SOUL REGALIA   作:秋水

10 / 36
※18/07/21現在、仮公開中。
大幅な変更、改訂を行う可能性があります。


第四節 狐と栗鼠■厄災の■

 

(またおかしなことになったものだ)

 アイズとクオンを連れてひとまず一八階層を目指す中、胸中でため息を吐く。

『私は、あなたが羨ましい』

 アイズがそう言った時、クオンは明らかに怒り狂っていた。

 いや、あれは憎悪というべきか。

 とはいえ、それはほんの一瞬の事だ。今は平静を保っているように見える。

 だが、それをなかった事に出来る程には、私達も鈍感ではない。

 結局、今もこうしてどこかささくれだった空気が続いていた。

 もちろん、クオンは【ロキ・ファミリア】の一員ではない。こうして共に行動する必要はないと言えばないのだが……。

(まぁ、あのまま別れるのは危険ではあったしな)

 あのアン・ディールなる人物は、『殺生石』なる得体の知れないマジックアイテムまで持ち出して、クオンをどこかに嗾けたいらしい。

 いくら『殺生石』なるものに心当たりがないとはいえ、それが私達ではないという保証はどこにもなかった。

(ご機嫌取りとは言わないが……ああいや、まさにその通りか)

 少しでも態度を軟化させておいた方が無難ではある。それこそ、あいつ自身が言ったように致命傷を重傷で済ませられる要因になるかもしれないのだから。

 それに、気になる事も一気に増えてしまった。この状況で一切情報収集をしないというのは副団長として許されない。

「何がいけなかったのかな?」

 相変わらず妙にモンスターが多い二四階層を超えたあたりで、アイズが小さく呟いた。

 巷では未だに『人形姫』などと呼ばれているが、実際にはそこまで感情がないわけではない。それに構う余裕も、ようやく生まれてきている。

「さてな」

 しかし、アイズの問いかけは難問だった。

 アイズの一言がクオンの逆鱗に触れたのは確かだ。しかし、何故なのかが分からない。

(クオン。四年前に忽然とオラリオに姿を現した。それ以前の経歴は全くの不明)

 少し前方を進むあの男について知っているのはその程度だ。

 ある日忽然と姿を現し、剣闘士として名を挙げ、何らかの要因でいくつかの性質の悪い派閥と抗争し、その全てを壊滅させる。

 その後、色々と理由があって、私達【ロキ・ファミリア】と全面抗争一歩手前にまで陥り、フィンやガレスをも単独で撃破して見せた。

 その騒ぎを耳にしたギルドにより素性調査が行われ、正真正銘のLv.0だと確認される。

 また、それに立ち会った【ガネーシャ・ファミリア】とも関係を持ち、いくつかの騒動を鎮圧した。

 その結果、神フレイヤに目を付けられ、それが【猛者(おうじゃ)】オッタルとの一騎打ちに繋がっていく。闘技場にて真っ向から【猛者(おうじゃ)】と切り結び、さらには乱入してきた【古王(スルト)】を撃退するという偉業にも。

 その後、突如としてダンジョンに向かい、ほぼ初見のまま七〇階層踏破という前代未聞の非公式記録(アナザーレコード)を樹立したとされる。

 同時期に、Lv.0でありながら神々から正式に【正体不明(イレギュラー)】の二つ名を与えられた。

 そして、ある日突如としてオラリオを去り――三年間行方知れずだった。

 これが私が知るクオンの過去の全てとなる。

 しかし、それはほんの四年前、期間にして僅か一年程度の出来事でしかない。

 過去と呼ぶにはあまりに短すぎた。

(最初にあいつに潰された派閥を考えれば、抗争の()()もある程度察せられるが……)

 それが関与しているのか。

 胸中に浮かんだその考えを、小さく首を振って否定する。

 その『理由』はアイズと直結しない。いや、まったくの無関係とも言い難いが……。

(あまりに遠すぎるな。そもそも彼らがアイズという存在を想定していたとも思えない)

 大体、アイズはおそらく彼らの()()に反するものだ。完全に無関係とは言い難いが、クオンに繋がる理由がどうしても思いつかない。

(そもそもクオンがそれを知っているのかどうか……)

 私がその予想を立てられたのは、王族(ハイエルフ)として生まれ、『暗黒期』の構想に関わっているからだ。公的には『暗黒期』が終わっていた四年前に現れたクオンが、そこに至れるかどうか。

(とはいえ、アイズ自身の素性については、ある程度予測がついている節があるな)

 何しろ未だに底のしれない男だ。まだ何か隠し玉があるのかもしれない。

 となると、やはりそれ絡みなのだろうか。

(言葉の端々に魔導士への偏見らしきものが見え隠れしているのは確かだが……)

 人体実験。時折、クオンはそんな言葉を口にする。

 そして、あのアン・ディールなる人物は躊躇わずにそれを実行できる狂人らしい。となると、そういう偏見を持つに至った原因は……少なくともその一つはあの人物だろう。

(そこに加えて、アイズの素性。それらを照らし合わせれば、誤解している可能性も皆無ではないだろうが……)

 アン・ディールは見た事もないモンスターを従えていた。

 もしも、あれを自分で生み出したというなら、それはもう今のオラリオ――いや、アルテナにすらない秘術(邪法)の使い手という事になる。

(だが、ドラングレイグだと?)

 すでに滅んだ国のようだが……そんな国はあっただろうか?

(私達や精霊のような魔法種族(マジック・ユーザー)以外が魔法を得たのは、神々が降臨してからの事だ。それから一〇〇〇年の間に、あんな邪法を生み出した魔導士がいるなら、例え滅んだとしても噂の一つも残っていてよさそうなものだが……)

 それとも、アン・ディールはエルフなのだろうか。フードを被っていたせいで耳が見えなかった以上、可能性としてはゼロではない。

 そして、一〇〇〇年以上前……モンスターが跋扈していた『古代』なら、大国が滅亡したとしてもそこまで不思議ではない。

(だが、そうすると……)

 クオンは何者なのか。

(どう見ても、あいつはヒューマンだ)

 一〇〇〇年以上前に滅んだ国の王兄と一体どうやって接点を持ったのか。

 あの様子からして、単なる顔見知りではない。

 むしろ、アン・ディールにとっても極めて重要な人物のはずだ。

(『薪の王』。『闇の王』。それに『絶望を焚べる者』、か)

 それらすべてはクオンを意味する言葉らしい。

(そう言えば、例の赤髪の女はクオンを『亡者の王』と呼んだらしいな)

 そして、アン・ディール自身もクオンを亡者と呼んだ。

 となると、その『亡者の王』とやらもクオンを意味する言葉なのだろう。

(二つ名の類か? 神々から与えられたものではなさそうだが……)

 しかし、それが持つ意味はどうやら相当に重いものらしい。

 加えて、お世辞にも穏やかとは言い難い。

 さらに言えば、

(デーモンの()()()と言ったな)

 フィリア祭で、そしてリヴィラの街でも暴れた牛頭のデーモン。

 あれは誰かの意図の下で動いているという事なのだろうか。

(となると、疑わしいのはアイズ達を襲ったという赤髪の女だが……)

 いや、それもおかしい。

 アン・ディールは存在こそ知っていたようだが、決して重視していた訳ではない。

(それに、クオン自身も別の何者かを想定している)

 一体何者なのか。そもそも、この二人と一体どういう因縁があるのか。

(やはり、すべてはここに集約するな)

 クオンとは一体何者なのか。

 アイズの言葉に激怒した理由すらも、ここに集約されるはずだ。

(あるはずなんだ)

 この【正体不明(イレギュラー)】にもオラリオに来る前の過去が。

 あれだけの力を得るに至った経緯や経歴が。

 アン・ディールなる怪人物に目を付けられるに至った背景が。

 そして、数多の二つ名と思しきものを得た理由が。

 それらが存在しないはずがない。

(まずはそれを知ること、か……)

 もっとも、今までそれができなかったからこそ、こんな事態になっているわけだが。

 嘆息しつつ、足を速めてクオンに追いつこうとして、

「うん?」

 背後から何者かが走ってくる音がした。

 音からして一人。

(やれやれ、間が悪いな)

 ひとまずその同業者には先に行ってもらおうか――と、そんな事を思っていると。

「くっ!?」

 アイズの声と、剣戟の音が響き渡った。

「アイズ?!」

 ダンジョン内での闇討ちは、確かに珍しくない。

 しかし、こちらが三人――いや、クオンを除いたとしても二人いるところに、たった一人で仕掛けてくるとなると、流石に珍しい。

(平均的な前衛装備だな)

 顔には質素な鉄仮面。体にはラウルのような鎧。手には大斧と大盾。

 顔を隠しているのは、闇討ちを仕掛けるためか。鎧と仮面のせいで種族は分からないが、体格からして小人族(パルゥム)やドワーフ、アマゾネスの可能性は低い。

 武装を合わせて考えれば、獣人かヒューマンといったところだろう。

 そして、単独で『中層』を探索できるとなると、Lv.3以上は間違いない。

「はぁあっ!」

 もっとも、何であれアイズを一人で相手にするというのは無謀に過ぎる。

(まず動きが稚拙すぎるな)

 あれでは力任せに暴れているに過ぎない。

 よく言われる【ステイタス】に振り回される上級冒険者の典型例だった。

 あれなら、万が一同格(Lv.5)であってもアイズには勝てまい。

 実際、アイズの剣はあっさりとその冒険者の右肩を貫いた。

 命に関わるほどの傷ではないが、手当てしない限り武器を振るう事は出来ない――

「なっ?!」

 はずだった。

 しかし、その襲撃者はまったく痛みを感じていない様子で左手の盾を叩きつけてくる。

「このっ!」

 多少の動揺はあっただろうが、それだけだ。

 アイズは冷静に剣を引き抜き、そのまま大上段から振り下ろす。

 無論、頭から一刀両断するつもりではなく、牽制と……何より警告だった。

 とはいえ、当たればただでは済まない。

 Lv.3以上の冒険者なら、避け切れないまでも盾で受けられるだろうが――

「ッ?!」

 しかし、その襲撃者はその一撃すら無視して突進してくる。

 アイズは慌てて軌跡をずらすも、鉄仮面は両断され――

「いかん! アイズ、下がれ!」

 露わとなったその顔を見て、叫んでいた。

 それは人ではない。いや、人だったものと言うべきか。

 干からびた死体。それが動いている。

「そいつは『アンデッド』だ!」

 ダンジョン内で語られる都市伝説の一つ。

 彷徨う冒険者の遺体――すなわち『アンデッド』。一般的には眉唾ものの噂だと思われているが……私は以前実際に遭遇していた。

 もう少し下、二六階層で。

 あの時は噂すら知らず大いに困惑した……が、それでも分かった事もある。

「剣では倒せない!」

 体をいくら切り刻もうと倒せるものではない。

 実際、フィンの槍もガレスの斧も物ともせず襲い掛かってきた。

 あの時は『巨蒼の滝(グレート・フォール)』に落とす事で事なきを得たが、ここではそうもいかない。

(くっ、魔法で完全に体を破壊するしかないか……?)

 せめて氷漬けにできればまだ手はある。

 杖を構え、詠唱を開始する――

「下がっていろ」

 より、早く傍らを黒い影が通り抜けていった。

 言うまでもなくクオンだ。

「―――――」

 アイズに気を取られている隙に、クオンはその『アンデッド』をあっさりと両断した。

 干からびた死体のようなその体から生々しい血が噴き出すという、あまりに奇妙な光景が展開される。

 上半身が地に落ちるのと、下半身が崩れ落ちるのはほぼ同時だった。

 そして、もう動かない。

「倒した、のか……?」

 それも一撃で。

 唖然とする私をよそに、クオンはその『死体』に近づくと、鎧を脱がし、その下のシャツの胸元辺りを斬り裂いて――

「やはりか……」

 はっきりと舌打ちした。

「何かあったのか?」

 警戒を緩めないまま、その『死体』に近づく。

 どうやら、見たところ魔石を摘出していたわけではないらしい。

「ああ。また面倒な事になった」

 何を見てそう判じているのか、私には掴み兼ねた。

 そこにあるのは、男性と思しき干からびた死体でしかない。

 いや、

「痣? いや、それにしては……」

 妙に禍々しい『何か』がその胸元に穿たれていた。

「『暗い穴』。見るのは初めてか?」

「『暗い穴』?」

 確かに、それは言い得て妙だった。

 墨でも垂らしたかのような漆黒の何か。そこにあるのはそんなものである。

 痣やほくろ、刺青の類ではない。その黒は、あまりに暗い。

「その小娘の身体を後で探ってみろ。案外同じものが見つかるかもしれないぞ?」

 アイズに視線をやりながら、クオンが小さく笑う。

「……どういう意味だ?」

「『本当の力を引き出してやる』。この穴を穿てる奴はそう言って近づいてくる」

 なるほど、と胸中で呟く。

 それは確かにアイズにとっては危険な囁きとなるだろう。

「実際、こいつの力は大したものだよ」

「まさか、お前もか?」

「まさか。いや、確かに昔、勝手に一つ穿たれたが、それはもう癒してある」

「癒せるのか?」

「ロスリックで世話になった火防女がいれば可能だが……それでも代償は安くない」

「火防女?」

 と、問いかけてから、それより先に訊かねばならない事があると思いなおす。

「いや、それよりもその『暗い穴』とは何なんだ?」

「不死の呪いだ。確かに力を与えてはくれる。だが、その代償としてこうなる」

 クオンが、その『死体』を示して言った。

「もっとも、それなりの素質さえあればいきなり亡者にはならない。個人差はあるが、死ぬごとに少しずつ亡者化は進み、いずれ完全に亡者となり果てる。そうなると、こいつのように理性を失って見境なく人を襲い始めるんだ」

「死ぬごとに?」

 それは奇妙な言い回しだった。

 言うまでもなく、死ねばそこまでだ。

 いや、『不死の呪い』というなら死なないのではないか?

