栄光の代償・元艦娘たちが語る対深海棲艦戦争(GHK出版新書)   作:蚕豆かいこ

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十一  砲煙突破せよ

 元朝潮ら第2大艦隊の後退に誘われて、主陣地帯に気づかずまともにぶつかってきた敵は、満を持した戦艦娘、重巡娘の集中砲撃と、空母艦娘の空爆により、大戦果の好餌になった。なにしろ敵は地を埋め尽くしている。32軍の各艦隊は事前の猛訓練で、一見取るに足らない傾斜や山ともいえない岡阜(こうふ)まで位置と名称をあますことなく頭に叩き込み、担任地域の地形を目標に諸元を設定してあるから、砲撃も爆撃も非常に高い命中精度が期待できた。目をつぶっていても思い通りの場所に弾着させられる。攻撃自体はその場で諸元をもとめなければならない海上より楽だったという。

 営々と築いた洞窟の地下壕も、たとえば元朝潮の24海上師団と元長波の独立混成第60海上旅団陣地は、二十四時間のうちに大型砲弾四二五発、ロケット弾三三〇発、中小口径砲弾二五〇〇発を被弾したが、戦死者十名のほかは陣地設備および物資の損害は皆無で、しかも「敵の射撃は集中しておらず、めくら撃ちに終始している。洞窟陣地は敵戦艦砲撃の巨弾すらピンポン弾のように跳ね返し、おまけに深海棲艦はわが陣地の配置を把握していないのだ」(『私のジャム戦記-15年目の告白-』より)

 

 作戦計画が図に当たり、戦略持久の方針の堅持こそが自分たちのとるべき唯一の道であると全軍が再認識しはじめた、敵上陸五日目の朝、思いもかけない命令が下った。

「軍主力をもって北部・中部両飛行場に総攻撃をかける」

 主力とは飛行場地域にもっとも近い24海上師団と独立混成第60海上旅団だった。打って出ろというのである。専守防衛から突然の攻勢への転換は将兵と艦娘の少なくない動揺を招いた。

 前日の朝、統合幕僚本部から司令部へ電信が入っていた。「敵の出血強要、飛行場地域の再確保を要望する」という要旨の訓電だった。敵上陸に際し一撃も加えなかったばかりか、早々に飛行場を奪取され、いまも持久に徹している32軍が自己生存のみを図っているのではないかとの焦慮、いや侮蔑が文面に表れていた。

「9海師取り上げといて、補充も反故にして、出血強要も飛行場の確保もできなくしやがった張本人が、よくもまあぬけぬけと命令してきたな。分裂症か」。艦娘たちが浮き足立つなか、伝え聞いたうわさを耳にした深雪が憤懣やるかたない様子でそう洩らしていた、と元長波はいう。

 第一線で働いていた当時の元長波たちには戦況を客観的に俯瞰することはできなかった。元朝潮が退役後から蒐集していた、戦後に出版されたジャム島戦関連の書籍や新聞の切り抜きをテーブルに広げて、ふたりは当時を振り返りながら第三者の視点に立って談論風発した。外傷性脳損傷に悩まされているとは思えない怜悧な論理の応酬だった。

「まともにぶつかったら、一対五の物量差では、単位時間あたりの戦力比は単純計算で五〇〇〇対六億二五〇〇万になり、同クラスじゃ艦娘は深海棲艦の下位互換だから、これに武器性能の差まで乗ってくる。彼我兵力差から鑑みて持久戦以外にジャムの活路はない。だから32軍は過去数ヵ月を戦略持久の大方針のもと、一意専心、八方手を尽くして準備を進めていたわけだけど、敵は予想上陸地点のアネダクから上陸し、予期したとおり南下を進めていた。戦況がかねてよりの予想どおりに推移しているこのときに、突拍子もなく根本方針を転換しても、回天の一撃なんか望むべくもない。打って出る策がうまくいくんなら最初からやってる。仮に総力をあげて出撃した場合、洞窟のおかげでなんとか被害を局限できてるってのに、その陣地を飛び出した裸同然のわがほうは、飛行場制圧なんておぼつかないばかりか、圧倒的な敵の陸海空の火力集中を受け、全軍数日を経ずして覆滅し、史上まれにみる無惨な結果に終わった可能性が極めて高かっただろうな」

