地球人最強の男、オラリオにて農夫となる   作:水戸のオッサン

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其ノ八 千の妖精

 

 

 丘に夜が迫っていた。

 

 太陽は西の空を真っ赤に燃やしながら、ゆっくりと地平の向こうへ還っていく。

 

 日の光を正面から浴びた月は、かつて太陽が座した頂天を見上げていた。

 

 

 アナキティ・オータム

 

 彼女もまた月と同じように()()を見上げていた。

 

 リヴェリアやアイズがいるこの場にあっては埋もれがちなアキであるが、美女には違いない。

 そんなアキが物憂げな表情を浮かべて佇んでいるのはなかなかに悩ましい姿だ。

 赤と青の色調(グラデーション)が彩る空も、背景として彼女を引き立てる。

 

 

 絵画の基調(モチーフ)にでもなりそうなアキは、しかしどこか遠くを見ているような(うつ)ろな目をしていた。

 

 それもこれも全て、クリリンという男のしわざである。

 

 クリリンに挑んだ五人。

 いずれも世界にその名を轟かせ、次代の【ロキ・ファミリア】を担うであろう冒険者たち。

 

 彼女ら五人が組んだ戦隊(パーティー)は、地下迷宮51層に巣食う恐るべき怪物『強竜(カドモス)』をも倒しうる十分な戦力を有する。

 

 

 

 その五人が、アキの目の前で、あっさりと『全滅』した。

 

 

 

 可能性など微塵も感じられなかった。どんなに贔屓目で見たくとも、そこに勝機はまるで無かった。

 

(あの強さでレベル1、か……)

 

 頂天に座すクリリンを見て、アキは改めて力の世界の無情さを噛みしめる。

 

 五人のうちベートを除く四人は十代、アキより幾つも年下だ。

 アキとて、そのことに何も思わなかったわけではない。

 猫人(キャットピープル)という、戦闘力という面で高い素質を誇る種族に生まれながら、才に溺れることなく努力に励み、人生で一度あるかないかの偉業を三度も達成して、今ここに立っている。

 

 レベル4

 

 かつてこのレベルこそが到達点といわれた時代もあったのだ。

 強者であるという自負はアキにもある。

 同時に、上には上がいると、この世界にはどうやっても手が届かない場所があるということも、これまでに散々味わってきた。

 力の世界には、十にも満たない(とし)で上級冒険者の世界に足を踏み入れる神童が存在するのだ。

 

 自分の知る一人の神童、その成れの果てであるアイズ・ヴァレンシュタインに、アキは視線を移す。

 

(もう八年になるのかな)

 

 アキが【ロキ・ファミリア】に入団した時、既にアイズはレベル2に達していた。当時、アイズはまだ八歳だった。

 それを知って、自分はとんでもない派閥に入ったのかもしれないと後込(しりご)みしたものだ。

 その後もアイズは尋常ならざる成長を遂げ、今や世界に名だたる剣士の一人である。

 

 

 

 そのアイズが目を回して気絶している。

 

 

 

 アイズだけではない。ティオネやティオナ、ベートまでもが地に(まみ)れた。

 

 頂上は未だ遠くとも視界の果てに望めるぐらいのところまでは来たと、アキは思っていた。

 しかしここにきて、自分が立っているのはまだ入口に過ぎないのではないかと、この世界の果てしなさを前にアキは茫然とするしかなかった。

 

 

 ◆

 

 

 お月様がきれいだ。

 

 空を見上げて、そう思う。

 

 いや、わかってる。お月様を愛でてる場合じゃないってことは。

 

 私がこんなところでクリリンさんの歴史的所業を目撃することになった経緯を、思考停止している頭を再起動するためにも振り返ってみる。

 

 

 

 こんな時間になっても私が本拠(ホーム)に戻らずにいたのは、月見がてら夕食は外でとろうという話が上がっていたからだ。

 その話は今日の夕食当番も了承し、畑の入口に晩餐を用意してくれた。仕事を終えた同胞たちは適当なグループに分かれて畑のそこらじゅうに散らばっていった。

 

 私はけっこう大きなグループの輪に入り、行動を共にしていた。移動や準備は成り行きに任せつつ、もしかしたら今日の夕食のことが伝わっていないかもしれない先輩を探していた。

 

 そんな感じで集団に埋もれてぼけっとしていたから、異変に気づくのが遅れてしまった。

 

