栄光の代償・元艦娘たちが語る対深海棲艦戦争(GHK出版新書)   作:蚕豆かいこ

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十二  蒸発艦隊

 元長波たち独立混成第60海上旅団独立海上歩兵第399大艦隊もまた、後退は命がけだった。

 

「敗走しながら、小艦隊旗艦の深雪が“よーし、作戦要務令綱領第九”って名調子で叫ぶ。するとわたしたちは、“はーい。敵の意表に出づるは機を制し、勝ちを得るの要道なり”って歌って返す。で、全員で“できるかバカヤロー!”って締めくくって、大笑いしてた。途中で、あたりにどかどか撃ち込まれてるのにうずくまってる軽巡の名取が目に入った。爆音で失聴して状況がわかってないのかもしれないと思って、近づいたら、その名取は破れた腹からハラワタがこぼれて広がってて、つかみどころのない腸やら肝臓やらをなんとか腹に戻そうと一心不乱になってた。腹に押し込めようとすると力を入れて腹筋を使うから、腹圧でまた内臓が溢れてくる。その繰り返しだった。わたしのこともまるで眼中に入ってない。深雪が早くしろ、ぐずぐずするなって怒鳴ってたんでその場を離れた。わたしはあの名取をぶん殴ってでも引きずっていくべきだったのかもしれない。命からがら洞窟に退いたら、わたしの左手をみた海旅(かいりょ)の幕僚に野戦病院へ行けって命じられた。手首くらい、バケツかければ治るだろって軽く考えてたんだが、そのバケツがないんだからしょうがない。ただでさえ空襲であらかた喪失してるのに無理な攻勢で大量に消費したから片手ごときには使えないんだとか。手足なんていくらでも生えてくるもんだって意識だったけど、バケツがないと、わたしたちはむかしの兵隊となんにも変わらないんだなあって、ぼんやり思ったよ」

 

 入口に、ルバエハ野戦病院と墨痕も鮮やかな木札の掲げられた洞窟の坑道は、すでに動くに動けぬ重傷者の先客たちで、押し合いへしあいとなっていた。全長五キロにおよぶ病院壕内にくまなく材木で組まれた三段ベッドのすべてが、負傷艦娘と苦鳴で埋まっている。元長波は実家の蚕棚を思い浮かべた。

「寝床っていってもシーツもない堅い木板に直接寝かされるから、寝心地は最悪だった。あんなもんで寝てたらよけいに悪化しちゃうよ」

 後方支援連隊の衛生隊だけでなく、現地雇用の学徒看護婦もひっきりなしに行き交い、修復材がないという未経験の事態にうめきもがく艦娘たちの世話に鞅掌(おうしょう)した。

「さいわいわたしは左手がないだけ。痛み止めと包帯だけもらって、有給だと思って、空いてた中段の寝床でおとなしくしてたんだが、二日目か三日目だったかな、ぼけっと寝てると、上のベッドから、やけに油っぽい、臭い汁がぽたぽた垂れてきてね。オネショでもしてんのかと覗いてみたら、上で寝かされてた艦娘が死んで、腐った汁が流れでてたんだ。さすがに気味が悪かった。女学生たちも忙しそうだったんで、自分でその死んだ艦娘を片づけようと腕を引っ張ったら、肩のところから、ぐぽっと抜けた。全身がそんな感じだから苦労したよ。そんなこんなで、寝てるだけってのも悪い気がしたから簡単な仕事だけ手伝うことにした。あんな寝床で寝るくらいなら働くほうがマシだった」

 

 壊阻の進行を防ぐため、主任軍医は連日、傷病艦娘たちの切断手術に明け暮れていた。攻勢により一時に大量に患者が後送されてきたので医薬品の補給計画が狂い、備蓄が底をつきはじめていて、麻酔も打てなかった。暴れる手足を押さえておく助手が必要だった。元長波は学徒看護婦に混じって助手となった。

