山田先生と高校の先輩の四方山話。   作:逆立ちバナナテキーラ添え

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なぁにこれぇ?


たかし、元気ですか?お母さんです。元気で(以下略、みたいな怪文書

 拝啓

 

 朝晩はだいぶ過ごしやすく感じられるようになりました。

 こう書き始めてはみましたが、どうにも落ち着かないものですね。直筆の手紙なんてはじめて書きました。時候の挨拶はこれで合っているのでしょうか?もっと調べてから書きたかったのですが、生憎ともう時間がないのでこのままで失礼します。

 突然このような手紙が届いて、先生も少しは驚かれていることと思います。恐らくは、先生がこの手紙を読んでいる頃にはわたしはもう死んでいることでしょう。もし、なにかの間違いで生きている場合は何かしらわたしの口からある筈です。どちらにせよ、この手紙の処理は先生にお任せします。読まずに焼くなり、額縁に飾って形見にするでも構いません。

 先ずはお詫びを。今頃先生を含め多くの人に多大な御迷惑をお掛けしていることと思います。何せ有名作家と編集者の心中なんてゴシップの種として特上の類いでしょう。しかも相手はあの堀崎奨。世間様には心中以外でなにか都合のいい死に方にすげ替えられて報道されるかもしれませんね。しかし、わたしも堀崎先生も思い止まるという選択肢はありませんでした。なるべくしてなった、とでも言えば良いのか。兎も角、今回の騒動は遅かれ早かれ起きていたことなのです。たとえ、今回某かで見送られていたとしても結局はわたしと堀崎先生は形が違えど死ぬという結末には変わりなかったのです。そう遠くない内に似たような手紙を認めることになっていたでしょう。

 さて、そもそも、この度先生にこのような手紙を差し出したのは単なる遺書代わりという理由だけではありません。伝えなければならないことが幾つかあるのです。わたしのこと、堀崎先生のこと、そしてあなたへの言葉。本当ならば伝えるべきではないことなのでしょう。知らなくてもいいことや、知られたくはなかったことに、知ってもどうしようもないことがたくさんあります。それでも、わたしはあなたにその全てとまではいきませんが、大まかな部分を書き遺すことにしました。単なる必要性の問題ではなく、あなたにはその義務があると思うのです。少なくとも堀崎先生のことについては、ここまでわたしの拙い文面を辿った以上どうであろうと彼の真実を知らなければならないと考えます。ですが、わたしはその義務をあなたに課せるほどの力も立場もありません。なので、この手紙という手段を利用することにしました。あなたならばきっと読んでくれると確信を八割、願いを二割。短いお付き合いでしたが、これでもあなたの人となりは少しだけ理解出来ているつもりです。

 はじめに、わたしのことについてです。とは言いますが別段なにか新しくお伝えするようなことがあるわけではないのです。それとは反対に、今まで繕ってきたものを晒け出します。取りようによっては大差はないようにも思えますが。

 わたしがあなたに繕っていた部分はあなたに見せたこともないほどに深い場所に根差した問題に起因しています。わたしがあなたに語った半生に嘘偽りはありません。平凡な出生、海の側で育ち、汚され、それをひた隠し、あなたの担当編集として出会った。しかし、それは全てではありません。そこには幾つか付け加えなければならないことがあります。そして蓋をして、そこに張り付けたラベルを剥がさなければなりません。それで漸くわたしという人間の半分を正しく伝えることが出来ます。

 わたしは高校の頃に担任の教師に犯されました。十六の夏でした。ひぐらしが鳴いていた夕暮れに図書室で後ろから殴り付けられて、暗さと歪曲する視界が溶け合って、鈍痛で意識が遠退く内に教師はわたしの膜を破りました。何度も何度もわたしの内で果てて、荒い呼気をわたしに吹き付けながらわたしの名前を呼んでいました。その時どんな抵抗をしたのかはうまく思い出せません。ただ、凶行のうちにわたしの内から何かが剥離していって、完全に剥がれ落ちると身体中の力が抜けきってどうすることも出来なくなったことだけは覚えています。その後、わたしはどうしてか平静を装うことが出来、なに食わぬ貌で家に帰ることが出来ました。内心、色んな感情が──その大半は哀しみと絶望のようなものでした──嵐のように吹き荒れていたのですが、風呂場では必死に、しかし冷静にあの男の種を掻き出して洗い流し、ポケットに突っ込まれたピルの飲み方を調べるほどの余裕があったのです。こう書くとまるでわたしが被虐性癖があったり、あの男を受け入れたように見えるかもしれませんが決してそのようなことはありません。ただ、その嵐の中に無風地帯があって、それがいやになるほどわたしを冷静にさせていました。わたしを犯した教師から母が使っている香水の薫りがしたという事実はそれだけの衝撃性を持っていました。間違いや気のせいということは有り得ません。