「ああ。この場合の『不死』は死なないのではなく、死んでも蘇ってくるという意味だ。だが、蘇る毎に人間性を失っていき、最後にはこうなる」

 その疑問を口にする前に、クオンはあっさりと言った。

「俄かには信じがたいが……」

 しかし、確かに『アンデッド』は殺せなかった。

「待て。だが、そいつは死んでいるのではないのか?」

「亡者となり果て、それでも殺され続ければいずれ動かなくなる。そういう意味では、確かに完全な不死とは言い難いかもな」

 もっとも、亡者となった時点で生きているとは言えないが――と、クオンは小さく肩をすくめる。

「殺され続ければ? それは一体どれくらいの話なんだ?」

「さてな。それにも個人差があるらしい。十回で済むか、百回でもまだ足りないか……」

 ゾッとしない話だが……しかし、それはおかしい。

「だが、お前は今一撃で仕留めただろう?」

 それとも、これから『蘇って』くるというのだろうか。

「ちょうどうまい具合に最後の一回だったんだろう」

 気のない返事につい視線が険しくなる。

「そう睨むなよ。色々とコツがあるんだ」

 それ以上答える気はないらしい。いつもの『スキル』で白い布――経帷子を取り出し、その『死体』を包む。

「連れていくつもりか?」

「少なくともリヴィラまではな」

「何故だ?」

「言ったろ? 『本当の力を引き出してやる』と言って近づいてくると」

 ああ。そしてアイズにもあるかも知れないと――

「待て! つまり、この『アンデッド』は……ッ!」

 いや、それは分かっていたはずだ。

 それでも、モンスターの一種だと思い込みたかっただけに過ぎない。

 大体、噂話でも明言されているではないか。

「お前達の同業者と考えていいだろうな」

 それは、()()()()()()()()()だと。

 認めると同時、吐き気を伴う嫌悪感に襲われた。いや、人並みに恐怖しただけだろうか。

 力を求めるのはアイズに限らず冒険者の性だが、これはあまりにも……。

「ああ、だが……」

 口元を覆う私をよそに、クオンは小さく呟いた。

「どうせこうなるなら、いっそ【亡者の王】になるのも悪くなかったのかもな」

 

 

 

 それからしばらくして、私達はリヴィラの街に到着していた。

「てめぇは訳ありの死体回収が趣味なのかよ?」

「さて。そこまで悪趣味じゃないつもりなんだがな」

『アンデッド』の死体――いや、冒険者の遺体を背負ったクオンは、その足でホールスから『開錠薬(ステイタス・シーフ)』を購入し、先日も見かけた小男の協力を取り付けた。

 そして、リヴィラにある遺体安置所(モルグ)に集まっている訳だ。

 理屈で言えば、他派閥である私達が同行する理由はないのだが……クオンが特に追い払おうとはしなかったので、今もこうして一緒に行動している。

「終わった」

 口数少なく、そう告げると小男は報酬を受け取り、モルグから出ていく。

「つーか、お前神聖文字(ヒエログリフ)は読めるのかよ?」

 きっちり仲介料を受け取りながらボールスが性質の悪い笑みを浮かべる。

 読める相手を紹介する事でさらに稼ごうというつもりなのだろう。

 だが、その思惑はあっさりと破綻した。

 ……クオンがあっさりと頷くことで。

「一通りな」

 驚きだった。アイズと二人で思わず絶句する。

「……ケッ、可愛げのねぇ奴だ」

 よほど想定外だったのだろう。ボールスもしばらく呆気に取られてから、ようやくいつも通りの憎まれ口を叩いて見せた。

「さて、と」

 ボールスが出て行ってから、クオンは改めてその遺体の背中を覗き込む。

「これは……?」

 確かにその背中には【ステイタス】が刻まれている。

 刻まれてはいるが……

「読めない……?」

 アイズもまた、それを見て首を傾げた。

 この場合、読めないというのは解読できないのではなく――

「書き換えられている、のか?」

 無論、全てではない。

 ただ、主神の名が記されているはずの部分は完全に塗り潰されていて判別できない。

 無論、それを示すエンブレムもない。【ステイタス】やスキルだけが味気なく書かれている。

「それも気になるけど、Lv.が……」

「ああ。これは一体……」

 そこにはLv.1と記されていた。

「あれはLv.1の動きではなかったはずだが……」

 理性を失った影響なのか、ずいぶんと粗雑な動きだった。しかし、それでもLv.3相当の身体能力を発揮していたはずだ。

 確かにアビリティ熟練度を見る限り、Lv.1の中でなら上位に食い込みそうだ。しかし、当然ながらランクの差を二つも埋められる程ではない。

「『穴』が二つある。そのせいだろう」

 遺体を仰向けにすると、先ほど見た『穴』の少し下に同じものがあった。

「これ一つでLv.1分だと?」

「どうやらそういう換算になりそうだな」

 まったく、性質の悪い冗談だ。

 この『穴』を穿つ魔法――いや、呪詛(カーズ)だろうか?――の行使にどれだけの力が必要かは定かではないが、効果はあまりに破格だ。しかも、クオンの説明と目の前の遺体を考えれば、ほぼ間違いなく永続する。

 後の事さえ考えなければ、恐ろしく魅力的だった。

 詳しく知らなければ、私自身も手を伸ばしていたかもしれない――と、そう思う程度には。

「こんなものの存在が知れ渡れば、被害者は一人二人では済まないだろうな」

 思わず呻き――自分の言葉にゾッとした。

 あるいは、もう氾濫しているのだろうか。

 オラリオの中で――あるいは、私達のホームの中でも、人知れず。

「しかし、これは……主神との繋がりが絶たれても、【ステイタス】が効果を発揮している、ということなのか?」

 悪寒を振り払い、努めて事務的に疑問を口にする。

 それはあり得ない。

神の恩恵(ファルナ)』を上回る何か。

 そんなものが存在するとすれば、それはこの『神時代』――人と神の関係が根底から覆される事を意味する。

「さてな。こいつの名前を控えて、ギルドで照会できれば分かるかも知れないが……」

 こういう時だけは、常と変わらないクオンの口調が頼もしい。

 おかげで、私も冷静さを保っていられる。

「彼がいつから彷徨っていたかにもよるか」

 幸い、名前に関しては解読できる――が、何しろ冒険者は入れ替わりが激しい。

 現役の名簿ならまだしも、行方不明者の名簿などそう長い事保管している訳もない。

 流石に破棄されてはいないだろうが……資料庫の奥深くに仕舞われ、忘れ去られているとしても何ら不思議ではない。そうなれば、照会するのも大仕事となる。

「さて、種明かしはこんなところだな」

 遺体を再び経帷子で包み直し、祈りを捧げる仕草をしてからクオンは立ち上がった。

「種明かしと言われてもな……」

 いや、都市伝説の一つである『彷徨う死体』の真偽を――それどころか、原因にすら触れられたのは大きいが。

「ところで、お前はこれからどうするつもりだ?」

「一泊して地上に戻る。無視してダンジョンにこもっていると、焦れたアン・ディールが何を仕掛けてくるか分からないからな」

「大丈夫なのか?」

 地上に出れば、あのアン・ディールの狙い通り、『殺生石』とやらを完成させようとする何者かと敵対する事になるはずだ。

「ああ。どうやら今回の敵はお前達ではなさそうだからな」

 もっとも、お前達が余計な欲を出さなければの話だが――と、クオン。

(生贄を捧げてでも欲しい代物か)

 それが何かは分からないが……私達が求めるなら、やはり敵になるのだろう。

 ならば、返事は決まっていた。

「分かっている。『殺生石』とやらについては、私の胸の中にしまっておこう」

「私も、誰にも言わない」

 ロキやフィンもそこまで悪趣味ではないはずだが、それをクオンに信じさせるのは少々厄介だ。

 ……いや、そもそも私やアイズがどこまで信用されているかも定かではないが、それを気にしても始まらない。

「そうしておけ。そうすれば、アン・ディールも予定を変えたりはしないだろう」

「あの男は、私達に何をさせようとしている?」

「さぁな。それが分かっていれば……いや、無理か。分かったところでどうせ選択肢がない」

 確かにあの男はそういう手合いだ。

 地上に戻れば、クオンは否応なしにどこかの派閥と敵対する事になる。少なくとも、生贄とされる誰かを見捨てない限りは。

 選択肢がないというのはそういう事だ。

(もっとも、この場合どちらが不運かは分からないがな)

 四年前の経験から言わせてもらうなら敵対させられる派閥の方が不運だろうが……しかし、生贄などという悪趣味な真似をしなければ良かっただけの話でもある。

(しかし、生贄だと?)

 相手は闇派閥(イヴィルス)の残党だろうか。

 今もオラリオに潜伏しているという話は耳にしているが――

「じゃあな」

 つらつらと考え込んでいる隙に、クオンも遺体安置所(モルグ)から出て行こうとする。

「どこに泊まるつもりなんだ?」

「この前の宿だ。安くなっていると言っただろう?」

「それは聞いたが……」

「平気なの?」

「今さら死人の一人二人気にしても仕方ないしな」

 まぁ、この男はそういう奴だった。

 遺体安置所(モルグ)から出て、アイズが三七階層で得た、とあるドロップアイテムをボールスに売りに行く頃には、リヴィラには『夜』が訪れていた。

「クオン」

「何だ?」

 程よく人目が途絶えたところで、クオンに声をかける。

「お前は……お前達は何者だ? 一体どこから来た?」

「『火の時代』の亡霊だよ。俺もアン・ディールも。因果に挑み、敗れた敗残者だ」

「何……?」

「亡者が支配する街を、亡霊が恨みつらみを抱いて彷徨うのは別におかしな事ではないだろう?」

 それだけ言うと、クオンはあっさりと背を向けて立ち去って行った。

(さて……)

 それから私達は少々迷ったが、クオンが泊まる『ヴァリーの宿』への宿泊を決めた。

 どのみち一泊するだけなので、他の宿でも良かったが、あの男から少しでも目を離すのは躊躇われたためだ。

「それじゃ、ごゆっくり」

 よほど貧窮しているのか、店主の獣人は簡素ながらも食事と酒――はこちらが断ったので、代わりに赤漿果(ゴードベリー)が用意された――すらも振舞ってくれた。驚くべきことに無料で。

 いくらかチップを置いていくべきか。そんな事を思いつつ、それを夜食としてから。

(『火の時代』だと……?)

 カップに注いだ赤漿果(ゴードベリー)の果肉を飲みながら、胸中で呟く。

(確か、どこかで……)

 聞いた覚えがある。だが、一体どこだったか。

(城ではないな……)

 王族(ハイエルフ)の教養として、歴史についても一通り学んでいる。

 私が言うのもなんだが、エルフの歴史書――特に自らの歴史に関する物は一流だ。

 理由はごく単純だ。

 何しろ、他の種族にとっては大昔の記録でも、長命なエルフにすれば古老達が語る昔話でしかない。実際、大きな歴史の流れ以外にも、当時の流行り歌や、芸能、演劇、事件、事故、災害、噂話など、事細かに記録されている。

 とはいえ。

 エルフの性とでも言うべきか。他種族の歴史に関しては、そこまでの精度でないのも事実だ。

 むしろ、種族間の交流に乏しかった頃の歴史書は多くの誇張や偏見が混じっている。言い訳をさせてもらうなら、他の種族もそれは同様のはずだ。……もっとも、他種族より顕著かもしれないが。

 閑話休題。

 時代が変わり、他種族との交流が盛んとなった昨今、王族として他種族の歴史にも精通している事を求められはしたが、元となる歴史書がそれでは流石に限度があった。

 もっとも、その半端さこそが外への興味を掻き立て、出奔に繋がる要因の一つになったとも言えるが、それはさておき。

 どの種族のどんな国であれ、偏見に左右されない普遍的な出来事――例えばいつ興りいつ滅亡したかの記録、その大まかな流れに関して言えば、文句なく正確だ。

 しかし、知りうる限りの知識の中にドラングレイグと言う国はなかったはずだ。

(そもそも、『火の時代』なるものは、教本や数多の資料を照らし合わせて学んだ知識ではないな)

 それなら、引っ掛かりを覚える程度のはずがなかった。

「あの、リヴェリア……」

 そわそわとした様子で、アイズが声をかけてくる。

 あれこれと新しい話は聞けたが、結局あの時の怒りの理由は分からずじまいだ。

 いや、そういえば恨みつらみがどうこう言っていたか。しかし、それとて詳細は分からない。

「おそらく、価値観に違いがあるのだろう」

 しばらく考えてから、そう結論した。

「ある意味、一番厄介な理由だな。残念だが、今すぐどうにかする事は出来ない」

 告げると、アイズは肩を落とす。

 価値観の違い。それは、あながち間違っているとは思えない。

 おそらく、私達は根底から価値観を共有していない。

 苛烈なまでの『神嫌い』も、そこに端を発しているはずだ。

(まったく、面倒な……)

 これが凡百の冒険者程度なら放っておくところだが、あいつが相手ではそうも言っていられない。

 何しろクオンは私達【ロキ・ファミリア】との全面抗争を厭わない数少ない存在だ。

 そして、それが可能な戦力でもある。

 何より、

(奴と対峙する事になれば、おそらく私達は負ける)

 そう。それもまた価値観の違いと言えよう。

 どれほどの大派閥あっても、たった一撃で戦闘不能に追いやる禁断の方法。

 それを、オラリオで――いや、世界であいつだけは一切躊躇わないのだから。

 もし本当にその気にさせてしまえば、確実に奴はそこを狙ってくる。

 どんな手段も厭わずに、だ。

 そうなれば、おそらく私達では守り切れない。

 あのクオンが、常人と変わらないロキを手段を問わず殺しに来るのだ。

 ラウル達(サポーター)を守りながら、『深層』を進むより難度が高いのは容易に想像がつく。

 そして、あいつがLv.0である以上、逆転の一手となる主神送還も通じない。

 そもそも主神がいないのだから当然だ。

(あいつは少なくとも【フレイヤ・ファミリア】と同等の警戒が必要な相手だからな)

 その逆鱗を把握しておかなければ、本当に【ファミリア】の命運を左右しかねない。

 まったく、つくづく理不尽な相手と言えよう。

「当面は『火の時代』とやらについて調べるしかないか」

 こうなると(じっか)の書庫が恋しい。

 とはいえ、流石に里帰りする訳にもいかないが……。

「『火の時代』がどうかしたの?」

 嘆息と共に呟くと、アイズが首を傾げた。

「知っているのか?」

「えっと、知っているというか……」

 少しだけ困ったような顔をしてから、アイズは言った。

「ティオナが読んでた凄く古い英雄譚に、確か書いてあったはず……」

「それはティオナの私物か?」

「ううん。ホームの図書館にあるよ」

 どうやら、糸口は思わぬところにあったらしい。

 

 

 

 翌朝――と言っても、時計を見る限り地上ではもうじき日が沈む頃だが――クオンと共に、地上に向かう。

「ほー。あの骸骨巨人をわざわざ一人で仕留めたのか。物好きだな」

 ひと眠りして、機嫌が直ったのかクオンはいつもと変わらぬ様子だった。

「お前も戦った事があるのか?」

「ああ。俺は基本的に単独行動だからな」

 取り巻きどもへの対応と、剣を抜く前にどれだけダメージを与えられるかで難易度がだいぶ変わりそうだ――などと、あっさり言ってアイズを落ち込ませた辺り、あるいはきっちり根に持っている可能性もありそうだが。

(もしや、あの時バロールがいなかったのはこいつの仕業か?)