「応急処置ですよね? 切っても、修復材でまた治りますよね? きっと補給は来ますよね?」。そう泣きわめく磯波の、肉が弾け脛の骨が露出している右足にのしかかるようにして体重をかけた。主任軍医はなにも答えず磯波の足に弓鋸を入れた。鮫の牙のような刃が前後に引かれるたび、四肢を元長波らに押さえつけられた磯波は、手術台の上をのたうちまわり、ウエスを猿ぐつわのように噛まされた口からは血を吐くような絶叫がもれた。切り落とす途中で磯波は失禁した。

 切断し終わって、涙と鼻水とよだれを垂れ流して虚脱状態となっている磯波を止血のため別の治療台に運び、肢切断を要する順番待ちの艦娘がまた俎上(そじょう)の鯉となった。切った磯波の右足は、押さえていた元長波が壕入口の一斗缶に捨てた。一斗缶は挿し込まれた腕や足を花弁とした大輪の花を咲かせるオブジェになっていた。夜になると看護婦が缶の手足を外に掘った穴へ埋めた。

 

「足は案外重かった。女ってのはどんな痩せっぽちでも、太ももにはしっかり肉がついてるからな」

 元長波は野戦病院の日々を思い返す。

「わたしとおなじ長波が後送されてきてね、どこが原隊か知らないが、なかなかひどいありさまだった。左目は潰れて、左腕と左足はない、右の手と足も長い傷がついてて、壊死がはじまってた。切るしかない。わたしは右手の手首を押さえた。相手も鋸でギコギコされて、こりゃたまらんって握りかえしてくるんだけど、骨が軋むくらいぎゅうーってされるから、痛くてしかたがない。で、切ったあとも腕がわたしの手首を強く握ったままついてくる。しかたないから口で指を一本一本はがした。両手両足なくしたその長波を“戦場にでも行ったのかい、ジョニー?”って茶化したらさ、息も絶え絶えに、“おまえが寝ようとするたび、這ってでも枕元でSOSのモールスを叩き続けてやるからな”。半分くらいは本気だったかもしれないな」

 

 次から次へと負傷艦娘は担ぎ込まれてきた。病院壕は阿鼻叫喚で満たされたが、元長波は、四肢を失った長波の声だけは、なぜかよく聞き取れたという。

「ある日なんか蛆が耳に入ったってわめいてたな。なんせ手がないから取ろうにも取れない。おなじ長波のよしみで、わたしが耳掃除してやった。取るのは耳くそじゃなくて蛆虫だけど」

 

 受け入れ能力を大幅に超えた野戦病院では清潔を望むにも限度があった。人知れず息絶えた艦娘にいつのまにか蛆が湧いているということもあった。ときに蛆は、まだ生きている人間の肉も()んだ。

「左手の断面が針で刺されてるように痛みはじめて、痛み止めが切れたかなって、あんまり気にしてなかったんだが、騒がしい洞窟のなかにあっても耳につくくらい、がさごそ、がさごそって音が包帯の下からしててね。よくみると包帯が波打つように動いてる。包帯を解いてみたら、手首の断面に白い蛆虫がびっしりと群がってた。汚物入れを抱えた衛生隊がたまたま通りかかって、蛆は膿や腐った肉を食べてくれるし、分泌する唾液には殺菌効果もあるから、あまり取らないほうが治りがよくなりますよ、なんていうから、へえ、そうかって、ほっといたんだが、なにしろ痛くてね」

「東南アジアの蛆虫は、日本のものに比べて牙が鋭く顎も強いですから、柔らかい腐肉だけじゃなくて、生きている健康な肉もかじれるんですよね」

 元長波は、そうそう、と笑って頷く。

「痛むってことは腐った肉がなくなってまともな部分を食いはじめたってことだから、ピンセットと、消毒用に焼酎を持ってきてもらって、自分で取ることにした。わたしは運がよかった、右手が使えたから。蛆を一匹ずつ引っこ抜いて、焼酎を入れたブリキ缶に捨ててたら、もうてんこ盛りになって、溢れかえらんばかりだった。どの蛆も憎らしいくらいころころ太ってたなあ、こっちはろくに食事もなくて腹空かせてんのに。蛆もいっちょまえに危機感があるのか、断面の肉のなかに必死になって潜り込もうとしてね、わたしが腕に力を入れたら、収縮した筋肉に締め付けられて、お尻ふりふりしてもがいてやんの。一日かけて全部掃きだした。単純な作業に没頭してるあいだはむずかしいことを考えずにすむから、いい手慰みになった」

