山田先生と高校の先輩の四方山話。   作:逆立ちバナナテキーラ添え

2 / 14

 色々捏造設定でいきます。


陰キャと陰キャが交差する時、物語が(以下略

 

 

 

 昔の話、というほど時は遡らない。十年前のこと。ぼくの感覚ではつい最近のように思える。

 ぼくが真耶とはじめて会ったのは高校二年生の五月だった。なにもかも大した意味を持っているようには思えない冷めた少年に友人が出来るはずもなく、物を書いて、女と寝るぐらいしかやることのない入学時からの惰性的な生活を、まるで一度見た映画をリピートしているみたいに送っていた。ぼくの通っていた高校は全国でもそれなりに名の知れたところで、旧帝大や有名私立大に何人も生徒を放り込んでいる金持ち学校だった。みんなが頻りにノートにペンで難解な、役に立つか分からないような言葉を刻んでいる時、ぼくは大抵、書きかけの文の続きだったり、昨日寝た女の顔を思い出したり、今とそう変わらない自分の浅ましさについて頭を巡らせていた。

 世間一般的な男子高校生が青春真っ只中で、中には向こう見ずだったり、浅慮な一面があるのと同じで、ぼくの通っていた高校の男子もどんちゃん騒ぎをすることがあった。有名進学校だからといって、なにも勤勉さのステレオタイプみたいな七三分けばかりがいるわけじゃない──というより、ぼくがその型に填まっていない筆頭格だった──。入学式から一月も経てば新入生も新たな環境に慣れはじめて、行動の一つ一つが雑になってくる。廊下を歩いていると新入生の男子数名が女子にぶつかって謝りもせずに走っていってしまった。女子は尻餅をついた挙げ句、手に抱えていたテキストやクリアファイルを廊下にぶちまけてしまって、今にも泣きそうになっていた。休み時間の廊下は人の行き来が多く、ファイルから飛んでしまったプリントを拾うにも一苦労で、誰も前髪で眼鏡が隠れてしまうような鈍そうで、冴えないやつの手助けなんてしない。ぼくも、例に漏れず、素通りしようとした。そんなことをして、いい先輩ぶろうなんて思わないし、人助けをして善行を積もうとも思わなかったからだ。だけど、ぼくは自分の意思に反して、その野暮ったい女子を助けた。散らばったプリントをファイルの中に入れて、手渡して、さっさとサボりのために保健室へと向かった。その頃のぼくは何かにつけて保健室へ逃げることが多く、つまらない授業は単位や日数に気を付けつつ昼寝や執筆の時間に充てていた。真耶と再会したのも保健室だった。

 数日後、校則通りの長いスカートを履いて、気分不良で運び込まれた彼女はいつにも増して雰囲気が暗く、微睡んでいたぼくは保険医に叩き起こされて、介抱の手伝いをさせられた。どうせサボっているんだから、と。聴けば、学年集会で籠った熱気にやられてふらりと真後ろに倒れたらしい。その日は初夏にしては暑すぎる、年度初の真夏日だった。そんな気候の日に律儀にブレザーとセーターを着ていれば気分も悪くなるだろうし、最悪は熱中症だ。

 そんなわけで、期せずして二度も見知らぬ後輩を助けてしまったぼくは、二度寝しようにも寝付けなく、真耶が眠るベッドの傍らで、保健室に置いてあった本を読んでいた。ベル・ジャー。以前挟んだ栞から半ほどまで読み進めると、横になっていた真耶がむくり、と身体を起こしてベッド脇を手探りで荒しはじめたから何事かと訊くと、眼鏡がないと言った。眼鏡を渡してやると、うっとおしい前髪を一瞬だけ退かしてかけ直した。その刹那の間に見えた彼女の素顔は可愛らしいもので、前髪で隠しておくには惜しいと思った。

 保険医は回復した真耶に暫く休むようにと言って、真耶の担任に回復した旨を伝えるために出ていった。二人で取り残されたぼくたちはとりあえず自己紹介をした。その頃の真耶はいつもおどおどしていて、人と話すことが苦手に見えた。案の定、自分の名前を言うにも噛んでしまう彼女への印象は鈍くさい後輩でしかなかった。

