栄光の代償・元艦娘たちが語る対深海棲艦戦争(GHK出版新書)   作:蚕豆かいこ

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二十一 花・太陽・雨

 どんな日でも、時間がくればほかの三六四日とおなじように日付は機械的に変わる。たとえそれが十一月三日でも。

 元長波は、丹後街道と並走する小浜線の車窓から、鉛色に沈む裏日本の海を望んでいる。若州雲浜八景のひとつ、久須夜ヶ岳がある内外海半島とともに、大島半島が小浜湾をそのたくましい腕に抱く。

 青戸入江に面した運動公園で、地元の女子高校生がソフトボールの試合をしている。泥だらけのユニフォームで白球を追いかける少女たち。もう戦争に行ったり、戦争に行かないことを引け目に感じながら生活したりすることもない。子供たちが自分のしたいことに全力投球できる時代になっている。

「外地にいても、内地の甲子園ってのは大事な娯楽でね」元長波が思い返す。「ソシエテ諸島の深海棲艦(ソシエテ諸島バース島に上陸した陸上タイプの深海棲艦のこと。テラワット級のレーザーで人工衛星や高々度の航空機をことごとく撃墜した。日米が囮として合計十一発の宇宙ロケットを打ち上げ、敵が撃墜に専念している隙に艦娘部隊が同島に接近、砲爆撃と逆上陸の総攻撃を決行して完全破壊した)が撃滅される前は数日遅れで届けられる内地の新聞で結果を知って、いなくなったあとは衛星中継で試合がみられるようになって、戦艦とか重巡や空母のみんなが地元の学校を応援してた。“これ、わたしの高校よ!”。わたしらは駆逐艦娘どうしでどこの高校が勝つかスコア込みで賭けてた。だれも当てらんなかったら胴元は泊地の近くにある孤児院とか障害者支援施設とかに何割かを寄付するのが不文律になってた。点まで予想しなきゃいけないからまずみんな外すんだ。寄付もできて、熱心に応援もできる。いいことずくめだろ?」

 車窓から運動公園が外れる。

「現ナマでも賭けてないと駆逐艦娘は真剣に応援できなかったんだ。まだ地元に愛着がもてる齢じゃなかったし、高校どころか中学すら出てなかったんだから」

 

 タウイタウイでは海外特派の艦娘たちと野球の親善試合に興じたことを元長波は思い出す。

 

「米国、英国、フランス、ドイツ――ああ、プリンツ・オイゲンとZ1とZ3は、あのときジャム島にきたあの三人だったな――それにイタリア、ロシア。ほかにもたくさんいた。いろんな国の、いろんな艦娘。タウイタウイが魔境って呼ばれてたのも納得だよ。最初はクリケットをやろうって流れだったんだ。世界で二番目に競技人口が多いんだってさ。でもわたしたち日本人がみんなクリケットやったことないもんだから、野球にしてくれた。せっかくなんで第二次大戦のときの陣営にわかれようってなったんだけどね、リットリオとローマがさも当然のように連合のほうへ行くのよ。グラーフ・ツェッペリンが“裏切り者! 貴艦らはこちらだろう”って怒鳴って、ドイツ人連中とわたしたちがブーブーいったらさ、ローマがきっぱりと“イタリアは連合国よ!”。ウォースパイトなんかいいとこのお嬢さんだっつうのに手叩いて笑ってたっけ。そんなこんなで揉めてるさなか、リシュリューが口を出した。“リシュリューはどっちなの?”。ああいうのこそユーモアっていうんだ」

 試合は後攻の連合国チームが五対六で勝利した。

「わたしたちはつまらないミスをしてしまった。九回裏、五対三、二死、走者二塁・三塁、フルカウントから、ビスマルクの内角低めの投球を打者のガンビア・ベイが空振り、だがワンバウンドで捕手のローマが捕球した。空振り三振でスリーアウト、ゲームセットだと思っちゃったんだ。ローマだけじゃない。わたしたちみんながね。でもアイオワがベンチから“走って走って!”って叫んでて、ランナーふたりは悠然とダイヤモンド走って、ガンビア・ベイもおろおろしながら後を追ってて、あれよあれよというまに三人生還、五対六の逆転サヨナラってわけよ。わたしたちは揃いも揃って棒立ちだった。振り逃げを完全に失念してたんだ。でも、いいゲームだったよ」

 元長波は笑みをにじませて思い出に浸る。

「ビスマルクもローマも頭かかえて叫んでた。わたしたちはキャプテンの瑞鶴さんをはじめ、頭じゃなくて腹かかえて笑い転げてたけどね。ゲームのあとはノーサイドってことで、みんなで酒盛りを。アイオワやEの字(オイゲン)がご当地のビールを持ち寄って、ウォースパイトが持ってきたヤードグラス、そう、その名のとおり長さが一ヤードもあるグラスで一気飲みしようとした瑞鶴さんが轟沈したり、Z1がもってきたBlutwurst(ブラッドソーセージ)をつまみにしたり、負けじとリシュリューがシャンパン出してきたり……。ガングートのウォッカをショットでひと息に飲むたびに、だれかがぶっ倒れてた。朝霜とタシュケントが最後まで()りあってたなあ」元長波の声は柔らかい。

 

 ディープブルー作戦では、どの国が核兵器を使用するか、米国とロシアとまだ国内が分裂する前の中国が白熱の議論を交わした。どの国も核の使用には二の足を踏んだ。米国は核を使った唯一の国というレッテルを返上する好機だとして他国に使用させようと働きかけた。世界で最初に原爆を投下した上に今度は初の水爆使用国となる、それだけはなんとしても避けたかったという事情もあっただろう。一方の中露はアメリカにボタンを押させようと策動した。ICBMにせよSLBMにせよ、核攻撃は最終手段であるだけに自国の手の内を世界中にさらけ出すことになるからだ。

 ロシアはそもそも作戦には反対の立場だった。ロシア軍には米国の先制核攻撃で国家指導部との連絡がつかなくなると自動的に米国へICBMを発射する報復システムがある。冷戦時代の遺物だがいままで一度も実戦使用されたことがないゆえに、誤作動の危険性が指摘された。米国のICBM発射を探知しただけで報復措置をとるのではないかという懸念である。NATOは作戦にあたって自動核報復装置の一時停止をもとめた。

 これにロシアがなかなか首を縦に振らなかった。作戦前後の軍の動向や電波使用状況を比較すればシステムの概況を推測されてしまうおそれがある。システム停止の隙をついてクレムリンなど主要各都市へ核兵器を落とされないかと疑心暗鬼にもなっていた。どの国も互いを信じ合うことができなかった。

 最終的にはロシアが報復装置の一時的解除に同意し、攻撃は三ヶ国のなかでもっとも深海棲艦による被害が大きい米国が担当することとなった。結果としては熱核兵器でさえ深海棲艦には通用しないという事実を確認するだけに終わった。そればかりかディープブルー作戦は世界の水爆への認識を改めさせた。保有にとどめるだけで使用しないことにこそ価値のある抑止力だった水爆が、実際に使われた既成事実ができたことで、ただの強力な爆弾に成り下がったのだ。印パ戦争で両国が熱核攻撃の断行に踏み切ったのは、米国が実戦で水爆を使用した前例をつくったことが要因のひとつともいわれている。

