栄光の代償・元艦娘たちが語る対深海棲艦戦争(GHK出版新書)   作:蚕豆かいこ

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十六  吉志舞

 かつて355-010012として従軍していた元神威(かもい)は、仲間たちとともに白い息を吐きながら、北海道新冠(にいかっぷ)にある猟区内の溜め池に、本物と見まがうカモの模型を二ダースも設置した。カモは群れる性質がある。ほかのカモが大勢いる安全な場所だと本物に判断させ、おびきよせることが狙いだ。ただしカモは鳴き声でコミュニケーションをとる動物なのでデコイからなんの音もしていないと簡単に偽物とばれてしまう。だから元神威や元秋津洲(あきつしま)、元速吸(はやすい)、元瑞穂(みずほ)、元大鯨(たいげい)の五人は、数種類の鴨笛を南洋の土人の首飾りのように首にかけている。ただ吹いただけだとドナルドダックの物真似にしかならない。だが種類と吹き方によって、餌をみつけた声、あいさつの声、着水を促す声などを再現できる。それらをひとりではなく複数人が唱和することでより高度に偽装する。

「神威さんの僚艦だったっていう長波さんが戦争中にいたジャム島では、人間の声真似で誘い出した深海棲艦がいたそうですね」

 元速吸が木々に隠れながら元神威にいう。元速吸自身は608-040119だった元長波とは面識がない。

「わたしたちは深海棲艦とおなじことをしていると?」元神威はカモの日常会話を装うための笛を口元に寄せる。

「これで偽物の言葉に釣られてカモたちがおびき寄せられるかと思うと、いつも不思議な気がします。わたしたちは意思を相手に伝えるために、対応した音の連なりを語彙から選定して組み合わせて外部言語に翻訳し、言葉にしているでしょう。逆に、言葉という体裁が整っていれば、それが本当に意思疏通を目的としているものなのか、ただの無意味な音声がたまたま言葉のように聞こえただけなのか、判断がつかないんじゃないですか? ジャム島の人々が深海棲艦にあざむかれたように」

「わたしは、深海棲艦と会話をしたことがありますよ」

 元神威を四人が一様に驚きの顔でみやる。十年来の付き合いだが初耳だった。幼少のみぎり、多くの死者を出した深海棲艦の北海道砲撃の場に居合わせながら、ただひとり無傷で救出されたという元神威の来歴も、信憑性をもたせることに助力していた。

 好奇の視線が注がれるなか、元神威は意味深長な笑みを浮かべる。「通訳だってできます。そう、たとえば、“彼女は怖がってる!”とか」

 冗談だとわかった元速吸たちは笑う。すぐに収めて笑顔すら消す。カモに存在を気取られてはならない。雨香(うこう)ただよう秋霖(しゅうりん)にもかかわらず五人ともサングラスをかけているのは視線を隠すためだ。カモは人間の白目の動きを数百メートル先から視認できる。人間と同等の視力と色彩認識力をもちながら視野が三〇〇度もある。なによりも学習能力が鳥の最大の武器だと、散弾銃に散弾実包を装填しながら元神威はいう。

「公園のハトでも、歩いて近づくとすぐに逃げますが、自転車に乗っていると轢かれる寸前まで動こうとしません。自転車からいったん下りないと自分たちを捕まえられないとわかっているからです」服装は背景に溶け込む迷彩柄にするべきだが、彼女たちは目立つ色合いのハンティングベストやウェアと帽子を着用している。「安全性を担保できるなら、獲物に逃げられるくらい、たいしたことではありません」

 

 風が背後から溜め池の方向へと吹き付けて木々をざわめかせる。元神威たちは切り換えて鴨笛を吹く。ぐわぐわ。やがて騙されたカモの群れが上空に現れる。安全確認のために何周も旋回する。段階的に高度を下げ、しかしいつでも逃げられるよう速度は維持したまま、旋回で周到にあたりを確かめる。根比べだ。三十分以上もそれが続く。人間よりよほど手順を厳守している。石のように動かない元神威は感心する。ぐわぐわ。群れがさらに高度を下げてくる。精巧なカモのデコイは水面下に沈めたモーターとワイヤーにより完璧な陣形を組んで航行している。端までくれば反転してまた逆の端まで行く。旋回中にハンターの姿をみつければカモの勝ちだ。ぐわぐわ。

 

 情勢が動いた。カモたちが速度と高度を落とす。池の風下から進入してくる。ファイナルアプローチ。元神威たちの正面だ。元神威は風向きも読んで位置についていた。

 しかしいくらデコイの出来がよくても近いと見破られる。デコイを用いた狩りを学習されたら二度と通用しなくなる。水面まで十メートル。元神威は降下中のカモの一羽に狙いを定めた。

