栄光の代償・元艦娘たちが語る対深海棲艦戦争(GHK出版新書)   作:蚕豆かいこ

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二十三 もういちど教えてほしい

 2水戦に所属していたある日、当時長波だった彼女は、真剣そのものの顔で磯風(いそかぜ)と談合した。「あんたにはあんたの考えがあるだろう。だが、わたしもここは譲れない」。元長波は、艦娘として九期上、2戦教卒業艦として七期も上の相手に、一歩も退かなかった。息のかかる指呼の間である。磯風はしっかりと頷いた。「おまえを信じる。思う存分やってみろ」。若輩に信を任せる磯風の度量に元長波は感服した。同時に自らの双肩にのしかかるとてつもない重責に汗が滲んだ。大口を叩いたが本当に自分の判断は正しいのか。やはり年長の磯風がいうとおり、堅実な策を選ぶべきではなかったか。

 瞳に怯懦(きょうだ)を見出だした磯風が拳の裏で元長波の胸を叩いた。「おまえも2水戦だ。おまえにはこの磯風がついている。失敗など気にするな」。それで気にしないことにした。

 ふたりはおなじ方向へ首を回した。視線は、前日の雨がフェアウェイに残していったカジュアルウォーター(コース設計者が意図していない小さな水たまり)に半分沈んでいる一個のゴルフボールに集中した。

 元長波はキャディー役の磯風がゴルフバッグから抜いた七番アイアンを受け取った。ティーボックスからカップまで右に折れるようなカーブを描く五五一ヤードのパー5、コースいちばんの難所と名高いその十五番ホールは、三打かけて刻んでいく作戦が定石だが、首位を独走しているウォースパイトに追いつくにはバーディー以上が必須だった。つまり二打めでグリーンに寄せなければならない。ここで一気に差を詰める大勝負。グリーンへの視界をさえぎる林のショートカットをねらう。

 泥を拭いたボールをニアレストポイントからクラブ一本ぶんの距離内にある良好なライ上にドロップすると、磯風がカップのある方向と距離、風向、風力から「あのいちばん高い木の先端をかすめるように、一三〇ヤード飛ばす気で打て」と指示する。ボールはまったくおなじスイングで飛ばしたとしても重力と気圧、風の影響で散布する。砲撃とおなじだ。地表と上空は風向きが違うことがある。ほかの艦娘たちがグリーンを阻む高木林を避けてフェアウェイどおりに進んでいるのはそれが理由だった。だが元長波は磯風の読みを信じた。磯風も元長波を信じたからだ。

 集中。しじまが場を支配した。気力の充実した元長波のアイアンが風を切った。快音とともにボールが青い空へと跳ねあがる。スピンが揚力を生み風に乗る。ギャラリーの艦娘たちから歓声が沸き起こる……。

「まぁ、そのままウォースパイトとアークロイヤルの組は順調にスコアをのばして優勝。わたしと磯風のペアは、朝霜・子日や、サラトガとイントレピッドのペアと二位タイでホールアウト。タウイタウイ泊池ゴルフ大会は盛況のうちに幕を下ろしましたとさ」

 元長波はここへくる途中の介護用品店で買い求めた杖をついて、木立と田に挟まれた農道を笑いながら登る。靴裏が舗装を擦る。肥大した腫瘍が脳を圧迫して、運動機能に障害をもたらしはじめている。

 日本ではじめてアイアンヘッドを国産化した地として知られる兵庫県市川町で、かつて陽炎型駆逐艦娘磯風、シリアルナンバー707-120028だった女性は、いまゴルフクラブの鍛冶職人をしている。

「ここも海からは遠いな」

 山に囲まれた市川町には、戦災に見逃された古風な家々が軒をつらね、ところどころ錆びの浮いたガードレールや、曇ったカーブミラー、苔むした法面(のりめん)、道端に無造作に重ねられたトタン……あらゆる属目(しょくもく)の諸事万端が、ここで暮らす人々の息遣いとともに呼吸をあわせ、まさに戦前の風味を――その時代を知らない元長波にすら――わかるように残し、ひとつの日本の情景をつくりあげている。川のせせらぎ。あぜ塗りされた水田の詩情。

 教えられた工場を訪ねる。金属を切削する甲高い音が外にも響く。入ると作業服の元磯風がグラインダーを前にときおり火花を散らしている。元長波が騒音に負けない声を背中にかける。元磯風が五十三歳の顔を振り向かせる。(とし)を重ねても強靭な眼光は往年と変わらない。

「長波か。髪がピンクのツートンでないから、一瞬だれだかわからなかった」

「あんたはどこで個人を識別してるんだ」

 ふたりは笑ってお互いの手を握った。

「なんだこの杖は。わたしよりお婆さんじゃないか」

「長波だったのに、寄る年波には勝てなかった」

 

 元磯風は三代続いたアイアンヘッド職人の家にひとり娘として生まれた。元磯風が十四歳のころに日本本土がはじめて深海棲艦の空爆に見舞われた。総武本線空襲事件だ。

「祖父や父がテレビに釘付けになっていたことをよく覚えている。五島列島を深海棲艦が占拠したことはあったが、どこか遠い国のできごととしか思っていなかった。深海棲艦という地球規模の災害はわが国だけを見逃してくれるわけではない、自分たちも当事者なのだと、日本人がようやく悟った日でもあったのかもな」

「ちょうどセルフ・ネイヴァル・ホリデイって奴だったんだろ?」

「当時のわたしはほんの子供だったから、そこまで理解が及んでいたわけではないが」元磯風は固まった腰を押さえて背を反らしながら、「停止されて、再開の目処も立っていなかった未成年の志願が、あの事件で解禁された、ということになっている。なにせ対深海棲艦戦争で本土が空襲の憂き目に遭ったのは、三十九年前のそれと、二十七年前のシャングリラ事件の、二例だけだ。たったひとりの生存者がまだ幼い女の子で、両親をいちどきに失ったという事実も、世論を沸騰させた」

 と、節々の痛みに顔をしかめた。

「石油が高い、鉄鋼が高い、食糧が高い、電気料金が高い、なにもかもが高いと、物価の高騰でだれもが頭をかかえていた。だが、たかが暮らし向きが苦しいくらいで悩んでいたきのうまでの日々は、なんと幸せで能天気だったのだろうと、考えを否応なくあらためさせられたのだ」

 従業員らが忙しく働く工場内をみわたす。

「ここも経営が一気に傾いた。材料費が高くなっていたうえに、ゴルフになんぞうつつを抜かしていられる情勢ではなくなった。下校途中、近所のおばさんにつかまって、“あんたの家はまだゴルフクラブなんかつくってるの? 日本人みんなが生きるか死ぬかの瀬戸際なのよ。そんな無駄なものをつくってる余裕はないの”と、ありがたいご高説をいただいたことも。実際、市川町の工場はつぎつぎ潰れていった」

 中学二年生の冬、事務室で帳簿をつけている暗い顔の父に元磯風は告げた。「海軍に行く」。

 父は情けなさで目に涙を溢れさせた。「おまえひとりなら大学まで行かせてやれるんだぞ。たしかにいまは苦しいが、いつかきっとよくなる。せめてもう少しのあいだ考えてくれないか」。だが、のちに磯風になる彼女は首を横に振った。むしろ遅すぎたと後悔さえしていた。満十二歳の女子児童の三分の二は小学校卒業と同時に海軍へ行っていたし、中学でも同級の女の子たちは第二、第三志望とはいえ進路の選択肢に軍を入れていた。なかには志願を親にいいだせず、ベッドに隠していた書類がみつかって、生まれてきたことを後悔するほど叱られ、なお意思を曲げなかった子もいた。

