さっきまで、アテナの神殿だったところ。
そんな名残は一切ない。
何もない、世界。
空も。
大地も。
しかし、俺はここに立っている。
重みも感じる。
ただ、目に見える光景は……全方位、星の見えない夜空、だ。
こうしている間も、この『世界』が広がっていくのを感じる。
グズグズはしていられない、か。
ただ、俺がこうして圧力を感じているのに、あいつは涼しい顔だ。
気にもとめないって感じで。
分の悪い……もしかしたら、勝ち目のない勝負なのかもな。
まあ、泣いている時間があったら……飛ぶ、か。
泣くよか、ひっ飛べ……だったか。
足元を確かめる。
うん、しっかりしている。
まあ、俺の『全力』を支えてくれるかどうかは、わからないが……な。
跳ぶと殴るが同時。
俺の右肘と肩に抜けてくる、受け止められた衝撃がどこか心地よい。
硬い。
重い。
そして。
驚いたような表情。
おい。
おいおい、まさか。
お前、俺の気配を感じてないな?
「なんだ……?」
「なんだじゃねえよ!」
左の拳を返す。
ああ、ダメだ。
俺の全力に、『感覚』が追いついてこない。
身体全体が、ふわふわして、足が地についてない感じだ。
ずっと力をセーブして、生きてきたからな。
感情任せだと、さらに悪化する。
仕切り直しに、一旦距離をとった。
やつはというと、驚いた表情のまま、俺を見ている。
地を裂き、海を割るのが黄金聖闘士。
その黄金聖闘士が、聖域にひきこもることを余儀なくされる理由。
力そのもの。
友の、シュルツの顔が浮かんだ。
楽しそうに、俺と殴り合う光景。
いや、教皇様に怒られるシーンはカットで。(目逸らし)
力を鍛え。
技を磨き。
戦うことなく、朽ちていく。
平和を願いながら、心のどこかで聖戦を待ち望む。
黄金聖闘士の、悲しき宿命。
俺も、そうか。
さっき、俺の拳を受け止められた感触を思い出す。
硬くて、重い、あの感触を。
アイリスやミケーネをかわいがった時とは違う、本気の拳を受け止めて、こゆるぎもしなかった。
分厚くて硬い、肉の塊。
自分が笑っているのが分かる。
そうだ。
これは、俺の聖戦だ。
待ち望んでいた、チャンスが来た。
世界を見る。
この何もない『世界』を見る。
この『世界』なら、ぶっ壊れてしまっても構わないよな……俺は。
荒々しい感情が騒ぐ。
焦るな。
遠回りを恐れるな。
力をセーブして、徐々にギアを上げていく。
俺の『全力』を、本当の『全力』としてぶつけるために。
シュルツが俺を見たように。
俺もまた、やつを見る。
そこに、
反応を、見る。
弱い場所を、探す。
上に、下に。
左右に、拳を散らす。
「なんだ……なんだ、貴様は?」
「よそ者だって言ってるだろうが!」
「力を感じないのに、強い……なんなのだ、貴様は?」
「その精神攻撃、やめろ!」
俺のよそ者っぷりがつらい。(震え声)
今こそ、この悲しみを怒りに変えよう。
しかし、戸惑いながらも、俺の攻撃は綺麗にさばかれていく。
うん。
俺も。
かなり、ピントが合ってきた。
戦いの中で、何を甘いことをと思うが、仕方ない。
仕方ないから。
また、ギアを上げていく。
「ぐっ……ぅ!」
ようやく、ひとつもらってくれた。
少なくとも、痛みは感じてる、か。
さあ、集中しろ。
俺がギアを上げれば、こいつも……。
「舐めるな!」
くはっ。
久しぶりに飛ばされた。
ああ、これかぁ。
シュルツ。
バトルジャンキーなんて言って悪かった。
楽しいわ、これ。
起き上りざまに跳ぶ。
足元もなにも関係ない。
足元は自分で作る。
「ぬぅっ!?」
やつの周りを跳び回り、かく乱する。
楽しい、が。
プロレス理論なら、俺が弱いってことになるな。
弱者は、強者の周りを回る、だったか。
うん。
たぶん……それは間違ってない。
俺のほうが、弱い。
痛みは与えている。
おそらくはダメージも与えている。
俺の目に狂いがなければ。
戦況は、互角だ。
しかし、いずれ差が出てくるだろう。
予感のようなものだが、たぶん、外れない。
時間の感覚がない。
一瞬だったような気もするし、永遠なのかもしれないとも思う。
お互いに小細工を使ったりもしたが、結局はこの形に落ち着いた。