 その日から幾度となく、わたしは捌け口にされました。ありがちな話ですが、あの男はわたしの無様な姿を画像と動画として保管していました。逆らうことは出来ませんでした。それらが世間様に公表されればわたし一人だけの問題ではなくなってしまうことは誰に言われずとも理解していました。地方の狭い都市、その一部に噂が広まるのはわたしたちの想像の何倍も早く、インターネットで個人が特定されるのは一日と掛からない。だから、あの男もなにも言わずにわたしにその動画を見せつけたのでしょう。儀式めいた静謐さの中で半狂乱になった自分の姿を客観的に見せられるというのは不思議な体験でした。わたしという人格のそっくりさんが酷い乱暴をさせられているのですが、その貌がだんだんとわたしとは似ても似つかない誰かの貌に変わっていくのです。男性向けのアダルトビデオを見せられているのと、なんら変わりがない。とてもつまらない時間でした。でも、わたしの身体の至るところで鈍い痛みだったり、あの男の痕跡が鳴いていました。

 わたしの反応が琴線に触れたのかは分かりませんが、男は定期的にそういう類いの映像をわたしに見せました。入居者が一人だけの薄汚いアパートの二階で、身体を弄くられながら、わたしと同じ制服を着た子や近隣の学校の制服を着た子に果ては母校の後輩たちである中学生たちが男に嬲られる記録を見せつけられました。そのファイルは膨大で男が何年も前からそのように連続して誰かを襲っていることの証でもありました。初老を迎え、肥えた醜い畜生のライフワークとしては馬鹿馬鹿しいほどに相応しいのかもしれません。蜜を貪り、自分の威を陰ながらに誇示して満足する。わたしは不幸にもその藁に選ばれてしまったのでした。時折、わたしに掛けられる気遣うような言動は年齢にそぐわぬ甘ったるさが籠められていました。まるでわたしのことを心底大事にしているような、わたしが愛人になったかのような錯誤が見られました。気持ち悪さは感じましたが、やはりそこでもわたしは虚構のような実存しか感じることが出来ませんでした。その部屋にも覚えのある香水の薫りが染み込んでいたのです。

 都合一年。わたしとあの男との狂った共存は続きました。その頃になると男はわたしが好意を抱いていることに疑いを持っていませんでした。当然、わたしは好意など持っていませんでした。一貫してさっさと死んでしまえばいいのに、としか思っていませんでした。男がわたしに対して抱いていたのは物言わぬ人形、あるいは従順な唖者の奴隷に対する支配的な労いのような愛でした。わたしは男のあらゆる無茶に応えました。どんな変態的な要求にも甘んじて受け入れました。血を流すようなことも、尊厳を踏みにじり唾を吐くようなものでさえ。そうしなければ件の記録を公にされるよりも酷い制裁が待っているのです。一年の間、一度だけ記録を持って逃げようとしたことがありました。男が寝静まった時を見計らってファイルを抜き取ろうとパソコンを立ち上げた時に、わたしは背後に立つ男をデスクに置かれた鏡越しに見ました。殴る蹴るといった集中的な暴行と、男の特異且つ異常極まる性的嗜好が掛け合わされた制裁が振るわれたのはその一度限りでしたが、わたしは終始気違いのような声をあげていました。涙も枯れて、猿轡の隙間から涎とも胃液とも分からなくなった体液を垂れ流して、糸を引かせながら。なにもかも、べたべただった。

