山田先生と高校の先輩の四方山話。 作:逆立ちバナナテキーラ添え
みんなこういうのが見たかったんでしょう?
デート回だぜ。
その週の末に終業式があった。ぼくのクラスの担任はホームルームであまり話をしないことで人気が高く、その風評通りに一言二言言うと解散となった。ぼくとしてもそれは喜ばしく、形式に囚われた人々が欲している儀式としての集会を終えて疲れ果てていたところに長い講釈を垂れられては参ってしまう。毎年似たような、というより使い回された定型文を聴くだけの、熱中症患者を出すか出さないかの全校生徒参加のチキンレース。真耶は大丈夫かな、なんて思っているとそれはすぐに終わってしまったけれど、退屈しかない五十分があれほど短く感じられたことはなかった。
特に後の予定はなかったのだが、ぼくは最後まで教室に残っていた。名前も知らない日直から鍵を受け取って、窓からグラウンドでアップを始めた野球部を眺めていた。真っ白なパンツが光を反射して土に映えるからそこだけ彩度のコントラストがきつかった。その手前には陸上部がいた。以前、ぼくを追いかけ回したクリスマス色の体育教師が顧問をしていて、濁った声で何かしら部員に檄を飛ばしていた。蝉の鳴き声だけでも暑さを煽られるのに、彼が汗を振り撒きながら大声を出すせいで陸上部の連中は動く前から疲れが滲み出ていた。
そんな風景を見るのにもいい加減飽きて、教室を出て、職員室に鍵を返しに行くと、後ろからぼくを呼ぶ声がした。振り返ると、小走りで近付いてくる真耶が見えた。
「先輩、今帰りですか?」
「うん。鍵を返したら帰るつもりだったよ。きみはクラスの仕事かなにか……」
真耶は頷いて、「夏休み中はわたしのクラスは一度も使われないらしくて、最後に忘れ物がないか確認してたんです。あと、日直さんの代わりに黒板を消したり、色々やってました」
「なんできみが日直の仕事を肩代わりするんだ?それは日直がやるべきことだろう?」
「そうなんですけど……、その子がこの後用事があるとかで急いでいたので……。わたしも予定が潰れて暇をもて余していたからちょうど良かったんですよ。あまり大変なお仕事でもないので任されちゃいました」
「予定って?」
「お昼を食べに行く約束をしてたんです。でも、友達が休んじゃいまして」
「あの茶髪の子かい?」
「はい。たまには外食もいいかなぁって……。ハンバーガーとか、そういうジャンクなのを食べてみようって話してたんです」
「あまりファストフードは食べないの?」
はい、と真耶は恥ずかしげに言った。この学校の生徒は金持ちが多くて、そういう庶民の食べ物を口にしない連中もいるが、真耶の場合は単に食べることがなかっただけのように見えた。たまたま、奇跡的に。もしかしたら、そういう類いの食品に含まれる添加物の危険性を鑑みて真耶の両親が食べさせなかったのかもしれない。スーパーサイズ・ミーのモーガン・スパーロックは「外食は金が無くなるだけでなく体のくびれまで無くなる」と言っていた。そんな彼も最後には肝臓がぼろぼろになってしまった。真耶は見た限り肥満体系には見えない。真耶が添加物たっぷりのファストフードと無縁の健康的な食生活を送っているということだ。
「食べに行けばいいじゃないか。一人で入って困るような場所でもないだろう」
「そうなんですけど、なんか一人だと緊張しちゃって……」と真耶は笑った。
「じゃあ、行くかい?」ぼくが言うと真耶は不思議そうに目を丸くしていた。「この後、きみが暇ならね」
「先輩とですか?」
「ぼくで良ければ付き合うよ」
予定がないのはぼくも同じだった。だから、そうして真耶をランチ──というにはメニューがジャンクすぎたが──に誘った。しかし、この時のこともぼくは自分でどうしてこの選択をしたのか理解出来ていない。予定がないからというのは、所詮後付けの理由に過ぎない。その本当の理由、ぼくの瞬間的な情動はもう想起することは不可能で、どの琴線に触れたかなど今となっては思いだそうとしても言い難い不快感が胸を湿らせるだけだ。そもそも、自分の浅ましさが際立つ相手をどうして誘ったのか。