 深海棲艦と内戦に故郷を追われたアフリカの難民はヨーロッパを目指した。地中海をわたろうと粗末な舟に自らの命運を託し、多くが波に呑まれ、あるいは深海棲艦に襲われて沈んでいった。EUもまた波のように連日押し寄せる難民に手を焼いて国家間で押しつけあった。

 ロシアは黒海艦隊で黒海を封鎖していた。深海棲艦ではなく、中東を経由してロシアを目指す難民ボートへの備えだった。

 

「世界の国々は団結なんてできなかった。助け合うこともなく、国境も心も閉ざしてた。深海棲艦の被害の責任をお互いに押し付け合ったり、逆に被害の少なさでマウントを取り合ったりね。でも、少なくともあのとき、艦娘だったわたしたちだけは、たしかに手と手を取り合ってたんだ」

 そう述懐した元長波が、景色を眺めたまま脈絡なく吹き出す。

「ローマといえば、わたしと朝霜がね、なにかイタリア料理つくってくれよってねだったことがあった。“イタリア人だからってイタリア料理つくれると思ったら大間違いよ。日本人だってみんながみんな和食つくれるわけじゃないでしょ”っていわれて、おっしゃるとおりって納得してたら、南イタリアの前菜(アンティパスト)とリゾットのプリモ・ピアット、肉の煮込みのセコンド・ピアット出してきたんだよ。あいつは艦娘よりコメディアンのほうが向いてたかもしれないな。しかも美味かった」

 なにかお返しをしなければ、と元長波は元朝霜と悩んだすえ、

「あいつイタリア人だからってんで、スパゲッティ・ナポリタンつくったんだ。当時のわたしらじゃその程度のものしかつくれなかった。ローマの奴、目玉が飛び出んばかりにびっくりしてね。“Spaghettiにketchup? 正気なの? これを食えっていうの、このわたしに?”ってめちゃくちゃ文句つけるのよ。伊日間の国際問題に発展しかねないとか、本物のイタリア人になんてものを食べさせるんだとかなんとかいいながらね、ひと皿平らげて、“おかわり!”。あいつやっぱりコメディアンだろ」

 日本への特別派遣が終了して数年後、イタリア重巡艦娘のザラから届いた便りには、朝がくれば陽が昇るような当然さで他者に気を配ることのできる人格者の彼女らしく、元長波の体を労る真摯な文面が綴られていたが、それに続いて、「あのローマは帰国後、どういうわけかスパゲッティにケチャップをからめて炒めるようになった」とあった。失笑を禁じ得なかった。

 

 どの国も深海棲艦という天災とは無縁ではいられなかった。元長波はいう。

 

「深海棲艦との戦争で世界人口は三分の一以下に純減した。もっとも多くの犠牲を出したのはアフリカだ。でもそれは純粋に深海棲艦のためだといえるのか……。アフリカ大陸では西部と南部に中枢棲姫Ⅳと中枢棲姫Ⅴが相次いで上陸して、最初の一ヶ月で三〇〇〇万人が死んだ。国がいくつも滅びた……もっとも、政府中枢が失われたって意味でだけどね。あそこらへんにはいわゆる独裁国家ってのが多かっただろ。そういう国はどこもおなじだ。国民を救おうとしなかった。立ち向かうなんて無理に決まってるが、避難もなにもさせず、指導者層だけがさっさと国外へ脱出したんだ。無政府状態ってやつ。生き残っちまった国民はまるごと難民になり、それまでホッブズのいうところのリヴァイアサンとして国内の部族を力づくとはいえまとめあげていた政権が夜逃げしたことで、一夜にして国がばらばらになった。万人による万人のための闘争だよ。ある部族がほかの部族の集落を襲撃して男は皆殺し、女は戦利品、子供は兵士として徴発する、なんてことが日常になった」

 

 元長波が任務でカスガダマに行ったときのことだ。村がまるひとつ焼かれていた。深海棲艦のしわざでないことはひと目でわかった。

 

「なぜかって? 奴らは凶悪だ。だけど、わざわざ女子供の両手両足を縛った状態で並べて、タイヤをネックレスみたいに首にかけてから焼いたり、男はペニスを切断して本人にくわえさせたまま銃殺、なんて七面倒くさいことはしないからね」

 

 武装勢力に法の裁きを下すこともできなくなった祖国に見切りをつけ、難民たちは救いを求めてヨーロッパに殺到した。地中海の沿岸には毎日おびただしい数の水死体が打ち上げられた。

 

「スエズ運河を抜けて英仏のドーバー海峡に大遠征する作戦じゃ、ステビア海やトルコやイタリア、チュニジアを拠点にしてたんだけど、どこにいても海岸に死体が揚がらない日はなかったよ。左の薬指に指輪をはめた死体もあれば、小さな赤ちゃんもいた。どれもマネキンみたいに真っ白で、どういうわけか大の字に手足を広げてた。ヨーロッパにかぎらずあの時代は世界中の沿岸が似たようなもんだったんじゃないかな」

 

 前・国連難民高等弁務官は当時についてこう語っている。「三億人とも四億人ともいわれたアフリカ難民の多くは、新天地にたどり着けませんでした。深海棲艦に命を奪われたのはごくわずか。舟ともいえない小さなカヌーやはしけにまで大勢が乗ったため、途中で転覆し、あるいは遭難してしまうケースが続出したのです。そうした死者数は億を超えるだろうとわたしたちは見積もっています。

 欧州は当初こそ難民を受け入れました。一年間のうちにトルコが五十万人、ドイツで三十万人、スウェーデンで十万人、イタリアで五万人など、EU諸国で三〇〇万人の難民を分担しました。しかし難民を救うには桁がふたつほど足りませんでした。

 難民はあとからあとからやってきます。自国民の失業率を下げることもままならない時代に、言葉も違う難民に就業支援するにも限界がありました。アントニオ・サラザールならどうにかできたかもしれませんが、ともあれ安価な労働力として酷使された難民たちは就労を拒否、生活保護などの社会福祉への依存を強めました。難民のイメージは悪化の一途をたどりました」

 

 欧州の世論は難民受け入れを拒否する思潮に硬化していった。いずれは自分たちより難民のほうが数で上回ることになるかもしれない。国が乗っ取られるかもしれない。われわれの国はわれわれのものだ。そういったナショナリズムが台頭し、右翼政党が有権者の支持を集めるようになる。

 

 元長波はいう。

「深海棲艦ってもんが目の前まで迫ってるってのに、われらが人類は内輪揉めばっかりで手を結ぼうとしなかった。アメリカの大統領が独立記念日に感動的な演説のひとつもぶってくれりゃ、世界がひとつになったりしたかもしれないけどね、そのアメリカからして孤立主義をこじらせてひきこもりになってたし、ロシアはこの機に東欧を編入してまたぞろ巨大連邦をつくろうともくろんで、EUと対立して中東を舞台に代理戦争をはじめる始末。中国は対抗策を見出だせないまま、長江を遡る深海棲艦にジリジリ切り崩されて、各地で人民軍が軍閥化して戦国時代に逆戻り。EUはかつてないくらい結束が強化された。難民を協力して締め出すためにね。どこか一国が受け入れたら、ほかのEU加盟国も、と要求される。だからそろってほっかむりすることに決めたんだ」

