デクがガントレットを受け取るよりも、数日ほど前のことである。
──深夜。その公園には、鈍い音が響き渡っていた。
それは拳が──より具体的に言うなら、メリケンサックをはめた拳が、人間の肉体を破壊する音だった。
それは先刻から、一定のリズムを伴って響き続けている。荒い息遣いとうめき声とがないまぜになり、それらの音は深夜の公園に異様な雰囲気を作り出していた。
「ハア────ッ……ハア───ッ!」
ほとんど過呼吸のような鋭さで、少年は拳を振り上げ、息をする。
──と、ふと。公園が光に満たされた。それは業務用ライトのハイビームだった。いつの間にか、彼は警察に包囲されていたのである。
「おい、そこで何してる!?」
その声に、少年は我に返ったように振り向き、マウント・ポジションから脱して弾かれたように逃げ出した。だが素人の足では、警官隊を振り切ることはできない。すぐに彼はライオット・シールドに阻まれ、確保される。
数人の警官にもみくちゃにされ、彼はメリケンサックを──唯一の武器を奪われてしまった。こびりついた血と、すえた臭いが今や遠かった。彼と暴力とは今ここで完全に隔てられ、後には祝祭の後のような空虚が残るのみだ。
手錠をかけられ、少年はパトカーに連行された。そこで車内のライトに照らされ、その顔が露わになる。
千種色の髪に、どこか軟弱そうな顔。それはかつて虐められていた少年だった。緑谷出久と──デクと出会ってしまった少年。
「なんでこんなことした?」
ふと、呆然とした面持ちの彼に、警官の一人が問いかけた。
それで、彼は再び我に返ったような表情をし、虚空を見つめてぱくぱくと口を動かした。それは声にならない声だった。彼はその動作によって言葉を手繰り寄せているかのように、しばしそうした動作を続けた後で口を開いた。
「力を──もらったんです」
「力?
「いえ……あなたがたがさっき押収した──」
その言葉に、警官は訝しげな表情をした。
「メリケンサックか? 言っちゃなんだが──そう珍しいものでもない。力と呼ぶには貧相だよ」
少年は首を振った。
「ぼくには……あれしかなかったんです。ぼくは……無個性だから」
無個性。それは個性社会における落第を意味する。警官は息を呑んだ。
「あれは、ある人がぼくにくれたんです。ぼくにとって、あれは……あれだけが力だった。鉄の感触が、拳の痛みが、血のにおいが、暴力の気配が、すべてがぼくを解き放ってくれた──」
「……個性を使っていないとはいえ──あれは犯罪だ。その意味を分かっているのか」
「分かっています。分かっているつもりです。でも……ここにヒーローは来ないんでしょ」
「──っ! ……ヒーローだけが……罪を縁取るんじゃない」
言ってから、警官は改めて、実に白々しい言葉だと思った。
ヒーローが来なければ。ヒーローが倒すべき
彼は首を振り、その考えを打ち消した。それは世界の、人間社会の冷酷さに対する屈従だ。そんなことを、警官である自分が許すわけにはいかない──。
「とにかく、署で詳しい話は聞かせてもらう。君はこれから、君が犯した罪と向き合うんだ。いいな?」
その言葉に、少年はうなだれた。
力。無個性にとっての力。その言葉が、存在が、いつまでも警官の心の中には木霊していた。
原作読み返してたら時系列の整合性が取れてない部分があったので33話にちょっと修正を加えました。
元々は7月一週目くらいのイメージで書いていたのですが、そこを修正し二週目としました。雄英高校の期末試験は終わっており、夏休みが始まろうとしています。