 そんなある日、わたしはずっとこころに居座っていた謎の解を知ることになりました。

 茹だるような日でした。アスファルトから昇る陽炎が背筋と首筋を濡らして、そんな不快感さえわたしは感じることもありませんでした。意図してのことではなく、凄惨な仕置きからわたしはそのような心持ちで過ごしていました。学校で陰口の一つでも叩かれればまだ実感があったのかもしれませんが、わたしの周りはこうなる前から変わらないままで、友達と何気ないことを話して、少しだけ細った食欲を奮わせてご飯を押し込む毎日がありました。しかし、()()()()()の毎日を正確に思い出すことは出来ませんでした。ぼんやりとこういうものだったような気がする、という感覚で酷く昔のことのように思えました。

 部屋の前に着くと中から人の声がしました。男と女の営みの声でした。あるいは二匹の獣の盛りあった音とも。予定を間違えたということはなく、先客がいるとも伝えられてはいませんでした。わたしは渡されていた合鍵を回して部屋に入りました。

 疑念は元より確証を隠すためのものでした。わたしは気付きたくなかったのでしょう。今ならば分かります。

 母がいました。いえ、母の姿形をした雌が畜生と盛り、交尾しあっていました。濃厚に穢らわしい音を立てながら、不浄極まる舌の絡め合いをして、誰かが入ってきたことにも気付いていませんでした。繋がったまま。なんとも満たされた──わたしには獣の情動は分かりません──面をしていました。わたしは立ち尽くし、そのおぞましいものから眼を逸らすことが出来ずにいました。やがて、雌がわたしに気付くとそれは人間の様形を取り戻してゆき、人語とも分からぬ叫びをあげながらのたうち、抵抗を始めました。しかし、身体をしっかりと押さえ付けられ、やけに大きな手振りや動きでやる抵抗も然程力が入っているようには思えませんでした。だから連結は揺らぎもせずに、畜生の種を植え付けられているのです。

 なにやらひたすらに否定し続ける女を横目に汗だくの男はわたしの服を脱がし、肩に手を回しました。

 もう浮気だの不倫だのという思考を展開する次元は彼方へと飛んでいました。そこを遥かに凌ぐ領域でちかちか瞬く光がカーテンの隙間から入り込む真っ白な光の中に見えました。光の中で花火が上がるような。

 顎で布団の方に促されたわたしは男の手伝いをさせられました。懇願する女をどう見てたか、思い出そうとすると吐き気がします。もう、その時点で母はいませんでした。わたしも母も死んでしまっていました。

 涙とその他諸々の液体で貌をぐしゃぐしゃにした女は母音の連続音しか発しなくなり、とうとう真性の狂人のようになってしまって、なんだかとても可哀想なものに見えました。そこにどんな背景があったとしても、同じ位階には在れない憐れみや蔑視がわたしを覆っていました。別段、両親に特別強い愛情を持っていたわけではないのですが、致命的──わたしはこれ以上に形容出来るだけの語彙がありません。浅学さを許してください──でもう人生に於いて取り返しのつかない喪失がその瞬間に発生しましたのです。そこがわたしの起点で、疵のはじまりでした。そしてその骸に見せ付けるように、男はわたしの身体の全てを隅々まで丹念に犯し抜きました。女はそれを見ないようにゆっくりとした動きで手を貌に覆せたり、耳を塞いでいましたが、とうとう神様に赦しを乞い始めました。上下する視界で、わたしは思いました。誰に、何の罪を赦して欲しくて祈っているのか。そもそも、それがどうしてわたしに関わりがあるような風を醸し出しているのか。わたしにはもうなにも分かりませんでした。分からないことだらけでしたが、わたしがとても不幸せな位置に立っていることだけは分かっていました。少なくとも子供のようにいやいやと頭を振り続けているやつよりは、格段と。

 家に戻れば女は母親へ擬態を始めました。正確には再開したのでしょう。わたしも倣って、擬態を再開しました。団欒の空間で何も知らないのは父だけで、目の前で好物を食べる娘も、酒の肴を作る妻も、自分よりも醜い癖に雄として有能な下朗に手籠めにされていることなど知るよしもなく安い日本酒で疲れを癒す男が女とはまた別の意味で憐れに思えました。何処にも意味のあるものも、暖かみもありませんでした。

 その後、女とは劇をしていました。演目は家族でダブル主演。わたしは娘役で、女が母親役。十数年のロングラン大ヒット。観客は数えきれません。わたしたちは主演女優賞を貰えるでしょう。なにせ、その劇がわたしの周りの小さな世界を確かに救っていたのだから。