「あの時代は二〇/七〇(フタマルナナマル)といわれていただろう?」元磯風がいう。

「艦娘になった女の平均寿命が二十歳、ならなかった女のそれが七十歳って意味だな」

「しかも艦娘の平均寿命は、長命の傾向が強い戦艦や空母もふくめてのものだ。成人を迎えられる駆逐艦娘はまだまだ少なかった。せいぜい十四、五だな。そして七割の艦娘は駆逐艦娘だ。おまけに、娘に適性検査すら受けさせない家は後ろ指をさされた時代だった」

 だから、艦娘の適性があると判断されれば、その時点で寿命が十四歳になる。

「それでも艦娘に憧れた。“深海棲艦なにするものぞ、撃ちてし止まん”。適性があったものは鼻を高くしていた。わたしをふくめて。艦娘になって深海棲艦を誅戮してやるんだと大言壮語しておいて、おまえはつかいものにならんと突っぱねられたら、身の置き場がないからな」

 検査は悲喜こもごもだった。適性なしの判定を下されて涙にくれるものもいれば、安堵を隠しきれないものもいた。

「艦娘になれないというのに、どうしてあの一団は胸をなでおろしているのだろうと、そのときは首をかしげたものだ。当時は艦娘になれて幸福だった。国の命運を背負って戦えるなど身にあまる光栄だと思っていた。そういう時代だった。たとえ沈んでも、義務から逃れてだらだらと生き延びたすえの死より、ずっと潔く価値があると信じていた」

 一方で適性が認められて取り乱すものもいた。

「“いやだ、艦娘になんかなりたくない。お母さん助けて!”。わたしは奇異の視線を注がざるを得なかった。艦娘になれるのに、と。そこへだな、さっきの、適性がなくて愁眉(しゅうび)をひらいていた一団が――おそらく同級生だったんだろう――彼女のもとへ喜色満面で駆け寄って、口々にこういったんだ」

 艦娘になれるってことは、とても幸運なことなのよ。

 わたしたちからしたらうらやましいくらいなんだから。

 艦娘になれないわたしたちのぶんまでがんばって。

 艦娘になりたいのになれない人もいるんだから、わがままいっちゃダメよね。

 ほんとよねぇ、あたしなんか代わってもらいたいくらいなのに。

 わたしだったらよろこんで艦娘になるけどな。

「すると、奥から募艦担当官があわてた様子で出てきた。いわく、検査の手違いで、適性がないと判定された一団のうちのひとりが、本当は適性があったらしいのだ。最初に幸運なことだと説いていた子だった。笑みが凍りついた。みるみる青くなっていったよ。そして仲間たちにすがりついた。“ねぇ、やだよ、わたし軍隊になんか行きたくないよ、助けてよ!”。さっきまで固く結束していたはずの同輩たちは、文字通り彼女から距離をとった。取り残された彼女は床に座り込んで泣き叫びはじめた。志願なのだからそこまで嫌ならきてくれるなと当時は軽蔑していたが、ここで申請せずに帰れば家族もろとも白い目でみられながら暮らしていくことになる。いまにして思えば、あの子は常識的といおうか、現代的な感覚の持ち主だったのかもしれんな」

 愛国心と経済的困窮から海軍へ志願したアイアン職人の一人娘は磯風となった。本人も家族も予想していなかったが、駆逐艦娘の平均寿命である一ヶ月を過ぎても彼女は生きていた。当時まだめずらしかった、成人の駆逐艦娘にもなった。

「ジャムにきたのも、あんただった」

 元磯風から茶を受け取りながら元長波はいった。

「仕事だよ」元磯風は苦笑して何錠もの薬をゼリーのオブラートで()む。関節の痛み止め、頭痛薬、向精神薬、エストロゲン・黄体ホルモン配合剤、そして、降圧剤。軍にいたころは安静にしていても収縮期血圧が一八〇近かった。いますぐ脳の血管が破裂してもおかしくなかった血圧は、薬によって、いずれ動脈硬化を誘発するであろう数値にまで引き下げられている。

 元磯風は二十五歳のとき、タウイタウイの第14方面軍第35軍第100海上師団に2水戦枠で配属されていた。もともとは十一号作戦のために独立混成第30海上旅団を改編して編成されたその海上師団には、対深海棲艦戦術習得のためドイツやイタリア、アメリカ、イギリス、フランスなどから派遣された艦娘と、その支援部隊も在籍していた。タウイタウイ泊地は多国籍軍の様相を呈した。

 サーモン北方防備の一翼だった元磯風たちに急遽、ジャム島の32軍を救援する任務が与えられた。100海上師団のほかに、本土の六個海師と独立混成海上旅団五個にも動員令がだされた。

 海上師団は戦艦・巡洋艦・駆逐艦の水上打撃艦娘を装備しており、独立混成海上旅団はこれら三種に加え空母、または潜水艦、あるいは海防艦のように運用の特殊なもので編成されている。ジャムへ向かう独立混成部隊はいずれも空母艦娘を主戦力に迎えていた。つまり航空機の掩護も得られるということだ。

 有力であることには違いないが、

「それにしても敵の引き際には舌を巻いた」

 と元磯風は感心をみせる。上陸した元磯風たちは抵抗らしい抵抗も受けず、裏を返せば敵に損害らしい損害を与えられないまま、ニャヤキ半島まで進撃した。

 そこで艦娘の死体に囲まれ、深雪の肉を咀嚼している汚物まみれの長波シリーズの一隻をみつけた。その二年後、元磯風は2水戦となった元長波と再会し、当時朝霜だった少女らとともに海を駆けることになる。

 終戦を見届け、除隊した元磯風は復員船で帰国した。港は終戦を祝い愛するものとの再会をよろこぶ人たちでいっぱいだった。紙吹雪。復員船を囲む漁船やプレジャーボートの船上から送られる、惜しみない拍手と口笛。歓声。

「だれもが幸せそうな顔をしていた。まるでワールドカップに優勝でもしたかのようだった。わたしはだれかに尋ねたかった。帰ってくる相手がいないために迎えにきていない人は、いまこの港に迎えにきている人たちの何倍いるのだろう、と」元磯風はいう。「責めたいわけではない。ただ、わたしは十四で戦争に行き、人間がその人生を決めるうえで最も重要な時期を戦場で過ごし、三十一歳でお払い箱になった。そんなわたしは、いままで経験したこともない一般社会とやらに放り出されて、これからいったいなにをすればいいのだろう?」

 だれに訊いたところで納得のいく答えが返ってくることはないだろうとはわかっていた。だからだれにも訊かなかった。どうせこんな答えが待っているだけだ。「もう戦争なんてしなくていいのよ。犯罪でさえなけりゃこれからはなんだってできる。なにをしてもいいの。したいことができる世の中になったのだから」。だが、戦争しか取り柄のない自分になにができるのか、自分のしたいこととはなにか、それを探す方法はだれも教えてくれない。