 皆なぜか畑から離れて丘の方へ行く。絶景ポイントでもあるのかと思いながら、もちろん私も付いていく。

 

 そうしてしばらく歩いていると、私の眼前に抉られた大地が現れた。

 

「…………」

 

 表情には出なかった、と思うけど、私は呆気にとられていた。

 どこをどう見てもこれはただ事ではない。

 

 隣にいた同期の子に話を振れば、あれほどの騒ぎだったのになんで気が付かなかったの、と呆れられてしまった。

 すまない、夕食のことで頭がいっぱいだったのさ。

 

 それから同胞たちの会話に意識をしっかりと向ける。聞こえてくるのは、【剣姫】、【ロキ・ファミリア】、そして

 

 

 クリリンさん、とかいうワード

 

 

 

 ま た 貴 方 か

 

 

 事情説明のために朝から出てたみたいだけど、戻ってきてたんだねクリリンさん。

 

 クリリンさんが【猛者(おうじゃ)】を倒したって話は、本拠(ホーム)の救護室で聞いた。

 それこそ天地がひっくり返ったってなもんで、たいへんな騒動だったらしいけど、なんか私が寝てる間に全部終わってた。

 起き抜けにその話を聞いて、私と先輩はもう一回卒倒した。が、私だけベッドから落ちて全身を強く打ち、夢の世界に逃げ込もうとした私の意識はあえなく強制送還された。

 悔しいからもう一度言おう。なんで私だけっ……!

 ああもう、荷車持ち上げて跳んでったクリリンさんを見て水噴いてた昨日がすでに懐かしい。

 

 

 

 

 不意に会話が止む。

 空気が変わった。

 何があったのかと同胞たちの肩口から顔を出すと───

 

 

 

「騒ぎにしてすまんの」

 

 

 

【ロキ・ファミリア】のやっばい人がいた。

 あれだ、【重傑】の人だ。

【ロキ・ファミリア】のトップ級だ。たまにだけど、遠目に見ることがある。

 とりあえず、でかい。

 身長はクリリンさんと同じぐらいだけど、でかい。

 うちにもドワーフはいるけれど、どの同胞よりもでかい。

 なんなんだあの肉体(カラダ)!?

 噂では、竜に轢かれようが巨人に踏まれようが、ダメージらしいダメージを負わないという。

 さすが【ロキ・ファミリア(トップの中の)】のトップ級、不条理極まりない。言葉は悪いが、これじゃあ【重傑】の方が化け物(モンスター)じゃないか。

 

 でも、ここにいたのは【重傑(エルガルム)】だけではなかった。

 

貴猫(アルシャー)】までいるよ。

 

 すごい美人。

 めっちゃスタイルいい。

 とっても強そう。実際、とんでもなく強いんだろうけど。

 

 

 ………うん、これは大ごとだ。間違いない。

 やっと能天気な私でも飲み込めたようだな。月見がてら夕食などと、その気になっていた私の姿はお笑いだったぜ。

 

 事態に付いていけず目が点になるばかりの私とは違って、この場にいた各班の班長たちはしっかり対応してくれていた。

 その流れで、大地に残された痕跡を【重傑】と【貴猫】と共に追っていく。

 

 そうして行き着いた先にいたのが【九魔姫(ナイン・ヘル)】を筆頭に【ロキ・ファミリア】のお歴々。

 

 すごいところに来てしまった。なんだ、これからどっかの国でも滅ぼしに行くのか? と思わずにはいられない顔ぶれ。

 

 そして【九魔姫】に向かい合うのは、クリリンさん。

 

 うーん、謎の感動。みんなクリリンさんに会いに来たんだろう。ここにきて、クリリンさんは本当に【猛者】を倒してしまったんだなと実感が湧いてくる。そうでなければ【ロキ・ファミリア】の有名人たちが揃ってこんなところにいるわけがない。

 

 先輩と後輩ちゃんもいる。先輩は、お(いたわ)しいとしか言えない。

 後輩ちゃんは元気そうだなぁ。

 

 ここから大分はしょる。

 狼さんとおっかない方のアマゾネスさんが言い争いを始めて、クリリンさんが身を挺して爆心地に飛び込み、新たな爆心地となって、結果クリリンさんと【ロキ・ファミリア】の五人が戦うことになった。

 

 まるで意味がわからんぞ!?

 

 五人と向かい合うクリリンさん。題して、たった一人の最終決戦、ってところか。

 く、クリリンさん死んじゃうぞ……運が良くても廃人になる!!