 その劇の最中に男は死にました。覚えているでしょうか。もう何年も前になりますが、焼津で起きた通り魔による連続大量殺人事件があったことを。あの事件の最後、銀行の構内で大勢の人が殺された時にあの男も刺されたのです。呆気なく、即死だったらしいです。学校では追悼の式典が行われて、みんながいまいちピンと来てない様子で黙祷をしていましたが、体育館の中に数人だけどうしようもない気持ちが貌に現れている子がいました。彼女らがわたしの同類であることはすぐに分かりました。そして、恐らくは彼女らの内の誰かが男の部屋にあったパソコンを粉々に砕いて水に浸したことも推測出来ました。合鍵も渡されていた()()()()()はわたしたちの学校の生徒と例の女しかいませんでした。

 そうして誰にも知られずに、目立った区切りもなく、わたしは解放されてしまいました。

 何かが変わってしまったことを自覚しながら送る大学生活は高校生活の延長線に過ぎませんでした。シームレスでとても滑らかな移行だったことを覚えています。鎖から解き放たれようが、男が死のうが、こびりついた臭いが取れることはありません。でも、その臭いが周りに感知されることはありませんでした。男性と喋ることにも支障はなくて、どうにも世間の情報に基づいたわたしの想像とは違う自分のこころに奇妙さを感じることもありました。近いものを上げるならば、肩透かしのようなものでした。苦しみや、トラウマの類いに構えていたのに、なにもわたしを苛むことがなかったのですから。だから、あなたの同級生らしき人とお付き合いしたこともありましたし、それ以外の男性とも表面上や名状した場合の関係性として恋人になったこともありました。しかし、その誰ともキスさえすることはありませんでした。わたしはセックスに飽いていたのです。それと同時に、知らぬ内にわたしはセックスというものに些か特殊な拒絶を抱いていたのでした。

 フラッシュバックやそういう類に属するものではないのです。わたしはいやな点に於いて聡くなりました。男が持つ下心や女性を悦ばせる気配りや小細工。そのような行いの一つ一つが鼻につくようになったのは大学二年生の冬頃からでした。気遣いや心配はただただ神経を逆撫でさせるものでしかなく、当時堀崎先生の周りではわたしをヒステリックなやつと囁く人もいたそうです。大抵はその優しさ以上に難がある男ばかりだった為かわたしに同情的な見方だったのですが、ごく一部の方は正しく事態を見ていたようです。

 その神経過敏の根源がやはりあの男にあることはその時点で理解していました。男はその一翼であり、もう半分はあの女のせいであることも早い段階で把握していました。それを納得してしまう度にわたしは猛烈な吐き気と遅すぎる涙と恐怖に身体を震わせました。自分の中の"女"を刺激され、明かりを向けられることが恐ろしくて毛布の中で惨めに頭を抱えて動くことも出来ずに。だから、気丈に振る舞おうとしていたのでしょう。しかし、それは空回って性格や人格に難がある"女らしい女"というものにわたしを仕立てあげてしまったのです。あの惨憺たる雌の要素が、わたしにも備わっている。同じ女なのだから。そう考えるだけで耳道に虫を入れられたような不快感と音が頭の奥底で響きました。

 全てが遅いのです。何もかもが想定よりも遅くやってくるから、わたしはやられっぱなしなのです。悲しみも、苦しみも、痛みも、知覚も自覚でさえ。だから、誰も気付いてくれることはなく、一人で耐えて血を流すしかなかった。地獄という言葉を使うのは安直でしょうが、それすらも生温い責め苦が腸を捻り切るような痛みと不眠と意図しない断食となって課されました。外聞や外面は問題ないのに、独りになると全ての有機無機がわたしを責め、罵る声が聴こえる。

 わたしがあの時見たものは雌という生き物の一つの究極型だったのでしょう。淫靡たる本性をさらけ出して胤を求める、きわめてシンプルでプリミティブな姿と衝動、それが極限まで突き詰められたもの。

