地球人最強の男、オラリオにて農夫となる   作:水戸のオッサン

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其ノ九 光芒

 

 

 

 古来より農耕民族は遊牧民族や騎馬民族の脅威にさらされてきた。

 蹂躙されたことも滅ぼされたことも、珍しいことではない。

 

 この事実はデメテルや女神(デメテル)を奉じてきた人々においても、例外ではなかった。

 

 女神が愛し護りしもの。

 それを踏みにじられ穢された時のデメテルの怒りは凄まじかった。

 

 世界は飢えた。

 

 癒えることの無い渇きと飢えに、侵略者は苛まれた。

 

 

 地球にも似た話は存在する。

 

 クリリンに言わせれば、神の怒り以前の問題だろうと返すだろう。生産者を滅ぼしてしまえば、生きる道は途絶えてしまうのだから。

 

 

 そんな中でも、農耕民族は生き残った。

 暴力で肉体は支配されても、その精神の根底までは屈しなかった。

 だからこそデメテルも悪魔や悪霊になることなく、現在も力ある神として存在している。

 

 

 

 そして今、黄昏の丘にて一人の農夫に巨大な戦力が迫っていた。

 

「らぁッ!!」

 

 まるで脚だけが飛んできたような凄まじく(はや)い蹴りが農夫を襲う。

 農夫は軽く頭を動かし、猛烈な死の風がすぐそばを吹き抜けるのを横目で見ていた。

 

 蹴りを放った狼人(ウェアウルフ)が顔を歪める。その狼人、ベート・ローガの脇から追撃が来る。

 

「そこっ!」

「てえぇぇいっ!!」

 

 女戦士(アマゾネス)の姉妹が襲いかかる。

 密集した場でも驚嘆すべき柔軟性で体を折り畳み、エネルギーを蓄積させる。

 肋骨の内側を抉るような膝蹴りが農夫の両脇に炸裂した。

 姉妹の軸足を乗せた大地が、あまりの力に耐えきれず音を立てて割れる。

 同時に、蹴りの勢いで農夫は上空に投げ出されるも、姉妹の表情は芳しくない。

 

「あちゃー」

「ダメね、完全に威力を殺されてる」

 

 妹のティオナ・ヒリュテが目を丸くする横で、姉のティオネ・ヒリュテはすかさずナイフを数本投擲し、空中の農夫を狙う。

 投げナイフはあくまで牽制、ティオネ自身も簡単に対応されるだろうとは思っていた。

 

「はあぁぁぁ~~~~」

 

 農夫は息を吸い込んで体を風船のように膨らませ

 

「─────ハッ」

 

 溜め込んだ空気を一気に呼び戻した。

 巻き起こる突風がナイフを一本残らず地に落とし、それでも勢い余ってティオネたちの髪をはためかせる。

 

「…………」

「…………」

「…………オイ、誰かツッコめよ」

 

 ティオネもティオナもベートも、こういうのはちょっと予想してなかった。

 

「へっへー」

 

 得意げになる農夫の背後を、何者かがとった。

 

 ───いけっ、アイズ!!

 

 農夫が背後に気付かないよう視線や動作に細心の注意を払いながら三人はエールを送る。

 

 農夫がふとアイズの方に振り返るがもう遅い。

 既にアイズの剣は農夫の眼前に迫っていた。

 

 神速の剣閃が農夫の全身を一瞬で何度も走る。

 

「────!?」

 

 まるで空を切ったかのようにアイズには手応えが感じられなかった。

 

 農夫の顔を見れば、舌を出して悪戯(いたずら)っぽく笑っていた。

 なんだか透けて見えるその姿は、水面に映る影のごとく揺らめいて、やがて消えた。

 

 誰もが呆然とする中、ベートの嗅覚がいち早く農夫を捉えた。

 

「後ろだッ、アイズ!!」

 

 すぐに振り向くアイズの目の前にクリリンの手刀があった。

 

 おでこに農夫のチョップを受け、アイズは瓦礫と土煙を撒き上げながら盛大に墜落した。

 普通なら空中で攻撃を受けると為す術無く地面に叩き付けられるところだが、アイズは『(エアリアル)』の推進力による減速と防護によって大したダメージは受けなかった。

 これこそがアイズの強みである。すぐさま体勢を整えて上空を見る。

 

 しかし、そこに農夫は影も形も見当たらなかった。

 

「こっちこっち」

 

「うおッ!?」

「えぇ!?」

「どうなってるのよ!?」

 

 いつの間にかベートたちに紛れ込んでいた農夫に驚いて、三人は後ずさる。

 アイズも農夫の方を見て、目をまん丸にしている。

 

 道化の眷族(こども)たちは農夫にすっかり化かされていた。

 押し寄せる巨大な戦力を、クリリンなる史上最強の農夫はたった一人で押し返していた。

 彼女たちの名誉のために触れておくが、アイズたちに決して侵略や略奪の意思は無い。

 しかして、世界の覇権を握る派閥の精鋭たちがたった一人の農夫に翻弄される、これを奇劇と言わずしてなんと言うか。

 

 てくてくと、敵陣の真ん中とは思えない気楽さで歩くクリリンの後ろ姿を見てティオネは思う。

 

最初(はな)から勝算は度外視してたけど、参ったわねこれは。

 あの猪野郎、こんなのと戦ってたのか。たった一人で)

 

 しかも、【猛者(オッタル)】と()り合っていた昨日のクリリンはこんなものではなかった。もしもあのレベルでやられていたら、全員一瞬でミンチになっているはずだ。

【猛者】に少しだけ敬意を払うティオネの横で、ベートはちらりとレフィーヤを窺う。

 

【───終末の前触れよ、白き雪よ】

 

 レフィーヤの足もとの魔法円(マジックサークル)は山吹色から翡翠(ひすい)色に変化していた。

 

千の妖精(サウザンドエルフ)

 レフィーヤの二つ名の由来となった召喚魔法(サモン・バースト)『エルフ・リング』

 詠唱と効果を完全に把握したエルフの魔法に限られるが、それさえ満たせばあらゆる同胞(エルフ)の魔法を発動できる反則技(レアマジック)

 

 ベートもそれは知ってはいたが、実際に見るのは初めてだった。

 

(クリリンの野郎、こっちを舐めきってんのか、今度はあのノロマに見向きもしねぇ)

 

 召喚する魔法によっては『エルフ・リング』は絶大な威力を発揮する。

 ただし、二つ分の詠唱時間と精神力(マインド)を消費するため、発動にはそれなりの時間がかかる。

 

(今のノロマの技量じゃ三分、楽観視しても二分はかかる)

 

 リヴェリアを参考にしながらベートは当たりを付ける。二分にしても、本当ならクリリン相手に稼ぐには絶望的なはずだった。

 

「ねークリリン、レフィーヤのこと放っておいていいの? たぶん、あれリヴェリアの大魔法だよ?」

 

「はっはっは、まあなんとかなるだろ」

 

 ティオナもまた気にかけるもクリリンは軽く流す。

 ちっ、とベートは舌打ちする。それでもクリリンの思惑に乗るしかなかった。

 獣人として本領を発揮している今のベートですら、まともに捉えられる相手ではないのだ。

 クリリンに一矢報いるには、もはやレフィーヤの魔法しか残されていないことはベートにもよくわかっていた。

 

 クソがっ、と自身への苛立ちを吐き捨てながら、ベートはクリリンに向かっていく。

 

【黄昏を前に(うず)を巻け】

 

「おらぁッ!!」

 

 ベートの突撃(チャージ)を号砲に四人が再びクリリンに攻撃を仕掛ける。

 一瞬で張り巡らされる死線。

 死線によって世界は切り取られる。クリリンの立つ其処(そこ)は死の世界も同然だった。

 

 

 

 しかし────

 

 

 

 既にクリリンは四人の包囲網から逃れていた。

 置き去りにした衝撃波がようやくクリリンに追い付く。

 

「なっ────」

「くうぅっ!」

 

 それはちょうどクリリンの置き土産が爆音と共に四人を弾き飛ばしたところだった。

 

 宙を漂いながらベートは思う。

 

(俺はいったい何を見ている?)