 

 難民キャンプはどこも飽和して雨風をしのぐテントすら不足した。食べ物も、水も、トイレも、医薬品も、子供たちのための教育もない。欧米をはじめ、深海棲艦の脅威に直面していた世界各国は自らの国と国民を守っていくだけで精いっぱいとなっていたために、援助は微々たるものだった。EU諸国で排外主義が台頭するのに時間はかからなかった。

 

「ローマがいってたよ。せっかく艦娘になったのに、砲口を深海棲艦じゃなくて、難民ボートに向けてたって。正確には難民ボートを攻撃する哨戒艇を深海棲艦から護衛してたらしいけど、“わたしが難民を殺したのも同然だ”って。だから日本への特別赴任の話が舞い込んできたときは、いのいちばんに手を挙げたんだとさ。難民を切り捨てる仕事から一刻も早く解放されたかった。でもそのせいで、ほかのだれかが自分の代わりをさせられてるかと思うと、いまはそれが心苦しいって、目を赤くしてたよ。あの鉄面皮の堅物が」

 

 ドイツでは、難民を積極的に受け入れていた政権が選挙戦に大敗して、民族主義をかかげる極右政党が与党となった。そのニュースが流れるテレビを見上げていたレーベレヒト・マースは拳を握りしめた。「ぼくたちの祖国はとんでもない過ちを犯してしまった。溺れている人たちに手を差し伸べるどころか、船縁にしがみついてきた漂流者の手首を剣で切って捨てる道を選んだんだ。しかもそれを正しいと公言している。ドイツ人として恥ずべきことだよ」。元長波は彼女にかけるべき言葉に迷った。

 

「なんて慰めてやればよかったんだ? 日本は主要国のなかでもっとも難民受入数が少なかった国なんだ。ジャムのときでさえ住民を中国や台湾へ疎開させて、日本にはひとりも入れようとしなかった。“よう姉妹(きょうだい)、これでわたしたちはおなじ穴のムジナだな”とでもいえばよかったんだろうか」

 

 難民を受け入れた各国では現在でも融和と排斥の問題が尾を曳いている。難民を多く受け入れた欧州では戦後の経済復興はめざましいものがあった。コストの安い難民を単純労働や飲食業で大量に使えたからだ。難民を人口に加算しない国は多い。その難民が産出した財やサービスは難民を雇っている使用者が産出したものとして計上される。それで一人当たりGDPが伸びる。だが戦後復興が終われば労働力過剰となり、職を失った難民の群れは社会保障費増大と増税をまねいた。治安も急激に悪化し、国民と難民の対立は日ごと深まっている。日本が時間こそかかったものの安定して経済復興を遂げることができたのは難民という劇薬に頼らなかったからだという意見もある。

 

「なにが正しくてなにが間違ってるのか。艦娘として海に在ったときはそんなこと考えなくてもよかった。海にいるときだけは、なにもかもがシンプルだったんだ」

 

 列車はレールの上を走り続けている。

 

  ◇

 

「いまでも海を感じていたいの」

 若狭和田駅から二十分ほど歩いたところにあるアパートの一室で、シリアルナンバー405-080035の白露型駆逐艦娘山風(やまかぜ)だった女性が、若狭湾にほど近い立地に住んでいる理由をそう述べた。独り暮らしにしても決して広くはない部屋には金魚の舞う三本の水槽が清涼な水の音を奏でている。乳房のように膨満したほほをたぷたぷと揺らしながら泳ぐ水泡眼(すいほうがん)ばかりを集めた水槽、吹き流しのような長い尾びれのコメットと朱文金(しゅぶんきん)が流れ星となって飛び交う水槽、チョコレート色をした茶金(ちゃきん)と青みを帯びた炭色の青文魚(せいぶんぎょ)の水槽。

 

「山風だったころ、艦隊の球磨さんや多摩さん、浦風ちゃん、浜風ちゃんと連れ立って、鎮守府主催のお祭りに行ったとき、金魚すくいをしたんです。わたしと妹の古鷹(ふるたか)は一匹もすくえませんでした。すると大和(やまと)になっていたいちばん下の妹が――彼女は金魚すくいがとても上手だった――自分の金魚を全部くれました。“わたしはあした出撃だから、姉さんにあげる。ちゃんとお世話してくださいね”と。ええ、わたしたち姉妹は三人とも艦娘だったの……。妹だと思って大切に世話しました。夏を越えることはできませんでした。金魚も、妹たちも、あの日お祭りに行った仲間たちも。それ以来、金魚をみるとふたりの妹やみんなの笑い声が聞こえるような気がして。最初はこのコメットだけだった。餌やなにかを買いにお店へ行くでしょ、そのたびに可愛い金魚をみつけて、いまじゃこんなに増えちゃった……」

 

 元山風をふたりの女性が訪ねる。おなじ艦隊を組んだことのある占守型海防艦娘国後(くなしり)だった女性と、軽巡艦娘長良(ながら)だった女性。抱擁。彼女たちはいまでも年に数度会っている。

「体は大丈夫?」元山風が元長良を気遣う。

「きょうは調子がいいの。年明けのマラソン大会にも出られそう」元長良が応じる。

「どうしよう。もう少しかかるんだけど」土鍋を火にかけている元山風が携帯端末で時計を確認する。

「なら、あたしが迎えに行ってきますね」

 元国後が腰を上げる。

「いいの?」元長良がいう。「わたしが行こうか?」

「歩くだけですから」元国後は笑顔で答える。

 彼女たちはもうひとりの戦友の来訪を心待ちにしている。

 

 元国後は二十五年ものあいだ元長波と会っていない。連絡をとろうとした試みはすべて失敗に終わった。しかし元国後は元長波の顔を衆人のなかからひと目でみつけられる自信がある。

 

 竿球(かんきゅう)を黒布で包んだ旗竿に、黒い喪章とともに日の丸がはためく若狭和田駅の外で待っていた元国後は、相好をくずして大きく手を振る。気づいた元長波が自分のことだとわかり軽く手をあげる。人の流れを横断して元国後は駆け寄る。よそいきの笑みを貼りつけている元長波には胸を押さえている元国後がだれかわかっていない。元山風の知り合いが迎えにきてくれたのかと思っている。

「よくわたしがわかったね」

「忘れるわけありません。あたしはあなたに命を救われたんです」元国後の声は震えている。笑顔のまま透明な涙を流す。「あなたはなにも変わっていない。あのときのまま。あたしのほほを張った、あのときのまま……」

 元長波は首をかしげる。それから、あ、と声をあげる。

「国後か?」

 元国後は何度も首を縦に振った。

「髪すげえ長いからわかんなかった」

 元長波は頭をかいた。元国後の髪は胸を隠す程度まで伸ばされている。

「顔面もざくろみたいに割れてましたからね」

 元国後に元長波は気まずそうに苦笑いする。

「あのときは、ごめんな」

「あのとき?」

「救助したときだよ。ひどいこといっただろ?」

 いわれて、元国後は涙をぬぐいながら吹き出した。

「喝を入れてくれたおかげで助かりました。なにくそって」元国後は元長波の左手を両手で包む。「それに、リカバリーポイントまで担いでくださったのは、あなたです。死ぬんじゃないぞって、背中のあたしにずっと声をかけながら。ヘリに引き上げられてるあたしを見上げるあなたの安心しきった顔は、まるで自分が助かったかのようでした。あなたは他人を自分のように救える艦娘なんです」