 遠征時の事を思い出し、小さく嘆息する。

 いや、あのオッタルと互角に渡り合える以上、バロールを単独で討伐できても不思議はないが。

「あまり焚きつけないでくれ。見ているこちらは気が気ではなかったんだ」

「保護者は大変だな」

 いつもの軽口に嘆息すればいいのか安堵すればいいのか。

 そうこうしているうちに、五階層に到着していた。

 ここまでくれば、もはやモンスターも脅威とは言い難い。勘のいいモンスターに至っては、向こうから逃げ出すほどだ。

 もっとも、油断すればあっさり足元をすくわれるのがダンジョンである。加えて言えば、つい先日その『勘のいいモンスター』達に間接的とは言えかなり『痛い目』に合わされている。

 決して油断はできないが――

「ん?」

 そこで、クオンが小さな声を上げた。

 視線の先には人影が倒れている。

「モンスターにやられたか?」

 その割には血の匂いはしないが。

 ともあれ、その人影に近づくと――

「ベルじゃないか」

 クオンが小さく驚きの声を上げた。

「ダンジョンの中で大の字になって寝れるとは、ずいぶんと豪気になったが……しかし、その豪気さは少し心配だな」

「馬鹿な事を言っている場合か」

 相変わらず妙なところで暢気なクオンを押しのけ、傍らに膝をつく。

「外傷もなく、解毒の必要もなし。典型的な精神疲弊(マインド・ダウン)だな」

 見た限りまだ未熟な下級冒険者だ。後先考えずに魔法を使ったのだろう。

 こうしてモンスターに襲われる前に発見できた事と、数日に渡り寝込むほど重篤なものではなさそうなのがせめてもの幸いか。

「この子……」

 私を挟んでクオンと反対側から少年を覗き込んだアイズが驚いたように言った。

「知っているのか?」

「ううん、直接話した事はないけど。この前のミノタウロスの時の……」

 先ほど自戒した『勘のいいモンスター』達との一件か。

 と、なると――

「……なるほど、あの馬鹿者が誹った少年か」

 もっとも、当人もその直後にいくつかの意味で手酷くやられたが。

 ……そこまで含めて自業自得ではあるのだが、派閥としてもだいぶ『痛い目』に合わされている。

「リヴェリア。クオンさん。私、償いがしたい」

 奇妙な縁を持つ少年との再会に、ついため息を吐いていると、アイズは言った。

「償い?」

 図らずもクオンと声が重なった。

「ミノタウロスの時、怖がらせちゃったから。それに、酒場でも」

 その瞬間、クオンと視線を交わした。

(私に任せておけ)

(ああ。任せた)

 アイコンタクトは無事に成立する。

 さっそく、アイズに耳打ちした。

「本当に、そんなことでいいの?」

「ああ。それで充分だ」

 少しばかり困惑した様子のアイズに頷く。

「では、私たちは先に戻っていよう。お前なら一人でも問題ないだろう?」

「うん。大丈夫」

 この階層にいるモンスターがこの子の脅威となる事はあり得ない。

 例え完全に意識を失った、無防備極まる少年を抱えていたとしても、だ。

「しかし、まさかアイズにあんな相談をされるとはな」

 少し離れたところで、つい声に出して呟いていた。

 長年アイズを見てきた身としては、感慨深いものがある。

 しかし、それはそうと――

「ところで、彼は本当にアイズを怖がっているのか?」

 そもそものきっかけを考えれば無理もないとは思うが。

 そこに加えて、あの馬鹿者がわざわざ追い打ちをかけてもいる。

「まさか。あれは照れてるだけだよ。美人だからな、お前の愛娘は」

 しかし、その不安をクオンは一笑に付した。

「なるほど、年相応ということか」

 ならず者揃いの冒険者になるには純情すぎる気もするが。

(そういう可愛げがある者はいないな)

 しいて言えば、ラウルか。

 魔石の代金を着服した際、ついに彼も冒険者に染まったかと感慨深いやら哀しいやら複雑な気分を抱いたのを思い出した。……いや、実際には色欲に目が眩んだだけだったようだが。

 まぁ、それも含めて冒険者らしいと言えば冒険者らしいか。

「意外だな。愛娘に悪い虫がついたと知って慌てるかと思ったのに。というか、今さら言うのもなんだが、普通の男ならまず間違いなく勘違いするぞ、あれ」

 意外と悪女だな、お前――と、笑うクオンを小さく蹴りつけておく。

(まぁ、異性に膝枕されるなどすればそういう可能性もあるか)

 しかし、今回は謝罪という大きな目的がある。

 加えて、あの二人には他派閥の団員という大きな壁があるのも事実だ。

 とはいえ、今はそういう諸々は置いておくとして。

「……むしろ、未だにそういう噂の一つも聞こえてこない事を不安に思っていたくらいだがな」

 少々おかしな形だが、あの子が他の誰かを気に掛けるというのはいい傾向だ。

 確かにあの少年がどういう人物かよく知らない以上、不安もあるが……まぁ、現時点ではアイズの目利きに期待しておこう。

(アイズに男の目利きか)

 いかん。急に不安になってきた。

 しかもこの場合、アイズ自身を心配すればいいのか、それともあの子の『判定』に晒されるあの少年を心配すればいいのか判断がつかないのが、さらに悲惨だ。

 他所の派閥の構成員という大問題も、この不安に比べれば取るに足らないもののような気がしてくるが、さて――

(駆け出し故の未熟さと言えばそれまでだが――)

 ダンジョンの中で精神疲弊(マインド・ダウン)を起こすというのは、魔法を覚えたばかりの駆け出し冒険者にありがちだ。迂闊なのは確かだが、それだけで愚かと断ずるのも流石に傲慢か。

 人格という意味では……この男が関わっている時点で若干心配だが、言葉を交わした事がない今の時点で決めつけるのは早計だ。

 資格――下品な言い方になるが、腕っぷしについては……今後に期待といったところか。あの少年がいつ冒険者となったかは定かではないが、クオンと知り合いとなればおそらく三年以内。

 そんな短い間に単独(ソロ)で五階層に魔法の試し打ちに来れるというなら、なかなかの成長速度と言えよう。

 加えてLv.1で魔法が発現しているとなれば、稀な素質の持ち主とも言える。

 いや。本人と全く面識がない今、あれこれと考えても意味がないのは確かか。

 実際、人格や品性についてはまるで判ずる事ができないのだから――

「……いいけど。お前、人の心配している余裕が――」

「何か言ったか?」

 つらつらと思い浮かべていた事を追いやり、軽く咳払いする。

 無論、詠唱の下準備だ。そして、しっかりと杖を構える。

「い、いや。別に何か最近母親(ママ)を通り越して未亡人っぽいオーラが出はじめているとかそういう事を言いたい訳では――」

 ゴキン!

「誰が未亡人だ! 言っておくがまだ私には娘はおろか伴侶もいない!」

 詠唱などという面倒な事はしていられなかった。

「……確かにお前よりもお前の周りにいる野郎どもを心配すべきだったな」

 杖の一撃で床に沈んでいたクオンが立ち上がりながら呻く。

「何?」

 また馬鹿な事を言ったなら、今度こそ魔法をお見舞いしよう。

 固く心に誓いながらも、短く問いかけた。

「お前みたいな美人が傍にいながら、噂の一つも立てないとなると、やっぱり男どもも全員揃って衆道趣味なのかと……」

「…………」

 馬鹿な事を言い出したのは間違いない。しかし、詠唱すべきかどうかかなり迷った。

 今そういった反応を返すと肯定と取られる気がしてならないのだ。

 ここで判断を誤れば【ロキ・ファミリア】の沽券に関わってくる。

「そんなわけがあるか」

 その一念の元、どうにか自制した。

 いや、『やっぱり』などと言われている辺り、すでに手遅れなのかもしれないが。

 しかし、それはおそらく全てロキのせいだ。

 女性の団員が多いのはロキの趣味だというのはあまりに有名すぎる。

 さらに言えば――

(……。いや、気にすることでもないだろうが)

 否定した途端、今度は私自身の沽券に関わってきた気がしてならない。

 得体の知れないその不安に突き動かされ、言葉を重ねていた。

「フィンは同族の女性にしか興味がない。ガレスは酒と戦場があれば満足という典型的なドワーフの戦士だ。そういう関係にはなりようがない」

 少々端的すぎる説明だが、背に腹はかえられない。

 そもそも、これほど長い付き合いになるなどとは、出会ったばかりの頃――いや、それからある程度時間がたっても、夢想だにしていなかった。

 腐れ縁。おそらく、私達の関係を一言で言い表すならそれが一番正しい。

「……そこで他の若い連中を上げない辺りが母親(ママ)たるゆえ――」

「【吹雪け、三度の厳冬――我が名はアールヴ】!」

 もはや言葉は不要だ。

「ちょっと待て! 何で前半丸々省略して――」

「【ウィン・フィンブルヴェトル】!」

 何だか魔導士としてあるまじき所業をやってしまった気がするが――そんな細かい事は気にせず、時さえも凍てつかせる無慈悲な雪波が吹き荒れた。

「殺す気か?」

 それからしばらくして。

 盛大にくしゃみを一つしてから、クオンが恨みがましい視線を向けてくる。

「むしろ、何故生きている?」

「いや、そんな哲学的な事を訊かれても」

「そういう意味ではない」

 いや、これ以上はやめよう。

 再び不毛なやり取りに巻き込まれかねない。

 切実な思いで、自制を重ねる。

「まったく」

 この男と一緒では感慨に浸る暇もないらしい。

「ところで、リヴェリア。お前は、亡者……『アンデッド』を知っていたのか?」

 そして、油断もできはしない。

 冗談の延長で、冗談にならない話題を持ち出してくる。

「ああ。二年前に一度遭遇した事がある。噂なら、もう少し前から聞いていたがな」

 およそ六年前――『二七階層の悪夢』と前後して生じた『噂』だ。

 あれだけの惨劇が起これば、そんな噂が生まれるのも無理はない――と、当時の私は考えていたし、今も多くの冒険者がそう考えているはずだ。

「よく無事だったな?」

「場所が良かったとしか言いようがないな」

「うん?」

「二六階層だったんだ。だから、『巨蒼の滝(グレート・フォール)』に落とせた」

「それは賢明な判断だな」

「苦労はしたがな。フィンとガレスがいなければ少々厄介だった」

「そうだろうな。あれはこの『時代』の人間とは相性が悪い」

 クオンの言う『時代』とは一体何なのだろう。

 神々の降臨によって『古代』が終わり『神時代』が始まった。それは、それ前後で区別できる程に大きな歴史の分岐点だ。

 時代とはそういった大きな転換を迎えた際に終わり、同時に生み出される。

(なるほど、価値観の違いか)

 時代の変化とは価値観の変化だとも言えよう。そして、その変化の中には断絶も含まれる。

 その断絶が、私達とクオンの間に横たわっているとするなら……。

(この男の力も、魔法も、すべては断絶された過去の時代のものなのか?)

 しかし、そんな事があり得るのか。

 神々が降臨する以前、『古代』とは常にモンスターの脅威に晒され続けた時代だ。

(そんな時代に『神の恩恵(ファルナ)』すら上回れるような力が廃れる理由があるとは……)

 その結論に、背筋が泡立った。

 それ以上考えてはいけない。その自制を振り切って、胸中で呟いていた。

(この力が残っていれば、『神時代』は始まっていなかったかもしれない)

 少なくとも、今とは違う形になっていたはずだ。

 その神と眷属。互いに利用しあう、今の形にはなり得ない。

 何故なら。『神の恩恵(ファルナ)』などなくとも、人は己の力だけで生きていけるのだから――

「――――ッ!」

 それは己の不敬に対するものか。

 それとも、純粋な恐れか。しかし、だとするなら一体何に対する恐れだ?

 知らぬ間に口元を手で覆っていると、クオンが呟いた。

「これはあくまで独り言だ」

 聞き流しても構わない。そういう事だ。

 しかし、この男がそう言った時に限って重要な内容だから始末に負えない。

「遠い昔。おそらくは人が知りうる最古の時代、世界はまだ分かたれず、霧に覆われ、灰色の岩と大樹ばかりがあった」

 それは、『古代』に語られていたという『神話』なのだろうか。

 神が天界にあった頃、自らの起源を、英雄の導き手である精霊を遣わした者の姿を、世界の始まりを求めた者達が遺した物語。

 我々は何者か。どこからきて、どこへ行くのか――それを追い求めた者達が綴った、今はもう廃れてしまった物語。

「その世界に君臨していたのは朽ちぬ古竜だった。彼らこそが世界の王者であり、唯一絶対の存在でもあった」

 廃れた理由は、神の降臨だけが理由ではない。

 禁断の疑問を誘発するからだ。

 すなわち、神とは何か。彼らは一体どこから来たのか。

「分かたれていないが故に不変である世界に、滅びを知らぬ古竜。終わらないはずの時代、変化などあるはずもないその時代に、ある時、火が熾った」

 神のいない時代などありえず、あり得るとするなら、そこに世界があってはならない。

 人も世界も神が生み出したものである。故に、私達は神の『子供』達なのだ。

 私達が等しく『神の恩恵(ファルナ)』を賜れるのも、全てはそのためである。

「はじめての火。あるいは『最初の火』。その火と共に、世界に差異がもたらされた。暖かさと、冷たさ。生と死。そして、光と闇」

 だとするなら、クオンの語るこの『物語』は何か。

 単なる戯言だと一笑に付すのは簡単だが――

「そして、その闇から生まれた幾匹かが、火に惹かれ、その中から大いなる力の源を見出した」

 大いなる力。あるいは、それこそがクオンの力の源なのではないか。

「最初の死者、ニト。イザリスの魔女と、混沌の娘たち。太陽の光の王グヴィンと、彼の騎士達。そして、誰も知らぬ小人」

 突如姿を見せた未知を前に、畏怖に似た予感が喉を締め上げる。

「グヴィンやニト、イザリスたちはそれを『王のソウル』と呼んだ。それは彼らに王たる力を与えたからだ。そして、彼らはその力を以って古竜達に戦いを挑んでいく」

 あるいは、これは最古の英雄譚なのだろうか。

 世界の覇者である怪物の王(ドラゴン)に挑む、最古の英雄たち。

「グヴィンの雷が岩のウロコを貫き、魔女の炎は嵐となり、死の瘴気がニトによって解き放たれた。そして、ウロコのない白竜シースの裏切りにより、ついに古竜は敗れた」

 英雄譚。それは間違いではない。そして、これはやはり『神話』なのだろう。

「これが『火の時代』の始まり。神々が生まれた瞬間だ」

 神々の始まりを謡う禁断の『神話』。

 ああ、そうだ。神々が闇より生まれたなど、一体誰が口にできるのか。

「だがな」

 しかし、クオンが語る禁忌は、その程度のものではなかった。

「これは俺達人間の始まりを伝えるものでもある」

「…………」

 詳細を語られていない存在は、確かにいる。

 そして、クオンは確かに言った。これは『人が知りうる最古の時代』だと。

 しかし、それがもしも真実だとするなら――

「そして、火とは陰るものだ。『薪』がなければ……いや、あったとしても、いずれは消える」

 私が聞いているこれは、『神時代』を根幹から破綻させる猛毒である。

 これ以上は考えてはならない。

 咄嗟に結論を拒絶した私をよそに、クオンはさらに言葉を重ねた。

 薪――それもアン・ディールが口にした言葉だった。

 そして、

「火が消えた時。それを力の源としていた神々はどうなるんだろうな?」

 おそらく、クオンにとって、『()の時代』とはすでに終わったものなのだろう。

 

