栄光の代償・元艦娘たちが語る対深海棲艦戦争(GHK出版新書)   作:蚕豆かいこ

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一   艦娘へのパスポート

「化粧の仕方は我流になっちゃったな」

 都内のマンションの一室で、鏡台に向かった彼女は愛用の化粧ポーチをさぐりながら、そうごちる。

「戦地で必要なあらゆる作法は艦娘学校で叩き込まれた。波に揺られる海面で頭を不動のまま姿勢保持する方法とか、海上を十五ノットで航走しながらオムツを交換する技術とか、星座から現在地の座標を計算する手順、砲術に水雷術、万が一無人島に漂着してしまって当面の救助が見込めない場合のサバイバル術とか。卒業して前線に配属されてからは、わけあって便意を止めたいときにはレーション(携帯口糧)に同梱されてるピーナッツバターを食えばいいだの、手を使わずに自慰をする方法だの、なまぐさいくらいに血の通った身近な智恵を先任の艦娘から教わった」

 しかし、化粧だけは、ついぞだれからも習わなかった。「若いうちはお化粧なんてするものではないわ」。敬愛する艦娘のその言いつけを彼女は忠実に守った。また、娘にとって化粧の教師となるべき母親の膝下(しっか)を、彼女が早くから離れていたことも顧慮(こりょ)しなければならない。軍隊というものに入った以上は、わが家は異国より遠いものと思わねばならなかった。事実、彼女の任期においてみれば、一年のうち日本にいる日数が数えるほどしかない年があることもしばしばだったのである。みじかい休暇は亡友らの生家の弔問と墓参に費やされた。出征中、両親の顔が、ときとして模糊(もこ)となることもあった。

「あのころは艦隊がわが家だった。旗艦が母親、先任が姉、僚艦がきょうだいさ」

 電子レンジで加熱した蒸しタオルで首の後ろを温めるのは顔の毛穴を開かせるためだ。化粧水で浸したティッシュを一、二分ほど顔に貼りつけて保湿成分をたっぷりと吸わせる。化粧をする前のこのひと手間が、四十二歳という(とし)の彼女には欠かせない手順となっている。顔のティッシュを外し、日焼け止めを伸ばしたあと、彼女は化粧下地で肌を整える。

 

 彼女は海上自衛軍で夕雲型駆逐艦四番艦の〈長波(ながなみ)〉、シリアルナンバー608-040119として、八年のあいだ任務に従事してきた。かつては第2水雷戦隊(防衛省の書類上では部隊名称の表記にアラビア数字が用いられているのでそれに準拠する)に所属していたこともある。生まれたときにはすでに深海棲艦との戦争がはじまって十七年が経っていた。物心ついたころから、彼女は艦娘になると決めていたという。

「父は長野の富士見で自作農だった。戦争がはじまるまではレタスを育てていたらしいんだけど、食料事情の悪化とかで政府からBt大豆に転向を指示されて。そう、遺伝子改良で、殺虫性と生産性、除草剤耐性、耐寒性、栄養価を強化されたGM(遺伝子組み換え)作物だよ。いまの時代に遺伝子組み換えされた作物を栽培してますなんていったら、市民団体なんかがすっ飛んでくるだろ? 環境だの健康だのに影響を及ぼすかもしれないって。あのころはそんな悠長なことはいってられなかった。とはいえ、レタスと大豆じゃあまりに勝手が違う。お役所はきっと、レタスのかわりに畑に大豆植えりゃあそれで育つんじゃないの、くらいにしか思ってなかったんだろうね。噴飯ものだよ。いくらGM作物でもなかなか軌道には乗らなかった。田んぼや養蚕の収入を合わせても、端境期には自分らで食べる米もなくなるありさまだった。ほとんど農業補助金で食ってるようなもんでね、いわゆる国民農業だから、ある意味では安泰といえるけど、絶対に儲けはでない。おまけにきょうだいは兄が三人で、わたしは女のうえに末っ子。だれかにはっきり言われたわけじゃないけど、わたしは外から稼いでこなきゃいけないんだろうなとは、うすうす。ああ、もう三十年も前になる」