「帰郷して最初の一週間は家を一歩も出なかった」と元磯風。「出られなかったんだ。日の丸を振られるのがいやだったから」

 帰還した当初は母校や市から英雄として講演の依頼があった。家族の勧めもあって受けていた。依頼は次第にこなくなった。

「なぜならあの戦争から学びとる教訓がなにもないからだ。これが人間どうしの戦争だったなら連中はよろこぶ。本来なら顔も名前も知らないままそれぞれの国で別々の人生を歩んでいたはずのふたりが、政治家連中のせいではじめられた戦争のせいで戦地へ駆り出され、殺しあう関係になるわけだからな。わたしもなけなしのサービス精神をかき集めて、“優しさを失わないでくれ。弱い者をいたわり、互いに助け合い、どこの国の人達とも友だちになろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえその気持ちが、何百回裏切られようと。それがわたしの最後の願いだ”とでも講演をしめくくっていたろうさ。ところがあの戦争にはそんなヒューマニズムはなかった。ただの生存競争だった。動物と動物の喧嘩だ。ここからは、“戦争とは他の手段でもってする政治の継続である”とするクラウゼヴィッツの『戦争論』のような、深遠な哲学も生まれてこないし、聴衆が期待するような、そう、たとえば、戦場で殺した相手の持ち物をあらためたら家族の写真がでてきたとか、そういうお涙ちょうだいの話もまた、いっさい海には転がっていなかった。小学校で講演したあと、控え室で教師のひとりに不服そうな顔でいわれたよ。わたしがした話――外地に赴任していたとき仲間数人と基地を抜け出してしこたま酒を食らって全裸で住宅街を全力疾走したとか、アマゾンではファリーニャのかかった料理ばかりを食べていて、ファリーニャはデンプンそのものだから大便が軽くなって、湖で用を足したら大便がぷかぷか浮かんで、逃げると流体力学の妙でついてこられて参ったとか、陣中文庫で駆逐艦にいちばん人気があったのは泥沼の三角関係を描いた愛憎劇だったとか――そういった笑い話ではなく、もっと悲惨な、悲劇的な話題をメインにしてほしいと。子供たちはみんなわたしの話で大笑いしてくれた。それが教育者たちには気に入らなかったらしい。いったいなにを話せばよかったのだろう。ピーコック島上陸作戦で、島の占領を担当していたわたしたちに持たされた飲料水はじゅうぶんなものとはいえず、行軍をはじめてすぐに底をついたので、ぬかるんだ地面を踏みしめて、染み出した真っ黒な水をコップですくって、消毒用の錠剤を溶かして飲んでいたと話せばよかったのだろうか。配給の錠剤が切れたあとも泥水を飲んで、目的地に到着するころにはみんな下半身裸だった、だれもが下痢便を垂れ流しにしていたから、とでも語れば満足だったのか。しょせん言葉では伝わらないんだ、わたしたちがなにをみてきたのかなど」

 元長波にも元磯風の気持ちがわかった。戦場はどんな世界だったのかと人々は訊きたがる。艦娘のことを知りたいなら、艦娘になるしかない。2水戦のことを知りたければ、ダブルヘッズをとるしかない。艤装を背負って深海棲艦の満ちる海に出ないかぎり、艦娘たちのみてきた世界は覗けない。

「仕事をさがすのに疲れたある夜、わたしはひとりで飲んでた」

 元磯風はつづける。

「いい店だった。おなじイチゴのカクテルでも、バナナのカクテルのあとに頼んだやつは酸味を抑えてあるとか、そういう心遣いのできるバーで、なによりバーテンの指も爪もきれいでな。これはいい掘り出し物の店をみつけたとカクテルを味わいながら満足していると、知らない男の客が絡んできた。おい、おまえ艦娘か。深海魚を何人殺した? 楽しかったか? きっと投降してきた連中も笑いながら撃ったんだろ? とまあ、こんな感じだった。わたしがしるかぎり、深海のやつらが投降したことなんてただの一度だってない。やつらは最後の一兵まで戦い抜くんだ。まさに理想の戦士さ、例外なく。そういうわけで、そいつが深海棲艦をみたこともないだけでなく、軽く調べればわかる程度の基礎的な知識もないってことはあきらかだった。なにも知らないやつが偉そうに能書き垂れてきたときにはどうすればいい? 相手にせずに無視する? お断りだ。わたしはそんなに物分かりのいい女じゃなかった。訂正するよ、今もだ……で、わたしは言ってやった。わたしが戦争に行っているあいだ、おまえはなにしてた? 両腕のもげたわたしが、シャングリラ事件で志願を決意したという愛国心のかたまりだった大和の死体を口で引っ張って撤退したり、腰から下が吹っ飛んでもう助からない日振(ひぶり)に、大丈夫だ、目が覚めたら帰国途中の輸送艦のベッドにいるぞと嘘をついてモルヒネを打ったり、沼を漁ってカエルの卵を仲間と分けあったりしていたとき、ガキも産めないおまえら役立たずの男どもは安全な内地でなにしてた? 頭にきたんだろうな、右クロスを一発もらったよ。内心、わたしは、やったと喜んだ。先に手を出したのは相手だ。由緒正しいハンムラビ法典のしきたりに倣って、わたしも一発くれてやった。まあ、わたしは口のなかを切っただけだが、向こうはテーブルを二、三巻き込みながら吹き飛んで、下顎骨を骨折、歯も折れたとかで、こっちが警察のお世話になった。すごいよな、電話一本で救急車が来てくれるんだから……。正当防衛を主張したんだが、退役しても艦娘は鍛え方が素人とは違うとかで、素手でも法的には凶器をもってるのとおなじに見なされるらしい。ありがたいことに、わたしの拳は凶器なのだそうだ。わたしは起訴され、略式裁判で艦娘時代の功績を鑑みてくれたおかげで、塀ではなく罰金刑を食らった。いままでの人生でいちばん不愉快かつ手痛い出費だったよ。銀行で振り込むときの屈辱感ときたら……。この金が使えれば、前から目をつけてた、ふるいワインが飲めたのに、とな」

 後日、迷惑をかけた詫びを入れにそのバーに行くと、バーテンダーにこういわれた。「弁償なんてしてくれなくていいし、従軍したあなたのことは尊敬しているが、もう店には二度と来ないでほしい」。

「わたしが学んだのは、酒場で因縁つけられたときの、表へでろというお決まりの常套句、あるだろ、あれは店に迷惑をかけまいとする最低限の道徳心だったってことだ」

 出入り禁止を申し渡されたバーから帰宅した元磯風は、父に家業を継ぎたいと申し出た。

「条件はひとつ、仕事のあいだは娘とはみなさない、それでもいいかといわれた。ほかの仕事が長続きしなかったから縁故に逃げたわけではないということを確かめたかったのだろう。望むところだった」

「たいへんだったろ」

「工場は子供のころからわたしの遊び場だったが、門前の小僧が経を覚えたからといって、僧籍に入れるとはかぎらんからな」

 労苦を重ね、従業員にも支えられながら、彼女は自力で顧客を獲得できる職人となり、父から事業を継承した。

 タウイタウイ泊地にいたウォースパイトを覚えているかと、元磯風は元長波に質した。ゴルフや野球でしのぎを削ったウォースパイトだ。

「彼女は解体後、かねてからの夢だったというプロゴルファーに転向した。たまたまわたしが軟鉄アイアンをつくっていると聞いたらしく連絡があって、試しにつかってもらった。以来、彼女のウェッジはわたしが専属の担当のようになっている」

「あのお姫さんがゴルファーね。たしかにゴルフの腕は抜きんでてたけど」

「知らないか? おととしにトリプル・グランドスラムを達成した……」

 元磯風がウォースパイトの本名を口にした。元長波は膝を打った。全メジャーで三回の優勝という偉業をなしとげたものに与えられるトリプル・グランドスラムの称号、その王手がかかった全英女子オープン最終日の奇跡を思い出したからだ。他のプレイヤーたちがのきなみボギーを叩く名門ロイヤル・リザム&セント・アンズGC(ゴルフ・クラブ)自慢の十一番ホール、六〇一ヤード、パー5で、その元ウォースパイトはセカンドショットで沈めるチップイン・アルバトロスを決めて単独トップに躍り出る。勢いづいた彼女はそのまま逃げきって優勝を果たした。その年のToday's Golfer(英国のゴルフ雑誌)ベストショット賞を受賞した大逆転の一打は日本でもテレビニュースのスポーツコーナーで何度か流された。