 そうだっただろうか、と元長波は元鬼怒に敬礼された元朝潮のように判然としなかった。元国後には心を鬼にして「クソガキ!」と怒鳴った記憶しかない。忘れられないことがある。思い出せないことがある。

 

 元山風の部屋へあがる。元山風と元長良が迎える。ひとりずつ抱擁を交わす。

「また会えるなんて」元山風の涙声。

「本当、久しぶり」元長良はその言葉を最後までいえず嗚咽する。元長波は抱きしめたまま元長良と頬を合わせる。背中に回した手に固いこぶのようなふくらみがふれる。だが元長波は気づいたそぶりすらみせない。

「脳腫瘍に感謝だね。こいつに背中を押してもらったんだ」元長波は自分の頭を指さす。みんなが笑う。

「金魚っていろんな種類がいるんだな。出目金くらいしか知らなかった」奇抜な外見の水泡眼に興味が惹かれる。

「でも、生物学的にはどれもおなじ種類なんだよ」元山風が教える。

「へえ。深海棲艦みたいに?」

 元長波に元山風が似たようなものだと微笑する。

 

 深海棲艦は駆逐イ級のように怪物としか形容しようのないものもいれば空母ヲ級をはじめとした人間に近い姿のものもいた。外見的特徴や習性、攻撃方法の差異などから種類ごとに識別する必要が生じ、日本ではイロハ歌から引用したコードネームを命名するにいたった。だからたとえば、はじめて確認されたタイプはイ級であり、十七番めに発見されたタイプはレ級となる。さらにはこれに鬼級、姫級、水鬼級、水姫級なども加わる。

 このように深海棲艦の形態は紛然雑然として千態万状だが、孵化から第四形態までは共通した姿をしていることからもわかるとおり、いずれのタイプも分類上はAnomaloferrum infernalis(アノマロフェルム・インフェルナリス)として扱われる。学名の意味は〈地獄から来た奇妙な金属〉である。当初は深海棲艦の級ごとに別種だろうと考えられており、それぞれに学名もつけられていた。ヲ級なら深海棲艦研究の第一人者から献名してtanakai、飛行場姫ならhoniaraensis、という式である。いまではすべてシノニムとして抹消されてinfernalis種に統一されている。

 

 昼前だったが、地元若狭の冷酒で乾杯して、若狭小浜で水揚げされた寒鱈の身と肝、白菜、ねぎ、しいたけ、豆腐で山盛りの鍋を囲む。くつくつと煮えた菊腸からのぼった湯気が複雑な紋様を描く。舌を焼きながらほくほくの鱈を噛みしめる。四人ともがとろけるような顔になる。甘辛いみその染み込んだ濃厚な味が体を奥から温める。冷えてこわばっていた全身の筋肉がほぐれていくようだ。地酒は砂糖が溶けているかのように甘くまろやかで、これがみそ味の鍋と絶妙に合った。

 同時に、元朝霜や元神威らのときもそうだったが、友人とともに飲む酒がこんなに美味いものだったのかと、元長波は驚いている。現役時代、駆逐艦娘は未成年にもかかわらず艦隊でよく酒宴を開いた。飲酒も喫煙もつぎのソーティーで沈むかもしれない彼女たちの特権だった。食べて、飲んで、歌って、悲しみを笑いに変える。それは海へ沈んでいった戦友たちの鎮魂の儀式でもあった。

 おなじ艦隊だから、という理由でつながっていた交遊関係は、戦争が終わってそれぞれの故郷へ帰るとどうしても疎遠になる。

 現役時代を懐かしんで元長波はひとりでしばしば酒に溺れた。したたかに酔うと、終戦の日を迎えられなかった艦娘たちが家を訪ねてきてくれた。彼女たちは元長波の話をだまって笑顔で聞いてくれた。朝になって目覚めると、戦友たちはどこにもいなかった。この世にさえ。現実を思い知らされた。思い出に浸るために泥酔すればするほど翌日の落ち込みようは大きかった。祭りが終わったあとの寂寥(せきりょう)感にさいなまれた。ごまかすためにまた酒の力を借りねばならなかった。だがひとりで飲む酒は苦いばかりだった。

 

「いまね、医療用ウィッグのサロンに勤めてるの」

 近況を尋ねると元山風が答える。

「チーフスタイリストよ、チーフスタイリスト」元長良が茶化す。元山風ははにかむ。

「ヅラを?」

「やあだ、ウィッグっていって」元山風が頬を水泡眼のように膨れさせる。三人は苦笑する。

「ウィッグはお洒落のためのアイテムでもあるけど、あたしがそこを選んだのは、艦娘だった人のためなの」元山風はいう。「艦娘経験者はがんになりやすいでしょ。化学療法の副作用で髪の毛が抜けちゃった人向けに、できるだけ負担の少ないウィッグを提供できたらって思って。元艦娘になら話しやすいだろうし」

 

 現代のがん治療は、副作用が出にくくしかも腫瘍への効果が高まる時間帯を狙って集中的に抗がん剤を投与する時間治療が常識となっている。しかし艦娘は現役かそうでないかを問わず、内臓機能がふつうの人間とはわずかながら変質していることが知られており、通常の時間治療がそのまま当てはまらないことが多い。艦娘の時間治療はいまだ研究の途上にあるため、いまのところは従来のように服用もしくは外来でただ点滴を受けるだけになっている。

 原因については、寄生生物もしくは適合の手術が身体になんらかの影響を残しているのか、それとも不規則で過酷な任務に長期間従事していたことにあるのか、くわしいことはまだわかっていない。

 

「わたしも乳がんやったときはオッパイ切ったあとも五年間抗がん剤治療受けたんだけどさ、やっぱりハゲちゃって」元長波が闘病生活を振り返る。「しかも頭皮ってのはいままでずっと髪の毛で守られてきてるから、いざ露出するとめちゃくちゃ敏感なんだよな。外気に触れてるだけでなんだかヒリヒリするし、ニット帽かぶってても繊維でチクチクするし、寝ようとしたら枕が擦れて痛いしで、かなりのストレスだったよ。ただでさえ吐き気もすごいのに。ヅラ、あいや、ウィッグも試してみたんだけど、インナーキャップでさえ何百って針で地肌刺されてるみたいで不快だったな」

「がん治療はつらいもの、苦痛や不便を我慢するものっていう考えかたをしてる人は多いけど、あたしは少しでも改善したかった。女の人にとって髪はただの体毛なんかじゃない。脱毛してると引け目を感じて外に出づらくなる。それはがんの治療っていう意味でもよくないから」精神的なストレスはがんの栄養になると元山風はいう。「抗がん剤の投与が終わっても、髪が生えそろうまでは一年くらいかかるから、見た目が自然なのはもちろん、ずっと快適に着用できるウィッグがあれば、過酷な治療生活の励みになるんじゃないかなって思ったの」

 