 元朝潮が力強くうなずく。

「早期にジャムが陥落すればそれだけ敵の本土侵攻が早まることは必定です。戦力、人員、物資の面から、32軍は持久に徹すれば二ヶ月を凌ぐ成算がありましたし、実際には三ヶ月におよぶ組織的抵抗をみせました。その耐えている間に本土防衛を確かなものとしてもらうために、32軍は捨て石となる覚悟でジャムに在ったのです」

「中央は基地航空隊に固執しすぎていた点が否めない。この年の防衛白書によれば、敵のジャム上陸時点でも陸上機部隊の生産は必要数にとうてい届いていなかった。艦娘にせよ基地航空隊にせよ、なぜ犠牲を押して投入するかってったら、そりゃ勝つためだ。勝てなくても、敵に最大限の出血を強いて、時間を稼ぎ、本土が金城湯池の防備とシーレーンを確保する目処をたてて国民を守る体制ができあがれば、それはわたしたちの戦略的勝利になる。ところがどうも統幕は、基地航空隊ありきというか、勝つための一個の手段ではなく、陸攻を使うことそのものが目的にすりかわっていたみたいだ。実用化にあたってめちゃくちゃ苦労したみたいだから、使わないともったいない、それまでつぎこんだサンクコスト(埋没費用。この費用とは資金だけでなく時間や労力といったあらゆるリソースを含む)が無駄になっちまうって考えたか。コンコルドの二の舞だ」

「統幕の主要幹部でも基地航空隊を推進する主張は多数あったみたいですから、面目のためにも、陸攻で戦果を挙げなければならなかったものと。肝煎りの陸攻部隊を活躍させるために、なんとしてでも飛行場をわたしたちに奪回させたかった」

「戦理を無視して基地航空優先の思想に拘泥するあまり、真の目的を見失った、あるいはみてみぬふりをした。航空作戦のような派手で華々しい戦術にばかり捉われて、持久戦のごとき地道で堅実な戦いを軽視する。面子で戦争やってるんじゃない。戦術的にも戦略的にも、攻勢転移はいたずらに消耗を早めるだけの悪手だ。当時のジャムの状況じゃ、守って耐える持久戦しか道はない。やっぱりあの陸奥さんは正しかったんだ」

 

 元長波と元朝潮は当時の32軍司令部と同様の結論に行き着いた。内容はともかく、閣議決定された純然たる命令というわけでもない、あくまで政権の顔色を忖度した内局による訓令的な要望の体でしかないのであれば、バカ正直に服従する必要もないとし、幕僚たちはあくまで戦略持久を堅持すべしと判断した。

 ところが愛する祖国を思ったればこその持久作戦は、本土にはただ32軍がわが身かわいさの瓦全を画策している無責任のように映っているらしかった。32軍の直属上級司令部である第10方面軍は、

「守ってばかりでは32軍は決戦の機会もないまま全滅する」

 と遠回しに要望した。基地航空隊を差配する海上自衛軍特定有害指定生物対策特殊航空集団の不満はさらに強く、

「水上艦隊と基地航空隊の連携が効果大であること、また北部・中部飛行場の制圧が第32軍自体の作戦にも緊要であることは、KW環礁沖海戦等の戦例に徴するもあきらかである。敵の航空基地の設定破砕は、西方方面作戦の根本義であるのみならず、同方面航空作戦遂行のためにも重大な意義を有するをもって、これの制圧には万難を排して当たられたい。敵が基地整備を完了していない今こそ我の乗ずべき好機である。しかしこの好機は数日の内に去ってしまうことが予想される。32軍が千載一遇のこの戦機を捉えず、座して眼前に敵地上型の設置と要塞化を許し、同盟国やわが国を航空攻撃の危険に晒して、自らは堅牢な壕に籠り持久健在を策することは、身勝手の謗りをまぬかれ得ない」