 艦娘に志願した当時、元長波はまだ十二歳だった。

「当時はとにかく頭数が必要だったからね。小学校さえ卒業していれば満十二歳から志願できたんだ。小学校を出たばかりのガキが特別職国家公務員だぜ、笑えるだろ? でもわたしにはありがたかった、一日も早く家を出て収入を得なければと思っていたから。母は反対してたけど、すぐにそれがうわさになって、彼女はわたしのわがままを認めなければならなくなった。あの時代、志願の意志がある娘を親が軍に行かせないのはとても恥ずべきことだとされていた。どうせ家にいても蚕棚の上げ下ろしだの、繭蒸しだのさせられるだけだろうしね。これがまた臭いんだわ。そんならいっそ、口減らしも兼ねて軍へ行って、うんと偉くなって、両親を楽させてやろうって考えたってわけだ。……悪いね、こんな馴れ馴れしい話しかたで。艦娘だったころの習慣が、いまでも抜けないんだ」

 彼女は適性検査の結果、駆逐艦に適性があるとわかった。駆逐艦は艦娘のなかでもとりわけ最前線に投入される。奇襲に斥候、船団護衛や遊撃、掃海、強行輸送、空挺降下、そして艦隊決戦。対深海棲艦の作戦があるところに駆逐艦娘の姿がないことなど皆無だった。それだけ危険の多い職域であることも意味する。

「艦娘に適性があるってだけで安心しきってたから、艦種については、とくには。あまり知識がなかったからかもしれないけど。とはいっても口に糊するのに必死だったからね、“成人の駆逐艦娘がほとんどいないのは、実戦配備された駆逐艦娘の月間損耗率が一〇〇パーセント近いから”とわかっていても、それで志願を取り止めにすることはなかったと思う。女に生まれたら艦娘になって立派に戦うのが正しい在り方だって学校では教えられていたし、艦娘が活躍する映画も、よくつくられていたから。せいぜい映画の『敵泊地に突入せよ!』とか『南方海域強襲偵察!』とかのスターみたいに、かっこよくハデに散ってやろうとしか考えなかったんじゃないかな。任官拒否なんか、そもそもさせてもらえなかっただろうとは思うけど」

 元長波は外地に十七回派兵された。最初の外地赴任はブルネイで、最後もまたブルネイだった。そこで壊れた。戦地から家族へ送った最初の手紙には、「いままで見た映画より何倍も迫力がある、しかもそれを最前列の特等席で体験できるんだ。うらやましいだろ」。二度目の手紙には「わたしを認めてくれて、わたしを信頼してくれる仲間がいる。こんなに素晴らしいことはないよ。妹もできたんだ」。それから長い間を置いた三度目の手紙には、こう書いた。「なにを考えても気分が悪い。空が青いことにすら腹が立つ。ここにはなんにもない、なんにも。頭がおかしくなっているのかもしれない。帰ったらみんなになにかしそうで怖い。その前にわたしが連中に殺されるのを祈ってほしい。もう終わらせたいんだ、なにもかも。わたしごと」。終戦はその三ヵ月後のことだった。

「けっきょく親どころか、きょうだいでいちばん長生きになってしまった。まさか生きて終戦を迎えるなんて、あのころは夢にも……」

 フェイスパウダーをとったフェイスブラシを手の甲で馴染ませてから顔全体に滑らせていく。すっかり手馴れたものだと元長波は思っている。鋼鉄の十二・七センチ連装砲や十センチ連装高角砲なんかより化粧品のほうが手に馴染むようになったはずだ。毎朝そう信じながら化粧をしている。ほら、意識しなくてもTゾーンを重視できるようになったじゃないか。パフでパウダーファンデーションを重ねる。肌にきめ細かな光沢が生まれる。