「あいつウォースパイトだったのか。ブルネットだったからまったく気づかなかった」

 晴天の霹靂のような顔の元長波に、元磯風はわざと白い目をしてみせる。

「おまえはどこで個人を識別しているんだ」

 

 元磯風はウォースパイト用だというヘッドを取った。バックフェース(ボールを打つ面の裏側)に手裏剣の刻印が舞っている。ウォースパイトたっての希望だったという。

「なんでイギリス人はこうも忍者が好きなんだろうな」元長波がにやにやする。

「われわれが金髪に憧れるのと似たようなものなのかもな」

 棚にはフェース角一度ごとの型版が置かれてあった。一度刻みでオーダーを受けるためだ。ロフト角やライ角といったスペックだけでなく、希望の装飾も請け負う。

「紳士服のオーダースーツみたいなもんか。高いんだろ?」

「大量生産品に比べればな。下手なクラブですませて思うように飛ばせないより、高価でも手に馴染んでまっすぐ飛ぶクラブのほうが楽しめるとは思うが」

「そりゃそうだけど、一打一打に人生がかかってるプロはまだしも、ゴルフ人口の大半を占める素人連中に品質の差なんてわかるもんなのか?」

「わかってもらえるよう努力するのが、職人の仕事だ。待っていても客はこない。自分の存在を知ってほしいなら、自分からアピールしていくことだ」

 その一環だといって、元磯風は女性アマチュアゴルファー用に製作したというヘッドをみせる。「おお」元長波が驚く。宝石のようなストーンやビーズがバックフェースにびっしりと密集している。べつのヘッドはマカロンやソフトクリームや生クリーム、イチゴのパーツで立体的に装飾されていた。触るとクリームが手につきそうだった。

「デコってますなあ」

「わたしも最初は売れるかどうか半信半疑だったんだが、意外と受けがいいんだ。もっと盛ってほしいという声さえある」

 ゴルフ人口は減少の一途をたどっている。新たな市場を開拓していくことが業界全体の課題だ。

「かつて日本刀をつくれなくなった職人たちがアイアン職人に転向して生存を図ったように、いまを生きるわたしたちも、漫然ときのうの続きをするのではなく、時代の変化を受け入れて自らを進化させていかねばならない。好むと好まざるとにかかわらず」

 深海棲艦のように、と元磯風はつないだ。

 深海棲艦は寄生体の力を借りて石油を精製し、エネルギー源にしている。しかし寄生体もまた独力では石油を分離濃縮できない。鍵は寄生体の細胞に内包されている複数のウイルスがにぎっている。

 これらのウイルスは寄生体の細胞が減数分裂するさいにまるでDNAの一種であるかのように分裂し、ともに増殖していく。このウイルスを細胞内から除去した寄生体はたとえ深海棲艦の体内であっても死亡してしまう。ウイルスもまた寄生体の細胞内でなければ生きていくことができない。寄生体とウイルスは深い関係にある。

 太古の海で、寄生体はほかの動物とおなじように有機物を食べるなんの変哲もない海洋生物だった。しかしあるとき地殻変動で海底から原油が噴き出した。多くの生命が死滅していった。生き残りをかけて、寄生体は超高圧の地中原油環境で独自の生態系を営んでいたウイルスを自身に感染させた。大半は感染症で死んでいったに違いない。ウイルスを取り込んで原油を利用できるようになったごく一部の個体が新たな道を拓いた。さらに深海棲艦の祖先に取り込まれて寄生生物に進化していった。

 これが現在有力視されている深海棲艦と寄生体、原油ウイルスの歴史である。

 いま、寄生体とウイルスは、原油分解能力を買われ、タンカー座礁事故などで海洋に流出した原油の除去に利用されている。品種改良されたタイプはプラスチックも分解することができるため、海中のマイクロプラスチック対策に飛躍的な進歩をもたらした。寄生体は単体では長時間生存できないため生物的汚染もない。個体は管理下にある深海棲艦を使って適宜養殖されている。また、深海棲艦は品種改良され、愛玩動物として一大市場を築いている。

 深海棲艦は人類に敗北したが、家畜として生き残る道を選んだともいえる。

 生物の歴史はウイルスとの戦いの歴史でもあった。ウイルスはときに致死性の高い感染症をもたらすが、生物もまたウイルスの有用な能力を獲得して進化してきた。ヒトのゲノムの八パーセントは過去何億年ものあいだに感染したレトロウイルスの遺伝子である。

 哺乳類は胎盤で胎児を育む。胎盤は母子という他個体どうしを一体化させる高度かつ神秘的な器官だが、これははるかむかしに哺乳類が感染したある内在性レトロウイルスの、自身と宿主細胞を融合させる特殊なタンパク質を合成する遺伝子によって形成されている。哺乳類は入り込んできたウイルスに活用できそうな遺伝子があるとその能力をコピーできるのだ。さらに、上位互換の機能をもつレトロウイルスと接触した場合、そちらを積極的に採用するようになる性質もある。胎盤形成をふくむ「妊娠」という生態がレトロウイルスの遺伝子で機能していることから、哺乳類がまた新しいウイルス遺伝子を獲得することがあれば、繁殖方法そのものがさらに変化していく可能性もある。

 胎盤の形成とその機能の発現にはレトロウイルス遺伝子が必須である。哺乳類はもはやこの遺伝子なくして繁殖することはできなくなった。このレトロウイルスはすでに絶滅しているが、遺伝子の断片というかたちで生き延びているといえる。寄生体のウイルスもしかりだ。

 異物どうしだった二者が、互いを利用しているうち、いつしか相互にとって不可欠な存在になることは、自然界ではめずらしくない。

 わたしとおなじだ、と元長波は思っている。戦争がなければ長波になることはなかった。人間のままで、女のままでいられた。まったく異なる人生があったはずだ。もしも哺乳類がレトロウイルスに感染しなかったら、胎盤も妊娠もない、いまとはまったく違う生き方を歩んでいたように。

 深海棲艦との戦争は本来人類には不必要なウイルスだった。そのウイルスを人類は取り込み、海軍という胎盤を形成した。そこから生まれたわたしは戦争というウイルスがなければ生きていけない。もはやわたしは戦争とは不可分な存在なんだ。戦争をとりあげられたいま、どう生きていけば?

「わたしは軍と海から去って二十二年、なにもできないまま、きょうまで来た。だけどあんたは手に職をつけて第二の人生を歩んでる。どうやって深海棲艦のいないいまの時代に適応できたんだ?」

 疑問をぶつけた。元磯風は、自分自身という海中に探信音を打って答えをさがすように論理を組み立てながらしゃべりはじめた。

 

 艦娘が必要とされぬ時代で生きる秘訣はなにかと問われれても、わたしには答えようがない。そも、わたしがなぜあの戦争を生き抜くことができたのか、それすらわたしにはわからないのだ。われながら機転が利くほうではないし、あの文月とちがって艦娘として穎脱していたとも思えない。わたしより勇敢で立派な艦娘はたくさんいた。本当なら、よく戦うものこそ、その報酬として死をまぬかれるはずだ。なのにどうしてわたしがいまもこうして生きているのか。

