──夜は深まっていく。
「まだ……だ……」
ステインは弱々しく呻き、なおも立ち上がろうとした。
「立ち上がらない方がいいですよ、もうあなたは動けないはずだ」
「それが、諦める……理由に……なるか……?」
「なりますよ。僕はあの日から、あなたや、あなたのような人を殺すためにこの技を練り上げてきた。もう十分でしょう? 後は僕に、その役を譲ってください」
「役……だと……」
「社会を正す、その役ですよ。あなたの理想はふさわしくない。でも──」
「自分なら、変えられる、と……はっ」
鼻で嗤い、血反吐を吐き、ステインは言葉を続けた。
「傲慢だな。
「……ガキ?」
「死柄木……とか……
「…………」
「誰かが、血に染まらねばならぬと……そう……ひた走ってきた……。だが……これは……ナンセンス……だ…………」
そこで、デクは気がついた。
さっきから、サイレンの音が鳴り響いている。誰かが通報したのだろう。じきここにも、誰か、ヒーローが駆けつけるかもしれない。
今ここで、見つかるわけにはいかない。そう思い、デクはステインに止めを刺すことなく、その場を離れることにした。
ワンフォーオールをフルに活用し、ビルの合間を縫って街から脱出する。そうして、彼はグラントリノヒーロー事務所へと帰還する。
*
その日、僕は奇妙な夢を見た。だけどそれが何だったのか、目覚めた時には忘れてしまっていた。どこか至福に満ちた、満ち足りすぎていた、そんな夢だった。
「おはよう」
「おはようございます、グラントリノ」
朝。僕は朝食を用意する手を止め、グラントリノに朝の挨拶をした。
7月。この生活にもすっかり馴染んできた。あれ以来一度も「デク」は出てこない。カウンセリングでも特に異常の兆候は見られず、そのことはかえって不気味でもあった。
カウンセリングの先生やグラントリノ、あとはたまに顔を見せるオールマイトなんかは安心しているようだが、僕の心には常に、澱のような不安がつきまとっていた。
グラントリノはテレビをつけた。それで、朝の情報番組のキャスターの深刻そうな声が耳に飛び込んでくる。
『えー繰り返しお伝えしていますように、ヒーロー殺し逮捕の件に関しまして──』
「なんだと!?」
グラントリノのその声が響くのと、僕が手に持っていたコップを取り落とすのは同時だった。
幸いにしてそれはプラスチック性だったので破損することはなかった。僕はそれを拾いながら、注意深くニュースの内容を聞いていた。
それによれば、昨晩、世間を騒がせている
ステインはまだ目覚めていない。セントラル総合病院に運び込まれ未だ治療を受けているとのことだったが、今後目を覚ますかどうかさえ分からないのだという。
(なんだよ……なんなんだ……)
僕の心には、奇妙な感覚があった。
それは不安とも焦燥ともつかないような、いわく形容しがたい違和感だった。まるで誰かから責められているような、そんな気がする。
ニュースはなおも情報を流し続けている。ステインの経歴、本名、そして、彼が
中心。人を惹きつけるなにか。闇の英雄に相応しいことばとすがた。それが、そこには欠けているのだ。
「
グラントリノはそう言って遠い目をした。それで、その事件については終わりだった。
朝食を食べ終わると、僕はカウンセリングに向かった。容態も安定してきているので、今日で定期的なカウンセリングは終わりになるという。
確実に自分が前進していることを実感しながら、僕は外に出た。
──だがその瞬間、僕の意識は途切れた。
*
デクの力は、際限なく高まっていた。
ステインを始末した各種スマッシュの考案と、それに伴うワン・フォー・オール出力の向上と使用可能時間の拡張。そうした純然たる戦闘能力面はもちろんのこと、精神の面でも、彼は確実に成長していた。
例えば──彼は、出久の精神の陰に潜む術を体得していた。
これまで、デクと出久の意識はいずれか一方しか表に出ることができなかった。言わばそれはスイッチのオン・オフのようなものであり、そのスイッチを切り替える権利はデクの側にのみ存在した。だが今やデクは、その出現の「濃度」を自由に操作できるようになっていた。
濃度。それは肉体の主導権の割合でもある。それが五割を超えている方にその主導権は譲られる。だが精神の方は、希薄な状態でその肉体に残存する。つまり、仮にデクが身体を乗っ取ったとしても、出久側の精神濃度を三割ほど残しておくことで、入れ替わり発生を悟らせない、ということができるのだ。出久の側は奇妙な倦怠感の知覚と厭に現実的な夢の断片の記憶を持つのみで、デクの起こしたことを認識しない。
この数週間で、出久の意識を半ば乗っ取り続けることによってコツを掴んだ彼は、グラントリノやオールマイトの目を欺き、夜ごとに外に繰り出し、いつものように非
