山田先生と高校の先輩の四方山話。   作:逆立ちバナナテキーラ添え

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 これまでのあらすじ♡

 ・目隠しボブカット眼鏡ちゃんを助ける

 ・そんな後輩ちゃんと屋上ランチ

 ・先輩、父子家庭


 それでは今日も一日、





根暗の癖にwwwww熱かったり冷たかったり忙しい野郎でござるなwww

 

 

 六月は去り、七月に暦のバトンを渡した。そのバトンタッチはきっと下手くそで、湿気といやな暑さは相も変わらずぼくらの不快指数を押し上げている。

 暇で退屈に緩やかに心を腐らせられる日々が終わったからといって、都合よく無聊の慰めや、分かりやすく変わったものはない。適度にサボり、谷崎潤一郎を読んで、家で父と会話することなどなく──かれこれ三年は口をきいていない──、後腐れなくセックス出来る女の子と一人出会って大外れを引いた。しかし、それらはぼくの正常を調律してくれた。失われた六月を過ごして、静かに滅茶苦茶にされてしまったぼくの内を乾いた砂の波のような生活が、あるべき形に戻した。ぼく自身が戻してくれ、と頼んだわけでもないのに毎年その波は何処からともなく発生して、六月の内に貼られたベールを粗く削りとってゆく。それはほとんどの場合、夢の中でおかしなイメージとして体験する。そして、起きると口の中は砂を噛んだように音を立てた。

 ぼくが目を覚ますと見たことのない天井が自分の状況を経験に基づいて教えてくれる。ざらついた口を濯ぐために、隣で寝息を立てる他校の先輩を起こさないように起き上がると手を掴まれて、いかないで、としがみついてきた。わけも分からず、口内の不快を抱えたままにぼくは彼女に貪られた。いや、犯されたと言った方が適切かもしれない。ぼくに馬乗りになって、乾いているのに出てくる唾液を絡ませながらぼくに奇妙な笑みを向ける彼女は獣みたいな色で嬌声をあげていた。その行為中、ぼくはいやな予感に苛まれて、やがてそれは的中した。ぼくは誘われて、一回限りの関係を望んで、彼女はそれを了承した。だけど、彼女はぼくと交際したいと言い出した。ぼくにはそんな気は欠片もなく断ると、先程までの威勢は消えてしまい、おろおろと泣き始めてしまった。ぼくは困り果てて、とりあえずは友達でいようと言って、ホテルを出た。彼女の手首には蛇腹のように切り傷があった。

 ぼくは近場のカフェで遅めの朝食を食べて、制服に着替えるために家に帰った。その間、セックスした後に感じる独特の感覚と、自己嫌悪にずっと突かれているような思いが寝ぼけたままの頭にあった。

 ぼくは他の男と比べて性欲は薄い。悶々と眠れぬ夜を過ごしたこともなければ、自分でそういう欲求を解消することもない。ただ、中学三年生の時に経験をしてから、同年代の誰よりも女性と肌を重ねた回数は多かった。ぼくから誘うわけではないのだけれど、不思議と寝てしまうことが多い。その場にある空気や流れといったものの力は強大で、ぼくを否応なく押し流し、それに溺れるままにやって、大事なものが瑕付けられたような喪失感に浸らされる。ぼくは大きな波に捕らわれながら生きている。

 

 その大きな波には今もがんじがらめにされている。むしろ、その拘束は強まるばかりで、今では喉元を蛇が獲物を絞め殺すように圧迫している。おかげでぼくは息をするにも辛くて、唯一その拘束が緩む時が執筆中ということもあってぼくは書くことをやめられない。だから、ぼくは生きている。

 そして、その頃から今に至る兆候はあったのだ。思い返せば、肌を重ねる度に喪われるなにかは、不可思議なサイクルに従ってぼくの深い場所に潜っていっていた。杯を満たす。絶えず蒸発していく杯の中身を補填していたのだ。それに十七のぼくは気付かないまま、遠ざかっていった。そして、ぼくがいるのだ。

 

 自分の部屋に入ろうとすると、ふと後ろが気になり、振り返ってみれば着流し姿の父が書斎へと消えていくところが見えた。白髪混じりの長髪を後ろで一つに結んだ背中はなにも語らないし、なにも感じない。もしくは感じさせない。

 父との関係を聴かれたためしなんて一度もなかったが、聴かれたらたぶんなにも言えないまま誤魔化すことだろう。そう確信している。率直に言えば、ぼくは父を殺してしまいたいほど憎んでいて、同時に世の誰よりも尊敬している。父は母が病に伏せた時、一度も見舞いに行ったことはなかった。母は笑って、そういう人だから、と言っていたけれど、何処か寂しそうな顔をしていた。そしてどんどん弱っていって、死んでしまった。乳癌だった。中学三年生の秋、母の葬儀が終わった後にぼくはただ一度だけ父を殴った。でも、父はすぐに起き上がってキーボードを叩きはじめた。ぼくはその日、父の作品をはじめて読んで、気が狂ったように読み漁って、泣きながら全部庭で燃やした。ぼくにはどう足掻いても越えることの出来ない壁が、ぼくを火の中から嗤っていた。