 …――

 

 それから先は互いに沈黙したまま、ついに地上に到達した。

 天上に輝くのは常と変わらぬ月と星。

 その微かな輝きは、知らず強張っていた心をほぐしてくれた。

「お前といるのはつくづく心臓に悪い」

 だからこそ、ついそんな不満が言葉となって零れ落ちる。

「おいおい、冒険者がそんな肝の細い事でどうするんだ?」

 むしろ、冒険者だからこそ心臓に悪いのだが――と、毒づきかけてやめた。

 とてもではないが、信じがたい話だった。

 何より厄介なのは、他の誰かに相談できる内容ではないという事だ。

(ただの独り言、か)

 そうだと信じて忘れ去るのも、選択肢の一つだ。

 そうすべきだと、理性は囁く。

 わざわざ異端となる必要はない。得体の知れない男が口にした妄言だとしておけば、それで充分だ。充分だが―――

(これも冒険者の性、か……)

 その先にあるはずの『未知』に惹かれている自分を自覚していた。

「じゃあな」

「ああ。リヴィラの遺体については、明日にでもギルドに報告しておく」

 あれから『アンデッド』は息を吹き返すことはなかった。

 無論、そうでもなければクオンとて遺体安置所(モルグ)に置いておこうとは思わなかっただろう。

(となると――)

 クオンは本当に『殺した』のだろう。

 あるいは、それこそがあの冒険者にとっても最期の救いとなったのかもしれない。

「そうしてやってくれ」

 すでに種明かしが済んでいるからなのか、その手続きを私達が行う――つまり、あの冒険者に関する情報を私達が得る事に、クオンは拘泥しなかった。

 あるいは、この男なりの親切心だろうか。アイズが強さに拘っている事は、クオンとてよく知っているのだから。

(面倒ごとが増えるのを嫌っているだけかもな)

 本心は何であれ、こちらにとっても有益な情報だ。

 これで、アイズに知らせずに済ませてくれたなら何一つ文句はなかったのだが。

(いや、あれを見てなお欲するとは思いたくないがな)

 しかし、あの子には今もそういう危うさがある。

 こうしてクオンが情報を流してよこす程度には。

「ああ、まったく」

 せめて、アイズの結果報告を楽しみにさせてもらうとしよう。

 あの少年に関しては、悪い方向には転ぶまい。そう楽観視する事に決めた。

「まさか逃げられたりはしないだろう」

 そう呟いて、私もホームに向かって歩き始めた。

 

 

 

「あらあら。急にどうしちゃったのかしら?」

 アレン達がクオンを襲撃してから――そして、手ひどく返り討ちにあってから一週間。

 今夜も届いた『速報』に、フレイヤ様が首を傾げる。

「ずいぶんと乱暴だけど、彼らしくないわね」

「はい」

 今宵もまた、【フレイヤ・ファミリア】の同胞が()()()()()()()()()に襲われ、瀕死の重傷を負わされた。

 今さら言うまでもない事だが、俺達とあの男の関係は控えめに言って最悪だ。

 その不満が爆発した結果が、アレン達の独断行動と言えるほどに。

 それについては団長としての不徳を恥じるばかりだが……。

(ずいぶんと回りくどい事をする)

 理由は何であれこちらから仕掛けたアレン達ならまだしも、ただ街を歩いていた――しかもまだ入団して日が浅い――団員すら襲うとは。

 それに、その団員にすらとどめを刺さないというのも気になる。

 実際、アレン達を除けば傷はそこまで深くはない。すでに退院している者もいる程だ。

 ただ襲うだけ。それは、どうにもあの男らしからぬ行動だった。

(アレンが意識を取り戻せば、もう少し詳しく分かるのだが……)

 残念ながら、Lv.6の身体にとっても瀕死の傷を負わされている。

 ガリバー兄弟も同じだ。今も意識は朦朧としていて、満足に情報を得られない。

 しかし、

「彼がその気になったら、迷わずここに訪ねてくると思っていたのだけれど」

 そうだ。あの男ならそうしていて然るべきだ。

「それとも、流石に過大評価だったのかしら?」

「いえ。あの男なら来ます」

 バベルの最上階にある、フレイヤ様の居室。

 あるいは、本拠地(ホーム)である『戦いの野(フォールクヴァング)』の最奥。

 どちらにフレイヤ様がおられても、結果は変わらない。

 あの男なら、来る。

「ずいぶんと彼の事を分かっているのね? それとも、期待しているのかしら?」

「お戯れを。貴女に危険が及ぶ可能性を望むはずもありません」

 一点の曇りもない本心だ。が、果たしてフレイヤ様の目にはどう映っているのか。

 それが、少しだけ気になった。

(もっとも、今の俺があの男を降せるかは分からんがな)

 意図せず力が満ちていく身体を宥めるように中で呟いた。

 先日の一戦。

 致命的に勝敗を左右したあのクロスボウの一撃がなかったとして、果たして俺は勝ち抜けられたか。その疑問の答えは、今も保留にしていた。

 あるいは、それこそが答えなのだろう。

(つまらぬ意地だ)

 こんな様では、再戦など望めるはずもない。まして、フレイヤ様のお命を預かった状態で挑むなど、他の誰が許したとしても俺自身が許せない。

(もっとも、本当にあの男の仕業なら是非もない事だがな)

 何であれ、敵は待ってくれない。それは当然の事だ。

 もし仕掛けてくるなら、その時は武人の意地にかけて全霊で仕留めるのみ。

 迷いなど介入する余地はどこにもありはしない。

「でも、そうなると私達に悪戯を仕掛けているのは、一体誰なのかしら?」

「団員達に調べさせています。今しばらくお待ちください」

 もっとも、元よりクオンは神出鬼没だ。

 闇雲にオラリオを探し回っても、成果はあるまい。

「ええ。……じゃあ、私はそろそろ休むわ」

「はい。ここは私が死守いたします。どうぞ心安らかに」

「フフッ、頼りにしているわ。オッタル」

 微笑みを一つ残して、フレイヤ様は寝室に向かわれた。

 それを見送ってから、改めて気を引き締めなおす。

(やはり、ギルドか【ガネーシャ・ファミリア】を直接揺さぶるしかないか?)

 このオラリオでクオンと真っ当な繋がりを持っているのは、主にその二ヵ所だ。

 無論、普段であれば【ガネーシャ・ファミリア】が派閥抗争を仕掛けてくるなど考え辛い。

 だが、今は少々時が悪かった。

 今ならあり得るかもしれない――その可能性はこちらにとっても火種となる。下手をすれば、他の団員が先走って彼らに抗争を仕掛ける事にもなりかねない。

 無論、抗争になったところで――クオンの介入さえなければ――まず負けはありえない。

 しかし、片手間に倒せると思う程には傲慢にはなれない。

 もし、この襲撃者が【ガネーシャ・ファミリア】と無関係であれば、致命的な隙を晒す事になる。

(そして、勝てばよいという話でもないな)

 仮に【ガネーシャ・ファミリア】と派閥抗争が起こり、それを勝ち抜けたとして。

 その後に残るオラリオの治安維持をどうするか、という問題に対する回答は持ち合わせていなかった。

 何しろ、抱える上級冒険者の数で言えば、【ガネーシャ・ファミリア】がオラリオ最大なのだ。

 その派閥が壊滅、ないし失墜したとして、その『日常業務』を丸ごと引き受けるのは、どう考えても現実的ではない。

 代案がない状態であの派閥を壊滅させては、最悪『暗黒期』に逆戻りだ。

 オラリオ最大派閥の団長として、流石にそれは許容できない。

(それを逆手にとって、という神ではないがな)

 少なくとも俺自身は、本当に【ガネーシャ・ファミリア】が裏で糸を引いているとは思っていない。

 団員はともかく、主神ガネーシャはそういう神格ではない。そして、団員の暴走をいつまでも許す神でもなかった。無論、団長の【象神の杖(アンクーシャ)】も同様だ。

(明日にでも、直接訪ねてみるべきか)

 今までの襲撃はすべて日没後。

 ならば日中なら問題あるまい――などと考えながら、夜の闇に包まれたオラリオを大窓から見下ろす。

(む……?)

 と、Lv.7の視力がとある人影を認めた。

 黒衣を着込んだ男。【正体不明(イレギュラー)】クオン。

 その男は、たった今バベルから出てきた様子だった。

 さらに言えば――

(【九魔姫(ナイン・ヘル)】?)

 傍らにいるのは、【ロキ・ファミリア】の副団長だった。

 それ自体は、そこまで不思議ではない。

 俺達程ではないにしても、クオンとの関係が悪いあの派閥において、【九魔姫(ナイン・ヘル)】ともう一人の冒険者だけは例外だった。

(【ロキ・ファミリア】と組んだか?)

 ちらりとそんな可能性が浮かびはしたが……すぐに首を振って否定する。

 奴らにあの男を抱き込めるできるだけの度量があるとは思えない。

 その篭絡する手段も、だ。

 ……いや、【九魔姫(ナイン・ヘル)】を『対価』にすれば可能性の一つもあるかも知れないが――

(そういう様子でもないな)

 武骨者はという自覚はあるが、俺とて木の股から生まれてきた訳ではない。

 そういう機微がまるで分らない訳ではなかった。

 そして、あの二人は遠目にもそういう機微を発している様子はない。

 流石に邪推しすぎだ。それに、もはやそういう問題ではなくなった。

(たった今、ダンジョンから()()()()だと?)

 ならば、つい先ほど届いた襲撃の報告は一体どういう事なのか。

(やはり、あの男ではないな)

 いや、どうという事もない。

 アレン達以外を襲撃した者はあの男ではない――ただそれだけの話だ。

 その結論は何の驚きも宿さないまま胸に収まった。

(だが、そうなると……)

 気になるのは、アレンが譫言のように呟く人名のようなものだが……

(確か、アン・ディールと言ったか)

 どういう関係にあるのか今ひとつ分からないが、おそらく無視はできない。

 あのアレンが、死の淵にいてなお伝えなければならないと判じた情報なのだから。

(少々危険だが……)

 覚悟を決めて、この区画に用意していただいた簡易の執務室に向かう。

「明日の早朝に、これを届けろ」

「はっ!」

 書き上げた書簡を蜜蝋で封をし、バベルに詰めている中で一番高Lv.の団員に渡す。

 あの団員が使者なら、あちらへの義理立てとしては充分だ。

(あとは、奴ら次第か)

 奴らから情報を得られれば、ある程度状況も見えてくる。

 クオンと【ロキ・ファミリア】が組んだかどうかも含めて、だ。

(長い一日になるかもしれんな)

 胸中で呟きながら目を伏せた。

 

 …――

 

「団長! リヴェリア様!!」

 朝一番で、焦りを宿した大声が響き渡った。

「何事だ?」

「さぁ?」

 たまたま廊下で一緒になり、そのまま食堂に向かう途中だった私とフィンが顔を見合わせていると、その声の主は足音も荒くこちらに駆け寄ってくる。

「どうしたんだい?」

 駆け込んできたのは、門番を担当する団員だった。

「こ、これを……」

 よほど慌てていたのか、すでに若干息が上がっている。

 いや、単に動揺が呼吸を乱しているだけか。

 ともあれ、差し出されたのは一通の書簡だった。

「このエンブレムは、【フレイヤ・ファミリア】……」

 多少ならず緊張した雰囲気を纏いながら、フィンは手早くそれを開封し、目を通す。

 そして、言った。

「リヴェリア、君は【フレイヤ・ファミリア】に何かしたのかい?」

「何だと?」

 思わぬ言葉に面食らっていると、フィンはその書簡を差し出してくる。

『本日正午、貴公らの副団長、【九魔姫(ナイン・ヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴとの面会を申し込みたい。急な話だというのは承知しているが、こちらにとっても火急の要件である。時間についてはある程度ならそちらの都合に合わせる。また、さほど時間は取らせない事も約束する故、配慮を願う』

 ――と。堅実ながらも不思議と覇気を感じさせる書体で、簡潔な文章がしたためられている。

 団長であるオッタルの署名(サイン)を見て、いかにもあの【猛者(おうじゃ)】らしいと妙に納得した。

 しかし、それはそうと――

「それで、心当たりはあるかい?」

「いや、さっぱりだ」

 あのオッタルから面談を申し込まれる理由などまるで見当がつかない。

 まして、私は仮にも【ロキ・ファミリア】の副団長だ。私達が面会すると知られただけでも、ちょっとした事件になりかねない。

「……さて、どうしたものか」

 理由は皆目見当がつかないが、無下にはできない。

「リヴェリアを指名する理由は分からんけど、フレイヤんトコは今ちょっと厄介な事になっとるよーやし、会うだけ会ってみたらええんちゃう?」

 と、そこでいつの間にか近づいてきていたロキが言った。

 接近に近づかないとは、思ったより動揺していたらしい。

「厄介な事だと?」

「ああ、なるほど。そういう事か」

 首を傾げる私をよそに、フィンは納得した様子で言った。

「そうか。まだリヴェリアには話してなかったね」

「自分らがダンジョンに潜っている間に、フレイヤんトコの子供たちが襲撃されててなぁ。そん中には【女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)】や【炎金の四戦士(ブリンガル)】も含まれとるんよ」

「何だと?」

 いや、待て。そう言えば、あのアン・ディールなる魔導士も、オッタルについて触れていた。

 あの時に言っていた『弱兵』というのはまさか彼らの事なのか?

