栄光の代償・元艦娘たちが語る対深海棲艦戦争(GHK出版新書) 作:蚕豆かいこ
その夜、元長波たちは元神威宅でシカの焼肉を囲んだ。一口食べて元長波は顔を輝かせる。
「本当だ、花みたいな甘い香りがする。香のシシだっけ、あれはあながち大げさじゃないな」
みんながころころ笑う。自分たちが狩った肉を美味いといわれて喜ばないハンターはいない。
シカの分厚いベーコンも格別だった。匂いも少ない。
「カンメシ(缶詰の携帯口糧)のベーコンステーキとは大違いだ。ありゃあ味はともかく匂いがすごかったもんな。缶を開けるとテントの空気が一瞬で汚染された。三日も連食したら体臭がベーコンに」元長波が思い出していく。「アイオワは全然気にしてなかったけどね。お互いミリメシを交換してみようってなって、ベーコン缶をあげたら大よろこびだった。なんせあいつ、歯みがき粉までベーコン味だったくらいだから。いっぺん使わせてもらった。うまかったよ。あれなら子供も進んで歯みがきする」
「サラトガさんの持っていたチョコケーキ味の歯みがき粉を試させてもらったことはありますね。歯みがきしてるのに虫歯になりそうでした」元神威が腸間膜を鉄板に広げながらいう。
「戦闘職ってやっぱりたいへんだった?」元秋津洲が肉を裏返す。
「どんな仕事にもその仕事なりのたいへんさってのはある。戦闘はたしかに重要な役目だけど作戦に占める割合でいえば末端のごく一部だからね。でも、そうだな、お腹から腸がこぼれたまんま母艦に帰ったときはたいへんだったよ。艦にあがって最初に塩落としするだろ、小学校のプールと脱衣場のあいだにあるシャワーロードみたいな奴。あれをくぐるときにはらわたに水がめちゃくちゃ沁みるんだ。“おい、これ海水使ってんじゃねえだろうな!”って」
迫真の語り口に一同が吹き出す。
「わたしが入隊して数年後には、痛覚を感覚じゃなくてデータにする技術が実用化されたから、演技でもなけりゃシャワーで痛がることはなくなったけどね」
作戦前の注射に含まれる微生物サイズの機械たちは、本人の生体電流をエネルギー源とし、戦闘におもむく艦娘をあらゆる面でサポートした。それまでは体感という極めてアナログかつ情報共有の困難な方法で確認するしかなかった疲労や精神状態をも数値化し、管理可能にした。
艦娘の損傷箇所、出血量と血液残量、血中糖度、水分残量、心拍数、呼吸数といった、戦闘に影響をおよぼすあらゆる物理的状態を体内ナノマシンが取得し、彼女たちにはそれらを総合的に反映し視覚化したゲージが設定された。体内ナノマシンは負傷を検知すると即座に損傷個所を組織閉鎖して、血小板を大量に生成し出血を止め、必要なら旗艦の許可を得て本人を冬眠状態に入らせる。よって、ゲージが満タン、すなわちナノマシンを潤沢に保有している状態の艦娘は、脳か心臓を破壊されないかぎり、死亡することはまれである。ゲージは艦娘が負傷して血液ごとナノマシンが流出するごとに減少する。ゲージ残量が二十五パーセントを切るとナノマシンの絶対数が不足し、自力での応急処置どころか止血さえできなくなるので作戦行動は不能と判断される。このように艦娘の“体力”を視覚化し、本人、僚艦、指揮艦、母艦司令部が一元的に管理できるようになったことは、戦場の制御に欠かせない情報化に計りしれない寄与を果たした。まるでゲームのようだと当時の元長波は思った。顧客のためにユーザビリティを極限まで追求するコンピュータゲームの操作性こそ、戦争に求められるものだった。米軍の原子力潜水艦の潜望鏡はXboxのコントローラで操作されている。
痛覚の情報化もナノマシンによる支援のひとつだ。負傷しても痛みを感じることはない。代わりに痛みが生じている旨の警告をコンタクトレンズの拡張現実に表示する。あくまで情報として被害状況を本人に報せるのだ。元長波はハンバーグになるまで戦っていた海防艦娘たちの散りざまを思い出している。出撃する前日、母艦のラッタルをつかってグリコの遊びをしていた海防艦娘たち。グーで勝った
「わたしはもともと艦娘になるつもりはなかったんです。友だちの付き添いで地本に行ったら、わたしにだけ艦娘適性があった。それも貴重な潜水母艦だから是非にと。それ以来その友だちは口を利いてくれなくなりましたが」
元大鯨がいうとどっと笑いが起きる。腸間膜でシカ肉を包む贅沢に舌鼓を打ちながら、話題はそれぞれの身の上話に移る。元艦娘は初対面の元艦娘にかならず話す。「なぜ艦娘なんかに?」と。
「当時二歳の子供がいました」元大鯨はつづける。「潜水艦隊は一度派兵されると二年か三年は帰れませんし、任務中となると何ヵ月も連絡がとれないことも。主人が泊地へビデオレターを送ってくれていました。子供ばっかり映して、自分は声だけしか入ってなかったり。テープが擦りきれるくらい何度も再生しました。みては毎回泣いたわ。わたしが海の上で潜水艦娘たちを待っているあいだ、子供はしゃべれるようになった。自転車に乗れるようになったのもわたしが南太平洋にいたとき。子供の成長を実感できる大切なイベントはほとんど映像でした。わたしは立ち会えなかった。子供には申し訳ないことをしたと思います。おかげで私立に入れてあげられましたが、派兵されてるとき、子供はわたしに電話をしてくるたびに泣いていました。“ママもう帰ってくる?”、“ごめんね、まだ帰れないの”。胸が痛みました。任務を終えて、帰還が決まって、潜水艦娘の子たちが開いてくれた送別会の最中に、延期を知らされたことも。夫と子供にはがっかりさせてばかり。内地に帰るたびに子供は大きくなっていました。終戦で解体されて帰国したときには、もう抱っこもできないくらい。主人も港で暖かく迎えてくれました。しあわせでした。これでやっと母親に戻れる、すべて元通り、そう思っていました、そのときは」
元大鯨は食べごろに焼けたシカ肉を箸でつまむ。母親が死んだら、炊事や洗濯など、彼女のしていた仕事を残った者が分担してこなしていかなければならない。最初はたいへんだ。しかしそのうち慣れる。何年か経てば、最初から母親なんていなかったようにちゃんと家のなかが回るようになる。死んだのならもう戻ってこないからそれでいい。だが生きて復員してきた艦娘は?