 アイブロウのペンシルをとる。四十歳を越えてからはとくに保湿成分の配合されているものを選んで揃えるようになった。若いころは気にしなくてもよかったことが、年々できなくなっていく。肌の潤いもそうだ。眉毛にペン先をなぞらせる。

「長波だったころは、内地の女の子たちは眉毛を描くために眉を剃るらしいってきいて、“お公家さんかよ”って、理解に苦しんだもんだけど、いまとなっては、実に合理的だったんだなと思うよ。変につけたしたり直したりするより、いっそゼロにしたほうが好みのかたちに仕上げやすいんだ。軍もそうだった。艦娘になりたいっつって艦娘学校に入るだろ、そこではまず徹底的に個性を殺される。個人にあわせた教育で長所を伸ばしていくなんて、そんな悠長なことしてる余裕はなかった。わたしたちは、自分を否定されて、年頃の子供がいっぱしにもってる安っぽいプライドなんかを破壊されて、通りいっぺんの更地にされた。教艦たちはそこから新たに兵隊として求められる設計図どおりの個を一律に構築していった。だからみんなおなじ語彙、体力、能力、規律で動くようになる。大人数を最小限の手間で意図したとおりに操るには個性の初期化は不可欠な行程なんだ。そう、眉を剃って描くのとおなじさ」

 薬で寝て、薬で起きている生活のためか、目元の色がよくない。ごまかすためにアイシャドウは明るめの発色を選ぶ。まつ毛とまつ毛の間を繋げるようにアイライナーのペンを置いていく。はみ出した部分を綿棒で拭う。アイラインを落としにくくするため、もう一度アイシャドウを塗る。「うふ」どちらの化粧品もPOLAであることに元長波が含み笑いをもらす。

「ポーラといっしょの艦隊を組んでたことがあったんだ、イタリア重巡の。とんでもない虎だった。あいつほどの大酒のみはあとにも先にもいなかった。皮膚から酒のにおいが滲みでてくるんだよ。そんな馬か鹿みたいに飲んでんのにどうしておまえは健康でいられるんだって訊いたのさ、そしたら“毎日体内をアルコール消毒しているからです~”ときた」

 そのポーラは痛風をわずらっても断酒のけしきをみせなかった。ほがらかで人好きのする娘だったが、ひとりで呑んでいるところを、ふと見かけたときには、かならず目元を腫らしていたという。「きっと故郷を想ってたんだろうな」サーモン諸島ガダルカナル島を占領していた深海棲艦の陸上種、飛行場姫は、音にもきこえた戦艦娘金剛と榛名を筆頭とした水上打撃部隊の勇戦により粉砕されたが、それでラバウル方面の空襲がやむことはなかった。敵は、ガダルカナルにもうひとつの飛行場をひそかに開設していたのである。リコリス棲姫と名づけられたその強大な軍勢を、疲弊した戦艦戦隊にかわって彼女たちが覆滅にむかったおりに、本国の艦隊から分断され漂流していたポーラをたまさか見つけ、救出したのだった。

「のほほんとしたやつでね、ひとことも泣きごといわなかったけど、ほんとは帰りたかっただろうな」

 そのポーラはふたたび祖国をみることはなかった。欧州とをむすぶ航路と途上にある島々は敵の掌中にあった。

「わたしたちはそのときブルネイに配属されてたから、ポーラもそこへ連れて帰ったんだけど、なんせ、よその国の艦娘だろ、とりあえず内地で保護ってのが順当なとこなんだが、運んでる途中でもし敵に襲われて死んじまいでもしたら、日本としてもまずいわけ。内地と泊地の補給線は海路だけだったからさ」深海棲艦の航空機に対抗できるのは艦娘だけだ。しかし、高速をもって鳴る空母艦娘といえども当然ながら飛行機には追いつけないので、輸送は艦船に限定されていた時代だった。「そんで、当時のブルネイ泊地の幕僚連中が紙爆弾でどうにかこうにかしてポーラの部隊編入を市ヶ谷に認めさせてね。ポーラもただの食客となるよりはと賛同してくれたよ。姉妹艦のザラがいたからお互い慰めにはなったとは思う」戦局はかならずしも彼女らに味方したわけではなかった。ポーラはお守りのように本国装備のレーションをだいじに蔵しておいた。「イタリアのレーションには、ワインがついてるらしいんだ。たしかにそうだった。“そりゃうらやましいな”っていったら、“突撃するときや助からない重傷を負ったときの気つけ用ですよ”だって。飲まずにおいてあったのは、それもあるだろうが、ふるさとのにおいのする唯一のものだったからじゃないかな。遼遠(りょうえん)の故郷を思いだすよすがにしてたんだ。じゃなければ、あいつほどの呑み助が、酒の封を切らない道理がない」