 記憶に残る父はいつも冷めた目をしていた。端的に言えば父はぼくを愛してなどいなかった。それは父が子に向けていい視線ではなかった。父の全ては書くことにのみ注がれていた。その血肉の一片に至るまで、彼は文字の羅列で海を編み出すためにあるかのような、気の狂った人間だった。だからこそ、父は文壇の最高峰に名を連ねるほどまでの物を書けたのだろう。父が──現代を生きる文豪と呼ばれた男がなにを考えていて、なにを思っているのか。理解出来る者は誰もいない。あるいは、母は、母だけはなにかを分かち合っていたのかもしれないが、墓の下に問うても答は返ってこない。母が死んだ後に出版された作品は飛ぶように売れた。病に倒れた女が死ぬまでの独白という内容だった。端から見ればとんでもない男のように見えるかもしれないが、ぼくにはその行動にそれほど強い情動を持つことが出来なかった。母が死んでしまったことは悲しかったし、父を赦すことは決してないけれど、少なくとも作家としての彼と彼の著作はぼくの中では揺るぎない頂点に君臨していて、ぼくはそこで作家という生き物の業の深さを垣間見た。そして、自分はほんとうにこの偉大な作家の子種から出来たのか疑問に思った。

 かつて母の部屋だった一間は日に日に増える我が家の蔵書の受け皿と成り果てて、自分よりもはるかに大きい書架が運び込まれているところを、ぼくは中庭を挟んだ自室の前からお化けでも見るように眺めていた。そのちょっとした図書室を境にぼくと父の世界は隔たれている。父は一度部屋に入ったら、中々外に出ることはない。あらゆる物を遮断した空間でただひたすらに静謐な責め苦の向こう側を覗くために耐え続ける。そのおかげで互いのパーソナルスペースは侵されることはなかった。

 

 期末試験は順当にパスすることが出来た。大した勉強もしてないが、思うよりもそれらは簡単に紐解くことが出来た。数学なんて赤点でも構わないと思っていたのに、割りにいい点数を取ったものだから神経質そうな数学教師に目を付けられてしまった。おい、貴様はなにか不正をしたのではないか、と品性が感じられない鶴のような声で囀ずられて、神経がどうにかなってしまいそうだった──その不快さというのは筆舌に尽くし難いものだった──。この御時世に日常会話で貴様という単語を聴くのは、自分が何故絡まれて無意識に笑いを誘う振る舞いを見せつけられているのか、そもそも自分がどうしてこの位置にいるのか全部分からなくなってしまって、想定よりも格段と軽い引き金を引くには十分な力の作用だった。粘着質な、声色と絶望的にマッチしない語り口でぼくに虚を説く数学教師を無言で通過した。追いかけてくる数学教師は途中で諦めて、弁明はもう聴かないと吐いて踵を返していった。何について弁明をしろと言うのか不思議だったが、きっとそれはぼくには関係のないことなのだろう。表面的に見れば密接な繋がりがあるが、よく見ればぼくと数学のテストの点数にそれほど重要な相関は秘められていない。

 奇妙な茹だり方をする頭を冷えたペットボトルで冷ましながら帰路に着こうとすると、駐輪場で真耶を見かけた。茶髪の女の子と楽しそうに話していた。半袖のシャツにグレーのベストで幾分か爽やかになったものの、やはり前髪は汗と暑さで乱れて邪魔くさそうにしていた。ぼくは声をかけずに正門を潜った。

 誰かが話していたことの又聞きだけれど、真耶はぼくの学年でも評判がよかった。成績優秀で、あぁ見えて運動も出来るという。おまけにクラス委員もやっているから教師からの心証も悪くない。無遅刻無欠席、進路も推薦でいいところに行けると目されている。彼女は自分の位置を明確に把握していて、その位置にある意味を理解出来ている。それはぼくに欠けているもので、十七年間航路も見ずに進み続けたぼくとは違い、行く先には必ず新大陸が存在している。

 ぼくはふと真耶の将来を想像してみる。彼女が高校を卒業した後、大学に行ったとして、どんな職業につくのだろう。そして、ぼくは。考えれば考えるほど、自分の先行きに広がる夜の草原のような不気味さが汗と一緒に背中をぞっとするほど甘美になぞる。そこに混沌があるということではなくて、何かになるという意識の欠如──そもそも、将来の夢という志を抱いたことはなかった。ぼくたちは今、何者でもなく、何者にでもなることが出来る膨大な可能性を内包していて、たくさんの道があちこちに延びているのだろうが、それはぼくを除いた場合の話だ。ぼくには何処までも広がる草原しかない。何処にでも行けそうで、何処にも行けない。ぼくは何者になることも許されない。きっと呪いのような、誰が決めたかも分からない決め事がぼくをそうなるようにベルトコンベヤーのように運ぶ。

 あぁ、墓の下に眠る母さん。ぼくはいったいなんなのでしょうか。これが思春期特有の悩みであればどれだけよかったか。しかし、ぼくには分かります。これがそういう観点で測れない感覚であると。恥ずかしながら、自分のことが分かりません。時折思ってしまうのです。あなたはぼくの苦悩に対する答を全て胸に抱えたままに手も足も届かぬ場所に逃げてしまったとても意地の悪い女だと。とても恨めしく思えてしまうのです。

 ぼくは自分の浅ましさや醜さを自覚している。だから真耶の善性がより強く瞳に映り、突き刺さる。急に足元が不安定な泥濘に陥ったようだった。溶け出した脳漿が身体中の穴から流れ出そう。熱に浮かされたような灼熱感を胸と頭の中に感じながら家に戻ってぼくは引き出しの中から剃刀を持ち出して、発作的に手首に当てた。軽く引くと血がインクのように滲み出てきて、ぼくはそれを日が落ちるまでずっと見つめていた。どうしてこんなことをしたんだろう、と考えてみても目ぼしい動機は浮かんでこなかった。代わりに沸いてきたのは物を書きたいという欲求で、ちょうど手元には刃物で傷付く痛みがあった。固まった血で汚れた手でキーボードに触れた。頭はとてもひんやりしていた。

 

 

 

 

 

 





 会話なしのテロリズム。

 前作の番外編を思い付いたんですがこちらに専念する鋼の意思(粘土製)を貫きます。

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