緑谷出久が休学を決定してから数日後。雄英高校の廊下にて。
「爆豪少年、ちょっといいかな」
オールマイトに声をかけられ、彼──爆豪勝己は不満そうに後ろを振り返った。
既に体育祭からは二週間が経過していた。例年であれば行われていた職場体験は中止となり、学校の外には、数は減ったものの未だにマスコミが張り付いている。
──轟は、未だ復学していない。
個性も身体機能の一つである以上、炎をノーリスクで撃つことはできない。そしてそれゆえ、あの場で最も強く、深く炎を受けたのは轟だったのだ。全身に重度の火傷を負った彼は、この2週間ほどでどうにか意識だけは取り戻したものの、ベットから起き上がることはおろか、生命維持装置を外すことすらできない状態にあるのだという。
誰もが張り詰めていた。雄英は生徒・教師問わず不穏な空気が流れていた。
「……何だよ?」
その問いかけに、オールマイトはやや間を置いてから口を開いた。
「緑谷少年のことなんだが……」
緑谷。その名前に、爆豪の心臓は跳ねた。
恐怖と苛立ちがない交ぜになった激しい感情が心底から湧き上がってくるのを、彼は必死で抑える。出久の、デクのこととなると、彼は冷静ではいられなかった。
今でも、あの日──体育祭の日の光景は目に焼き付いている。
最終的にデク自身も重傷を負ったとはいえ、あれはデクが引き起こした事態だ。今や奴は、単に倫理観と容赦のない少年ではない──もっとおぞましく、もっと凶悪な別の何かだ、と、そう彼は直感していた。
それは身勝手な妄想に過ぎなかったが──誰が信じられよう、それが「現実」だとは?
「……デクのことは、俺に聞くな」
「そう言うなよ。聞けば、君と緑谷少年は幼馴染みだそうじゃないか。……まあ、仲はアレなようだが」
「分かってんなら尚更聞くんじゃねえよ。俺ァ帰るからな」
「ああ、待って、もうちょっとだけ待ってくれないか。彼が休学してるのは君も知ってるだろ」
「…………」
爆豪は押し黙った。
「勘の良い君なら薄々勘付いてると思うが──彼は今療養中だ」
「そんなに酷ぇのか……?」
「いや、火傷は大方完治している」
「……っ、待ってくれ、それじゃ、まさか……!」
その反応で、オールマイトは悟った。
「……君は、やっぱり
爆豪は、目の前の景色が遠ざかっていくのを感じた。視界が霞み、身体が震える。呼吸が荒く、速くなっていくのを必死で堪えながら、彼は辛うじて、
「な、何をだよ?」
とだけ口に出すことができた。そんな爆豪の様子を慮りつつも、オールマイトは話を続ける。
「緑谷少年はなんというか──精神の平衡が崩れている。あるべきものがそこにはなく、あるべきでないものがそこにある。不安定で御しがたく、それゆえに予測不能だ」
晦渋極まるその言い回しに、爆豪は腹が立った。
「……はっきり言ったらどうだ、サイコパスだってよ」
「……とにかく、そういうことだ。こういうことを聞くのは心苦しいが、ああなった原因に何か心当たりはないか? その──幼児体験、とか、あるいは──」
「──知ってるわけねぇだろ!」
突如、爆豪は叫んだ。だがそれによって、オールマイトの顔に浮かんだのは驚きの表情ではなかった。憐憫──哀れみだった。
震えていた。爆豪の身体はどうしようもなく震えていた。そしてその顔は、今にも泣き出しそうに崩れている。
オールマイトはそんな爆豪に近付き、その体躯で周囲から彼を隠しつつ言った。
「……場所を変えよう。人目もある」
その言葉に、爆豪は頷いた。そうして、二人は談話室へと入っていった。
*
談話室には、話し声だけが響いている。
「あいつは……ずっとムカつく奴で……それなのに、個性がないって……だから……」
「虐めか」
「…………」
そこで、爆豪はうなだれた。それが肯定を意味するということは、オールマイトにも理解できた。
「……どれくらいだ?」
「四歳から、六歳ごろ──幼稚園が一緒だったから……それで」
「…………」
「それで、あの日──いつもみたいにやってた。そしたら、突然あいつ」
「…………!」
「止められなかった。気付いたら地面に組み伏せられてた。何も分からないまま、俺はただ痛めつけられた。痛みだけが、じんわりと染みついて、今も取れない。やめて欲しかったけど──俺には何も言えなかった。その時はっきりと分かった。言う資格なんてないんだって。俺には何も言えないんだって。それで、苛立ちの中に、恐怖が混ざるようになった」
オールマイトは、何も言えなかった。言うことが出来ない、と感じた。
それは彼の人生の中にはないものだった。仕事柄、あるいはそれを始める前から、オールマイトは弱い人間、こう言ってよければ無数の「被害者」たちと向き合ってきた。だから弱い人々の気持ちはよく理解できたし、それを虐げるものたちが許せなかった。
当然、彼はそう一面的な男ではない。被害者なるものが時折見せる醜さ・恐ろしさについてもまた、彼は経験していた。だがこの、幼さと、罪と、暴力と、恐怖とについては、全く未知だった。
そこをすくい上げるのは、間違いなく教育者の仕事だ。だが今ここにおいて、彼は教育者ではなかった。教育者にはなれなかった。
「あれだけ殴られても、やっぱり苛立ちはとれなかった。でもその日以来、俺はデクを殴れなくなった。周りの、あの日を知らない連中からの虐めはどんどん陰湿になっていった。でもその度に、デクはへらへら笑ってた。俺はそれが無性に怖かった」
「…………」
「でも歳が上がるにつれて、その数は減っていったはずだ。多分、デクの奴が──あの『もう一人のデク』が裏で何かやってたんだと思う。俺はただ、遠巻きにそれを見ているだけだった」
「もう一人の──」
「あんただって気付いてるだろ。あいつは人格が、自分が二つある」
「二重人格……」
「身勝手だって……俺にも分かってる。幼かったとはいえ、誰も止めなかったとはいえ、虐めた側が全面的に悪いなんてことは……! でも……! それでも……ッ! それでも、俺は──!」
爆豪は圧し殺した声で叫び続ける。だが、その次の言葉は永遠に出てこなかった。次に続くはずの言葉。それを言うことがどうしようもない傲慢、どうしようもない暴力に繋がるということを、彼は悟っているのかもしれなかった。
ふと、オールマイトはそんな爆豪の肩に手を置いた。
「……まだ、すべてが終わったわけじゃない。何もできないわけじゃない。君はまだ、君のやりかたで緑谷少年と、過去と向き合うことができる。顔を上げて、未来を見るんだ。今、緑谷少年がそうしているように」
爆豪は二、三度激しく頷くと、袖で涙を拭って顔を上げた。
「……あいつは」
「……ああ」
「あいつは、俺と同じだ。俺と同じように、あんたに憧れてた。それは今も変わっちゃないはずだと思う。……俺に言えるのはそんぐらいだ」
その言葉に、オールマイトは力強く頷いた。
「助かったよ、ありがとう」
それで話は終わりだった。二人は談話室から出、爆豪は帰路についた。
家に帰り、自室に入ると、カーテンをかけて厳重に家族の目から隠していたコルクボードを取り出した。
そこには日本地図がプリントされており、無数のメモ書きがピン留めされている。それは全国各地で発生している非
「……やるか」
言い、爆豪はそのボードを机の上に広げ、「作業」を開始した。
この「新米教師としてのオールマイト」って要素はヒロアカ二次をやるうえでずっと書きたかったものでした。うまく描き切れるかは分かりませんが……