端的に言おう。
それは最早、蹂躙という形容が相応しいくらいの力であった。相澤先生が対処しきれなかったヴィランを全員封殺してのけ、その足で相澤先生を助け。デクと、死柄木──不健康にも見える細さを有した男──に追われていた峰田と蛙吹を救出したうで、ついでに死柄木を殴って元の位置に戻ってのけたのだ。
形勢逆転。虚ろな意識の中で、デクはその圧倒的な力を、脳に、眼に、まるで聖痕のように焼き付けたのだった。
*
──ここで彼の意識は途切れ。視点は爆豪へと移る。
デクと浅からぬ因縁のある少年、爆豪 勝己は、個性を使う度に、デクに惜敗したあの戦闘訓練を思い出す。
否、彼の中で、あれは「惜敗」ではなかった。完全敗北。そこに展望はなく、完膚なきまでの敗北がある──と、爆豪は思い込んでいた。
それほどまでに、決着の精神攻撃が効いたということだろう。
勝っていた。そう、途中までは。彼は幼児期に完敗した過去を完全に振り切り、デクを克服した、と信じ込んでいた。あのちじれ髪を踏みつけている時、彼は歌でも歌いたいくらいに清々しい気分だった。
しかし。その数秒後、形成は逆転し爆豪は敗北を喫した。
絶頂からの転落。その人間が最も美しい時に、その英華を立ちきってしまうことは、実は最も残酷なことであり、期せずして、デクはその状況を作り出してしまったわけだ。
そのため。偶然とは言え、効果的に精神を摩滅させられた彼は、戦うことに迷いを感じていた。
ヴィランとの戦いの最中、意識を飛ばしていた彼は、眼前に迫ったヴィランの拳を脇腹に受けたことで我に返る。
右手を大きく振りかぶり、痛みを堪えてそいつを殴り飛ばしてから、視界に映る範囲内で素早く索敵した。
敵影はない。彼には今のところ、敵襲の危険はないように見えた。
「なぁ、爆豪」
ふと。同じエリアに飛ばされていた切島が、爆豪に声をかけた。彼も、敵影がないので余裕ができたと思ったのだろう。
「お前、大丈夫か?」
「───あ?」
ドスの効いた声で爆豪は回答する。そこには、無遠慮な発言に対する怒りや威圧、そして、「逃げ」の念が内包されていた。
「っと、悪りぃ、言い方が悪かった。んでも、なんつーのかな。本調子じゃないだろ、お前」
「───っ」
どきりとした。用意していた反論の言葉が喉に詰まって出てこなかった。
「だ、だからどうだってんだよ」
取り敢えずそう返してから、彼は心を落ち着けるべく掌で爆発を起こし、指をぽきり、と鳴らした。
「あんま気、張りすぎんなよ」
おせっかいを通りすぎて、いっそ悪辣なくらいのその言葉は。滑稽に映る筈のその言葉は。何故か。爆豪の心の緊張を一瞬溶かした。
デクの「克服」とは違う、どこか安らぐような感情。
「───あァ」
言いつつ、彼は、背後の虚空を振り返ると、下段から上段へ、アッパーカットの要領で右手を振り抜いた。それにより、個性で姿を消していたヴィランを殴り飛ばし、昏倒させることに成功したのだった。
「てめぇに言われねぇでも分かってんだよ」
いつも一人だけの力で壁を突破してきた爆豪は、他人に頼るという発想が欠落しがちだ。
そんな彼は、もしかして。
切島の言ったような、「ありがち」な台詞を求めていたのかもしれない。
*
目が覚めた時、僕、緑谷 出久は医務室に居た。
白い天井と、体全体を覆う倦怠感から、自分は何らかの形で意識を失い、ここまで運ばれたのだと予想をたててみる。
(倦怠感……か)
自分がどうなったのか? それは僕自身もよくわかっていない。ただ、あの水難ゾーンで、ヴィランにやられて水中に沈められたということは覚えているが──。どうも、そこからの記憶が曖昧なのである。
しかし。倦怠感が体に残り、全身のどこからも痛みを感じないということは、傷が再生しているということだろう。となれば僕は何日寝ていたのだろうか──とそこまで考えてから、この学校には治癒系の個性を持つ先生が居たことを思い出す。きっと自分は、その人に治してもらったのだろう。
「やぁ、緑谷少年」
ふと声をかけられ、僕は頭だけを横へ向けた。そこには、自分同様にベットへ横たわっているトゥルーフォーム状態のオールマイトが存在している。
「あ、オールマイト……」
「怪我は大丈夫かい?」
あの満身創痍とも言える状況。覆したのは恐らく、オールマイトなのだろう。ここのベットに横たわっているということは何らかの理由で疲弊、もしくは負傷したのだろうから、きっと僕のことを気遣う余裕なんてないだろう。それでも自分のことを棚に上げられるのは、平和の象徴だからなのだろう。
凄いヒーローだ、と思う。
「僕は大丈夫です。そっ、それよりも、オールマイトは──」
「ああ、君は見ていないんだったな。主犯二人の確保ができていないから、こう言っていいかは迷うが──大丈夫だ。もう、あのヴィランたちは追い払ったし、君以外で大きなダメージを負った生徒はゼロだった」
まあ、我々教師はやられちゃったわけだけどさ、とオールマイトはおどけてみせた。
「しっかし、君も無茶するよな。あの「脳無」に殴りかかりにいくなんてさ。根性は評価できるが──危ない、と思ったら退避するのも手だぞ」
「え、殴りかかった……? 僕が、ですか?」
「お、覚えてないのか?」
オールマイトの顔が驚愕でひきつる。
だが、驚いたのは僕の方だ。殴りかかった、だって?
そんなこと、僕の記憶にない。しかし、この場面でオールマイトが嘘を吐く理由もないと思うのだ。
じゃあどういうことだろうか。必死になっていて覚えていなかった? 言い訳がましいうえに、都合が良すぎる。そんな曖昧模糊とした理由で片付くほど、人間の脳は単純じゃない筈だ。
記憶喪失──? 否、それも何か違う気がする。
──なんだろうか。この症状、どこかで聞いた気がする。ある一時の記憶がぽっかりと抜け落ちていて、気がついたら時間が経っていたという、この症状を。
そこで、僕は閃いた。記憶がない、ということは、つまり。記憶するための意識も、一緒に消えているということじゃあないのか?
意識が消える。──どこに? 消えているうちの行動はどこへ行く? 意識は、どこへ隠れた?
待てよ。──まさか。
何かを隠すためには、隠すための物が必要だ。隠れ蓑が必要なのだ。それを、意識に置き換えたら、どうだ?
意識を隠すためのものは──意識。意識に侠雑物はない。そこにあるものは、意識だけだ。
意識を意識で隠す。二つの意識。意識の乖離、分裂。──二重の、人格。
そこで漸く、僕は気が付いた。
──僕はもしかして、二重人格なのではないのか、と。