 

 戦場の常、蛆の話は尽きない。

 

「蛆に肉を噛まれる艦娘はわたしだけじゃなかった。深手を負った艦娘はほとんどが生きながら蛆にたかられた。両手両足のないあの長波も例外じゃなかった」

 元長波は笑い話のような声音で追想する。

「“わたしの顔のなかになにかいる、動いてるのがわかる”って訴えてくるから、どらどらって、包帯とガーゼを剥がしてみたら、空洞になってる左目の眼窩が蛆の巣窟になってた。入りきれない蛆でこんもり盛り上がってて、ほっといてもぽろぽろこぼれてくるくらい。なかは蛆の糞でもうドロドロよ。目のなかをかき回してあらかた取り除いても、わりと奥のほうまで食い進められてて、らちが明かないんで、仰向けにさせてね、焼酎をそそぎこむことにした。そう、目の穴に。死んでぷかぷか浮かんできたのをつまんで捨てるわけ。暇潰しにはなった」

 

 病院壕にかぎらず、ジャム島各地に築かれた洞窟陣地は、南方特有の高温多湿な気候も手伝って、生活の拠点として昼も夜も籠らなければならない艦娘、将兵たちを、地獄の熱気と湿気で苦しめた。

 換気孔は設けられていたし、通風機もあったが、艦娘、士官、艤装の整備兵など後方支援部隊、雑用の軍属など、数千人がいつもごったがえす壕内は人いきれが飽和している。温度は三十度を下回ることはなく、日中は四十度を超え、湿度もつねに一〇〇パーセント近い。汗が乾かないのでだれもが汗疹に悩まされた。衣服も寝具も、触るものすべてがベトベトしていて気が滅入る。暑熱と湿気、悪臭のたちこめる壕内の空気は、酸素も不足しがちで、およそ人間が生活するには耐え難いものがあった。

 病院壕ではさらに、寝床から下りられない傷病者の使用済みオムツを放り込んだ汚物入れがそこここにあった。回収し忘れた汚物入れや膿で汚れた包帯にハエが群がった。病院壕は喚声のようなハエの羽音が一日中反響していた。蛆がでるのは、当然だった。

 

 夜襲決行から三日目、軍司令官は攻撃を中止し戦略持久に戻ることを決定した。

 前の幕僚長だった元陸奥の将星が持てる知識と経験を総動員し全身全霊をかけた作戦計画、それを、中央による行き当たりばったりの作戦指導で弊履のごとく捨て去ってまで強行された飛行場奪還作戦は、その目的を達成しえず、隻数換算で二個大艦隊全滅の大損害をだした上、貴重な弾薬を無駄に浪費しただけに終わった。敵への打撃はといえば微々たるもので、むしろ当初の作戦どおりに防御戦闘を徹底していたほうがより多くの戦果を挙げられていただろうという分析もある。

 しかし、総攻撃で人員を激しく損耗して以降も、一木一草を戦力とするつもりで地形を最大限に活かした防御は、なおも敵をよく阻んだ。

 とくにザカク高地の拠点は敵に大出血を強いて頑強に保持した。ザカク高地自体は、西部70高地と北側高地の、どちらも高さ一〇〇メートル足らずのなだらかな双子の丘陵からなっているだけで、なんの変哲もない。しかしこの高地は、まさにテルモピュライとなって艦娘たちに味方した。トンネル内を移動することで損害を受けず高地の四周に火力を展開でき、陣前に接近した敵には、洞窟内から飛び出した駆逐艦娘や軽巡娘が的確な射撃を加えた。すぐに引っ込めば被弾もしない。金剛型、扶桑型、伊勢型、長門型からなる戦艦戦隊も、中部飛行場に制圧射撃をくわえるとともに、高地へ前進する敵の展開地域に火力を集中した。ときには魚雷の装填された発射管を抱いた駆逐艦娘が敵に体当たりを敢行することもあった。深海棲艦に高地頂上を奪取されても、反対斜面から猛烈な集中砲火を浴びせかけ、ふたつの高地は互いが互いを強靭に援護しあうことができた。62海上師団は元朝潮ら22連艦隊と協同で、敵の第一波を全滅させる壮挙を成し遂げている。