 だしぬけに何羽かがけたたましく騒いだ。アラートコールだ。射手に気づいて仲間に知らせている。群れは慌てて高度を上げようとするが降下の慣性が邪魔をしている。

 元神威たちは各個に空へ銃口を振り上げた。銃声、銃声、銃声。散弾がカモたちをからめとる。元神威、元大鯨、元速吸、元瑞穂が二羽ずつ仕留める。

 激しく羽ばたいて逃げようとしているカモを元秋津洲が銃身をスイングさせるように狙う。三十インチ、フルチョークの銃身から続けざまに放たれた三発の七・五号弾はみごと三羽の獲物を撃ち抜いた。カモが惰性で放物線を描きながら石のように池へ落ちていく。生き残った群れは一目散に安全圏へ飛び去った。

「わたしがいちばん、かも!」

 元秋津洲が撃ち殻薬莢を拾いながらよろこぶ。

「三発とも命中なんてすごいです」と元大鯨が賞賛する。

「本当に」と元瑞穂も釣り用のウキと釣り針でつくった回収仕掛けをつけた竿をキャストして感嘆する。

「鴨撃ちは秋津洲さんには敵わないなあ」と元速吸がうらやましがる。

 

 カルガモの首を掴んで拾う元神威は、安心した顔をしている。狩猟が成功したことに、ではない。元神威は語る。

「みんないろんな事情があって艦娘になりました。戦争で仕事をした。戦後、わたしたちを待っていたのは、温かい言葉ではありませんでした。復員船から港に下りたとき、艦娘母艦で一緒に乗り組んだことのある士官――ええ、男性のかたです――をお見かけしたので、お礼とお別れを申し上げていたら、その人の奥さんがわたしを睨みつけて、いったんです。“知ってるよ。あんたたちは男漁りのために軍に志願したんでしょ。軍では女の子はちやほやされるでしょうからね。人の亭主に色目を使ってんじゃないわよ。戦争のあいだ、いったい何本くわえこんだんだか”。わたしはそれが冗談だと思いました。いえ、思い込もうとした……荒くれものの駆逐艦娘たちが交わすような類いの皮肉だと。だって、軍の男性と恋愛をしたことも、体の関係を結んだこともありませんでしたから……。彼女の表情から、怒りと軽蔑、非難以外の色を必死に探そうとしました。そんなものはありませんでした。わたしはその場をすぐに立ち去るべきだったんです。でも当時のわたしはまだ若かった……潔白を証明したかった。士官のかたに救いを求めて目配せしてしまったんです。彼が苦虫を噛み潰した顔になったのがわかりました。迷惑そうな顔でした。それに、目線を交わす様子が、奥さんにはとても親密な仲のようにみえたのでしょうね。彼女は靴を脱いでわたしに投げつけました。そして唾を吐きかけた。港には大勢の士官や下士官がいました。家族や愛する人との再会を祝って……だれもがわたしには無関心でした。あるいは横目でみるだけだった。作戦で戦地へ向かうときには、水兵さんも下士官も士官も、みんなが大切にしてくれました。母艦で航海しているあいだ、わたしたちにベッドを譲って、自分たちは固い床で横になっていたんです。本当の妹か娘みたいに接してくれました」

 元神威の笑顔が翳る。「戦後、わたしたちを守ってくれるものはありませんでした。まるで彼らはわたしたちのことを忘れてしまったかのようでした」

 

 元艦娘が暴行事件を起こす。するとこのように報道される。「彼女はかつて艦娘として従軍していました」。元艦娘が薬物を使用したとして逮捕される。するとこのように報道される。「彼女はかつて艦娘として従軍していました」。

 母親となった元艦娘が、夏の暑い盛り、駐車場の自動車に幼い子供を残して買い物へ行く。帰ってくると子供は車内で熱中症により死んでいる。するとこのように報道される。「○○署は保護責任者遺棄致死の疑いで母親の××容疑者を逮捕しました。彼女はかつて艦娘として従軍していました」。家にひとりで留守番させるわけにもいかず、スーパーマーケットまで一緒に乗せていったが、到着したころには子供は後部座席でぐっすり寝息をたてていた。可愛い寝顔だった。起こすにしのびない。すぐに戻るからね、とエンジンとエアコンをかけたまま車をそっと離れた。だが店内は混雑していて、思うように買い物が進まない。目を覚ました子供は、ママどこ、ママどこ、と泣きながら車内をあっちこっち移動する。外に出ようと手当たり次第に触る。ふとした拍子にエアコンを切ってしまう。あるいはエンジンのキーを回してしまう。閉めきった車内の温度はあっという間に五十度以上にまで上昇する。子供にはどうすればいいかわからない。ドアのロックを解除して出ればいいなどというのは大人の勝手な言い分だ。だれにでも起きうることだ。元艦娘であろうとなかろうと。だがメディアはこう報道する。「彼女はかつて艦娘として従軍していました」。