 肝硬変になれば、出撃中にみずからの肝臓を砲で撃ち抜き、あたかも被弾を装って入渠で再生させた。当時長波だった彼女も含め、僚艦らは毎回口裏をあわせた。「ポーラに頼まれたことなんかない。そりゃ最初はあっけにとられたけどね。でもすぐに全員が理解した。みんなが理解したということをも、わたしたちは互いに察知できた。もはや談合の要もなかった。わたしたちは戦闘詳報に敵からの攻撃でと記した。もちろん軍規に反するけど、もう時効だよな」

 呑まなければやってられない。それがポーラの口癖だった。いまならわかるよ。元長波はアイシャドウのパレットに刻印されたPOLAのロゴを指でなぞる。

 ビューラーでまつ毛を立たせてから、マスカラを塗る。鏡ににこりと笑ってみせ、頬骨の頂点となる部分からこめかみへとチークのブラシで撫でていく。血色のわるい口唇には桜色の口紅を合わせる。「まあ、見られる顔にはなっただろ」髪をほどく。はた目には健康的で自然な顔色にみえる。「メイクしてないかのように仕上げるのがほんとのメイクだ。たぶんね」

 元長波はゆうべ整えた旅の支度の再点検にかかった。そのどこか落ち着かない様子には、はじめてのことに臨む者にありがちな、過剰な慎重さとでもいうべきものがあった。

「保険証に、着替えに、歯磨きセットに、あとは? 財布は持った、クレジットカード入れた、念のために認め印も入れた、もう大丈夫だろ」

 ふと、元長波は鏡台に置かれた愛用の化粧ポーチに気がついた。「たいへんなもの忘れてた。これがないと外に出られない」

 いま使ったばかりなのになぜ忘れていたのか。頭のなかのリストにポーチを載せていなかったのだ、という推論に元長波はたどりつく。それはにわかに信憑性をもって元長波をひどく納得させた。そうだ、わたしは決して忘れていたわけじゃないんだ。

「外地に出征することが多かったから旅慣れてると、自分では思ってたんだけどね。艦隊にいたころは化粧なんかしなかったから、荷物に化粧品を入れるって発想がなかったんだな。自分でびっくりしてる」元長波はばつが悪そうに笑う。べたつく潮風と容赦ない日射に晒され、オイルと発射ガスの煤、そして自分か僚艦か敵の血にまみれるのが日常だった。化粧の意味がなかった。

 キャリーバッグの隅にポーチのスペースをつくりながら、元長波はひとりごとのように呟く。

「そうだ、もう遊びで旅行ができる時代なんだ」

 

 “もはや戦後ではない”。終戦から十年後の経済白書はこのことばで結ばれていた。その年の流行語にもなったが、二十二年経ったいまではそれすらもひとびとの口にのぼらなくなって久しい。