(殺し損ねたとも言っていたな)

 早速見え隠れし始めた『狂人』の影に嘆息しながら、問いかける。

「まさか、クオン絡みか?」

「どうだろうね。少なくとも【女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)】達を返り討ちにしたのは間違いなさそうだけど」

「相変わらずマジで容赦なかったっぽいしなぁ。今も入院中って聞くし」

 なるほど、確かに【女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)】達に関してはあいつの仕業と見てよさそうだ。

 しかし――

「私達がダンジョンに潜っている間と言ったな。それはいつの話だ?」

「いつ言うか……()()()襲われたっぽいで」

 それはおかしいのではないだろうか。

 あの男は、私達と出会った時点で三日間はダンジョンに滞在していたはず。

 いや、あいつなら日帰りでリヴィラと地上を往復できるだろうが……。

「ンー…。その辺りに事情がありそうだね」

「そのようだな。ならば、仕方ない。会って話してみるとしよう」

 嘆息と共に、そう告げた。

 別にクオンの肩を持つ訳でもないが、誤解は解いておかねばならない。

 クオン関係を差し引いても、極彩色の『魔石』や、モンスターを変質させる『宝玉』、それらと関係するらしいアイズを求める正体不明の調教師(テイマー)と、頭痛の種には事欠かないのだ。

 こんな状況でさらに【フレイア・ファミリア】と雌雄を決するような事態に陥るなど、流石にご免だった。

「よし。それなら」

 頷いてから、フィンはその足で執務室に向かう。

「まぁ、こんなところかな」

「妥当な条件やろな」

 フィン書き上げた書簡を見て、ロキも頷く。

 彼が提示した条件は以下の通りだった。

『会場は第三地区にあるとある喫茶店』

『無用な混乱を避けるため、形式は密会という形で。派閥間ではなく、あくまで個人的なものとしたい』

『仮にも男女間での密会という形になる。万が一にも不要な誤解を避けるため、こちらからは団長であるフィン・ディムナも同行させて欲しい』

『上記承諾を得られるなら、面会に応じる。また、時間はそちらの都合で構わない』

 と、このような事が程よい社交辞令を混ぜてそこにしたためられている。

 無論、二項目の前半は単なる言い訳だ。

 オッタルは神フレイヤを心酔している。他の女に現を抜かすわけがない。

 話の肝となるのは、単純にフィンの同席を認めろという部分だけだ。

「これを届けてもらえるかな?」

「はい!」

 執務室の入り口で待たせていた門番に、蜜蝋で封をしたそれを手渡す。

「さぁて。今度は何が起こるんやろなぁ……」

 走り去っていく門番を見送って、ロキが呟いた。

「さてね。面倒な事にならなければいいけど」

 それから、一時間と待たずして、オッタルからの返信があった。

 実に簡潔に、『構わない。感謝する』と。

 もちろん、時間の指定もしっかりされてはいたが。

 

 …――

 

「やぁ、オッタル。待たせたかな?」

「いや、問題ない」

 指定の時間に約束の喫茶店に向かうと、すでにその個室にはオッタルがいた。

「珍しいね。君がそんな恰好をしているのは」

 そこに座すオッタルは、半ば身体の一部と化しているような軽鎧――と、あれを呼んでいいものかは悩ましいが――を身に着けていなかった。

 見える範囲には、武器すらない。

「争いに来たわけではないからな」

 この武人らしい誠意の示し方ではあった。

 もっとも、その体一つ、その拳一つでも下手なモンスター以上の脅威となる。

 元よりその気はないが……ここで闇討ちできるとはとても思えなかった。

「【九魔姫(ナイン・ヘル)】。まずは急な要望に応じてもらった事に感謝する」

 私とフィンが席に着くと、オッタルはそう言った。

 意図しているとは思えない。ただ座しているだけだ。

 ――が、それでもこの男はそこにいるだけで威圧感を放つ。

「構わない。確かに驚いたのは事実だがな」

 その気配に呑まれないよう気を張り直しながら応じる。

「時間は取らせんと約束していたな。早速だが、本題に入ろう」

「ああ。それで、一体私に何の用だ。あえて副団長を指名したのだ。まさか派閥間の何かではないだろう?」

「そうだ。あくまで、こちら側の事情だ。そして、お前達の内情に関するものではないつもりだ」

 クオンと繋がりがない限り――と、言ったところか。

 もっとも、万が一私達とクオンが共謀しているなら、このやり取りそのものに意味がないのだから、当然と言えば当然だが。

「【九魔姫(ナイン・ヘル)】。昨夜、クオンと共にダンジョンから出てきたな?」

 やはりそうか――と、安堵にも似た感情を覚える。

 想定外の厄介事に巻き込まれる可能性は、これでだいぶ低くなったはずだ。

「ああ、そうだ。二日前に二七階層で偶然出会ってな。そのまま行動を共にしていた」

 派閥としての関係性はともかく、私個人としての繋がりは今も残っている。

 その辺りは、公然の秘密だ。……まぁ、少々『誤解』されているのも事実だが。

(あいつがふしだらなのが全ての原因だがな)

 まったく迷惑な話だった。

 あいつはあいつで、お前のせいで時々エルフに絡まれるなどとぼやいていたが。

「二日前、か。それ以前の事について、何か知っているか?」

「詳しい事は知らない。だが、あいつはリヴィラの街に滞在していたと言っていたな。場所は『ヴァリーの宿』……もう耳に挟んでいるだろうが、およそ一〇日前に殺人事件があった宿だ」

「その話なら聞いている。……それ絡みか?」

 その一件に私達【ロキ・ファミリア】が介入しているのは周知の事実だ。

 疑われるのは仕方ない。

「いや。ただ単にその影響で大幅に値下げされているからだ」

 だが、現実はそんなものだった。

 実際、あいつがあの宿で何か調査している様子はなかった。

 もっとも、別に同室にいたわけではないので、絶対にないと断言する事も出来ないが。

「ずいぶんとクオンの動向を気にしているようだけど、やはり連続襲撃事件の影響かな?」

「白々しいな【勇者(ブレイバー)】」

 フィンの問いかけに、オッタルはあっさりと応じた。

「だが、礼として答えておこう。その通りだ」

「そうか。まぁ、君達の団員を襲えるような度胸があるのは、確かに彼くらいだろうね」

 確かに白々しい――と、思わず胸中で嘆息していた。

 このオラリオで【フレイヤ・ファミリア】に――ダンジョン内での襲撃ならまだしも――わざわざ地上で真っ向から喧嘩を売るようなもの好きはあいつくらいなものだろう。

 しかし、この『襲撃事件』に限ればクオンはおそらく無関係だ。

 それが分からないフィンではないだろうに。

(この一件、あまりにあいつらしくない)

 ここに来るまでの間に、フィンとロキからその襲撃事件について聞いている。

 そのうえでの結論がそれだった。

 あいつが本当に【フレイヤ・ファミリア】と決着をつけようとしているなら、今頃はバベルの最上階が燃えている。あるいは『戦いの野(フォールクヴァング)』が。

 ……そうでもなければ、私達もここまでクオンを警戒してはいない。

「本当にそう思うか?」

 どうやら、オッタルもまた同じ結論を出しているらしい。

 そう。彼もまた、クオンが犯人ではないと判断している。

 そして、今はその証拠を集めているのだ。

「ンー…。まぁ、正直クオンらしくはないとは思っているよ」

 悪戯が失敗した子供のような顔で、フィンも肩をすくめた。

 お互いの認識を確認しただけなのだろうが……それにしても回りくどい。

(だから、花嫁探しがうまくいかないんだ)

 いずれ機を見てそう助言してやろうと心に決める。

「だが、少なくとも【女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)】達を襲ったのは彼だろう?」

「ああ。アレン達に関しては、ほぼ間違いない」

 Lv.6が一人。Lv.5が四人のパーティを一人で叩きのめせるのは、あいつくらいなものだ。

 いや、目の前にいる【猛者(おうじゃ)】も可能だろうが。

「何があったのかな?」

「探りを入れる気か?」

「まぁね。【炎金の四戦士(ブリンガル)】は冒険者として大成している希少な同胞(パルゥム)だ。僕でなくとも気になると思わないかい?」

 フン、とオッタルが小さく鼻を鳴らす。

「フィリア祭での一件が原因、と言っておこう」

 フィリア祭で神フレイヤがモンスターを放ったのは、新種が暴れだす前に観客達を避難させるための()()()()である。しかし、その後の混乱の中で神ガネーシャやギルドへの報告が上手くいかず、連携をとれなかったため、混乱を拡大させる一因にもなった――と、これがギルドが出した公式発表だ。

 そして、神フレイヤと団長オッタルが神ガネーシャに正式に謝罪し、被害者達にも義援金を支払う事で両派閥の和解は成立している。

「【女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)】や【炎金の四戦士(ブリンガル)】ともあろうものが、君や主神フレイヤの意向を無視して先走ったと?」

 もし今の状態で、【フレイヤ・ファミリア】の団員がクオンを襲えば、それは単なる逆恨みにしかならない。新たに相応の理由でもない限りは。

「俺の不徳を笑いたいなら、好きにしろ。だが――」

「まさか。そんなつもりはないよ」

 みなまで言わせず、フィンは小さく笑った。

「別の何かが関わってる。それも、君達も知らなかった何かが。そうなんじゃないか?」

 ダンジョンで出会ったアン・ディールについては、すでにフィンに報告を上げている。

 無論、『暗い穴』と『アンデッド』の関係についても。

 ただ、『殺生石』と『火の時代』に関してはまだだった。

 特に、アイズと別れてから聞いた話は。

(あればかりは扱いに困る)

 無論、私とて信じているわけではないが――しかし、そこに一片でも真実が紛れているなら、それだけでも厄介な事になりかねない。扱いは慎重であるべきだ。

「何の話だ?」

 一切の動揺を見せず、オッタルは言った。

「【正体不明(イレギュラー)】クオン。神々ですら持て余す彼に関しては、他派閥間でも情報を共有しておかないと危険なんじゃないかな?」

「共有か。ならば、まずは鏡を見る事だな」

「手厳しいね」

 その態度は、あまりに平然としすぎている。

 いかに【猛者(おうじゃ)】と言えど……いや、むしろ彼こそがクオンという存在がいかに怪物めいているのかを誰よりもよく知っているはずだ。

 そして、彼ほどの冒険者が情報をないがしろにするはずもない。

 と、なると――

「お前達が聞きたい名前を当ててやろう」

 小さく笑みを浮かべて、オッタルは言った。

「アン・ディール。違うか?」

 やはりか。すでにオッタルもあの魔導士について勘付いている。

(いや、当然か)

 何しろ、【女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)】達を唆した張本人だ。

 当事者達が生きている以上、情報を伝えていても何ら不思議ではない。

「【九魔姫(ナイン・ヘル)】。最後の確認だ」

 ともあれ、これで互いに手札は尽きた。

「ああ」

 いや、まだこちらには『暗い穴』と『ロンドールの黒教会』なる情報があるが、そちらは私達も全容が把握できていない。現時点では手札にはなり得なかった。

 オッタルが別の手札を持っている可能性はあるが、どうやらここで開示するつもりはないらしい。

 ならば、腹の探り合いはここまでだ。

(いや、これを腹の探り合いとは言わないか)

 オッタルは余計な事を話していないだけだ。そして、おそらく虚言を弄してもいない。

 これはごく単純でまっとうなやり取りでしかなかった。

「クオンは、昨日までの五日間ダンジョンにこもっていた。そう考えていいのだな?」

 最後まで目の前の武人は余計な事を話そうとはしなかった。

「ああ。少なくとも昨日と一昨日に関しては、『襲撃事件』に関わっている余裕はなかったはずだ。私の目を盗み、地上と往復する手段でも隠し持っていない限りは、だがな」

「誓えるか?」

「アールヴの名に誓おう」

「分かった。感謝する」

 それで、私達の面会は終わった。

 

 …――

 

 その日の午後、『上層』から『中層』……一八階層までの間を探索していた複数の冒険者が奇妙な光景を目撃する。

「いや、マジだって。いきなりモンスターどもが吹っ飛んだんだよ。一瞬で」

「なんか通ったんだって。証拠に魔石が残ってたしよ」

 モンスターが突如として消し飛んだ。

 無人の野を往くが如く、群れの中を何かが駆け抜けていった。

 そんな噂である。

 とはいえ、そんな噂になっているのを神ならぬ彼自身が知るはずもなかったが。

 

 …――

 

(日没までには戻らねばならん)

九魔姫(ナイン・ヘル)】との面会を終えた俺は、その足でダンジョンに向かっていた。装備については別室で控えていた団員に預けておいたので何の問題もない。

 もっとも、この階層にいるモンスター如き例え素手でも後れを取るつもりはないが。

 目的地は言うまでもなく、リヴィラの街。そこまで一息に全力で駆け抜ける。

 行く手を阻むモンスター共は、他の冒険者と戦闘中の者も含めてまとめて薙ぎ払わせてもらった。

 冒険者の倫理(ルール)には反するのは承知の上だ。

 その詫びとして魔石は砕かずに済ませている。

 ……この階層にいる多くの有象無象にとっては、それこそが必要なのだろう。

 中には例外もいるだろうが。

「うわ?!」

「きゃあ?!」

 途中でその例外の一人――件の白髪の少年と、そのサポーターらしき少女とすれ違う。 ……もっとも、向こうは気づかなかっただろう。

 傍にクオンがいなかったのは気になるが、幸運でもあった。

(流石に奴の目は誤魔化せんからな)

 もっとも、あの男がいたならそこで話は終わっていたかもしれないが。

「お、おうよ。確かにクオンの野郎なら五日ばかりこの街にいたぜ」

 リヴィラの街に立ち寄ったのはいつ以来だったか。

 それすら定かではないものの、顔役はこちらの事を忘れてはいなかったらしい。

「確かか?」

「ああ。『ヴァリーの宿』ってとこにずっと泊ってたはずだぜ」

「そして、一昨日【九魔姫(ナイン・ヘル)】と立ち去った?」

「おう。【剣姫】もいたがな。それと、ずいぶんと年季の入った死体を背負ってたぜ」

「死体? 冒険者のか?」

「ああ。あんなになるまでダンジョンの中に残ってたとは驚きだぜ」

 顔役の話によれば、その遺体は干からびていたという。

 加えて言えば、上半身と下半身が両断されていた他は、ほぼ原形を留めていたとも。

 モンスター達の巣窟であるダンジョンにあって、それはほぼあり得ない。食い散らかされ骨すら碌に残らないのが常なのだから。

(もしや『アンデッド』か?)

 俺自身が直接対峙した事はないが、報告は耳にしていた。

 その外観はまるで()()()()()()()のようだったと聞いている。

 噂が真実だったとして、そんなものを背負ってくる理由は分からないが――

「その遺体はどうした?」

「ついさっき、ギルドから依頼を受けた連中が連れ帰ったぜ」

 一歩遅かったか――と、胸中で小さくため息を吐く。

(いや、ギルドに問い合わせれば情報を得られる可能性も皆無ではない)

 噂の正体も気にはなるが、今はクオンの足取りを追うのが優先だ。

「それで、クオンは昨日【九魔姫(ナイン・ヘル)】達と地上に向かうまで、一度も地上には戻っていないのだな?」

「ああ。つっても、別に見張ってたわけじゃねぇから絶対とは言えねぇがな。少なくともヴァリーが言うには日がな一日ただゴロゴロしてたそうだ」

 まぁ、そこの道具屋の店主(アマゾネス)の『お誘い』にはのらなかったらしいがな――と、顔役が顎で示す。

 そちらに視線を向けると、ちょうどその店主とやらが顔を出したところだった。

 一般論として、そのアマゾネスは整った顔立ちをしていると言えよう。

(あいつにも、そういう分別があったか)

 微かな驚きと共に胸中で呟く。

 それともよほど吹っ掛けたのか。

 若干気にはなったが、これはそこまで重要視すべき情報なのだろうか。

(判断に困るところだな)

 胸中の呟きが冗談だったのかは、自分でも判じかねた。

 とはいえ、あの【九魔姫(ナイン・ヘル)】にも手を出していない――少なくとも、そういう事になっている――ので、あの男なりに何か基準があるのかもしれない。

 ともあれ、ここではこれ以上の情報は得られまい。

「邪魔したな」

 加えて言えば、必要な情報は概ね出揃っていた。

(【勇者(ブレイバー)】達が、はったりに引っかかってくれたのは助かったな)

 慣れない事もたまにはして見るものだ――と、小さく苦笑しながら、最後の結論を下した。

 今回の一件、鍵となるのはクオン自身ではなくアン・ディールなる何者かだ。

 

 

 

(何だって急に……)

 馴染んだホームの中を歩きながら、声にせず毒づく。

 すでに日は沈んで久しい。

 本来なら稼ぎ時。ここ数日で言えば、情報収集に追いやられる時間だ。

 だというのに。

「おい、アイシャ。イシュタル様が呼んでるぜ」

 出かけようとした私を、同僚がそう言って呼び止めた。

 それを指示した主神様からのいきなりの呼び出し。

 しかもだ。

(神室に来いだって?)