 元艦娘たちは元艦娘であることを隠さなければならなくなっていた。祖国の土を踏んだ瞬間にそれを思い知らされた。

 おかえりとただいまが入り乱れる港で、ほほの唾を拭うこともできずひとりうちひしがれている元神威の肩を叩くものがいた。おなじ船で帰国した元長波だった。「気にするなよ」。元長波はいった。「あの手の女は旧口動物から進化しそこねていて、口と肛門が分離しないまんま育ったんだ。だから口からクソを垂れ流すのさ」。駆逐艦娘一流の励ましだった。気が楽になった。だから迎えに来てくれていた友人たちにみっともない顔をみせずにすんだ。

「現役時代からあの長波さんは抜きん出ていました、2水戦だということを考慮しなくても。陣形を組むにあたって、いつもいちばん危険な位置に、自然といました」

 無欲の英雄は自ら率先してそうするものなのだろうと、元神威を含めただれもが思っていた。まさか元長波がどうすれば死ねるか考えていただけだったとはだれひとりとして知らなかった。まさか元長波が、おかしくなった自分が生きて家族のもとへ帰って、なにか取り返しのつかないことをしでかしてしまう前に、深海棲艦に撃沈されなければならないなどと考えていたとは。まさか下手に生き延びて犯罪者やみじめな自殺者になる前に、祖国のために戦った非の打ち所のない英雄として散華したいだけだったとは。

 元神威は知らない。だからいまでも元神威は元長波を変わらず尊敬している。

 

  ◇

 

 元長波を乗せた鉄道が八戸のフェリーターミナルへ到着したのは宵の口を過ぎたころだった。乗船した彼女はすぐに何錠もの薬を飲み下して眠りにつく。彼女には休息が必要だった。機関の震動。岸壁から離れる船。海峡へ出て横波を受けたフェリーはひどい家鳴りのようなみしりという音を立てた。船旅に慣れない旅客たちから驚きの声があがる。床が絶えずゆっくりと揺れる。現役時代に乗ったどんな輸送艦より快適だと彼女は思っている。同時に、今夜だけはジャムの夢をみないよう祈っている。祈りは通じた。

 

 翌日、曙光がきざす前に元長波は目を醒まし、また薬を何種類も服用して、子供のようにデッキへあがる。潮風に髪をもてあそばせる。水天から夜が少しずつ洗い流されている。彼女は伸びをする。

「護衛の艦娘もなしに船旅ができて、雷撃や触雷の心配もなく寝てられる。最高だね。作戦で出撃してるときよりも船で運ばれてるときのほうが憂鬱だった。ふつう、一本の魚雷じゃ一隻の艦娘しか撃沈できない。でも船に詰め込まれてる状態じゃ連艦隊(定員三〇〇〇名)まるまる海没ってこともありうる。支援要員らはもちろん、いくらわたしたちでも艤装――正確には燃料タンク――がなけりゃ脊椎に寄生虫飼ってるだけのただの子供だからね。とくにジャムへ異動させられたときみたいに、艤装が別便だったりしたら、避妊具を忘れてきたときみたいに不安だったよ」

 というのも、人類は最後まで艦娘でしか深海棲艦を駆除できなかったからだった。

「深海棲艦を人類の難敵たらしめていた要素はいくつかある。まずゴグ、マゴグみたいに数が多いこと(ゴグ、マゴグはヨハネの黙示録に登場する悪魔。その数は海の砂より多いとされる)。つぎにステルス性能が高いこと。体表が電波を吸収する性質を持ってるらしくてね。つぎに静粛性。とくに初期は、モノホンの潜水艦乗りたちは生物のエコーを探知する訓練なんかしてなかったからカ級だのヨ級だのの好餌になった。そして、干渉結界だ。戦術的にはこれが深海棲艦の最大の武器といっていいんじゃないかな」

 

 水が液体から気体に変化したり、あるいは氷になったりすることを相転移という。宇宙には水素が金属の固体の状態で存在している星があるように、常温では気体である空気もまた、条件しだいで相転移することがある。

 深海棲艦が発生させる極端な電磁場の変化は空間をも相転移させる。状態の異なる空間の境界にはエネルギーのギャップが存在し、そのギャップを埋めるために一方からの運動エネルギーも熱エネルギーも吸収される。ゆえにおよそあらゆる攻撃が無効化されてしまうのだ。この原理はしばしば、滝を登っていくようなものと例えられる。エネルギーギャップを落差と仮定し、外部からの攻撃手段は滝を登るあいだにエネルギーを消耗させられる。結果として強力無比な盾となるのである。