 わたしの初陣のことだ。隣にいた神風(かみかぜ)に敵の弾が当たった。わたしはその瞬間まったくべつの方向を見張っていた。それでもわかった。神風が被弾したぞ、と。弾が当たる音だ。はじめて聞く音さ。だが本能的にわかる。ぞっとする音だよ、弾丸が肉を食いちぎり、骨を砕く音というものは。振り向いたとき、彼女は背中から倒れるところだった。まるでスローモーションのようにゆっくりとしていた。だからはっきりとみえた。彼女は首から上がなかった。青空を背景に赤い霧が舞っていた。

 神風はわたしにとくに目をかけてくれた艦娘だ。初任地となるラバウル泊地で、手続きをするための部屋がどこかわからず迷っていたところ、声をかけてきたのが彼女だった。

「ご新造さんかしら。ここったら建て増しにつぐ建て増しで、迷路みたいになってるから。どこへ行きたいの?」

 神風シリーズということはひと目でわかった。袴にブーツの奥ゆかしい制服姿だった。わたしは渡りに舟だと安心して、道を尋ねた。

「ミルクホールがどこか知っていますか?」

「いい度胸してるわね」

 それがわたしたちの出逢いだった。艦娘としても人間としても、わたしにとって師のひとりとなった。彼女が轟沈するなど、その日そのときがくるまでは、わたしの想像の外だった。

 もしあのときわたしと彼女の立ち位置が逆だったら、死んでいたのはわたしだ。彼女は戦歴を重ねた本物の艦娘で、わたしは実戦において処女だった。距離にしてほんの数メートルの違いだ。たったそれだけで彼女は頭を撃たれ、わたしは無傷ですんだ。生き死にをわけるにあたって、いったいどの要素が優越されるのか。

 神風についてはまだ続きがある……。頭を失くした神風は、海面に倒れたとたん、その場で四肢をでたらめに暴れさせて、のたうちまわりはじめた。まるで手足がそれぞれべつの四匹の生き物のようだった。首の断面から入った海水のナトリウムイオンが神経を刺激して、あたかもまだ生きているように彼女の筋肉を動かしていた。首のない神風が糞尿を漏らしながら海の上でじたばたもがいている光景……。それがわたしの脳裡にネガフィルムとなって強烈に焼き付いた。もっともそのときは、首なしの神風がわたしのなかに住みついたことなど、自分でも気づいてはいなかった。

 戦後になって、軍隊ではない世界になんとか適応しようと悪戦していたころ、艦娘にならなかった中学の同窓生から連絡をもらった。ふたりで食事をしようということになった。息抜きも必要だろうという相手の申し出をありがたく受けた。店に入り、携帯口糧なんかとは違う、文化的で人間的な食事を楽しみながら、とりとめのない思い出話に花を咲かせた。わたしはふとフォークを落としてしまった。拾おうと身を屈めると、テーブルの下で、首のない神風が床をのたうちまわっていた。それ以来いつまた神風をみるかと怯えている。扉を開けたらそこにいるかもしれない。入浴中、ふと見やった湯舟でのたうっているかもしれない。いまこうして話しているときも、わたしはあらゆる物影に首のない神風の気配を探してしまっているのだ。視界の端でなにかが動いたら一瞬それが神風の手足にみえてしまう。終戦から二十年以上も経つのに、わたしはまだ戦争を終わらせることができていないんだ。

 おそらくは現実の時間とわたしの心の時間とは、時計の長針と短針のように、その進む速度にいちじるしい差があるのではないかと思われる。不思議なものだが、わたしは戦争中に泣くことはなかった。一度もだ。泊地に帰還して神風の簡単な葬儀をしているときも。漂流していた、どこの国の人間かもわからぬ死体を回収したときも。占守島逆上陸作戦のあとで、砂浜に折り重なっている艦娘たちの埋葬作業に従事していたときも。

 戦場の死体はどれもひどいありさまだった。たいていの死体は腕や足の関節がありえない方向に曲がっていたり胴体がねじれたりしている。どれだけの苦痛を味わったか、いやでもわかる。

 ある睦月はまるで眠っているように仰臥(ぎょうが)していた。とてもきれいな顔だった。体のどこもねじれていない。気を失っているだけではないかと思った。だが抱き起こしたら、彼女は後頭部がなかった。わたしは頭を切り替えた。救命ではなく、遺体の処理に。それだけだ。それだけなんだ。

 戦死者との向き合いかたには、個々人の流儀がある。埋葬中に言葉を絶やさない長月(ながつき)がいた。燃料火災で丸焦げになった艦娘から識別票を外すとき、その長月は、膿の跳ねるのを浴びながら、「いいか、外すぞ、ようし、外れた、髪もひと束連れて帰ってやるからな」と絶えず声をかけていた。くたくたになって母艦で休んでいるとき、わたしは訊いた。なんで死体に話しかけているのだと。長月は涙の跡の残る顔で答えた。「なにも考えたくないからだ」

 泣くには終戦から何年もかかった。あのころは涙を流す余裕もなかった。気がつけばつぎの作戦、つぎの任務に就いていた。日々の仕事をこなすだけで精いっぱいだった。死者のために泣いたのは、戦争が終わって、磯風でなくなって、四、五年経ったころだ。悲しむのにそれだけの時間が必要だった。

 後付けではあるかもしれないが、仲間の死という現実に理解が追いつかなかったから、任務の遂行以外のことに思考のリソースを割かずにすんだともいえる。心の整理がつかず戦闘ストレスに潰されてしまう艦娘を何隻もみた。彼女たちは、同胞が命を落とせば、時間差なしで悲しむことができたのだ。目の前で無惨に殺されたならなおさらだろう。尾を引いたままつぎの任務に赴くことになる。人としては正しいことだと思う。しかしそれが海でも正しいとはかぎらない。わたしが戦後に神風をみたように、交戦中の波間に、以前の作戦で沈んだはずの僚艦をみることもあっただろう。意識を奪われたその造次顛沛(ぞうじてんぱい)が命取りになったのではないか。だとするならば、死者への哀惜という人間として真っ当な感情の揺洩(ようえい)が、彼女たちを殺したのだ。

 除隊したわたしは、退役艦娘庁に斡旋されたいくつかの仕事を経て、家業を継ぐことに決めた。父は師匠となった。父は職人としてわたしを厳しく鍛えたが、一方で、わたしの集中力をしばしば褒めた。彼にはいわなかったが、わたしはなにかに集中せざるを得なかったのだ。ひとつのことに無我夢中になっていないと、また神風をみるかもしれないと不安になる。なにも考えないためにわたしは必死に打ち込んだ。戦場の後片付けで遺体に話しかけていた、あの長月のように。

 戦争の時代から戦争のない時代への変化に追いつくことができていないのは、なにもわたしの精神だけではない。わたしの足下に敵機の爆弾が落ちてきたことがある。みてのとおり一命はとりとめたが、弾殻と、砕けた艤装の金属片、あわせて七一七個の破片がわたしの体内にもぐりこむことになった。戦争が終わっても、艦娘をやめても、そのときの断片が体の内側から押し出されて、皮膚を突き破ってくる。髪を洗っているときに、頭皮から飛び出ていた破片で指を切ったことも。

 いまでもわたしの体には四十九個の破片が埋まっている。仕事でしばしば飛行機に乗るが、空港で金属探知機を通るだろう、わたしはあれにひっかかるから、以前に病院で撮ってもらったレントゲン写真を持参することにしている。これからもわたしは、飛行機をつかうたび、わたしの全身に散在する金属が白抜きとなったあの写真をパスポートみたいにいつでも提示できるようにして、ゲートへ向かうだろう。いまや親よりもながい付き合いとなったこの破片たちで重要な血管が切れたりするまでは。

 皮膚から鋭利な細片が顔を覗かせるたび、また、筋肉中を移動することによる突発的な激痛や内出血に見舞われるたび、わたしは、わたしの肉体もまた、戦争が過去のできごとであるという現実の時流に適応できていないのではないかと思い知らされる。すべての破片が排出されたとき、わたしの戦争は終わるのかもしれないが、わたしはどこかでそれを恐れている。最後の一個が抜けたときに、まだわたしの精神が戦後に馴染めていなかったら?

