──翌日からは大変な騒ぎだった。
あらゆるチャンネル、あらゆるメディアが体育祭の一件のことを報道していた。雄英側の迅速な対応にも関わらず、混乱の──そこには好奇の目線も混じっていたが──火種は燃えさかっていた。
大小様々のメディアたちに統一した意思はなかった。事態そのものが唐突で、限られた時間に起きたことに過ぎないものであったため、正確な報道よりも事態に対して信念を表明することが優先された。それはこう言って良ければ、メディアの「党派性」を誇示するイベントへと変容していたのだ。
個性特異点終末論の支持者たちは揃って悲観的な視点に貫かれた記事を書き、解放論・主義の支持者たちはそれに対抗して、報道というよりはほとんど反論、ヘイトに近い形の記事を編纂した。新興政党、心求党の機関誌もまたそれに便乗し、社会はなにがしかのイデオロギーを奉じるものたちによって二分されていた。だが社会を構成する大勢の声なきものたちにとって、その事態は一種の祝祭にすぎなかった。
後ろ暗い高揚感だけが、澱のように降り積もっていた。
*
「う……」
セントラル総合病院、七階、個別病室。
「デク」は目を覚ました。既に事件からは二週間が経過していた。全身に、さながら聖痕のように付けられた火傷はほぼ完治していた。ワン・フォー・オールの副次的作用か──驚異的な快復力であった。だがそれは、全身の完治を意味してはいない。
デクは厭わしそうに右腕を見やる。そこには歪な傷跡が、生々しさをたたえて浮かんでいた。
あの刹那──轟のプロミネンス・バーンに全身を灼かれる刹那に発動した複数のスマッシュは、衝撃の減殺には成功していたものの、その代償として彼の腕に消えない傷をつけていた。名誉の負傷。ここではないどこかの世界では、その傷はそうした文脈の中に位置づけられる英雄の証になったかもしれなかった。だがいまここでは、それはただの傷に──愚かさの表象にすぎなかった。
デクは取り敢えず起き上がった。立ち上がり、両の掌を二、三回握り、開いてから、軽くストレッチをする。そうして、ワン・フォー・オールを全身に纏おうとした。
──と、ふと。そんな彼を遮るように、扉が開く音が部屋に響いた。
「…………!」
デクは驚いて入り口の方を見やる。
そこには、奇妙な男が立っていた。全身を黄と白を基調としたコスチュームに包んだ老人だ。腰は折れ曲がっており、杖をついている。とても戦闘員とは思えない。だがその眼だけは、
デクは咄嗟に、「出久」の記憶を読み解き、それが何者であるかを確かめようとする。だが、目前の人物のことは何も思い出せなかった。それは出久側の関係者でも、有名なプロヒーローでもないようだ。
「あの……?」
デクが彼に声をかけようとした、その瞬間。
その男は静かに、それを口にした。
「誰だ君は?」
デクの心臓は、刹那に跳ねた。
「え、ええと……あなたは僕に会いに来たのでは?」
言いつつ、デクは姿勢を整えた。それと気付かせないさりげなさで、臨戦態勢をとる。心の逆鱗が見えるようだった。彼は激情が立ち上るのを手に取るように感じていた。
「ああ、オレぁ確かに緑谷出久に会いに来たよ。だがそりゃ──おまえさんじゃない。誰だ君は、と訊いたんだがな。もう一度訊くぞ、おまえさん、
言い終わるよりも速く、デクは地面を蹴っていた。
20%のスマッシュ。全身に纏ったそれを解放させ、間合いを詰め、振り上げた拳を振るう。だがその拳が硬い肉に辿り着く瞬間は、永遠に来ない。
瞬間、いくつかのことが立て続けに起こった。
最初に、デクの視界から男が消えた。低姿勢になり攻撃を避けたのだ。その男は次に、足下から自分の個性を発動させた。空気の噴射。それにより数回回転した後、彼の足は正確に、デクの頬を撃ち抜いた。
