栄光の代償・元艦娘たちが語る対深海棲艦戦争(GHK出版新書)   作:蚕豆かいこ

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十三  艦娘墓場

 乾坤一擲の総攻撃は、やはり失敗に終わった。攻勢の主力である24海上師団がザカク高地戦と前回の総攻撃ですでに甚大な損害を出していて、四個あった連艦隊のうち一個はもはや連艦隊としての体をなしていないほど、戦力が著しく低下していたからである。無傷の大艦隊はわずか二個。支とうとして設定されていた64海上師団の要地も、現実には玉砕寸前で、その命運は風前の灯火であった。司令部が期待したような24海上師団進出の手助けなどとんでもない。むしろ64海上師団こそ増援を必要として喘いでいるありさまだった。

 というのは、幕僚たちは司令部の入っている洞窟にこもりきりで、激烈な砲爆下を駆け抜けて前線の様子をじかに視察するなど不可能だった。通信で得られた情報をもとに、兵棋がわりのマッチ箱を図上に配置して、彼我の部隊配置、戦力比を概観するほかなかった。

 ところが連日連夜の砲撃で通信線、無線アンテナ設備といった各部隊と司令部とをつなぐ連絡網はだんだんと切断されていく。やがて通信は伝令か現地雇用の通信兵を走らせるしかなかった。無事に往復できないものも多く、帰って来られたとしても、朝に司令部を出て昼に着き、夕刻に戻ってくるその間に、また前線部隊の状況が変化していないともかぎらない。すでに存在しない艦隊をも当てにした、実状からかけ離れた認識に立脚した机上の空論が攻勢の土台だった。砂上の楼閣だった。

 しかし戦艦娘戦隊は依然として機能していたから、計画どおりに全砲力を結集して24海上師団の進出を支援し、飛行場にも制圧射撃を加えた。その射弾数は撃ちも撃ったり一万五〇〇〇発。あまりの連続射撃に砲身が熱で曲がってしまう戦艦娘まで出るなか、深海棲艦戦争を見渡しても過去類をみない猛砲撃に支えられ、当初24海上師団の各連艦隊は快進撃をみせるかに思えた。

 だが黎明とともに沖合いから敵空母機が黒い雲となって来襲し、艦載機をすり潰していたわがほうの航空戦力では味方の頭上を醜翼(しゅうよく)の蹂躙に任せる以外なく、絶好の爆撃目標にされ死傷続出、海上歩兵第22連艦隊はやむを得ず後退した。

 

 海上歩兵第32連艦隊第1大艦隊は敢闘し、154.9高地(現ジャム大学医学部の南に接する)を占領、円陣防御を組んで戦艦娘戦隊が激戦を繰り広げた。大艦隊長である戦艦山城(やましろ)の指揮は冴えわたり、損耗が重なるなか、麾下の艦隊を柔軟に統合し、寄せ集めの編成になっていきながらも、窮地にあってよく指揮系統を維持した。三日を耐えたが被害甚大のため退却を決意。

 翌未明、22連艦隊と合流するため夜陰に乗じて計画に則り150高地に移動する。しかし22連艦隊は陣地へ後退したあとだった。通信手段の欠落が招いた不幸な事故だった。

 130・140・150高地はなだらかに連続した扇形の地形で、防御するには非常に相互支援しやすいため、飛行場地域へ進撃するための地歩を固めるに好適と目されていた。32連艦隊第1大艦隊と22連艦隊の連携があれば徹底した防御は可能だったはずだ。

 すでに敵中深く楔入(けつにゅう)しすぎていて退路はない。かくなるうえは僑軍孤進(きょうぐんこしん)あるのみ。山城は総突撃を命じた。彼女は先陣を切った。「邪魔だ、どけぇ!」。常からは想像もできない山城の鬼神のごとき勇壮な雄叫びは三つの高地を揺るがし、疲労の極に達していた第1大艦隊の艦娘たちを大いに鼓舞したという。旗艦山城以下轟沈多数。第1大艦隊の生存艦娘は定員の九十六隻中わずか三隻であった。