 

 爆風にまみれながら、ベートは戦いの中でクリリンが見せた身のこなしの数々を思い返す。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 ベートの思考はまとまらない。ただ漠然と、目で見ているものだけでは、いや嗅覚や聴覚を合わせたところで、それだけではクリリンという男の実体を捉えることはできないのではないか、そう思い始めていた。

 

(単にパワーやスピードに差があるってだけじゃねえ。もっと何か根本的な違いがあるはずだ)

 

 ベートもまた天才である。

 たいていの技や動きは一度見れば対処できる。

 何度も同じ手は食わない。それがベートたちのいる次元(せかい)だ。

 

 アイズ・ヴァレンシュタイン

 世界の命運を左右するほどの天才と、クリリンが認めた剣士。

 そのアイズと共に在ることを運命付けられた者の一人が、このベートである。

 

 しかしそのベートをして、()()()()()()()()()()、そこまではまだわからなかった。

 

 

【閉ざされる光、凍てつく大地】

 

 

 レフィーヤの詠唱もあと一文を残すところまできている。心なしか気温も下がってきた。

 

「普通は、人に向けて打つ魔法(もの)ではないのだがな」

 

 まさにレフィーヤが召喚せんとするのは、エルフの王女リヴェリア・リヨス・アールヴの攻撃魔法。その事実だけで、生身の人間に向けるものでは無いと知れる。

 

「あやつならば死にはせんじゃろう。それにあの動きじゃ。まともに当たるとも思えん」

 

 リヴェリアの言葉にガレスが反応する。

 

「それはそうなのだが、どうもあの男はレフィーヤの魔法を正面から受けるつもりなのではないかと思ってな」

 

「……否定できんとこじゃのう」

 

 序章(はじまり)終焉(おわり)が刻一刻と近付いてくる。

 

 

吹雪(ふぶ)け、三度(みたび)の厳冬───我が名はアールヴ】

 

 

「いけーっレフィーヤ!」

「ぶちかませッ!」

 

 魔法円(マジックサークル)が拡大する。

 

「驚いたわ、本当にこれは」

 

「リヴェリアの、魔法───!」

 

 魔法円がまばゆい光を放ち続けている。

 

「皆さんお待たせしました! 撃ちますッ!」

 

 世界最高峰に座す魔道士の魔法(わざ)が、今ここに再現される。

 それは極寒の吹雪を呼び起こし、標的を時空ごと凍てつかせる慈悲無き白魔(はくま)────

 

 

【ウィン・フィンブルヴェトル】

 

 

 レフィーヤの唇が奏でる玉音が響くや否や、丘は灰一色に包まれる。

 今か今かとその時を待ちわびながら力を蓄えていた白き悪魔が、ついに解き放たれた。

 獲物を喰らうべく、悪魔は三条の吹雪となって丘を吹き(さら)す。

 射線から離脱するアイズたちの鼻先を細氷が(かす)めた。

 アイズの金の髪が氷の粒を纏って、一面灰色の景色の中でキラキラ輝く。

 

 白魔は触れたもの全てを凍てつかせながら、クリリンを襲う。

 クリリンは、何か言葉を発しようとした姿そのままに凍りついた。

 それにとどまらず、無数の雪と氷が次から次へとクリリンの氷像に喰らい付き、白魔は際限無く肥え太る。

 

 

 やがて吹雪は少しずつ止み、視界が回復していく。

 アイズたちはそこに、巨大な氷柱が天に向かって突き立っているのを見た。

 

 冷やされた水滴が白い煙となって丘を流れていく。アイズたちはまるで雲海に足を浸しているようだった。

 

 

 終焉は訪れた。

 光はたしかに閉ざされた。

 

 

 

 そのはずだった。

 

 

 勝鬨(かちどき)は上がらない。

 なぜなら、今の今まで場を支配していた気配は、なお色濃くこの場に立ち込めていたからだ。

 

 

 不意に大きな音が立ち、レフィーヤの背筋が凍り始める。クリリンを封じた氷壁の一部が、剥がれ落ちて砕けていた。

 

「わ、私は、全力でやりました…………

 あれが、あれが都市最強…………!」

 

 莫大な熱を(はら)んだ氷柱が、耐えきれず溶かされていく。

 

 底抜けに明るいティオナも、これにはさすがに笑顔が引きつっていた。

 ベートとティオネはこの世の終わりをこの目で見たと言わん表情だ。

 アイズは────なんだかワクワクしていた。

 

 氷壁は後を追うように次々と剥がれ落ちる。

 アイズたちは見た。

 解けた氷の中にいる恐竜を。

 

「うひぃ~~~(さっび)ぃ」

 

 氷塊を蹴り砕きながら、クリリンが姿を現した。

 

(寒いとか、そういうレベルじゃねえはずだろそれはッ!)

 

 その言い分はもっともであるが、もうベートに、口に出してまでつっこむ気力は残ってなかった。

 

「あはは……ぴんぴんしてるや」

 

「クリリンは不死身か何かなのかしら」

 

 乾いた笑いが出るティオナの横で、ティオネもクリリンのタフさに呆れ果てている。

 ただ、ティオネが放り投げるように出したその言葉は、ある意味クリリンという人間をよく表していた。

 

「……えへへ、さすがにちょっとガックシきたかも」

 

「ティオナさん……」

 

「あっ! ごめんレフィーヤを責めてるんじゃなくって!」

 

「いえいえ! ティオナさんがそういうつもりじゃないってことはわかってますから!」

 

「レフィーヤの魔法はすごかったよ! 想像以上だった!」

 

「あ、ありがとうございますっ!」

 

 ティオナとレフィーヤがワタワタしながらフォローし合うのを見て、なにやってるのよ、とティオネはため息をつく。

 

(それにしてもティオナが弱音を吐くなんて。いつ以来かしらね)

 

 いつも前向きで、腹立たしいほど明るい(ティオナ)があんな風に気を落とす姿など久しく見た覚えがなかった。もしかしたらあの国を出てからは初めてかもしれない、とティオネは思う。

 

(私もちょっと、疲れたわ)

 

 ダメージなんてほとんどない。ただ、精神的にはかなり消耗していた。

 手玉にとられ、意表を突かれ、自分の力は空振りし、時には自分の力に殺されかけて────

 

 ティオナだけではない。ティオネとベートも疲弊していた。

 

 

 悄然(しょうぜん)とするティオナたちを、レフィーヤもまた初めて見た。

 

(ティオナさんたちも、こんな表情(かお)をするんだ)

 

 レフィーヤは、彼女たちの背中に守られているばかりだった。

 彼女たちは何時(いつ)だって強く、輝いていた。

 どんなに強大な敵を相手にしても、常に勝利を手にして帰ってきた。

 だが────

 レフィーヤからは見えなかっただけで、彼女たちは何時(いつ)だって苦難と苦悩に向かい合っていたのかもしれない。

 

 レフィーヤは自身の手の平を見る。

 

(クリリンさん……私の力は、本当にこの人たちの力になれるんですか?)

 

 レフィーヤは自分の手に与えられた温もりを思い出す。

 少女の言葉が、クリリンの言葉が、レフィーヤを奮い立たせる。

 

 

「皆さん、私にはもう一発だけ撃てる魔法があります」

 

 レフィーヤの言葉に、ティオナたちが顔を上げる。

 

「さすがにもうリヴェリア様の魔法は使えません。でも()()()()なら、あと一発分の精神力(マインド)は残っています」

 

「レフィーヤ、アンタどんだけ精神力持ってるのよ……」

 

 ティオネは聞いて呆れる。さっきの魔法を使うだけでも、普通のレベル3ならば数人分の精神力が必要なはずだ。そんな魔法(もの)をぶっ放しておいて精神疲弊(マインドダウン)を起こさないだけでも大したものだというのに。

 昨日からこっち、何かにつけて呆れてばかりだとティオネはため息をつく。

 

「レフィーヤ、その魔法ならクリリン相手でもなんとかなりそう?」

 

「え、えーとですね」

 

 ティオナの真っ直ぐな問いに、レフィーヤは言い淀む。

 

「はっきり言うと、悪あがきにしかならないと思います。ですけど、最後の最後まで自分の力をふりしぼってみようかなって、そう思いまして」

 

 尻すぼみに勢いが小さくなるレフィーヤに、そっかーとティオナは朗らかに笑う。

 

「うんうん、そういうのあたし好きだなあ。よっし! なんか元気でてきたっ」

 

 ティオナに活気が戻るのを、レフィーヤは口を開けたまま見ていた。

 

「オイ」

 

「ひっ!? な、なんでしょうかベートさん?」

 

 ベートがレフィーヤに何を言うのか、ティオナとティオネはしっかりと目を光らせていた。

 

「……テメエの魔法だけは認めてやる。クリリンの野郎に吠え面をかかせろ。いいな」

 

 それだけ言って、ベートは背を向ける。その背を、レフィーヤはぽかんと見つめる。

 

「う~ん、今のはどうかなあ。ねぇティオネ?」

 