 元長波も年齢を重ねた。筋肉の落ちた体は女性の丸みを帯びるようになった。体が艦娘であったことを忘れ、おんなであることを思いだしていた。しかし精神は、退役したときのままだ。いまでも元長波は、艤装を背負っていたときの習慣で扉を抜けるときには横歩きをするし、口のなかには深雪(みゆき)の肉の味がしている。妹のように可愛がっていた清霜(きよしも)も、子供の死体に仕掛けられた爆弾で何度も何度もずたずたにされている。膨れた自分の腹を主砲で撃った浜風(はまかぜ)の弔いの子守唄がきこえている。敷波(しきなみ)がいつまでも鏡を殴っている。彼女とおなじ長波の「なあ、おまえも長波だろ、一緒に連れてってくれよぉ」という懇願が脳裏にこだましている。朝潮(あさしお)が髪を灰で洗っている。航行中に脳溢血を起こしたポーラが、髪のながい敵潜水艦の雷撃でピンクの霧になっている。

「あの日々のこと、わたしたちがやったこと、死んだ仲間のことを考えない日は、一日たりともなかった。たぶん、これからもそうだ」元長波の声音には諦念が混じっている。「でも時間は過ぎていく。時代は進む。人生も。なのにわたしは、いまだに錨を下ろしたままだ」

 

 けっして元長波だけが特別なのではない。終戦を迎えたとき、日本には内外に一二五万人の艦娘がいた。長波だった彼女のように時を置かず退役したものもいれば、数年後に解体(脊椎の寄生生物との分離手術により、艦娘をもとの人間へ戻すこと。広義では艦娘の退役の意)の処置を受けたものもいる。解体されたのち軍やその外郭団体に再就職した元艦娘もすくなくないが、いずれにせよ、終戦当時に艦娘だった女性たちは、いまではすべてが艦名ではなく、志願する以前のように本名で生活している。彼女たちは、内地にいたもの、外地に出征していたものとにかかわらず、ひとりひとりが、日常へ戻ってきた帰還兵だった。終わった戦争はどんどん遠ざかっていく。彼女らは前へと進まねばならなかった。大半のものはそれができた。まるで当たり前のように、艦娘であったことさえ忘れたかのような足取りで、社会に帰っていった。

 いっぽうで、時代の移り変わりについていけないものたちもいる。退役艦娘庁によれば、一二五万人の“帰還兵”のうち、三十パーセントにあたる女性たちが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)――過度の恐怖体験によって引き起こされる精神障害――もしくは、外傷性脳損傷(TBI)――強烈な物理的衝撃で揺らされた脳が頭蓋骨の内側にぶつかって起きる脳機能障害――を患っている。「どうやっても、錨が揚がらないんだ。どうすればいい」どんな戦争にも“戦争の後”がある。深海棲艦との戦争も例外ではない。戦争が残したのは、鬱、悪夢、記憶障害、誹謗中傷、差別、そして自殺願望を抱えた、三十八万人の元艦娘だった。

 あの戦争を振り返ることすらも絶えた現代で、どうしたら三十八万人という数字の重要性を訴えることができるだろう。日本に八〇〇ちかくある市を人口別にみてみたときに、三十八万人より人口の多い市は五十しかないと考えればいいのだろうか。だが、精神に傷害を負った元艦娘の数は、年々減少傾向にある。事故死、病死、他殺、老衰、自殺によって。

 とくに自殺については、軍は重く受け止めていると表明している。戦後から昨年までの自殺艦娘の数は、戦時中に自殺した艦娘の数をついに上回った。長波だった彼女は三十八万人のうちいまでも生き残っているひとりということになる。もはや戦後ではないということばが流行語になったとき、元長波は「煮えくり返ったはらわたをかきむしりたくなった」という。「わたしの戦争は、まだ終わってすらいないんだぞ」

 

 荷物をパズルのように組み合わせてバッグ内に空隙を捻出したあと、よし、と息をついた元長波は、そこになにを入れるつもりだったのかがわからなくなっている。考える。なんだったっけ。似たようなことは以前にもあった。復員艦娘病院で診察を受けて、帰宅しようとし、玄関をでたところで携帯電話が鳴った。菩提寺から亡母の法要の日取りを確認する旨の電話だった。元長波は命日のつぎの日曜に予約を入れた。電話を切ったとき、どこへ行くのか思いだせなくなっていた。