 ほかの艦隊も攻撃に挫折していた。安否のわからない艦隊さえある。

 独立混成第44海上旅団は敵の猛烈な集中砲火を浴びて退却した。

 独立海上歩兵第399大艦隊のようにかろうじて突入を果たした艦隊もあった。元長波の艦隊だ。入院していなかったら彼女も参加していたに違いない。

 いずれの隊も一両日のうちには進撃が止まり、全滅に近い損害を被って敗走に追い込まれた。

 元朝潮もまた島を覆わんとする敵へ突っ込んだ。直前のひと悶着を彼女は回想した。

 

「朝潮、霞。着任一年目のあなたたちには悪いけれど、わたしと一緒に死んで」

 壕から悄然とした様子で帰ってきた風雲さんにいわれて、わたしは、来るべきものが来たと思いました。霞も呆然として……。わたしたちは斬り込みを命じられていましたが、早霜ちゃんも萩風さんも旗風さんも、天霧さんも狭霧さんも、もういません。ほかの艦隊と併合して、小艦隊とも中艦隊ともいえない中途半端な編成で、なんとか体裁を整えている状態です。とはいえ突撃してもなんの成果も挙げられずに全滅するのは明らかでした。それで最先任の風雲さんが壕へ中止を具申しに戻ったら、海上師団幕僚のかたにこういわれたそうです。

「作戦中止の命令が来ていない以上、直近の命令である総攻撃命令をあくまで敢行しなければならない」

 じゃあ司令部にもう一度確認をというと、「命令は一方通行で受けるものであって、こちらからの再確認は法的根拠がない。よろしく攻撃命令を遂行されたい」……ええ、その幕僚は先の異動で補職されたかたのひとりです。

 わたしたちは大事にとっておいた新品のオムツに穿き換えました。最期の任務だと覚悟を決めたから。でも霞だけは納得できていないようでした。

「どうしていまさら斬り込みなんて? 勝てるわけないじゃないですか。無駄な攻撃です。わたしは賛成できません。みんな死ぬのよ」

 いわれた風雲さんの顔に苦渋が滲みました。代わりというわけではありませんが、わたしが反論しました。「残存の戦力がどの程度残っているかわからないけど、すでにわが32軍は作戦のための物的基礎を失ったとみていい。もうどうしようもないのよ。どうせ死ぬのなら、やったほうがいい」

「そんなのただの意地でしかないわ。短絡的すぎる。もうこの島での形勢は完全に定まった。負けが決まったのに意地だけで戦いを続けるなんて、犬死にじゃないの」

「そう、意地よ。戦争は究極まで突き詰めれば意地でしかない。勝つか負けるかなんてやる前からわかる。でも勝てないからって戦わずに白旗を揚げていたのでは国なんて守れない。だから意地で戦争をして、意地で命を散らす。ただでは死なないという覚悟をみせつけることで、敵に恐怖を植え付けるために」

「嫌よ、わたしは嫌。こんなのただのやぶれかぶれよ。自暴自棄じゃないの。そんな無駄なことのために死にたくない。だって、あんまりよ。惨めすぎる。わたしのお父さんは何代も続く酪農をしていたけれど、輸入が滞ったせいで牛にあげられる飼料がなくなって、廃業するしかなくなった。ほかになにもできない人だったから、事業に手を出しては借金ばかりつくった。そのうち働きもせずにお酒ばかり飲むようになった。酔ってはわたしたちに暴力を振るった。何日も何日も。ある日お母さんは、わたしに包丁を握らせて、痣だらけの顔でささやいた。つぎにお父さんがお母さんを殴りはじめたら合図をするからこれでお父さんを刺してねって。お父さんの右のわき腹を狙うことや、刃を上にして刺すことまで教わった。麻袋に新聞紙を詰めた人形で練習もさせられた。だからあの日いわれたとおりにした。お母さんを殴って蹴って唾を吐いてるお父さんの肝臓を刺した。お父さんは部屋を血の海にして死んだ。お母さんは、わたしにお父さんを刺してと頼んだことも、練習したことも、全部ふたりだけの秘密だって念を押してから、警察を呼んだ。駆けつけた警察にお母さんは人が変わったみたいに取り乱しながらわたしを指さした。“あの子が刺したの!”。わたしはまだ子供で、日常的に虐待を受けていたからということにされて、罪に問われなかった。お母さんに頼まれたなんていえなかった。それをいってしまったら、帰る場所がなかった。小学校卒業間近になるとみんなの話題は艦娘になるかならないかでもちきりだった。戦争になんか行きたくなかった。お母さんも艦娘にならなくていいっていってくれると思ってた。でもお母さんはわたしを軍へ連れていって手続きした。卒業式のあと横須賀行きのバスに乗ったわたしを見送る、痣の消えた顔は、とっても喜んでた。死んでこいとでもいわんばかりだった」

