栄光の代償・元艦娘たちが語る対深海棲艦戦争(GHK出版新書)   作:蚕豆かいこ

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十四  あしたを探せ

 五万のうち、ニャヤキ半島へはわずか二万しか撤退できなかった。

 雨で水素を補給できた深海棲艦に予想よりも深部まで侵攻されたうえ、連絡ミスにより、ウコロ地区を守備する独立混成第59海上旅団が予定より七日も早く後退をはじめてしまっていた。食い違いが発覚したときには後の祭りで、独混第59海上旅団はもとの陣地を破壊して新陣地に移ったあとだった。ウコロ地区が空っぽになったことで左翼がもろくなった。深海棲艦は抵抗にあうこともなく快進撃を果たした。これらの事由により退却の際に三万人もが取り残され、あるいは捕捉されて死傷して身動きがとれなくなったと考えられる。

 ニャヤキ半島に配備された二万の陣容も、大半は艦娘の後方支援部隊、つまりただの人間であり、精鋭の第一線級の艦娘は失われ、いずれの連艦隊も実力は一個中艦隊なみ、二割に満たなかった。

 長距離から攻撃していた戦艦娘戦隊の損耗は存外に小さく、半分は残っていた。長門型が数隻無傷で温存されていることは救いといえた。しかし通信機能が極端に低下し、無線も電話も通じず、決死の伝令を走らせても一回の弾着観測に一日かかり、制空権を奪われた状態では観測機も飛ばせないので、有効な火力を展開することは叶わなかった。32軍はもう組織的な兵の運用はできないというところまできていた。

 敵の攻撃はいよいよ加速度的に熾烈を極めた。ろくな戦力が残っておらず太刀打ちできない艦娘たちは洞窟内へおしこめられ、火炎放射で非戦闘員ともども焼き殺されたり、馬乗り戦法からの硫化水素で部隊ごと全滅していく。

 

 ニャヤキ半島各地で戦線が崩壊するなか、奇妙なうわさがあちらこちらの壕でささやかれるようになった。洞窟で息をひそめていると、外から艦娘のものとおぼしき声がする。助けに来たから出てこいというような内容だったらしい。天祐神助と住民たちが感涙に咽びながら出ていったら、見渡すかぎり深海棲艦の群れがいて、唖然とするひまもあらばこそ、激烈な掃射を浴びたのだという。

 元朝潮も新たに指揮下に入った海上歩兵第89連艦隊第1大艦隊とともに隠れる洞窟で、実際にその不気味な声を耳にした。

「ジャムで公用語として使われる、いわゆるピジン英語でした。でも最初はそれだとわからなかった。言語だとすら認識できませんでした。あまりに抑揚がなくて、話者本人が言葉の持つ意味を理解できていないかのような発音だったからです。女性のようなその声は、日本語でいえば、“オーイ、ダレカイナイカ、タスケニキタゾ”といっていました。島民のひとりが出入口に駆け出そうとしたのを下士官が引き止めました。ええ、そのときわたしたちは、大勢の民間人と同居していたんです。みんな行く場所がなかった。彼らも、わたしたちも。声を怪しんだのは、うわさを聞いていたこともありますが、喋り口が平坦すぎて無機質だったということもあります。わたしたちは様子を伺いました。声は続いています。“オーイ、ダレカイナイカ。タスケニキタゾ。オーイ、ダレカイナイカ。タスケニキタゾ”……」

 オーイ、ダレカイナイカ。タスケニキタゾ。

 オーイ、ダレカイナイカ。タスケニキタゾ。

 オーイ、ダレカイナイカ。タスケニキタゾ。

「まるで笑い袋のように、一言一句おなじ文言をひたすら繰り返しているんです。背中に冷や水をかけられたようでした。声は何度もリピートしながらやがて遠くなっていきました。みんな青ざめて、声が聞こえなくなったあとも、しばらくはなにもいえませんでした」

 人型の深海棲艦は、人間に酷似した咽喉構造と舌を持つ。よって人間のように音声言語を発音することができる。しかし深海棲艦が人語を解して人間と意志疎通を試みたという公式の記録はない。インコやオウムがそうであるように、深海棲艦は覚えた音をただ再現しているにすぎず、そのためおなじ言葉ばかりを機械的に発音するのみとされる。

 ジャムの掃討にかかった深海棲艦は、32軍や島民らが隠れている無数の洞窟の複雑さと捜索の困難さに手を焼き、言語を用いた欺騙でおびきだす搦め手を編み出したようだった。総当たりでパターンを試行しているうち、もっとも効果が高いと判断された音の連なりが「タスケニキタ」だったらしい。

 

「わたしが入った洞窟も地方人で溢れてて、むしろこっちが間借りしてるような感じだった。幼い赤ん坊を抱いた母親とか、枯れ木みたいな年寄りとか。艦娘は嵐や敷波たちがいた」

 元長波が記憶の鍵を開けていく。

「その嵐はちょいと変わった奴でね、自分のことを俺っていってた。もちろん女だよ。わたしは気にしなかった。人間なんていろいろいるもんさ。田舎じゃ婆さんなんかが俺俺っていうしな。でもまあ、からかうことはあったんだよ、初対面のときに、“あんた、性別をごまかすために、自分で出生届を出しに行ったんだってな”って冗談でいったんだ。そしたらその嵐は答えて、“なんでそのことを知ってんだよ”って混ぜっ返してきやがった。満座は大爆笑さ。人好きのするいい奴だった」