 という激越な主旨の要請を打電した。

 元長波はむしろ呆れて苦笑いする。

「映画にもあったけど、われらが司令部は、あの日、本当にこんなクソッタレな要望電をあちこちから送られてたのか。なにが“飛行場制圧はあなたたちのためでもあるんですよ”だ。恩着せがましい」

 元朝潮も顔に嫌悪を浮かべる。

「しかも、命令ではなく、あくまで要望、要請のかたちをとっているところが、司令部のさらなる反感を買ったことは想像に難くありません。命令であれば、それにしたがって32軍が大敗北を喫したら、命令者の責任問題になる。だから形式上は要望に留めたんです。これなら失敗に終わっても、中央は32軍が独断で行なったことだと責任逃れができます」

 各方面から続々と舞い込む、32軍を懦夫(だふ)のあつまりと断罪せんばかりの攻撃督促報は、司令部を激しく揺さぶり、二分を誘った。持久堅持か、攻勢か。

 新任の幕僚たちはおおむね統合幕僚本部の意思を支持し、攻勢転移を主張した。軍隊は上級司令部の作戦構想に順応すべきである。統合幕僚本部や方面軍ならびに基地航空隊が積極策を企図している以上、32軍のみが違背すれば足並みは揃わず、作戦の効果は激減する。持久戦で従容と死を受け入れたなら遅かれ早かれ全員が死滅するが、一時の犠牲はでたとしても、攻勢により敵を撃滅できたなら、結果的に多くの部下将兵の生命を救うことになる。戦争は守っているだけでは勝てない。ジャムの地勢もろくに知らない男性新幕僚長はそう懸河の弁を振るい、先頃の人事異動で補職されたばかりの幕僚たちが追随した。

 

「“自動車の免許を有していないものが交通法規を無視した強気な運転をするような、いわば無知の勇気だった。アクセルペダルを踏むだけならだれでもできる”か、いい得て妙だな」元長波は『私のジャム戦記』を通読しながらいう。

 しかしあまり中央の方針に背馳していると、最悪の場合、反逆罪に問われる恐れもある。32軍の立場は進退窮まった。戦略持久の堅持を訴える幕僚らも譲歩せざるをえなくなり、折衷案として、もし攻勢が失敗しても第一線が崩壊しないよう、独立混成第60海上旅団と、24海上師団のうち第22海上歩兵連艦隊だけを並列して夜襲をかける計画が立案された。

 しかし予定にない攻勢に妙案などあろうはずもない。物量をたのむことができてはじめて有効となる人海戦術を寡兵で押し通すだけである。

 大要は、日没とともに攻撃を開始し、敵を撃破浸透して天明までに十五キロ離れた飛行場を制する戦術的要線に進出、掌握ならしめる。

 戦艦娘戦隊は水雷戦隊の前身開始と同調して射撃を開始し、敵の後方を擾乱して、攻撃の初動に協力する。

 翌天明後においては、独立混成第60海上旅団の空母艦娘は黎明を期して各航空機を出撃、航空優勢を維持し、可能であれば位置明瞭な敵巡洋艦級および戦艦級を爆撃して浸透部隊を援護する。

「どう思う」

 元長波は参謀になったつもりで元朝潮に意見を求める。

「敵航空機が封じられる夜間を選ぶこと、洪水のように全面を押し上げてくる敵線に小規模部隊群で浸透攻撃をかける戦法は一理ありますが、深海棲艦は赤外線を視認できることから敵砲火の威力が昼夜でいささかも減じないこと、専守防衛を徹底していたためジャム島における夜襲の訓練を受けていなかったこと、準備期間も短いこと、よしんば成功したところで敵勢力下では広大かつ平坦な飛行場の制圧維持がおぼつかないこと、艦娘が地上を、それも複雑錯綜した山岳地帯を火力の絶対優勢な敵砲撃に晒されながら一夜にして十五キロも縦深するなどとうてい不可能であること、後知恵ながら陸攻部隊配備の目処がたっていないので夜襲そのものに価値がないこと、などから」