 

 誰もが焦るこの状況で、しかしクリリンさんはやってくれた。

 

 四人がK.O.

 エルフの子はどうやら戦意喪失。

 かかった時間はたぶん30秒ぐらい。

 

 あ、あわわわ………

 

 私の顔はそれはひどいものだったと思う。

 乙女の矜持は置いてきた。

 この戦いには付いてこれそうに無かったからな。

 

 

 

 以上が今宵の一幕である。

 

 …………お月さまがきれいだ。

 

 

 

 これなら【猛者】に勝つわけだ、などと思ってみる。

 でも同期の子に言わせると、あの五人より【猛者】(レベル7時点)一人を相手に勝つ方が難しいだろうという話だった。

 マジで? いや私には雲の上の話すぎてよくわからんのですが、五人がかりでもダメなん? 

 とか聞いたら、「私たちと同じレベル1を三人ぐらい集めてミノタウロス倒せるかどうか考えてみて」と言われた。

 遭ったこと無いよミノタウロスなんて。というか、あってたまるか。

 

 ミノタウロスとは、言わずと知れた怪物。ドラゴンなどと並ぶザ・モンスターというべき存在で、多くの英雄譚においても主人公の前に立ち塞がる強大な敵として書かれる。

 地下迷宮(ダンジョン)では中層で出現し、当然ながら通用レベルは2

 ただしパワーが凄まじいので、攻撃をまともに食らうと防御に特化してないかぎりレベル2でも致命的。

 ミノタウロスの厄介さはパワーだけではない。真に警戒すべきは、強制停止(リストレイト)効果を持つ咆哮だ。これを乱発されて動きを制限されるとレベル2が複数いるパーティーでも危ない。

 レベル3以上の冒険者がパーティーに一人もいなければ、まず戦うのを避けるべき相手だ。幸い敏捷(アジリティ)はそれほどでも無いので、遠目に見たり咆哮が聞こえたりしたら、直ちに退避行動に移るのが得策。

 以上が、ギルドナンバーワンアドバイザー、エイナ・チュール先生の御教訓(ほんッッッの一部)である。

 

 ミノタウロスですか。そんな相手と戦ったら血祭り一直線ですね間違いない。たった三匹のアリが、恐竜に勝てるわけないだろう!? と、思ったところで納得した。

 

 クリリンさんの実力はレベル8以上だとみんなが言っている。私から見ればレベル5も8も似たようなものだけれど、その差は数を揃えてどうにかなるようなものではないのだろう。

 

 私は天を仰ぐ。

 

 ああ、お月さまがきれいだなー

 

 

 ◆◆

 

 

 昼と夜が混じり合う。

 

 世界が大きく変化するこの時間帯は非常に不安定であり、また不吉であると考えられている。

 極東では逢魔時(おうまがとき)といわれ、妖怪や幽霊、異界の存在に遭いやすいとされる。

 

 加えて満月。

 

 満月の夜には、化け物が出たり、超常現象に見舞われると囁かれる。

 

 

 

 そして今

 

 一人の純朴な農夫が家路を急ぐこともなく、満月が覗きこむ逢魔時の丘に立っていた。

 

 喧騒は遠く、辺りは静まり返り、ここは既に人界(じんかい)とは掛け離れていた。

 

 これが何かの物語ならば、読者は農夫に向かって早く家に帰れと、魔物に遭う前になんとか逃げてくれと、そう思うであろう。

 

 しかし、その農夫はといえば

 

(月を見るのも久しぶりだな~)

 

 などと考えていた。

 

 読者は農夫に何を呑気なと思いつつ、その思考に何か引っかかるものを感じたことだろう。

 

 なぜ農夫がそんなことを思ったかといえば、彼が元々住んでいた世界には、もう何年も前から月が無いのだ。

 

 

 おわかりいただけただろうか。

 

 

 

 その農夫こそが

 今から災禍に見舞われるだろうと思われた物語の主人公こそが

 

 

 異界の存在であり、超常現象であった。

 

 

 

 農夫の周囲を見渡せば、大きく陥没した衝突痕、その衝突痕より四方八方に走る亀裂、抉られた大地、倒れている複数の人影が目に入る。

 

 人影の正体はいずれも第一級冒険者だった。

 

 化物退治を生業とし己の腕一本で食っていく。そんな命知らずが冒険者。

 大通りを我が物顔で歩く彼らが、会えば即座に道を譲り決して目を合わせない存在。

 それが第一級冒険者である。

 