 元国後はへアドネーション(小児がん患者にウィッグを提供するため髪を寄付する活動)のために髪をのばしている。

「ほっといてものびますからね。以前、山風さんからヘアドネーションのことを耳にして、それならあたしもだれかの役にたてるかなって」

 元国後は退役してもなおだれかに貢献しようとしている。すごい奴だな。湯気のむこうで鍋の具を美味しそうに食べる元国後をみながら元長波はそう思っている。

「人工毛より人毛のほうがいいもんな。ハゲが隠せりゃいいってもんじゃない。ましてや子供なら」元長波に元山風が頷く。

 人毛ウィッグは人形の髪のようなあからさまな光沢もない。また元山風のサロンで販売するウィッグは自然なつむじともみあげも再現している。

「見た目だけじゃウィッグか地毛か区別つかないと思う」手前みそではあるがと元山風はいうが、語調にはたしかな自信が感じられる。自分の仕事に誇りをもっている人間だけが許される自信。元長波も艦娘だったころにはもっていたもの。いまはない。なにも。

「ウィッグは上からみられるときがいちばん緊張するからな。つむじから縫い目がみえてないかとか」元長波は心のひびから目を逸らすように、出汁をたっぷりふくんだしいたけをすすりこむように食べる。噛むと内包していたみそ味のつゆが一気に解放され、しいたけ自身の旨味成分と相まって口内で軽やかに踊る。

「もみあげもないと、いかにもかぶってますってなるもんね。髪をアップにしなきゃいけないお仕事なら生え際がないと不自然だし」元山風が豆腐に菊腸を乗せる。味蕾の感激が表情に出る。「そういうウィッグに自分でハサミを入れて、もみあげや生え際を出す裏技もあるにはあるんだけど、失敗しちゃったらひとつ台無しになるからね」

「ハゲはマジでへこむもんな。眉毛まで落ちるんだから」全頭脱毛の経験者として元長波が語る。「とくに風呂んときな。どうしても鏡みるだろ、で、これ人間の面じゃねえよって。わたしも山風んとこでウィッグ見繕ってもらえばよかったな」

「いつでも相談に乗るよ」

「元艦娘の客は多い?」

「三、四割くらいかな。でも、みんながみんな、がんにかかってたり脱毛症に悩んでるってわけじゃないよ。健康な元艦娘のお客さまもけっこういらっしゃるの」

 元長波は興味を抱いた。

「病気でもない奴が、どうして?」

「解体されると髪の色が戻るでしょ?」

 元山風は自分の前髪をつまんだ。ナチュラルブラックの美しい髪。

「山風シリーズならエメラルドグリーンだった。江風なら赤。海風なら白。(元国後に目を動かして)国後ならピンク。でも艦娘じゃなくなると本来の色の髪が生えはじめる。艦名といっしょにすっかり慣れ親しんでた髪の色が、年月とともに戻っていくにつれて、自分はもう艦娘じゃないんだって実感させられて、いいようのない不安に襲われる人も多いみたい。髪が完全に地毛の色だけになったとき、艦娘としてのわたしは本当の意味で死んでしまうって」とくに派手な髪色の艦娘だった女性ほど地毛とのギャップに苦しむ傾向にあるらしい。「そこまで深刻じゃないにしても、単にむかしを懐かしむためのよすがとして、艦娘の髪を再現したウィッグをオーダーメイドされるお客さまもいるのよ」

 家族の目を避けてひとりで鏡の前に立ち、現役時代とおなじ色に染めたウィッグをかぶる。そうすることで戦友との記憶をとどめようとする元艦娘が少なからず存在する。酒に頼るよりよほど健全な方法かもしれない、と元長波は火のかたまりのような菊腸を舌の上で踊らせながら思っている。

「じゃあ、〆行こうか」元山風がみはからっていう。スープと具材の切れ端だけが残った鍋に白飯をよそって、ひと煮立ちする。刻みネギを乗せてふたたび食卓にあげる。元山風が各々の器に分ける。熱いうちにレンゲですする。四人が名湯に浸かったような声をもらす。

 

「わたしも近々、山風ちゃんのお世話になる予定なんだ」

 元長良が白い歯をみせる。元長良は皮膚がんの一種である悪性黒色腫を患っている。

「みせてもらっても?」

 元長波に請われると、元長良は快く応じて左の袖をまくる。上腕の外側に、インクを落としたようににじんだ、小指の爪ほどのいびつなほくろがあった。

「八年前に胃がんをやっちゃってね、幽門のあたり。三分の二摘出して、術後五年をなにごともなく過ごせて、やれやれって安心してたら、これだもんね。おまけにもうⅢ期だよ、Ⅲ期」

 袖を戻して三本の指をたてる元長良は、天気予報が外れて洗濯物を濡らした愚痴をもらしているかのような笑いをみせた。「こんなことしてる場合かよ」元長波は煽る。メラノーマと通称される悪性黒色腫は進行が速く転移しやすいことで知られている。皮膚に生じたメラノーマは増殖を繰り返して深部へ浸潤していく。溢れでたがんはまずセンチネルリンパ節に転移する。センチネルリンパにがん細胞があればⅢ期以上のステージと診断される。

「一月に、マラソン大会があるんですよ」元国後がいう。

「軍をしりぞいてからはマラソンしてるの。あくまで趣味だけど」

 元長良は、外傷性脳損傷が原因で神経が誤作動を起こすのだといった。背中には名刺サイズのコンプレッサーが装着されていて、脳の誤作動のせいでやむことのない痙攣と激痛を抑えるための薬が絶えず送り込まれている。

「コミックの悪役みたいでしょ?」元長良は襟口から背中を覗かせながら呵々と大笑する。てのひらに収まる大きさの機械が寄生虫のように食いついている。

「マラソンはどこまでも自分に妥協ができるスポーツなんだ」元長良がマラソンをはじめたきっかけを話す。「だからこそ、どこまでも自分を奮い立たせることができる。“それがおまえの全力か!”って。野球とかサッカーとかはさ、なんていえばいいのかな、相手がこっちの戦いをさせてくれないことがあるじゃない?」

「そりゃ、相手の実力を最小限に抑えて、同時にこっちの実力を最大限発揮できるよう作戦を組むスポーツだからね、戦争とおなじで」

「そうそう。でもマラソンはただひたすら走ればいいわけだから。ほかにどんなランナーがいても自分の走りができればいい。わたしはそこに惹かれた」

「艤装なしとはいえ、陸の上でよく四十二キロも走れるな」ジャムの野戦病院から撤退した泥濘の行軍がちらつく。元長波は表情が顔に出るより前にそれを隠す。

「副作用で体が重いってこともあるんだけど、やりはじめたときは、これ完走もできないんじゃないかって思ってた」

 でも、と元長良はいう。「どんなにつらくても、いつかは終わるもんね。とりあえずやってみることがだいじなんだよ。挑戦をはじめた、それだけで成功に一歩近づいてるんだから」

 はじめて挑んだ市民マラソンでは、残すところあと五キロのところで棄権した。二度めで六時間かけながらも完走を果たす。いまではサブ4(四時間を切るランナーのこと)の常連だという。サブ4は市民ランナーの三分の一以下しかいない。