「まあベートにしてはマシなんじゃないの? ベートにしては」

 

「聞こえてんぞ! このクソ女どもッ!!」

 

「クソ女とはなにさー!」

「うるせえぞクソベート! 尻の穴に串ぶっ刺して火の中に蹴り込んでやろうか!?」

 

「は、ははは……」

 

 騒がしい【ロキ・ファミリア】が帰ってきた。遠目に頭を抱えるリヴェリアとアキ、豪快に笑い飛ばすガレスが見える。

 

「レフィーヤ」

 

「───!? アイズさんっ」

 

 後ろから声をかけられて、レフィーヤは慌てて振り向く。

 

「ありがとう、レフィーヤ」

 

 なにがですか!? ともなんとも言えず、レフィーヤはただただアイズの表情に見とれていた。

 ティオネたちもケンカするのを忘れて、すっかりアイズに目を奪われていた。

 

「ア、アイズさん……その表情(かお)

 

「なにか、ヘン?」

 

「いいえッ滅相もございませんッ!!」

 

 思わず赤面したレフィーヤは豪速で首を振り、目一杯否定の意を表す。

 

 ティオナは満面の笑顔を浮かべ

 ティオネもまた赤面し

 ベートはどぎまぎさせられる

 

 アイズは目を輝かせ、微笑んでいた。

 決して情感を前面に出しているわけではない、こまやかな笑み。

 しかしそれは、普段のアイズを知る者たちからすれば、大ごとも大ごとだった。

 

「どうしたの、アイズ? なんかすっごく嬉しそうじゃん!」

 

 アイズよりよっぽど嬉しそうなティオナが、アイズの両肩を掴んで前後に揺する。

 

「バカティオナ! やめなさいよ!」

 

 ティオネが後ろから羽交い締めにして、ティオナをアイズから引き剥がす。

 

「アイズさん、何かあったんですか?」

 

 いまだに瞳が揺れているアイズに、レフィーヤが問う。

 

 ティオネたちやベートの視線も浴びて、アイズは気恥ずかしさに身を縮めながらも言葉をしぼりだす。

 

「もっと、強くなれそうな気がしたから」

 

「!」

 

 行き詰まっていたアイズにとって、クリリンとの戦いは楽しかった。

 

「そこに道はあるんだ、って教えてもらった気がするから」

 

 アイズの才に、技に、周囲は惜しみない称賛を送った。

 だが裏を返せば、アイズをその先へ導く者は誰もいなかった。

 人はアイズを頂点に立った剣士という。しかしアイズにとってここは、絶壁の前でしかなかった。

 そんなアイズの前に現れたクリリンは、文字どおり風穴を開けた。

 

「クリリンと戦って、驚いた。頭が追い付かなかった。ちょっと、くやしかった。でも、楽しかった」

 

 クリリン相手にアイズは終始、空回りした。

 ただそれは、クリリンの速さだけが理由ではないと、アイズも気付き始めている。

 そこにクリリンはいるはずだ、あるいはこんなところにクリリンがいるはずがない。

 無意識の先入観が、極限の世界でアイズの動きを鈍らせる一因になった。

 

 クリリンの一手一手は、アイズの目を覚まさせた。

(エアリアル)』を破られたときも、およそ完全無欠としか思えない技の、わずかな虚を突かれたのだ。

 アイズは知る。さらなる進化の可能性を。

 

 いつになく感情を口にするアイズに、四人は内心で驚いていた。

 楽しかった、なんて言葉がアイズから出るとは思わなかった。

 

「それに……」

 

「それに?」

 

 視線が泳ぐアイズに、レフィーヤはつい気がはやる。

 

「……こうやってみんなと戦うの、楽しいかな、って」

 

 カァっと顔を赤くするアイズのあまりの可憐さに反応が追い付かず、時が止まる。しかし、それも一瞬。

 

「!?」

「!?」

「!!」

「~~~~~ッ!!」

 

 一気に押し寄せる感情に、四人の頬もみるみる紅潮する。

 

「アイズ~~、あたしも楽しかったよっ!」

 

 こらえきれずティオナがアイズに抱きつく。

 

「わたしもです! アイズさんとご一緒できて、楽しかったです!!」

 

 レフィーヤはその思いをしっかり言葉にして伝える。さすがにティオナのように抱きつく勇気はなく、悔しさと羨ましさとが()い交ぜになっていた。

 

「アンタ、さっきまでしょんぼりしてたのに調子がいいわねえ」

 

 ティオネは(ティオナ)を冷やかして、こみ上げる情動をなんとかごまかそうとする。

 その横でベートはそっぽを向いて、片手で顔を覆っていた。が、赤くなった耳までは隠せていない。

 

 アイズはそんな四人を見て、目を細めるのだった。

 

 

 

 ────さて、アイズたち五人の頭上では

 

(はらへったな)

 

 今にも崩れそうな氷塊のてっぺんで、クリリンが寝そべっていた。

 腹が冷えるどころか、凍傷で体表が壊死しかねない状況だが、気を適度にコントロールすることでクリリンの体は全く機能を損なうことなく動いている。

 

 レフィーヤの魔法を受け切った後、なんだか局面(イベント)を迎えてしまったので、様式美を守り黙って待っていたクリリンである。

 

 不意に、クリリンが乗る氷塊がぐらりと傾く。それを体をずらしてバランスをとろうとするクリリン。

 そのとき喜劇は起きた。

 

「へ?」

 

 つるん、とクリリンの体は氷塊をすべる。

 

「うおわっ!?」

 

 クリリンは空中に投げ出され、同時に氷塊は崩れ落ちる。

 

「いぃっ!?」

 

 重力に引っ張られ、ぐんぐんと地面が近づいてくる。

 舞空術でもなんでも使えばいいものを、クリリンは律儀に崩れ落ちた氷塊の上に墜落する。

 内側から溶かされた時点で息も絶え絶えだった白魔は、最期に大きな悲鳴を上げて粉々に砕け散った。

 

 アイズたちがあわててクリリンの方を向く。

 舞い上がった白魔の残骸が星のように輝いて黄昏の空を彩る。

 その奥でクリリンが起き上がるのを、アイズはじっと見ていた。

 クリリンはアイズより小柄だった。

 見た目は完全に人間だった。

 だが、積み重ねたものは遥かに遠い。

 人間が行きつけるところまで行ってしまった人間だった。

 

 アイズがレフィーヤを見て頷く。それを受けて、レフィーヤは杖を掲げて詠唱に入る。

 

 アイズたちが一斉に仕掛ける。アイズの感情の発露が五人の団結を高めていた。

 気運もまた高まる。

 こういうとき、物語は動くものだ。

 

 だが────

 

 

「ほい」

 

「くっ!?」

 

 形勢は揺らがない。

 

 真っ先に飛び込んだのはやはりベートである。アイズ、ティオナと続き、ティオネが中距離から隙を窺う布陣。

 

 絶え間無く攻め立てるアイズたちを、クリリンは躱し、いなす。

 ここだ、とティオネが構えると、とたんにクリリンと目が合う。ぎくりとしたティオネはナイフを持つ手をおしとどめる。

 

 ふーっ、とティオネは息を吐く。

 さっきから何度も仕掛けようとしているが、さっぱりうまくいかない。

 不思議なものだ。

 クリリンには隙も遊びもあるように見えるのに、ここぞという時に攻め切れない。

 ティオネはそう感じていた。

 

 傾いた天秤は微動だにしない。

 

(あー落ち着け私。どうせ勝てやしないんだから)

 

 こん、とティオネはこぶしを額に当てる。

 

 ───最後の最後まで自分の力を

 ───もっと強くなれそうな気がして

 

 レフィーヤとアイズの言葉を、ティオネは思い出す。

 

(自分の力を試して、もっと強くなるためのきっかけになればいい)

 

 ティオネはそう思い直して、再び戦場を駆ける

 

【解き放つ一条の光、聖木の弓幹(ゆがら)

 

 

「うおっ!?」

「あ痛っ!!」

 

 目まぐるしい戦場で、ベートとティオナが正面からぶつかる。

 

「テメーどこ見てんだ!?」

 

「ベートこそ、そんなところで突っ立ってないでよ!」

 

 二人が顔を突き合わせて唸る。

 そこに現れたのがクリリンだ。

 第一級冒険者である二人が戦場でこんなへまをしたのも、何を隠そうクリリンのちょっとした陰謀である。

 

 二人は同時にクリリンの方を向き、どちらともなく「げっ」と漏らす。

 

 クリリンはニッと笑って、二人の脳天に手刀をおみまいする。

 憐れ二人は仲良く撃沈し、うずくまって頭を手でおさえている。

 

 そのとき、クリリンの背後へそろーーっと忍び寄ってきたのがアイズである。

 

 ピタッと止まったのは一瞬、えいやっとアイズの剣がクリリンの頭に振り下ろされる。

 

 直撃

 

(……やった)

 

 初めてクリーンヒットに成功したアイズは、内心でひそかに喜ぶ。

 

 しかし、ここでアイズは剣を通して感じ取る。

 エネルギーのようなものがクリリンの全身を薄く覆い、流れていることを。

 

(これは、なに……?)