「出征する前は家族の一員として欠くべからざる役割を担っていたはずなのに、みんなわたしがいなくても、実によくやっていました。主人と子供は協力して家事をこなして、ふたりともそれに慣れきっていた、わたしがいない、ということに。なのにわたしはいきなり戻ってきた。わたしはなにをすれば? わたしは艦娘になる前の、ただの母で妻だったころ、いったいなにをしてたんだろう? 家族はわたしが帰ってきたことで、わたしに居場所をつくるため、家を出たあの日にわたしの穴を埋めるのとおなじくらいの労力を注ぎ込まなければならなくなりました。食器ひとつとっても、内地に配属されてた子とちがって、水は貴重品だったからラップをかけて使うのが身にしみついちゃってたんです。母さん、お皿にラップなんてやめてくれよって子供に文句をいわれたときは、なによ、贅沢いわないでよって、頭にきたんですけど、おかしいのはわたしのほうだった。だって、家では蛇口をひねればいくらでも真水が出るの、お湯でさえ! きっとわたしが鬱陶しくてしょうがなかったに違いありません。たまに帰ってきてはまた派兵で、十五年ものあいだほとんど離ればなれだったんです。赤の他人同然になってた……それでも家族は、そんな様子をおくびにもみせようとしなかった。いっしょうけんめい、わたしが生きて帰ってきたことの喜びで打ち消そうとしていた。それがわたしにはいちばんつらかった。もう、本音をぶつけあって喧嘩する仲じゃなくなってたんです」
元大鯨は笑みのままいう。
「そうして、しばらくして、気づくんです。この女は別人だ。戦争に行くまえのあの母か妻だった彼女は、もういない。顔だけそっくりの別人になって帰ってきた。止まっていた家族の時間をまたそこから動かすんじゃなくて、すべて最初からやりなおさなければならないんだと。なにを? すべてをです。すべて。距離感や、あしらいかたや、感情の発火点、なだめかた、人となり、そういったものを覚えたり……すべてを」
戦時中の帰還は二週間から二ヶ月でまた派兵だった。なにか不都合があってもすぐにいなくなるからお互い「まあそんなものさ」ですませられた。退役となると家に一生いることになる。気に食わないことがあっても一生我慢しなければならない。
「子供が独立して、つぎの年に離婚しました。夫婦はもともと他人です。子供がいればなんとか楔になります。その子供がいなくなれば、もういっしょにいる理由が見当たらなくなって……ふつうの夫婦は、子供が独り立ちするまでのあいだに並行して絆を育めるから、老後もふたりで過ごせるのでしょうが、わたしたちにはその時間がありませんでした。夫婦としてともに生活すべき時期に、わたしが艦娘になって家を空けていたから……」
元大鯨の子供は同居を提案している。彼女には応じる勇気がない。
「息子はすでに家庭を築いています。その家に割り込んで、わたしはどんな存在でいればいいのか。きっと邪魔者にしかなりません。気持ちはうれしいのですが、いまさら母親面なんて……」
独り暮らしの元大鯨にとって、いまは元神威の会社で働くことが生きがいになっている。
「わたしは従軍中、どうしても子供がほしくて、夫と相談を重ねて、代理出産を」
元速吸がランイチという美味しい部位を元長波に勧めながら明かす。
「仕事は大切でした。でもあの人との子供も産みたかった。補給艦娘の仕事は大規模作戦でこそ必要とされますから、なかなか妊娠のタイミングがなくて」
妊娠した艦娘は出撃リストから外される。駆逐艦娘は年齢の関係で全寮制だったが、戦艦や空母艦娘のうち既婚者は基地の近くに家族が住んでいるなら自宅からの通勤が認められる。大規模な作戦への参加が内示されるや、妊娠して動員を逃れようとする既婚艦娘が続出するようになった。みかねた防衛省はつぎのような通達を出した。「作戦参加内示の後に妊娠して派遣が不可能となった場合、その者の同期を代理として派遣する」。命惜しさに同期を売ることは艦娘にとってもっとも恥ずべきこととされていた。うわさを流されれば軍に居場所はなくなる。以来、大規模作戦前に妊娠が発覚するケースは激減した。
「夫の精子と、わたしの卵子を代理母になってくれる女性の子宮に移して、わたしは任務へ。夫も海軍の下士官でしたから理解してくれました」
「官品ベイビーか」
「きっと生まれながらの軍人だって、よく笑いあってました」
出産を知ったのは、ビスマルク海を航海中の輸送艦に届いた動画でだった。夫が産まれたばかりの赤ん坊を抱いて感涙にむせんでは、「ほら、目元なんかきみにそっくりだろう?」とあらゆる語彙を駆使して感激を伝えようとしていた。
「動画をみながら、わたしは不思議な気持ちでした。母親なのに出産に立ち会えないなんて。わたしは自分の身勝手さをはじめて思い知らされて、動画を見終わったあと、あたりはばからず泣きました。不妊でもないのに、子供を身ごもって産むまでの不自由な思いや苦痛を他人に押しつけたんです。そして不安でもありました。妊娠や出産の苦労と痛みを知らないわたしが、あの子をちゃんと自分の子供だと実感して、母親として愛してあげられるかどうか……」
元速吸は子供時代に虐待されて育った。
「母にはよく叩かれました。幼稚園に上がったときのことです。母に、おなじ組のあの子はちゃんと十まで数が数えられるのに、なんでおまえは詰まるんだって、何度もグーで殴られました。何度も何度も。そして赤く腫れた自分の拳をみせながらこう怒鳴ります。“おまえを殴るとあたしの手が痛いんだよ! あたしに殴らせるな!”。母親というものは、子供に自分を重ねます。子供を通して周りの人たちから褒められたい。母にとってわたしは自分の承認欲求を満たすためのペットだったんです。母はいわゆるできちゃった婚でした。艦娘にもならず未成年で母親になった彼女へのプレッシャーは相当なものがあったと思います。だから焦っていたんでしょうね、周りの子たちより自分の子は発達が遅いのではないかと。母親になったいまなら、子供のもの覚えには同年代でも多少の誤差があるものだとわかります。その程度の誤差も母には許せなかった。特訓と称して、洗面器に水を張って、百まで数を数えさせられて、ちょっと詰まると顔を沈められました。また最初から数え直しです。殴られそうになって両腕で頭をかばうと、手をどけろ、本当に自分が悪いと反省してるならおとなしく殴られろと顔じゅうを口にして叫びます。食事どきに食べ物を落とすと激昂し、お料理の乗ったお皿に顔を押し付けられました。“こうしたら食えるだろ!”と。泣くとよけいに怒りました。“本当につらいのはあたしなんだよ。あたしは、賢くて可愛い子供、優しい夫の家庭に憧れてたんだ。なのにおまえもお父さんもあたしの理想の邪魔をする。かわいそうだろ? 本当にかわいそうなのはおまえじゃなくてあたしなんだ。いっちょまえに泣いてんじゃねえよ!”。父は育児にはいっさい興味を示さない人でした。父と家にふたりっきりのときに、思いきって助けを求めたんです。“お母さんに叩かれるの”。テレビで映画をみていた父の、あのうっとうしそうな顔は忘れられません。“知るか、黙ってろ。おれだってガキがほしかったんじゃねえんだ。勝手に生まれやがって”。わたしには一家団欒の記憶はありません。覚えているのは、殴られるか、九九を間違えて鉛筆を手に刺されるか、なじられるか、無視されるか。そうやって育ったわたしも、子供におなじことをしてしまうんじゃないかと急に怖くなって……」