 

 ところが22連艦隊が被害甚大のためふたたび連艦隊本部に後退を命じられた翌四月二十二日未明、司令部はザカク陣地を預かる62海上師団との連絡途絶を確認した。

 伝令数人を走らせると、ザカク高地の谷間を深海棲艦が堂々、大挙して南進しているところであった。陣地からは一発の砲火も見受けられず、ザカクの陥落が歴然であることを物語っている。前日まで有力な布陣を有し、継戦能力も問題なかった62海上師団と堅固な地下要塞が、なぜたやすく攻略されてしまったのか。

 伝令のひとりが、切れ目なく進撃しつづける深海棲艦の隙をつき、決死の覚悟で高地へ接近、洞窟陣地に飛び込んだ。彼は帰ってこなかった。万一に備えて外の荒れ地で待機していた伝令たちのうちのひとりは、上空に現れた敵の観測機にみつかるのを恐れて窪地に身を伏せ、そのまま微動だにしなくなった。残りの伝令たちは司令部へとって返した。

 化学防護隊による調査団が結成され、原因究明のためザカク高地の壕に送り込まれた。

 洞窟入口ではまず伝令が倒れており、内部の坑道は、艦娘と将兵の別なく死屍累々で、生存者はなかった。いずれの死体も損壊はなかったが、みな苦悶に顔がゆがみ、なかには喉をかきむしったまま絶息しているものもあった。

 調査の結果、坑内には高濃度の硫化水素が充満していることが判明した。

 

 深海棲艦の食料が原油や鉱物であることはよく知られている。摂取した原油、鉱物は寄生生物の助けを借りて精製され、石油生成物の血漿に希少金属の血球成分を含む体液として深海棲艦の体内を循環する。深海棲艦は、固体高分子形燃料電池とおなじ原理の動力炉様器官で、白金を触媒として石油から発電したエネルギーで生命活動を行ない、さらに原油精製の過程で水素化脱硫するさいに得られた多量の硫黄を過剰にシステインと結合させたシステインパースルフィドを代謝する熱量をも利用している。

「要するに、深海棲艦は生きた石油プラントってわけだ。連中にとっちゃガソリンはゲータレードで、プラチナはビタミンのようなもの。余剰分の硫黄は硫化水素のかたちで呼気に含ませて排気する」

 元長波は艦娘学校の座学を記憶の抽斗(ひきだし)から取り出す。三十年も前の講義内容を覚えているのに、なぜいまはちょっとした用事すら忘れてしまうのか、元長波にはわからない。

 

 どこかの時点で、深海棲艦は仇敵である人間にとって硫化水素が猛毒であると気づいたらしかった。同時に洞窟陣地の弱点も見抜かれはじめていた。

 ザカクにかぎらず、32軍が構築した棲息壕は、四周に坑道口が設けられていたから、全方位に射界を確保できたが、いったん防衛線を一角でも突破されて、死角である頂上を占領されると、さながらマウントポジションをとられたように無抵抗となる。深海棲艦は明らかにこの状況に持っていくため、以下の戦術を新たに採用する進化をみせた。

 まずあらんかぎりの砲火力をもって継続的な弾幕射撃を加え、洞窟入口といわず掩蔽射点といわず、あたり一帯ごと乱射し、艦娘がトンネル内から一瞬たりとも顔をだせないようにする。その状態を維持しながら前進し、開口部を発見したらそこに砲身を突っ込んで射撃しつづけることで、艦娘の反撃を封じる。