 

「気、ってやつさ」

 

 ぎくりと肩が跳ねるアイズに、クリリンは笑う。

 

「どうして、わかったの? 私の考えている事」

 

「いやどうしてもなにも、顔に書いてあるぞ?」

 

 アイズの剣から頭をどけながらクリリンは言う。当たり前のように無傷なのは、もう誰も違和感を覚えなかった。

 

 そんなにわかりやすい表情をしていただろうかと思って、剣を戻したアイズは空いている方の手で顔をいじる。

 

「……言っとくけど、文字で顔に書いてあるわけじゃないぞ?」

 

「……そんなこと、思ってないもん」

 

 クリリンもさすがにそれは無いと思っていたが、確認せずにはいられなかった。

 それもこれも親友のせいである。まさかという時でもボケるので、油断もなにもあったものではない。

 師のもとで共に修行していた頃は、親友のボケで何度ずっこけたかわからない。その度にクリリンと武天老師がツッコんだりフォローしたりと大忙しだったことをクリリンは思い出す。

 

 アイズはからかわれたとでも思ったのか、ムスッとして頬をふくらませてしまう。

 そんなアイズをなだめて、クリリンは言う。

 

「わるかったって。なんなら気のコントロールを今度教えてやるからさ」

 

「本当? 私にも使えるの?」

 

「ああ。ちょっと難しいけど、気は誰にでもあるからな。さっき空飛んだろ? あれも気の応用だ」

 

(あ……)

 

 

【汝、弓の名手なり】

 

 レフィーヤの魔法円が再び輝き始める。

 

「クリリン」

 

「ん?」

 

「クリリンは、昔から強かったの? 私ぐらいのときにはもう、今ぐらい強かった?」

 

「アイズ、おまえいくつなんだ?」

 

「十六」

 

「十六かー」

 

 クリリンは記憶を引っ張り出す。

 

(あれ? たしかそんぐらいの時じゃなかったか? ()()()死んだの)

 

 正確にいえば、十六歳の頃は第22回天下一武道会に向けて修行中であった。

 その時点で、クリリンはめちゃくちゃ強かった。

 事実、その翌年に迎える天下一武道会、これは武道の祭典としてはオリンピック以上の権威を持つ大会であり、地球上のあらゆる達人超人が集まるのだが、予選はかすり傷ひとつ負わず通過。

 結果は二大会連続四強入り。例年ならば優勝してもおかしくないレベルだった。

 準決勝で敗退した相手が相手だけに、少々くやしい思いはあったものの、実力を出しきった上での納得できる結果であった。

 大会をおよそ最高の形で終え、輝かしい未来が待っている────はずだった。

 

 初めてクリリンが死んだ───否、殺されたのは十七歳のときである。

 大魔王の眷属

 クリリンの命を奪ったのはそういう存在だった。

 クリリン自身、そのときはわけもわからず殺されてしまったが、生き返った後で武天老師やヤムチャたちに聞いた話だとそういうことらしい。

 

「オレがアイズぐらいの頃か~ 正直あんまり覚えてないんだけど」

 

「………」

 

 アイズはドキドキしながらクリリンの言葉の続きを待っている。

 

「たぶん、オッタルよりは強くて、大魔王にはぜんぜん敵わない。そんな感じかな」

 

「!!?」

 

 当時、大魔王の強さは異次元だった。

 クリリンがようやく大魔王の強さを超えたのは、天界で修行を始めてからだ。ほんの五、六年前のことである。

 

 それはともかく、今の発言にはアイズにとって絶対に聞き逃せないワードがあった。

 

「大魔王って、本当にいたの??」

 

「そうだな、いたというか……」

 

 クリリンは大魔王そのものは知らない。だから、これはクリリンの推測に過ぎないが、この世界には───

 

「今でも大魔王っぽいやつはいるみたいだぜ。

 それも一体や二体じゃない」

 

「!?」

 

 あっさりと爆弾発言をするクリリンに、アイズは言葉を失う。

 

【狙撃せよ、妖精の射手】

 

 

「……今のクリリンなら、大魔王が何体いても、倒せる?」

 

 大魔王らしき存在がこの世には何体もいる。

 荒唐無稽な話だが、他でもないクリリンの口から出る言葉なら、決して無視はできない。

 アイズとしてはどうやってその情報を得たのかも気になるところだが、話を整理すれば『大魔王』はあの【猛者(オッタル)】よりも遥かに強い存在らしい。そして、十六の頃とはいえクリリンよりも。

 どう考えても絶望的にしか思えないアイズがまず確認したかったのは、今のクリリンの勝算だった。

 

「昔なら怖いって思う強さだけど、今ならそんなことはないな。一発で終わるだろ」

 

 そういって調子よくクリリンは笑う。しかし、実はこれでもずいぶん控え目な表現である。

 今のクリリンなら『大魔王』といえど、気合だけで粉砕できる相手だ。

 この畑から出る必要すらない。この地にいながら全ての存在を滅ぼすことも可能だ。

 

「大魔王、放っておいていいの?」

 

 アイズがじとっ、とした目でクリリンを見つめる。

『大魔王』が英雄譚に出てくるような存在なら、決して放置はできないはずだ。

 もちろんそれほど強大な敵を相手にするなら、お出かけ気分で行くわけにはいかない。

 まず勝算。そして資金。

 仮に『大魔王』があの『黒竜』クラスなら、派閥単独での撃破は不可能だ。連合で対処することになろう。

 そうなれば指揮系統や連携が問題になってくるし、撃破成功時の利益の分配なども事前にある程度は話し合っておかなくてはならない。

 すると、『大魔王』を倒して得られる報酬(リターン)も計算しておく必要がある。

 問題は芋づる式に出てくる。いろいろ考えていたら実行までに一年二年はかかりそうだ。アイズはこういうことを考えるのは苦手だった。

 だからこそクリリンという戦力は貴重だ。【デメテル・ファミリア】には失礼かもしれないが、農夫をやってる場合ではないとアイズは思ってしまう。

 

「今のところ問題はないと思うぞ。目立った動きはないし。

 それに、いいやつだって同じぐらい数いるしな」

 

 クリリンのいう『いいやつ』

 それはデメテルが言っていた霊獣や神霊、聖霊の類いだとクリリンは思っている。

 ここでクリリンは気付く。アイズが食い入るようにこちらを見ていることを。

 

(ちょっとしゃべりすぎたか)

 

 クリリンの持つ情報は相当な価値がある。これは取引材料になるはずだ。

 クリリンもまた、異世界にとばされた原因を探るために情報がほしいのだ。

 探索系派閥の最大手【ロキ・ファミリア】はよい取引相手になりえる。

 

(まあアイズたち見てると、取引なんて堅苦しいことしなくてもいけそうな気がするけどな)

 

穿(うが)て、必中の矢】

 

 まだまだ話し足りなさそうなアイズを、クリリンは制する。

 

「そろそろレフィーヤの魔法が完成しそうだ。話はまた今度な」

 

「~~~~っ!」

 

 さっきよりもいっそうむくれたアイズは、しかし出かかった言葉を飲み込んでティオナたちのところに跳ぶ。

 

「クリリンとなに話してたの?」

 

 アイズたちの様子を見て待機していたティオナが早速、事情を訊いてくる。

 

「クリリンは、なにか世界の重大な秘密を、知っているのかもしれない………!」

 

「え!?」

 

 ティオナは思わずクリリンたちの方を見た。

 

 

 

 レフィーヤは集中する。

 この魔法に、精神疲弊(マインドダウン)ぎりぎりまで力を込めた。

 

(これで何かが変わる)

 

 魔法円が(まばゆ)く光だす。

 

 レフィーヤが今朝めざめた時は、昨日と同じ今日が繰り返されるのだと思っていた。

 

 レフィーヤは小さく笑う。

 今日一日、いや半日にも満たない時間で、ずいぶん濃密な時間を過ごしたものだとそう思う。

 

(きっと今から自分は変わる。いや、もう変わっているのかもしれない)

 

 クリリンは言った。

 レフィーヤが変われば、アイズたちの可能性も拡大すると。

 今はまだ小さな変化かもしれない。

 それでも小さな変化を積み重ねていけば、いつの日かアイズたちの力になれるかもしれない。

 アイズたちの可能性が広がれば、それはきっと、世界の運命すら変えることになるだろう。

 

(これで最後だ……!)