ぼくたちは学校から暫く歩いて駅の西口にある繁華街に足を運んだ。近隣の学校も同じ日に終業式をやったせいか、駅前は制服を着た学生たちで溢れかえっていた。みんな浮き足立っていて、既に始まった夏休みに歓びを隠そうともせずにカラオケ屋の前で自転車の上で半裸になって大声をあげる男子高校性もいる。真耶はそんな光景に苦笑いしながらも、夏休みですもんね、楽しくなっちゃいますよね、と好意的な言葉で、このまま駅前の人口と反比例するように低下していきそうな文明レベルに茶を濁していた。ぼくはそのよく分からない空間に首を傾げることしか出来なかった。
「えっと、マックとかじゃないんですか?」と真耶は訊いた。
「そうだね。あぁいうチェーン店も悪くない選択肢ではあるけれど、どうせなら初めて食べるハンバーガーはより美味しい方がいいじゃないか。大味な大量生産品じゃない、ちょっと贅沢なハンバーガーはどうかな?やらなくていいことを引き受けたきみ自身へのご褒美だよ」
「贅沢なんですか?」
「見れば分かるけれど、量もあって、野菜もたくさんだ。パテは国産の肉を分厚く焼いているし、バンズだってふっくらしている。チーズは好き?」
「とっても」
「今から行くところのチーズバーガーは絶品だ。他所のチーズバーガーを食べられなくなるぐらいにはね」
飲み屋が並ぶ通りの手前にある年季の入ったドアを押して、手近なボックス席に座ると馴染みの店主にチーズバーガーとハンバーガーを頼んだ。店主は渋い髭面を綻ばせて、奥に下がっていった。ニルヴァーナのIn Bloomが流れていた。
「このお店にはよく来られるんですか?」
「ダーツをやった帰りにここで夕飯を済ませるんだ。近くに、いつも行っているダーツバーがあるんだよ。こういう場所は初めてだろう?嫌じゃないかい?」
「賑やかで楽しいです。なんか、こう……、ロックな気分になりますね」と真耶は握った拳でシャドーをやり始めた。
「それはたぶん、ニルヴァーナのせいだ。ここが気に入ればまた風邪を引いてしまった友達と来ればいいよ。ここはデザートも美味いからさ……」
「是非、そうさせて貰いますね。でも、そのお陰で先輩に美味しいお店に連れて来て貰えました。ちょっと不謹慎ですけど、今日はラッキーです」真耶は言った。ぼくは少し驚いた。真耶がこういうジョークを言うとは思わなかった。
「ちゃんと労ってあげなよ」
運ばれてきた皿の上を見て、真耶は声を漏らしていた。パテにしては厚すぎる肉塊や押しても口に入りきらないほどの大きさはチェーン店の薄いハンバーガーにはないものだ。瑞々しいトマトや野菜もはみ出ていて、チーズバーガーは溶け出したチーズがパテから滴り落ちていた。彼女の食欲を刺激するには強すぎる絵面だった。どちらが食べたいか、と訊くと真耶は迷わずにチーズバーガーの皿を指さした。
「ものすごく美味しいです」
「初めてのジャンクは気に入ってくれたかい?」
「ハンバーガーって美味しいんですね」と真耶が言うと、カウンターの店主が誇らしげに目を閉じた。
「ここだけだよ。まぁ、喜んでくれたなら良かった。よく考えればあまり面識もない男に連れて来られて迷惑なんじゃないかと内心、戦々恐々としていたんだけれど……」
「そんな、とんでもない。さっきも言ったじゃないですか、ラッキーだって」真耶は長い前髪を揺らしながら反論してきたが、その口元にはチーズが付いていて、その真剣な表情と相まってぼくは笑ってしまった。
「チーズ、付いてるよ」と不機嫌そうな目をする真耶に言うと、慌てて口周りを拭いて借りてきた猫のように大人しくなった。
「わたし、先輩のことたくさん知ってます」
「例えば?」
「数学の折濱先生と仲が悪い」