 だから洞窟で再会したときも、心強かった。

「命令がくるまで地方人たちと肩を寄せあってひそんでた。何日も何日も。じっとしてても腹は減る。地方人がなけなしの甘藷(かんしょ)を分けてくれたりしたけど、とても足りない。お母さんは乳飲み子に飲ませるお乳もでなくなってた。わたしたちは交代で敵機にみつからないように壕外で食えるもんを探した。オオトカゲなんか捕れたら大騒ぎよ。コバルトブルーできれいだったな。でもみんなで食べるからあっという間になくなる。なにも食べない日もあった。発電機も動かないから昼でも真っ暗。そんな穴蔵でひねもす腹空かして、一匹のネズミを奪い合ったりして、自分の小便を飲んでなんとか喉の渇きを癒すんだ。小便も出したては臭くなくて豆を煮たみたいなにおいだから思いのほか抵抗なく飲めた。えり好みしてられなかったけどね」

 生きる以外になにもすることがなかった。

「四六時中絶えないせいで環境音になってしまった敵の砲爆撃の音を遠く近くに聞きながら寝るしかなかった。でも下がごつごつした岩肌だろ、体が痛くなって、すぐ起きてしまう。空きっ腹がつらいからまた目をつぶる。起きてるのか眠ってるのか自分でわからない日も」

 

 洞窟で過ごしていたある日、元長波は名前を呼ばれて、水底から浮かび上がるように目を覚ました。忘れかけていた本名だった。長波を拝命してまだ二年なのに、ひどく懐かしい名前のように思えた。彼女は机に突っ伏して寝ていた。机にはよだれの水溜まりができていた。通い慣れた小学校の教室では、黄昏に染まりながら同級生たちが下校の準備にとりかかっていた。仲のよい子たちが一緒に帰ろうと元長波を誘ったのだった。元長波はあわてて口を拭って応じた。自分がすでに小学校を卒業している矛盾にも気づかない。

 寄り道などして帰宅すると、母が温かい料理をつくって待っていてくれた。父や兄たちもいた。食卓の上は好物ばかりだった。腹を満たしたのち、熱い風呂に入り、ふかふかの布団に包まれて眠りについた。

 次に目覚めると、目の前は黒一色だった。目を開けていても閉じても変わらなかった。ふかふかの布団は? 家は? 母は、父は、兄たちはどこに行った? ご飯は? 学校は?

 無造作に振った左腕が固い岩にぶつかった。痛くて右手でさすろうとしたら、左腕が短かった。手首から先がなかった。

 読経のようなうめき声を耳が捉えるようになって、元長波はうろたえた。嵐に「あんまり騒ぐと体力を消耗するぞ」と忠告された。意識が覚醒するにつれて暗黒の坑内でもおぼろげにものがみえるようになった。そこは家でも学校でもなかった。負傷者と飢餓が充満する、敗走に敗走を重ねてたどり着いたジャムの洞窟だった。これが現実か? いまの幸福な光景はただの夢だったのか? 嫌だ、こんな現実は嫌だ。この暗く悪臭のたちこめる洞窟のほうが夢だ。夢なら醒めてくれ。ぐるりと取り囲む岩盤の消失と故郷の風景の展開を願ってむき出しの岩肌をかきむしった。爪が何枚か剥がれたところで嵐に止められた。彼女は嵐の胸に顔を押しつけたまま、どうしようもなく涙をこぼした。

 精神が凪いでいる日もあった。そういうときは、無聊(ぶりょう)を慰めるためにほかの艦娘たちと歌を歌うこともあった。

「ささやくような小声だけどね。『素直になれなくて(Hard to Say I'm Sorry)』とか、『やさしく歌って(Killing Me Softly with His Song)』とか、『ラ・イスラ・ボニータ(La Isla Bonita)』とか。せいぜい背伸びしてね。傑作だよな、美しい島(ラ・イスラ・ボニータ)なんて……。あの嵐は歌がうまかったなあ。島民たちも英語の歌を覚えはじめたころ、わたしたちの壕にも、例の声が響いた」

 オーイ、ダレカイナイカ。タスケニキタゾ。……

「みんな歌をぴたっとやめて、息も殺して、いっさい音をたてないようにした。ほかの音といえば遠い砲声だけ。でもそれはすっかり聞き慣れてたからね、自分の心臓の音のほうがうるさかったよ。とにかく気配を消した」

 頬杖をつく元長波は遠い目をした。

「異様な緊張感に耐えられなくなったんだろうね。赤ちゃんが泣き出したんだ、地方人の。赤ん坊の泣き声ってのはどうしてああも響くんだろうな。お母さんがあやしても泣きやまない。泣くのをやめさせようとして赤ちゃんが泣きやむんだったら世界はもっと平和になるよな。赤ん坊は泣き続ける。どうしたか」

 元長波の瞳は現在ではなく、二十八年前の地獄を映している。

「母親がね、赤ん坊の鼻と口を手で塞いだ。突然のことでわたしもほかのみんなもどうしていいかわからなかった。敷波は母親の凶行をやめさせるべきかどうか判断に迷ってた。わたしがみたのは、母親が鬼のような形相で赤ん坊の息を止めさせてる光景……あんなの、この世の光景じゃない。赤ちゃんの手足が動かなくなって、顔がだんだん紫色になっていく。嵐は自分の口を両手で覆って悲鳴を押し殺す……」

 坑外からの声も遠ざかった。壕には静謐が戻った。こうするしかありませんでした。母親は亡霊のような顔で呟くと、息絶えたわが子を抱きあげてすすり泣いた。いたたまれなくなった元長波はその壕を後にしたという。

 

 元長波は単身でジャングルを放浪した。行く当てもなかった。食糧が尽きて空腹に耐えきれず未熟な芋を掘って生のままかじっては消化不良による腹痛と下痢に悩まされた。トカゲを夢中で追いかけて骨ごと食らい、森林棲の巨大なコオロギや三葉虫みたいなゴキブリも構わず口に放り込んだ。しかし変温動物は恒温動物にくらべカロリーが低い。重い艤装を背負う十四歳の体は栄養失調と脚気でみるみる痩せ衰えていった。