 

 レフィーヤの魔法円がより強く輝く。

 

「【アルクス レイ】ッ!!」

 

 レフィーヤから光の矢が射出される。

 

 アイズたちには光が(またた)いたようにしか見えず、その光の矢が眼前を通りすぎた認識はまるで無かった。

 

 

 それをクリリンは

 

 

 上空へ飛んで躱す。

 

(どういう神経してんだ、アイツはッ!!)

 

 ベートが歯ぎしりをする。

 

 

 空振りしたレフィーヤの矢は、そのまま地平の彼方へ消えていくかのように思われた。

 

 

 だが

 

 

「!?」

「曲がった!?」

 

 

 光の矢は向きを変え、大きな曲線を描きながら上空のクリリンを追う。

 

 照準を定めた相手を自動追尾する、これが『アルクス・レイ』

 レフィーヤの魔法のひとつだった。

 

 どこまでも追いかける。

 そんな意思がこもった魔法。

 

(やっぱり、そういう技だったか)

 

 クリリンは矢に狙われつつも、軽やかに引き離す。

 しかしレフィーヤの矢はなかなかしぶとい。

 

(このまま、アレが燃え尽きるまで鬼ごっこをしてもいいが……)

 

 光の矢が燃え尽きるのを待っていたら相当に時間がかかりそうだった。

 クリリンはさらに上空へ飛ぶ。それを追って、矢は空の果てに向かって螺旋を描いていく。

 

(パワーだけならさっきの魔法のがすげえけど、こっちの魔法の方が()()()()()()な、レフィーヤ)

 

 クリリンは静止した。

 頂天に佇むクリリンに、一度は引き離された光の矢がぐんぐんと迫ってくる。

 

 アイズたちは見た。

 宵闇が覆う天空に、一条の光が闇を切り裂きながら頂天を貫かんとするのを。

 アイズたちは思わずこぶしをにぎりしめる。

 

 

 か細くも力強い一条の光は、まっすぐに尾を伸ばしながら向かっていく。

 そうしてクリリンに命中する寸前────

 

 

 

 

 一条の光は

 

 

 巨大な光球に飲まれて消えた。

 

 

 

「なっ───」

「なにっ!!?」

 

 

 クリリンを中心に、目で見てわかるほどの巨大なエネルギーの塊が膨らんでいく。

 

「さて、レフィーヤも弾切れみたいだし、そろそろメシにしよう。

 締めはどーんと派手にいくか」

 

 クリリンを覆っていた巨大な光球が、内包するエネルギーを保ったままクリリンの手のひらに収束していく。

 見た目は派手だが、威力はさほどでもない。きちんとコントロールしている。

 

(技の名前は………付けてなかったな)

 

 アイズやレフィーヤみたいに技の名前を叫んでみようかと思ったクリリンだが、断念する。

 

「それっ!」

 

 クリリンの手からエネルギー弾が打ち出され、地上のアイズたちのもとへ向かう。

 

 だが、アイズたちにとってスピードは捉えられないほどではない。レフィーヤの『アルクス・レイ』の方がずっと速かった。

 

「クソッ! なんだありゃ魔法か!? 詠唱してたか今!?」

 

 ベートたちは跳び上がって光球を躱す。

 光球の威力は凄まじいが、レフィーヤですら十分逃げ切れるほどのスピードしかなかった。

 

「あれも、クリリンが言ってた『キ』?」

 

 アイズは眼下を這うエネルギー弾を見てそう思う。

 そのときアイズは異変に気付いた。

 

「みんなっ──」

 

 そう言いかけたアイズの眼前をエネルギー弾が追い抜いていき、再び上空へ舞い上がっていった。

 

 アイズは急いでクリリンを見る。

 クリリンはいつの間にか上に伸ばしていた腕を────今、振り下ろした。

 

 直後

 

 上空に達した光球が強く輝き、弾ける。

 光球の残骸は数え切れぬほどたくさんの光の筋となって地上に落ちてくる。

 

「あ…………」

 

 それはまるで流星群のようで、不覚にもアイズは見とれてしまった。

 

 これが、そのときアイズが覚えている最後の光景だった。

 

 天上より降り注ぐ光の奔流に、アイズたちは為す術無く飲み込まれていった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 オラリオから伸びる道の遥か彼方に、夜道を急ぐ一台の馬車がいた。

 

 荷台はさまざまな物でごった返し、車輪が起伏を過ぎるたびにゴトゴトと音を立てる。

 

 その荷台の隅に、木箱に背を預けてすやすや眠る一人の少年がいた。

 

 歳の頃は十三か十四。

 体つきは同年代の少年たちと比較すると華奢で、顔立ちも男にしてはずいぶんとかわいらしい。

 服装は野暮ったく、いかにも田舎から出てきたばかりという風体だった。

 総じて、なんとも頼りない印象を受ける。

 

 

 不意に、少年が眠る荷台へ外から光が差し込んできた。

 もう日も沈みかけているというのに、この光はいったいどこから迷い込んできたのか。

 その不思議な光はまっすぐ少年のもとへと向かい、彼のまぶたをくすぐった。

 

「ん……」

 

 まぶたがゆっくりと開けられ、その奥から紅い瞳が覗く。

 少年はまぶたを半開きにしたまま暫し寝ぼけていたが、突如スイッチが切り替わったかのように目を見開き、がばっと立ち上がる。

 揺れる馬車に足をとられ、白い髪を乱しながら少年は御者台へ向かう。

 

「おじさんごめんっ! 寝ちゃってた!」

 

 幌から顔を出し、少年は馬を御する壮年の男に声をかける。

 

「あ、ああ、それは気にしなくていい。あんなところじゃ疲れも取れんだろうが……」

 

 男の気遣いに安堵するのも一瞬、少年は男の貼り付けたような笑みに違和感を抱く。

 

「おじさん、どうしたの? 何かあった?」

 

 男の表情から何か不穏なものを感じ取る。

 もしや野盗か獣にでも出くわしたのではと、少年はあわてて周囲を見渡す。

 

「いや大丈夫、心配は無い、みたいだ」

 

 少年は首をかしげる。見たところ、たしかに危機が迫っているという感じではない。

 だが、男の言葉は何か引っ掛かる。

 

 男は前方を指差してこう告げる。

 

「さっき向こうの空が光ってな」

 

「空が光った……? 雷じゃないの?」

 

「いや雷って感じじゃなかったな。向こうの空全体が光って、しばらく昼間みたいに明るくなったんだ」

 

 少年は男の指差す方を見つめる。その方向は街道の先、町の灯りがうっすらと見える。今夜はあの町で過ごす予定だ。

 

 町の向こうへも道は続く。街道沿いには多くの町や集落があり、その果てには世界の中心・迷宮都市オラリオがあるはずだ。

 

「オラリオにいる神様がなにかしたのかな?」

 

「はははっ、そうかもしんねえな!」

 

 男もどうやら持ち直したらしく、それを見て少年の表情もまた明るくなる。

 

 

 男は行商人だった。

 オラリオへの道すがらこの少年と出会い、旅路を共にしていた。

 田舎を出たばかりで、まだ人を疑うことを知らない純朴な少年が、男のようなお人好しに出会えたのは幸運といえよう。

 

「ねえおじさん。オラリオにはあと何日ぐらいで着くかな?」

 

「そうだなあ、順調にいけば十日ってとこじゃないかい」

 

「十日かあ」

 

 世界の広さに比べればそれほど遠い道程では無いが、少年にとっては遥かに遠い場所のように感じる。

 そんな遠きオラリオへ、少年は思いを馳せる。

 十日後の自分は、オラリオに着いてはしゃいでいるのだろうか。あまりの喧騒に右往左往しているだろうか。

 二週間後の自分は、どこかの眷族(ファミリア)の一員となって、未だ見ぬ神様や仲間たちと仲良くやっているのだろうか。寂しくて泣いてしまってはいないか。

 一か月後の自分は、もう地下迷宮(ダンジョン)に潜っているだろうか。

 ────運命の女性(ひと)には会えただろうか。

 

 そんなことを想像していると、少年はなんだか可笑しくなってしまった。

 

 男はそんな少年を見て、なにやってんだかと笑う。

 