 わたしもみんなもなにもいえずに聞いていました。霞ほどではないにしろ、だれもが恵まれた境遇とはいえませんでした。幸福な家の女の子が艦娘になんかなるわけないからです。

「深海棲艦のせいでお酒に溺れたお父さんに毎日のように殴られて、お母さんに人殺しにさせられて、艦娘学校でつらい訓練ばかりやらされて、幸せの意味もわからないまま、この辺鄙な島で死んでしまったら、わたしの人生は一体なんだったの? なんのために生まれてきたの? わざわざ死にに行くなんて生命の本質に反してる。生きようとする本能が間違ってるわけない。わたしは生きたいの。生きて日本に帰って、ひとりの人間として幸せになりたい。わたしは死にたくない。生きて帰りたい」

 怨念にも近い、生への執着です。生きたいと願うのが正しいのか、死ぬために戦うのが正しいのか、わたしにはわからなくなりました。

「そんなに日本に帰りたい?」

 じっと黙っていた風雲さんが口を開きました。

「ええ、帰りたい。絶対に帰りたい」

「そうよね、だれだって帰りたい。そんな、だれもが帰りたいと思う日本を守るために、日清日露以来、これまで数えきれない人間が命をなげうってきたのよ。彼らがいなければわたしたちは帰る祖国を失ってた。あなたもわたしも生まれてすらいなかったかもしれない。そしていまは、わたしたちが彼らにならなければならない」

 霞は、はっとしたような顔をしていました。わたしもおなじような顔だったに違いありません。

「相応しい時機と場所に相応しいものが居合わせるなんて偶然は、ありえない。たまたま居合わせた人間が相応しいものになるしかないのよ。そしてわたしたちは悲しいことにぴったりと戦争の時代に生まれついてしまった。不遇の世代といえばそれまでだけど、深海棲艦に屈して、幸せに暮らしていけると思う? 言葉さえ通じない深海棲艦なんてものが、降伏なんて受け入れてくれると思う? 打って出ればたしかにみんな死ぬでしょう。でもわたしたちが死を恐れて逃げてしまったら、生まれるはずの命が生まれなくなってしまうかもしれない。だれもが帰りたがる祖国をこの地球上から失う結果に繋がってしまうかもしれない。わたしたちは、かつての戦争で散って祖国を守ってくれた先人たちの献身の延長線上にいる。なぜ彼らは涙を呑んで死んでいったのか。また国難が訪れたとき、自分たちが命と引き換えに守ったことで産声をあげた未来の世代が、おなじように命を懸けてこの国を守ってくれると信じていたからよ。彼らはまだみぬわたしたちにすべてを託して殉じていった。わたしたちは、次の世代のために生かされている」

 風雲さんの言霊(ことだま)に、霞は嗚咽をもらしました。わたしやほかの艦娘たちも涙ぐんでいました。突っ込もう、華々しく散ろう、笑って死のうと口々に決意表明しました。霞も最後には同意しました。

 翌日の斬り込みのとき、事前に打合せしていたとおり、みんなで照明弾を上げました。自分の真上に。わたしたちはここにいるぞ、逃げずに斬り込みをかけているぞ、ということを遠くにいる味方にみせたかったんです。

 先陣を切ったのは風雲さんです。地を覆いつくさんばかりの駆逐イ級の圧倒的物量にも恐れることなく突っ込んでいきました。

「懐に入ってしまえばこっちのもの」

 風雲さんはすみやかに彼我混淆(こんこう)の状態へ持っていきました。腕を食いちぎられても意に介さず入り乱れて暴れまわります。たちまち敵は混乱に陥りました。同士討ちまで演じる始末です。わたしたちも大いに勇気付けられて続きました。先に死んだほうがあの世で先輩になる、向こうでこき使ってやると、だれが一番乗りで轟沈するか争っているようでもありました。