 自分の形が醜く思えて、何度も胃の中を空にして、食道を焼きました。胸の膨らみも、長い髪も、声色も、女らしい要素が穢らわしくて仕方がありませんでした。どう言い逃れを構えても、わたしにあの女の遺伝子の半分が組み込まれていることは換えがたい事実で、そのせいかあの姿と自分が重なって見えたのです。もしかすると、その姿は空想ではなく回想だったかもしれません。そういう気も今にしてみればするのですが、本当のことはわたしにも分かりません。

 その拒絶と、水と油のような関係に見える飽きは自分でも驚くほどにさっぱりとしたものでした。心境から来るようなセックスに対しての恐怖ではなく、意味を考えてしまうようになったのです。欲望に従って腰を振られるのは散々で、それで気持ちよくなって、まかり間違って子供が出来てしまう。そして、その先は?ふと、その一つ一つに意味なんてないことに気がつきました。わたしに残ったのは芥以下のものばかりで、そこから発生する幸せなんてありませんでした。

 まるで台風のようでした。飽きという虚無を目に、周囲ではめちゃくちゃな悪天候が広がっている。その正反対の情動二つを同時に自分の内に感じることが出来ると、自分が増えたという錯覚を覚えそうになるというとても不思議な感覚を覚えました。通院を始めたのもその辺りからで、しかし病院では人格が解離しているとは言われませんでした。粗方の事情を暈して、社会での疲れや不安感を口にして、わたしはアモキサンピンを貰いました。大した効果でした。恐怖によって萎えていた意欲が息を吹き返したのです。そして、替わりに安眠──そんなものは元からなかったのですが──を薬効に差し出すことになりました。一つの不変が象られた、メビウスのような季節たちの中でわたしは夢を見ていました。真っ白で血色の悪い手にわたしの大事ななにかを明け渡す夢です。それは実体を持つ夢でした。現実はいつだって夢の延長線上にあるのです。先生ならば、誰よりもお分かりになるでしょう。春に生きている筈なのに、わたしたちを抱き締めるのは冬なのです。季節の移ろいに眼がいかないのではなく、眼に映らない、映ってくれない。夢の中では時間の流れ方は何の意味も作用も発揮しません。あらゆる数式はただの記号にしか過ぎない。

 結局のところ、わたしの状態を完璧に理解把握出来る人は誰もいないのです。自分でさえこれなのだから当然でしょう。鬱なのか、PTSDとやらなのか、もっと違うものなのか。そういう複雑怪奇で厄介な内情と偶然がうまく噛み合ったのか、わたしは世間的には異常ではない人間として大学という段階を終了しました。どうも社会の眼はあまり良くないようで、こんなわたしでもすんなりと職に就くことが出来ました。

 その内に、段々とわたしを取り巻くあれこれ──曖昧な表現ばかりで申し訳ありません。でも、わたしの周囲のものはあまりに抽象的で、有形の確かな言語に変換することが難しいのです──との付き合い方も分かってきて、入社してから目立ったアクシデントもなく、同僚たちとも上手くやることが出来ました。順調に世間に即して、欺き、ひた隠して、奥底で今も尚濁り続ける汚泥と向かい合いながらここまでやってきました。そんな時、はじめて先生を会社でお見掛けして、失礼ながら親いものを感じました。夢のような生き方をしている人だ、と。その頃には先生は既に日本を代表する作家として名を馳せていました。国外でも絶賛され、御父様をも越えると言われている貴方のような方が抱くものとわたしのような人間が抱えているものの重さが均等である筈はないのに、わたしは勝手に親近感を持ってしまいました。それはわたしがとうの昔に見失ってしまった、影も形も見えない普通の生活の一部で、言い換えるのならば安心感でした。

 わたしは隠れて泣いてしまいました。不思議と涙が溢れてしまい、あたたかい気持ちに満たされてしまったのです。何もかもが変わりきってしまったわたしは、その瞬間だけいつかの本当のわたしに戻っていました。手の震えも、小刻みにぶつかり合う歯も。そのなにもかもが失われてはならなかったものでした。なにも知らない見ず知らずの男に同類の薫りを察知しただけでこの有り様で、プリズムのような視界の隙間に遠くで幸せを享受するわたしを幻視しました。それが恨めしくて、羨ましくて、涙のかさは増してゆきました。今さらなにを呪い、怨めばいいのか分からないのにそんな気持ちになったところでどうしようもないのに。実を言えば先生のこともその時は怨んでいました。現れるのが遅すぎる、という傍迷惑な錯誤紛いのものでした。損なわれてしまったものが多すぎました。そして、ここでもなにもかもが遅すぎたのでした。