「まあ気を付けろよ? オラリオにはいろんなやつがいる。そりゃあ俺なんかよりよっぽどいいやつだってたくさんいるが、とんでもねえ悪党もたくさんいるからな。

 おまえは見た目でナメられやすいから、気ぃ引き締めていくんだぜ、クラネル」

 

「うんっ! ありがとう、おじさんっ!」

 

「そういうとこ、本当心配なんだがなあ」

 

 素直にすぎる少年に、男は苦笑する。オラリオでは苦労するんじゃないかと、男は心配になる。

 

 白髪紅眼の少年ベル・クラネルを乗せた馬車は、少しずつ少しずつオラリオに近付いてきていた。

 

 

 ◆◆

 

 

「ん……」

 

 敷物の上に寝かされていたレフィーヤの意識が回復し始める。

 

(私、生きて……)

 

 だんだんと思考がまわり出す。

 意識を失う直前に瞳に映ったのは、地平線の向こうからお日様が戻ってきたかのような光景だった。

 大魔法

 魔力は感じなかったが、それと同等以上の規模だったとレフィーヤには思える。

 クリリンが自分たちを殺すはずはないとわかってはいたが、「あ、わたし死んだ」と思わずにはいられなかった。

 

(あれだけの速度で空を飛びながらあんな大技を………)

 

 それまで圧倒的な身体能力や体術ばかりに目が向いていた。しかしここにきて、あんな隠し玉があったとは。

 レフィーヤの気が抜ける。

 引き出しが多すぎだ。

 もうちょっとなんとかなるものと思っていたら、最後の最後で突き放された気分だった。

 体術だけでもレフィーヤは瞬殺されたのに、飛行の技やあの光の弾幕をからめられたら、いよいよもって手が付けられない。

 

 一方で、クリリンの動きがレフィーヤの理想の先にあるとも思っていた。

 

(並行詠唱……)

 

 魔法の暴発等を防ぐため、通常は静止して行う詠唱を、動きながら行う離れ(わざ)

 ただ、今のレフィーヤにはおいそれと習得できるものではない。

 

(それとも、魔力を感じなかった、というのがヒントになる……?)

 

 枕上で思考に耽っていたレフィーヤがふと、近くから漂ってくる香りと体温に気付く。

 

 なんだろうと思い、頭を向けるレフィーヤが直後かたまった。

 

 

(天使ッ…………!!)

 

 レフィーヤの眼前には、すうすうと寝息を立てるアイズがいた。

 レフィーヤは自身の内から湧き上がるナニかを必死に押し止めようとする。

 

(あ、あああ、アイズさんッッ! 肌白いッ! まつげ長ッ!!)

 

 いまだかつて、アイズとレフィーヤがこれほどまでに接近したことがあっただろうか。

 

 アイズの艶やかなくちびるにレフィーヤの目が吸い寄せられる。

 ごくりと喉を鳴らす。

 

(な、なにこの胸の高鳴りは………?

 だ、ダメだって!)

 

 ほぼゼロ距離で放たれるアイズの神々しさが、レフィーヤに自身が女であることを忘れさせる。

 

(アイズさんッ………!)

 

 この力には抗えない。レフィーヤの理性がまさに決壊する寸前────

 

「レフィーヤ、気が付いたか」

「はぁうっ!?」

 

 頭上から降ってくるリヴェリアの玲瓏な声にレフィーヤは飛び起きる。

 

「アイズなら無事だ。レフィーヤより先に一度めざめたが、また寝てしまったようだな」

 

「そ、そうですかあ………」

 

 自分の粗相がバレておらず、レフィーヤは胸を撫で下ろす。

 そんな内心は知る由もなく、リヴェリアはレフィーヤに微笑む。

 

「よくがんばったな」

 

「リヴェリア様?」

 

 突然の賛辞に、レフィーヤはきょとんとする。

 

「おまえは堂々と戦い抜いた。私から見てもクリリンという男は強かった。心が折れても、自分を見失うことになっても、誰もおまえを責められやしなかったろう。

 だが、おまえは最後まで戦った」

 

「───!」

 

「おまえが今日一番大きく成長したかもな」

 

 リヴェリアの口もとがゆるむ。レフィーヤの成長を、リヴェリアもまた心から喜んでいた。

 

「いえ、わたし一人ではとっくに折れていたと思います」

 

「ふむ」

 

 レフィーヤは今日を振り返る。

 

「アイズさんたちも、そしてクリリンさんも、みなさん本当に強かったです。私じゃどうしようもないと思いましたし、どうこうしようという気も失せるところでした」

 

「………」

 

「ですけどクリリンさんが、私が強くなればそれだけアイズさんたちの力になれるって言ってくれて……

 えへへ、単純ですよね私」

 

 レフィーヤが困ったように笑う。

 

「事実だ。クリリンの言う通り、我々はおまえの力を必要としている」

 

「リヴェリア様……」

 

 レフィーヤの顔が熱くなる。

 

「リヴェリア様、明日から並行詠唱の手ほどきをお願いしてもいいですか?」

 

「よかろう。だが遠征も近い。無理に自分の戦法(スタイル)を変えようとはするな」

 

「はい、わかっています」

 

 そんな師弟のやりとりが終わるのを見計らったかのように、向こうから歌声が聞こえてくる。

 

 それを聞いた二人の表情がなんともいえないものになる。

 

「こ、これは」

 

「どうも、音痴の一言では済ませられない何かがあるな………」

 

 リヴェリアたちが歌声の発生源を見ると、そこにはガレスと肩を組んでいるクリリンがいた。

 

「よっ! クリリン、ニッポンイチー!」

 

 そこへティオナが極東風に囃し立て、農夫たちはやんややんやと一緒に歌い踊る。

 

 ティオナの横ではアキが、これまたどう反応していいかわからない表情をしていたが、その背後でしっぽがひそかにリズムをとっている。

 

「まあ、わるくはないわね」

 

「いや独特すぎんだろーがよ………」

 

 ティオネにはおおむね好評な一方、ベートがもっとも常識的なコメントをする。

 

 

「ん……クリリン……?」

 

「目が覚めましたか、アイズさん」

 

「……なに、このうた?」

 

「ははは……」

 

 レフィーヤの傍で寝ていたアイズも目が覚める。

 

「アイズも起きたことだ、我々も向こうに行くか。おまえたちもすっかり空腹だろう? 今晩は饗応(きょうおう)を受けるとしよう」

 

「うん」

 

「はいっ」

 

 リヴェリアたちがクリリンたちのもとへ、騒ぎの渦中へ向かう。

 

 

猛者(おうじゃ)】の昇格(ランクアップ)から始まった長い一日は、ようやく更けていくのだった。

 

 ◆◆◆

 

 

 アイズたちとクリリンの邂逅(かいこう)から、明けて翌日。

 

 

 オラリオ北端にある【ロキ・ファミリア】本拠(ホーム)・黄昏の館。

 

 およそ十日後に大規模遠征を控えた彼らの館は、どこもかしこも多くの団員と物資が出入りし、そこらじゅうから声が飛んでくる。

 

 そんな慌ただしく騒がしい館の中で、まるでそこだけ別世界のような、重苦しい空気に包まれた一室があった。

 

 

 執務室

 

 

 

 団長フィン・ディムナの前に幹部全員が神妙にしていた。

 

 内、アイズとティオナは誰に何を言われるまでもなく正座している。ティオネに至っては土下座だった。

 

 しん、と静まりかえった部屋で、口を開いたのはフィンだった。

 

「まさかリヴェリアとガレスがその場にいながら、こういうことになるとはね」

 

 表面上は軟かい態度だが、その実、目は笑っていない。フィンが相当にご立腹なことは、付き合いの深い幹部たちには容易に知れることだ。

 

「フィンー、勝手に暴れたのはわるかったけど、クリリンたちとも仲良くなれたからさー、これからのことを話し合おうよ?」

 

 重い空気に耐えかねて、なんとか場を明るくしようとティオナが提案する。

 

「それでは僕の気が済まないな。一昨日決めたことは、いわば家族で交わした約束だ。

 それを、特に危機が迫っている状況でも無いのに、一方的に破られた僕はただただ悲しい」

 

「う……ごめん、フィン」

 

 フィンは理屈だけでなく情にも訴えてくる。むしろティオナはそういう攻めの方が弱かった。あっさりと音を上げてしまう。

 

「僕とて、何も規則を形式的に守らせることに拘泥(こうでい)しているわけじゃない。

 君達は幹部だ。僕がいなくても、状況に合わせて最良の判断をすることが求められる。場合によっては規則にとらわれない判断こそが、最良の結果につながることもあるだろう」

 

