第1話
魔法。
それが御伽噺の産物ではなく、現実の物として体系化したのは90年代初頭だった。2030年前後から始まった地球の急激な寒冷化に伴い、世界の食糧事情は激変。世界事情は急激に悪化し、エネルギー資源を巡る争いが全世界で頻発した。
2045年、20年に及ぶ第三次世界大戦が勃発。これによって、世界人口は30億人まで激減した。
この戦争がひとえに熱核戦争にならなかったのは、世界的な魔法技能師による団結によるものだった。未だに統一される気配すら見せぬ世界各国は、西暦2094年を迎えた今も、魔法技能士の育成に競って取り組んでいる。
「
大声で廊下をかける女性は、目の前を歩いている長身の少年に飛びつかんばかりのスピードで向かう。
「あべし!」
女性らしからぬ声を上げた理由は、少年が振り上げた右拳が顔面に直撃したからである。
「何の用ですか?母上」
「いひゃいひゃひょ!」
「日本語で話してください」
殴られたことによって、一時的な言語障害が発生したようだ。いくら母親であるとはいえ、女性に手を上げるのはいかがなものか。
「痛いじゃないのよ!」
「自業自得です。それで何のようですか?」
「明日の入学式なんだけど「来ないで下さい」…」
少年はこれまでの経験から予想していた答えを取り出す。女性の言葉を最後まで聞かなかった。
「最後まで言ってないんだけど!?」
「問いは分かっています。明日は来ないで下さい」
「何でよ!?」
「面倒くさいんです」
「真夜ぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
泣き叫びながら叔母の自室へと走り去っていく母親の後ろ姿を、しらけた眼と一息ついたかのような表情で見送る。その後ろ姿が見えなくなってから、少年は自室に向かった。彼が母に念を押したのは、家名を使って変なことをさせないためだ。
以前中学の卒業式で派手に目立ってしまい、1週間叔母と事務処理をさせるという罰を与えたことがある。そんなことが脳裏を掠めるが、かぶりを振って追い出す。
自室の部屋のドアを開けて中を見渡す。今日がこの部屋を見る最後の日になる。その前にもう一度見渡しておきたかったのだ。といっても進学のために引越しをするだけなのだが。高級なベッドに質の良い布団が、中央で綺麗に折りたたまれている。芳香を焚いているような不思議な和の香りが鼻腔をくすぐる。
年季が入って趣がより増した本棚には、丁寧に整理整頓された現代魔法書と古式魔法書が並んでいる。何気なくページを開いてみる。初めてその本を開いた人間が見れば、何処の国の言葉か理解できぬ文字で書かれていると思うことだろう。和紙が何百ページにもわたって綴られた本が、10冊以上も棚に並べられている。
実はこの文字は、かなり知られている文字を彼なりに変えたものだ。漢文を鏡を使って崩した〈崩し鏡字〉という。秘密にしなければならない理由は特にないが、念のための予防策という意味合いが強い。
自室の机を見ると、入学予定の高校から送られた自分宛の手紙が眼に入る。新入生代表の答辞を通達する手紙だ。嬉しく思う一方、手紙が来たときの報告を思い出して頭痛がやってくる。
正直、母の溺愛ぶりには辟易とする。母と離れることができると思うと、補って余りあるほど楽になると思ったりする。
翌日の朝。明日の入学式準備のために、四葉家が用意した住居に引っ越す日がやってきた。別れ際になると1人の少女に抱きつかれる。
「零従兄様、離れたくないです」
「1年間の辛抱だよ深雪。夏と冬には戻ってくるから、それまでの我慢だ」
優しく諭すと頬を膨らませながらも納得してくれたので、頭をなでてやると嬉しそうに眼を細めた。
「しっかりとね。従兄さんは危なっかしいから」
「喧嘩売ってるのか達也?」
「まさか。体術でも魔法でも兄さんに適わないんだ。喧嘩なんか売ったらその日に俺の命はなくなるよ。それにしてもあの家に、1人で行っても大丈夫?」
達也の言葉に零は少し息が詰まるが、15年に及ぶ痛みに慣れたことにより、それほど言葉には詰まらず応えた。
「絶対に大丈夫とは言いきれないが。まあ、心配するな」
「従兄さんがそう言うなら問題ないだろうね」
「零ぉぉぉぉぉ!!!!!」
「「「…」」」
「ぎゃん!」
どこからともなく抱きついてきた母親を、背負い投げで地面にたたきつけ、何もなかったかのように振る舞う。
「…じゃあ行ってくる。深雪のことは頼んだ」
「お任せを」
四葉家の執事が運転する車に乗り込み、発車させるよう命じる。後ろの方から他の執事に押さえ付けられながらも暴れる母親が、バックミラーから見えた。
「零ぉぉぉぉぉ!!!!!」と叫びも聞こえるが、意識的にその声を耳からシャットダウンさせると何も聞こえなくなった。
「花菱さん、よろしく」
「承知いたしました」
そう命じると車は走り出し、零の新しい家に向かって走り出した。
「
しばらくしてから意識のうちにこぼれた言葉を、花菱さんの想子の揺らぎによって認識して舌打ちを漏らす。二度と会うこともない。声を聞くことのできない1人の名前を呼ぶ。胸が締め付けられる痛みに顔をしかめてしまう。
痛みに慣れたと言うが、それは心が痛みを忘れようとしているのだと嫌でも分かる。母の溺愛はそれによるものだ。自分の半身とでも言える1人が、この世にはいないのは理解している。だが理性がそうではないと。この中に、自分の中にいると分かっていても、二度と顔を見ることができない。ならば死んだと言っても間違いではないと思う。
だがそれでも自分の人生は続く。
このまま死にたい。この世から消えたいと何度も願ったことがあった。だがその度に、婚約者である深雪とその兄である達也に救われた。
ならばその2人のために生きるのも壱縷への償いの一つだ。
自分が死ぬまで背負うべき十字架は2人にはかぶせない。自らすべてを背負い、墓場まで持って行く。それが自分の生きる理由。
俺はコミューターの微かな振動に身を委ね、浅い眠りに落ちていった。
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新居に着き、花菱さんを見送ってから中に入る。1人で住むのには大きすぎるが、来年には2人がやって来るのだから気にする必要はない。ある程度の家事はできる。隅々まで眼を配れるわけではないので、荷物の整理などはHARに任せて本家に連絡する。
『もう着いたのかしら。予想より15分ほど早いようだけど』
「道が空いていましたので」
『そう。それで答辞は大丈夫ですか?』
「問題ありません。そんなもので緊張するような柔な鍛え方はしていませんよ」
『感情をある程度掌握している貴方なら問題ないでしょうね』
『真夜、零なの!?話をさせて!』
当主である叔母と話していると、向こうから母の声が聞こえてきたのでげんなりする。
「…母をお願いします」
『任されました』
『いやあぁぁぁぁぁ!!!!!』
向こうから死の叫びらしきものが聞こえたが、無視して映像電話を切る。そしてそのまま四葉からの電話をブロックしておく。
叔母と使っていた回線は、母に使われても問題ない方を利用している。回線を遮断したところで、秘匿回線があるので問題ない。私情であればこちらで話すため、秘匿回線は日常的に使わないが。
広すぎるリビングのソファーに座りながら一息つき、HARが煎れたコーヒーを口に含む。味は満足できないが、自分で煎れたものでないので文句を言わずそのますする。
「一高現生徒会長は
独り言を呟き、翌日の入学式のために早めに就寝することにした。
今回はプロローグなので始まりは短いですがなにとぞよろしくお願いします。タグ・転生となっておりますがそれはおいおい書くことにしています。