衝撃は頬から首、脳へと伝播した。意識の波が上振れを起こしていたこともあったのだろう。結果として、デクは大きく吹き飛ばされ、壁に激突したうえで昏倒した。
「お、お師匠……これはあまりにも手荒では……!」
ふと、男の後ろから金髪の、痩せこけた中年が現れた。八木俊典。オールマイトと呼ばれたヒーローの真の姿である。
「先に手は出してねェんだ、文句は言わんさ。それに──手段を選んではいられん」
言い、男──ヒーロー:グラントリノは、昏倒するデクをたたき起こした。
「ぁ……う……だ、だれ……で……す?」
その反応は、まるで数ヶ月の眠りから覚めたような、おぼつかないものだった。心なしか、さっきとは顔つきが変わっている。……まるで、別人のように。
「……やはりな」
得心した様子のグラントリノに続けて、オールマイトは、
「緑谷少年……今、何月何日か言えるか?」
と訊いた。
「あ……その……えっと……五月、上旬……ですか?」
「体育祭のことを覚えているか?」
「え? 体育祭はまだでしょ……?」
その言葉に、オールマイトは息を呑んだ。
「緑谷少年……落ち着いて聞いてくれ。体育祭は──二週間前に終わった」
出久は──僕は目を剥いた。
疑問符だらけの頭に、あの日の出来事が蘇ってくる。僕の──人生のすべてを、他ならぬ
現実に対する否定の言葉を呟きながら頭をかかえ、地面にうずくまる。呼吸が荒く、速くなっていくのが滑稽なくらいにはっきりと分かる。感じる。僕は感じている。壊れていく自分自身を。どうにもならない自分の心のことを。
「オールマイト」
ふと口をついて出たその声が、ひどく冷たかったのに自分でも驚いた。だが止めることはできなかった。
「……緑谷……少年……」
「僕は、何をしたんですか」
「…………」
目の前で、オールマイトと、もう一人の老人が息を呑むのが分かった。
多分、そこには触れない方がいいのだろう。そこは僕にとって無益であるばかりか、有害ですらあるのだろう。オールマイトはそういう顔をしていた。
だが、僕はそれを聞かなければならなかった。逃げるわけにはいかない──そんなものはヒーローではない。
「……君は、持てる限りの力を使って体育祭に臨んだんだ。だがそのやり方は──鮮烈ではあるが非道で、慎みに欠け──その帰結として、轟少年は全身に大火傷を負い、観客の中にも負傷者を出してしまった」
オールマイトの言葉は、
多分、この病院の外に広がる社会では自分や、轟君に対するバッシングが行われているのだろうな、と、僕は類推した。
「お前さんの心に起こっちまってるのは解離性同一性障害の一種──平たく言やあ“二重人格”だ。しかもお前じゃない、もう一人の方は極めて凶暴で、危険ときている」
僕は唾を呑み込んだ。分かってはいたが、こうもはっきり言われると、現実として去来──いや、突きつけられる。
「もう一人のほう──仮に“デク”人格とでも言おうか──こいつを抑えなければ、お前はヒーローにはなれん」
「ヒーロー……には……」
うわごとのように、僕はその言葉を繰り返した。
あの日。すべてに絶望したあの日、僕は心のどこかで諦めていた。もうヒーローにはなれないのだ、と。
だが少なくとも、目の前の老人は、そしてその後ろのオールマイトは、まだ諦めていないのだ。その事実に、僕は目頭が熱くなった。
「力の制御も、心の制御も、本質的には同じだ。お前さんがそれを望むなら、俺たちはそれを手助けする。お前さんを、もう一度ヒーローにしてやれる」
「急で心苦しいが……決めてくれ。どうする、緑谷少年?」
一つ、大きく息を吸い、吐き、心を落ち着けてから、僕はその言葉を口にする。
「やります。僕をもう一度、ヒーローにさせてください」
──だが僕は、すぐに思い知ることになる。
力も、心も。時に意思の力など介在する余地のない強い流れの中で、全く予期せぬ方向に進んでいってしまうのだということを。