 それもいくつかある私室の中でも、一際上等な――主に、飛び切り『上等』な客を招く際に使う。つまりは『外に音が漏れない』――部屋に来いときた。

 幹部の一人に目されている私にしても、ほとんど縁のない部屋だ。いや、頻回に出入りしているのは専属の従僕くらいなものだろう。

「よく来たな」

 主神――『美の神』イシュタルは豪奢なソファではなく、天蓋付きの寝台に座り、煙管をくゆらせていた。

「そりゃ、呼ばれたからね」

 もっとも、できれば来たくはなかったが。

 しかし、主神の命とあってはそうもいかない。……特に二年前からは。

「脱ぎな」

 言われるがままに、愛用の戦闘衣(バトルクロス)に手をかけた。

 冒険者用装身具(アクセサリ)を含めたところで、さしたる量ではない。

 体を覆う最後の布に手をかけ、するりと脚を抜く。

「来な」

 それを見届けてから、イシュタルは寝台を軽く叩いた。

 半ば反射的に恐怖にも似た感情が背筋を駆け抜けたが……やはり、逆らえるものではない。いや、逆らおうとする発想すらも許されなかった。

 言われるがままに寝台に座ると、イシュタルは身体に手を這わせてくる。

「どういうつもりだい?」

「何。たまには可愛い眷属を労ってやろうと思ってな」

 そんな殊勝な性格なものか――と、毒づくより早く、体が反応する。

 相手は『美の神』。しかも、この淫都の主が務まる女神だ。

 同性である事など、何の障害にはなり得ない。

「ん……は…ぁ……っ」

 淀みなく注ぎ込まれる快楽は、しかしあふれ出す事だけはない。

 弾け飛ぶ半歩手前で、完全に制御されている。

「どういうっ……つもり…だい……?」

「何、まだ夜はこれからだ。そう急ぐことはないだろう?」

「ふざ…っ…けるんじゃ…ぁ…ないよ」

 白熱する寸前の快感は、水底から見上げる遠い水面に似ていた。

 水面(絶頂)を求めて足掻いたとして、絡みつく鎖は外せない。

「そこに手紙があるだろう?」

 耳元でイシュタルが囁く。

 視線だけを動かすと、ナイトテーブルに一枚の紙きれが乗っている。

「読んでみろ」

 その間にも愛撫はやまない。

 半ば私の意識を受け付けなくなった体に鞭打って、その紙切れに手を伸ばした。

「な…に……?」

 そこに記されていたのは、ごく短い文章だった。

『【正体不明(イレギュラー)】クオンについて知りたいのであれば、貴公の眷属が一人、アイシャ・ベルカに尋ねるといい。彼女とクオンは親密な関係にある』

 著名は、なかった。

 ただ、筆跡からしてクオン自身や霞ではない。

(クソが……ッ!)

 どこのどいつだ。

 この女神にだけはそれを知られないよう、気を配っていたというのに。

「これを…どこで……っ!?」

「寝ている間に誰かが置いていったのさ。この私の神室に忍んでくるとは不敬な輩もいたものだ。しかも、紙切れだけ置いて何もせずに帰るとはな」

 そりゃ一体どんな化物だ――と、思わず胸中で毒づく。

 ここは『歓楽街』を牛耳る【イシュタル・ファミリア】の本拠地(ホーム)だ。

 娼館として開放されている区画に他派閥の団員を連れ込むのは日常茶飯事だが、それ以外への侵入は容易ではない。

 まして、主神であるイシュタルの神室へなど、腕利きの盗賊(シーフ)でも不可能のはずだ。

「それで、どうなんだい?」

「さぁ…ね…っ……っぁ」

「まぁいい。夜は長いからなぁ」

 与えられるそれは、もはや快感ではなく劇毒と化していた。

 それを分かっているからこそ、イシュタルは『命令』してこない。

 捕らえたネズミを嬲る猫のように、体を弄び続けている。

「ほう。本当だったか」

 抵抗できたのは、おそらくそう長い時間ではなかったはずだ。

 自分でもいつ頷いたのかは定かではない。女神の手で途切れる事のない法悦が与えられるようになったのと、どちらが先だったのか。

「ぁ…ああ……っ」

 天上(れんごく)の快楽によって真っ白に焼き尽くされた理性の中では、それすら分からなかった。

 ぐったりと寝台の上に身体を投げ出したまま曖昧に頷く。

「好色だと言われているくせに、ここには顔を出さないのは何故かと思っていたがそういう事だったか。お前が誑かして……いや、まさかお前が誑かされていたとはなぁ」

 よくよくそういう運命にあるらしいな?――と、煙管片手にイシュタルが笑う。

「【麗傑(アンティアネイラ)】を『返り討ち』にするとは、ますます面白い」

 再び、イシュタルの裸身が近づいてくる。

「傍にいて欲しいだろう?」

「何だって……?」

「お前の男にさ」

 ああ、そうだ。これを恐れていたから、私はあいつとの繋がりを隠していたのだ。

「二年前の一件はともかく、それ以外はよくやってくれているからな。褒美をやろう」

 控えめに言って性根の悪い笑みと共に、その女神は愛撫を再開する。

 天上の地獄が再び始まった。

「お前が気にかけるあの小娘とは、もうじきずっと共にいれるようになる」

「まさか、アレが……」

 喘ぎながら毒づいた。

「ああ。先日な」

 地獄へ堕ちろ――誰とも知らぬ外道に、呪詛の言葉を吐き捨てる。

「お前の男も、あの女神には含むものがあるのだろう? なら、私達は同志だ。互いに協力できよう」

 それを協力とは言わない。

 ああ、そもそもそれ以前に――

「心配するな。お前の男なら、たまには()()()やる」

 微かに抱いた違和感が形になる前に、イシュタルが嗤う。

「クオンと渡りをつけろ。いいな」

 そして、夜が明ける頃。

 煉獄めいた快楽に焼かれ、打ち捨てられた私にその女神は命じた。

 

 

 

(さて……)

 相変わらずの狂人に人食いカバを嗾けられたり、色々あってつい金髪小娘に八つ当たりしたり、昔懐かしい亡者(同胞)と再会したり、ベルの思わぬ成長を目撃したり、相変わらずリヴェリアはリヴェリア(ママ)だという事を再確認したりしながら、地上に戻ってきた訳だが。

(平和なものだな)

 盛り沢山だった帰り道から一転して、何事もないまま一日が過ぎた。

 いや、別にバベルを出てすぐに乱戦になる事を期待していた訳ではないが、それなりに覚悟を決めて出てきたのだ。ここまで何事もないと、それはそれで張り合いがない。

 念のため『酒夢猫(シャムネコ)亭』にも顔を出していないし、面倒事が増えないように『眼晶(オクルス)』もソウルの奥深く……より正しく言えば『底のない木箱』に放り込んである。

(まぁ、いいか)

 せっかくだ。ベル達の様子でも見に行くとしよう。

 流石に直接関わるのは危険だろうが、遠目に様子を窺う程度なら問題あるまい。

 久方ぶりに≪放浪のマント≫一式を身に着けてダンジョンに向かう。

「ヴァレンシュタイン氏!」

 バベルに近づくと、見覚えのあるお嬢さんと金髪小娘がいた。

「クラネル氏は、あなたにとても感謝していました!」

 驚いた事に、あの無表情がごく小さく微笑んでいる。

 そして、足取りも軽くダンジョンに突貫していった。

 前後関係はよく分からないものの……エイナ嬢が、あの小娘に何事か依頼したらしい。

(しかもクラネルと来たか)

 どうやら、ベルはベルでまた何事かに巻き込まれているようだ。

(まぁ、そろそろそういう時期だしな)

 いや、リリルカ関係で何かしら動きがあっただけか。

 いくらあいつだって本当に毎週毎週変な騒ぎに巻き込まれているはずが――

(いや、ないよな?)

 何だか、急に自信がなくなってきた。

(ま、まぁ、何だ。……今回はあの子絡みだろうな)

 金髪小娘を追いながら、胸中で呟く。

 となると、このまま小娘を追いかけても仕方がない。

(リリルカの方を見つけるべきだな)

 ベルに関して言えば、あの小娘が行くだけで充分だ。

 それに、リリルカの方を見つけなければ事態が把握できない。

(ベルに直接訊くわけにもいかないからな)

 直接接触できるならそれも選択肢に上がってくるが、そうもいかない。

 今の場所は七階層。リリルカ単独では少々危険な領域となる。

(人目につかず、最短距離で地上を目指すなら――)

 選べる通路は限られてくる。

 問題は、すでに行き違いになっている可能性だが……、

(その時はその時か)

 向かう先には見当がつく。

 加えて言えば、あの少女が狙いそうな物はそう多くない。

 例え行き違いになっても、まだ打つ手はある。

「ぎゃあぁああぁああっ!?」

 と、ちょうど向こう側から断末魔の叫びらしきものが聞こえてきた。

 男の物だ。だが、ベルの声ではない。

(これはまた分かりやすい構図だ)

 通路の角から覗き込むと、三人の冒険者ががけ下にいる誰かを嘲笑っていた。

 その誰か――おそらくリリルカだろうが――に親近感を覚えている事に嘆息しつつ、手頃な場所に『誘い頭蓋』を放っておく。

 崖下にいる()()を襲うモンスターのいくらかはこちらに流れるはずだ。

 あとはベルに格好よく決めてもらうとしよう。

(あのお人好しが女を見捨てる訳もないしな)

 ベル自身がどこまで事情を把握しているかは定かではないが、それはこの際関係ない。

 あいつは来る。今日まであの子と共に行動していたなら、間違いなく。

「ファイアボルトォォォォォォッ!!」

 それに応じるように、背後から白兎の咆哮が響き渡った。

「よう、クソ野郎ども。景気はどうだ?」

 愛用の黒衣に切り替えて、その一団に声をかける。

「あぁ? 何だぁテメェは?」

「おいおい、つれないな。四年前には散々遊んでやったのに」

 当然の帰結とでも言うべきか。その一団は【ソーマ・ファミリア】だった。

 無論、顔見知りではない。いや、見かけた事はあったかもしれないが覚えていない。

 ただ、先に盗み聞いたリリルカとのやり取りを考えれば、およそ間違いあるまい。

「あんだと?」

 どこぞの禿丸程ではないが――何故俺はこの手の輩とは縁が切れないのか。

 ……ああいや、放浪者も所詮ははぐれ者なのだから類は友を呼ぶというだけの話か。

「い、いや、待てよカヌゥ。四年前つったら……」

「こいつ、【正体不明(イレギュラー)】なんじゃ……」

 内心で嘆息していると、取り巻き共が小さく呻いた。

 どうやら、全員が全員酔い潰れているわけでもなさそうだ。

「ケッ、たかが『剣闘士』風情にビビってんじゃねぇ!」

 しかし、残念ながらリーダー格らしき獣人――犬人(シアンスロープ)のようだ――は、そうではなかったらしい。

「しかも、ただのLv.0だろうが!」

「け、けどよ。あの【猛者(おうじゃ)】と――」

「ンなもんは八百長に決まってんだろうが!」

 やれやれ。どうやら深刻にやられているらしい。

(あの男が、そんな取引に応じるものか)

 もしそんな事ができるほどの交渉術を持つなら、それだけで世界を支配できそうだ。

「俺が化けの皮を剥がしてやる!」

 俺に剥がれる『化けの皮』があるとすれば、精々が『生者の皮』くらいなものだ。

 確かに剥がされると面倒な事にはなるだろうが。

「それで打ち止めか?」

 取り巻き二人も含めて叩きのめすまで、それほどの時間はかからなかった。

 無論、『化けの皮』を剥がされる事もない。

「て、テメェ……。いきなり何のつもりだ?」

 今さらそれを言うのか。と、思わず笑みすらこぼれた。

「先に手を出したのは貴様らだろう?」

「ンだと……?」

「そうだな。お前たちの流儀に合わせて言えば、こうなるか」

 四年前に蹴散らした何とかいう【ファミリア】の団長の言葉を真似る事にした。

「『よくもうちの若いのに手を出してくれたな。どう落とし前をつける気だ?』」

 所属は違うが、同じゴロツキである事に変わりはない。

 おそらく通じるはずだ。

「ま、まさかあの白い頭のガキの事か!?」

 そう言えば、連中はまだオラリオにいるのだろうか。

 そんな事を思っていると、酔っ払いが呻いた。

「分かってるじゃないか」

「ま、待ってくれ! それなら、リリルカの奴が……!」

「そうだ。やったのは、あのサポーターだ。とっくに粛清した……」

 慌てふためいた取り巻き達が騒ぎ出す。しかし、粛清とは笑わせる。

「そう。そちらもだ」

 気は進まないが、俺に関する『噂』を一つ活用させてもらうとしよう。

「俺の『お気に入り』に手を出しておいて、まさか生きて帰れるとでも思っているのか?」

 どういう訳だか俺は方々で浮名を流していると思われている節がある。

 いや、確かに霞やアイシャの事を思えば――そして、過去には師匠達もいる――全面的に否定はできないが……それでも、完全に無節操という訳ではないつもりなのだが。

 とはいえ、『お気に入り』というのはまんざら嘘でもない。

 もしあの少女が正しくベルの手綱を握っていてくれるというなら実に心強い。

「な……っ!?」

 何であれ、効果は抜群だった。

 薄暗い七階層にあってなお、連中の顔が青ざめていくのが分かる。

 それこそ、死人のそれに近い。

「し、知らなかった! 知らなかったんだ……っ!」

 絞り出されたその言葉を無視して、頬を掠めるように大剣を壁に突き立てる。

「まずはあの子から奪ったものを返してもらおうか?」

 はっきり聞こえなかったが、貸金庫がどうとか言っていた。

 それに、おそらくベルと稼いだであろう魔石やドロップアイテムの類もあるはずだ。

「わ、分かった。おい、お前ら……っ!」

 懐から真鍮製の鍵を取り出しながら、獣人が喚きたてた。

「あ、ああ!」

 取り巻きの片方が、担いでいたリリルカ愛用の大型バックパックを放り出し、もう片方が道中で拾った――つまりはベルが倒したモンスターの――魔石やドロップアイテムが入っているらしき小袋を投げ出す。それに、懐中時計も。