 虹色に揺らめいてみえるこのフォトン・リアクティブ・シールドのために、当初の人類は深海棲艦になんら有効打をあたえることができなかった。また、複数の個体が結界を同時展開すると干渉力は単体のときよりも幾何級数的に増大する。艦娘実用化以前では最後の軍事作戦であるディープブルー作戦においては、南太平洋に遊弋する十七体の深海棲艦に対してアメリカ合衆国が三五〇発の熱核兵器を投下したが、南海の至宝トケラウ諸島が世界地図から消え失せ、太平洋の五分の一を核汚染するという代償を払ったにもかかわらず、目標の撃沈はおろか、ヲ級の一隻に損傷を与えた以外、めぼしい戦果を挙げることはできなかった。

 

「でも深海棲艦のいちばんやっかいな性質は、やっぱりあの赤潮バクテリアだろうね。いまでもペルシャ湾やハワイ周辺、メキシコ湾、地中海の生態系は完全には回復してない。戦争は終わってないんだ」

 元長波はフェリーの船腹を海流で洗う津軽海峡を眺望する。

「こんな青い海が、血みたいに赤く染まってた。見渡すかぎり溶けかけた魚やクジラや海鳥の死体だらけ。あれは江風だったか、変色海域への出撃ははじめてだったそいつが、白く腐って浮いてる魚をみて“水が魚を食ってる……”っつってゲロ吐いた。あの臭いは何度も吐いて慣れるしかない。母艦に帰ったら出迎えの水兵までが吐くこともあったくらいなんだから。わたしたちの服にも髪にも腐敗臭が染み付いててね。どうかな、いまは?」彼女は自らの袖口を嗅いでみせる。確信に満ちた顔で頷く。「うん。これは加齢臭だな」

 

 深海棲艦は深海に生息する未知のバクテリアやウイルスと共存していた。異なる生態系の菌、ウイルスはときに大量破壊兵器になる。ポンティアック戦争においてイギリス軍は天然痘患者に使用していた毛布を「和解のあかし」としてネイティヴ・アメリカンに贈呈した。天然痘にまったく免疫のなかったアメリカ先住民たちはなすすべもなく倒れていった。おなじように、深海棲艦による生物的汚染は目にみえないだけ深刻だった。

 なかでももっとも人類の生存を脅かした深海棲艦由来汚染は、赤潮バクテリアの別名でも知られるバクテリア、ウレコット・エッカクスだった。

 ウレコット・エッカクスは代謝の最終生成物として微小酸素(マイクロオキシジェン)を排出する。マイクロオキシジェンは凝縮点がマイナス一八三度であるなど基本的な性質は通常の酸素と変わらないが、より反応性に富み、とくに硫黄や水素と容易に結びついて硫酸に変化する。深海棲艦は孵化から第三幼生までは硫酸イオンで呼吸し、第四以降にはマイクロオキシジェンを利用するため、ウレコット・エッカクスの存在はそのライフサイクルの全ステージにおいて欠かせない。石油を体内で精製してエネルギーを生産している深海棲艦は通常の酸素では代謝が追いつかないために、化学反応を加速させるマイクロオキシジェンが必要なのだ。

 一方で炭素生物がウレコット・エッカクスに感染すると恐ろしい事態を招く。ウレコット・エッカクスは生存と繁殖のために窒素や二酸化炭素を取り込み、マイクロオキシジェンを発生させる。マイクロオキシジェンは体内の硫黄、水素と化合して硫酸となる。

「つまり体のなかで硫酸がどんどんつくられるから、生きながら内臓を溶かされるんだ。ウレコット・エッカクスが大量発生して赤くみえる海水を飲むか、粘膜に触れさせて感染した場合、十二時間以内に適切な処置を受けなければ、もうだめだ。溶けた内臓を血便として尻から垂れ流しにして、七転八倒しながら人間としてのかたちを失っていく。人間だけじゃない。深海棲艦以外のあらゆる生物が死んでった。死体をウレコット・エッカクスが食ってまた硫酸にするから海そのものが緩衝作用の限度を超えて酸性にされてしまう。せいぜいpH4.0から4.5くらいだから、海水で溶けるってとこまではいかないけど、海の生き物は酸性化に耐えらんないからね。まさに死の海だよ」

 マイクロオキシジェンの脅威は生物だけにとどまらなかった。マイクロオキシジェンのような微小分子は金属を構成する結晶粒のあいだにある結晶粒界に入り込むことができる。微小分子の吸収を許した金属は強度がいちじるしく低下して、もろくなってしまう。