 元長波は部屋を見渡した。埃ひとつない、いつか彼女の気力も体力も奪い尽くしてしまうであろう清潔さを保たれたワンルーム。視界に化粧ポーチが入る。そうだ、化粧品。艦隊にいたころは化粧なんかしてなかったから……と、元長波はまたもおなじ追憶を繰り返してしまう。

 長波だったころ、それもまだほんの子供だった時分、海にでない日くらいはと、彼女をふくむ駆逐艦娘たちは同年代の女の子とおなじように化粧に憧れた。若かった。幼かった。あるとき化粧品はどのメーカーを使えばよいか、おなじ泊地の装甲空母翔鶴(しょうかく)に訊いた。元長波の知るかぎり最強だったその空母艦娘は、諭すように穏やかに答えた。

「若いうちはお化粧なんてするものではないわ」

「どうして。空母や戦艦のみなさんはいつもしてるじゃないですか、任務中だって」と、彼女たちは子供らしい純粋さで食い下がった。駆逐艦からすれば、空母とは雲上人のような存在だったが、わきまえるべき一線を越えない範疇で、元長波たちは翔鶴を母か姉のように慕った。翔鶴もそれを望んだ。甘えていいとまでいってくれた。だからこそ元長波たちは甘えはしなかった。

「だからよ」

 わが子か妹に語って聞かせるように翔鶴は重ねた。

「若いうちからお化粧なんてしているとね、肌が荒れて、化粧しないと外に出られない顔になってしまうの」

 駆逐艦たちは引き下がるほかなかった。そのときにかぎらずあらゆることにおいて、その翔鶴がいうことは常に、心の宝物庫に大切にしまい、錠を下ろして鍵を預けるに足る価値があった。その鍵はもう沈んでしまった。化粧をはじめたのは戦争が終わって軍を退役し、若くなくなって、遺戒が解けたと心の底から思えるようになってからだ。だから元長波には、荷物に化粧品を入れるという発想自体がなかった。

 ほかに忘れ物がないか抽斗(ひきだし)を開けていた元長波が、ふと、あるものに目を留めた。パスポートだった。

「今回は、この子はお留守番。もう失効してるけどね。たぶん、いちばん付き合いの長い装備品だったと思う」

 年季の入ったパスポートをめくる。元々ある四十四ページと、ページ下部に増補を示すSUPPLEMENTと打刻された追加ぶん四十ページの、すべての査証欄は、色とりどりのスタンプやビザのシールでびっしりと埋められている。「もう押すとこがないや。いろんな国に行った。ブルネイ、パラオ、ミクロネシア……これはトラック諸島に転属になったときのだな、インドネシアにはリンガ泊地があったし、オーストラリアのスタンプはショートランド泊地への乗り継ぎ。パプアニューギニアに、フィリピン、アメリカ、これはタイのビザ、それにエジプト、リランカ、カスガダマ、ロシア、南米。陳腐な言い方だけど、まるできのうのことみたいだ」

 “殴り込み部隊”として世界に名を馳せた第2水雷戦隊は、各国から艦娘部隊の戦術教導として招聘されることも多かった。ひとつひとつ、指を置きながら、懐かしげにスタンプを眺めていた元長波は、また元の抽斗へと丁寧にパスポートを戻した。その隣にはブラジル政府から授与された南十字星国家勲章が折り目正しく安置されてある。それにも指を触れてから閉じる。

「仕事じゃない旅行なんて、はじめてだ。この歳になってもまだ初体験があるなんてね。驚きだよ」

 そういって立ち上がろうとした元長波は顔をしかめて腰に手を当てた。苦笑いを浮かべる。「腰痛は艦娘の職業病なんだ。みんな湿布が手放せないはずさ」元長波はメモ帳をめくる。「朝霜、伊168、朝潮、神威、文月、山風、磯風、酒匂さん、子日、陽炎と嵐。みんな元気にしてればいいんだけど」

 

 元長波は、かつての仲間たちに会いに旅に出る。

 終戦から二十二年。戦後の艦娘たちを、追った。


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