ワン・フォー・オールの九代目継承者として、彼は相応しい進化を遂げていた。だがそれは、必ずしもオールマイトの後継としての進化を意味するものではなかった。
彼は巨悪を討ち取れるかもしれない。象徴として君臨することもできるのかもしれない。だがそれは、オールマイトの理想からも、そして出久の理想からもかけ離れた、ひどく歪んだものなのかもしれなかった。
デクは一先ず出久に身体を返し、つつがなくカウンセリングを受けさせた後に再び身体を乗っ取った。そうして向かう先は、繁華街の裏路地であった。
かつてそこは、それなりに栄えた商店街だったという。だが地方都市の衰退と大型ショッピングモール・チェーンの台頭により寂れ、シャッター街となったところに地元の不良やチンピラ、果てには非
個性犯罪と密接に結びついた組織犯罪は、オールマイトの登場と同時に摘発・解体が進みその数を減らした。だが非
そこには様々の種類の人々がいた。行き場を失った少年少女。昨晩の客を連れ立って歩く娼婦。金貸し。盗品とおぼしきブランドものとセール品を交互に身につけた歪なチンピラ。地味目だがしっかりと正装をしている、区画の用心棒としてのヒーロー。
そんな場所を通り抜け、デクは奥へと向かっていく。そうして、ある古物商の店に辿り着いた。
つかつかと店内へ入っていくと、彼は棚に置いてあったカエルの置物の一つを手に取り、その裏側を確認すると、レジまで持って行った。
受付を担当していた若い男はそれを受け取るや、デクからは見えない位置でその下部に取り付けられたキャップを外し、その中のカード型の記録媒体を取り出した。そしてそれを、やはりカウンター下の読み取り機に差し込むと、そこからはじき出された紙を手にそそくさと店の奥へ消えていった。
数分後、その男はデクに、鉄製の箱を差し出した。
「ご確認ください」
言われ、デクはその箱を開ける。それで、中のものが露わになった。
それはガントレットだった。それも腕を覆うタイプのものだ。昨今欧米で急速にシェアを伸ばしているという超圧縮技術の応用された一品であることは一目で分かった。
明らかに、それは闇市製のものではなかった。使われている技術の質が高すぎる。こんな代物は、確かな技術基盤を持った──そう、例えば正規のヒーロー・サポート企業でもない限り製造できないはずだった。
「ありがとう」
短く言い、デクは箱と一緒に差し出された紙袋にそれを入れると、店を後にした。
ふと彼は思い出し、ポケットから一枚の写真を取り出した。そこには痩身の、肌の荒れた青年が写っている。
──全身に手を身につけた彼の名は、死柄木弔。雄英高校襲撃事件の主犯にして、巨悪:オール・フォー・ワンの後継者だった。
*
そんな死柄木弔本人は、潜伏先のバーで燻っていた。
雄英高校襲撃以降、彼らは息を潜めていた。無論、勢力拡大のために水面下で動いてはいたが、死柄木本人の未熟さゆえにそれは難航している。
そのうえ、そうした活動の中で引き入れたステインが倒された。出鼻を挫かれた彼は、いっそう苛立ちと無力感を強めているといえた。
「…………」
ひとしきり椅子を破壊したあとむっすりと黙り込んだままの死柄木に、全身ワープゲートの男──黒霧は、何も声をかけられずにいた。
──と、ふと。バーの壁に取り付けられたモニターが点灯した。
画面いっぱいにはしる砂嵐──その向こうから、声が聞こえてくる。
「だいぶ荒れているようだね、死柄木弔」
低く、骨の髄まで染み込むようなそのテノールボイスに、黒霧は身を引き締めた。なにせ彼は、モニターの向こうの彼は、
オール・フォー・ワン。そいつは、そう名乗っている。
「焦ることはない、計画ならいくらでもある。……黒霧」
「はい」
どこか機械的な声で、彼は答えた。それに対し、オール・フォー・ワンは、
「あれをやろう。──プロトコル:Nだ」
と宣言した。
モニターの向こう。とある場所に潜伏している彼は、誰にも見えない位置で薄く笑った。
その顔の先には、日本地図と、無数の、調整済みの改人:脳無のデジタル画像が表示されている──。
ちょっと補足を。
ガントレットは原作32巻に登場したミッドガントレットと大体同じくらいの性能という設定です。デから始まる某サポート企業製作の一品であり、デクは中間業者に、数種の仮想通貨で代金を支払っています。顧客データは顔と紐付けられており、古物店でデクが差し出した置物は「品物の種類」を指定するものです。
また、ステインは一応生存していますが、完全退場してはいます。展開上仕方のないこととはいえ、流石に原作の重要キャラクターをこのような形で殺すのは忍びなかったので折衷案として瀕死という形にしました。