殴り。
殴られ。
ぶつかり合い。
離れる。
お互いの存在をぶつけ合うことで、どちらが上かを競う。
原始人の戦いだ。
その中で、なんとなくわかってきた。
戦いを楽しみながら。
少しずつ。
本当に少しずつ。
理解する。
世界の中に、小さな世界がある。
小さな世界は世界となり、小さな世界へ還る。
俺は、『気』を学ぶことでそれを知った。
しかし、こいつのしていることは。
小さな世界を世界そのものとなす。
たぶん、そういうことだ。
世界とつながるのではなく、自らを世界とする。
それはきっと、神と呼ぶべき存在に許された行為。
俺には分からないが、聖域には、何かがあるのだろう。
文明が、人の流れとともに広がっていくように。
世界を広げていく何か。
しかし。
いま、広がり続けているこの世界は、きっと。
俺と戦っている好敵手が望む、故郷ではない気がする。
俺は、語りかけるように拳を振るった。
『なあ、天地創造ってのは……そんな悲しい行為なのか?』
拳が返ってくる。
何も語らない、拳が返ってくる。
教皇様を、アイリスを、倒れたままにして……放置しておいたように。
俺が邪魔だから、拳を振るう。
戦っているようで、戦っていない。
そんな気がした。
閉じた世界。
拒絶する世界。
その心のあり様が、この広がる世界のあり様にも思える。
殴っても殴っても。
言葉が返ってこない。
返ってくるのは拳だけ。
夢を。
希望を。
未来を。
そんなものを膨らませて、世界を作るものだと思っていた。
好敵手の境遇を、勝手に想う。
仲間を失い、故郷を追い出され、長き放浪の果て、か。
自分の中にしか存在しない故郷。
故郷を取り戻すと言いながら、お前の中に、喜びは見られない。
拳を握りこむ。
『お前が作っているのは、墓場か?』
差が見え始めた。
好敵手についていくために無理をする。
無理を重ねる。
水のこぼれそうなコップ。
ギリギリのバランス。
壊れるときは、一瞬だと思っていたが、そうでもなかった。
じりじりと。
小さな穴から水が漏れていくように。
結末へと向かっていく。
「……よくぞここまで戦い抜いた」
「まあ、チートですから……」
俺は膝をつき、やつは立っている。
まあ、やつも大概ぼろぼろだけどな。(震え声)
つながる世界がないと辛いわ。
何もない世界だしな、ここ。
最後は、体力の差だ。
仕方ない、な。
「そういや、アンタの仲間を倒したのって誰?やっぱり、アテナとかポセイドンとかハーデスとか、そのあたりなの?」
「……その名に、聞き覚えはないな」
前世の、ギリシャ神話の知識を探った。
そういや、原作ではどうなってんだろと思いつつ、口に出す。
「じゃ、ゼウス?」
「知らぬ」
「……マジで?」
え、小宇宙を使う忌々しい連中で……侵略者で……。
ギリシャ神話の、創世記って……あんまり覚えてないんだが。
「ウラヌス?ウラーノス?あ、ガイアとか?」
「……そんな名前だったかもしれんな」
俺の言葉に眉をひそめ、吐き捨てるように言われた。(白目)
すみません、あなたの仲間の仇、内ゲバでぼっこぼこですわ。
親殺し、兄弟殺しは当たり前、自分の妻は殺すわ、息子は追放するわ、やりたい放題っすよ。
俺の記憶のギリシャ神話が、そのままこの世界に当てはまるのかどうかはともかく。(目逸らし)
まあ、ギリシャ神話に限らず、神話って基本的に血塗られてるからなあ。
俺がアテナの立場なら、父親のゼウスは絶許だし。
アテナの母親を性的に食ったあと、物理的に食うってなんだよ。
まあ、暗喩的表現なんだろうけど。(震え声)
暗喩的表現なんだろうけど!(強弁)
……うん。
時間を稼いで、なんとか立て直した。
「すまんな」
「何を謝る?この戦いに、恥じるべきところはなかった。お前はあの忌々しい連中とは違う。誇り高き戦士だ、それを認めよう」
言葉を交わしてくれる。
感謝だ。
無視されない程度には、認めてもらえたか。
「久しぶりに全力で戦えて、楽しかった。感謝するよ」
感謝の言葉に、どこか戸惑ったような目で、好敵手が俺を見る。
ああ。
感謝する。
感謝するしかない。
感謝とは。
謝りたいと感じる心、だったか。
何故謝りたいのか?
