もし、立花響にも妹がいたら? そんな平行世界のお話 作:ミカンコーヒー
「あ...れ....?」
流れでる血液とは裏腹に思考が止まる。今確かに私は包丁で指を切ったはず。
パックリと割れた自身の指先、その傷口から絶え間なく鮮やかな血が溢れ出している。
切る瞬間を見ていなければきっと気が付かなかった。
心臓が痛いほど早鐘を打つ中、私は愕然と切り傷を見続ける。
頭のなかでどうして、と答えの出ない疑問が浮かんでは消えていく。
どうして痛くないのだろうか。
この身に起きていることが信じられず私は思考停止しただ立ち尽くしているだけだった。
「光どうしたの~?」
そこにタイミングの悪い事に様子を見に来たお姉ちゃんに声を掛けられる。
私は咄嗟に切ったところを隠してしまう。
「.....ッ!なんでもないよ、大丈夫....」
「って、すごい血が出てるじゃん?! 何があったの!」
「......」
頭隠して尻隠さずとはこの事を言うのだろうか。切った指は隠しても、流れた血液までは気が回らなかった。
そりゃあ、今から食べる食材が色鮮やかな赤に染まっていたら誰でも気づくよね。特にごはんが好きなお姉ちゃんなら尚更のこと。
「包丁で指を切っちゃったの.... 別にこの位なんともないよ.....」
「そんなこと無い。見せてみて、光」
ご飯前のふにゃっと顔だったのが一変して真剣な顔つきになり、まっすぐこちらを見てくる。その真っ直ぐな眼差しに私は耐えきれず切った指を見せる。
ズルい。こんな事でも真剣にこちらのことを心配してくるんだから。
こんな顔をされたら断れないよ。全く、底抜けに優しくてお人好しなお姉ちゃんだ。
そんな私の内心をよそにお姉ちゃんは傷口を見ていく。
「ちょっと我慢してね。うーん、これは結構深くいってるね。おいで光。おばあちゃーん」
自分では対処しかねると判断したのかはおばあちゃんの所に一緒に連れられていく。
※※※※※
あれからおばあちゃんに手当てしてもらった後、私は傷が治るまでお料理禁止令を食らった。傷が治るまで代わりにおばあちゃんがご飯を作ってくれる事になった。
お姉ちゃんが包丁を持つと危なっかしくて見ていられないと言っていたのは誰だったか。
私ですね。これじゃあ人のこと言えない。
結構深い切り傷だったらしいが、未だに私は痛みを感じていない。何も感じなさすぎて傷がある事自体忘れてしまいそうだ。
もしかしたらあまりにショックで指先が麻痺しているだけってこともあるのかもしれない。
確かめないと
※※※※※
光は自分の部屋のベットに腰を掛け、先ほど手当てしてもらったばかりの指を見る。
「.....夢ってわけじゃなさそうだよね」
包丁の刃が自身の指を切り裂いて鮮血があふれてくる光景を確かに見た。
しかし光はその光景を見たのにも関わらず、未だに実感を持てないでいる。
光は徐に絆創膏やら手当された物を取り除いていく。そこに痛みは無くとも確かに傷が存在している。皮膚がぱっくりと割れ、中の赤い身が見える。見るからに痛々しい、が。
光は傷にそっと触れてみる。
「.......」
仮に光が通常の状態だったとしてもこの程度の事はほとんど痛くないだろう。
問題はここからだった。これ以上の行為を、この見るも痛々しい傷口に行ったらどうなるのか。
答えは簡単、普通に『痛い』だろう。
そう普通なら。
光はぱっくりと割れた傷口に自身の指を突っ込んでみる。
「.......」
その行為は誰でもうめき声を上げてしまうだろう。特に感覚が鋭い指なら尚のこと。
しかし光は表情一つ変えない。表情を変える程の事がこの身に起こらない。
「....そうだ、もっと指を押し込んでみよう」
