──そこはどことも知れない、奇妙に昏い部屋だった。周りには崩壊した玉座のようなものが8つほど並んでおり、いずれの座にも血だまりができている。そんな景観に、僕は冷たい、命の喪失を感じた。そこには確かに、別々の確固たる、個性ある意思があったのだろう。だがそれは、デクの手によって抹殺されてしまったのだ。
「まったく、ままならない個性だよね、これは」
僕は「そいつ」と向き合う。緑色のちぢれ毛。そばかす。覇気のない眼。毎朝鏡で見るその男と。
そいつの名前は緑谷出久。いや──デクと呼ばれる怪物。もう一人の僕。
デクは半笑いを浮かべて、そこに立っている。
「力をストックする。そういう個性なんだよな、これは。まさか意思までストックされるとはね。お陰でこうして、お前と対面するハメになった」
「…………」
「ここはワンフォーオール……そう呼ばれた個性の“核”だ。意思と力がストックされるすべての
「……ここでお前を倒せば、お前は二度と現実に現れなくなるってことか」
「ご明察。まあバカでもなきゃ分かるか。だがそりゃお前も同じだ。ここで死ねば、お前は永遠に緑谷出久に戻れないまま虚空に溶けて消える」
「…………」
再び、僕は口を閉ざす。デクの饒舌さを警戒しているからだろう。さっきから、嫌な予感が全身を支配している。次の言葉が、僕を構成する大事なものを、粉々に砕いて戻れなくしてしまうような、そんな予感が。
後戻り、という言葉が脳裏に浮かんだので、僕は苦笑しそうになった。
後戻りなんか、できるはずがない。僕の中にはもう、何も残っていないのだ。
「ちょっと話そうか、ねえ?」
「おしゃべりに付き合っている暇はない」
「つれないな。ここじゃ現実の時間は流れないってのに」
言い、デクは両手を広げた。
「なあ、緑谷出久──なぜ僕を否定する? お前はあの時、悟ったはずじゃないか」
「……あの時、だって?」
その問いかけに、「デク」は頷き、答える。
「あの瞬間──爆豪勝己の拳が身体に命中する直前に、お前は悟ったはずだ。この社会に、この世界に、善の暴力も、悪の暴力もない、と。あるのは純然たる暴力だけ。コインの裏表、という話ですらなく、拳は分かちがたく拳であり続け、殴打は分かちがたく殴打であり続ける。それが世界だ。それが人間だ。……お前は見たな」
その言葉に、僕は目を伏せた。次に何を言われるか、見当がついてしまったからだ。
「お前は。お前は──爆豪の姿に、オールマイトの姿を見たんだ」
やめてくれ、と叫び出さなかったのは、奇蹟に近いだろう。
オリジン。僕のオリジン。──否、僕
僕は、最初から分かっていたのかもしれない。なぜデクが──殺人も厭わない残忍な「デク」が拳による戦いに固執するのか。なぜ煽るような戦い方をするのか。なぜオールマイトの力を受け取ったのか。
「オールマイトは爆豪で、爆豪はオールマイトなんだよ。しょせん子どものヒーローごっこだという見方もできるだろうが──それがお為ごかしの欺瞞に過ぎないことはお前が一番よく知っているはずだ。僕たちの憧れは、僕たちの絶望の中にもあった。オールマイトの振るう拳も、犯罪者──
「誰が、だって……。それはヒーローだろ?」
辛うじて口に出すことができた僕の
「連中のやってることは戦いごっこにすぎない。ショーとしての治安維持には何の意味もない。あれは暴力の独占でも管理でもない。ただの放任だ。この社会はあらゆる暴力を放任することで、破綻しながら辛うじて成立しているんだよ。オールマイトという
「変える必要はない」
「くどいな。何をムキになってる? ……話を戻すぞ。必要なのは一人の象徴と、それに憧れる半端なコスプレ集団じゃない。本当に必要なのは複製され、拡散されていく象徴だ。暴力を正当化する詭弁──オールマイトを複製していくことだ。ナイフも銃も使わない、子どもの羨望を一手に引き受ける正義のヒーロー……それを
デクの言葉と重なるようにして、この空間の空にモニターが出現していく。そこには、曇天の都市の映像が映し出されていた。
都市には、異様な光景が広がっていた。そこでは兎のような、あるいは悪魔のような二つの角の意匠をもつフードを被った集団が、ガントレット型のヒーロー・サポートアイテムを装着して練り歩いているのだった。彼らは雄英高校が採用しているようなロボットを引き連れている。その陣形は軍隊のように緻密だ。
僕はそのフードのデザインを知っている。それは僕が考えたヒーロー・コスチュームだった。
そうしたフードに身を包んだ集団の中には、異形型の人間も混じっているようだった。大柄で、襟元から露わになっている皮膚には爬虫類の特徴が認められる。
そんな中、街の隅で爆炎があがる。個性犯罪だ。火の手が上がったのは銀行である。粉々に砕けたガラス片を蹴り、大袋を抱えた強盗たちが行内からその姿を現す。
──とその瞬間。通りの向こうで、一人の男がフードを被った。それは先刻のヒーロー集団のものと同じ装備だった。当然、その四肢には圧縮ガントレットが装備されている。
刹那、男は大きく跳躍し、強盗団に飛びかかった。絶叫しながら拳を振るい、一人、また一人と無力化していく。
それをロボットとのデータ・リンクによって察知したのだろう。やや遅れて、同じフードを被ったパトロール隊が事件現場に殺到する。そしてその拳で、件の強盗犯を──
彼らは制圧した
これが。
これが、デクの言う未来。デクの言う理想。最も原始的で最も容易な、単一の暴力なのだ、と、僕は瞬時に悟った。
ここには歪な平等があった。映し出されているコスチュームの集団は、一様に個性を使っていない。規格化された装備の力を行使しているだけなのだ。個性の問われない世界。個性がなくても「ヒーロー」になれる世界。そこにあるのは意思と力だけ。
無関係でいられるはずが、なかったのだ。デクもまた、オールマイトに憧れた一人だったのだ。だがその憧れは──絶望的な経験の前で歪んでしまった。そうして、これが生まれた。この光景が、この暴力が。
悪夢だ、と僕は感じる。心の底から嫌悪感が湧き上がってくる。だがその嫌悪感の半分は、自分自身に、緑谷出久に向けられたものだった。
僕はたしかに、抱え込んでいたのだ。こんな理想を。こんな幻想を。
心のどこかで、僕はこれを望んでいたのだ。僕がオールマイトになるとは、こういうことだったのだ。これはまごう事なき悪夢だが、夢であることには変わりない。夢は、意識からしか生まれない。僕の意識は──この夢の直上に君臨して、そうして、ずっとこれを押し込めてきたのだ。見ない振りを続けてきたのだ。
──ヒーローを研究して、リストアップするたびに胸のどこかで感じていた違和感。引け目。それはひょっとしたら、嫌悪だったのかもしれない。
「……一つ聞きたい」
長い長い沈黙の果てに、僕はそれを口にした。
「なんだ?」
「その血まみれの拳で……血まみれの理想で、傷ついた人々を救えるのか?」
──それは宣告の響きを伴って、その空間を静かに、しかし確かに打った。
デクの方は結構原作