 元朝潮は端的に結論をだす。

「夜襲は必ず失敗すると予期できたはずですし、万一成功しても戦局好転にはなんら寄与しない、無意味な消耗かと」

 元長波も腕を組んでうなずく。「同感だ」

 

 幕僚らがまとめた作戦案を、司令官はまったく口出しすることなくただちに決裁した。ここに飛行場奪還作戦断行が決定される。

 総攻撃は案の定、失敗した。

 なぜなら、22海上歩兵連艦隊第1大艦隊は支とう点に到着こそしたものの、地形と敵情の偵察もままならず、また道中で敵の砲火で損害をだしており、準備極めて不十分な状態で決行せざるをえなかったからだ。

 夜半にエクアワ北の161.8高地に斬り込んだが、軽巡棲姫の探照灯によりほぼ無力化され、つるべ撃ちにされた。深海棲艦の探照灯は射撃目標を僚艦に指示するわがほうのものとは趣が異なり、基本的には夜戦にのぞむ艦娘の視力を奪うために使われることがわかっている。ビーム状に収束しておらず、比較的拡散するため付近一帯を真昼のように明るくするが、照射が終わると視界は瞬時にしてもとの暗黒に戻る。これが何度も繰り返された。暗順応で少しの光もよく感受できる状態となっている眼で探照灯の眩光を受けると、視界が白く塗りつぶされ、明順応を経てふたたび暗順応するまでは夜盲症同然となる。

 こちらだけが目隠しをして戦わされるようなもので、闇の地獄に叩き落とされた第1大艦隊は敵の姿もみえないまま砲火を集中されて損害続出、攻撃に参加する機会を失っただけでなく、駆逐級の群れによって本隊と分断されたため後退もできなくなり、以降は山に籠って単独で徹底抗戦し、孤軍奮闘三週間を耐えたのち、全滅することとなる。

 

「わたしたち2大艦は、お恥ずかしい話ですが、夜間の移動中に道に迷ってしまい、夜明けまで攻撃開始地点にさえたどり着けませんでした」

「独立海歩399大艦も似たようなもんだったよ。なーんかちがうなぁってうすうす思ってたんだけど、いざ夜襲開始ってなったら、あるはずのない山とぶつかって、現在地もわかんなくなった。空が白みはじめたあたりで、最初の目標地点からしてまちがってたってことにみんなようやく気づいてね。つまり大艦ごと迷子さ。当然、戦艦や空母連中の援護も予定されてない地区だったから、猛烈な攻撃を雨あられと受けてあえなく撤退よ。陣地に帰るまでの五日で半分は死んだはずだ。わたしはどうしてかその半分に入らなかったんだが、砲弾の破片で左の手首から先がもってかれた」

 

 元朝潮と元長波が思い返すとおり、敵の昼夜を問わない熾烈な砲爆撃で道路が寸断されているだけでなく、地形そのものが変貌してしまっており、目印となる史跡や集落などが跡形もなく消し飛んでいることが多々あり、地図も頼りにならなかった。なまじ地勢が身についているだけ、かえって混乱を招いたともいえる。しかも各所で軽巡棲姫たちが断続的に探照灯で夜をまぶしく照らして夜目を奪ってくる。

 敵は事前の偵察を活かし、道路の分岐点や川など交通の要所には間断なく交通遮断射撃を実施している。突破は容易でなく、迂回すれば敵の待ち伏せ、遭遇戦など不測の事態が起きる可能性はさらに増す。道路は耕されたように掘り返されていて、艤装を背負って山道を歩兵のように歩かねばならない艦娘の進出速度は極めて遅いものとなる。弾薬や物資を運搬する部隊はさらに手間取った。