遠い海で母親になった元速吸を仲間たちはこう慰めた。「そう思えるあんただからこそ、いい親になれる資質がある」。
「彼女たちは子供の誕生を自分のことのように祝福してくれました。みんな沈んでしまいましたが、弱いところも恥ずかしいところもさらけ出すことができたし、逆に悩みごとを包み隠さず披瀝してくれた。彼女たちはわたしのかけがえのない親友です。いいところだけしかみせようとしない人なんて、信用できませんから」
元速吸は両親の消息を知らない。
「両親にはいまでも憎しみしかありません。ですから、猟銃を持ってるときだけは、現れないでほしいですね」
満座が大爆笑に包まれる。
元瑞穂は十一歳のとき、処女を実の父親に奪われた。
「狭い家でしたから、両親と三人で川の字になって寝ていました。あの夜、父が動く気配がしたので、小用にでも立つのだろうと思っていたら、わたしにゆっくりとおおい被さってきました。寝間着のなかに手を滑らせてきて……父は薄笑いを漂わせながら口を手で塞いできて、声をあげないようにと人差し指を立てました。自分で自分の口を両手でおさえて、必死に我慢しました。だってすぐ隣では母が寝息をたてているんですもの……。しばらくは毎晩父の相手をさせられました。とうとう耐えられなくなって、父がいないときを見計らい、母に打ち明けたのです。母は驚き、つぎに、瑞穂を汚らわしいものをみる目で睨みつけました。母は女性として娘に負けたと思ったのでしょう。あの家に味方はいませんでした。小学校の卒業が待ち遠しかった。父から逃れるには艦娘にでもなるほかはありませんでしたから」
瑞穂という艦名と九桁のシリアルナンバーが新しい名前だった。名前と同様に新しい自分に生まれ変われると期待した。あえて自らを瑞穂と呼ぶことで、入隊以前の、艦娘になる前の自分の存在を否定しようとした。だが、瑞穂のキャリアを何年積んでも、泊地に勤務していた男性と交際するようになってからも、父に汚された記憶は悪夢となって、たびたび彼女を苦しめた。元瑞穂はいっさいを打ち明けた。隠したままでいることもできた。しかし彼の献身的な愛には誠意で応えなければならなかった。彼は涙を流した。「つらかったね」と元瑞穂を抱きしめた。「話してくれてありがとう。とても勇気がいることだ」。そしてひざまずかれた。「傲慢かもしれないが、きみの背負っているものをぼくにも分けてくれないか」。元瑞穂は泣きながら彼に抱擁した。その男性はいま元瑞穂の夫となっている。もう父の夢をみることはない。
「海外派遣からの帰還では夫と協力して子供たちを驚かせました。最初の帰還はちょうどクリスマスでしたから、帰ることを子供たちには知らせずに、大きなプレゼント箱に入って家に届けていただいたのです。夫が“お父さんからのクリスマスプレゼントだ。開けてごらん”といって、子供たちがリボンを解いて、蓋を開けた瞬間、“ただいま!”と。子供たちはびっくりして、泣きじゃくりながら抱きついてきました」
五年後、二回目となる帰還のときも、三人の娘たちには日取りを教えなかった。学校に協力を取りつけた。授業中、教師はおもむろにいった。「きょうは特別ゲストに来ていただいています」。そこで元瑞穂が教室に入った。「ママ!」。叫んだきり娘は絶句した。後ろの席の子に背中をつつかれてようやくわれに返って母に駆け寄った。クラスメイトたちは拍手で親子の再会を祝福した。ほかのふたりの娘にもおなじことをした。いちばん下の娘は、元瑞穂が教室に入るなり号泣しながら机のあいだを駆け抜け飛びついた。娘の級友たちが拍手をし、口笛を吹いた。
「艦娘になっていなかったら、神威さんとも、いまの主人とも会うことなく、高校で古典の教師でもしていたでしょうね」
という元瑞穂に、戦争がなかったらいまごろわたしはなにをしていたのだろう、結婚していただろうか、と元長波は思いを馳せる。
「地本の募集官にだまされたのよ」
元秋津洲はシカのロースを頬張りながらいった。
「海軍はとってもスマートな業務で、勤務は八時間、週休二日、いろいろ資格もとれて、名誉除隊なら再就職でも有利とかなんとか。でも実際に入ってみたら、艦娘学校では一日じゅう腕立てや屈み跳躍をさせられ、怒鳴られ殴られて。たまたま基地で募集官に会うことがあったから、文句をいったの。“聞かされていたのと違う!”。そしたら募集官は、怒ってるわたしに笑いながら“わたしはきみを助けたんだ。あのとき軍に入ってなかったら、きみは友だちとつるんでただろう?”。そりゃそうよ、それのなにがいけないのって訊いたら、“いまごろドラッグに溺れてたはずだ”。そんなわけないじゃんって、最初の休暇で帰郷したら、学生時代によく遊んでた友だちが覚醒剤の常習者になってた。あの募集官は正しかったのね」
元秋津洲は、未婚のまま母親になった。子供の父親に妊娠を告げた。よろこんでくれると思っていた。相手は気色ばんだ。「怪物が産まれるんじゃないか」。
PT小鬼群は深海棲艦に卵を産みつけられた艦娘の腹のなかで寄生体をとり込んで育ち、母体を食い破って誕生する。元秋津洲の交際相手はインターネットで聞きかじって、艦娘はPT小鬼群を産むものと勘違いしているようだった。
「そういう誤解をしてるくせに、よく元艦娘とセックスできたな」
「いざ子供が生まれるって段になって、不安になったのかもね」
産んだ子供が先天的欠陥を有する確率は、艦娘、艦娘経験者、そのどちらでもない通常の女性で、有意な違いは認められないとの統計が出ている(厚生労働省・人口動態統計月報年計の概況)。艦娘や元艦娘への差別には、深海棲艦から摘出した寄生生物を人体へ移植することに対する嫌悪感が根底にあるといわれている。
「わたしたちだって好きで寄生虫を脊髄に住まわせたわけじゃないのに。そうする以外、どうやって深海棲艦と戦うのか教えてほしいよね。だいいち、解体されたらもう寄生虫はいないんだから」食べながら元秋津洲は笑ってみせる。子供はひとりで育てた。「わたしよりずっと出来がいいかも」自慢の息子を元秋津洲は携帯端末の画像で元長波に自慢する。わたしは自分の世話だけで精一杯だったのに、と元長波は液晶のなかで白い歯をみせながらピースサインしている少年を通して、元秋津洲に敬意を抱く。同時に、おなじ艦隊だった
2水戦の仲間に綾波がいた。よくほかの2水戦の艦娘に――もちろんそのなかには元長波もふくまれる――ほほをつっつかれていた綾波。嫌がるそぶりもみせないどころか、右のほほを突かれたら左のほほを差し出せという座右の銘をもっていた綾波。将来の夢はと訊かれて、もじもじしながら「お嫁さんです」と答えるような、元長波いわく「戦争さえなければ平凡な恋愛をして、平凡な家庭を築いていたはずの、可愛らしい女の子」だった綾波。