 まったく、そんなものまで投げるな。壊れたらどうする。

「か、返した。返したぞ! だから、命だけは……っ!」

「まぁ、いいだろう」

 ひとまずそれらをソウルに取り込む。

 あとでエイナあたりに事情を説明して預ければいいだろう。

 それに、そろそろ離れないと少しばかり面倒な事になる。

「二度目はない。貴様らの飼い主にもよく伝えておけ」

「分かった! 伝える! 伝えておく!!」

 もっとも、それが守られた試しもないのだが。

(やれやれ。やはり四年前のうちに間引いておけば良かったか……)

 そうすれば、あるいはリリルカにももう少し違った展開があったかもしれない。

「い、行くぞお前ら……!」

 転がるようにして、獣人どもが走っていく。

 その背に告げてやった。

「ああ。だが、気をつけろよ。そろそろあの蟻共が集まってくる頃だ」

 道中にも『誘い頭蓋』を転がしてある。

 そろそろ程よく集まっている頃合いだ。

「ヒィ!? は、話が違うじゃねぇか……ッ!?」

「馬鹿を言うな。ここはダンジョンだぞ。モンスターに襲われるのは俺の責じゃない」

 いくら何でもそこまで面倒は見きれなかった。

「何、心配する事はない。真面目に冒険者をやっているなら切り抜けられるはずだ」

 と、言った端から中途半端に傷を負わせたらしい。

 モンスターの気配が集まってくる。

「く、来るなぁ!?」

「バカ! 下手に刺激すんじゃねぇ! 余計に集まって――!」

 やれやれ。あの蟻共を相手にするなら、一撃で仕留めるのが鉄則だろうに。

 さて。俺の退路がなくなる前に、お暇するとしよう。

「これに懲りたなら、次からは真っ当に冒険者をやって稼ぐんだな」

 最後にそう告げてから、その場を立ち去る。

(ま、三人もいれば自力でどうにかできるだろう)

 万全ではないにしても、手足が動かなくなるような傷はないはずだ。

 ならば、問題ない。

 冒険者として充分に経験を積んでいれば――あるいは幸運が味方をすれば――生き残れるだろう。

 背中にならず者どもの悲痛な叫びを聞きながら、俺はそう結論付けた。

 そして――

「女ったらし、スケベ、女の敵ぃぃぃぃぃぃ!」

 蟻共のせいで多少遠回りをする羽目になったものの、何とかリリルカ達がいるはずの場所まで戻る。と、同時にそんな泣き声が出迎えてくれた。

「グフッ?!」

 それが俺に向けられた言葉ではないのは勿論分かっている。

 しかし、それでも。

 つい先ほど、彼女の名誉にも関わるハッタリをかました身にとって、その切実な言葉はこの上なく深々と突き刺さった。……鷹の眼のゴーの大矢か、竜狩りオーンスタインの槍か。そういう次元の鋭さである。

 

 YOU DIED

 

 ――と、そんな幻聴すら聞こえてきそうになったが、何とか踏みとどまる。

「や、やるな。リリルカ……」

 慄きながら、意味もなくエストを一口飲んでいた。

 不死人にとって欠かせない秘宝だが……残念ながら、精神的なダメージには全く効果がない。

「やれやれ……。相変わらず末恐ろしい奴だ」

 深刻極まるダメージを何とかやり過ごしてから、崖下を覗き込む。

 そこには、ベルに縋り付き泣きじゃくる年相応の少女の姿があった。

(ま、ひとまず収まったかな?)

 どのみちそういう訳にはいかないが……ここでのこのこと姿を現すと、馬に蹴られかねない。それも、不死刑場にいたような強烈な奴に。

 それはご免なので、早々に退散する事にした。

(さて、と。帰って一杯やるかな)

 ひとまず好ましい結果に落ち着いたのだ。

 それくらいはしていいだろう。

 いや、欲を言えば『酒夢猫(シャムネコ)亭』に足を運びたいところだが。

(しかし……)

 この前、ダンジョンで寝ていた時にも思ったが、

(ベルの奴、ひょっとして『魔法』にも目覚めたのか?)

 呪術の継承が何かしらの影響を及ぼしたのか、それとも例のスキルのおかげなのか。

 だとしたら、またヘスティアが盛大にむくれているだろう。

(女の敵か。言い得て妙だな)

 自分の事はひとまず棚に上げ、俺は小さく笑った。

 

 

 

「【フレイヤ・ファミリア】の眷属だな?」

 ここ数日繰り返しているように、街を彷徨っては【フレイヤ・ファミリア】の眷属を見つけ出す。

(そろそろ、警戒の一つもされようが……)

 こうして標的が途絶えないのは、こちらを狩ろうとしているからか。

 それとも、そろそろ仕掛けてくるか。

「【正体不明(イレギュラー)】か?」

 今日の標的は、妙に落ち着いている。

 襲撃される事を前提として巡回しているという事か。

(ならば、そろそろ潮時というものか)

 普段通りに行えるならまだしも、この状況で【猛者(おうじゃ)】と対峙するのは避けたい。そろそろ切り上げるべきか。

「そのソウル、もらい受ける」

 そろそろ馴染んできた言葉と共に、手早く済ませる事にした。

 種は充分に蒔いたはずだ。あとは収穫の時を待つだけでいい。

「はぁあああぁっ!」

 それ以上の問答もなく、その標的達は武器を片手に襲い掛かってくる。

 動きからしてLv.3といったところか。

 昔ならたちまちのうちに斬り殺されていただろう。

 それをこうも容易くあしらえるようになるのだから、世の中何が起こるか分からない。

 しかし、

(妙だな……)

 威勢のいいのは最初だけ。あとは、妙に消極的だった。

 これではまるで時間稼ぎ――

(いかん。これは罠か)

 少しばかり相手の動きを侮っていたらしい。

 標的――とはもはや言い難いが――の一角を切り崩し、突破をもくろむ。

 が、

「チィ!」

 それすら予定されていたようだ。

 まさにその場所から、強烈な威圧感が飛び出してくる。

 辛うじて初撃こそ凌いだが、そう何度も切り結べる相手ではなさそうだ。

 このままでは()()が持たない。

(と、なるとこの人間は――)

 眼前の獣人を見て舌打ちする。

 これが【猛者(おうじゃ)】か。

(なるほど、これほどか)

 オラリオ唯一のLv.7とは伊達ではないらしい。

 ()()を数回に渡り響かせてから、後退して間合いを確保する。

「退いた、か」

 追撃はなかった。その代わり、侮蔑するような視線をよこした。

「貴様は【正体不明(イレギュラー)】ではないな」

 別に好きにすればいい。私は武人ではない。

 あらゆるものを利用し、目的を達成する。それが、私の使命だ。

 戦って死ぬなどというつまらない自己満足にかまけていられるほど暇はない。

「あの男なら、そこでは退かん」

「そいつはどうかな。『俺』はお前とは違う」

 かの人間も、話に聞く限り、どちらかと言えば私側だ。

 逃げもする。隠れもする。不意討ちも闇討ちも厭わない。

 そういう存在である。

「クオンならこの程度で打ち負ける事はない。そう言わねば伝わらないか?」

 なるほど、正論だった。

「貴公、ずいぶんとあの者の肩を持つのだな」

 もはやあの人間を演じる必要もない。

 とはいえ、元の姿に戻る訳にはいかないが。

「この程度の相手に後れを取ったと思われるのは不本意だからな」

 奴がこのオラリオで、唯一警戒している生者だ――とは、我らが主の言葉だ。

 なるほど、流石の慧眼である。

(流石に、私では分が悪いな)

 殺せるかどうかなら殺せる。だが、この状況では不可能だ。

 真っ向から斬りあうには、少々力が足りていない。

(致し方ないか)

 種は充分に蒔いたはず。

 ならば、この寸劇もそろそろ閉幕だ。

「アン・ディールの手の者か?」

「そう容易く、主の名を口にすると思うかね?」

「ならば、力づくで吐かせるのみだ」

 そうはいかない。そして、このような些事で命を落とすつもりもなかった。

 ならば、先手必勝。【擬態】の魔術――その術式を変質させた。

 この身は元よりまつろわぬ影。器は如何様にでも変えられた。

「むっ!?」

 腕を大蛇に【擬態】させる。

 本来、この魔術にこれほどの力はない。

 だが、私自身の身体が持つ『特性』がそれを別の物へと変貌させていた。

「小細工だな」

 その一撃は、その獣人を仕留めるには至らない。

 いや、そもそも中りすらしなかった。だが、それでいい。

 狙いは別だ。

「当然だ。使えるものは何でも使うとも」

 小細工? 好きに言えばいい。それにお前達は足元をすくわれる。

 一通りのたうち回らせた『大蛇』の()()。ちょうど近くの建物の屋根に届いたそれを『手』に戻し、しっかりと掴む。同時、そちらを基点に腕そのものを元に戻した。

「むっ!?」

 身体がそちらに引きずられる。今や体の重さすら疑似的なものだ。

 それを無に限りなく近づけてやれば、その速さはちょっとしたものになる。目の前の獣人の反応を多少上回る程度には。

「ほう……?」

 多少驚いたらしい獣人と取り巻き達が次々に跳躍し、屋根へと駆け上がってくる。

 だが、もう遅すぎる。【擬態】をさらに変質させる。

 いや、ある意味においては正しい形に戻すというべきだろう。

 ――魔術を、なのか。私自身を、なのかは判断に困るところだが。

「消えた、だと?」

 影に戻っただけである。今が夜でなければ、それでも発見されただろう。

 主のない影など目立って仕方がない。

「何者だったのでしょう? 変身魔法だったとしても、あまりに異質でしたが……」

 元より、他の同胞に比べればあまりに脆弱な力しか持ち合わせていなかった私だ。

 この程度の『変質』をやってのけなければ、とてもついていけない。

「分からん。そもそも人間だったかどうか……」

 それはともかくとして。こうして踏まれているという事実は少々不快でもある。

 かといって、身じろぎすれば発見されてしまうだろう。

(この状態の私に危害を加えられるはずもないが……)

 いかな剛剣であってもただの影は斬れない。

 だが、影が何かを害する事もまたできはしない。

 簡潔に言えば、踏まれていたところで何の痛痒もない代わり、いくら無防備な背中を向けられてもどうしようもなかった。

「捜索を続けますか?」

「いや、すぐに戻る。警備を固めさせてはいるが、相手も得体が知れない」

「【正体不明(イレギュラー)】を取り巻くのは、同じ正体不明という事ですか」

「そんなところだろう」

 その獣人は小さく笑ってから、散らばった団員達を呼び集める。

「全員、帰還しフレイヤ様の護衛に戻れ。敵はクオンではないが、得体が知れない事に変わりはない。気を抜くな」

「はっ!」

 団員達が、次々と飛び降りていく。

 そして、最後に残った獣人は言った。

「次はないと思え」

 どうやら、勘付かれていたらしい。

 ……少なくとも、実は今もすぐ傍にいる事だけは。

(未だ未熟な身、か)

 やれやれ……。こちらを正面から正視しての警告ではないのがせめてもの救いといったところか。

 

 …――

 

「では、私達に悪戯してくるのは、やはりクオンではないという事ね?」

 我らが本拠地(ホーム)である『戦いの野(フォールクヴァン)』の最奥にて、フレイヤ様に報告する。

「はい。得体の知れない相手ではありますが、クオン本人ではありません」

 いや、その体裁をとっているが、実際には周りにいる――連日の襲撃で殺気立った――団員達に対する寸劇でしかない。

 あの襲撃者がクオンではないというのが、フレイヤ様の神意であり、俺自身の結論であった。だからこそ、フレイヤ様の護衛を放棄してまであのような罠を張ったのだ。

「アレンが口にする、アン・ディールという子なのかしら?」

「いえ、本人では。おそらく、配下の一人と思われます」

 あの襲撃者は何も答えなかったが、まさか無関係という事はあるまい。

「それで、これからどうするつもりだ?」

 団員を代表して、ヘグニが問いかけてくる。

「クオンへの手出しは無用だ。あの男と我々を争わせるのが狙いだろうからな」

「ここまでされて黙っていろと? 少なくとも、アレン達をやったのはあの男だろう?」

「それに、フィリア祭でも余計な真似をしてくれた。あのせいで、フレイヤ様にいらぬ疑いがかかったのも見過ごせない」

 さらに、ヘディンが語気荒く告げた。

「フィリア祭については、すでに決着がついた話だ。フレイヤ様の神意に異議を挟むつもりか?」

 ……もっとも、これもまた寸劇の一部でしかない。

 この二人とは今宵の作戦前に言葉を交わし、意見を交換していた。

 現状、最も高Lv.となるこの二人に団員の総意を代弁させたうえで説得する――と、これはそういう寸劇である。

「そうは言わないが……」

「お前達の不満も分からんではない。だが、そこを付け込まれたのがアレン達だ」

「ならば――」

 演技に少々熱が入りすぎだ。

 いや、不満を感じるのは当然か。

 自らを――ひいては主神であるフレイア様を侮られた上に、こんな茶番劇まで演じさせられているのだから。

 無論、俺とて不本意だ。

 しかし、敵の全容が判じきれない今の状況では致し方ない。

 武器を向ける相手、攻め込む場所すら定かではないのだ。

 さらに――

「この襲撃を仕掛けている者は、俺達とクオンを争わせるのが目的だと言ったはずだ。どこの誰とも知れぬ輩の思惑に乗り、走狗となるのを望むか?」

 奴らの狙いは明らかだが、その真意までは読み切れていない。

 クオンと争わせ、弱体化したところで俺達を潰しに来るというという可能性も、現時点では皆無とは言い難い。

(まずあり得んだろうがな)