 首尾よく敵線を突破して要地を確保できたとしても、前線から突出しているのだから砲爆撃の的にされて当然で、陣地構築はおろかタコツボくらいしか掘る時間のない艦娘たちは隠れる場所とてなく、屍山を築き戦力は激減し、全滅か後退かふたつにひとつとなる。各艦隊とも以上の要因で夜襲に失敗したのだった。

 

 元朝潮の第2大艦隊は、一時は敵中に孤立したが、連艦隊本部からの撤退命令で後退した。

「経由地のザカク高地へ向かう道中、大勢の僚艦が砲爆撃でこっぱみじんになるか、食べられるかしました。早霜ちゃんは艤装の燃料に引火したせいで火だるまになりました。まるで松明のようでした。本人の携帯消火器だけでは消火できず……規定で、火災を起こしている本人の携帯消火器で火が消せなかったとしても自分やほかの艦娘の消火器を使うことは禁止されていたでしょう、自分の消火器を使ってしまったら自分が火災に見舞われたときに使えなくなりますから……土をかけたり、飲料水で濡らした服を被せたりして、ようやく消し止められました。

 インナーカラーがおしゃれな、長かった髪は、縮れ毛になっていて、顔も体も皮がべろべろに剥げて、脂肪の層がみえていました。ぶすぶすと嫌なにおいも。髪が燃えるにおいです。そのときすでに意識不明で、体液を失いすぎたことによる低容量性ショックを起こしていました。

 後送はふたりで行います。応急処置だけ施して、小艦のみんなで交代しながら背負って、もうひとりは早霜ちゃんに輸液している重炭酸リンゲルの点滴バッグを高く持ちながら撤退したのですが、全身の至るところから鼻が曲がるほどのにおいの膿が滲みでていて、なにかの拍子にぎゅっと押したりすると、ぴゅっ、ぴゅっと勢いよく飛び散ったりするので、わたしたちは髪も背中もべったりと膿まみれになりました。わたしなんて、背負っていた早霜ちゃんから垂れてきた膿が口のなかに入ったことも。嫌だと思ったことはありません。だれも文句なんていいませんでした。あしたは自分が背負ってもらう側になるかもしれないんですから……。

 わたしに何度目かの背負う番が回ってきたとき、歩いている途中で、急に早霜ちゃんの体が重くなったんです。つかみどころがないというか、全身がぐにゃぐにゃになって、あらゆる方向へこぼれ落ちそうになった。どうにも担ぐのが難しくなって、いったんしゃがんで、体勢を整えようとしたら、霞が“ちょっと待って”と早霜ちゃんの脈を測りました。すでに事切れていました。わたしの背中で息を引き取ったのです。遺言も聞いてあげられなかった。社会福祉士になったいまでも、亡くなられたお年寄りの身体を触るとき、早霜ちゃんを思い出します。あの何も力の入っていない、ぐにゃぐにゃとした感触が、まったく同じなんです。

 ……わたしにはわかりません、全身を火に巻かれて、水ぶくれと膿だらけになって苦しみ抜いて死んだ早霜ちゃんと、おなじように燃料火災で、脊髄反射によって喉が塞がり自家窒息し、もがき苦しんだのち弾薬が誘爆したせいで遺骨のかけらも残らなかった萩風さん、どちらがより悲惨なのか。

 早霜ちゃんの遺体は遺骨用に腕を一本、肘から切り落として、弾薬や食糧など役に立つものを取って、あとは置いていくしかありませんでした。土に埋めたり荼毘に付してあげる時間もなかった……いじわるな古参の艦娘が、火を消さなかったらついでに火葬もできてたかもねといいました。わたしはかっと頭に血が昇りました。でも、わたしが抗議しようとしたときには、霞がその先任を殴り飛ばしていたのです」