 そんな妖怪変化(第一級冒険者)どもが全員、この農夫にぶっ飛ばされていた。

 

 

 残ったのはただ一人、か弱いエルフの少女だけ。

 か弱いとは言ってもこの少女、実は第二級冒険者である。

 その辺の化物ならばむしろ返り討ちにできる少女はしかし、この農夫の前では赤子同然であった。

 

 地面にへたり込み逃げようともしない少女に、この得体の知れない農夫が近付いてくる。

 

 嗚呼、少女の運命や如何に────

 

 

 

 

 

 しかしながら、農夫は裏の無い穏やかな笑みを浮かべて少女に話しかける。

 

「具合はどうだ?」

 

 農夫であるクリリンが、エルフの少女レフィーヤに声をかける。

 

「ぼ……ぼちぼち、です」

 

 現実に叩きのめされ憮然としているレフィーヤはなんとか声を絞り出す。

 

「立てるか?」

 

 クリリンが手を差し出す。レフィーヤがその手を取ろうとして、しかし引っ込めた。

 

「?」

 

 クリリンがレフィーヤを窺う。

 レフィーヤの視点はクリリンを通して、なにか茫洋たるものの只中(ただなか)に注がれていた。視点に引っ張られ、レフィーヤの精神もまた其処(そこ)に迷い込む。

 道も標識も無い。ただただ広かった。

 地下迷宮(ダンジョン)のような閉塞感や圧迫感、ましてや死臭など、そんなものはまったく感じない。

 しかし、此処(ここ)は間違いなく『迷宮』だった。

 どこへ向かってどう進むべきか。

 レフィーヤは完全に道を見失っていた。

 

「よいしょ、っと」

 

 クリリンはいったん手を引っ込め、レフィーヤの前で腰を下ろして胡座(あぐら)をかく。レフィーヤは虚ろな目でクリリンを見た。

 

 

『迷宮』で、エルフの少女は異世界より(きた)る農夫に出会う。

 

 

 

「ずいぶんとショボーンとしてるじゃんか」

 

「いえ、なんというか、その」

 

 レフィーヤは自分の気持ちをうまく言葉にできない。

 クリリンのあまりの強さに絶望した? それはあると思う。

 努力の限界を知って失望した? 考えられなくは無い。

 だんだんと心が動いてくる。同時に、胸が締め付けられるような気持ちになる。

 

(ああ、そうか、わかった)

 

 レフィーヤは心に浮かんだそれを言葉にする。

 

「………これからもっともっと強くなっていくあの人たちの傍に、私の居場所は無いのかなって思いまして………」

 

 今宵の騒ぎは前日譚。

 

 レフィーヤが憧れたあの人たちは確かに負けた。

 冒険者にとって負けることは、即ち「死」だ。

 でもここは終わりじゃない。ここからきっと、あの人たちの物語は始まるのだ。

 あの人たちはもっと強くなる。

 ただ、そのとき自分は何処にいるのだろう。

 レフィーヤはそう思う。

 

 

「………」

 

 それを聞いてクリリンは考える。

 正直に言えば、レフィーヤの不安に、はっきりとした答えは返しようがなかった。

 クリリンもまた、かつて切磋琢磨した親友に強さという面では大きく引き離されていたからだ。

 確かにクリリンは強くなった。どんな時でも最高の英雄で在り続けた親友も、五年前の力では今のクリリンには及ばない。

 宇宙規模でいえばごく平凡な戦闘力しか持たない地球人でありながら、クリリンは今や宇宙でも屈指の存在となった。

 それでも、いま親友がいる場所に自分が辿り着けるかというと、生きている内は無理かなと思う。

 彼の者とクリリンの実力差(距離)は、クリリンとレフィーヤの実力差(距離)よりもずっとずっと遠いのだから。

 とはいえ、限界だと思った壁を今までに何度も乗り越えてきたのもまた事実だった。それを踏まえてクリリンはレフィーヤに言葉を贈る。

 

「おまえたちがこの先どうなるか、どこまで行けるのか。それはオレにもわからない」

 

「………」

 

 レフィーヤはじっと次の言葉を待っていた。

 

「だけどよ、もっともっと強くなるのはレフィーヤ、おまえも一緒だろ」

 

「!」

 

 レフィーヤが驚いて目を見開く。それを見てクリリンは笑う。

 