「みんな知ってるよ」
「保健室の本棚の本は全部読んだ」
「それは知らないかもしれない」
「だから面識がないってことはないんですよ。わたしは先輩と仲良くなれたと思ってましたから……」
「そういうものなのかな」
「そういうものです。きっと」
きみはぼくのなにを知っているんだ。
皿の上のポテトを一つつまんだ。ぼくは真耶が黙々とハンバーガーを頬張るのを見ていた。子供みたいに満面の笑みを浮かべながらかぶり付く彼女を見ると、手首が熱を帯びていくのを感じた。それが些事でないことは察していた。その熱がぼくをじりじりと火刑のように焼いていることも、その熱が腕を昇っていくことも、理解出来ない領域で理解出来ないことが蝕まれていることも。全部分かっている。
ぼくが持っているナイフは剃刀よりは切れ味が悪い。それでも、思い切り押し当てて引いてやれば荒々しく肉を切り千切ってくれる。その熱い感触は恐らくすぐには消えてくれない。ステンレス刃のように綺麗に切れてくれないし、あの現実と思考を冷却して目の奥をぐらぐらと揺らす冷えもない。だから、ぼくはこの場で腕を切ってやろうかと思った。それは一種の防衛反応だった。これ以上意識、無意識関係なく自分の穢れを自覚して際限なく飲み干すことへのストップサインだった。そして、それを増長させる、ぼくを真耶と関わらせようとするぼくへの警告でもあった。その熱で現実に繋ぎ止められたまま、目を覚ますために。
「先輩、その腕どうしたんですか?」
しかし、ぼくにそんなことは出来ない。そこまで狂えることなど出来なかった──だが、もしここで気を違えていれば今がどれだけ楽で、生きやすかったことか。その自己に従い、自分を守れていれば──。真耶はぼくの袖から覗いたガーゼを見て、言った。
「ちょっと引っ掻けてね。釘が飛び出しているところでやっちゃったから大袈裟に包帯を巻かなきゃならなくなったんだ」ぼくはつとめて明るく言った。
「大丈夫だったんですか?」
「大したことじゃないって。運は悪かったけれどね」
誇大に言ってもさほど交遊があるわけでもない彼女にどうして劣等感じみた醜い感情を抱いたのか疑問にさえ思わなかった。それ以上に、自分に乱立して熱と共に呻きをあげる感情たちにもなんの不信もなかった。ただ、真耶の言葉に適切な解を投げ返すことだけに専心していた。
その後、軽い世間話をして帰路についた。やはり、なにかしら会話はあったのだけれど思い出すことは出来ない。頭の中ではずっと文字とピンクの柄の剃刀が艶かしく肢体を絡ませるように回り続けていた。
「先輩、わたし前髪切ってみようと思います」
「素行不良は終わりにするのかい?」
「はい。でも、少し自分に自信がついたんです。踏み出してみようって思えたんです」
「良かったね」とぼくは言った。西陽がツーフェイスのようにぼくの顔の片側だけを焼いていた。
「先輩のおかげです」
「ぼくの?どうして?」
「先輩が切らなくてもいいって言ってくれたおかげで少し気持ちが楽になりました。勇気も貰いました。お友達も出来ましたし、人見知りを克服するための決心もつきました」真耶は顔を赤くしながら言った。
「別にぼくはそんな大仰なことはしてないよ。ただ適当に喋っただけだよ。そんなに重く受け取られてもさ……」
「先輩は自己評価が低いと思います。先輩は確かに不良っぽく見えるかもしれませんが、とっても優しい人だって知ってます。わたしが知ってますから」
きみはぼくのなにを知っているんだ。
なにを知っているんだよ。
恋愛って難しいなぁ……。
次回予告「ドキドキ♡先輩と山田リリィの人理修復!!オルガスフィア所長生還!!」
山田「先輩、わたし分かっちゃいました。先輩のこのクソめんどくさい性格を攻略する方法が」
先輩「……」
山田「もし、わたしが悪い子になったら先輩は叱ってくれますか?」
先輩「そこまでにしておけよ山田」
乞う御期待。