 防衛線を食い破って頂上に登った深海棲艦は、通風孔から硫化水素の吐息を送り込む。比重の大きい硫化水素は上から下へ流れていくから坑道の末端にまで行き渡る。

 洞窟から飛び出した艦娘は通常どおり砲撃で掃討する。

 ザカク高地においては、やはり無尽蔵に思える絶え間ない砲火で艦娘たちが坑内への逼塞を余儀なくされ、なす術もなくふたつの丘陵の頂上を占領されてしまったと考えられる。砲声も爆発音もない、無色透明の毒ガスでザカク高地守備隊は虐殺されたのだ。

 

「敵の攻撃は砲弾や機銃といった物理兵器ばかり、それが常識でしたから、敵艦砲も爆弾も、珊瑚の岩盤をペトンとして自然の力を大いに活用し、みんなで築城に邁進した天然要塞が防いでくれる、そう思っていました。まさか化学兵器なんて、予想もできなかった」元朝潮はかぶりを振る。

 

 ほかの陣地もまた善戦をつづけたが、馬乗りにされると坑内を硫化水素で満たされ、通風孔を塞ぐわけにもいかず、毒ガスから逃れようと洞窟内から出ればたちまち狙い撃ちにされる。砲爆撃から防護してくれるはずの鉄壁の要塞が、ひと呼吸で死に至る処刑場に変えられたのだ。元長波はマイマイカブリに殻のなかで溶かされるカタツムリを思い出している。

 

 ジャム島戦ではじめて確認された深海棲艦の新兵器は、化学兵器だけではなかった。火炎放射である。

 駆逐級の砲身から吐き出される火炎放射は、射程が二〇〇メートル以下と短いため、通常の海戦では使い物にならないが、陸上、それも洞窟陣地に籠城する艦娘たちにはおそるべき猛威を振るった。充填物が粗製ガソリンに増粘剤を混合したジェル状のナパームであるので、火というよりは、燃える粘着質の油を浴びせかけるといったほうが正しい。砲弾なら防壁や掩蓋があれば防げる。だが、ナパームは堅牢な要塞であっても水のようにあらゆる隙間から侵入し、鉄をも融かす一二〇〇度の高温で内部の人間を焼きつくす。ナパームは油のために付着すると水では落ちず、消火もできない。おまけにナパームが燃焼するときは周囲の酸素を大量に消費するため、直接の火傷を逃れたとしても、ただでさえ酸素欠乏しがちな坑内の空気は、あっという間に酸素分圧が低下してしまう。洞窟は呼吸すればするほど体内から酸素が逃げていく窒息地獄と化した。

 ことに馬乗り戦法では、火炎放射はてきめんに威力を発揮した。ナパームは一度着火すると五分から十分ほど燃え続ける。陣地に接近する段で洞穴の入口付近を焼き払うと、火炎で蓋をする格好となり、艦娘たちを洞窟内に押し込めることができる。

 深海棲艦の駆逐級はおしなべて巨体のため洞窟に侵入できないが、入口から火炎放射をすると、液体であるナパームの油脂が燃えながら坑道内を跳ねまわり、蛇のように奥深くまで伸びてきて、艦娘も将兵も生きたまま火だるまにして焼き殺すか、高温の空気で蒸し焼きにするか、窒息させる。生き残ったとしても、艦娘らが焦熱地獄で混乱している間に頂上を抑えて、換気孔から硫化水素を流し込めば逃げ場はない。

 また、射程の二〇〇メートルも、海上でなら大したことはないが、地形が絡むために近距離戦となりがちな陸では脅威だった。

 

「二回目の総攻撃のとき、夢中で戦っていたら、どこからか異様なにおいが漂ってきました。硝煙や深海棲艦の臭気とはちがいます。嗅いでいるうちに胸のなかでヘドロみたいに凝集してしまいそうな、むかむかするにおいです。いまから考えれば、早霜ちゃんの髪が焼けたにおいとおなじだと気づけたはずなのですが、彼女の場合は膿のにおいのほうが印象として強かったので……」

