだけでいい。それが一番で、そうするだけで普通になんとかなる気がしてきた)

 

 

クリリンはアイズの目を見る。アイズはクリリンの視線に気付き、そわそわしながら答えを待っている。

 

 

「いつどこで、そんなでっかい落とし物したんだか」

 

「―――?」

 

「アイズ。おまえが無くしたもの、オレも一緒に探してやるよ」

 

「……………」

 

「おまえなら強くなれるさ。そんなに焦んなくていい」

 

「!」

 

「なんなら今から軽く戦ってもいい。どうだ」

 

「やる」

 

即答だった。意気揚々とアイズは剣の柄に手をかける。

 

 

思わず笑みが浮かぶクリリンだったが、戦う前に婦人たちを避難させなければいけない。

 

クリリンが視線を向けた先は馬の足下。

 

「あの、先帰ってていいすよ?」

 

クリリンが声をかけると、二人は馬の前足の影から顔を出す。

 

「昨日私はクリリンさんと【猛者】さんの戦いを見れなかったので、今日は残って観戦します」

 

馬の左前足から顔を出した婦人はそう言う。

婦人は昨日、馬の騒動のあと館に運ばれていったため、クリリンとオッタルの戦いを見れなかった。

そのことを婦人はひそかに惜しんでいた。

 

「【デメテル・ファミリア】が誇る戦略級農夫クリリン兄さまと【剣姫】さん、このカードは絶対に見逃せません」

 

馬の右前足からこちらを覗く少女はそう言う。

 

そんな二人を見て、……ハハハとクリリンは苦笑する。

まああの馬の実力ならば、アイズとの戦いの余波も十分に凌ぐだろう。

 

「二人をよろしく」

 

クリリンが声をかけると、馬は会釈して恭順を示す。

 

 

「待たせたな。いつでもいいぞ」

 

そう言ってクリリンは戦闘体勢に入る。

高まった戦意が場を満たす。

 

「!?」

 

クリリンの戦意がアイズの全身を貫く。

今、クリリンはただの農夫から都市最強の男に変貌を遂げた。

フィンとティオネの言った通りだった。クリリンは普段力を抑えており、戦う時は異次元の強さになる。

この場は自分に合わせているのだろう。手加減しているのは明らかで、その気配の濃さは今日会ったオッタルに比べると控え目だ。

しかし本気を出したらどこまで強くなるのか全く読めない。

 

かつてない強者を前に、アイズはその絶技を出し惜しみするつもりはなかった。

 

目覚めよ(テンペスト)

 

「ん?」

 

風が吹き荒れ、アイズはそれを全身に纏う。

 

 

「あれが【剣姫】さんの『(エアリアル)』!」

 

少女が目を輝かせる。

アイズを最強の女剣士たらしめる至高の技。

身に纏えば鎧に、纏って薙げば刃となる攻防一体の技。

もはや「風」などではなく、それは地表を舞う「嵐」

力の奔流

少女は何度も耳にした。

嵐と化した【剣姫】には、迷宮の奥底に潜む怪物ですら太刀打ちできぬと。

神の御業を地上で見ることができるなんて、と少女は内心ではしゃいでいる。

 

(あらあらあの子ってば……少しはクリリンさんの心配をしてはどうかしら)

 

喜色を浮かべる少女に、婦人は苦笑する。

 

(それにしても【剣姫】さんは、なんというかずるいですわね)

 

ふふ、と婦人は微笑む。

ただでさえ強い【剣姫】が嵐を纏う。

鬼に金棒、虎に翼。

控え目に言っても無敵としか思えなかった。

皆が【剣姫】を次代の英雄と称える理由がよくわかった。

 

(クリリンさんは、あの姿の【剣姫】さんにどう立ち向かうのかしら)

 

婦人はクリリンに目を向ける。

 

 

 

「へぇ、いい技だな」

 

アイズの技を、クリリンは称した。

風の壁は万物を拒み、風の刃はあらゆるものを切り裂く。

それでもクリリンが動ずるには至らない。

すぐ目の前でアイズの風が唸りを上げていても、クリリンは揺らがない。

 

「ありがとう、ございます」

 

「敬語じゃなくてもいいぞ。なんか窮屈そうだし、楽に話せばいいさ」

 

「わかった」

 

クリリンの気遣いを、アイズは些かの逡巡もなく受け取る。

 

 

「………」

「………」

 

そこからは言葉もなく、戦意が高まっていく。

 

 

 

先に動いたのはアイズだった。

 

 

大きく後方に跳び、クリリンと距離を取る。

 

剣尖をクリリンに向け、地に足を付け、腰を入れる。

 

 

(エアリアル)

 

 

―――最大出力!!!