「だから変色海域で戦うときは大気中にも大量のマイクロオキシジェンが放出されてると考えなきゃならない。NBCキットで本体を保護してても、赤い海に長くいると艤装がラング・ド・シャみたいにぼろぼろになっちまう。これは非常に危険なんだ。もろくなってんのに気づかないまま主砲をぶっ放そうとして暴発して沈んだ奴は多い」

 元長波は煙草に火をつける。「青い洋上で煙草を吸おうとするだろ、そしたらライターの火がボッと勢いよく燃え上がって、前髪とか眉毛とか焼いちゃって、叫ぶんだ。“赤潮野郎が近づいてるぞ!”」マイクロオキシジェンの放出により空気中の酸素濃度が高くなっていたためだ。装薬の燃焼速度に与える影響は無視できなかった。

「迷惑千万なバイ菌を持ってきてくれたもんだよ。そういう意味では深海棲艦は生物兵器を使用したともいえるね。いずれにしても、赤い海なんてもう二度とみたくない。やっぱり海は青くないと」

 船上からは北海道の陸地が望める。風が豊穣な有機物の吐息を含んだ磯の香りを運んでくる。正しい匂い。生き物の匂い。いい匂いだと彼女は感慨にふけっている。

 

  ◇

 

 鴨撃ちから一週間後の早朝、元神威は苫小牧港のフェリーターミナルで元長波を迎えた。

「ひさしぶり。元気にしてたか」元長波が手を差し出す。

 元神威は両手で包み込むようにして握る。「またこうして逢えるなんて」元神威の目尻には涙が滲んでいる。

「きょうは時間をつくってくれてありがとう」元長波は笑っていう。

「訪ねてきてくれて、ありがとう」いいながら元神威は何度も頷く。

 元神威は、ともに迎えに出ていた元瑞穂と元速吸、元大鯨を紹介する。元神威は五十歳で、ほかの面々も似たような年齢だ。「ゲートボール大会ができそうだね」冗談を口にしながら元長波はひとりずつと握手していく。

「わたしの同期にイムヤがいるんだ。もしかしたら、あんたの世話になったことがあるかもしれないね」元長波は、そんな偶然はないと思いつつ元大鯨にいった。

「そのかたはご存命なのですか?」

「会ってきたところよ。無病息災とはいえないけど、夢のためにがんばってた」

「ぶしつけですが、期別は?」

「六十五期」

「六十五期生で、いまも生きてらっしゃる元イムヤだったかたというと、640-010731ではないですか?」

「そう、そいつ。〈緯度0大作戦〉の」

「やっぱり」元大鯨の顔が輝く。「あの作戦ではわたしが旗艦だったんです。イムヤちゃんからは、ときおりあなたのお話をうかがったことが」

「いい話かな」

「艦娘学校時代、持続走で、変わったかけ声をした最初の訓練生だったとか」

 元大鯨は婉曲な表現にとどめた。元長波はあっけらかんとしている。「へえ、どんな?」

 元大鯨は観念する。「おっぱいとか、乳首がすれるだとか」

「よし、間違いないな」元長波は顎を引く。みんな吹き出す。一気に元長波への親近感を抱く。

「イムヤちゃんは、水泳の訓練で浮き輪に乗せられてたといってました」

「いわなけりゃばれないのに」

 元大鯨は元伊168といまでも連絡をとりあっているという。透析の件も知っていた。終戦を迎えて第二の人生を歩もうとしても、戦争がいつまでもつきまとう。

 それぞれが軽トラックやSUVを運転していったん銃砲店へ向かう。彼女たちの猟銃が委託保管されている。

「銃を車に乗せてここへ来たんじゃだめだったのか」

 助手席に座る元長波は軽トラックを運転する元神威に興味本位で尋ねる。話題はなんでもいい。話すことさえできれば。かつての戦友がいまなにをしているか知ることさえできれば。

「猟銃を携帯した状態だと、狩場と保管場所以外に立ち寄ってはいけないんです。猟の帰りにコンビニでお弁当を買って、銃の所持許可が取り消しになった、なんてケースも」

「厳しいな」

「しかも、猟銃の所持許可は、個別の銃に与えられるものなんです。艦娘なら、十二・七センチ連装砲のMOS(Military Occupational Speciality)特技区分。自衛軍内だけで通用する資格)があれば、どの十二・七センチ連装砲でも使えたでしょう。でも銃の所持免許は、個体ごとにとらなければならないんです」