 記憶の業火に耐えるように目を閉じた元朝潮は、わずかに苦悶の色を顔に滲ませて、言葉を紡ぐ。

「轟沈を何隻も出しながら進出すると、いるはずの先行隊が見当たりません。あたりは焼け跡のように炭が転がっているだけ。樹木が燃えたものだと思いましたが、その炭をよくみると、腕があり、足がありました。焼死体というより、人のかたちをした木炭でした。人相もわからない……。みんなお腹のなかの赤ちゃんみたいな格好をしていました。高温に晒された筋肉が収縮したせいです。なかには、骨にわずかな肉がこびりついているだけになっている子も。そんな炭が数えきれないほど倒れていました。なによりも、においです。鼻をつく、むかむかするにおい。さきほど嗅いだのとおなじにおいでした。牛や豚のお肉を焼くときとはちがいます。髪が燃えるから、胸の悪くなるような臭気になる。あの異様なにおいが、あれが、人の焼けるにおいだったんです」

 いまでも元朝潮の鼻は戦友の燃えるにおいを忘れていない。

「戦争が終わって、解体されて、復員して、民間のお仕事を……もう殺したり殺されたりじゃない、だれかの需要に応えられるお仕事をして、きちんと自分の家に帰って、なにがおもしろいのかわからないテレビ番組をみながら、食べたいご飯を食べて。そういった、軍隊や戦争とはなんの関係もない、みんながいう普通の生活を心がけていても、ふいに、あのにおいが蘇ることがあるんです。なにか似たにおいを勘違いしたのか、まだ鼻の奥に残留しているのか。いずれにせよ、なにがきっかけでにおうのか、わからないんです。なんの脈絡もなく鼻をかすめる。いつかまたあのにおいがするのかと思うと、気が気ではありません。いつくるのか、次の瞬間くるかもしれない……毎日、びくびくしています。毎日、そう、毎日……」

 元朝潮は途方に暮れた顔をする。

 

 二回目の総攻撃のとき、と元朝潮がいうように、32軍は総攻撃に一度失敗したにもかかわらず、また強行して、大損害を被っている。

 62海上師団の玉砕とザカク高地失陥は32軍にとって痛撃だったが、敵上陸から一ヶ月が過ぎてもなお、司令部壕北部の第一線で深海棲艦の猛攻を四つに組んで受け止めている64海上師団は依然健在で、地形を味方につけた適切な籠城戦と、戦艦戦隊の支援を得て、陣地を頑強に支持している。ウラベウイマニム山岳地帯を失い、イウズ、アイタワを破られたとはいえ、第二線は勇戦して釘付けにし、一歩も後退していない。開戦以来最大の上陸作戦を相手に、32軍は孤立無援を甘受しながらもいまだ大半の主陣地をわがものとしていた。

 ところが、軍司令部の空気は日に日に重苦しい閉塞感に支配されていった。もともと攻勢にくらべ守勢は戦果が実感しにくい。きょうは守れた。だが守れたというだけだ。あすはどうなるかわからない。計画どおり持久作戦を最後まで堅持しても、五月か六月には弾薬も食糧も尽き果たすと試算が出ている。うまく防いでいてもいずれかならず全滅する。展望のみえない戦いが毎日続いた。敵の二十四時間絶えることのない進攻で、わずかずつではあるが着実に陣地は蚕食(さんしょく)されていき、敵には化学兵器や火炎放射といった新兵器まで登場して、歩一歩じりじりと前線が司令部壕近くにまで下がってきている。