 まだ深海棲艦の手に落ちるまえのリランカへ任務で赴いたときのことだ。村民が陽気な祭りを催していた。なんの祭りかと問えば、悪魔祓いだという。悪魔祓いというと女の子の首が回るおどろおどろしいものの印象しかなかったわたしたちにはいささかの衝撃だった。彼らはみんなで精も根もつきるまで踊り、歌い、笑って、活力を取り戻し、癒されていた。

 人類のもっとも偉大な発明は農耕であるということに異論はあるまい。われわれは極めて多種多彩な動植物を食料として利用しているが、最も基幹的な食物は穀物だ。しかし、五〇〇万年ともいわれる人類史を見渡してみると、狩猟採集時代はその九十九・八パーセントを占める。農耕をはじめたのはごくごく最近だ。最も人類と付き合いのながい穀物といわれるコムギでさえ、一万年少々の歴史しかない。

 いまから七万年前から一万年前までつづいた最終氷河期の中東は、乾燥のはげしい草原と沙漠がひろがっていて、人々はガゼルのような草原動物を狩猟しながら季節的遊動生活を営んでいたものと考えられる。ヒトはもともと狩猟採集民だった。日本語でもイノシシは「一の肉」を意味するが、これは日本で最初に名前をつけられた食糧でもあるといわれている。そして一万二〇〇〇年まえ、地中海東岸のレヴァント地域、いまでいうシリアやイスラエル、パレスチナのあたりでは、世界にさきがけて定住集落が成立してくる。

 この時代の地層にふくまれる花粉を分析してみると、落葉ブナが急増し、かわりにヨモギが減少している。氷河期が終わり、温暖湿潤化するにともなって、ユーフラテスが大河となり、それまで草原だったレヴァント南部に潤沢な水資源が供給されることで、中東最初の本格的な森林が進出してきたことを示す。森林はドングリやピスタチオ、アーモンドといった栄養価の高い堅果類を豊富に産出し、ユーフラテス川の水をもとめてガゼルやヤギもやってくる。ちょうど日本の縄文文化と同様、森から無尽蔵に得られる多種多様な動植物を利用する生活をはじめたのだ。

 こうした状況になると、狩猟採集時代ほど移動する必要はなくなる。年間を通じて一ヶ所にとどまることができた。妊婦や幼児、老人といった、移動に困難がともなう弱者を守ることができるようになり、産児制限もしなくてよくなった。人口の増加が許せる時代になったわけだ。

 すでに草原性の野生ムギも利用していたが、残された種子が出土種子全体の数パーセントにすぎないことから推定するに、あくまで採集するだけで、栽培はしておらず、彼らには数ある食糧のうちのひとつとしか認識されていなかった。定住かつ狩猟採集で糧を得る文化をナトゥーフ文化という。

 定住という生活様式をもった人々はさらに生活圏を拡大し、隣接する内陸草原地帯に進出した。戦前に中東有数の穀倉地帯を形成していたシリア北部の大草原地帯だな。2水戦としてシリアに派遣されたとき、輸送や他部隊との連携ミスが重なって、数日のあいだなにもできなくなってな、消極的休暇で観光もどきをした。砂と岩と悪臭の国だったよ。わたしたちはシリアの自慢だという遺跡に案内された。ユーフラテス川沿岸のテル・アブ・フレイラだ。タブカ・ダムが深海棲艦の空爆で破壊されていて、それまで湖の底だったテル・アブ・フレイラ遺跡が数十年ぶりの太陽を浴びていた。テル・アブ・フレイラは一万二〇〇〇年まえの定住村落の姿をいまに伝える語り部だそうだ。われわれよりよほど流暢に英語をあやつるガイドに懇切丁寧に説明されても、当時のわたしは退屈でしかたなかったので、そこらへんのゴミと一緒に落ちている男物のパンツを「イエスの忘れ物だ」と振り回していたが。

 それはさておいて、だ。気候変動の年表ともいえるグリーンランドの氷床を調べると、テル・アブ・フレイラで豊かな食糧を背景に人口が増えはじめたちょうどそのころに、地球が低温期に入ったことが記録されている。ヤンガー・ドゥリアス期。氷河期が終わって一方的に進むかにみえた温暖化が中断されて冷や水を浴びせられる、いわば地球規模の「寒の戻り」だ。急激な寒冷化で酒池肉林の暮らしはたちまち崩壊し、増えすぎていた人口を支えるには食糧があまりにも不足した。彼らは必死に打開策を模索しただろう。

 ヤンガー・ドゥリアス期にあたるテル・アブ・フレイラのナトゥーフ文化後期層からは、一五〇種を超える植物の種子がまとまって発見されている。さらに時代がすこし下った九八〇〇年まえの文化層で、コムギとオオムギの出土種子はそれまで数パーセントだったのが六十パーセントにまで激増してくるのだ。

 どうだ、気候の激変から食糧危機に陥った人類が、自らの生存をかけ、試行錯誤を経てムギを選び、栽培にこぎつける、その過程がまぶたに浮かぶようだろう?

 栽培に適した植物はかぎられている。果樹は植樹から収穫まで時間がかかりすぎる。しかも高密度に植えることもできん。ところがコムギは一年生で、生来密集する性質があった。人類にとってまさに救世主といえよう。

 また、コムギをはじめとした穀物が食糧としてもっとも優れている点は、備蓄ができることにある。コムギは種子の状態で何年も栄養価を保ち、食べることも栽培することも計画的に行なうことができる。

 デンプンを多くふくみ、高カロリーで、貯蔵でき、畑という一定の面積にまとめて多量に栽培できる効率のよさと、製粉したり水で煮たりするだけで利用できる加工の手軽さ。まるで神が人間に食糧と労働をあたえるために創造したかのような、なんとも都合のよいイネ科植物との邂逅は福音といっていい。

 世界各地で農業は根づいている。定住して農耕牧畜で食糧が供給されるようになると狩猟採集時代には考えられないほど人が増える。そこで必要になるのがコミュニケーションだ。大きな集団を束ねるため、コミュニケーションの必要性が高まり、言語が発達し、文字ができる。文明が産声をあげた瞬間だ。

 アフリカに従軍したことがあったろう? ハーツ&マインド(人心掌握。人道支援や安全保障、技術指導を通じて現地住民に親日家を増やすこと)の一環で、ピグミーの村にやっかいになったことを覚えているか? そう、大人の男でも背丈が一〇〇センチ程度しかなかった、あの小人たちの村だ。彼らは人類が農耕をはじめるまえの狩猟採集時代のまま現代まで生き延びてきた、いわば人類の原初の姿をとどめた生き証人だ。社会の規模は数十から一〇〇人程度。季節の変化とともに地域を移動する獲物を追う生活で弱者は生存できない。平均寿命はせいぜい四十年だという。だからあまり人口が増えない。

 移動生活だからよけいな荷物は足手まといで、物質的な執着がない。狩猟で採集したものは平等に分配される。蓄えようにも肉や魚、果物はあまり保存がきかないからな。よって貧富の差は起こりにくい。私有財産という概念も薄いから、ほら、よくわれわれの装備品や携帯口糧が盗まれただろう。彼らに悪気はない。さっさと消費してしまわねば腐るだけだ、だから個人の所有物であることには頓着せず、共同体のみんなでおのおのが勝手につかう。集団のなかでの地位や役割の分担も限定的で、肩書きも乏しい。非蓄積的な平等社会、それが一万数千年まえの人類だった。