「まったくおなじ種類の銃でも、別の個体はまた別個に許可をとらないとだめなんだ?」

「ですから、射撃場でおトイレに行くときに猟友に銃を預けたせいで取り消しになったという事例も実際にあります」

「使わなくても?」

「持ち上げただけで所持になりますから、許可がない人が手渡されたら、その時点でふたりとも銃刀法違反ですね」

 元長波はすこし考える。

「じゃあ、鉄砲店に行って、気に入った銃があったとしても、実際に構えて感触を確かめるなんてのは?」

「お店のなかでは大丈夫です。さすがに、小火器を手に取らないまま購入しなければならないような事態は回避されていますね。自分に合う道具をあれこれ試して探すんです」

「むかしは艤装に体を合わせろっていわれてたが、軍にもそれくらいの思いやりがほしかったね」

「艤装は一期一会でしたからね」

 ふたりは懐かしんで笑う。

 

 映画ではエースの艦娘専用の艤装があるかのように描かれることがままある。『南方海域強襲偵察!』でも、主役の金剛は撃沈した敵の数だけ砲塔にキルマークをペイントしていた。

 しかし実際には艦娘は出撃ごとに割り当てられた艤装を着装する。そのため艦娘と艤装は基本的には元神威がいうとおり一期一会だった。

 一方で、個々の艤装には専属の整備部隊がつく。艤装ごとにわずかながら異なるクセや、整備状況、履歴といった情報を一元的に管理するためだ。艤装整備員は航海隊と検査隊のふたつに大別される。航海隊所属の艤装整備員は日々の整備や点検、出撃のための準備を担当する。検査隊の整備員は定期点検や故障した艤装の修理を行なう。

 固有の艤装を管理する艤付(ぎつき)整備員は航海隊に所属している。神経接続整備員、砲熕兵装整備員、水雷兵装整備員、電子機器整備員、救命装備整備員、艦載機を搭載している場合は航空機整備員らが一丸となって、専門的な技術を要する整備を任されている。艤装の艤付整備員らをまとめる整備責任者を艤付長(ぎつきちょう)と呼ぶ。艤付長は神経接続整備員を兼任する。艤装は艦娘のものというよりはこの艤付長のものといったほうが正しい。艦娘たちはアサインされた艤装を艤付長から借りて出撃するのだった。

 

 元神威らの馴染みという銃砲店で、整然と並んだガンロッカーから各自が猟銃を、別室の装弾ロッカーから弾薬を取り出す。元神威たちのほかにも店にはハンターたちが多く居合わせて情報交換していた。

「アイオワから、アメリカじゃ釣りに行く感覚で親父が息子を狩猟に連れていくって聞いたけど、日本でもわりとよく狩りをするんだな。猟友会くらいしかいないのかと思ってたけど」

「日本では、古来、狩猟は貴人のたしなみでもあり、庶民にとっては欠かせない生活の糧でもあったんですよ」

 元瑞穂が愛銃を点検しながら元長波に教える。肉は一般的に「にく」と読むが、これは音読みで、訓読みでは「しし」である。「し」とは「地べた、下、死ぬ」などを意味し、ふたつ連続した「しし」とはすなわち「死んで地面に」倒れている肉のことである。死肉とは食肉にほかならない。肉がいかに重要な食糧であったかがうかがえる。

「人間の生活に密接に関わるものには、優先的に名前がつけられる傾向にあります。それゆえ好んで食用にしていた野生動物は、食肉を意味するシシの名前で呼ぶようになったのでしょうね」と元瑞穂はいう。

「イノシシとか?」

 元長波に元瑞穂は猟銃をケースに収納して笑顔で頷く。銃をむきだしで運ぶわけにはいかない。

「最初は食肉となる動物をすべてシシと呼んでいたと思われますが、味や、最適な狩りの方法の違いなどで、やがて種類によって区別するようになったのでしょう」

 イノシシは、「い」の「しし」であると考えられる。

「山に入るといちばん多く遭遇する野生動物はイノシシです。古代でももっとも身近な獲物だったと思われます。そのため、一のシシということで、イノシシと名づけたという説があります」

「いのいちばん……いの肉……なるほど」

「シカは、カノシシと呼ばれることもあります。鹿革が古代日本でもっとも愛用された革製品であったことから、皮にも価値がある食肉動物で、皮のシシという名前になったという説、もしくは、お肉にかぐわしい香りがあることから、香のシシと呼ばれたという説のふたつがあります」

「沖縄の慶良間では、いまでもシカのことをコウノシシというらしいですから、香りのあるシシという説にも信憑性はありますよね」元速吸が付け足した。

「このように、シシは、動物を狩り、そのお肉をタンパク源としていた習慣から自然と生まれた生活用語であることがわかります。また、万葉集の九二六首と九二七首にはこのような歌がございます……」

 元瑞穂は涼やかな声で歌を詠んだ。

 