 たしかに戦略持久作戦は、最初から生存を期さない全滅必至の捨て石となる覚悟を決めて選んだものだが、本土からの増援もなく、戦力がゼロになるまでただ消耗するだけの日々を長期にわたり強いられ、抗しがたい破滅が現実に迫ってくると、いかに軍人でも、心理的に耐えられなくなるのは必然だった。重圧に苛まれる。壕内の劣悪な居住環境もあいまって、司令部にはいかんともしがたい、捨て鉢に近い悲観的な空気が色濃くなっていく。まだ戦力が残っているうちに攻勢に転じたほうが、かかる運命を打開できるのではないか。戦略持久では勝てる確率はゼロだ。だが攻勢に転じれば〇・一パーセントは勝ち目があるかもしれない。ゼロパーセントと〇・一パーセント、どちらがマシか……過酷な心理的重圧は司令部を神経衰弱にし、視野狭窄にしていく。一度は破棄した攻勢論がまたぞろ頭をもたげはじめる。司令官だけは泰然として幕僚たちの悲観論にも口を出さずに見守っている。

 

 そこへ中央から攻勢を指令する電信が入ったのである。しかも前回のような要望電ではない。閣議決定された完全無欠の命令だった。これさいわいと幕僚たちは飛びついた。このさい積極作戦をとるべきだ。無為な消磨を待つより死中に活を求めよう。打って出る戦力があるうちに運命の打開を策するべきである。そうこうしているうちに勝機を逸する。格闘技でも防御しているだけでは勝てない、しかし攻撃に出ればラッキーパンチが望めることもあるではないか。大半が攻勢を熱烈に支持した。現状を打破したかった。日一日近づいてくる最後の日をじっと待つのは耐えがたかった。だれもが好転の望めない戦いに嫌気が差していた。

 元陸奥の中将の薫陶(くんとう)を受けていた幕僚副長のひとりだけは、

「32軍の使命は、一日でも長く本土のために時間を稼ぐことにある。最後の一兵まで、このジャムに一尺一寸の土地があるかぎり、あきらめることなく粘り強く戦い続けなければならない。敵は依然として圧倒的優勢であり、圧倒的劣勢なわがほうは、陣地を有効活用してようやく膠着状態にまで持っていくことができている。そういう現状で攻勢をとればたちまち均衡は崩れ去り、我の損害は彼に数倍することは必至である。我々は捨て石であるという運命を冷静に直視し、あくまでも戦略持久の方針を堅持して現状維持に努め、本土防衛の国策に寄与すべきである」

 と攻勢に反対した。だが幕僚らはだれひとりとして耳を傾けない。負けが込んでくると人間は一発逆転、起死回生の大博奕を打ちたくなるものらしい。何でもいいからいまの苦境から逃げ出したいという気持ちもあっただろう。もとより軍最高指揮官である総理大臣の決裁した命令である。否も応もなく攻勢と決まった。元朝潮が回想していた、二回目の総攻撃がはじまるのである。

 

 なぜ今回は政府が明確な命令を下したのか。それは政府と軍とのジャム戦における認識の齟齬に端を発している。政府はジャムに押し寄せる敵をみごと蹴散らすことで、国内外へのプレゼンスを回復するためのパフォーマンスとするつもりだった。敵を打ち負かした実績がいる。しかしジャムに新設が決まった32軍の幕僚長に抜擢された元陸奥の中将(当時)は、破竹の勢いでカレー洋を東進してくる深海棲艦の進出速度から上陸時期を推測し、Xデーまでに近傍泊地より調達できる戦力を逆算して、敵を平らげるという意味での勝利は不可能と判断した。だからこその戦略持久だった。内局は元陸奥の中将を32軍幕僚長として送り出すとき、全滅ありきの持久作戦であると防衛相に具申するべきであったが、少なくとも当時の総理がジャム戦を時間かせぎにすぎないと認識していた事実はない。元陸奥の海軍大将(退役時)が遺した手記には、「憶測にすぎないが」と前置きした上で、

「(ジャム島における)輝かしい勝利など、現状を冷厳に直視すればするほど、到底望むべくもないのだが、人事権がだれにあるか分かれば、そのからくりは容易に解明できる。防衛相は防衛官僚の人事権を行使できる立場にある。幕僚長人事で提出された人事案に否を突きつけることができるのだ。無論滅多に抜かれることのない伝家の宝刀だが、無言の抑止力にはなる。どうなるか。政権に覚えのめでたい軍人を並べる、あるいは政策に反する作戦思想の軍人を排除した人事案を上げるようになる。32軍の司令官に内定した提督が、赴任の決まった私に、現地へ行くまでは具体的な作戦構想は誰にも話すなと私信で釘を刺した理由も、そこにあると思う。かくして化けの皮が剥がれた私は内地に引き戻されてしまったのだ。