 真耶は以前、ぼくがプリントを拾ったことを覚えていた。そのことについて、礼を言ってきたのだけれど、ぼくはそれを受け取らなかった。執拗に気にされても互いにいいことは一つもない。すると、でも、とか、やっぱり、とか言って悩みだすものだから折れて、どういたしまして、と言って締めた。

 真耶はぼくと同じコースの、謂わば直属の後輩だった。同じ文系で選択科目も同じだった。今は学校から程近いアパートで一人暮らしをしているという。実家は隣の県で、学校が運営する寮に入らないのは総合的に見て一人暮らしをした方が安上がりなため──ぼくの学校が持つ寮は金持ち坊っちゃんのための滅多矢鱈に充実した設備と、それを維持するための高額な施設費を取ることで有名だった。そこに入るやつらのほとんどは、鼻持ちならない馬鹿ばっかりだった──。それと父のファン。ぼくが初対面の簡素なやり取りで知り得たことは、そんなものだった。

 真耶はぼくの名前を聴くと驚いたように肩を跳ねさせて、そんなにぼくの名前が驚きに値するものなのか訊くと、

 

 「先輩は有名ですから……」

 「どんなふうに?」

 「この学校でも指折りの問題児だって……」

 「なんだい、それ?」

 

 とくに目立った問題を起こした覚えはなかった。細々としたことで生徒指導室に呼ばれたりしてはいたけれど、警察の世話になったこともないし、人様に迷惑をかけないようにそっと自分勝手をさせて頂いているつもりだった。しかし、周りから見たぼくは相当の問題児だったらしい。真耶の様子からすると随分な言われよう、あることないことを言ってくれているやつがいるようだった。曰く、いつもスラックスのポケットにカッターを忍ばせているとか、教師の弱味を握って脅しているとか。後から調べてみれば、そんな与太噺ばかりで肩透かしを喰らってしまい、噂の発信源だった元クラスメイト──どうやらぼくに現代文の成績で勝てないことが彼のコンプレックスを刺激してしまったらしい──に文句でも言おうかと思ったがそんな気も削がれてしまった。交友関係もないから、誰も実害を被ることもない。駅前で興味もないし、よく分からない陰謀論を高らかに叫んでいる連中と変わらない程度の嫌がらせ。

 ぼくはそれを全くの出鱈目だ、と真耶に言った。

 

 「確かに素行不良かもしれないけど、きみが想像するような札付きの悪じゃないよ」

 「素行は悪いんですか?」と真耶は訊いた。

 「たぶんね。今さっきまで、ぼくはクラスメイトたちが授業にかぶり付いている中で具合も悪くないのに昼寝をしてたんだから。そういう意味では、ちゃんとした素行が悪いやつではある」

 「なんでサボっていたんです?」

 「退屈だったからだよ。授業を受けるよりもやりたいことがあっても、それが出来ないストレスがどうにかなっちゃいそうで、それが巡り巡って退屈になってぼくを殴り付けにくるんだ。それが嫌だから、昼寝をするんだ。昼寝しちゃえば、退屈だろうがなんだろうが夢の中までは追ってこれないだろう?」

 

 その夢の中で自分の醜さを突き付けられている。

 

 ぼくからも訊いてもいいかな、と言うと、真耶は頷いた。

 

 「前髪が随分長いけど、なにか言われないのかい?ほら、生徒指導のやつらとか……」

 「よく言われます。切ってこいって、もう何度も」

 「でも、きみは髪を切らない」

 真耶は俯いて、シーツを握り、「はい。切りたくありませんから……」

 

 毛先が鼻のてっぺん辺りまでしなだれていた。きっと、彼女なりの理由があるのだろう。外見とは正反対のパンキッシュな反抗精神でも、人知れず抱えるコンプレックスでも。何にせよそこにぼくは踏み入るべきではないし、踏み入る気もなかった。空が蒼かった。

