山田先生と高校の先輩の四方山話。   作:逆立ちバナナテキーラ添え

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 ハッピーエンド書くぜ。


 書くぜ。(念押し)


ほんとうに、──くんはしょうがないなぁ☆

 

 

 

 彼はぴくりとも動かなくなった彼女を抱いて、静かに笑った。

 彼はとても幸せだった。

 

 ぼくはそう締めくくって、キーボードから手を放した。身体を伸ばせば小気味のいい音が節々から聴こえてくる。部屋に灯りはなく、唯一の光源は目の前のデスクトップモニターだけで、その中でぼくが記した文字が陰鬱そうにぼくを見ている。そんなふうに思えてしまうほど、じめじめした文だった。

 疲れがどっと押し寄せてきて、ぼくはデスクに突っ伏した。思えば一昨日からまともな物を口にしていない。空きっ腹がへんに惨めな気持ちにさせて、もうこのまま寝てしまおう、なにもかもどうでもいいから世界中が自分一人になってしまえばいい、と思考を泥沼に引き摺り込んでいく。

 いつも通りの悲劇。いつも通りの憂鬱な作品だった。不治の病に冒された女の幼馴染みが、憔悴してゆく彼女を見る度に好意を自覚して、最後は病魔に殺されるぐらいならば自分が殺すと言って彼女の首を締める。なんでこんなものを書いてしまったのか、自分でもよく分からない。いつもいつも、筆を取ればこんなものしか書くことが出来ない。

 

 ぼくが物を書くようになったのは、中学三年生の秋だった。名の知れた作家だった父の遺伝かは分からないが、小さい頃から本が好きだったぼくはなにか大きなものに突き動かされたように処女作を綴り始めた。それから時が経って、昨日二十七歳になったぼくは作家として生計を立てている。国内では幾つか賞を貰って、二つの作品が映画になった。

 色んなものを書いた。SF、ミステリー、恋愛もの、はてはファンタジー。アニメや映画の脚本を手掛けたこともあったが、どれも幸せな物語はなかった。そこには暴力があって、人の暗く、酷く汚い部分ばかりがまざまざと浮き出てくるものばかりだった。そういう所を名前も知らない評論家に叩かれることもあったけれど、そんな時は気が狂ったように酒を飲んで、煙草を吸って、女と遊んで忘れた。そうすれば、いらいらよりも大きな自己嫌悪の波が全てを拐ってくれるから。

 朝、目が覚めて、隣で知らない女が眠っていると無性に涙が溢れてしまうのだ。女を起こさないように声を殺していると決まって女は起きてしまって、ぼくを見て驚く。でも、怪訝な顔をせずにぼくを抱き留めて、まるで母親が幼子をあやすように落ち着かせてくれる。その温もりに包まれながらぼくは毎度情けない気持ちになる。訳も分からず泣いているぼくをなにも聴かずに慰めてくれる彼女たちに比べ、ぼくときたらなんて汚れた生き物なんだろう。こんな、精々が文を書くぐらいしか能のないやつなんて、死んでしまえばいい。そういう暗い感情に満たされながらも、何処か安心してしまう自分にさらに嫌気がさす。極めつけは、その感情を糧に物を書き、飯を食えていることが何よりも皮肉が効いているということだろう。

 

 だから、ろくなものが書けない。

 

 世界の淵のような4LDKの中で一人、深く、二度と這い上がってこれないような暗闇に溶ける寸前、けたまましく着信音が鳴り響いた。買い換えたばかりのスマートフォンの画面には、いつも騒々しい知り合いの名前が表示されている。

 

 「おい、色魔!生きてるか?」

 

 まるで人間失格の堀木みたいなことを言い出した彼の姓には、同じ堀という字がある。

 堀崎はぼくと同期の作家で、こうして弱ったぼくが消えてしまいそうな時、すんでの所でいつも引き止める。人のことを色魔だなんて、柔い部分をつねるような名前で呼ぶのに、堀崎はぼくに優しくする。それがなんだか怖くもあるのだけれど、付き合いを絶とうと思ったことは不思議と一度もなかった。