 意外だったことが三つあります。ひとつは、前日に生への執着をみせていた霞がわたしより前に出ていたことです。

 ふたつめは、激戦のさなか、砂塵と砲煙と敵の向こうから断末魔の悲鳴が聞こえました。姿はみえませんが、それは間違いなく風雲さんのものでした。でもわたしは耳を疑いました。

「ママ……」

 わたしたちをここまで引っ張ってきてくれた、勇敢な、尊敬する旗艦である風雲さんの最期の言葉が、そんな泣き言だなんて。

 もうひとつの意外なことは、わたしがまたしても生き延びてしまったことです。

 前しかみていなかったものですから、足を踏み外して、ちょうど塹壕のようになっている溝に落ちてしまいました。一瞬、ここでじっとしていれば助かるのではないか、という考えが頭をよぎりました。自己嫌悪に陥り、もう一度わたしひとりでも特攻しようと溝から様子を伺ったのですが……できませんでした。見渡すかぎりの敵、敵、敵。蒸し暑いはずなのに歯の根が合わずにがちがちと鳴りました。さっき目の当たりにしながら突撃しようとしていたのに、おなじ光景だとは思えませんでした。一度命拾いしてしまったものにはもう二度と戻ることのできない光景です。霞のいっていたとおり、生への渇望は人間だれしも持っているものです。死にたくなんかない。油断すると人間はすぐ助かろうとする。だから愛国心や敵愾心や闘争心でごまかしているうちに突っ込むのですが、なにかの拍子で死に損なって、数秒でも冷静になってしまうと、まるで麻酔が切れるように、抑え込んでいた生存本能が間欠泉となって噴出します。そうなるともうどうしようもありません。

 わたしは背を向けました。風雲さんやみんなが玉と砕けた場所から、敵から。

 みつからないように溝から上がると、ちょうど死角になるところで霞が倒れていました。重傷でしたが息があります。モルヒネを打ってあげると意識を失ったので、彼女を担いで複郭陣地へ後退しました。 まだわたしと霞はほかの艦隊と合流すれば戦える、戦力集中の原則からいえばひとりで突撃するより戦果を挙げられるに違いない、そのためには霞も後送してやらなければならない、だからこれは逃げじゃない、逃げてるわけじゃない……そう自分に言い聞かせながら、わたしは逃げました。みんなでいっしょに死のうと誓ったはずなのに。

 

 懺悔にも等しい元朝潮の告白だった。

「敵前逃亡か」

「敵前逃亡です」

 元長波に元朝潮はためらうことなく答えた。軍の前身である自衛隊では敵前逃亡の刑事罰は最大でも懲役七年だったが (自衛隊に軍事法廷はなく、自衛隊内の犯罪者は民間人同様に送検され、通常の裁判所で裁かれていた)、現在では死刑または無期懲役の重罪である。

「敵前逃亡だったと客観的に立証ができるか?」

「いまとなっては」むしろ無念を元朝潮は浮かべた。「無理でしょうね」

「なら、無罪だ。敵前逃亡だったと証明できなければなにものもおまえを裁けない」

「法的にはそうです。でもわたしは、わたしがしたことを永遠に忘れてはくれないでしょう」元朝潮は無意識に下腹部をさすっている。

 

 22連艦隊第2大艦隊のような悲劇が最前線の方々で起きた。あとには引けないと、幕僚会議は総攻撃の続行を命じた。今度こそはうまくいくはずだ。次こそは勝てる。もう一回やれば……。しかし反復攻撃をすればするほどわがほうの出血ばかりが増加した。

 五月五日、それまで口出ししてこなかった司令官はついに総攻撃の中止を命令した。男性幕僚長は非憤の涙に暮れた。

 第24海上師団は三分の一の艦娘が轟沈するか重傷で患者収容隊に収容されるかしている。第64海上師団は艦娘の数が十分の一にまで落ち込んでいた。歴戦の独立混成第44海上旅団も無謀な突撃を繰り返し命じられた結果二分の一に減少した。ぶじな師団は北部山岳地帯を守る第28海上師団だけだ。

 ことに痛かったのは戦艦娘戦隊で、弾薬をほとんど使い果たし、以降は一日一隻あたり十発内外に制限しなければならなくなった。それでも五月を持ちこたえられるかわからない。ジャム戦では戦艦娘の統一射撃が多大な効果を挙げていたことを鑑みると、もはや32軍は再度の攻勢どころか持久作戦さえ遂行しえないほどに磨滅していたといってよかった。