その綾波が、あるとき、飛びかかってきた軽巡ト級に産卵管を腹へ刺された。ト級は元長波たちによってすぐさま報いを受けた。だが間に合わなかった。産みつけられた幼生が綾波の子宮で急速に成長しはじめていた。仲間はすぐにでも綾波の腹を撃とうとした。2水戦は本隊から離れた遊撃が主任務だった。応急処置を施しても、血中ナノマシンの治癒能力を超える重傷を与えた状態では、遥か遠くにある基地へ帰還するまでに失血で息絶える可能性は否定できない。当時はまだPT小鬼群という呼称すら定まっておらず、対処法も確立されていなかった。艦隊は海上で激論を戦わせた。そのあいだにも、綾波の、まだくびれすらない年相応の体型の腹は、空気を注入された風船のようにみるみる膨張していく。腹が
絹を裂く叫び声が迸ったと思うと、綾波の足の合わせ目の奥、小陰唇もないただの割れ目だった女陰を内部から無理やりこじ開けて、青黒い外骨格におおわれた頭部が抜け出てきた。頭につづいて生白い手が伸びた。人間の赤子の頭だけを深海棲艦にすげ替えたような、異形の新生児だった。笑い声のような産声が海に響いた。綾波が喉の奥でヒキガエルのような悲鳴をあげた。綾波の眼球がべつべつに動いていたことを元長波はなぜか明瞭に覚えている。
綾波はすばやく主砲の砲口を赤子の後頭部に押しつけた。引き金を引いた。弾丸は出なかった。不発弾だった。主砲を捨てた綾波はサバイバルナイフを抜いて逆手に握った。元長波らが止める間もなく、自身の股間から上半身だけ出している赤子の小さな背中へ振り下ろした。
刃に刻まれた小鬼は甲高い声をあげて産道へ引っ込んだ。綾波は憎悪を吐いてナイフを膣へ振り下ろした。胎内から奇怪な苦鳴が聞こえた。綾波は自分の陰部を何度も何度も刺し貫いた。綾波の童顔が返り血でおぞましい化粧を施され、鬼の形相になっていた。膣ごとめった刺しにされた赤子はやがて絶命して、股間からナメクジのようにぬるりと押し出された。
繰り返し刺された綾波の女性器は真紅の地獄となっていた。すさまじい出血だった。血が溶け込んだ直下の海は赤い煙がひろがっていた。悪夢のような光景だったが元長波はひとまず終わったと思った。手当をしようとした。綾波の腹部がまだ膨らんだままということに、考えが及ばなかった。
自分より大きな獲物を丸呑みした深海魚のような綾波の腹が、また蠕動した。へその横に、紅葉のように小さな手のかたちが浮かんでいた。内側からなにかが手を突き出している。孕まされた小鬼は一体ではなかったと元長波が気づいた直後、皮膚の弾性限界を超えて、腹が破れた。血飛沫のなかから短い腕が抜けた。腹部が縦に裂けていった。裂け目は胸まで達した。内部から、血にまみれ、腸管の絡んだ三体のPT小鬼群が飛び出して、金切り声を奏でた。
小鬼たちは危険を察知していたのかすぐさま海中へ逃れた。あとに残された綾波はあまりの衝撃と激痛で白目をむいて失神していた。
元長波たちは急いで綾波を後送した。適切な応急手当と迅速な搬送で綾波は一命をとりとめた。しかし子宮は修復できても原始卵胞や卵母細胞までは再生できなかった。お嫁さんになるのが夢だった綾波は母親になれない体になっていた。
のちにその綾波はネビルシュート作戦の決戦艦隊に酒匂とともに配属された。子供が産めない体だったから選ばれたのかどうかは、元長波には答えがみつからない。
「神威は深海棲艦と話したことがあるって、一度聞いたけど」
肉をあらかた平らげたところで元長波はいった。くわしい話は知らずじまいだった。ジャムで人語を詐術に使う深海棲艦と遭遇した経験から、たまたま会話が成立したような気がしたというだけではないか、と思った。
「わたしも聞きたいかも」元秋津洲らも興味津々となる。
「証明するものも人もないので、信じるかどうかはみなさん次第ですが、もう四十年近くも昔のことですし、わかりました、いいでしょう、このさいですからお話ししましょう。作り話だと思ってもらってもかまいません。わたしがほんの子供だったころのことです……」
元神威は遠い記憶を探りながらあらためて心の整理をつけるように言葉を紡いだ。
いまはもうない小さなコタン(アイヌの部落)でわたしは生まれました。当時、アイヌ語を母語とする話者はすでに絶えていて、コタンもほとんど意地で守り続けていたようなものでした。わたしだって日本人のふつうの子供たちのようにランドセルを背負っていましたからね。アイヌの民族衣装に袖を通すのも、年に一、二回くらい。アイヌだとかいわゆる和人だとかいうことを意識することもなかった。同級生たちも別け隔てなく遊んでくれましたよ。山での遊びはかえって珍しがられて、みんなで雉を追いかけたことも。冬にはコタンの年長者から狩りを教わりました。土間に飾られていた木彫りの
やがてわたしたちがコタンを捨てるときがきました。戦前なら文化財として保存しようという動きもあったのかもしれませんが、すでに戦争がはじまって何年も経っていました。船が海に出れば深海棲艦に沈められ、ひとたびあの赤潮のようなバクテリアが流れてくれば一帯の水産資源は全滅……北海道の漁業は風前のともしびでした。
いちばんの問題は石油です。灯油とガソリンは北海道の生命線ですから、原油価格高騰にともない、道が買い取って安く供給する非常措置が常態化したことで財政は一気に悪化しましたが、そもそも原油の輸入そのものが滞ったため、毎日のように凍死者が出ました。登下校の途中に道ばたで雪に埋もれたまま動かない人をみかけることが、当たり前に。
そんな状況ではアイヌ民族だけを特別に保護するわけにもいかず、時代にそぐわないコタンを伝統だからという理由だけで維持し続けることにも無理がありました。海とさほど離れていなかったことも大きいでしょう。コタンのみんなは、つてをたどって散り散りに……北海道を出た人も少なくありません。
わたしの家族は道内にとどまりました。父は不器用な人でしたから、ろくな仕事にありつけず、東京へ出稼ぎに。一年もすると仕送りの額が減っていき、いつからか送金もされなくなりました。父は東京で新しい女性と暮らしはじめたらしいと大人たちがうわさしているのを聞いたことがあります。掌中の小銭をみつめて途方に暮れている母をみるのは子供心につらいものがありましたね。
その母もむりが祟って病臥に就き、あっけなく息を引き取りました。雪とおなじ体温になった母の体の冷たさをいまでもよく覚えています。
天涯孤独となったわたしは親戚の家をたらい回しにされたすえ、児童養護施設に入ることになりました。その施設も子供たちのことが考えられているとはいえないところでした。入居している子供の数に応じて国から助成金がでる仕組みで、とくに女の子だと支援金が高かったから、集められるだけ集めていたんです。収容人数の制限が緩和されていた時代でした。
そういう施設ですので人手も不足していて、職員の目が届く範囲にも限界がありました。わたしは子供たちから、土人とか、アイヌ女とか呼ばれ、遊びには入れてもらえず、たびたび持ち物を盗まれました。職員のかたには、おまえはよく物をなくすと叱られました。盗まれたと訴えてもろくに聞いてもらえません。わたしが必死に探しているさまを、子供たちは聞こえるように笑って眺めていました。
土人は服を着る資格はないって、みんなにハサミで服を切り刻まれたこともありましたっけ。ハサミが服だけにとどまらず、肌ごと切られたところもあります。ハサミが血で汚れたと殴られました。