 

 「まぁ、なんとかね」

 「そりゃあよかった。自殺未遂なんてされたら敵わないならな。今から出てこいよ、いつもの所だ」

 

 堀崎はぼくに喋らせる暇を与えずに言いきった。たぶん、喋らせたら断ることを見越してのことだった。

 

 「来なきゃあ、おまえにツケとくぜ」

 

 そう言って、スピーカーからは虚しい音が聴こえてくる。

 時計は夜の一時を回っていたけれど、ぼくは支度をしてよく行くバーに向かった。

 堀崎。堀崎成悟はぼくとは磁石の極のような関係にあった。作風も性格も真逆なのに、どうしてか取材や企画で一緒になることが多く、プライベートでも頻繁につるんでいる。と言っても、向こうがぼくを呼び出すか、ぼくの部屋に酒を両手いっぱいに抱えて押し掛けるかの二通りしかない。

 彼もぼくと同じような受賞歴と、映画化の実績を持っているが、ウケがいいのは圧倒的に堀崎の方で、昨年ヒットした堀崎が原作の映画は来年には続編が公開されるらしい。それは当然のことで、堀崎の書く文にはぼくのような負はなくて、何処までも突き抜ける青空のような気風が感じられる。どれだけの苦難や、試練が立ち塞がっても最後には笑顔と感動がある。そういう作品の方が支持されるのは当たり前のことで、それを堀崎は心の底から書いている。

 そのバーはぼくの家から歩いていけるほどの場所に慎ましく店を構えている。表の喧騒を嫌うように、ネオンの光が当たらない路地の裏の裏にあって、その扉も客を拒むように分厚い金属のものだった。普通に歩いていると見逃してしまうように、扉には小さく店の名前が刻まれている。BAR-Akeka。客を取る気が微塵も感じられないこの店がぼくは好きだった。

 

 「よぅ、色魔。思った通り酷い顔色だな。おまえ、俺が電話しなけりゃ、どうせ、三日、四日もろくなもの食わないまま、そのまま寝てたんだろう」

 かもしれない、と言って「朱香さん、ナッツとスコッチちょうだい。タリスカーね」

 「いいや、朱香姐さん、今のはナシだ。ちゃんとしたものを食わせてやってくれ。こいつ、死んじまうぜ……」

 

 堀崎はぼくの注文を取り消して酷い無茶を言った。ここはバーであって、居酒屋ではないのに、ちゃんとしたものを食わせろだなんて場違いにも程がある。でも朱香さんはしょうがないというふうにぼくを見て、少し待っててね、と奥へ下がっていった。

 

 「余計なお世話だよ」

 「こうでもしないとおまえは勝手に餓死するか、苔になっちまうからな。悪く思えよ」

 

 こういう堀崎の優しさが煩わしく感じる。でも、その友情じみた厚意を無下にしようとする自分が相変わらず嫌で、ぼくは苦い顔をして、堀崎のカシューナッツを引ったくって口に放り込んだ。

 

 「最近はどうだ?」

 「さっき、一つ脱稿したよ。ヘドが出るようなやつだ」

 「そうかい、そりゃあお疲れさん」堀崎はぼくの肩を叩いて、「でも、最近頑張りすぎてないか?」

 「そうでもないよ。今回は癪だけど、筆が乗ったんだ。それに、元々書くのは早い方だよ。内容はともかく」

 

 三日で今回は一つ書き上げた。ヘドが出るようなと言っておきながらなんだけれど、筆が乗る乗らないにぼくの場合は自分の嗜好は関係ないらしい。大筋が浮かんで、書きはじめると指先は止まらなかったし、止められなかった。くらくらする頭と吐き気の中で見えたものが、五指に流れ込んだ。