 来年の大会にむけ調整していたところで、メラノーマの存在を医師に指摘された。

「すぐ入院しろっていわれたんだけどね」元長良はあっけらかんとしている。「どうせもう転移しちゃってんだし、大会終わってからでもいいかと思って。最近、背中の機械でも痙攣が抑えきれないときがあるの。手術しようとしまいと今度の大会がわたしの最後のマラソンになると思う。それなら走りきって納得してから治療に専念しようって決めたんだ。父も母も賛成してくれると思う」

 元長良の母も艦娘だった。重巡艦娘愛宕。当時八歳だった元長良は何度めかになる派兵で海外に出征した母の帰還を首をながくして待っていた。「今度帰ったら、もうどこにも行かないからね。約束するわ。いっしょにお出かけもしようね。どこがいい? そうね、じゃあお母さんが帰るまでに決めておいてね」。その電話があったときはうれしくてなかなか寝つけなかった。またお父さんとお母さんの三人で暮らせるんだ。

 何ヶ月か経った、ある日曜日、玄関のチャイムが鳴った。お母さんかもしれない! 元長良はよろこび勇んでドアを開けた。そこに立っていたのは母ではなかった。左胸に徽章と色とりどりの防衛記念章のメダルを熱帯魚のうろこのように装着した、一部の隙も無い礼装姿の見知らぬ女性だった。海軍だということはひと目でわかった。艦娘であることも、あらたまった軍服に身を包んでいる意味も、沈痛な顔でみつめてくる理由も。彼女は元長良の父に、和紙に包んだひと束の髪を渡した。金糸の髪。艦娘になった母の髪。父は娘の目の前であることも忘れて泣き崩れた。「こういう日がくるとわかっていたから、ぼくは離婚話を持ち出して、きみに軍を辞めさせようとしたんだ。どうしてわかってくれなかったんだ」。

 礼装をかっちりと着込んでいる艦娘は、幼い元長良に視線を移した。「お母さまはご立派なかたでした」。ひざまずいて元長良の頭をなでた。「あなたのお母さまは、いつでもあなたのことを気にかけていたのよ」。立ち上がった艦娘は一歩ひいて、心の底からとわかる完璧な敬礼をし、回れ右をして、重い足どりで立ち去っていった。近所の住人たちがみんな外に出て一部始終をみていた。あるものは言葉を失ったまま立ちつくし、あるものは掌を合わせた。元長良の家と家族ぐるみで付き合いがあった女性は嗚咽した。「あの子はまだ八歳なのよ!」。

 元長良が現実を受け止めるにはながい時間が必要だった。お母さんはわたしより仕事のほうが大切だったのかな。どうしてわたしを置いていったんだろう。砂のような日々のなかで、元長良はひとつの決意を固めつつあった。小学校卒業の前日に元長良は父に打ち明けた。「艦娘になろうと思うの」。父は大反対だった。「深海棲艦に復讐でもしたいのか」。元長良にはそんな考えが毛頭なかった。復讐をみじんも願わなかった自分にむしろ驚いた。

 元長良は四年近くのあいだずっと熟慮に熟慮を重ねてひとりで見いだした答えを告げた。「お母さんが命をかけて挑んだ戦争がどんなものか、この目でみてみたいの。お母さんとおなじところに立てば、なにを考えていたのか、どんな思いで毎日を過ごしていたのか、わかるかもしれない。そうしてはじめてわたしはお母さんのことを乗り越えられると思うの」。父の顔には絶望さえ浮かんだ。説得をあきらめた父は四年ぶりに涙をこぼした。「父さんと約束してくれ。かならず帰ってくると。そのためならどんな卑怯なことをしてもかまわない。父さんだけはおまえの味方だからな」。父には感謝してもしきれない、と元長良も泣いた。

「わたしが四回めの派兵でブルネイに行ってるとき、父は鹿島神宮に参拝したの。それがあの十一月三日だった。よりによってあの日に行くなんて」

「気の毒に」元長波が元長良にかけることのできる言葉はそれくらいしかない。

「いいのよ。運が悪かったの」と元長良は目をしばたたかせながらほほえむ。

「そろそろだね」元山風は携帯端末を取り出した。現在時刻は十一月三日午前十一時五十五分。ことしもそのときがやってくる。

 正午一分前から時報サービスにつなぐ。時刻を読み上げる声が端末のスピーカーから流れる。「午後零時ちょうどをお報せいたします」弔旗を掲揚していた役場や公民館から防災用サイレンが吹鳴されて、あの日と同じ青空を満たす。元長波たちは黙祷する。一分間の瞑目。元長波たちとおなじように全国各地の家庭で、あるいは職場で、学校で、慰霊式典で、祈念公園で、被爆建造物の遺構の前で、墓前で、人々が二十七年前のきょう起きたシャングリラ事件の犠牲者を悼む。ただ目を閉じるだけの人もいれば、皇居の方角をむいて黙祷する人もいた。黙祷しない人もいた。

 元長波たちはまぶたを開く。息をつく。

 

 二十七年前の十一月三日について、だれもがこう尋ねる。「あの日、どこでなにしてた?」と。

「あたしは、そのときまだ十歳でした」

 元国後が訥々と語る。

「テレビをみてたらいきなり臨時ニュースがはじまって、皇居が空爆されたとか、天皇皇后両陛下の安否が不明とか、東京で大火災とか、ちょっとにわかには信じられないことをアナウンサーが伝えてた。映画だと思いました」

 しかし、現地の中継映像だけでなく、SNSや動画共有サイトにまで東京が火の海と化しているさまを収めた動画があふれだすにつれ、現実にいまこの瞬間に起きていることだと、ようやく理解が追いついてきた。動画のなかには焼けくずれる半蔵門を撮影しているものもあった。十歳の元国後を襲ったのは、身震いするほどの敵対心だった。

「いてもたってもいられなくなって、家を飛び出して、その足で地本に駆け込みました。地本もひっくりかえしたような大騒ぎになってたんですけど、手近な担当官をつかまえて、叫びました。

“皇居が空襲されてる映像をみました。あたしを艦娘にして!”。担当官は身分証の提示をもとめました。そして目をみはりました。“まだ十歳じゃないか!”。志願は十二歳からです。

 あたしはいいつのりました。“でも、どうしても艦娘になりたいんです。お願いします”。何度頼み込んでも頑として聞いてくれません。彼は呆れたようにいいました。

“そんなに艦娘になりたいのなら、あと二年、うんと勉強して、それでもまだ心変わりしていなかったら、またきなさい。きみの希望を叶えてあげられるだろう”。そして最後にこうこぼしました。“わたしとしては、それまでに戦争が終わっていることを祈るよ”。

 担当官が家に電話して、母に連れられて帰ったら、両親と祖父母から大目玉をもらいました。艦娘になんかならなくていい、そんなことはほかの人たちに任せろと。あたしには信じられなかった。祖国が明確な危機にさらされていて、なにもしないでいるなんて。どうしてそんなことができたでしょう?」

 彼女は二年待った。両親を説き伏せた。地方協力本部をふたたび訪れた。志願申請の担当官は別の軍人に変わっていたが、彼女は胸を張って書類をわたした。そのときすでに深海棲艦の活動は衰微をはじめていた。彼女は海防艦娘国後となった。戦艦級や空母級の敵は絶えて久しかったものの、いまだ潜水艦の脅威は完全には去っておらず、むしろ対潜に特化した海防艦娘こそ最後まで必要とされた艦娘だった。