教科書に青虫が挟まれていたことも。そんなことを知らずに開いたらページが緑色のどろどろした体液で染まっていましたから、びっくりして悲鳴をあげてしまいました。みんな大笑いしていましたね。
笑うといえば、わたしが「やめて」というと、彼らはとてもうれしそうに笑いました。わたしのいったことを逐一、繰り返して、そのたびにお腹をかかえていました。普段の生活でも一挙手一投足を真似されました。わたしのことをどれだけ大きな声で笑えるか、競い合っているようでもありました。
掃除のときには、雑巾をしぼって真っ黒になった水をかけられたり。食事には唾を吐かれ、木工用ボンドをかけられたりしました。
職員はみてみぬふりでした。やっかいごとを増やしたくなかったのでしょうね。どうせわたしにはいじめに抗議をしてくる親もいませんから。
子供たちからのいじめはひどくなる一方。ある日、リーダー格の男の子が、
「おれの小便を飲んだら仲間に入れてやるよ」
というので、それでいじめられなくなるのならと、膝をついて、口を開けました。彼はわたしの顔に向けて放尿しました。みんなが好奇の視線を注ぐなか一生懸命飲んだのですが、その男の子は「いっぱいこぼれてるじゃないか。それじゃ飲んだとはいえないな」と嘲笑いました。「床ちゃんと掃除しとけよ」。彼は仲間たちを引き連れて遊びに行きました。仲間たちはわざとらしく鼻をつまみながら口々に「小便くさい」と、おしっこまみれのわたしを罵り、通りすぎるついでに蹴っていったりしました。
彼らはみんな不幸な境遇の持ち主です。親に先立たれたか、あるいは捨てられて、親類にも引き取り手を断られ、流れ流れてたどり着いた。わたしのように。しかも女の子なら艦娘になる道がありますが、男の子はそうもいきません。自分がいかに惨めで、未来に希望がもてない存在か、彼らなりに知っている。知っているけど、認めなくない。だから、どうにかして自分より劣等な存在をみつけて、あいつよりはマシだ、自分は不幸なんかじゃない、まだ下がいる、という安心感を得たかったんでしょうね。それがたまたまアイヌというわかりやすいマイノリティのわたしだったんです。
わたしはおしっこでびしょ濡れのまま、施設を脱け出しました。職員の手が足りないことがさいわいしてだれにもみつかりませんでした。このときだけは施設の怠慢ぶりに感謝しました。
行くあてなどありません。行き倒れてもよかった。まだ毎日が楽しかったころ、学校の行き帰りにみては掌を合わせた、あの凍死者たちのように。
わたしはいつのまにか故郷のコタンに立っていました。朽ち果てた空き家ばかりでしたが、家にあった木彫りのオオワシは変わらず翼を広げていて、その前へ立つと、ここで過ごした昔日の思いがいや増し、涙をこらえようもありませんでした。もっと早く死んでおけば、しあわせなままでいられたのにと。いまからでも遅くない。そう思って、どうせ死ぬなら、危ないから近づくなといわれていた海をみてから死のうと、浜へ足を伸ばしました。
波のざわめき、凍てつく風、潮の香。雪のちらつく日でした。海に入れば確実に死ねると考えて、波に足を浸けたときです。
波打ち際に、女の子が打ち上げられているのをみつけました。わたしは急いで駆け寄って、息があることを確かめ、抱き上げてコタンへ戻りました。わたしたちの家だった廃墟へ……。彼女の体はなにもいわなくなった母とおなじ冷たさでした。焚き火をつけ、ありあわせのもので防寒具をつくって彼女を温めました。とても小さな子でした。当時のわたしが抱きかかえられるくらいですから、小学校に上がるか上がらないかくらいの年格好です。傷だらけでしたがとても目鼻立ちの整った可愛らしい子で、なにより、髪も肌も、雪のように真っ白でした。
しばらくしてその子が目を醒まして、また驚きました。夕陽を閉じ込めたようなオレンジの瞳。いままでそんな色の目はみたことなかった。彼女はわたしの存在に気づくと手負いのけもののように吠えて唸り、おぼつかない動きで家の隅にまで下がって、ときおり歯茎をみせつけて威嚇しました。当のわたしは彼女のきれいな色の瞳に見入ってしまっていて、それがよけいに彼女の癪に障ったようです。もういまにも飛びかかってきそうなくらいの殺気でした。
どうにか落ち着かせようとしましたが、いっこうに警戒を解こうとしないので、こういうときは放っておくのがいちばんと、わざとその場で寝ることにしたんです。疲れてもいました。寝ているあいだに殺されたとしてもよかった。生まれ育った家で大好きなカパッチリカムイに見守られながら死ねるのですから……。実際には翌朝も目を開けることができました。彼女は依然としてすさまじい形相でわたしを睨みつけていましたが。
最初の三日は冷戦状態でした。彼女は一睡もせず、ただわたしに敵意をむきだしにし続けるばかり。見た目が幼い子供だからでしょうか、わたしにはそれが怯えているようにもみえました。「こんにちは」とか「お腹はすいてない?」と話しかけても猛獣のように歯を剥いて唸るだけ。
一方で、わたしが山に食べ物を探しに行ってるあいだは家のなかを歩き回っているみたいで、一度、木彫りのカパッチリカムイに釘付けになっているところを目にしたことがあります。わたしの自慢だったその像を気に入ってくれたことがうれしくて、声をかけました。彼女は飛び跳ねるようにびっくりしていつもどおり隅っこへ。
「これ、とてもきれいでしょう。オオワシっていうの。わたしのおじいちゃんが彫ったの。おじいちゃんが若いころに伐った木を何十年も乾燥させて、わたしが生まれたお祝いに彫ってくれたのよ」
彼女はあいかわらず険しい顔で臨戦態勢をとっていましたが、いくぶん表情がやわらいでいるようにも感じられました。もしかしたら言葉がわからないのかもと思い、オオワシの像を指して、オ・オ・ワ・シ、と何度も繰り返し聞かせました。彼女の顔に困惑がみてとれました。眉間のしわもほぐれていった。
山で雪の下から集めてきた木の実を煎って、彼女にもわけてあげました。でも、わたしが自分のぶんを食べるところをみても、彼女は手をつけようとしないんです。何日も食べていないはずなのに。だんだんやつれていくのがわかりました。水だけは飲んでくれましたが、苦労して捕ってきた雉の肉にも、山菜にも、なんら興味を示しません。我慢しているというより、食べ物だと認識できていない様子でした。
「なにか食べたいものはある?」
問いかけても、彼女は無表情でわたしをみつめるだけです。
どんなものなら食べてくれるんだろうと悩みながら、食べ物がないか山向こうの国道に出たとき……。
空から不気味な音を響かせて、一機の飛行機が現れました。お尻から火を噴いて、黒い煙を曳き、目がみえない鳥のように迷走していたその機体は、みるみる高度を落とし、わたしのほうへと墜落してきました。間一髪でした。そのとき衝撃で飛行機の燃料タンクが破裂して、飛び散った燃料がすこし服の袖にかかってしまった。引火しないか心配でしたが、あたりにだれもいなかったので、わたしはとにかく乗員を助けなければと、煙の上がっている機体の残骸へ近づきました。そこではじめて、墜落した飛行機が海軍の陸上攻撃機だということに気づいたんです。日の丸が描かれていて、しかもキャノピーがアクリルガラスではなく、外からは内部がみえない偏光素材だったから。