「森深く静かで平和な島ってやつだ。遠雷みたいな砲声がたまに聞こえるくらいで、昼でも薄暗いジャングルはあらゆる動植物が平常運転、戦争なんて別世界のできごとみたいだった。ここでくたばるのも悪くない、なんて考えたのも、一度や二度じゃない」

 ジャングルを何日彷徨したかわからない。二日か三日か、一週間か。その日の食物を確保するだけの野生動物と変わらない日々だったと彼女は振り返る。

「現在地もわからないくらいほっつき歩いてたら、艦娘たちが何隻も木々にもたれかかってるとこに出た。自分が艦娘だってことをようやく思い出した。とはいえみんな満身創痍だよ。籠ってた洞窟が深海棲艦にみつかってナパームで大火傷しながら逃げてきた奴とか、最後の総攻撃で原隊が崩壊して司令部と連絡もとれないままここまで敗走してきた奴とか……雨と熱射を梢々がさえぎってくれる密林に自然とたどり着いたらしい。ほとんどの奴が下を穿いていなかった。みんなひどい下痢をしていたから。弾薬も医療キットもない、糧秣(りょうまつ)もない、死に体の集まりだった」

 もともと糧秣の糧とは兵士の食糧を、秣は馬匹の飼料を意味する。馬は第二次大戦まで重要な兵器であり輸送機関だった。艦娘が糧秣という場合は自身の食糧と寄生生物に与える重油を指す。干渉波を発生させる寄生生物は艦娘にとってかつての騎兵隊の馬に相当する。重油が尽きれば艦娘を宿主としている寄生生物は機能不全に陥り、深海棲艦との戦闘は不可能になる。

「だれもが、水をくださいだの、食べ物をくださいだの物乞いして、雨と泥に濡れたせいで化膿した傷に蛆をびっしり湧かせて、痩せちまってあばら骨が浮いてた。沖波なんか耳のなかにでかいマダニが何十匹もとりついて(あな)が塞がれちまってるってのに、取る気力もないみたいだった。だれかが、お母さんのご飯が食べたいよう、なんて泣き言をいうたび、食いもんの話はするなって怒声が飛ぶ。実際、食べ物の話題は気が滅入ったからね。靴をしゃぶってる初風もいたな。そんななかに、深雪をみつけた」

 彼女の小艦隊の深雪だった。右足を骨折しているらしく添え木がされ、右腕は肘から先がなかった。包帯は血と膿と泥と垢で汚れ放題だった。「おう、生きてたか」。深雪は樹木に背を預けたまま首を巡らして、無事な左手を應揚に掲げ、かすかに笑った。その動作が傷に障ったのかすぐに顔を歪めた。元長波は包帯の交換にかかった。

「わたしは左手を取られました。だからふたりで一隻ですね」「いうねぇ、こいつ」。世話を焼いた礼にと煙草の箱を差し出された。箱は尻が破られていた。オムツが切れたあとはそこらで用を足すしかない。尻を拭く紙もなかった。「だから触んのは先っちょだけにしときなよ」。深雪はかすれた声でいった。道理だと感心しながら、煙草の先端をつまむようにして、口にくわえた。深雪が火を点けてくれた。何日かぶりの煙草は肺臓にしみわたる味だった。ジャムのジャングルで深雪に最期まで付き添った数日のうちに、煙草を取り出すときのやむを得ない習慣がすっかり身についた。だからいまでも元長波は煙草を吸うときは箱の尻を破る。

 

「どう戦うかなんてだれも考える余裕なかった。きょうの食事をどうするかで頭が一杯だった。ここにくるまでにゴキブリ食ってたって打ち明けたら、深雪に、セミのほうが美味いよ、と教えられた」

「あの全身が若草色のきれいなセミですか?」

「それ」元朝潮に指を鳴らしてみせる。「食ってみると、たしかに風味が白身魚みたいでね。ふつうセミのオスっていうのは腹んなかがガランドウなんだけど、ジャムにいた緑のセミはオスもメスも身が詰まってて、その点でも都合がよかった。深雪のぶんも捕まえて帰った。美味しそうに食べてくれた」

 自分と深雪の食糧を調達するのが彼女の仕事となった。ほかにやることがなかった。なにかに打ち込んでいるあいだは直視しがたい現実を忘れることができた。

「サゴムシがごちそうだった」

「サゴムシ?」元朝潮も知らない。元長波は笑って解説する。

「ゾウムシの幼虫でね、サゴヤシの木のなかで、幹を餌にして育つんだ。カミキリの幼虫みたいに。倒れてるサゴヤシの朽ち木に耳を当てると、サゴムシが材を噛む音が聞こえる。叩き割ったら、出るわ出るわ、大人の男の手の親指くらいもある太った芋虫がとれる。これが美味い。噛むと皮が破れて、なかにたっぷり詰まったミルクみたいな体液がぶちゅっと溢れるんだけど、まあ濃厚でね、ほとんどクリームシチューだった。飢えてたから美味く感じられたのかもしれないけど。いちばん美味いのは頭だよ。エビの尻尾に似てるけど、さわやかな木の香りが鼻を抜けていくんだ。わたしも深雪も、サゴムシだけはいくら食っても飽きなかった」

 救援も補給もなかった。一日ごとに生存者が減った。舞風の屍肉に湧いた蛆虫を一匹ずつつまんでは口に運んでいる野分もいた。

 生きるだけで必死という状況にあっても、生活習慣として脊髄に染みついた艤装のメンテナンスを欠かさない艦娘は多かった。息を引き取った艦娘の艤装から使える部品を引き抜いて整備した。

 

「みんなはそれを近代化改修っていってたよ。共食い整備じゃ聞こえが悪いもんな」と元長波。

 