 安見知之(やすみしし) 和期大王波(わごおほきみは) 見吉野乃(みよしのの) 飽津之小野笶(あきづのをのの) 野上者(ののうへには) 跡見居置而(とみすゑおきて) 御山者(みやまには) 射目立渡(いめたてわたし) 朝獵尓(あさがりに) 十六履起之(ししふみおこし) 夕狩尓(ゆふがりに) 十里蹋立(とりふみたて) 馬並而(うまなめて) 御獵曽立為(みかりぞたたす) 春之茂野尓(はるのしげのに)

 

 やすみしし(枕詞)、我らの大君は、吉野の、秋津の小野の、野のほとりには、跡見(足跡などから獲物の向かった方向を推測すること。また、その役目の人)を配置して、山には、射目(待ち伏せするために身を隠す設備)を隅々まで設けて、朝の狩りに、鹿や猪を追い立て、夕の狩りに、鳥を追い立て、馬を並べて、狩りをご覧なさる、春の草が茂る野で。

 

 足引之(あしひきの) 山毛野毛(やまにものにも) 御狩人(みかりひと) 得物矢手挟(さつやたばさみ) 散動而有所見(さわきてありみゆ)

 

 あしひきの(枕詞)、野にも山にも、御狩人(狩りに興じる天皇)が、矢をたばさんで、狩り場で勢子や犬が騒ぎ立てて獲物を追い込んで狩りをなさっているのがみえる。

 

「天皇も狩りがお好きだったようで、朝狩り、夕狩りと夢中になられていたようです」と元瑞穂は猟銃のケースを背負う。「仏教の普及とともに、六七五年には天武天皇が犬、牛、馬、猿、鶏の五畜の肉食を禁止する詔を出しましたが、おもしろいことに、イノシシは例外とされていたんです」

「いちばんよく食べる動物を除外とは、なかなかのザル法だ」

「しかも、禁猟は四月から九月までにかぎられていました。農耕期ですね。食肉が必要になるのは冬のあいだの作物が育たない時期でしたから、とくに問題にはならなかったようです。農耕すべき季節に農民が狩猟に励んでお米をつくらなくなってしまうことを防ぐ意味合いが強かったものと思われます。田畑を耕す牛を食べてしまわないようにするためでもあったのかもしれませんけれど」

 天皇や幕府は奈良時代から江戸時代までたびたび肉食の禁令を発布した。裏を返せばそれだけ日本人に肉食の文化が根付いていて根絶しがたかったことを意味する。

「現代は畜産や冷凍冷蔵の技術、輸送機関が発達していますから、家畜により食肉の需要はまかなえておりますが、それらのなかった時代では、狩猟が命をつなぐ大切な手段であったことには違いないでしょう。わが国の狩猟は米食よりも古い文化なのです」元瑞穂が論を結ぶ。元長波も納得する。

 

「きょうの狩りは、新冠の人里におりてきて競走馬用の牧草地を食害するエゾシカの駆除です」

 猟長でもある元神威がいう。

「現在、日本における有害鳥獣による農作物の被害額は年間二〇〇億円あまりにもなります」

「そんなに」元長波は驚く。

「そのうち、六十億円ほどは北海道が占めています」

「試される大地か」

「北海道以外では、農作物の被害は六割がシカやイノシシ、サルによる獣害です。しかしここ北海道では、被害の九割がシカによるものといわれています」

「シカは、植物であればたいていのものは食べちゃうんです。ササも、芝も、せっかく生えた新芽も。樹皮まで食害します。ですから木々が立ち枯れを」元大鯨が深刻な表情を浮かべる。「シカが山を荒らしてしまうと、ちょっとした雨や地震でも地滑りが起こりやすくなりますし、渓流に土砂が流れ込んで、魚たちも棲めなくなります。北海道の自然は鹿害(ろくがい)によって破壊されつつあるんです。いえ、もう取り返しのつかないところにまできているのかもしれません」

「わたしたちも狩るのはほとんどエゾシカです。たまにイノシシが罠にかかるくらいですね」と元神威が話す。元長波は首をかしげる。

「北海道にイノシシがいるの?」

「ほとんどは、限りなくイノブタに近いイノシシですけれど」

 元神威がいうには戦時中に本州から泳いで渡ってきたイノシシが元になっているらしい。温暖化の影響で北海道でも太平洋側の南部なら越冬できるようになったようだ。

「最近はつまずいて転んでも温暖化のせいにされるご時世だけど、ウォースパイトやアークロイヤルなんかは、温暖化のおかげで、イギリスでもワイン用のぶどうが栽培できるようになったっていってたっけ」元長波は思い出していう。

「艦娘だったころは、神威として二十・三センチ連装砲や十五・五センチ三連装砲を搭載することもありましたが、いまのわたしの相棒はこの銃です」元神威が使い込まれた三十口径のライフルを矢先(銃口。また、その向いている方向)に注意しながらロッカーから取り出し携行ケースへしまう。四人があらためて狩猟者記章と銃所持許可証、狩猟登録証の携帯を確認して、ふたたび車に戻る。