「そんなに驚くことか? その気になれば、パワーはおまえの方が上じゃないか」

 

 クリリンの言うパワーとは腕力のことではない。レフィーヤの中に眠る膨大な魔力や運用しうる()()()魔法のことを指している。

 もちろんクリリンはその詳細を知るわけではないが、アイズとはまた違う潜在能力の高さは見抜いていた。

 もしその力を十全に制御(コントロール)できる日が来るならば、その時こそ世は【千の妖精(サウザンド・エルフ)】の本当の意味を知ることになろう。

 

「そ、それは」

 

 それはレフィーヤもなんとなくわかっている。単純な火力なら【ロキ・ファミリア】でもリヴェリアに次ぐといわれている。

 レベル3でこれは驚異的だ。

 だからこそ、リヴェリア手ずからレフィーヤの教育に当たっているのだ。

 

 一方でレフィーヤは自分に不満がある。

 アイズたち第一級冒険者が棲む戦場ともなると、レフィーヤ一人では我が身を守ることすら覚束無いのだ。

 レフィーヤの魔法は地下迷宮(ダンジョン)深層の怪物(モンスター)にも通用はする。

 しかし奇襲を受けて詠唱がやり直しになることもしばしばあり、それどころか自分を守るためにアイズたち前衛が攻撃を中断させてしまう。そうなると結局は長期戦になって団全体に余計な消耗を強いることになる。

 レフィーヤはそれがとても申し訳なく、自分が情けなかった。

 だが自分は魔力に特化してしまっている。あれこれ望まず長所を磨くべきかもしれない。事実、師であるリヴェリアは前衛を信じて、自らのすべきことを全うし、ファミリアに勝利をもたらしている。

 自らの領分を離れれば、それこそアイズたちを余計に追い詰めることになるかもしれない。

 それに、アイズたちは自分にそんなことを求めていない気がする。

 それでも────

 

「それでも、私は───」

 

 自分の足で立ちたい。

 レフィーヤは、後に続く自分の本当の思いを口にすることはできなかった。

 

 レフィーヤは顔を伏せてしまう。涙があふれ、頬を伝って大地に落ちる。

 

 

 大地はそれを、レフィーヤの涙を、やさしく受け止めた。

 

 

 

「おまえがどうなりたいのか、オレにはわからない。けどよ」

 

 涙を流すレフィーヤに、クリリンは内心すこし焦る。泣き顔をあまり見ないよう気を使って、クリリンは言葉を続ける。

 

「レフィーヤ、おまえが追いかけてきてくれて、アイズたちはけっこう嬉しかったんだと思うぜ」

 

「へ?」

 

 クリリンの言葉に、レフィーヤはきょとんとする。

 

「なんだよ気が付かなかったのか? ティオナなんて強引におまえを自分たちのところに引っ張ってきたってのに」

 

「あ………」

 

 そう言われれば、レフィーヤにも思い当たる節はいくつもある。畑に向かう時も、ティオナは、いやティオネだって自分を置いていったりはしなかった。

 

「あいつらのいるところは危険なんだろ? おまえを巻き込むのはずいぶん覚悟が()ったはずだ。それがよく表れてたのがベートの態度じゃねえかな」

 

「………ベートさんが」

 

 クリリンの考えを聞いて、今一度ベートに言われたことを顧みる。

 その時は、ただ弱い自分が疎まれているのだと思っていた。

 でも今思えば、覚悟がないまま巻き込まれないように遠ざけられていたのだと、そう取ることもできる。

 

「たぶん、アイズたちはおまえのことをとっくに見つけていたんだろ。でも手を出していいのか、自分たちがいる世界におまえを連れていっていいのか、ずっと機会(チャンス)を窺ってたのかもな」

 

「うぅ……」

 

 一度は引っ込んだ涙が再度あふれ出す。

 

「おまえと同じように、あいつらも落ち込んでるだろ。後衛のおまえを守れなくてな。実戦ならアレでレフィーヤは死んでたし」

 

 そう仕向けたオレが言うのもなんだけどな、とクリリンは笑う。

 

「おまえ一人が弱かったわけじゃない。一人一人に至らないところがあったのさ」

 

「………」

 

「逆にいえば、おまえのできることが増えれば、それだけあいつらの可能性が広がる」

 

「!」

 

 レフィーヤが顔を上げ、クリリンを見つめる。

 

「あいつらにはきっとおまえが必要なんだ」

 