 ダニを媒介とした感染症で血が止まらなくなった沖波が死んだ。肩骨が飛び出るほど痩せ細った天津風は「お母さん……」と泣きながら自らの頸部にナイフを走らせたが、あまりに筋力が落ちていて半端にしか血管が切れず、死に損なって苦しんだ末、森鴎外の小説のように、時津風に頼んで完全に頸動脈を断ってもらった。返り血を顔に浴びて心が壊れた時津風は嗚咽をもらしながら天津風の血で濡れたナイフで自決した。二隻の死体に不知火や初風や谷風が無表情で群がって、所持品や消耗品を淡々と分けあった。近代化改修だった。おなじ陽炎型だから部品の互換性も問題なかった。

 

「ずっと狙ってたんだ。逆に不知火たちがくたばってたら、天津風はどうか知らないが、時津風はおなじことをしてただろう。使えるものをもらって、そいつのぶんまで生きる。大げさな言い方をすれば、魂を受け継いでたんだ、モノだけじゃなく」元長波に元朝潮も理解を示す。

 

 自給自足は長くもたずに破綻した。やがて一帯で息のある艦娘は元長波と深雪のふたりになった。どちらも骸骨のようになっていた。

 洞窟にいたときとおなじく、一日に何度も起きては無理矢理に眠る毎日だった。眠りから覚めるたびにここが戦地であることを再認識させられた。日本での生活が思い出されてならなかった。つらいと思っていた訓練のなんと易しいことか。狂おしいほどの望郷の念に駆られた。このジャムから六六〇〇キロ東に日本がある。そう意識すればするほど故郷が恋しく思えてならなかった。肉体が邪魔だった。死んで霊魂となれば一気に海を飛び越えて日本に帰れる。あるいは戦争などすべて夢で、死ぬことで目が覚めれば自分は日本に戻れるのかもしれない。早々に死んでいった艦娘たちがうらやましかった。退廃が近づいていた。

 

「あるときから、深雪が、“あたしを食ってくれよ”だなんていいだした。わたしは冗談だと思って取り合わなかった。冗談だと思い込もうとしたんだ。でも深雪はまたいうんだ。“あたしが死んだら、あたしを食ってくれよ”。わたしは怖くなって反論した。“じゃあ、深雪は死にゃしないから無理ですね”。その場は笑って終わるんだけど、深雪はひまさえあれば、つまり、一日中、おなじことをいうようになった」

 深雪は口癖のように自分を食べるよう元長波にいいつけた。「このままじゃ共倒れになる。だけど一隻にリソースを集中させれば、生き延びる芽はある」というのが、深雪の持論だった。コバルトブルーのオオトカゲを思い出した。あんな大きなトカゲでも壕のみんなで分ければひとりひと口にもならなかった。元長波は気休めを口にした。「二隻とも助かりますよ」。自分でも信じていなかった。虫でも爬虫類でも貪ってきたが食べ物はもう尽きかけている。最後の手段として仲間の屍肉に魅かれた艦娘はたくさんいたはずだ。だがだれも実行には移せなかった。せいぜいが舞風の腐肉をかじる蛆虫を野分がつまんでいたくらいだ。いかに餓えて見境がなくなっても人間の肉には破りがたい拒否反応がある。

 深雪はいかにして元長波に自らの肉を食わせるか、奇妙な説得をはじめた。「この世には男と女がいるわな。オスとメス。でも地球に最初に現れた生命には雌雄の別はなかったんだ。性別の概念もない。ただひたすら分裂で増殖していった。いまから二十億年前、細胞のなかに核の構造をつくらない原核生物が共生しあって、DNAを核のなかにおさめたことで誕生した真核生物だっておなじだ。真核生物の核のなかにはDNAはひと組しかなかった。増殖はやっぱり単純な分裂だけ。コピーを量産するばかりで、極めてまれに起きる突然変異でしか新しい個性は生まれなかった。進化の歩みは遅かった。でも太古の海は必要な栄養分がすべて揃ってた。連中にとっては楽園だったはずだ」。なにをいっているのかわからなかった。わからないまま聴いた。真意を尋ねる気力もなかった。

 だから、元長波は深雪の長口舌に耳を傾けた。「でも、あるとき、なにかが原因で、周囲から栄養源が失われたんだ。そこに棲んでた真核生物は多くが死滅していっただろうな。そのなかで奇怪なふるまいをする奴がでてきた。真核生物どうしが合体して一個になったんだよ。相互に足りない栄養素を補い合うための急場しのぎだった。このとき大事なのは、一個の細胞になった真核生物のなかにはDNAがふた組あることだ。やがて周囲に栄養分が戻ったとき、両者はふたたびDNAをひと組ずつ持ったふたつの細胞に別れた」。ようやく元長波は話の流れを理解しはじめた。栄養源が失われて死滅していった真核生物は沖波や舞風や野分や天津風や時津風だ。では合体して栄養素を補完した真核生物とは……。深雪が息継ぎしながら伝えた。「ひと組のDNAが合体してふた組になり、またひと組に戻る。なにかに似てるとは思わないか? おまえだってもう処女じゃないんだろ――そう、受精でDNAがふた組になること、精子と(らん)がひと組ずつのDNAしか持ってないことと、おなじなんだよ。有性生殖ってのは、とどのつまり、細胞のなかのDNAがひと組になったりふた組になったりすることなんだ。太古の昔に死をまぬかれるために緊急避難で合体した二個の真核生物こそ、有性生殖の起源なんだ。互いに助け合う、それこそが生命の本質なんだよ」。深雪の訴えは切実な響きがあった。