やっとの思いでチェンバーのハッチをこじ開けたのですが……とてつもないGがかかっていたのでしょう、搭乗させられていたはずの艦娘の姿はなく、代わりにチェンバー内は血と肉と臓物をかき混ぜてまき散らしたような惨状でした。できることはなにもないとあきらめて、わたしはコタンへ帰りました。
「ただいま」
彼女からの返事は期待していませんでしたが、わたしはいつも挨拶をしていたんです。朝起きたときは「おはよう」、寝る前は「おやすみ」、家を出るときは「いってきます」、帰ったときは「ただいま」と。彼女はいつもきょとんとした顔でみてくるだけでしたが、そのときは違いました。わたしのほうを振り返ってじっと凝視していた。いえ、わたし自身じゃありません。彼女の夕陽色の視線はわたしの袖に注がれていました。そのとき袖がぼろぼろに溶けかけていることに気づきました。
なんでだろうって思っていたら、彼女がいきなり飛びついてきて、わたしの袖を舐めはじめたんです。もう無我夢中でした。
いままでどんな食べ物も受け付けようとしなかった彼女が、なぜ服なんて……そこでわたしははっとしました。彼女は服そのものではなく、袖に付着した航空燃料に惹かれているのでは……わたしは肘のあたりから破って彼女に与えると、急いで墜落現場にとって返しました。
幸いまだだれもいません。タンクに残っていた燃料をお椀で掬って、わたしはヘリコプターやサイレンの遠い音を背中に浴びながら帰ったのです。
揮発性の強い匂いを放つ
最初にひと目みたときから彼女が深海棲艦だとはうすうす勘づいていましたが、燃料を美味しそうに飲む姿をみてそれは確信に変わりました。いまにして思えば、いわゆる北方棲姫と呼ばれるタイプの一個体でした。アリューシャン方面で人間に負け、敗走を重ねるうちに海流にさらわれて、北海道の太平洋側にまで漂流してきたのでしょうね。
でもわたしが彼女に抱く感情はなにも変わりませんでした。傷ついて浜に漂着していた女の子。わたしにはそれ以上でもそれ以下でもなかったんです。
「おいしかった? よかった、なんであれ、なにか口にしてくれて」
一気に飲み干してひとごこちついた彼女にわたしは思わず微笑ましくなっていました。お腹が満たされて安堵している顔は、外見どおりの子供そのものだったからです。
「これからはわたしがそれとおなじようなものを探してくるから、あなたはここから一歩も外へ出てはだめよ」
わたしは器を下げながら忠告しました。もちろん、ほとんど独り言のつもりです。返事なんて期待してなかった。ところが、
「……アリガトウ」
彼女は、たしかに、はっきりとそう発音したのです。わたしはうれしくなって、もう一回いってと頼みました。そっぽ向かれちゃいましたけどね。
それからは彼女ともだんだん打ち解けて、いろいろな遊びをして過ごしました。持ち帰ったササの葉で草笛をつくって吹いてみせると、感激して、おねだりするんですね。わたしがあげると真似をして吹くんですが、鳴らない。わたしがその場でまた新しく草笛をつくって吹いてみせたら、そっちをちょうだいと。吹きかたを教えてふたりで飽きもせず草の音を奏でました。夜は抱き合って寝ました。妹ができたみたいでした。
母が遺してくれたなけなしのお金がわたしの全財産でした。それで五〇〇CCの携行缶を買って、ガソリンを詰めてもらいました。「お父さんの車が動かなくなって、手が離せないから、お使いを頼まれたんです」なんて、下手なうそをついて。怪しまれないようにおなじお店に続けては行かず、いくつかのスタンドを順繰りにして買いました。いまとは比べ物にならないくらいガソリンが高価な時代でした。でも、彼女のよろこぶ顔が、わたしにとってなによりの慰めだったの。
とはいえ歩いていける距離にあるスタンドの数なんてたかが知れています。すぐに顔を覚えられてしまいました。みすぼらしい身なりをした小学生くらいの女の子がちょくちょくガソリンを買いにくる、しかもその子は廃墟になった村にひとりで住んでいるらしい……いかにも怪しいでしょう?
ある日、コタンに学生服姿の男の子たちがやってきました。彼らはいいました。
「おい、おまえ深海棲艦なんだってな」「みんなうわさしてるぜ」「なんかやってみろよ」
わたしはなんともいえません。ただ、帰って、としか。
深海棲艦だろう。
違います。
水掛け論が続いて、彼らは業を煮やしたのでしょう。
「こいつを痛めつけて怒らせりゃ、なにか力使うかもしれねえぜ」
表に深い穴を掘って、わたしを首のところまで埋めたんです。
身動きのとれないわたしの頭に、順番に泥水をかけていきました。彼らのなかには難色を示す人もいましたが、「やらない奴も深海棲艦の仲間だ」と……結局全員に泥をかけられました。わたしは耐えるしかありません。
つぎに少年たちは遠くから石を投げてわたしの顔に当てる遊びをはじめました。当たると歓声が起きます。
泥と涙と血の混じったわたしが家のほうへ目をやると、いましも彼女が飛び出そうとしていた。来てはだめ。わたしは唯一動く首を横に振りました。彼女は歯噛みして家のなかへ引き下がっていきました。わたしはほっとしました。石を目のすぐ上に受けながら。
しばらくしてわたしをいたぶるのに飽きた少年たちは帰っていきました。たまたま通りがかった托鉢僧の人に助けてもらえなかったら、埋められたままのわたしは、胸の圧迫で窒息していたかもしれません。
その托鉢僧の人はわたしの泥を払いながらこういいました。
「日本人は美しい花をつくる手を持ちながら、いったんその手にやいばを握るとどんな残忍極まりない行為をすることか」
わたしは助けてもらったお礼をいったあと、どうしても納得できなくて、反論しました。
「それが、人間なのだと思います。天使と悪魔のあいだに浮遊するからこそ、天使になろうとすることに、人間の生きる意味があるんじゃないでしょうか」
彼はなにもいわず、涼やかな鈴を響かせながら超然とした足取りで去っていきました。
……つぎの日のことです。わたしが携行缶を胸に抱いてスタンドに向かっていると、町の人たちがひそひそ話をはじめます。「あの子、深海棲艦らしいよ」「ばけもんの子供が来たぞ」「人間に化けてるらしいよ。ガソリン飲むんですって」「海軍さんはなにしてるんだろう、早くぶっ殺したらいいのに」「そのうち仲間を呼び寄せるんじゃない?」「そうならないうちになんとかしないと」……耳にはまぶたはありませんし、手はふさがってますから、わたしは根も葉もない誹謗中傷に甘んじてさらされなければなりませんでした。
スタンドへ行っても、露骨に嫌そうな顔で「売れない」と断られました。
「お金ならあります」
「金の問題じゃないんだ。あんたに売ると、あとでいろいろいわれるんだよ。早く帰ってくれ」
門前払いです。盗もうとしたわけでもないのに。わたしはお腹を空かせているはずの彼女に食事を持って帰ってあげられないことが悲しくて、家で彼女に謝りました。
彼女はわたしをみて複雑な表情になりました。うつむいて、わたしにこういったのです。
「ゴメンナサイ……」
わたしはいきなり涙があふれてきて、彼女の小さな体を抱きしめました。骨と皮だけみたいな痩せ具合だった。彼女はここ数日ちゃんとガソリンを飲んでいたはずでした。なのにいつまで経っても傷は治らないし、体調も回復のきざしをみせません。