 撤退は受難の連続だった。追いながら攻撃はできるが、逃げながら戦うことはできない。反撃しようとすると立ち止まることになる。

「優しかった狭霧さんは、敵砲弾が掠めて頭が割られてしまいました。後頭部が裂けて脳みそがあたり一面に……頭は空気の抜けたサッカーボールみたいにぺしゃんこになっていました。天霧さんが……そう、いつもわたしの面倒をみてくれた、先任の天霧さん。わたしがパラオに配属されてから初めての演習で、真っ赤に灼けた砲身にこわごわ舌を這わせて“あっちィー!”って大笑いしてた天霧さん……。いつも果断明快だったその天霧さんが、彼女らしくもなく度を失って、暗殺された大統領の夫人みたいに飛び散った脳みそをかき集めて、狭霧さんの頭に詰め直しはじめました。戻せば狭霧さんが生き返るとでもいわんばかりに。……次の瞬間、空からうなり声と風を切る耳障りな音が降ってきて、天霧さんと狭霧さんがいた場所ごと半径何メートルかが吹き飛ばされました。わたしは爆風で転んで、内臓がお腹のなかで洗濯機みたいにかき回されて、胃のなかのものを全部吐き散らして、激しい頭痛もして……風雲さんがわたしになにか叫んでいましたが、なにも聞こえません。水のなかにいるみたいでした。でも、たぶん、早く立ち上がって逃げろとおっしゃっているんだろうなとは想像できましたから、そのとおりにしました」

 

 撤退したさきのザカク高地での戦いではさらに多くの負傷者を出した。

 もともとザカクを拠点としていた62海上師団とともに勇戦敢闘し深海棲艦の第一陣を全滅に追いやるも轟沈多数(轟沈はもともと被弾から一分以内の沈没を指すが、海軍では艦娘の戦死をたとえ陸上のものでも轟沈とよぶことが通例としてあった)、後送至難な重傷者の集団となり、後送の余力もなく、22連艦隊は敵の後続が到達する前に動けるものだけで後退することになった。ザカクはひきつづき62海上師団が固守した。

「“わたしもここで死にます。みんなを見捨てて後図を策するなど情に忍び得ません”、そう懇請したら、風雲さんに平手を受けました。“お互いまだ手も足も両方残ってるでしょうが。後退すればまだまだ戦える。戦いたくても戦えない子たちもいるのにぜいたくいわないで。死ぬなんてあとでいくらでもできるんだから、いまを生きることに全力を尽くしなさい!”。……早く死んで楽になってしまいたい、苦しみから逃れたい、その怯懦を人情論の美辞麗句で飾って逃げ道にしたいという、わたしの弱さを風雲さんは見抜いておられたのだと思います。だからせめて、そのときの風雲さんの仕事を分担させてもらいました。陸軍部隊に頼んで譲り受けた雑嚢いっぱいの手榴弾をひとつずつ、倒れたまま動けない重傷の艦娘たちに渡していく役目です。手榴弾でできることなんてたかがしれています。せめて苦しまないようにと」

 元朝潮の言葉が詰まる。元長波が彼女の肩に手を置く。元朝潮は小さく頷いてみせ、ふたたび口を開く。

「失血でたいていの艦娘は目がみえなくなっていましたが、手榴弾を握らせると、感触でそれと知って、力強く頷いたり、情けなさそうにむせび泣いたりしました。わたしの髪をきれいに梳かしてくれた旗風さんは、失明したのか、包帯で顔の上半分が覆われていました。右足がなくて、わき腹がえぐられ、肋骨の奥で横隔膜が弱々しく上下しているのさえ覗けました。わたしが手榴弾を持たせると、旗風さんは、口元だけですがにこりと笑って、本当に蚊の鳴くような声で、“ありがとう”といったんです。置き去りにしようとしているわたしに、自決しろといっているわたしに、ありがとうだなんて。……わたしたちが去ろうとしたとき、遠近(おちこち)でいっせいに爆発の轟然たる不気味な音が響きました。わたしは振り返りませんでした。自分が肉片を飛散させているところなんて、みてほしくなかったはずですから。62海師が全滅したのはその翌日です」

 長く長く息を吐いた元朝潮が、あなたの話も聞かせてと、元長波を見つめる。


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