 元長波が黙っていると、深雪は手を変え品を変え、籠絡を試みた。「あたしはもう助からない。もって、きょう、あすの命だ。自分のことだからわかる。でもあたしを食えば、おまえはあと二週間はもつ。食わなけりゃ、五日かそこらだろう。いいか、あたしが死んだあとでいいから、あたしの肉を食うんだ。て言ってもそのままだと臭みが強くてちょっと食いづらいはずだ。あたしの肉を削いで、枯れ草で包んで、土に埋めて、二十四時間だけ待ちな。臭みが抜けて食えるようになるはずだ。その二十四時間をまえもって念頭に入れとかないと、いざってときに間に合わなくなるかもしれない、だからできるだけ早く下処理するんだよ。深雪さまのお肉だ、ちゃんと美味しく食えよ……」。しかし元長波は答えない。「血は飲むなよ。血には催吐性があるからな。コップ一杯ぶんでも吐くぞ。肉だけを食うんだ。吐いたらもったいないだろ?」。しかし元長波は答えない。「もうあたしは日本に帰れない。でもさ、おまえに食ってもらえれば、おまえの一部になる。おまえがぶじに日本に帰れたら、あたしも一緒に帰れたことになるんだ。骨とか髪とかじゃなくてさあ、ちゃんと血肉として生きたかたちで帰りたいんだよ。わかるかよ、この乙女心が」。しかし元長波は答えない。

 強情だなあ、と深雪が笑おうとして、咳き込んだ。「これ、みてみな」。いわれて元長波は首を動かす。枯れ枝のような深雪の二の腕に、軟体動物が食いついていた。ヒルだった。虎のような派手な模様が目にしみた。「食っていいよ」。元長波は遠慮なくヒルをむしりとって噛んだ。血液が口のなかで弾けた。深雪の血。石油臭い味。

 ヒルが吸っていた深雪の傷口からは血が溢れていた。ヒルの唾液で血液の凝固作用が阻害されている。血を流しながら深雪はわが意を得たりと笑みを浮かべていた。はじめてブルネイに配属されたあの日、喫煙を教えられて、むせた元長波を仲間として認めたときとおなじ笑顔だった。深雪はいった。「あたしの血をたっぷり吸ったそのヒルを食うのと、あたしを直接食うの、どこがどう違うか説明できるかい?」。答えに窮した。極端なことをいえば食物連鎖は単なる窒素の移動にまで簡略化できる。すべての物質は循環している。呼吸で体内に入ってくる窒素は、かつてはだれかの体を構成していたかもしれないのだ。

 深雪は煙草をねだった。二本残っていた。一本をくわえさせて火を点けた。煙を肺まで入れることもできない深雪はしみじみと語った。「おまえも戦史勉強したろ、駆逐艦〈深雪〉は、姉妹艦では唯一、太平洋戦争には参加してないんだ。えらいもん拝命しちまったなあって思った。戦いたい、役に立ちたいっていう、深雪特有のホーミングゴーストにはずいぶんと悩まされたし、あたしはここであえなく一巻の終わりなわけなんだけど、後輩になにか残してやれば、たぶん〈深雪〉も満足してくれると思うんだよな。はい、わかったか、じゃあ、先任として最後の命令だ。あたしを食って、かならず日本に帰れ。ふたりで帰るにはそれっきゃない。大げさに考えなくていい、これは近代化改修なんだ。死体から有用な部品をとるのとなんら変わらない。他者から奪って得をするゼロサム・ゲームじゃなくて、どちらのためにもなるノンゼロサム・ゲームなんだよ。おまえの一部としてあたしを日本に帰らせてくれ。頼んだぜ」。それまで喋りどおしだった深雪が静かになった。横目で確かめると煙草が半開きの口から落ちていた。目を開いたままでまばたきもしていなかったが、深雪らしい冗談だろうと気にしなかった。ここで取り乱せば、深雪は発作のように笑いながら「ドッキリ大成功! 深雪さまがそう簡単にくたばるもんかい」とからかってくるに違いないのだ。

 夜が更けても深雪はなにもいわなかった。翌朝になっても深雪は微動だにしなかった。また夜になってもドッキリに引っ掛からない元長波に文句をいわなかった。

 

「だからわたしは深雪にいわれたとおりにした」

 元長波は元朝潮に平坦な声でいう。元朝潮は息を呑んで傾聴している。

「ナイフで腕やら脚やらの肉を削ぎとって、そこらへんの枯れ草でくるんで、土に埋めて、一日待ってから、食べた。飢えてるからか美味い。それ以上に、深雪の肉がわたしと同化しているっていう実感が力を生んでくれてる気がした。同時に、ああ、これから先、生き残ったとしたら、わたしは一生、この味を忘れられないんだろうなって、どこか他人事みたいに考えてたなあ」

 深雪の全身をあらかた食べ終わるのに一週間かかった。三日目以降はよく焼いてから口に入れた。

 最後の肉片をほとんど焦がしながら食べているとき、近くで砲声が轟いた。ここしばらく背景にすぎなかった爆音が急に親しげにすり寄ってきた。

「“こんなことってあるか?”って思った。苦しんで苦しんで、可愛がってくれた先任の肉まで食って、みじめったらしく生き延びようとしてるところへ、こんな絶望だけが待ってるなんてことが? ままならないもんだなって、深雪の肉を暢気に噛みながらあきらめた。腹減ってたんだ。つぎつぎ樹木がぶっ倒れる。砲煙がたちこめる。さあわたしを殺すのはただのイ級か、当時名付けられたばかりのナ級か、鬼とか姫なのか、ともかくそのツラだけは目に焼き付けとこうとしたんだが」

 元長波は含み笑いをもらす。

 果たして火炎のなかから姿を現したのは、レーベレヒト・マースやマックス・シュルツ、プリンツ・オイゲンに、磯風、川内……まぎれもなく艦娘たちだった。

「わたしをみるや、生存者発見だの、大丈夫ですかだの……みりゃわかるだろ、大丈夫なわけあるかって喉元まできたけど。オイゲンなんか、流暢な日本語で“助けにきました。もうこの島は大丈夫です”なんていうから、気が抜けちゃってね、なにもいえなくなった」

 