おろそかにしていたから。
ないがしろにしていたから。
謝りたい、理由があるからだ。
謝らせてくれ、
我が女神の言葉を胸に。
右手に心力を。
左手に魔力を。
ああ、この技にも、謝らなければいけないな。
あの時は、途中で怖くなって投げ出してしまった。
おろそかにしてきた。
ないがしろにし続けてきた技だ。
心力の扱いもそうだが、魔力にも不慣れだったあの頃。
ぐずぐずと、時間をかけてしまった。
今なら、すぐだ。
甲高い音。
引き合う。
本来反発する力が、引かれあう。
右手と左手を、引かれるままに重ねる。
「待て!それは……まさか、そんな」
待たない。
それに、もう遅い。
「それは……お前自身をも滅ぼす力だぞ……」
俺は、ただ微笑む。
すまないが、好敵手よ。
お前は、ここで必ず殺す。
この世界も、壊す。
負けを認めたから。
負けを認めたからこそ、これを使わせてもらう。
俺の身体が耐えられないほどの威力。
俺の力が上がった分、あの時よりもさらに上、そして、今度は……最後まで、いく。
……ん?
なんで、これに限ってそんな反応をするんだ?
俺の気配を感じないくせに、なんでこれにそんな反応をする?
ギャラクシアン・エクスプロージョン(偽)って、神話の世界の住人でもメジャーな技なのか?
まあ、ある種の……破滅の力ではあるだろうけど。
好敵手が、一歩退き……肩を落とした。
邪魔されるかと思ったが、いきなり諦めたか……油断はしないが。
その姿を見てみたかったという思いと、そんな姿は見たくなかったという思いが、半々だな。
少し、複雑だ。
あの時投げ出したレベルをはるかに超えて……自分の成長を実感するのはいいけど。
どこまで膨らむの、これ?(震え声)
俺のツッコミに応えたわけでもなかろうが、力の、流れが変わったのを感じた。
膨らもうとする流れ。
そして。
中心へと集まろうとする流れ。
戸惑い、そしておぼろげに理解した。
……そうか。
あれは、力を集めている途中で、中途半端に投げ出したものだったか。
だから、破壊だけを生み出した。
反発する2つの力。
それが引き合い、織り成すもの。
破壊と再生。
そんな言葉が浮かんだ。
破壊の先にあるもの。
破壊の先に願うもの。
中心へと集まろうとする流れが強くなり、大きく膨らんだ光が凝縮されていく。
悲鳴をあげかけていた身体が、楽になった。
ただじっと、その過程を見つめていた
「なあ、お前の名前を教えてくれ。俺は、俺の名は、アルだ」
やつの視線が、俺に向けられた。
そして、口を開く。
「……だ」
「え?」
「アラルだ……」
神話の名前としては……聞き覚えはないな。
まあ、俺もギリシャ神話ぐらいならともかく、詳しいわけじゃない。
というか、紛らわしいな、おい。(目逸らし)
まあ、俺の名前にしたって、村で『アル』と呼ばれていただけだからな。
たぶん、愛称か、名前の一部なんだろう。
「……アル。人の子、アル。それは、いや……お前は何を願う?」
……死亡フラグ立てるのやめてください。
でも、仕方ない。
俺は、負けたんだ……これは、当然のペナルティ。
「願いか……そうだな」
俺は、誇り高き戦士などと呼ばれなくてもいいな。
ただ、守る者でありたい。
「人の笑顔……かな」
全員なんて、口が裂けても言えないがな。
できることだけを。