 元国後はキャリアのほとんどを幌筵泊地に捧げた。ロシア領である幌筵泊地の大要は北方領土の防衛だった。深海棲艦と難民に手を焼いていたロシアは北方四島を対日外交につかった。

「噛み砕いていうと、北方四島の防衛に協力すれば、返還交渉のテーブルにつく、とロシアがちらつかせたんです。日本は乗るしかなかった」

 戦争が終わって二十二年経った。北方四島はいまでもロシアが実行支配している。

「あたしが配属されてからでも二十三人の仲間が殉職しました。いつか戦争が終わったとき、あたしたちの犠牲が領土返還の礎になる、そう信じていたからこそがんばったんです。でも」元国後は首を横に振る。「外交で負ければ血の犠牲もただの犬死にです。ロシアから領土を取り戻せる勝算がないのなら、最初からあんな島、守らせないでほしかった」

 荒れ狂う北の海での任務は過酷を極めた。波のしぶきが防寒装備や艤装に付着するそばから凍りつく。放っておくと氷像になって動けなくなったり、氷の重みで燃料消費量の計算が狂ったり、重量のバランスが変化して転倒してしまったりするから、頻繁に着氷を落とさなければならない。

「風が冷たいというより、痛いんですよ。顔の露出部がとくにつらいから、目出し帽をかぶってはどうかって大東(だいとう)がいいだして、試してみたら、基地ですれ違う人がみんなびっくりするんですよね。あんまり評判が悪いからすぐにやめました。携帯口糧も特別で、一食あたり八五〇〇キロカロリーもありました。それでも痩せちゃうんです」

 海防艦娘たちはときにオホーツク海やベーリング海にまで足をのばした。防寒対策をほどこし、高カロリーの食事で熱量を補給しても、低気圧の墓場といわれる極寒の北方戦線はたとえ深海棲艦がいなくとも人間の生存を許す世界ではなかった。気温は最高でも氷点下から脱することはなく、風速四十メートルの颶風が吹きすさび、波の高さは十メートルから十五メートル、ときには十八メートルにも達する。体温を確保していても海防艦娘たちの表皮や手足の末端の細胞は凍ってしまう。

「だから、ベーリング海に行くときは、血液を不凍液に交換していました」

「血液を?」

「正確にいうと、不凍血液ですね。三・七五kD付近の不凍糖タンパク質をふくんでいて、かわりに赤血球がなくて粘性の低い、極限低温環境任務専用の透明な血液です。作戦前に本人の血液をすべて抜き取って冷蔵保存して、代わりに不凍血液を輸血し、帰投後にまた戻すんです。人間の血液の氷点は零下十八度ですが、これにより零下四十度でも血液と体細胞の結晶化を防ぐことができます。酸素は血漿に溶かして運搬させますが、運搬効率は通常の血液の一割程度ですから、強心剤で脈拍を毎分一八〇から二〇〇で保つことで対応していました」

 つねに全力疾走しているようなものだ。心臓にかかる負担は尋常ではない。

「動物は、一生のあいだに打つことのできる鼓動の数が決まっているといいます。だから寿命の短いちいさな動物の脈拍は早い。あのときあたしたちは多くの心拍数を消費しました」

 戦争が終わって、健康診断を受けたさい、医師に「心筋梗塞の経験が?」と尋ねられた。「いいえ、一度も」「でも、あなたの心臓はぼろぼろですよ」。 元国後は長時間の運動ができなくなっていた。

 だが「できることはした」と元国後はいう。「艦娘にならない人生もありました。いまごろあたしは十一月三日がくるたびに後悔していたでしょう。こうしてみなさんとお鍋を囲むこともなかったでしょうし」

 三人は笑いをみせる。

 元国後は退役後に結婚し、母になった。

「娘の十歳の誕生日が来た。あたしが志願したときとおなじ齢だってふと思い出しました。信じられませんでした。“まだほんの子供じゃない!”。でもあの時代は子供だって国のために戦いたいと思うのがふつうだった。いまの若い子には理解できないでしょうけど」

 時代は変わっていく。移り変わりに順応できる人間とできない人間がいる。その差はどこに起因するのだろう。

 

 首都空襲があったとき、元山風はブイン基地に派兵されていた。

「あたしはもうそのとき山風になってたんだけど、ふたりの妹からそれぞれ“志願する”って電話があった」

 元山風は金魚の水槽を背に口を開く。

「ひとつ下の妹は古鷹に、ふたつ年下の妹は大和になった。あたしは安心した。重巡や戦艦は比較的死亡率が低いから。なのに」元山風が涙ながらにいう。「どうして妹はふたりとも沈んで、長女で駆逐艦のあたしだけが生き残ったのか」

 惜別の思いを飲み下すように杯をあおる。

 

「長波はあの日なにしてた?」

 元山風が水をむける。

「当時は2水戦にいて、久しぶりの休暇で内地に帰ってたんで、そんとき付き合ってた男の部屋で寝てた」

 元長波はてらいもなく答える。

「叩き起こされた。テレビみろって。よくできてるなあって、よだれぬぐいながらぼんやり思った。寝起きだからな。だっておまえ、二〇〇〇機の敵機による首都空襲を許して、千代田区を中心とした十区がカリカリのウェルダンになるまで焼かれて、火災の煙が入道雲みたいに空をおおってるせいで真昼なのに夜みたいに暗くなってるなんて、いわれなきゃ想像もつかないよ。“ちくしょう!”。状況がつかめるとやっとそれだけいえた。携帯電話になにも連絡なかったのかよと思ったら、バカだろう、電源切ってたんだ。あわてて電源入れるとみたこともない数の不在着信と留守電が入ってた。一個だけ再生してみたら、朝霜の奴がな、“いつまで寝てんだボケ! このクソッタレ伝言サービス聞いたらいますぐ最大戦速で鎮守府にきやがれ!”。ほかのメッセージも似たようなもんだろうと思って、わたしはおっとり刀で彼の車を借りてぶっとばした。たぶん一四〇キロくらい出てたんじゃないのかなあ。けたたましいサイレンが後ろから追いかけてきてね」

 元長波は指を頭の上で回して回転灯を真似した。「警察に止められて、取り締まりよ。急いでんのに」

 車に近づいてきたふたりの警察官は呆れた顔をしていた。「何キロ出てたと思ってる?」。元長波は努めて丁重に応対した。「スピード違反はわかっているし、あなたが自分の職務に忠実であることも理解しています。ですが、わたしは艦娘で、あのクソッタレ深海棲艦どものクソッタレ空襲のために、いますぐ鎮守府に出頭しなければならないんです。切符を切るなら早くしてくれませんか?」。警察官の書類を作成する手が止まった。「艦種は?」。元長波は心底からむかっ腹が立った。急いでるっつっただろ。それでも冷静を保った。「駆逐艦です」。