深海棲艦にとってガソリンは人間でいう砂糖水のようなもので、エネルギーにはなりますが、それだけで生存することはできません。あのころのわたしは、深海棲艦が生きていくには軽質油だけでなく、鉄や希少金属、触媒となるプラチナも不可欠だということを知らなかったのです。知っていても調達なんてできなかったでしょうが、あまりにも無知すぎた。それに愚かでした。
ガソリンすら手に入れる方法がなくなってしまったことで、彼女はみるみる衰弱していきました。
やがて、あの日が来ました。家の外が騒がしいので出てみると、わたしは一瞬、背中に剣山が生えた巨大な怪物が向かってきているのかと思いました。それは竹槍や手斧や鎌や包丁……思い思いの武器を掲げた地域住民の集団だったんです。彼らは大挙してコタンに踏み込んできました。先頭の男性がわたしをみつけて指さしました。
「深海棲艦だ!」
叫んで、みんなが髪や服をつかんで引きずり回します。やめてとお願いしても聞いてくれません。
彼らはみんな、深海棲艦に人生を狂わされた人たちです。漁を生業にしていた人もいるでしょう。灯油が買えなくなって身内を失った人もいるでしょう。もしかしたら家族が艦娘になって、轟沈したという人もいたかもしれません。
彼らはわたしに唾を吐き、服を剥ぎとって、
「人間の女とおなじマンコしてやがる。おい、竹槍突っ込んでみろ。正体がわかるかもしれない」
と、足を無理やり開かせました。鋭く切り落とした竹槍の先端が、泣き叫ぶわたしの中心に触れた、そのときです。
「ヤメロ!」
甲高い、けれど強靭な声があたりの空気を切り裂きました。みんな凍りついたようになって、わたしの家に視線を注いでいます。わたしもそちらをみました。
彼女が、もう立つことも容易でないほど弱っていた彼女が、門に寄りかかりながら、彼らの前へ姿を現していたのです。硬直している彼らに彼女は続けていいました。
「オマエタチノテキハ、ワタシダ。ソノコジャナイ。ソノコハ、オマエタチトオナジ、ニンゲンダ!」
わたしは彼女に「逃げて」と叫びましたが、彼女はかぶりを振りました。これでいいんだ、と。
町の人たちは穏やかではありません。真っ白な髪、ろうそくのような肌、オレンジの瞳。人間でないことはあきらかです。
「みんな、こいつを放っておくと、いまにとんでもないことになるぞ」
彼らはわたしを無視し、彼女を引き倒して取り囲み、憎悪を吐きながら暴行をくわえはじめました。顔を、お腹を、殴って、蹴って。
彼女がぼろ雑巾のようになっていく情景が正視に耐えず、かといって救い出すことなどとうてい叶わず、泣き続けるしかないわたしに、無数の足に踏まれ蹴られている彼女は、優しく声をかけました。
「ワタシハダイジョウブ。ダカラ、ナカナイデ。ネ?」
顔がすっかり変形してしまっている彼女は、必死に笑顔をつくっていました。それがみんなの逆鱗に触れたのです。
「このやろう!」と、だれかが竹槍を彼女の右目に突き立てました。槍は信じられないほど深く眼窩に呑み込まれていきました。それを合図に、彼らは狂ったように武器を彼女の体に叩きつけました。
ついには、だるまみたいになった彼女の頭を踏んで固定し、大きなのこぎりで首を引きはじめました。のこぎりが前後するたび、細かい刃に喉の皮膚が食い破られて、組織の繊維が断裂していき、首の骨までも削られていきました。彼女の頭部が、やがてぐらぐらとして、あらぬ方向を向いたあたりで、わたしは顔を背けました。
狂喜の声がいちだんと大きくなりました。みたくない、みたくないのに、頭の痺れたわたしはそれをみてしまった。彼女の首がごろりと転がっているところを。
彼らの暴力はなおもとどまるところを知りませんでした。彼女の頭を竹槍の先に刺して、高くかざして振り回しました。戦旗のように。戦果を誇示するように。熱狂と興奮が渦巻いていました。
なにもしてやれなかった。宙を舞う首を仰ぎながら、わたしは茫然自失としていました。自分のみているものが信じられなかった。信じたくなかったというほうが正しいのかもしれませんが。ただ地面の冷たい土を握りしめて、自分の無力を呪うばかりでした。
突如として、群衆の一部が地面ごと吹き飛びました。
轟然たる大地の響き。続けざまにあちこちで地面が弾け、ある人は肉片に分解され、ある人は飛び散った破片で切り刻まれ、ある人は人形のように飛んで廃墟に叩きつけられました。
爆音と土砂の雨と煙で、あたりは混乱のるつぼです。まるで足下がいきなり火山の噴火口になってしまったようでした。爆発はいつ終わるともしれず、なにが起きているのかわからないわたしは、ただ身を伏せて嵐が過ぎ去るまで耐えるしかなかった。わたしを辱しめようとした男の人が、爆風で飛ばされた竹槍の砕片が全身に刺さって、サボテンのようになったときも、ずっと怯えているだけでした。
あとになってから知ったのですが、その日、北方水姫を旗艦とする深海棲艦の侵攻部隊が領海に侵入し、うち何隻かが北海道砲撃を敢行していました。
新冠を襲った砲撃は一種の流れ弾だったと海軍の公式見解が出ています。ですが、本当にそうだったのでしょうか。北方水姫たちは彼女の捜索のために北海道へ接近し、救援のため、いわば援護射撃をしたのでは……。
もちろんわたしの勝手な想像です。最初に申し上げたとおり、あの場にいた人は砲撃の暴風雨でみんな死んでしまって、証言できる人間がいませんから……わたし以外は。
大地の怒りのような躍動が終息し、静けさが戻って土煙が晴れたとき、あたりの様相は一変していました。
まるで流星雨が降り注いだように円形の衝突痕だらけ。コタンはみる影もなく、息のある人はひとりもいない。絶対的な破壊の光景。
そんななかで、わたしは自分だけが傷ひとつ負わず生きていることに気づきました。運がよかったのか。いえ。いまにも消えてしまいそうなくらい弱々しい虹色の膜が、わたしの周りを包んでいたのです。膜はすぐに空気に溶けていってしまいました。目の前には彼女の首を串刺しにした槍が転がってた。石油化合物の血に濡れたくちびるが動いた気がしました……彼女は最後の力を振り絞ってわたしを守ってくれたんです。
その日のうちに軍が駆けつけ、放心状態のわたしを保護しました。前よりもずっと環境のいい施設に入れてくれた。そしてわたしは小学校卒業と同時に、艦娘学校へ。深海棲艦とはなにかを知りたかったからです。彼女のように、人とわかりあえる深海棲艦はほかにもいるんじゃないか、もしそうなら戦う以外の道も拓けるのではないか……結果はみなさんがご存じのとおりです。わたしたちと深海棲艦はお互いを拒絶することしかできなかった。生き残るためには仕方ありません。
さてと、これでわたしの物語はおしまいです。ふた親を失くした孤独な女の子が寂しさを紛らわせるためにつくりだした妄想か、それとも真実か、みなさんの好きなように受け取っていただければと思います。……
元神威が話し終わっても、しばらくはだれひとり口を開けなかった。元長波は午後の狩りを思い出していた。かつて深海棲艦からの砲撃があったという森。わずかに痕跡を残すばかりの集落跡地。下生えにおおわれつつあった砲弾痕。証拠としては不十分だった。しかし、