 わたしはあらゆることを理解しないまま、盲目のまま走り続けてきたようなものでした。夢の中だから転ばなかっただけで。

 編集長に先生の担当になると聴いた時は驚きました。柄にもなく焦りを感じたり、粗相のないようにとスーツを着てみたりしましたが、貴方は笑っていつも通りでいいと言ってくださいましたね。そうやって貴方は、貴方の言葉はわたしを現実に引き戻していったのです。貴方にその自覚や意図がなくとも、わたしの時は遡り始めて、押し留めるには強い重石が必要でした。尤も、その重石さえも貴方の言葉が砕いてしまったのですが。

 貴方はわたしの全てを受け入れてくれました。文面にするとありきたりで陳腐なふうに見えますが、わたしにとってそれがどれほどの意味と救い、そして更なる苦しみとなったか、貴方は知る由もないことと思います。その言の葉の一つ一つが恵みの雨となって染み込み、身体とこころを癒して不浄を涙にして押し流してくれました。はじめて貴方と食事に行った時にそうして泣いてしまったわたしを優しく抱擁して大丈夫だと言ってくれたことを忘れたことはありません。貴方と繋がることには不思議と抵抗はありませんでした。わたしはこころも身体もさらけ出して貴方を受け入れていました。寧ろその時の幸福と充足感はこれまで味わったことのない至上のものでした。なにもかもが救われて上手く行くという根拠のない一時の感覚が神託のように刻まれてしまうほど。

 愛しています。いえ、年甲斐もなく恋をしていたのかもしれません。思えば数奇な人生を送ってきたわけで、だからでしょうか、遅すぎる初恋も風変わりなものになってしまったようです。ともあれ、わたしは貴方を愛しています。先に言っておきますが、ただ救われたから盲目な信仰にも似た気持ちを愛や恋と履き違えているとお考えなら、それは大間違いです。

 前述の通り、わたしも貴方の人となりをある程度は理解しているつもりです。貴方が抱えるものの深さと、大きさやそれが貴方を永劫に蝕む呪いになってしまっていること。貴方が頑なに花瓶に花を飾ることを忌避し、死と言葉に魅入られていること。貴方自身が貴方に絶望しきっていて、わたしではどうしようもないこと。そして、多くのことがもう取り返しのつかないこと。

 わたしと貴方が同類という認識は貴方に触れた時に捨て去りました。そもそも、本質的なところで種類が違うのですから。

 貴方の白い腕に抱かれた時に、わたしはあの夢の腕の主が貴方であると確信しました。はじめて貴方と夜を越えた時、血肉の全てが言葉のために使われて、生気が不足しているような掌にわたしは自分の魂を乗せました。全てが赦されてしまった対価──わたしの雌も飽きも罪も奪われたものが一切合切──は重く、甘美なものでした。そして貴方の苦しみを垣間見ることでした。

 御父様がお嫌いなのですね。御母様のこともそうなのでしょう。貴方はずっと一人だった。わたしのように中途半端に失われたのではなくて、はじめから貴方には実りあるものは与えられなかったのでしょう。そして、そのことに気が付かないまま貴方はこれまでに抱え込んだもの全てを飲み干してしまった。孤独も、怒りも、哀しみも、愛も。その残滓が夜毎に涙になるのでしょう?わたしの前で泣くことはなくても、分かります。空っぽのままで、がらんどうを抱いて歩き続ける貴方の道のりをわたしは貴方の作品に見てきました。貴方の場合は口も瞳も、そこで語られるものにはなにも籠められていない。ページに織られた言葉の海にこそ髄がある。十年来の血と悲鳴の結晶がそこにあるのです。その美しさにどれほどの作家が羨望を覚えたのでしょう。そして、その作家の一人に貴方もよく知る堀崎先生も名を連ねていました。

 これも貴方にとっては初耳でしょうが、堀崎先生は誰よりも強く貴方に憧れていました。彼は貴方の圧倒的な才覚と紡がれるものに嫉妬さえしていたのです。貴方の奔放さに見せかけた宛のない夢遊をからかい、貴方と古い友人のように交遊しながらもその根底にあったのは隠された惜しみ無い称賛のさらに向こう側に隠された劣等感と怒りでした。 