 六月十五日、日本海軍は本土より海外特派艦娘を含む十個海上師団をジャムに投入し、逆上陸作戦を敢行。ジャムの深海棲艦は形勢不利とみるやすぐさま退却戦に移行し、同月十八日にはカレー洋へと完全な撤退を完遂した。鮮やかな引き際だった。32軍の三ヶ月にわたる死闘がむなしく思えるほど、あっけない幕切れだった。

 

 ジャムを軽んじ、捨て石とみなしていた日本が、突如として方針を転換したのは、五月下旬にアラスカで行われた日米2プラス2の場において、対深海棲艦に関する安全保障に話が及んだおり、米国防長官が、わが国は内政干渉をする意図はないがと前置きしてから、「日本は32軍がジャムで奮闘して時間を稼いでいるあいだ、いくつかの師団を抽出してもなお盤石な本土防衛体制を築いたとわれわれはみている。本来、現状の体制を築き上げるまでに32軍は全滅している計算だった。しかし彼らは善戦し、いまなお戦力をいくらか残存していると報告を受けている。座して全滅とジャム島の制圧を待つよりも、本土防衛に支障をきたさない範囲内で戦力を拠出し、32軍およびジャム島の救出作戦を遂行することが、貴国の中長期的な国益に資するものであると強く確信している」と述べたことに端を発している。日本は32軍が決死の覚悟で圧倒的な敵と戦っているあいだ、ただ本土防衛の戦力を肥大させることにのみ血道をあげていた。防衛体制が整ったあとのロードマップを描いていなかった。アメリカに物申されるまで、玉砕寸前の32軍へ増援を送ることに考えが及ばなかったのである。先見洞察に乏しいうえ、時局の変遷にあたって臨機応変に対応する合理性と柔軟性に欠けた、硬直化した官僚組織の悪弊だった。

 

「なんにせよわたしは助かった。でも、あと一ヶ月、いや一週間でも早ければ、どれだけの艦娘が助かったことか。中央のお偉方がもっと早く決断してくれていれば」

 元長波は悔やんでも悔やみきれない。

 

 元朝潮らのひそんでいた洞窟にも深海棲艦を追い落とした艦娘たちが救援に訪れた。

「呼びかけの声がこだまして、自然なイントネーションだったのですが、やっぱり怖くて、坑道口付近の曲がり角から様子を伺いました。たしかに艦娘でした。わたしたちと違って制服が垢や血や泥やシラミで真っ黒じゃない。煤とかは付着していましたけど、とてもきれいな身なりの艦娘たち。わたしは思わず叫びました。声はほとんど出ませんでしたが」

 

 救援に駆けつけた艦娘たちは、洞窟からわらわらと出てくる仲間や現地住民らの弊衣蓬髪ぶりに一様に言葉を失った。骨が浮き出るほど痩せ細って自力では歩けないものさえいる。着るものもない裸形を吸血性の虫にたかられている艦娘もいた。助けにきた艦娘のなかには、鵠面鳥形(こくめんちょうけい)となった同胞のあまりの悲惨さに泣き出したり、だれにいわれるでもなく敬礼したりするものもあった。

 

 32軍の艦娘、将兵らには撤収の船が用意されているとのことだった。一刻も早く医療の救いが必要なものが大勢いた。元朝潮は撤収のときを振り返る。

「鎮静剤で眠っている霞はわたしが船まで運びました。搬送してくれるとはいわれたのですが、わたしがやらなければと、なぜか強く思ったんです。港はすべて壊されていたので、アネダク湾からLCAC(エアクッション艇。ホバークラフト)が沖合いの護衛艦までピストン輸送しているとのことでした。どうしてあんな弱った体でニャヤキ半島から山道を経てアネダクまで人ひとり背負って歩けたのか、いまとなってはわかりません。アネダクの砂浜には島の各地から32軍の生存者たちが集まっていました。三ヶ月前にこの海岸へ深海棲艦が大海嘯のごとく殺到していた光景がきのうのことのように思い出されました。海も海岸も埋め尽くす敵に計画的後退するしかなかったのが、うそのよう。珊瑚のかけらを拾ってポケットにしのばせる子もいました。墓所と決めて臨んだ戦場の思い出のよすがか、遺骨も残さず轟沈した僚艦の形見のかわりか……。だれもほとんどなにもいうことなくLCACに乗りました。傍からみれば亡者の行進のようだったでしょうね。それから輸送艦へ……艦内も32軍でいっぱいでした。なかには乗艦するなり安心してそのまま息を引き取る人も……。ウェルドック(上陸用舟艇を発進させることのできる格納庫)はつぎつぎにLCACで人が運ばれてきますから、わたしは霞を連れてデッキにでました。みんなが船縁に立って、同期の散った山、自分が死守していた丘を一心に見つめていました。沖から望むジャム島は、ミニチュアのようで、“こんなものか? こんなものを守るために、わたしたちは必死に戦っていたのか?”という、一種異様な感慨をわたしにもたらすと同時に、ここをやっと離れられるという実感がようやく得られて、安堵のあまり、足腰から力が抜けてしまいました。そのとき、いままで意識を失っていた霞が目を覚まして、自分が船の上にいるということを理解したとたん、叫んだんです。“わたしをあの島へ帰して。同期の磯波と約束したの、どちらかが轟沈して片方が生き残ったら、お骨を内地へ持って帰るって。島に行かせて!”」

 元長波は黙って聴いている。

「艦から飛び降りそうだったからみんなが押さえつけていました。そんな約束は初耳でしたが、ひどく取り乱して、必死というか、恐ろしい大罪を犯してしまったような顔だった……。あの子は戦死することより、友人を連れて帰れないことのほうが怖かったんだと思います」

 元朝潮は元長波を見据える。

「美談だと思いますか? 島を離れることができて立てなくなるくらい安心しきっていたわたしと、骨を拾うためだけにまた地獄へ舞い戻ろうとしているあの霞と、いったいどちらが正しいのか、わたしにはわかりませんでした。いまでもわかりません」