 かくのごとき人事で揃えられた制服組、背広組は、上役の顔色を斟酌する世渡りの才には長けている。上から、できないかと訊かれれば、できると言ってほしいのだと瞬時に察して、できなくても、できます、と答えてしまう。虚偽であることが露見して本人が損を被るだけであれば構わないが、別の部署にまで影響を及ぼすとなれば問題である。まして国運と多数の人命のかかった事案であればなおさらだ。現地の32軍は持久作戦で戦力をすり減らすしかないのに、総理が、ジャムはいつ敵を破砕できるのかと、勝てるつもりで防衛大臣に尋ね、意を汲んだ大臣から次官に確認が下り、内局は、勝てないとは言い出せないから、何月頃にはと根拠もなく答えてしまったのではないか。それを内閣は真に受けて、期日が過ぎても進展が見られないので、痺れを切らして問い質したところ、32軍が陣地に籠って防戦一方に甘んじている現状を知って、けしからんと、正式な攻撃命令を閣議決定したというのが真相のように思う。言うなれば、民間企業の営業担当者が、クライアントの無茶な要求に、実際に対応する現場のスケジュールもなにも考慮せず、できます、任せてくださいと安請け合いして、後は現場に丸投げして自分は定時にさっさと終業してしまう、という悪弊と似たようなものと言えよう」

 とある。

 

 攻勢の大要は前回とほぼ同様で、飛行場奪還が主目的である。64海上師団が攻撃の支とうとして現陣地を保持し、日付変更とともに24海上師団と独立混成第44海上旅団が一気呵成に進出して、黎明までに中部飛行場地区へ到達する。独混44海旅の空母艦娘は昧爽(まいそう)より航空戦力を展開し、同海上旅団の海上歩兵艦隊、および24海上師団はこれと協同して戦果を拡大、敵中に楔入(けつにゅう)し、飛行場地域を再確保するための血路を開く。

 本作戦には看過せらるべからざる欠陥がふたつあった。まず、統合幕僚本部は攻勢を指導したものの、肝心要の陸上機は配備がまだ進んでいなかった。飛行機もないのに犠牲を払って飛行場を確保してもしかたがない。飛行場が確保されていなければ飛行機を配備できない。32軍と中央の間で何度も交わされた水掛け論である。しかし32軍の参謀たちは今回の攻勢希望の訓令電に一も二もなく賛成した。日ごと前線は司令部にひたひた近づき、砲撃も熾烈さを増していく。司令部壕に巨弾が降り注ぎ、貫徹こそされないまでも、そのたびに坑口付近の兵や雑事に従事する軍属の地方人が粉々になって吹き飛び、土煙や爆煙がふきこんでくる毎日である。司令部要員から正常な判断力が奪われても不思議ではない。

 いまひとつは、飛行場を一時的に奪回することはできても、圧倒的な敵の勢力下にあって占領を維持し続けるための方策がなんら定められていなかったことである。退路を絶たれて包囲され、全滅の憂き目に遭うことは火を見るより明らかであった。

 

「やっぱり、無謀な作戦だな。この期に及んでの攻勢なんて、百害あって一利なし、だ」

 老眼鏡をかけて指でなぞりながら文章を追っていた元長波が嘆息する。

 いっぽうで、元長波も元朝潮も、当時の32軍幕僚たちを一概に非難はできないという。

 元朝潮は息をつく。

「人間は、追いつめられると、ふだんからは考えられないような悪手を犯してしまうことがあります。書籍やインターネット上で32軍の右往左往を無能と批判するかたも多いですし、おなじ轍を踏まないよう改善するべきではあると思いますが、あのとき、あの場に居合わせたら、ほとんどの人が、当時の司令部とおなじ思想に傾いたのではないでしょうか」


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