 

 「いいと思うよ。そういうのは好きだな。すごく面白いじゃないか、そういうワンポイントの素行不良。第一、ぼくみたいな男だったら分かるけど、女の子相手に髪を切れっていうのは些かデリカシーに欠ける言葉じゃないかな?髪は女の命っていうんだからさ」

 そういう屁理屈や口先で話題を変えようとしていると、「あの、その、別にそう大した理由じゃないんです。ただ、人見知りが激しくて、この方が落ち着くんです」と真耶は言った。

 「それでも、きみの好きにすればいいと思う。前髪を切っても、切らなくても、極論きみの命が潰えるわけじゃないだろう?こんなふうに暑い日に邪魔くさく感じたり、素顔を晒したくなったならば切ればいい。その選択だけできみのなにかが疵付けられて、失われるほど世間様は悲劇的じゃあないさ……」

 

 嘘だ。世間は非常に遺憾ながら、映画ミストのラストよりも悲劇的で、それらは路上や側溝に吐瀉物や下水と共に放られている。

 

 真耶は遠慮がちに笑った。ぼくも微笑を浮かべる。真耶の仕草には、一つ一つが堅苦しい感じのない、心地よい気品が散りばめられていた。何でもかんでも暴き出そうとするシャンデリアでなく、傍で夜を暖めてくれるきれいなランタン。ぼくはそっちの方が好みだった。人間的にも、趣味としても。ここにはシャンデリアたちが自分の輝度を競い合う、けばけばしい光しかなかったから真耶は異質で、しかしそれが却って彼女を引き立てる舞台のような役割を果たしていた。

 

 「先輩って、噂とは真逆の人なんですね。この学校にもいい人がいるって分かって、安心しました」

 「自分のことをいい人って言うやつは少ないと思うよ。そんなのはだいたい、怪しすぎる」

 「そうなんですか?」と真耶は首を傾げて、「でも先輩はきっといい人です。いや、絶対にいい人ですよ」とへんに誇らしそうに言った。自分のことでもないのに。

 

 溜め息をついた。彼女は単純すぎた。そして、たぶん天然という性質を有していた。一度や二度の人助けが全て善意によって形作られていると信じていて、こういう女の子ほどぱくりと、盛った男に喰われてしまうのだ。きっと真耶を狙っている男は彼女の周りに大勢いるだろう。思春期の男の頭の中は下劣なピンク色をしている。情欲の毒牙にいとも容易くかかる姿が目に浮かぶ。

 というわけではないけれど、珍しくぼくは他人の心配というものをしてしまった。廊下でプリントを拾い集めたのもそうだったが、ぼくは彼女にペースを乱されている気がした。この後輩はほんとうに大丈夫なのか、色々と。

 チャイムがノイズ混じりにスピーカーから聴こえてきて、授業の終わりを知らせた。ぼくは保険医のデスクに短いメモ、早退するのでよろしくお願いします、という嘗め腐った伝言を残して引き戸に手をかけた。

 

 「とにかく、次からは気をつけた方がいいよ。この暑いのにそんなに着込んでいたら倒れもするさ」

 「ご迷惑をおかけしました……」

 「ぼくはなにも迷惑してないよ。ただ、あまり保健室の世話にならない方がいい。きみが真面目に将来のことを考えて進学するならね。日数とか内申とか、色々響くから」

 「でも、先輩はよくここにいるんですよね?大丈夫なんですか?」

 「正月明けに数学の追試があったよ。日数で単位を落としたけど、進級出来たよ。こんなふうにならないことを、先輩として強く薦めるよ。教員の説教は聞き流せばいいけれど、如何せん足が疲れる」と肩を竦めて言った。

 「分かりました。肝に命じておきますね」と真耶は笑って、「また、廊下で……」

 「廊下……?あぁ、そうだね。機会があれば、また廊下で」

 

 ベッドの上で真耶は小さく手を振っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 何だかんだ、こういうのを書くのは初めてだったりする。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。