 もうひとりの警官が重ねた。「どこに所属している?」。元長波は暴発寸前の拳銃そのものだった。「2水戦ですが」。

 すると警官たちは互いに目配せしてから書類を片付けた。「鎮守府まで先導します」と一方がいった。「仕返ししてくださいよ」。

「かくしてわたしはパトカーに道をつくってもらったおかげで、考えられるかぎり最短の時間で鎮守府にたどり着いたってわけだ」

 駆けつけた鎮守府で朋輩の艦娘たちから聞いたところによれば、まったく予期しない空襲を受け、東京で膨大な数の死者行方不明者が発生していて、天皇と皇后、皇族六名の所在がわからなくなっているという。「天皇はこのクソッタレなことが起きるまではどちらに?」。元長波が質すとおなじ2水戦の磯風は「ここだ」とテレビを顎で示した。テレビには激しい炎と黒煙を噴き上げる東京の街衢が映し出されていた。何重もの業火に包囲されて燃え盛っている中心部が皇居だった。「冗談じゃねえぞ」。元長波はテレビに釘付けになりながら頭をかかえた。

 東京だけでなく鹿島神宮にも空襲があったとの未確認情報もあると、おなじく2水戦の朝霜だった同期に教えられた。「もうなにがなんだかわかんねえ。情報が錯綜してる。もう一回空襲があるかもしれねえとか、つぎは大阪、名古屋が狙われる可能性もあるだとか。非番の連中にもかたっぱしから召集がかかってる。でも、軍でさえニュースの中継以上の情報を集められてねえらしいんだ」。元朝霜もお手上げという顔だった。

 犠牲者の数も把握できていなかった。報道で伝えられる死者は三十分ごとに増えた。ついにはさじを投げた。「この一連の航空攻撃による死者は数万人にのぼるとみられています」。最終的な死者数は一二〇万人以上にまでふくらんだ。それとは別に二十七年経ったいまでも五五〇〇人を超える遺体がみつかっていない。あらゆるものが航空爆弾で粉々に破壊されて散乱したからだ。

 地上レーダーやAWACSによる捜索も実を結ばないことから空爆は深海棲艦の艦載機によるものと判断した軍は、百里基地のF-2B戦闘機四機と小松基地のF-15DJ戦闘機八機に太平洋上を目視で捜索させていた。発災から五時間後、F-15のフライト(四機編隊)が房総沖東南東四二〇キロの洋上に、巨大な未知の深海棲艦を旗艦とする敵艦隊を発見。その異形の新型深海棲艦は多数の随伴艦とともに南下をつづけていた。しかし燃料がビンゴ(燃料の残量が基地に帰投するぶんしかなくなること)となったため、戦闘機部隊は触接を断念し基地に引き返している。それ以降の消息は不明。

 国内には衝撃についで喪失感が暗雲となってたちこめた。戦争がはじまって二十年めに発生した総武本線空襲事件以来となる、本土同時多発大空襲は、対深海棲艦戦争どころか、日本の歴史をみわたしても前例のない、史上最大規模の人的被害をもたらした。直接の経済的損失も数兆円におよんだ。首都機能は麻痺し、円は暴落、国債の格付けも地に堕ちた。

 軍には早急の事態対処がもとめられた。またいつ本土を電撃的に空襲されるかわからない。それに事件の張本人を自らの手で処理しなければ日本は世界からの信用を失う。のちに深海海月姫と正式に命名される新型の深海棲艦はこのときは〈シャングリラ〉のコードネームで呼ばれていた。報復の性格も強く帯びた〈シャングリラ〉の捜索と追撃が決定される。

「わたしたち水雷屋は魚雷にいろいろペイントした」元長波が記憶をたぐる。「命とひきかえに都民の救助にあたった消防士、警察官あるいは犠牲になった身内の名前とか、“11.3を忘れるな”だとか。空母の連中も爆弾におなじような落書きしてた」

 海軍挙げての捜索で〈シャングリラ〉はビキニ環礁を拠点としていることが判明した。

「それで決行されたのが、ネビルシュート作戦……」

 元山風に元長波は顎を引いた。

「作戦の運用は四段階。対潜掃討。水母水姫を旗艦とした機動部隊の殲滅。基地航空隊の飛行場確保。そして深海海月姫と拠点の覆滅」

「長波はどれを?」元山風が訊く。

「飛行場適地の確保と防衛だよ。敵もバカじゃないからこっちの基地航空隊には神経尖らせててね、陸攻隊を展開するためにビキニ環礁近傍のめぼしい島を飛行場にしようと決めたまではよかったんだけど、憎らしい空母ヲ級改に、戦艦ル級がわらわら、とどめに空母棲姫がそこを死守してた。そんなとこにわたしたち2水戦の六隻だけで突っ込んで島ぶんどってこいってんだから、海軍もよっぽど切羽詰まってたんだろう。政府から突っつかれてたって話も聞いた」

 元長波は水を飲むように酒を飲んで続ける。

「天皇陛下のかたき討ちのために死ぬならまだいいが、政治家や艦娘でもない上官のために死にたいなんて奴はいない。本土空爆を許した政府は世論から袋叩きにされてた。奴らは一刻も早く評判をとり戻すための成果が欲しかったんだ。それが〈シャングリラ〉の打倒だったってわけだ。わたしたちは政府と軍の都合で死にに行かされたようなもんだ。だからわたしは部屋でひとり、こう怒鳴った……」

 いいだろう、おまえたちのためにやってやる。ただし死んでやるもんか。かならず作戦を成功させたうえで生きて帰って、おまえたちの尻拭いをしてやったのはだれか、死ぬまで世間に喧伝してやるからな。

「2水戦に志願したのはかっこよく死ぬためだったのに、自分でも不思議だった。多かれ少なかれみんなおなじ気持ちだった。だからだれも沈まなかった。それこそ死ぬような思いで、石にかじりついてでも生き延びてやると誓ってた。任務中に腹が減ったらはみ出てる自分の腸をちょっとちぎって噛んでた。ゴムみたいになかなか噛みきれないから長持ちするんだ。どうにかして飛行場の開設を見届けてから交代要員とバトンタッチして泊地に戻ったら、ちょうど統幕幹部のひとりが視察に来てて、わたしたちを見るなりいった。“戦没者なしか。それほど楽な作戦だったなら、二軍に行かせればよかった”」

 元長波は杯に残った酒をみつめながら怪しい笑いをこぼした。

「不名誉除隊になってでも、わたしはあれを殴るべきだったんだ。みんなは理性から暴力に頼らなかった。わたしは違う。軍から放り出されたらどこにも居場所がないし、再就職のあてもない。それが怖くて行動に移せなかったんだ。臆病者。それがわたしだよ」

「でも、そのおかげであたしは助かりました」

 元国後が一升瓶を勧めてくる。酌を受けた元長波は「そうだな。ありがとう」と飲み干した。万感の吐息。「美味いな。うん。美味いよ」

 最後にあらためて四人のぐい呑みに酒が満たされる。元長波たちは備前焼を互いに軽くかかげる。

「長良の父ちゃんに」元長波がいう。「そして、あの日、命を落とし、勇敢に戦った、すべての愛国者に」

 献杯。唱和して一気に喉へ流し込む。

 彼女たちは戦争や、十一月三日という特別な意味合いをもつことになってしまった日に折り合いをつけようとしている。いまでも戦っている。


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