 

 

アイズの風はさらに大きくなる。

 

「うええええ!?まだ強くなるんですの!?」

 

(畑、大丈夫でしょうか)

 

狼狽する二人の視界にいたはずのアイズが、忽然と消える。

 

『リル・ラファーガ』

 

アイズの立っていた地面が爆発し、剣と一体になったアイズが暴風となってクリリンを襲う。

M(メドル)はあった両者の距離がみるみる縮まる。

 

 

アイズは世界を置き去りにし、世界はアイズを見失う。

 

アイズの剣尖がクリリンを捉えた。

 

そのときアイズは違和感を抱く。

 

 

技を放つ瞬間

 

 

()()()()()()()()()()

 

 

とてつもなく嫌な予感がアイズを襲う。

しかし、もはや止まれない。

 

(――――ッ!!)

 

アイズは勢いそのままにクリリンに飛び込んだ。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

(なんつう危なっかしい技だ)

 

自分に向かって突撃してくるアイズを見て、クリリンはそう思う。

 

『風』は確かにいい技だ。応用も利く。

だが、力に飽かせたこの刺突はどうも自爆技に見える。

 

(今までこれを止められた奴、いなかったんだろうな)

 

だからきっと、アイズはこんな無茶をする。

 

常軌を逸した速度で飛び込んでくるアイズを、クリリンはしっかりと目で追っている。

 

 

眼前に迫るアイズと目が合う。

 

嫌な確信がクリリンを襲う。

 

 

(これ、そのまま弾き返したらアイズ死ぬんじゃね)

 

クリリンのパワーと技量なら、アイズの全力をそのままはね返すことは可能だった。

だが、この捨て身の技にアイズ自身は耐えられまい。

おそらく全身が千切れ壮絶なことになる。

 

では、攻撃を反らすのはどうか。

否。軌道を変えた瞬間アイズの身体に無理が掛かって裂ける。

 

オッタルと戦った時はこういったことは考えずに済んだ。

オッタルは頑丈であったし、技量も卓越していた。

自分の技に殺されるということは無いだろう。

 

クリリンの胸にアイズの剣尖が迫っていた。

避けるのもいい。この辺りは広く障害物も無い。

クリリンならばこのタイミングでも避けられる。

 

 

しかし、もっと安全な方法があった。

 

 

クリリンは瞬時に剣を掴むと、そのまま勢いに任せて押し込まれてやる。

 

大地を大きく削りながら、少しずつ少しずつアイズの技の勢いを殺していく。

 

ちなみに今日クリリンが履いている靴は、地球から持ち込んだ方の靴だ。オッタル戦で履いていた作業靴はボロボロになったが、こっちの靴ならそんな心配はない。

 

数百M(メドル)も大地を削って、ようやくアイズとクリリンは静止した。

 

 

「まったく無茶するよなぁ。で、少しはすっきりしたか?」

 

「………」

 

全力で飛び込んできたアイズを受け止めて、クリリンは言う。

 

肩で息をしているアイズは、クリリンに言葉を返せない。

だが、アイズの瞳には光が灯り始めていた。

 

それを見てだいぶ持ち直せたかな、とクリリンは思う。

 

 

そして

 

 

「アイズ、おまえいい友達がいるじゃないか」

 

 

クリリンがそう言うと、アイズはきょとんとする。

 

その時だった。

 

 

「ぶっとびやがれ――――」

 

 

猛烈な速度でこの場に飛び込んできた青年の蹴りが、クリリンの顔面を捉える。

 

が、クリリンは瞬時に見切り軽く手を添えてその軌道をずらす。

 

 

「チィッ!」

 

舌打ちをした青年は、身を翻してアイズの隣に降り立つ。

 

「ベートさん!?」

 

「よォ、アイズ。抜け駆けなんざさせねえぜ」

 

狼人(ウェアウルフ)の青年が笑い戦意を滾らせる。

 

 

「アイズ!」

「アイズぅ!!」

「アイズさん!」

 

後方からさらに三人の少女が追い付く。

一人はクリリンも知っているアマゾネスの少女、ティオネだ。

そのティオネとそっくりな少女が一人と、エルフと見られる少女が一人。

 

 

「はぁい、クリリン。うちのアイズが邪魔したわね」

「おおお……!この人がクリリンかぁ!」

「ど、どうも初めまして」

 

三人の少女がそれぞれ挨拶する。

 

 

今ここに、アイズと共に歴史を刻む次代の英雄たちがクリリンの前に勢揃いした。


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