やれることだけを。
どうしても、こぼれていくものはある。
それでもだ。
もう一度、この何もない世界を見渡した。
俺は、こんな何もない世界はごめんだ。
テリオス師匠。
シュルツ。
イオニス。
アイリス。
ミケーネ。
……。
……あ、教皇様と、クラウスとニルスも。
まあ、村の人間もか。
ルチアーノのおっちゃんには感謝してるし。
俺は、両手に集まる力に視線を向けた。
待たせたな。
いくぞ。
破壊と再生。
技の名前は……口にはださんとこ。(震え声)
『世界』は荷が重いが、侵食された分ぐらいは……どうにかなるだろう。
強く、あの世界を想って……。
光が、溢れた。
あ、れ……なんで?
生きて……る?
闇の、中。
いや。
見えてない、だけか。
どこだ、ここは……?
あの世界じゃ、ない……あれは、壊したはずだ。
でも、ここは……どこだ。
寒い、ところ。
『気』と『チャクラ』に意識を。
あ。
弱々しく稼働していた『チャクラ』が、閉じた。
俺を支える、両輪のひとつ。
崩れる。
『気』が、迷走する。
『魔力』はガス欠。
『心力』は……心に燃えるものが感じられない。
喜びも、悲しみも、通り過ぎたあと……。
あぁ。
終わるな……。
遅れて、ずるりと。
自分の半身が、もぎ取られるような感覚。
俺が、俺であったもの。
俺が俺であるために必要だったもの。
でも。
本来は俺のものじゃなかったもの。
少し悩んで。
俺は、別れを告げた。
今までありがとうな……
冷えていく。
身体が。
そして心が、受け入れようとしている。
なのに。
それに抗うように。
ポツリと小さく、灯るものを感じる。
「ははっ……」
ああ、まだ声が出るのか。
懐かしい。
あのやりとり。
最後に、もう一度、か。
これ……
そうしたら、テリオス師匠が、シュルツが、イオニスが……目をそらす。
そうだよな。
はいはい、ぬか喜び、ぬか喜び。
いつもの、いつもの。
ああ、でも。
『化物は、村から出て行け』
これがもし、小宇宙だったら。
『この世界に生きとし生けるもの全てにあるのが小宇宙だ』
いいな、うん。
『この世界に生を受けたあなたは、女神である私の子供たちの1人です……1人なのですよ。それを、忘れないで』
我が女神様には、タコをぶつけよう。
とれとれピチピチのタコを。
チートの陰に隠れてわかりませんでした……とか言い訳しないでくれよ。
ああ、いいな。
悪くない。
楽しい。
でも、そのためには……生きて、戻らなきゃな。
まあ、やってみるか。
腕を、動かす。
ああ、左腕は……肘から先の感覚が……ない。
吹っ飛んじゃったのか?
右腕は……ある。
指先まで。
まあ、死にかけてるという意味では、同じこと、か。
腕があって、よかった。
この幸運に、感謝を。
自分の中に感じる、小さな灯火を。
俺は、そっと抱きしめた……。
熱く、燃えてくれ。
俺の、小宇宙よ……。
そして、奇跡を……。
次話予告、『残された者たち(アイリス視点)』。
アラルは、ギリシャ近辺の地域ということで、メソポタミア神話に源流を持つ、ヒッタイト系のクマルビ神話に登場する神様の名前です。
天国の王でしたが、『地球』へと追い出されたという逸話を持つことから、チョイスしただけで、深い意味はありません。
まあ、この神話も、下克上の連発ですけどね。(震え声)