 敵は数をたのんで全線を押し進めてくる。どこかに穴をみつければ洪水のようにそこから一気になだれ込んでくるだろう。守る32軍も島の東の端から西端までまんべんなく防衛線を張るしかなかった。火力の密度は低下し、敵は勢いづいた。前線は司令部壕のあるハナンの北一キロにまで迫っていた。

 五月上旬から猛攻撃を浴びながらも各艦隊は善戦敢闘したが、戦線は至るところで破られ、深海棲艦の突破を許した。

 五月二十一日、とどめを刺すような最悪の報せが首脳部へ届く。偵察によると敵は司令部壕西方わずか一・五キロの52高地を占領し、戦艦棲姫五十隻、戦艦水鬼二十隻、戦艦仏棲姫十隻が同地へ向けて目下移動中とのことだった。到達予想は四日後。攻撃がはじまればいかに天然の掩蓋で覆われているとはいえ壕は山ごと吹き飛んでしまうだろう。司令部は陥落の一歩手前にあった。

 同日夜、幕僚たちは南部のニャヤキ半島イヌバム岳への撤退を決した。

 現戦線での火網は網の目が大きい。だから敵の突破を許す。狭小な地理へ集まれば網の目を小さくできる。島は海に近づくほど陸地が狭まる。南の海にのびるニャヤキ半島を拠点とすれば東西の戦線を縮小させ、火力の密度をあげることができよう。

 消耗した戦力に見合うよう戦線を緊縮すれば、わが軍はまだまだ戦える。ニャヤキにまで退けばあと一ヶ月は抗戦できるはずだ。敵の配兵をみよ。早々の玉砕を避け、最後のひと息までも戦略持久を続け、一日でも長くこのジャムにひきつけておけば、それだけ敵の有力な艦隊の本土指向を遅らせることになる。敵が重畳な戦力を割いたのはひとえにわが軍が容易ならざる相手とみてのことである。かくなる上はどこまでもしぶとく、粘り強く、敵のジャム攻略を手間取らせてさらなる浪費を強要することが、32軍のとるべき決心と思う……。男性幕僚長もことここにいたって前任者の立てた戦略持久がいかに戦理を見透し、最善を尽くしたものであったかを痛感したが、遅きに失したようである。すでに軍の主力は尽き、ジャムの命運も旦夕に迫っている。

 ともあれ南部のイヌバムには本来24海上師団が入るはずだった洞窟陣地があり、しかも増援の受け入れを予想して三個海上師団相当の人員を収容しうるよう構築されているので、司令部を移すには適当である。山岳地帯であるから身を隠すにも好都合だった。最南端となるニャヤキ岬は海から三、四十メートルも切り立った断崖が連なっているため背後を衝かれる恐れはない。ただし自ら退路を絶つことになる。まさに背水の陣である。

 問題は島の南に三十万ものジャム島民が疎開していることだった。南には司令部があるから安全だと考えたのだ。敵の砲爆撃であらゆる輸送機関が徹底破壊されていたため逃げようにも逃げられないという事情もあった。いまから北部へ疎開しようとしても深海棲艦の群れのなかを突き抜けることになる。

 32軍の後退作戦については、南下する戦場に巻き込まれ、民間人に多くの犠牲者を出したとして、ジャムからは現在にいたるまで強い非難が聞かれる。南進してくる深海棲艦の砲火に脅かされ、ついにはニャヤキ岬の断崖絶壁に追いたてられて、痛ましい結果を招いたことは事実である。ジャム島民の犠牲者三十万二〇〇〇のうち七割はハナン戦線崩壊後、撤退中に生じたものだった。

 軍司令部は艦隊を一兵までも間違いなく後退させることに専念していた。損耗したとはいえ撤退の兵は艦娘、支援部隊あわせて五万はいる。戦うには少ないが末端にいたるまで掌握して移動させるには手に余る。戦場怱忙(そうぼう)の間、幕僚らは目前の撤退作戦の立案と遂行に追われ、島民を顧みるいとまもなく、自主避難に任せる以外になかった。