 堀崎先生は常々、自分には貴方のようなものが書けないと言っていました。稀薄な繋がりでしたが、学生時代のよしみでお茶をすることがあって、彼は大抵は貴方のことを延々と話題にしていました。自分はどうしても安易にカタルシスに走ってしまって、灰暗い世界を描くことが出来ない。貴方との間にある決定的に不足したなにかがそこに壁を築いていて、おれの行きたい場所の風すら感じさせてくれることはない、と。

 彼は決して届かない場所に手を伸ばしていました。ハッピーエンディングと爽快な物語、人間の素晴らしさを前面に押し出していた彼が目指していたものはわたしたちにとって馴染み深いものと同じだったのです。それを聴いた時、わたしはずっとコーヒーの水面を見つめていました。空調で波紋して歪んだ自分の貌が原形を崩してゆく経過を眺めていました。それはあまりにも無謀で、わたしたちにとっても彼にとっても、そして色々な意味合いで()()()()()()()()ものだったのですから。

 不自由のない彼にしてみればそれは単に探究の一つで、そこにあれほどの情熱を注いでいたのでしょう。彼と貴方との間には深い部分以前に言葉や文字に対する意識的な差があって、さらに何かしらの大事なものを喪うことが出来ない欠点が不可能を構成しています。そこに加えて、生来の善性──愛にまみれた、十二分な家庭環境の賜物である育ちの良さとも言えます──が邪魔をしたのでしょう。だから、どれだけ貴方を影で憎もうが、不条理極まる怒りを持とうが、貴方の見る世界を彼が見ることは出来ない。それでも、そこを目指す姿はとても眩しいもので、皮肉にもその眩さがまた一歩彼を遠ざけていました。

 その頃のわたしはと言えば、自分の更なる変調を感じ取っていました。貴方とのセックスの途中で時折、手が震えるようになったのです。はじめは肉体的なストレスだと思っていました。ちょうどその時は貴方が長篇を一つ書いている最中で、わたしも貴方も仕事量は少なくなかった時期でした。だから、その兆候を見逃してしまったのです。

 転移した癌が爆発的に進行し、身体中に転移してゆくように、わたしは既に蝕まれていて、その毒から助かる見込みはありませんでした。変わりきってわたしが取り戻した末に手にしたのは、いえ、取り戻したのは正常でした。そして、ごく当たり前の恐怖と絶望は十年以上の歳月を置いてわたしに刃を突き立てました。男も女も、人間という生き物のおぞましさは浄化されきって抗体を奪われたこころには残酷に効きました。分かっていたことが、頭の中とこころで離れ離れになって、ひっちゃかめっちゃかになるのです。そして、貴方にさえ恐怖を感じてしまう自分が恨めしくて仕方がありませんでした。貴方に触れられる度に気がふれてしまいそうになる自分を出来ることならば綺麗さっぱりと消してしまいたかった。

 わたしはただ貴方の傍にいたかっただけなのです。朝になると虚ろにわたしを見つめて、実在を確かめるように肌を指先でなぞる貴方の何かに安心した姿が愛しかった。誰かの代わりでもよかった。わたしをどう思っていてもよかった。わたしは貴方の全てを赦していました。哀しいことは、もうたくさんでした。そう思っていた筈なのに、今では苦しくて仕方がないのです。なにもかもが恐ろしくて叫び散らしてしまいそうです。あまつさえ、貴方を憎んでいます。こんなにも苦しくて、辛いのは貴方のせいだと錯誤も甚だしい思いが確かに芽吹いたのです。貴方がわたしをただの少女の戻したせいで、おまえのせいで一人の女が死に、友人も死ぬ。どうしても、そう言う声が頭から離れません。これが本心なのか、錯乱の末の戯言なのか判別する術はありません。診断という、その人ですらない紙面上の結果さえ、わたしはもう信じることは出来ないのです。薬で平静を貼り付け、補強し、多くの要素を殺してわたしは貴方を出迎えにロビーまで足を動かしていました。いつも通りに約束をして、それが訪れないことを何処かで感じながら貴方と会議室に入りました。