 暫くすると、朱香さんが奥から戻ってきて、カウンターにお皿を置いた。山盛りのパスタ。ほうれん草とベーコンと半熟の玉子。こんなものしか出せないけど許してね、と朱香さんは言うが、ぼくにとってはこんなに温かくて優しそうなご飯は久しぶりで、ちょっとばかり感動してしまうものだった。添加物たっぷりで、濃い味付けのコンビニ弁当とはまるで違う。

 ぼくがそのパスタに夢中になっていると、朱香さんが笑いながら、

 

 「もっとゆっくり食べないと、身体に悪いわよ。別にパスタは逃げないんだから……」

 「でも、美味しいんだ。こんなに美味しいご飯を作る朱香さんが悪いよ」

 「足りなかったら、おかわりもあるからね。いっぱい食べて、体力つけなきゃ」

 「ぼくはもうすぐ三十路だよ。体力もへったくれもないって。運動部の学生じゃあるまいし」

 

 朱香さんはこうやってぼくを子供扱いするきらいがある。もう、いい歳のおじさんのぼくを弟かなにかのように可愛がるものだから、一人っ子のぼくは随分前から奇妙な姉弟関係に巻き込まれている。たぶん、ぼくと二つ程しか歳も離れていないから、余計にらしく見える。

 そんな泡沫の姉はぼくを誰かと重ね合わせている節がある。気付かれないと思っているようだが、否応なくぼくはそれを感じ取ってしまった。いやらしく、人の誰にも触れられたくない、触れてはいけない所を目敏く見つけて盗み見るぼくの醜悪な天性の悪徳は作品へのエッセンスという恩恵と同時に、こういう何気ない場所でもぼくを苛む一助になっている。だから、実はパスタを食べる時も非常に後ろめたい気持ちと共に舌鼓を打っていた。食べることに夢中になるふりをして、どう生活していても忍び寄るそれらを朱香さんや堀崎から隠すために騙し騙しやっている。

 そうだ、と堀崎が何かを思い出した。ぼくの方に身体を向けて、唇を歪めて、

 

 「今度、IS学園に取材に行けることになったんだ。どうだい、おまえも行かないか?」

 

 ふっ、と味も臭いも消えてしまったような静寂がぼくを支配した。パスタを巻く手も止まって、身体中が石になってしまったみたいで、へんな箇所に鳥肌が立って気持ち悪い。

 

 「行かないよ。ぼくは、余り興味がないから……」と言って、「土産噺で十分だよ」

 

 堀崎はそうかい、と深くは訊かなかったけれど、ぼくの僅な変化に気付いていたのだろう。黙って飲み直し始めた。それから堀崎がグラスを空にするまでぼくたちの間に言葉は生まれなくて、あの堀崎が窮屈そうな顔をしていて、居たたまれなくなったぼくは金を置いて、店から出た。堀崎と朱香さんがなにか言っているようだったけれど、やけに煩い夜の音で聴き取れなかった。音の正体は雨で、滝行でぼくの魂魄を払い清めるようにぼくを濡らす強すぎる春雨を浴びながら、部屋への道を辿った。

 行くわけがないのだ。今さら会う気もないし、向こうも会いたがらないだろう。再会に意味は全くない。会ったところで、あの頃のような文が書けるわけでもない。文字が輝き出すこともない。ともすれば、ぼくの現状は不治の病のようなもので、きっかけ一つで易々と治ることはない。会わないように立ち回るなんて器用なことは取材させてもらう立場では不可能。そもそも、ぼくなんかが目の前にいられたら迷惑で、嫌でしょうがないだろう。

 部屋に戻るとそこには出る前よりも深くなった暗闇があった。ずるずるとぼくを知らない何処かへ連れ去ってしまいそうな隣人の前で、ぼくは床に寝転んだ。ベッドに行く気力も、濡れた髪や身体をシャワーで流す気も起きなかった。それでも、なんとか立ち上がって、高校の卒業アルバムに挟まった後輩──山田真耶と撮った写真をごみ箱に捨てた。そこでぼくの気力は本当に底をついて、寝転んで、朝を迎えた。

 

 

 

 






サクサク終わらせたいけど、サクサク書けないもどかしさ。


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