「狩り場の拠点になるクラブハウスには、秋津洲ちゃんが待ってます」元神威がステアリングを操る。

 

 小屋のようなクラブハウスにはたしかに軽トラックが一台先着していた。元神威らと同様におしゃれなハンティングウェアの女性が出迎える。

「あなたが長波さん?」笑顔で握手を求めてくる。

「元だけど」元長波も笑って手を握る。

「わたしは秋津洲だったの」固く握った手を上下させる。

「秋津洲ちゃん、ワンちゃんを長波さんに紹介してあげて」

 元神威が促す。彼女たちはいまでもお互いを現役時代のように艦名で呼びあう。元長波も、親友の元朝霜の本名を知ったのは終戦のあとだった。艦娘はみんなその調子だった。

 戦争が終わったいま、ふだんの生活では彼女たちは本名で呼ばれている。元艦娘どうしで集まる機会には、日々の現実を離れて、艦娘に戻れる。つかの間の夢。

 元秋津洲が三頭の犬を連れてくる。いずれも中型犬で、雑種だが、いかにも精悍、全身の筋肉に活力がみなぎっている。

「この子がいちばんベテランなの。タイテイちゃんだよ」

 元秋津洲はわが子のように自信を持っている。

 元長波は犬を撫でながら感慨深げにみつめる。

「大艇ちゃん……こんなに毛深くなって……」

「大艇ちゃんそのものじゃないかも! そう名前をつけてるだけかも!」

 元秋津洲をよそにタイテイちゃんは元長波の口元を猛烈に舐めまわす。敵意のない証拠だ。くすぐったいと元長波は笑う。

「人懐っこい犬だ」

「山に放すからね。登山客を噛んだりとかしたらたいへんだから、人に馴れさせる訓練をしてるの」

 元秋津洲は猟犬のブリーダーでもあるという。

「きょう狩りに出るのは、ほかにカタリナちゃんと、ちはやちゃんだよ」

 二頭の犬も元長波に鼻先を押しつけ、押し倒さんばかりにむしゃぶりついて、手や顔を舐めた。

「どうして狩りに犬を使うんだ?」

「野生動物は人間の何万倍も嗅覚や聴覚が鋭いからね、人間がやみくもに探し回ってもまず獲物と出会えないの。しかも気配を完全に消せる。そういうときはわたしたちでさえ、十メートルそばを通っても気づけなかったりする」元秋津洲が猟犬たちを慈しむように撫でる。「だから犬に獲物の匂いを辿らせて、襲わせて、ドタドタ逃げてるところを仕留めるんだ」

「なるほどね。写真を撮っても? フラッシュはオフにする」

 元秋津洲は快諾する。元長波は携帯電話のシャッターを切る。

 

 撮影しながら、元長波はブルネイに勤務していたときに2水戦で可愛がっていた犬を思い出している。最後に赴任したブルネイ。はじめて配属されたときとは別の国に思えた。変わったのはブルネイか、それとも元長波か。基地の近くをうろついていた野良犬に餌をやった。その犬は現地の住民たちより元長波たちに懐いた。あるとき、犬がブルネイの警察官にひどく吠えた。吠えるのをやめないので警官は警棒で犬の頭を殴り飛ばしたあとナイフで喉笛を切った。なにも知らない元長波が基地に帰ると、水煙草の煙が立ちこめる控え室で2水戦の仲間が大笑いしていた。仲間は犬の報復に、警官を取り囲んで三十分も暴行をくわえたうえ、全裸で自慰行為をさせ、その動画をインターネット上にばらまいてやったのだと、哄笑の合間から説明した。元長波もおなじように大声で笑った。2水戦の艦娘たちは例外なく笑っていたが、例外なくその目は疲れ果てていた。だれもが長い従軍で磨耗していた。祖国より外国での暮らしのほうが長いことを認めたくなかった。彼女たちの笑い声だけを聞けば、なにも問題ないように感じられたが、彼女たちの笑顔をみれば、そうでないことがわかった。平均年齢十七歳の部隊だった。

 

 元長波は、元秋津洲の犬を撮影した写真に「こいつらとハンティングだ」とメッセージを添えて元朝霜に送信する。元秋津洲が命じると三頭の猟犬は自ら軽トラックの荷台に飛び乗った。狩りがはじまる。

 ふたたび元神威の軽トラックの助手席に乗り込んだところで、元朝霜から返信が届く。「頭は大丈夫か?」

 元長波は笑う。

「それは、わたしも教えてほしいところだよ」

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