 元長波にも答えはだせない。だれにもわからない。終わりのない自問自答がいまでも続いている。

「その霞ってのは……」

 予感に元長波は尋ねる。元朝潮が頷く。

「十五年前、天皇誕生日に催された一般参賀で、畏れ多くも両陛下に直訴した、あの子です」

 ふたりは死者への惜別の念に触れた。死にたくない、生きたいと強硬に抗った元霞が、自ら命を絶つにあたって、その胸にどんな思いが去来していたのか、もう永遠にわからない。だれにも。

 

 深雪の肉で命をつないでいた元長波は、担架でアネダクの美しい砂浜まで運ばれた。体重はわずか二十五キロしかなかった。輸送艦の医療施設で治療を受けた。体力の限界で意識がもうろうとしていたが、眠りに落ちるわけにはいかなかった。目が覚めたらまたジャム島の洞窟に戻るかもしれないと思ったからだ。鎮静剤で彼女はようやく瞼を閉じた。

 

 32軍司令官は部下の一兵でも島にあるうちは帰国の便に乗れないと最後まで残った。司令部要員を除いた32軍所属の最後の生存者を乗せた輸送艦が抜錨した六月二十三日、司令官は支度があるからと壕の奥へ戻った。銃声に驚いた幕僚たちが駆けつけると、司令官は従容と自決していた。そばには戦死した艦娘将兵ならびに非業の死を遂げたジャム島の住民に詫びる旨をしたためた遺書があったという。

 十万もいた32軍の生存者は、わずか五〇〇〇。

 ジャム島民の死者は約三十万二〇〇〇名にのぼった。この戦いで、ジャム島民は、その三分の一が死んだ。

 

 元長波は帰還後そのまま入院させられた。

「栄養失調やら脱水症状やら浮腫やら腹水やら、いろいろあった。自分じゃ気がつかなかったが、体中、寄生虫だらけだったらしい。なんでもかんでも食ってたからね。とくに腸には回虫がぎっしり詰まってたとか。血液にもいろんな寄生虫の成虫から幼虫から卵から混じってたそうだよ。駆虫して、ちゃんと体が栄養を吸収できるようになってから、バケツで手を治した」彼女は五指の揃った左手をひらひらさせる。傷病から回復した報告のため出頭した横須賀鎮守府で、恩師の摩耶助教と一年ぶりの再会をしたのだった。

 

 ジャム戦は終結したが戦争は続いた。ジャムでの苦闘は世界各地で繰り広げられていた深海棲艦との戦いのひとつにすぎない。また新たな作戦がはじまる。変わらずあしたはくる。

 おなじように、戦争が終わっても、人生は続く。生きて終戦を迎えてしまったものにとっては、戦争は人生の一部にすぎない。また新たな人生がはじまる。変わらずあしたはくる。

 

 だが、戦争の終わらない元艦娘たちがいる。軍を去り、なんの目標もみつけられずビルの清掃員やスーパーマーケットのレジ打ちなどだれでもできる仕事で糊口をしのいでいた元朝潮に、転機が訪れる。

「子宮がんがみつかったんです。もちろん、変調をきたしてから病院にかかったものですから、もう子宮を摘出するしか助かる道はありませんでした。二十三歳のときです」

 現役時代に修復材で繰り返し再生させたことによる弊害だと思った。死傷艦娘支援局に問い合わせた。だが国からは特別の補償はなかった。

 

 退役艦娘への年金が財政を圧迫していた。戦時中はいくら艦娘がいても足りなかったから好条件を提示する必要があったし、また納税者である国民の理解も得られていたから解体後も厚遇を約束できていたが、いざ戦争が終わると、ただの厄介な負担になりはじめた。戦時体制から平時への移行において、内需拡大をはじめとした経済対策は急務だった。日本は資源を外国から輸入し、製品にして輸出するしか稼ぐすべのない国だから、四周環海の島国でそれを十全にやるには、永い戦争で喪失した船腹を国策ですみやかに増産して回復させてやらなければならない。海運大国再建のためにも巨額の財源が求められた。*1

 

 国家予算一二〇年ぶんともいわれる戦時国債の返済もあり、わが国は財政緊縮を急ピッチで進めなければならなかった。そのなかで政府は百万人を超える退役艦娘たちの恩給に白羽の矢を立てた。

 戦時中は、退役艦娘の年金をカットしたり、解体後の医療費無償などの特権を廃止したりすれば志願者の減少が危惧されたために、恩給は改革の手が及ばない聖域という位置づけだった。だが深海棲艦の勢力が絶滅寸前となったため艦娘の保有数も限定的なもので間に合うようになっている。もう艦娘や元艦娘たちを良条件で遇してやる必要はなくなった。いまさら艦娘の志願者がいなくなったとしても困らない。与野党が一体となって聖域なき改革に着手した。それはまるで、奮闘している32軍から中央のご都合主義で9海上師団を強引に抽出した仕儀にも似ていた。

 

「修復材が使えれば、子宮も摘出したあと再生できたのでしょうが、金銭的に、がんの手術をするだけでも大変で……」

「がん保険とかは?」

「加入していませんでした」元朝潮は若かった自分の見通しの甘さを恥じた。「まさか自分が、という甘い考えがあったことは事実です。減らされた年金と、少ない手取りでは、がんの保険なんて、とても。退役前の授業で教えてもらった、高額療養費制度*2や、限度額適用認定証*3を利用したのですが、それでも苦しかった」