おかしくない。痛くないのはまだ痛くしてないからおかしくない、と光は自分に言い聞かせる。
突っ込んだ指をグリグリとさらに押し込んでいくが先ほどとなにも変わらず、それこそ痛くも痒くもない。
「なんで、なんで、なんで?!」
キッチンで切った時のように指からは血がどんどん流れては、腕に伝っていく。そんなはずはないと、目の前の出来事を認めることが出来ず、光は唯の自傷行為を続ける。
他にも様々な事を試してみたが結果は変わらなかった。
「やっぱり、痛くない.....」
※※※※※
しばらく時間も経ち、私も落ち着きを取り戻す。
いや落ち着くというよりも、受け入れがたい現実を認め始めたというべきだろうか。
先ほどは軽いパニックになってまともに考えられなかったが、思い当たる節はあれしか無い。
手術にて摘出されなかったあのときの破片。
医者は何もなければ大丈夫と言っていたが、現状を見るに何かの病気になってしまったのかと不安になる。
大きな不安感に襲われるが、深呼吸して冷静に考える。まだ完全にそうと決まったわけでは無い。一過性の物である可能性も有る。
取り敢えずは数日様子を見てみよう。案外コロッと元に戻ったりするかもしれない。
しかし不安なのは確か。この事を家族に相談するか悩む。
仮に今の状態を伝えると病院やらてんわやんわになる可能性が高い。
今の家庭の状況を考えてみる。お母さんは私達の為に毎日働きに出て、本人は大丈夫と言っていたが本当は疲労が溜まっている事だって知っている。
そこまでして働いていても今の我が家にはお金の余裕など無いだろう。
おばあちゃんだってもう高齢なのに家事とかで迷惑を掛け、お姉ちゃんなんか自分だって大変なくせに周りの人を心配する。
私が相談した日には一体どうなる事やら。
そこまで考えたところで部屋のドアがノックされる。
「光ー? 今入っても大丈夫?」
お姉ちゃんのお越しである。しかし今入られるとマズイ。先程の後片付けをまだしていない。この状態を見られるのはよろしくない。
「ちょ、ちょっと待ってね!」
急いで腕に伝った血をテッシュで拭う。こういうとき焦るほど反ってもたついてしまう。こうなれば奥の手のあれしかない。
「い、いいよ! 入ってきても」
ガチャリとドアが開きお姉ちゃんが入ってくる。
部屋の光景をみたお姉ちゃんの表情はまるで不審な物を見るものだった。
「....何してるの?」
「み、ミノムシごっこです....」
嘘です。バレないか内心ヒヤヒヤしている。だが効果は抜群だ。
ほら見たことか、布団に包まり自らをミノムシと名乗っている妹に、お姉ちゃんはどう反応したら良いかわからず戸惑っているぞ。
「そ、そうなんだ。ミノムシもいいけど、おばあちゃんがもうすぐご飯できるって」
「わかった」
そんなやり取りをしお姉ちゃんは部屋を去って行き、閉めたドアの音だけが部屋に響く。
お姉ちゃんの足音が遠くに行ったのを確認し、私はホッと胸を撫で下ろす。
あの様子だとバレてはいないだろう。
私は布団から抜け出し、ベットに腰かける。包まっていた布団の内側を見ると左手が有っただろう所に血が染みていた。
「.......」
私はぼんやりと血の滲む傷口を見つめる。
この身に一体何が起こっているのか分からない。
怖い。
胸の内より溢れでる不安に押し潰されそうになる。
私はベットより立ちあがり部屋から出る。廊下に出るとお婆ちゃんが作ってくれたであろう晩御飯のよい香りが鼻孔をくすぐる。
先ほどまでの事は夢で、寝て起きて明日には何事もなかったように戻っている。
私にはそんな夢の様な事になってくれるよう祈ることしかできない。
こんなことは夢であって欲しい。