──爆豪の肉体は、限界を超えていた。
両腕の腱は切れており、本来そうあるのとは逆の方向にねじれている。足はまだそうではないようだが、既に右足は痣にまみれ、まともに動かせないことは明白だった。
そのうえ、彼は全身から出血していた。いくつか重要な臓器もやられているのだろう。何度か血を吐き、周辺の地面は赤く染まっている。このままでは失血死のリスクもある。
だが、それでも。
それでも、爆豪はデクに向かっていく。
「き……い……て……くれ……」
「なんなんだよ、さっきから!」
叫び、デクは頬に拳を叩き込んだ。それで、踏ん張りの利かない彼は再び地面に叩きつけられる。だがそれでも、彼はまだ辛うじて動かせる左足で態勢を立て直そうとしているのだった。まだ彼は諦めていない。──だが、何を?
デクは爆豪の頭を掴み、強引に身体を引っ張り上げた。それで、その眼を覗き込む。
そこに浮かんでいるのは、依然として恐怖だった。不可解なものへの恐怖。デクへの恐怖。だがそれだけではない。そこには彼の嫌悪する──信念の萌芽があった。
彼は再び、その顔を殴りつけようとする。だがその瞳の奥に灯る光が、彼をその場所に縫い付けた。
デクは既に、ワンフォーオールを使った打撃をやめている。彼は素の力だけで爆豪をいたぶっている。当然、それは肉体的限界、および個性の限界を考慮した選択であるが、それはあくまでも後付けの理屈だった。
──デクの身体は、動きは、徐々に鈍っている。まるで、内側から、逆方向に引っ張られてでもいるかのように。
「お……れ……は……。ずっと、おまえに……謝ら……なきゃ……いけな……かった……。でも……怖かった……それで……おれは……おまえを……遠ざけて……」
「………っ!」
デクは歯をかみしめ、拳を再び振り上げた。だが、一撃を放つことができない。
「ごめん、
そこで、爆豪は
打つなら今だ。デクはそう、強く思った。そう決意した。殴らねばならない。自分のトラウマを、過去を、甘ったれた理想を、ここで清算しなければならない。──だが、どうしてもそれができないのだった。
爆豪の頭を掴むデクの腕から、力が抜けていく。
「おれには……もう……なにも……できない……。だから……だから……ッ……せめ……て……おまえの……気が済むまで……おれを…………ッッ」
絞り出すように言い切ると、支えを失った爆豪は地面に崩れ落ちた。まだ息はあるようだが、それもいつまで保つのか分からない。
デクは三たび拳を構えた。だが、その拳は震えている。
*
──
「なぜだ……なぜ……!」
そこに現れていた表情を、僕は名状しきることができない。怒り、恨み、悲しみ。冷酷たろうと表情筋を動かしたときに生まれる歪み。そうしたすべてを、どう語ればいいのだろう? そうしたすべてと、どうやって折り合いをつければいいのだろう?