 艦娘経験者のがん罹患率が有意に高いことから、解体を控えた艦娘たちはがん治療や術後を支援する公的な助成制度のレクチャーも受けていた。

「でなければ、がん患者は障害年金をもらえる可能性があるなんて、思いもよらなかったでしょう」と元朝潮。

「ああいう解体前の学習プログラムは軍なりの最後の親心だったんだろうな。とかく世の中は制度を知ってないと大損こくから」と元長波。

 術後も投薬治療を続け、副作用で手足のしびれに悩まされるなど、生活に著しい制限がかかる場合、2級の障害者と認定される可能性がある。障害者というと四肢の欠損や盲目をイメージしがちだが、がんによるQOL(生活の質)低下もまた障害年金受給の資格たりえる。

 具体的には、がんと診断されたのが二十歳以上六十五歳未満で、公的年金を納付しており、がん治療が長期化した場合である。艦娘は一年以上の勤務で年金の受給資格は満たされる。艦娘学校での訓練期間も勤務実績として計上されるので、実際にはすべての艦娘は公的年金の受給資格はクリアできる。大腸がんの手術で人工肛門を増設するなど身体に変化が生じた場合だけでなく、抗がん剤の副作用による倦怠感や末梢神経のしびれ、出血といった内部障害であっても障害年金の受給資格はある。

 障害年金は日本年金機構による年金システムの一種だが、これに加え、がんを発症したときに厚生労働省が定める障害者認定も受けられる場合がある。胃や乳房の切除だけでは障害者認定はむずかしいが、公共の交通機関はおおむね半額になり、タクシーも割引になる。公共料金も割引の対象だ。水道料金なら最大で七十パーセントも割引される。自動車税、自動車取得税も減額され、飛行機の運賃も最大四十パーセントの割引が受けられる。

 

 公的制度の授業を受け持った航巡艦娘利根は、“生徒”たちにこう釘を刺していたと元朝潮は追想する。

「公的な助成制度という奴は、向こうからこんなサービスがあるぞなどとは教えてくれんからな、こっちが調べて申請せんといかぬし、払ってしまった後からではカネは戻ってこん。税金をとるときは黙っておっても督促状を送りつけてむしりとっていくというのに、現金なものよの。よいか、保険が“もしものときのカネ”を積み立てておくものなら、いま教えた公的制度は“払わなくてもいいカネ”を知っておくものじゃ。日本人ならどんな有象無象でも受けられるサービスじゃからの、利用できるものは遠慮のうとことんまで利用しつくしてやれ」

 みんな笑ったが、逆にいえば、退役艦娘といえど、ただの一般国民とおなじ公的制度しか利用できないということだ。戦時中は元艦娘の医療費は全額無料だった。終戦後すぐに廃止された。

 年金は共済年金だが、これも元艦娘の受給額は削減の対象となった。平和の配当だった。おまけに、受給額の減額をふくむ関連法案が施行される以前から年金を受給されていた元艦娘は、減額の対象外とされた。事後法を適用してはならないという理屈だ。これからも年金を死ぬまで満額給付される元艦娘と、引き下げられた年金しか受け取れない若い元艦娘との格差が対立構造を生んでいる。退役艦娘たちがいがみ合っているうちは政府に矛先が向くことはないだろう。

 

「医療費控除や、さまざまな減免制度や障害年金を全面的に活用しても、戦争後遺症で仕事が長続きせず、PTSDの投薬治療やカウンセリング、グループセラピーにも時間がとられて、貯金をとり崩していた時期でした」

 手術により元朝潮は一命をとりとめた。転移もみられず、まずは術後五年を再発なしで過ごすことができた。

「そのあいだ、いろいろなことを考えました。たまたま今回は助かったけれど、次はどうかわからない。バカなわたしに、がんというわかりやすい命の危機を与えることで、あしたもきょうとおなじように生きられるとは限らないということを、なにかが教えてくれたのかもしれない。だから助かったのかも、と」

 悩んだ末、世の中に貢献できる仕事をしようという結論に行き着いた。退役艦娘庁に斡旋された職で地固めしながら、苦学して介護福祉士の資格を得て、介護の道へ進んだ。

「戦前の日本は、平均寿命が八十歳を超えていたそうですが、戦争が終わったことで、また高齢化へ向かうのではないかと思いました。老いた母をみていると、これから先、お年寄りが増えることはあっても減ることはないだろうと考えて、それで介護の仕事をしようと。リタイアしたという意味では、わたしもお年寄りのかたがたもおなじでしたから」

 元長波も同感だった。戦争と軍隊で過ごしたわずか八年のあいだに、一生ぶんの活力を使い果たした思いだった。何十年も生きた気がした。戦後二十二年間の日々を全部濃縮しても、戦地の一日にも及ばない。死が自然なかたちで常にそばにあった。だからこそ逆に生の実感をも強烈に得ることができた。胃痛によって胃の存在を意識するように、ほかならぬ死が、なによりも生を輝かせていた。死なくして生もまたありえない。元長波はまつ毛を伏せた。あのころ、わたしたちは確かに生きていたのだ。

*1
のちにこれは後付けの理由であったことが判明している。戦争末期には深海棲艦による民間船舶の被害は皆無に近づいており、終戦の数年前から保有船腹はすでに純増をはじめていた。戦時中の特例だった補助金制度の延長ないし固定化を謀った造船業界と政界との癒着もあきらかになったことで、いわゆる造船疑獄に発展。取材記者の質問攻めに開き直った渦中の与党幹部は「水心あればフネ心あり」と放言し、流行語にもなった。日本国債最大の債権国であるアメリカが債務国日本のデフォルトを防ぎ経済を活性化するために癒着を扇動したといううわさもある。

*2
年収や家庭環境に応じて一定額を超過した医療費を事後に取り戻すことができる公的制度。月あたりの自己負担額を十万円程度に抑えられるが、保険と同様にとりあえずは窓口負担ぶんの全額を自分で支払わねばならない。

*3
先立つものがない低所得者のために、窓口での支払いが制度適用後の金額になる制度。術前の申請が必須


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