 なかには軍の構築した洞窟陣地に避難している島民も大勢いた。男は若者を中心に野戦築城隊や砲弾運び、通信兵として軍に雇用され、前線の各陣地で艦娘たちの戦闘を縁の下から支えている。女学生や独身女性は烹炊婦または野戦病院で救護要員に動員されていた。

 

「いずれも裏切るとか逃げるとか、そんな言葉すら知らないんじゃないかってくらい純粋な人たちだった。さっさと逃げりゃいいものを、敵の艦砲で洞窟がガンガンぶっ叩かれて天井から砂がササラになってこぼれてるなか、顔のドロも拭かずにわたしたち負傷者の世話に走り回ってくれた。食糧不足でひとり一日握り飯一個に制限されても、嫌な顔ひとつしない。ここも戦場になるからいまのうちに逃げたほうがいいよって、学徒看護婦たちにいったら、いまさら自分たちだけ帰る法はありません、これもなにかのご縁なのですから最後までお供させていただきますって異口同音に言い張るんだ。健気なもんだよ」元長波が述懐する。

 

 現地雇用の通信兵は向こうにたどり着ける確率が十分の一だから一度に十二、三人出してひとりでも安着できればいいという苦肉の策だったが、彼らは死力を尽くしてくれた。通信が断線不通にされていく末期のジャムでは伝令が唯一の連絡手段となりつつあった。

 

「わたしたち24海上師団が後退すると知って、ジャムの男の人たちが撤退を手助けしてくれました」元朝潮の顔には後悔が色濃い。「いえ……手助けなどというものではありません。犠牲です。自分たちが深海棲艦の注意を惹きつける、そのあいだに部隊を後退させてくれと……わたしたちはその提言を断固として撥ねつけるべきだった。でも海上師団の幕僚は受け入れてしまった。志願者のなかにはわたしたちと変わらない年頃の少年までいました。わたしはこっそりといいました。“どうかあすの朝、みなさんで逃げてください。だれもあなたたちを責めたりしません。あなたたちがこんなことをする必要はないのですから”。男性のひとりがいいました。“われわれだけでは島は一日で全滅していた。あなたたちにはわれわれの故郷を守る力がある。あなたがたを守ることが、ひいては島を守ることになるんだ”。みんな、晴れ晴れとした表情でした。その表情が忘れられません。彼らは“やっと日本軍の戦いに協力できる”という顔をしていたんです。どうしてそんな……わたしたちはジャムの人々を守りにきたんです。けっして、その逆であってはならないんです……けっして……」

 成人男性たちは、みな一様に「妻子を頼む! 娘はあなたと同い年なんだ」といい、少年たちは「お母さんをお願いします」「カンヅメ、おいしかった。ありがとう」といって、あの朝、雑多な農具を手に出発した。一時間もしないうちに彼らは全滅し、その隙に24海上師団の撤退が完了した。

「わたしたちをほんの数キロ逃がすためだけに、大勢のジャム島民が自ら望んで深海棲艦に向かっていって、死んでいったんです。深海棲艦の気を逸らすためだけ、ほんの数十分足止めするためだけに……」

 

 そうして洞窟に残っているのは雇用の対象外となった老人老女、幼い子供とその母親たちである。多くは軍に雇用された青年隊の家族だった。一家の主柱や強健な若者を失いでもしたらたとえ戦に勝ったとしても路頭に迷う。

 死なばもろともという気持ちから南部に留まった家庭も少なくなかった。これにはジャム特有のムンチューと呼ばれる血族的紐帯の強靭な家族意識のゆえもあった。家族を置いて逃げることはジャムでは罪悪とみなされていたのである。だから煮炊きの道具や食料、布団などを持ち込んで洞窟にひそみ、びくびくと怯えながら過ごしていた。

 そんな避難民があちこちの洞窟に何万といる。今度の陣地こそ墓所という決意で後退してきた兵団が入ってみたら島民が籠っていたということもあった。軍がハナンを放棄したことで南へ避難する島民はますます増える。兵団が入りきれない場合はやむなく島民を追い出す事例さえみられた。

 拠るべき隠れ家を奪われた住民たちは剣電弾雨のなかを彷徨するしかなく、進撃する深海棲艦にみつかっては大地を血で染めた。深海棲艦に捕虜の概念はない。人間とあらば見境なく血祭りにあげてしまう。幕僚らも重々承知していたが、あくまでも軍は作戦が主務であるため、民間人の保護を切り捨てざるをえなかった。