「わたしは信じるよ」
元長波は断言した。元秋津洲たち四人も同意を示す。元神威は「ありがとう」と笑みをたたえる。
「でも実際、深海棲艦って、なんなんだろうな」
元長波はベーコンを齧りながら疑問を呈する。いまにいたるまでだれにも答えを出せていない難問。
「深海棲艦とはなんだったのかと問う人は多いのですが、深海棲艦にとってわたしたちはなんだったのかと考える人はほとんどいません」
元神威に、元長波の箸が止まる。
「深海棲艦が突如として海底世界から現れて人類に牙をむいたのはなぜか。深海棲艦は地下資源を利用して生きています。ところが人類はエネルギーを求めて海底の原油や天然ガスの採掘を進めた。生存を脅かす敵だと認識されたのではないでしょうか」
「奴らとの純粋な生存競争だったって?」
「ときどき考えるんです。わたしたちは深海棲艦を侵略者と呼びます。けれど、実は、深海棲艦こそかつては地上の支配者で、後から現れた人類との戦いに破れて海へと逃れていったのでは。その遠い過去を忘れているだけで、わたしたち人類こそが侵略者だったとしたら……」
深度一万メートル以深に生息する深海生物であるはずの深海棲艦が、短期のうちに空気呼吸を獲得して、浅海のみならず水上や陸上での活動を可能とするほどの進化を遂げることができた理由については、いまだに解明されていない。一説には太古の深海棲艦はもともと陸棲生物であり、肺呼吸の機能を「新たに発明する」のではなく遺伝子の記憶から「思い出す」だけですんだからだともいわれている。
元神威はいう。
「もはや深海の底しか住むところのない彼らをさらに海底開発で追いつめたのであれば、三十七年ものあいだ、人間を狙い撃ちするように攻撃していたことにも納得がいくと思うんです。深海棲艦からみた人類は、食料と生息地の両方を略奪する害獣だったのではないでしょうか」鉄板の上でシカ肉の脂肪が爆ぜる。
戦争終結が宣言された日、与党の有力議員(当時)は取材にこう答えている。「われわれの勝利だ。海底もわれわれ人類のものだ」。
互いを害獣と捉えていたとするなら、人類と深海棲艦の戦いにはどんな意味があったのか。
「わたしはカオス理論に答えをみています」
「カオス理論?」
「重油が海に流出すると、波紋は一定のパターンを描くでしょう。それとおなじです。有害鳥獣による農作物の被害も、大きな地図でみてみれば、洋上に流出した重油の波紋のように、ある法則にしたがった場所に現れていることがわかります。人間も例外ではありません。暴動により暴徒が都市部で略奪をはじめたとします。暴徒たちは自分の意志で、ただ放埒に、あるいはたまたま目についた商店を襲撃しているつもりでも、被害に遭った場所を地図に書き出してみると、ちょうど海面に流出した重油とおなじパターンが現れるんです。ミクロな視点では気づけなくても、マクロの視点だと法則が見いだせる」
「お釈迦さまの掌の上って奴か。むかしの人間もその法則性ってのにどことなく勘づいてたのかもな」
可能性はある、と元神威はいう。
「深海棲艦の存在も、カオス理論で説明できるんじゃないかなと思うんです。生物は、個体レベルでみると、ただ自らの生存を至上目的とした利己的な行動に終始していますが、それが結果的には種の保存という集団の利益に貢献しています。さらに巨視的観点に立てば、種の壁をも超えて、生態系の維持にさえつながっている。生物が利己的な行動をとっているだけで、結果として利他的な振る舞いになるのです」
「肉食動物がただ腹を満たすために草食動物を食う。その利己的な行動が、草食動物の増加と植物の減少を食い止め、全体の秩序を保つために一役買っているってわけか」
「ええ。人間の都市もおなじです。ひとりひとりをみると、ただ自分のために、いわば勝手に生きているだけです。でもその行動が集合すると、あたかも都市機能を維持するために働いているようにみえる。だれひとりとして都市のためにという意識で仕事をしている人はいないにもかかわらずです」
社会性動物の雄であるアリも、コロニーの維持という遠大な計画が個体の頭脳に詰まっているわけではない。餌の集積では、アリはただ「手ぶらの状態で目の前に餌があったら持つ」「餌を持っている状態で目の前になにか物体が現れたら手放す」このふたつの単純なアルゴリズムで動いているだけである。索餌中に餌があると拾う。道しるべフェロモンにしたがって帰路についている途中、おなじコロニーのアリと遭遇すると、餌を放して索餌行動に戻る。目の前で餌を落とされたアリは拾って巣へ持ち帰る。この繰り返しで餌が一ヶ所に集積されることがロボットを用いた実験で証明されている。
「深海棲艦との戦争で多くの人命が失われました。不謹慎であることは重々承知していますし、艦娘だったわたしがこんなことをいうのは誤解を招くかもしれませんが、深海棲艦の出現は結果的に人間の数を調節することになったのでは」
「自覚しにくいが、人間は陸上動物としては地球上でも有数の巨大生物だもんな」元長波はいう。地球の地上動物の九十九パーセントは人間より小さい。
「戦前、人類の最盛期には世界人口は七十億を数えていました。人間の大きさからすれば異常ともいえる個体数です。そのすべてが現代の日本人とおなじ水準の生活をするためには、地球三個ぶんの資源が必要だったといわれています」
「教科書やなんかでみたよ。夜の衛星写真だった。列島や大陸のかたちがはっきりわかるほどまぶしい灯りに溢れてた。大量消費こそが幸福の証だったんだろうな。しかし、そんな生活が、未来永劫続くと思ってたのかねえ」
二十一世紀の初頭、「今世紀中に人口増加による食糧需要は生産量を上回り、行き着くさきは飢餓と戦争しかない」と悲観されていた。深海棲艦との戦争で世界人口は一時、二十億三〇〇〇万にまで落ち込み、現在も二十二億までしか回復しておらず、結果的に食糧の不足はまぬかれている。
深海棲艦戦争でもっとも甚大な人的被害を出した大陸はアフリカだ。十二億を数えたアフリカ大陸の人口はいまや二億人にも満たない。人口のリセットはアフリカのみならず世界を平等に襲った。研究者のなかには、深海棲艦が出現しなかった場合をシミュレーションしたところ、人口減と環境汚染はむしろ現状より悪化していただろうと主張するものさえ少なくない。
「放置されていたスギの山林も」元瑞穂がいう。「輸入が減ったことで、相対的に国産材の価値が上がり、各地で適切な伐採が進められました。このように、深海棲艦との戦いは、大きな目でみれば、地球で生物が生きていくことのできる環境を延命させたといえるのかもしれません。人類もふくめて」
屋久杉にみられるように、スギは本来、根本がもっとも太く、上ほど細くなっていく。しかし材木として利用するなら根本から頂上までまっすぐ伸びているほうが望ましい。スギを高密度で植林すると線香のように直線に育つ。密度が高いままだと成長にしたがって日照や栄養分が足りなくなるので、育ちの悪いもの、枯れかけたものを間引く。これが間伐だ。スギは四、五十年、あるいは七十年かけてようやく主伐となるが、そのあいだに五分の四は間伐される。
人類全体を生かすために、何十億もの人間が間伐されていったのだろうか。わたしの人生も? 元長波は黙考している。