 ところが農耕がはじまるとパラダイムシフトが起こる。なんといっても穀物は貯蔵がきく。定住も可能となる、というより、畑や倉庫は動けないから定住に移行せざるをえなくなる。ものをため込むことができるようになり、貯蓄自体に意味を見いだすようになる。ため込んでいるほど上等な人間とみられる。そこには貧富の差が出現する。

 例の殺人的に退屈なシリア観光ツアーのしめくくりとなる博物館で、わたしはどんぶりのような器をみせられた。白っぽく、なめらかな肌で、両手でもつのに具合がいい。九〇〇〇年まえのものだから土器でなく石器だ。たしかにずしりと重い。だが見た目はそれこそ陶器のようにつるつるで、きれいな丸みを帯び、厚さも一定だった。根気よく丹念に石を削り、地道に磨いてつくったに違いない。はたしてひとつ仕上げるのにどのくらいの時間がかかったのか。

 その石器からは農耕のもたらした変化を推察できる。分業がはじまり、かならずしもすべての人間が食糧獲得のために働かなくてもよくなったこと。また、定住することによってものを持ち運ぶことがなくなったため、重い道具をつかうことも可能になったということ。

 ダムが造成されるまえのテル・アブ・フレイラからは、一六〇体の人骨がみつかったという。ある女性の臼歯には、顎を横切るような溝が刻まれてあった。これは籐のような繊維を口でしごいて、篭を編む仕事に専念していたために残されたと推定されている。

 また、べつの女性は、狩猟採集時代にはなかった病変が足の指に現れていた。指が上へ直角に反っている。関節炎で歪んでいるのだ。えてして農耕遺跡からは粉化具である石皿と磨石が数多く出土する。テル・アブ・フレイラも例外ではない。石皿に乗せたコムギを磨石で挽いて脱穀し、粉にしていたわけだ。体重をかけて行なうために腕、背中、腰、そして足の指に継続的な負担がかかる。骨が歪むほどの重労働だ。身を粉にするという言葉は脱穀と製粉が起源らしいな。

 農耕は、安定して食糧を供給する一方、労働の負担も増やすことになった。出土した人骨の足の指を詳細に研究すると、平均的なものよりかなり太くなった骨があった。これは石皿で粉を挽く動作を成長過程からはじめたために起きたと考えることができる。当時の子供は乳離れするとすぐにその社会の日常的な仕事に参加した。骨の変成は、七歳から九歳ごろから、一日に何時間も脱穀の作業に専念していなければ説明がつかんという。幼い子供が社会的義務から労働を課される。まるでわたしたちのようじゃないか。

 農耕には計画が必要だ。人口に対し必要な生産量を得るには、いつどこの畑を耕し、いつ種をまき、いつ収穫するか、一日に労働者の何割を稼動させれば継続的に労働力を拠出できるか。灌漑(かんがい)を要するならどのように進めるか、工事に割く人員や資材をどう捻出するか。得られた禾稼(かか)(穀物、とくに収穫したもののこと)をどのように分配するか。つまり富の再分配だ。多くの場合、これらの計画者たちは監督のかわりに労働を免除され、人事や給与計算という権力を握る。非蓄積的な平等社会は、蓄積的な非平等社会に変化したというわけだ。

 農耕によって人間の食糧事情だけでなく意識にも変化がもたらされた。肩書きだ。その人が小作人なのか、地主なのか、商人なのか、統治者なのか。個人は地位で判断され、役割に沿った行動が期待される。わたしたちでいえば、わたしという個人ではなく、駆逐艦娘磯風、おまえなら長波としてみられる。個人がただ個人として存在していた狩猟採集時代とは大きな差違だ。

 時間の観念が成立したことも挙げられよう。動物を仕留めれば肉という報酬を獲得できた狩猟と違い、農耕は待ち時間が非常にながい。種をまいて、数ヶ月かけて作物を育て収穫する。労働の成果はその日にはでない。未来の某日のためにきょう働く。我慢に我慢を重ねて、ある日その対価をようやく得る。

 このふたつの意識の変容は現代の人類が抱える苦悩の根源でもある。肩書きを課せられたことによる役割への過剰適応だ。部長という役割に引きずられ、部長としてこうあらねばならないと理想像を自分におしつけ、個人としての欲求を抑圧して働き、やがて過労死してしまう。結婚して専業主婦となり、良妻賢母を演じているうち、自分の人生はこれでよかったのか、本当はなにがしたかったのかと悩みはじめる。

 ある命題にイエスかノーか判断を下さなければならないとき、個人としてはイエスだが、社会的地位からノーといわざるをえないときもあるだろう。そのとき彼にノーといわせたのはだれなのか? 役割が本人に優越して発言権をえたのか? だとするならば、役割は本人に比肩する確固たる人格を確立しているということになるのでは? しかもその役割という人格は行動をも支配する。

 なんのことはない、艦娘にならなかった人々も、だれしもが、役割というホーミングゴーストと同居しているのだ。このゴーストは農耕とともに生まれた。農耕は文明の基礎だ。文明社会に生きるかぎり、われわれ人間は役割からは逃れられん。

 そして、未来への疎外だ。いい高校に入るために中学時代は遊びたいのを我慢して勉強しよう。高校に入ると、いい大学に入るために。就職のために。昇進のために……そうして未来のために「いま」やりたいことをやらない生き方に終わりはなく、死ぬまでつづく。未来の一瞬のために生きている人生には、いま生きているよろこびはない。

 精神の分裂と、未来というみえない時間のためにいまを犠牲にする空虚感。農耕に源を発する文明社会の人間は、臼歯の溝や関節炎のように、それまではみられなかった新たな問題と向き合うことになる。なんだかわかるか?

 そう、自殺だ。

 狩猟採集時代の人間は自殺をしなかったそうだ。ピグミー族にも自殺を意味する言葉はなかった。農耕により、役割と時間という自然の摂理から外れた観念の鎖にがんじがらめに縛られて、人間ははじめて自殺するようになった。

 このように農耕は弊害も大きかったが、さりとて、もはや人類は農耕なき時代に後戻りはできなかった。農耕を捨てても、増大してしまった人口密度は狩猟採集生活では絶対に維持できない。人類は一計を案じた。期間限定で狩猟採集時代にもどる。

 それが、祭りだった。

 豊作を願う、収穫に感謝する、いろいろな口実で祭りを開いて、窮屈な肩書きを脱ぎ捨てて踊りまくり、生命力を燃焼させ、人々は農耕時代にありながら狩猟採集時代という旧き良き時代を甦らせていた。役割も未来のことも考えない、生物としての人間本来の姿を祭りによって取り戻す。その瞬間に人間は癒される。

 リランカの「悪魔祓い」もそんな祭りのひとつだ。だれもかれもが仕事を投げ捨てて、しがらみから解放され、歌と踊りでよろこびを爆発させる。そうして役割という悪霊(ゴースト)を祓う。ひとりの赤裸々な人間にもどる。自由だった狩猟採集時代に回帰し、自分は森羅万象の一部なのだと再認識する。孤独ではないことを知る。そうして安息を得る。だが、産業社会に入ると集団的な祭りは衰退していく。

 ひまをもてあましたバカどもが「自分さがし」などという得体のしれない遊びに走るのも、役割や地位から自分を捉えるのではなく、自分自身を呼び覚ます、未来のなにかのための行動をいったんやめてみて、あるがままの自分を意識することだとすれば、集団的祭りを失った現代では、むりからぬことなのかもしれない。各種のセラピーやエンカウンターグループなどの心理療法は、共同体の祭りに代わる、個人的な祭りといえるだろう。