 

 司令部撤退にともない、各部隊の野戦病院も南へ下がることになった。「歩けるものは各自、持てるだけ医療品を持っていくが、重傷患者は壕に残して処置せよ」との命令が示達された。元長波が収容されていた病院壕も同様だった。

「衛生隊や従軍看護婦たちが荷物をまとめて壕を出ていくさまをみて、足を切られた磯波が、ひきつった笑いを浮かべて“わたしたちは一体どうなるんですか”って問いかけてた。歩けない艦娘のなかには、“おしっこがしたいよ、看護婦さん、看護婦さん”って、つまらない用事をつくってなんとか引き留めようとしたり、涙ながらに壕を後にする従軍看護婦の背中に向かって、“おまえらのために戦ったんだぞ、おまえらのために!”なんて怒鳴る奴もいた。歩けやしないんだから連れてくわけにもいかない。そのまんま置いといても飢えるか渇くか傷病の悪化で死ぬか、深海棲艦に殺されるかのどっちかなんだから、ひとおもいに死にたい奴はこれで死ねってことだったんだろう、主任軍医は青酸カリを溶かしたミルクを配った」

 南方の陣で飲む牛乳は生温かく、衛生的にも不安があったことは間違いない。しかし水よりも腹持ちがよく栄養のある牛乳はそれらの欠点を補って余りあるほど艦娘たちから人気を集めた。ジャムでは鶏卵と名産の黒砂糖を混ぜてミルクセーキにしてこっそり楽しんでいた艦娘もいた。牛乳は艦隊に欠かせなかった。その牛乳が凶器に変えられたのだった。

「空き缶やら飯盒の蓋やら、液体を入れられるもんなら片っ端からかき集めて、重傷艦娘の枕元に置いてった。わたしも手伝った。で、軍医がヤカンでミルクを注いでいく。傷の痛みでうめくのに精一杯で気にも留めない奴、“これが人間のすることですか”って泣き叫ぶ奴、悲運に咽び泣く奴。いろいろいたよ。くだんの手足がない長波にも入れ物を配った。その長波は、裏切り者をみるような顔をして、わたしにいった。“日本のためにって煽られて、こんなくそみたいな島で捨て駒にされて、それでも一所懸命に戦ってきたあたしたちに、こんな仕打ちをするのか。なにが日本だ、なにが日本海軍だ”。それから顔をくしゃくしゃにして、懇願した。“なあ、おまえも長波だろ、一緒に連れていってくれよぉ”。わたしは気がついたら壕から逃げ出してた。あいつにない足を使ってね」

 この頃からジャムは雨季に入った。例年より遅れたぶんを取り戻すように篠突く豪雨が続いた。突風も吹いて雨はしばしば横殴りになる。砲撃で荒れ果てた山は保水力を失っていて泥の流れを生み、道路は泥河と化した。ずぶ濡れになりながら、あるいは泥まみれになりながら、五万の兵が撤退をはじめた。さながら都落ちのような光景だった。

 野戦病院の撤退は輪をかけて悲惨だった。泥の海に足をとられる。開いた傷に泥が入る。足もないのに這って()いてくるものがいる。五体満足だが体力が尽きて泥に沈んでいるものがいる。「だれか、助けてください。この艦娘さんはまだ戦えます」。従軍看護婦が半死半生の艦娘に肩を貸しながら叫ぶが、だれも耳を貸さない。看護婦は重さに耐えきれず艦娘ともども倒れてしまう。そのそばを元長波は歩いていく。何度も振り向く。手足のない長波が撤退の列にいないかどうかを確かめるために。

 荒天によりさしもの敵も偵察機を飛ばせない。それを狙っての雨中撤退作戦だったが、裏目に出た。深海棲艦は石油精製の過程で脱硫のために水素を必要とする。海でなら海水というかたちで無限に水素を補給できるが、陸上では水源を確保するか体内に貯蔵した水に頼るしかない。陸上の深海棲艦が無補給で活動できる限界はおよそ二十四時間とされている。そろそろ第一線の深海棲艦は補給が追いつかず水が枯渇しはじめる頃合いだった。そこへ一週間以上ものあいだどしゃ降りの雨が続いたのである。深海棲艦の追撃に拍車がかかることになった。