 ただし、とフィンは続ける。

 

「今の君達の釈明を聞くに、僕との約束を違える合理性が無い」

 

 フィンの言葉に、場の雰囲気はいっそう沈む。

 

「リヴェリア、そしてガレス。

 君達に罰則を適用する。ただし、長年の団への貢献と、遠征前という事情に照らし酌量はする」

 

「待てよ、フィン!」

 

 フィンの言葉をベートが遮る。

 

「ベート、発言を許可したつもりはないよ」

 

「────ッ!」

 

「まあいいか。言ってごらん」

 

 フィンに促され、ベートは口を開く。

 

「………リヴェリアとガレスは、俺たちが戦おうとするのを何度も止めようとした。

 それを振り切って自分の欲を通したのは俺だ」

 

「うん、それで?」

 

「だからまずは俺を───」

 

「何を言っているんだ? ベート」

 

 フィンの返答に、ベートが、アイズとティオナもまた、意図がわからず唖然とする。

 一方、リヴェリアとガレスは全部わかっているのか何も言わない。

 

「リヴェリアたちがいた以上、責任をとるべきはまず彼女たちだ。

 彼女たちが負うべき責任を、部下である君が負いきれるわけないじゃないか。

 ベート・ローガ

【ロキ・ファミリア】はまだ君にそこまでの立場を与えた覚えは無いよ」

 

「~~~~ッ!」

 

「それに夕べは満月だった。ベートがより好戦的になってしまうのはやむを得ない面もある。それはみんな理解していたことだろう?

 だからこそ周囲が強く止めるべきだった。いくら獣性が高まったところで、ガレスとリヴェリアの二人がかりで止められないってことは無いはずだよ」

 

 これは、フィンなりの若者への寛恕(かんじょ)という面もある。

 しかしベートにとって、自身の失態で他者が罰せられるのは耐え難い。

 フィンもそれはわかっており、それがある意味ベートへの処罰であった。

 

「いいんじゃ、ベート。こうなることはわかっておったわ」

 

「ジジイ………!」

 

「さてフィン、いかなる罰も受けよう」

 

 

 ガレスの横でリヴェリアもまた瞑目し、フィンの処断を受け入れる構えだ。

 もうベートも何も言えず、ただ奥歯を噛みしめていた。

 

 

「待って、フィン」

 

 再度、静まりかえった部屋に涼やかな声が通る。

 

「今度はアイズか。なんだい、言い忘れていたことでもあったのかい?」

 

 

 フィンの言う通りアイズにはまだ切り札があった。

 こういう場に慣れていないアイズは、切るタイミングをなかなかつかめなかったのだが。

 

「昨日、クリリンと話をした」

 

「うん」

 

「それで私はクリリンに『キ』っていう技を教えてもらえることになった。

 これはクリリンが空を飛べることにもつながる技だって聞いた」

 

「!?」

 

 これはフィンも予想していなかった。本当だとしたら最上の成果が得られたことになる。しかし、真に驚愕するのはここからだ。

 

「クリリンはこんなことも言ってた。この世界には何体も『大魔王』のようなものがいるって」

 

「はあ!?」

 

 さすがのフィンもすっとんきょうな声を上げる。

 リヴェリアもガレスも、ベートたちも思い思いに驚愕を(あらわ)にする。

 

「それ、世界は大丈夫なのかい?」

 

「【猛者】よりもっともっと強いってクリリンは言ってた。でも今は特に動きはないし、『いいやつ』もたくさんいるからって。

 あと、クリリンなら一発で倒せるって」

 

「………なるほど」

 

 フィンは深いため息をつく。

 ことの真偽はこれから裏を取らなければならないとはいえ、これほどの成果を持って帰ってきたのだ。評価は改めなければならない。

 

「確かにそれは少しでも早く入手しておきたかった情報だ。アイズ、それについては高く評価するよ。よくやった」

 

「うん、だからリヴェリアたちの処罰は………」

 

「わかっているよ」

 

 フィンは少し考えて口を開く。

 

「副団長リヴェリア・リヨス・アールヴには、別に指定する団員がすべき遠征前の任務の一切を代わりに引き受けることを命じる。

 ここで指定する団員とは、アイズ・ヴァレンシュタイン、ベート・ローガ、ティオネ・ヒリュテ、ティオナ・ヒリュテの四名とする」

 

「了解だ」

 

 リヴェリアは逡巡無く受け入れる。頭上に疑問符を浮かべているのはアイズたちだ。

 

「続いてガレス・ランドロックには」

 

 ガレスが静かに言葉を待つ。未来を担う若者たちのために、どんな命令も受け入れるという気概が見てとれる。

 

 フィンはそれを見て、にやりと意地の悪そうな笑みを浮かべて言った。

 

「現時刻より禁酒を命じる。解禁の日時は遠征出発日前日、壮行会の乾杯の時だ」

 

「!?」

 

 決意に身を固めたガレスにひびが入る。何か言いたそうにしつつも何も言えず、萎れていった。

 

「………プスー」

 

 それを見て必死に笑いをこらえようとしたが、つい息が漏れてしまったのがティオナとベートだ。

 

「で、フィン。俺たちはどうすんだよ。部屋に軟禁か?」

 

 笑いをこらえきれず目じりに浮かんだ涙を拭いながら、ベートはフィンに問う。

 

「君達には出向してもらうよ。まあ相手の返答しだい、だけどね────」

 

 

 

 フィンの話を聞き、驚きながらも了承したアイズとベートは執務室を出る。

 

「ティオネー、いつまで土下座してんのさー。早く部屋に戻ってあたしたちも準備しなきゃ」

 

「団長~~申じ訳ありまぜん~~!」

 

「もうっ! 引きずっていくからねっ!」

 

 アマゾネスの姉妹も慌ただしく執務室の扉に向かう。

 

「あ、そうだフィン」

 

 扉を開ける寸前、ティオナが振り返る。

 

「ロキどこいったの? ステイタスの更新したいんだけど、探しても見つからなくって」

 

「ああロキなら、夕べラウルを連れて夜通しの飲みに出たよ」

 

「今日中には戻ってくるかな~」

 

「ラウルも付いてるから多分、としか言えないけどね」

 

「うん、わかったー」

 

 じゃあね~フィン、と言いながらアマゾネスの姉妹も扉の向こうに消えていった。

 

 

 

 その夜のこと。

 本拠に戻ってきたロキが何度も叫び声を上げ、ロキの私室に文句を言いにいった団員たちがさらに叫び声を上げるという事態に、リヴェリアが雷を落とすというちょっとした騒ぎが起きた。

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 太陽が地平線から顔を出して間もない早朝、アイズは市壁の外にいた。

 

 前回ここに来てからまだ二日と経っていない。しかし、アイズは見違えるほど成長した。

 それもそのはずだ。

 

 前夜、ようやくクリリンとの戦闘経験をステイタスに反映させたのだが、上昇幅がとんでもなかった。

『昇格』こそ果たせなかったが、能力段階はオールS

 レベル5後期にして熟練度上昇トータル1000オーバー

 最近のアイズが半月に渡る長期遠征で得ていた上昇値は20足らずだったことを考えれば、あの一戦で遠征二年分にも相当する経験を積めたことになる。

 いや、熟練度は極めるほど上がりにくくなり、また各能力をバランス良く鍛えるのも困難なため、それ以上の価値があるはずだ。

 

 ティオネやティオナ、ベートも似たような上昇率だったらしい。

 これが、昨夜の【ロキ・ファミリア】絶叫のあらましだった。

 

 

 そして

 

 

(おめでとう、レフィーヤ)

 

 

 レフィーヤ・ウィリディス

 Lv.3→Lv.4

 

 

 一途なエルフがパーティーで唯一、昇格を果たした。今日の昼にでもギルドに報告する予定だ。

 

 

 

 アイズが風に吹かれていると、すぐ傍から耳になじんだ仲間たちの声が聞こえる。

 

「この服、なんかヒラヒラしてかわいいね。スカートって動きにくいかなって思ってたけど、そんなことないし」

 

「サイズもピッタリなのが地味に驚くわ。団長が話を持ちかけてから半日で用意できるなんて、仕事が早いわね」

 

 そこにはエプロンドレスを身に纏うティオナとティオネがいた。

 

「二人とも、似合ってる」

 

「あら、ありがと」

 

「アイズもすっごいよく似合ってるよ! なんか新鮮~」

 

 アイズも二人と同じようにエプロンドレスに身を包んでいた。

 

「けっ」

 