僕は立ち上がった。そして、彼を正面から、同じ高さから見据える。
それはどこまでも、僕の表情だった。あり得たかもしれない、可能性の僕。心を失い、理想を歪めて、そうして立っている僕の姿。
「これが、多分……僕たちの限界なんだよ、デク」
僕は初めて、彼の名前を呼んだ。それで、デクは黙り込む。
「僕も、おまえも、かっちゃんも……同じ人に憧れた。僕たちはヒーローに憧れた。でも、その憧れ方を間違った。それで、多くの人たちを傷つけてきた。──それでも。それでも、その
「ふざけるな! あいつは。あいつは僕たちを──」
「もういいんだ。……もう、終わりにしよう」
「終わりだと……。それは、それはお前のことだッ! 僕ならこの先にたどり着ける……このどん詰まりを終わらせることができる……! それを分かるんだよッ!」
「……構えろ、デク」
言い、僕は最後の一撃を放つために、両の拳を構えた。それに呼応するように、デクもまた、折れていない方の右腕を構えた。
気付いた時、周囲の風景は廃墟ではなく、あの公園になっていた。あの日、あの瞬間、デクが、僕が生まれた場所だ。
「終わりだッ!」
叫び、デクは歩法を駆使し、僕の視界から消えた。超速の、最後の一撃を放つつもりであることは僕にも分かった。
正真正銘、これが最後の一撃になる。
それは僕の終わり。ヒーローの終わり。未来の終わり。可能性の終わり──なのだろう。
それでも構わない、と僕は思う。そう信じる。
「United States of──」
「Confederate States of──」
切迫した空気の中に、声だけが響く。
「SMASH!!」
叫び、僕らは攻撃を放った。
あらゆる小細工を排した、正面からのコンフィデレイト・ステイツ・オブ・スマッシュ。
速い。僕はそれを直感した。
だが、負けるわけにはいかない。
僕はすべてを懸け、拳を正面から迫るデクに振り下ろした。速く。もっと速く、鋭く、強く、そして──。
痛みが立ち上ってくる。胸から肺、頭にかけて鋭い痛みがはしる。デクのスマッシュが身体を抜けていく。世界が綻び、視界が霞んでいく。
そんな世界の中で、崩れゆく意識の中で、僕は真っ直ぐにデクを見据えた。スマッシュが僕の心臓を粉々に破壊するまで、後1秒もない。──だが、
プラスウルトラ。その言葉は、持たざる者にとっては呪いだった。どれだけ踏ん張っても、どれだけ叫んでも、決して届かない事実への侮辱。
それでも。ただ、この一瞬に、僕の脳裏に浮かんだ言葉はそれだった。遠く、遥か遠くに燦然と輝く理想──ヒーローという理想へと手を伸ばし、超えていくための呪文。
皆んなが僕を、この一瞬だけヒーローにしてくれた。この一瞬だけ、最後の一瞬だけ、僕はヒーローでいられる。
だからこの一撃だけは、絶対に外さない。
──軋む身体に反するように、その一撃は速く、重く進んでいく。
刹那、轟音がその空間に響き渡った。
その音は、右から左へと抜けていく──ユナイテッド・ステイツ・オブ・スマッシュの音響だ。
デクの首筋に命中したその一撃は、彼の身体を徹底的に破壊しながら後方へと抜けていった。
圧倒的な衝撃の奔流を前に、彼の身体が崩れていく。それで僕の胸に突き刺さりつつあった手刀は、腕ごと消滅した。
──勝敗は、既に決していた。
「ちくしょう……」
一瞬。
だがそれが幻想だったのか、確かめる術はもうない。勝負が決したことで精神世界が崩壊したからだ。僕の意識は急速に現実に引き戻されていく。
──そうして、僕はそこに立っていた。
豪雨の直中で、僕は地面に崩れ落ちたかっちゃんを見下ろしていた。
僕は視線を横に向け、崩壊した木椰区ショッピングモールの風景を眺める。
そこには先刻デクが──否、僕が殺した人々の死体が転がっている。死柄木弔。そして無数の脳無たち。
僕は、大勢を巻き込んだ。この景観は、僕の罪の証だ。僕の歪みの象徴だ。
だが、今やすべては過去だった。
ふと、僕の頬を熱いものが伝った。それはとめどなく溢れ出し、気付いたとき、僕は地面に膝をついていた。
かっちゃんは、未だ目覚めない。
「うう……うあ……ううう……」
涙が、雨に濡れた世界の輪郭を攫って、流れていく。
「うううう………ッッ!」
僕はただひたすらに、天を仰いでいた。喉が自分のものではないかのように震え、そこから獣のような声が絞り出される。雨の音によってその多くはかき消されていたが、その声は確かな存在感をもって天を衝いていた──ように思う。
雨が一層強くなり、周りに人の気配をまばらに感じるようになっても、僕はそれを止めることができなかった。あふれ出したその15年分の感情を止めることは、たぶん、誰にもできなかったのだろう。
そこまで考えて、僕は、今日が自分の誕生日だったことを思い出した。7月15日。16回目の誕生日。しかしそれを祝う者は、誰もなかった。今ここで、僕は一人だった。
でも多分、それでいいのだろう。
今、すべては終わったのだ──。
慟哭のシーンは、意図せずして原作33巻との対比になりました。
戦いは終わりましたが、物語はもうちょっとだけ続きます。