 だが、ここは慎重であるべきだ。

『主神は狙わない』という原則は、奴らには通じない。

 この状況で無策に強敵(クオン)と対峙するのは、蛮勇にすらならない。

「無論、フレイヤ様の命があるというなら、俺とてすぐにでも打って出る心算だがな」

 とはいえ、どうやら俺もまだ青い。つい内心が口から零れ落ちた。

 さて。俺達が揃ってボロを出す前に、この寸劇にも幕を引くとしよう。

「そうね。ここまでやられて静観するというのは面白くはないけれど、このまま誰かの思惑に乗ってあの子と争うのはもっと面白くないわ」

 フレイヤ様が神意を示す。

「本当に悪戯を仕掛けてきているものを見つけ出しなさい。クオンに関しては、そちらの真意がはっきりするまで手出し無用。よろしくて?」

「仰せのままに」

 その場にいる全員の声が重なった。

 フレイヤ様直々にお言葉をいただいた以上、先走る者は当面出まい。

 もっとも、アレン達の例がある。それでも絶対とは言い難いが。

「これ以上の被害拡大を避けるため、Lv.4以下の団員は夜間の外出を控えろ。それ以外の者も、単独では行動するな」

 向こうの狙いが何であれ、【ファミリア】の戦力を落とせば他の連中までが余計な動きを見せてくる。有象無象の派閥に後れを取る気はないが、煩わしい事に変わりはない。

「フレイヤ様には、念のためしばらくの間こちらで過ごしていただければ」

「構わないわ。あなた達と食事をとるのも久しぶりだもの」

 バベルの上層階は神々の住処。その原則を、クオンが気にするはずもない。

 おそらくは、あの襲撃者達も。ならば常に団員が詰めているこの本拠地の方がいくらか守りやすい。加えて、団員の士気はこの上なく高まる。

「当面はクオンを騙る襲撃者と、アン・ディールなる魔導士の正体とその所在を探る事が最優先だ」

「それが分かったらどうする?」

 ヘディンが分かり切った問いかけをしてきた。

 愚問――いや、お互いに返答は分かっている。

 武器を向ける相手、攻め込む場所。それがはっきりとしたのなら――

「叩き潰すのみだ」

 例えその敵がクオンに連なる何かだとしても、黙っているほど腑抜けではない。

 

 …――

 

「つまらぬ寸劇に突き合わせてしまった無礼をお許しください」

 本拠地(ホーム)の神室に戻られたフレイヤ様に一礼する。

「構わないわ。別にあなたの責任ではないのだから」

「いえ。団員を抑えきれなかったのは、私の力不足です」

「あら。そういう意味ではないのだけれど……」

 フレイヤ様の反応は、完全に予想外だった。

「は?」

 つい間の抜けた声を返してしまうほどに。

「あの子を騙る誰かの襲撃。それ自体の事よ」

「一連の襲撃が寸劇だと?」

「ええ。認めるのは癪だけれどね。無理やり付き合わせるなんて、失礼しちゃうわ」

「我々とクオンを対立させる以外にも目的があったと?」

「それは今さらでしょう? 残念だけど、あの子には嫌われちゃってるわ」

 流石にその言葉は否定しかねた。

 むしろ、そういう土壌があったからこそ、アレン達は敵の策に嵌まり、その事実があってなお、団員の多くが暴発しかけたのだ。

「もし私達にあの子を嗾けたいなら、直接あの子を刺激すればいいと思わない?」

「おっしゃる通りです」

 まさにフィリア祭の一件がそうだった。

 予めあの男を焚きつけた何者かがいたからこそ、ああまで素早く追撃してきたのだ。

 ならば――

「なるほど。寸劇とはそういう意味ですか」

「ええ。この騒ぎは、私達以外の誰かに向けたものよ」

 ずいぶんと馬鹿にしてくれる。内心で毒づいていた。

「ですが、一体何が目的で?」

「フフッ。そうね、やっぱりあなたには分かり辛いかしら」

「は?」

「気に病むことはないわ。おそらく、ロキのところの子供達もあなたと同じ勘違いをするでしょうから。いえ、ひょっとしたらガネーシャのところの子供達もね」

 俺と、その二つの派閥の共通点。それはつまり――

「それは、あの男を()()()()()()()から、という事でしょうか?」

「ええ、そうよ。あの子がその気になったなら、真っ先に私の首を狙ってこないのはおかしい。あなたはそう思うでしょう?」

 ほっそりとした白い首を撫でながら、フレイヤ様が微笑む。

「はい」

 襲撃者がクオンである事に違和感を覚えたのは、それが理由だった。

 あの男が仕掛けてくるには冗長すぎる。

「ロキや小人の勇者さんもそう考えているでしょうね。でも、他の神やその子供達はどうかしら?」

「違うと?」

「ええ。そもそも、あの子はね。あなた達程知られてはいないのよ」

「知られていない? あの男の名を知らぬ冒険者の方が少ないはずですが……」

 それこそ、あの男が不在の三年間に現れた新しい冒険者くらいなものだろう。

 いや、それとて噂の一つ位耳にしているはずだが……。

「そうね。でも、考えてもみなさいな。あの子は、このオラリオにたった一年しかいなかったのよ? そして、その名前が広く知れ渡ったのは、あなたとの一騎打ちがあってから。私達が二つ名を授けたのもその後の事よ。そして、彼もまたその後すぐにオラリオを去ってしまった」

 その後すぐに――と、言っても実際には数ヶ月に渡りダンジョンに挑んでいる。

 とはいえ、

「あの子がダンジョンに向かい、非公式記録(アナザーレコード)を樹立したのを知っているのは、直接関わりがある個人か、動向を注視していたごく僅かな派閥だけよ。ほとんどの子は、あなた達と立ち会ってすぐにオラリオを去ったと思っているわ」

 その通り。ダンジョンの中――しかも、前人未到の領域にいたのでは噂になるはずもない。

 加えて非公式記録(アナザーレコード)に関しては、そもそも広く知られている訳ではなかった。

 これはギルドが情報制限をかけているせいだ。

 とはいえ、それは別にクオンが関与しているからではない。元々『深層』――特に五〇階層より下に関する情報には規制がかかっている。ただそれだけの話だ。

 それどころか、非公式というだけあって、詳しい情報は俺達にも届いていなかった。

(それとも、俺達でも心が折れかねない世界が広がっているのか……)

 可能性としては半々といったところだろう。

 ともあれ。

 あの男が遠征から大々的に凱旋してくる訳でもない。そもそも一人なのだからやりようがない。おそらく、凡庸な冒険者に紛れていた事だろう。

 いずれにせよ、その動向に注意を払っていない限り、この数ヶ月は完全な空白期となる。この時点でオラリオを去ったと誤認されても致し方ない事だ。

 むしろ、ダンジョンに挑み死んだ――と、噂されない所にあの男の規格外さが表れていると言えよう。

「それに、あの子は冒険者にとっての『悪夢』と言われているんでしょう?」

 多くの冒険者にとって、あの男の名前は忘れたい部類のものだと聞く。

 オラリオ(冒険者の街)でそんな男の噂話をあえて聞き集める者がいるとしたら、それはよほどの物好きか、もしくは冒険者に隔意でも抱く者か……おそらくはそんなところだろう。

 なるほど。新入りの冒険者達に情報が広がらないのはむしろ当たり前か。

「名前だけが独り歩きしているという事ですか……」

 ようやく合点がいった。あの男が知られていないとはそういう事か。

 記憶に焼き付けられた俺達の方がむしろ少数派という事らしい。

「ええ。突如として姿を現し、あなたと互角に渡り合った正体不明の『剣闘士』。オラリオの一般的な認識は概ねその程度よ」

 クオンの名がオラリオに広く知れ渡ったのは、闘技場での一件があってからだ。それはフレイヤ様のお言葉通り、オラリオを去る数ヶ月前の話である。

 そして、俺自身が初めてあの男の噂を聞いたのは、【ロキ・ファミリア】との一件があってから。それでも精々が半年前でしかない。

 凄腕の剣闘士という触れ込みだが、実際にクオンが剣闘士として興行していたのは、やはり数ヶ月程度の短い間だけでしかない。その頃からいくつかの派閥と抗争していたとも聞くが……何しろ、当時は『暗黒期』が終わってまだ日が浅く、闇派閥(イヴィルス)の残党狩りもまだぽつぽつと続いていた。あの男が起こした抗争がろくな噂にはならなかったのは、それに紛れたからとも言えよう。

(正体不明か。言い得て妙だな)

 ある日突然現れ、嘘か真か分からぬ逸話だけを残して消えた謎の人物。オラリオの住人の大半にとってあの男はそういう存在という事だ。

 名は体を表すとはよく言ったものだ。いや、流石は神々の慧眼とでも言うべきか。

「実際には、それすら八百長だったと思っている子もいるみたいね。でなければ、オラリオ最強のあなたがLv.0と引き分けるはずがないというのがその子達の言い分らしいわよ」

「八百長を演じたと思われるなら、それはそれで心外ですが……」

 人気者ね――と、悪戯っぽく笑うフレイヤ様を見て、つい呻いていた。

 理由は何であれ、全霊を尽くした戦いを八百長と言われるのは不快極まる。

「そして、これが大切なのだけど」

 しばらく微笑まれてから、フレイヤ様は改めておっしゃった。

「あの子が()()()だという事も知られていない。いえ、話だけなら知っている子もいるでしょうけど、それがあれほど苛烈だとまでは思っていないのではなくて?」

「神殺しすら厭わないとは思っていないでしょう」

 俺達か、あるいは四年前に敵対したいくつかの派閥以外は。

 それもまた仕方がない。

『神殺しは禁忌である』

 それは、このオラリオ――いや、この世界においてあまりに当然すぎる常識なのだから。

 例え互いの団員に複数の死者が出るほどの深刻な派閥抗争があったとしても、多くの場合において、主神はオラリオ追放になるのが精々。例え天界に送還となっても、それは敗北した神が自ら還るか、勝利した派閥の主神が手を下すかのどちらかだ。

 だが、仮に抗争に勝利し、()()な権限で送還したとしても、場合によってはやりすぎだと悪名を残す事になりかねない。

 例えば、五年前に敵対派閥を悉く壊滅させた【イシュタル・ファミリア】のように。

 同じく五年前に【ロキ・ファミリア】が成し遂げた邪神の一斉送還だが、あれは『暗黒期』という時代背景と、相手がその原因である闇派閥(イヴィルス)の主神達であったこと。さらに『暗黒期』への幕引きを求めた多くのギルドの創設神ウラノス以下数多の神々の承認の下で行われ、オラリオに安寧を齎したという事実があるからこそ偉業として認められている。そして、それでさえ、闇派閥(イヴィルス)の神々に直接手を下したのは主神ロキだった。

「ええ。だから、この一件を見ても多くの神や子供達は『ついに四年前の決着をつける気になった』としか思わないのよ」

「そのために我々の戦力を削っている。そういう事ですか」

 実際には、あの襲撃者にその意図がないのは明白だ。

 被害にあった団員は重傷だが、死者は一人も出ていない。むしろ、あの襲撃者自身が治癒院に連絡を入れたとしか思えない事例もある。

 しかし、それでも――

「そうよ。何しろ、私達はオラリオ最大の【ファミリア】だもの。神殺しを厭わないと知らないなら、それは当然の結論でしょう?」

 襲撃者と目されたのがクオンではなく、例えば【ロキ・ファミリア】の眷属達だったなら、俺とてそう判断していたはずだ。

『あの男が決着を望むなら、フレイヤ様を殺しに来る』

 これが、俺の――あるいは、俺達のしていた『勘違い』だ。

 いや、その認識は正しい。だが、そう認識できる者が少なすぎる。

 つまり、多くの者にとってこれは『寸劇』などではないのだ。

(しかし、それなら一体どこの誰に向けたものなのか……)

 俺達を敵視する――あるいは、俺達が消えて得をする派閥なのは間違いない。

 だが、少なくとも【ロキ・ファミリア】ではないだろう。奴らは引っかからない。

 無論、【ガネーシャ・ファミリア】も同様だ。いや、先日の一件を考えれば多少の不安は残るのは認めるが……それが原因であるなら、こんな寸劇に付き合わず、真っ向からクオンに協力を求めればいい。今なら大義もある。そして、敵が俺達ならあの男も嫌とは言うまい。

「情報の共有、か」

 結果としてそれができている派閥は、おそらく除外できる。

「あら、急にどうしたの?」

 と、胸中で呟いたつもりが実際の言葉になっていたらしい。

「いえ。【九魔姫(ナイン・ヘル)】と面会した際に、【勇者(ブレイバー)】が、あの男については他派閥でも情報を共有しておくべきだと言っていたもので」

 独り言を聞かれ、少々気まずい思いで答える。

 しかし、【勇者(ブレイバー)】自身の思惑さえ考えないなら、その提言は確かに有益と言えそうだった。

「まぁ、あの子達にとっても、他人事ではないでしょうからね。私やヘルメスと同じくらいロキも嫌われてるもの」

「笑い事ではありません……」

 言葉とは裏腹に何やら楽しげに笑うフレイヤ様に、つい苦言を呈してしまう。

 もっとも、あの男神と女神に関しては同意できる。

 どちらも食わせ物だ。

「まぁ、どこの誰に向けた『寸劇』だったのかは流石に私にも分からないけれど」

 しばらくして、笑いを収めたフレイヤ様は一転して、憐れむような表情を浮かべた。

「この寸劇を鵜呑みにしてあの子に食いついちゃう子がいたなら、可哀そうな事になりそうね」

 

 




―お知らせ―
 お気に入り登録していただいた方、感想をいただいた方、評価していただいた方、ありがとうございます。
 次回更新は18/07/29の0時を予定しています。
 18/07/25:一部加筆訂正・誤字修正
 18/11/20:誤字修正
 19/07/21:一部修正

―あとがき―

 今回もまずは感謝を。
 週間UAが2000を超えていて驚きました。ついこの前、1000を超えて驚いていたような…?!
 皆様、ありがとうございます!

 続けて謝罪を。
 ちょっと更新が遅れました。申し訳ありません。
 ※それと、訂正漏れがあったので慌てて加筆訂正しました。
すみません。次から更新作業は慌てず時間に余裕をもって行います…

 今回は戦闘シーンは控えめ。
 死人らしく暴れるための状況が整いつつありますといった矢先にこの体たらくですが…ええと、すみません。
 リリ救出の辺りにもう少し関わらせようかとも思いましたが、それは無粋というか蛇足になるかなと。あのシーンはベルとリリだけで完成してると思いますし。そんなわけで主人公は完全に裏方に徹してみました。
 盗まれたものはほぼ取り戻しましたし、少々即物的ですが、これはこれで後々リリの助けになるかと。

 そして、今までにないエ〇シーンに挑戦。
 レヴィスの時より色々パワーアップさせたつもりですが……そのおかげで、何かやたら恥ずかしかったですよ…!
 そして、規制にひっかからないかびくびくしています。警告タグのR-15をつけてますし、これくらいはまだ大丈夫ですよね…?
 もちろん、運営者さんから警告が来たら速攻で書き換えますけど。

 さらに、いよいよ亡者が登場です。
 それに伴い『暗い穴』もダンまち仕様となりました。
 あと、今作の設定にもちょっと触れてみたり…。
 何だかんだあってリヴェリア様の心労マシマシです。
 しかも今回はコメディパートまで担当して大忙しですね!
 …ええと、詠唱省略の件はそういう事で一つ。全文唱えさせようとするとどうにもテンポが…。
 あんまり関係ないですが、外伝コミックで帰ってきたアイズに『逃げられちゃった…』と伝えられた時のリヴェリア様のシーン、かなり好きです。

 と、何だかよく分からなくなってきたので、今回はここまで!
 次回もよろしくお願いいたします。

 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。