「もしかしたら、深海棲艦はジャムが雨季に突入する時期を見計らって上陸したのかもしれません」

 元朝潮が呟く。元長波は「かもな」と同意する。32軍は賭けに負けたのだった。

「六〇〇〇人。この数字がなんだかわかるか?」

「自決した重傷艦娘の数、でしょうか」

「そうだ。わたしたちが、いや、わたしが見捨てた艦娘の数だ。いまからタイムスリップでもすれば、みんな助けてやれるんだろうけどな」

 益体もないことを二十数年も考え続けている。

 それは元朝潮も変わらない。

「自己生存を優先するあまり、救えたはずの命を見殺しにしたのではないか、もっと最善を尽くすべきではなかったか、いまでも悔やまれてなりません。軍法会議にかけられる夢をみたこともあります。わたしを審理にかけているのは、片腕のない風雲さん、手足の関節があらぬ方向に曲がって破れたお腹から内臓をこぼしている親潮ちゃん、全身に大火傷を負った早霜ちゃん、顔の上半分を包帯で覆って手榴弾を握っている旗風さん、顔も体もひどく損壊した萩風さん、首のない天霧さん、頭がぺちゃんこになっている狭霧さん……みんながわたしを責め立てます。どうして助けてくれなかったの、どうして一緒に死んでくれなかったの、と」

 

 元朝潮は何年か前、電車に乗っているとき、ひとりの女性から声をかけられた。「朝潮さんではありませんか?」。元朝潮は、「元ですが」と答えた。女性は「わたしです、鬼怒です。いまはわたしも元ですけど」と自らのシリアルナンバーを(そらん)じた。元朝潮もいぶかしみながら現役時代のシリアルナンバーを返した。

 元鬼怒だという女性は随喜にほほを赤らめ目を輝かせた。

「やっぱり、わたしの知ってる朝潮さんです」

 その元鬼怒はかつておなじ艦隊を組んだ僚艦だった。軽巡だが後任だった。

「Erehwyna島上陸作戦で、重傷を負い意識不明になったわたしをあなたが硝煙弾雨のなかひとりで後送してくれたと聞きました。その後わたしは異動になって、そのまま戦争が終わり、お礼を述べることもできずじまいでした」

 聞きながら元朝潮は、たしかにそんなこともあったとぼんやり思った。いわれなければ一生思い出さなかったはずだ。元鬼怒はそばの座席に座っていた男性と男の子を呼んだ。夫と息子だという。

 元鬼怒は、紹介しながら笑顔を浮かべていたが、やがて目に涙を滲ませた。

「あのときあなたに助けられていなかったら、わたしは生きて終戦を迎えることなどできなかったでしょう。この子だって生まれてなかった。あなたはわたしと、この子の、命の恩人なんです」

 家族三人は元朝潮に深く頭を下げた。元朝潮は居心地が悪かった。顔をあげた元鬼怒は続けた。

「あのあとわたしなりに当時の資料をかき集めて調べました。読めば読むほど、自分がこうして生きていられることが、いかに奇跡的なことか思い知らされました。わたしだって報告書に目を通せば当時の状況は手に取るように把握できます。シミュレートしました。敵味方の配置、地形、戦場を構成するあらゆる要素を踏まえれば、わたしは本来なら見捨てられていて当然でした。それをあなたは、わたしを救い、自らも生き残った。震えがきました。もし逆の立場なら、わたしはあなたになれていただろうかと」

 元鬼怒の顔には畏敬の念さえあった。

「ひとりの人間として、艦娘だったものとして、あなたに満腔(まんこう)の敬意を表します。本当に、ありがとうございました」

 完璧な敬礼をされた。元朝潮も反射的に立ち上がって答礼した。乗り合わせた乗客たちからは拍手が起きた。

 

「その元鬼怒さん本人に会うまで、彼女のことなんてすっかり忘れていました」

 元朝潮は元長波に語った。

「もしかしたら、わたしにはあの鬼怒さんのほかにも助けた艦娘がいたりするのかもしれません。でも、夢には助けた艦娘は出てきません。出てくるのは、助けられなかった艦娘たちばかりです」


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