 それを聞いて、レフィーヤは雷に打たれたような感覚を味わった。

 ふだんのレフィーヤなら顔が弛むところだが、今は神妙な面持ちで自身を顧みていた。

 

 

 

 そのときだ。

 

 

 クリリンの背後から何者かが近付いてくる気配がしたのは。

 気配はひとつ、では無い。二つ、三つ、四つ感じる。

 

「あいつら起きたんだな。はっはっは、まだまだやる気みたいだぞ」

 

 クリリンが立ち上がり、もう一度レフィーヤに手を差し伸べる。

 

「立てるか? それとも、もうやめとくか?」

 

 レフィーヤの目に、クリリンと【デメテル・ファミリア】の少女の姿が重なって映る。

 

(く、くそう)

 

 ずるい聞き方だとレフィーヤは思う。この流れで、もうやめますとは言えないじゃないか。

 きっと、ずっと手は差し伸べられていたのだ。

 レフィーヤはその手をとってようやく立ち上がる。

 自分の足で立ちたいと、そう願っていながら情けないな、とレフィーヤは思う。

 でも、そんな自分を周りは放っておいてはくれない。いじけて拗ねて落ち込んで、そんな情けない自分を見捨てずに立ち上がらせてくれる人がいる。

 いつかは自分の足で立てるようにならないといけない。しかし今はまだ、甘えさせてもらおう。

 

「私はっ、私はレフィーヤ・ウィリディス! ウィーシェの森のエルフ!」

 

 レフィーヤは叫ぶ。

 

「神ロキと契りを交わした、このオラリオで最も強く、誇り高い、偉大な眷族の一員!」

 

 レフィーヤはいまだ『迷宮』の腹の中だ。

 今はまだ立ち上がっただけにすぎない。進むべき道を見出だしたわけではない。

 今のレフィーヤにできるのは、無垢な幼子のように、光が(いざな)う方へ歩くことのみ。

 その先にどんな景色が広がっているのか想像はつかない。

 それでいいとレフィーヤは思う。ここは『迷宮』なのだ。さんざんに迷おう。たくさんの景色を見よう。試行錯誤無くして憧憬に辿り着くことなどありえない。

 

「何度屈しようと、私は何度でも立ち上がる!」

 

 レフィーヤの魔力が膨れ上がっていく。それだけではない。レフィーヤの足もとには魔法円(マジックサークル)が展開されていた。

 発展アビリティ『魔導』

 魔法の威力・効果範囲の増大、精神力(マインド)効率化といった、魔法を使用する上で様々な恩恵を与える魔法円は、『魔導』の───魔法を極めし者の証だ。

 

 

「レフィーヤ……」

 

 アキが呟く。

 

 リヴェリアもガレスも、【デメテル・ファミリア】の農夫たちも、レフィーヤを見守る。

 

 クリリンもまた、今度は手を出さずにじっと見つめていた。

 

「………なんか、思ったよりずっとすごいな」

 

 顕現し練り上げられているレフィーヤの魔力は、クリリンの想像を超えていた。

 

(なんで? いやこれが、同胞(みんな)が言ってた『スキル』とか『発展アビリティ』なのかもな)

 

 

 ふとした時にデメテルや同胞たちに教えてもらったことを思い出しながら、クリリンはレフィーヤに背を向ける。

 

【ウィーシェの名のもとに願う 。森の先人よ、誇り高き同胞よ。我が声に応じ草原へと(きた)れ】

 

 詠唱が紡がれる。

 レフィーヤはクリリンごしに()()()()を見る。

 遥か向こうにいる彼女たちは既に進むべき道を見据えているのだろうか。

 

 

「レフィーヤ、守れなくてごめん」

 

 アイズが

 

「レフィーヤ! いまそっちに行くからね!」

 

 ティオナが

 

「レフィーヤ一人で抱え込むもんじゃないわ。私たちはチームなんだから」

 

 ティオネが

 

「やるって決めたんならいつまでもウジウジしてるんじゃねえ!」

 

 ベートが

 

 四人が再び立ち上がりレフィーヤと共に挑む。

 

【繋ぐ絆、楽宴(らくえん)の契り。

 円環を廻し舞い踊れ。至れ、妖精の輪。

 どうか───力を貸し与えてほしい】

 

 レフィーヤは歌う。

 彼女たちに届くように。

 

【エルフ・リング】

 

 異界より来る超常に、五人はもう一度立ち向かう


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