 アイズたち三人が新たな装いに浮わついている横で、ベートが不機嫌そうに歩いている。ここぞとばかりにティオナがからむ。

 

「ベートもよく似合ってんじゃーん」

 

「るっせー、こっち見んな!」

 

 ベートもまた普段と趣が違う装いだ。オーバーオールに麦わら帽子、首には手ぬぐいと、すっかり畑に出る者の服装である。

 帽子から覗く鋭い眼光と顔の刺青(いれずみ)だけが、かろうじて冒険者の名残をとどめている。

 

 

「まさか私たちが【デメテル・ファミリア】に出向するなんてね」

 

 ティオネたちがフィンから命じられたのは、【デメテル・ファミリア】での奉仕だった。

 

「へっ、フィンの魂胆はわかってるぜ。ババアに俺たちの仕事を押し付けてまでやらせんだ、クリリンの監視をしろってこったろ」

 

「え、そうなの!? でも監視って、感じわるーい」

 

「………クリリンのスピードじゃ、監視できないと思う」

 

「監視じゃなくて、要は仕事を手伝いながら、クリリンの動向をチェックしたり情報を入手しなさいってことよ」

 

「おおっ!? なんかスパイみたいだ!」

 

「ああ、アンタは仕事だけ手伝ってればいいわ。というか下手に動くな。追い出されるから」

 

「なにをーー!?」

 

「……まずは、しっかり仕事を手伝うことが大事」

 

「そうね、アイズの言う通りだわ。それにクリリン相手にこそこそしたって無駄でしょうし」

 

 四人が農道に入っていくと、前から一人の婦人が歩いてきた。

 

「皆さん、おはようございます」

 

「おはよーございまーす!」

「おはよう」

「……おはよう、ございます」

「……おう」

 

 お互いにあいさつを交わし、連れ立って農道を進んでいく。

 

「向こうの広場に軽食をご用意しています。そちらを召し上がっていただきながら、本日の予定を説明いたしますわ」

 

「わあっ! この間のごはん、すっごいおいしかったから楽しみ!」

 

 婦人の言葉にティオナがうきうきする。

 

「よく私たちを受け入れたわね。農業の知識なんてまるでないわよ? まあ力仕事なら任せてくれていいけど」

 

「収穫が重なる日程だったので、人手は必要でした。皆さんのような第一級冒険者の方々にご協力いただけるのは恐縮ですが」

 

「いいのよ。おとといは騒がせちゃったし」

 

 婦人とティオネが話しているのを聞きつつ、アイズは風景に目を移す。

 

(ここが、クリリンの住む世界……)

 

 どこまでも畑が続いている風景を前に、アイズはあらためてそう思う。

 

「んーー、遠征始まったらしばらく地上ともお別れだし、今のうちにたっくさん日光浴しとこうっと」

 

 アイズの隣で、ティオナが大きく伸びをする。

 それを見て、本当に平和な世界だとアイズは思う。

 

「はっ、最強の男の職場(戦場)にしちゃ、ずいぶんヌルいじゃねーか」

 

 そんなことをベートが言った直後だった。

 

 

 

 轟音がベートたちを襲う。

 大気はびりびりと震動し、この地のありとあらゆるモノが、地上に降りた大いなる力に目を見開く。

 

「なあっ───!?」

「なにいまの!?」

 

 先頭を行く婦人がびっくーんと硬直し、ベートたちも戦慄する。

 

(相手は、誰だ………!?)

 

 瞬間的に全員が一方の当事者をクリリンと決め付ける。ただ、相手が問題だった。

 

「強い───! 相手は私たちよりも遥かに────!」

 

 畑の外れから伝わる緊張に、アイズもまた身を固くした。

 

 アイズたちが相手の正体を必死で探るなか、婦人だけはクリリンの相手を知っていた。

 

「ちょっとだけ見に行ってみましょうか」

 

 硬直から立ち直った婦人が促す。

 

「お姉さん、なんでそんなに冷静なの?」

 

「なるほどね、相手はクリリンの『客』ってことか」

 

「おら、さっさと行くぞ」

 

「……はい」

 

 四人が婦人に続く。

 

 

 

 広場を望む草原に二体の怪物がいた。

 

 

 一人は都市最強の男、クリリン

 

 

 もう一人は

 

猛者(おうじゃ)】オッタル

 

 

 三日前にこの地で激闘を繰り広げた両者が、いま再び相見(あいまみ)える。

 

 広場には二人を見守る影がある。

 クリリンの同胞たる【デメテル・ファミリア】の農夫たちだ。

 

 

「お、【猛者】!?」

 

 そこへ婦人と、ティオナたち【ロキ・ファミリア】の四人が駆け付ける。

 

「………猪野郎か!!」

 

 ベートがオッタルを睨む。

 

 

 

「おおおおおお!!」

 

「───」

 

 オッタルとクリリンがぶつかり合い、閃光と衝撃が再びこの地を走り抜ける。

 

「くっ────!?」

 

 ティオネが衝撃に顔を歪める。

 三日前の記憶がよみがえるが────

 

(化け物だ、どっちも!!)

 

 昇格を果たしたオッタルは、三日前とは完全に次元を異にしていた。

 だが、格段に腕を上げたオッタルに、クリリンは当たり前のように付いていく。

 

 二人の一瞬の攻防は

 

「三手!?」

「……私は四手に見えた」

 

 実際にはあの一瞬で二人は七手交わしている。

 これまでのオッタルならば一方的に打たれていたはずのクリリンの猛攻を、オッタルはことごとく剣で打ち払っていた。

 

 いったん、両者が距離をとる。

 

「へぇ~~、本当に強くなったんだな」

 

 クリリンが感心する。

 

「礼を言うぞ、クリリン。おかげで認識のずれは解消した」

 

「そいつはどーも」

 

 オッタルは恐ろしいスピードでレベル8の肉体を我が物にしていた。

 当然、オッタル自身の力でもあるが、クリリンのサポートも大きかった。

 クリリンにとって、英雄のサポートはずっとやってきたことだ。

 

「───さて、準備運動(ウォーミングアップ)はここまでだな」

 

 

 ───ここからまだあがるのか!?

 

 アイズたちが唇の動きでオッタルの言葉を察し、愕然とする。

 

 

「おまえ……服とかよごれても知らないぞ?」

 

 ───クリリンも、そこでボケるな!

 

 アイズたちが内心でツッコむが、クリリンはいたって真面目である。

 

 

 オッタルがゆっくりと構え直す。

 

 瞬間

 

 オッタルはクリリンの懐にいた。

 

 アイズたちは瞬きするのも息をするのも忘れていた。

 もはや目で追えるレベルでは無い。

 ただ何か、とてつもないことが二人の世界で起きている。

 それだけは、全身全霊で感じていた。

 

 腰を落とし体を沈めたオッタルが、地を蹴り全身をはね上げながら大剣を振るう。

 彼ら二人のいる世界に入り込めるほどの達人ならば、クリリンが大剣の前に両断される姿を、あるいは見えたかもしれない。

 

 だが───

 

 

 オッタルの大剣は空を斬るのみだった。

 オッタルの体が流れる。

 その隙が見逃されるほど、オッタルの相手は甘くなかった。

 

「おりゃっ!」

 

 クリリンの大砲が火を噴く。

 オッタルは直後、地平線の彼方へ消え、轟音が彼の後を追いかける。

 

「え!? 【猛者】が消えた!?」

 

 何が起きたのか、事象に全く追い付けないティオナがうろたえる。

 

 全員の視線を集めるクリリンが飛び立って、地面と平行に飛んでいくオッタルを追う。

 オッタルを追う轟音をクリリンはあっさり追い抜き、オッタルをも捉える。

 

 

 そのころ、取り残されたアイズや農夫たちは見た。

 クリリンが飛んでいった方向の地平線の向こうで土煙が上がったのを。

 何かが破裂したような爆音を聞いたのは、それから数瞬経ってからだ。

 

 

「……………………」

 

 しーん、と場が静まる。鳥のさえずりすら聞こえなかった。

「クリリン実はレベル9説」が浮上した瞬間だった。

 

 

「ま、まあ【猛者】さんはクリリンさんに任せて、私たちは食事にしましょうか」

 

「お姉さん、慣れすぎっ!!」

 

 ティオナの声が草原にこだまする。

 

 しばし婦人の背中を憮然と見ていたアイズたちは、やがて何かを吐き出すように大きく息をつき、婦人のもとへ向かう決意をする。

 

 草原を渡る風に、アイズのドレスの裾が(ひるがえ)る。

 

 四人はクリリンの住む果てしなき世界に、足を踏み入れていった。


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