 人類は何百万年とつづいてきた狩猟採集からある日突然、農耕革命により劇的な転換を迫られた。じつはまだ人間の深層意識は農耕以来の新時代に順応できていないのだ。追いついていないといったほうが正しいか。

 いまの人類は農耕社会に適応しようともがいている。ときには休まねばならない。クジラだって、もとはオオカミのような動物だったが、最初から海中深く潜ったりはしなかっただろう。水辺の犬かきからはじめて、ときには陸で休みながら、一〇〇〇万年かけて、魚のように泳げるようになった。われわれの農耕はまだ一万年だ。そして、わたしたち艦娘が海から還って、まだ二十二年にすぎない。

 おまえは陸に馴染めないというが、そんなに早く適応できなくて当たり前なのだ。人間そのものが、一万年もかけてまだ原始時代の郷愁にすがっているのだから。焦らなくていいんだ。前へ進むだけでなく、つらくなったら適度に後退してもいい。人が祭りで狩猟採集時代に還るように。わたしにとっての祭りは、おまえのような艦娘仲間と会って、他愛のない話をすることだ。そうしてわたしはときおり艦娘だったころに「もどる」。それが、わたしがまだ正気を保っていられる秘訣なのかもしれないな。

 

 適度に後退していい。その言葉に元長波は深い感銘を受けた。ほんのわずかながら、許された気がした。

「でも、“If all the year were playing holidays, To sport would be as tedious as to work.”だろ?」

 元長波は本心とは裏腹にまぜっかえす。「もし一年じゅうが休日だったら、遊びは仕事とおなじに退屈になる」。『ヘンリーⅣ世第一部』の台詞だ。

「そこがわれわれ現生人類の問題だ。原始と文明の過渡期にあるわたしたちは、農耕文明に適応できていないだけでなく、精神的にも狩猟採集時代に完全に回帰することはできない。どっちつかずだから両方を往復しなくてはならない。娑婆(しゃば)の人間と艦娘とのあいだで揺らぐように。わたしは幸運だった。艦娘にもどるための話し相手がたくさんいた。それは在郷艦娘会の連中であり、いまでは顧客になっている海外の元艦娘たちでもある」

 元磯風はみごとに社会の一員となっていた。たとえいま、元長波の足元に、首のない神風の姿がみえていても。

「試してみるか?」元磯風が顔色ひとつ変えずウェッジをつきだす。

「もうドライバーは打てないけど、ショートゲーム(グリーンに乗せるアプローチショットと、ホールへ転がすパッティングの総称)ならできると思う」元長波も賛同する。

 ふたりは工場に併設された試打場へ回る。

「輸送艦の甲板でゴルフをしたこともあったな」

 グリーンの近くまで褐色の芝生を歩きながら元長波はいう。

「なにもすることがなかったからな」元磯風が元長波に歩調をあわせる。輸送艦の広大な全通甲板は格好の遊び場だった。ヘリが一機もいない頃合いをみはからって艦娘たちはしばしば球技に興じた。野球、サッカー。民主主義に則った採決でその日はゴルフになった。

「甲板にティーを刺すわけにもいかないから、ゴムホースをこれくらいの長さに切って」元長波は右手の親指を立て、その第一関節を人差し指で区切った。「それをティーがわりにしてボールを乗せたりとか、いろいろ工夫してな」

 元磯風がいう。「洋上とはいえ風の強い日だった。サラトガがマリリン・モンローになるくらいに。朝霜のやつが思いきり飛ばしたら、高く舞ったボールがいきなりアゲインストに吹かれた。それで、よりにもよって司令や艦長のいる艦橋の窓にOBした」

 元長波がいう。「白いひびが入ったのが甲板からでもわかった。だからすかさず叫んだんだ、“敵襲!”って」

 ふたりは笑う。

「みんなてんやわんやになった。おもしろい偶然だけど、そのとき本当に深海棲艦の偵察機が波間にかくれる超低空飛行でこちらに触接してたんだよな。そいつがなにかぶつけてきたんだろうってことになって、一件落着になった。深海棲艦に感謝した唯一の例外だよ」と元長波。

 グリーンまで五十ヤードのところで元磯風がボールを置いた。自社製のハンドメイドウェッジを元長波に渡し、かわりに杖をもつ。

「ロフト角五十八度だ。感覚は体が覚えているだろう」

 助言された元長波が、両足を拳ひとつぶんだけ開いて構える。振られたウェッジがボールを高くもちあげる。放物線を描いたボールはピンの五、六ヤードそばに落ちてぴたりと止まる。

「やるじゃないか」手で目庇した元磯風が讃える。

「これのおかげだな」元長波があらためてヘッドを確かめる。鏡のように美しい。「ボールを包み込むみたいにやわらかい打感だ。なのに芯がある。じつをいうといま打った瞬間、ミスったって思ったんだ。でもわりといいところに飛んでくれた。こいつはいいな」

「多少ダフっても(ボール手前の地面を叩いてしまうこと)クラブがカバーする。アプローチが苦手というゴルファーは多い。だが、思ったとおりのところへ飛ばすことができれば、ゴルフはもっと楽しくなる」

 それはゴルフ人口、ひいては顧客を増やすことにつながる。

 ふたりはグリーン周りまで近づいた。グリーンぎりぎりからのアプローチは、距離が遠いときよりむしろむずかしい。

 ロフト角五十四度のウェッジを試す。

 ボールは手前十ヤード少々のところまで転がって止まった。五十四度のウェッジははじめてだった。もう一度おなじ位置から挑戦する。今度はピンから二、三十センチまで寄せられた。三度めもほぼおなじ距離につける。

「なるほど、集弾率いいな。まるでアプローチ名人になったみたいだ」

「おなじように打てばおなじようなところで止まるクラブ、ミスをしてもうまく打ったときに近いショットにできるクラブ、それが父から受け継いだ技術だ」

 元長波は四度めでアプローチからカップインしてみせた。感嘆の息をもらす。

「そういえば」元磯風が思い出す。「いま、あのウォースパイトはスピードゴルフにハマっているらしい」

「なんだそりゃ」

「ふつうのゴルフは十八ホールの打数を競うだろ、スピードゴルフは、打っては走って、十八ホールの打数とタイムの合計スコアで競うんだ。おもしろいぞ、ティーショットを打ったかと思えば自分でゴルフバッグ提げてボールを追いかけて、打ってまた駆ける。だいたい一時間で十八ホールまわる」

「マジかよ。ふつうなら五時間かかるのに」

「しかも、それで十八ホール終えたあとに、いつものゴルフを十八ホールやるんだ」

「ゴルフ漬けか、うらやましいかぎりだ」元長波は自然に笑う。

「いまではアークロイヤルやジャーヴィスも、ウォースパイトと一緒になってスピードゴルフのとりこなんだそうだ」

「あの連中がどたどた走って打ってを繰り返してるってのは、なんか新鮮だな」

 語らいながらショートゲームを楽しむ元長波と元磯風は、ゴルフを通じて過去にもどっている。自分たちこそが世界の支配者だと信じて疑わなかった、年相応に幼く、傲慢で、腹臓なく意見をぶつけあう仲間がいて、オクラの粘液と納豆の汁を着けて乾燥させたストッキングを使用済みとしてネットオークションで販売したり、ショッピングモールから無断で借用してきた買い物カートで下り坂を競争するというような、知性のかけらも感じられない愚行に全精力をかたむけていた、一分一秒が輝いていた、生きている実感に溢れていた、あのころに。

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