 そして限界を迎えていたのは堀崎先生も同じでした。

 あの後、彼はわたしを呼び出して言いました。怖いものを見た。おれには書けないし、辿り着くことは出来ない。でも一端を垣間見るぐらいならば、と。

 彼がIS学園でなにを見て、なにを悟ったのかは分かりません。しかし、彼は自分の正確な位置と事情を理解したようでした。恐らく取材先で貴方の核心に近付く某かに触れたのでしょう。そして、その情熱は最後に猛く勢いを増したのです。正しく狂気と言うような火の勢い、そして貴方の著作に見えるものの欠片がそれを助長させていました。

 貴方はなにも知らなかったのです。わたしのことも、堀崎先生のことも。

 わたしはもう一度夢の中に還ることにしました。様々な要素や過程の後に、漸くここに終息することも赦されました。苦しみから逃れるために、貴方に傷付けられないために、貴方を愛しているために、巻き戻り過ぎた時間を少しだけ進めるために。きっと、貴方はわたしが死んだところで哀しむことはないのでしょう。それでも、少しの間だけは貴方の頭蓋の裏あたりにわたしの存在が残留してくれるはずです。そんな風に考えていた時に、ちょうど堀崎先生も自分の死で以て最後の思案に耽ろうとしていました。タイミングは絶妙でした。手首を硬く縛りあうのは、これからわたしたちを襲うであろう苦しみでのたうち回る身体を抑えつけるためです。決して邪な気持ちがある訳ではありません。堀崎先生と一緒に死ぬことだって、ある意味悪ふざけのようなものです。あるいは、学生時代のよしみ。互いに貴方に焦がれた者どうしの絆。そんな噴飯物のジョークです。わたしは出来るならば、死ぬ時は笑いたいのです。ですから、どうか誤解しないでください。彼と死ぬことに深い意味はないのです。

 随分と長く書いてしまいました。へんに懺悔染みていたり、駆け足で大雑把な挙げ句に読みにくかったでしょう?時間も多くはありませんので、最後に貴方と貴方の御父様のことについて書こうと思います。貴方がわたしにただ一度だけ声を荒げたのは、貴方が御父様に似てきているという編集長の言葉を伝えた時でした。貴方は物静かな口調を誰も聴いたことのない怒声に変えて、わたしに有り余る蔑みと糾弾を浴びせました。それについては特に言うことはありません。その件はわたしの配慮の足りなさが招いた事態なのですから。

 わたしは貴方の御父様と直にお会いしたことはありません。その半ば伝説のような噂を耳に挟んだことしかないのですが、御父様と最も密接にやり取りをしていた編集長は、「何者も彼の著作を越えることは出来ない。それほどまでに偉大な作家だったが、それ以上に彼ほどコミュニケーションに難を要する人間も他にはいないだろう。なにせ、彼と言葉を交わしていると心臓の底まで、血の一滴すらも見透かされているように思えてくるんだ。誰よりも悪意に敏感で、そのお陰で誰よりも恐れを理解して御している。だから、彼と言葉を交わす時には人間とコミュニケーションを取るようにしてはいけなかった。あれは、作家の成れの果てに産まれた()()()()だ」と評していました。そして、今や貴方はそれと同じような印象を業界の人間に抱かれていることをご存じでしょうか?

 変わらないことは出来ないのです。どれだけ遅くても着実に変化は進行しているものです。季節と同じで、移ろいを感じていないと突然の変遷に驚いてしまうこともあるでしょう。それでも貴方は本質的な部分ではなにも変わることはないのです。わたしが貴方を憎みながら愛しているように、貴方にも変わらないなにかがある筈なのです。だから、思うように生きてくれると嬉しいです。死にゆくものを振り返らないで。どんなに虚ろでも貴方は生者なのだから。

 今まで、ありがとうございました。いずれ、また御逢いしましょう。その時は破ってしまった約束の埋め合わせをさせてください。

 さようなら。わたしの散々な人生。わたしの愛しい死神。

 

 

 敬具

 

 追伸

 おまえの見えているものと、見たかったものはもう交わることはないんだな。

 ほんとうにかわいそうだよ。おまえは。

 鏡を見ろ。

 

 

 

 

 





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