SOUL REGALIA   作:秋水

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※18/07/28現在、仮公開中。
大幅な変更、改訂を行う可能性があります。


第五節 月の夜の■■■

 

(しまったな。エイナに諸々預けるのをすっかり忘れていた)

 地上に戻ったその足で酒屋に行き、上物の一本と肴を購入。隠れ家に戻る途中でふともう一仕事あった事を思い出す。

(少しばかり浮かれすぎたか)

 無論、リリルカの私物には一切手を付けていない。

 一番『値打ち』があるであろう真鍮の鍵も含めて、すべてソウルの中に保管してある。

 ……いやまぁ、そのせいで忘れたとも言えるが。

(バベルに戻るか。それとも、ギルドに顔を出すか)

 フェルズに捕まりそうなので、できればギルドには近づきたくない。

 かと言って、この時間にまだバベルにいるのか。

(それとも、リリルカ御用達の店に届けるか?)

 いや、それも危険か。その店主とやらがどこまで信用できるか定かではない。

 せっかく取り戻したのに、自分からそれをなかったことにするのは間抜けすぎる。

(となると、あとはヘスティアの廃教会に投げ込むくらいしか……)

 方法は思いつかない。

 少なくとも、ヘスティアなら着服はすまい。……おそらく、きっと、多分。

(しかし――)

 何であれ、今すぐにはできそうになかった。

 嘆息を飲み込み、ひょいと頭一つ分だけ右にずれる。

 と、それまで頭があったあたりを何かが通り過ぎた。

 ドラングレイグ――『虚ろの影の森』で『霧の戦士(透明人間)』達に散々翻弄された身だ。この程度の奇襲はもう通じない。

 そのまま素手で襲い掛かってくるその襲撃者を、同じく素手で迎え撃つ。

(アマゾネスか……)

 アイシャと同じような格好をした、灰色短髪の女。

 美女と表現するのに何ら不足ない顔立ちだが、やはりアイシャ同様に野性的――ある種の獰猛さが宿っていた。

(ま、当然か)

 全力で殴り掛かってきている相手が、聖女と見紛うような微笑みを浮かべていたなら、むしろそちらの方が恐ろしい。

「な――」

 何であれ、動きが甘い。

 大振りの蹴りをつかみ取り、そのまま力尽くで放り投げる。

 鍛えているとはいえ、細身の女だ。重量級の大槌や特大剣に比べれば軽い。

「――にぃ!?」

 短い悲鳴が終わる頃には、その女も短い空の旅を終えて地面に帰還していた。

 流石に受け身こそとったようだが、無防備なまま地面に転がっている事に変わりない。

 その女が立ち直る前に直剣を『取り出し』て、その首筋に突き付けた。

「参った参った。降参だ」

 地面に座り込んだまま両手を上げながらも、その女は豪気に笑った。

「命を見逃してくれるなら、何してもいいぜ? 安くしとくからよ」

 煽情的な体をこれ見よがしに見せながら、その女は笑う。

 まぁ、その姿は一般的に言って魅力的ではあった。

 そして、きっちり料金を請求する気でいるあたりは流石アマゾネスと言うべきだろう。

(アイシャだと一晩一七〇〇〇ヴァリスはするからな)

 平凡な冒険者――それでも一般的には高給取りになるが――だと三日以上かかる額だ。

 そして、あいつはまけてくれないどころか、きっちり宿代まで払わせる。

 それでも客がつくのだから大したものだと言えよう。

 まぁ、宿代は『歓楽街』に出向けば支払わないでいいだろうが。あそこに私娼はいないと聞いている。つまり、全員がどこかの娼館に所属しているはずだ。

 例えいたとしても、戦闘娼婦(バーベラ)であるアイシャには関係ない話だが。

(いや、待てよ。それともあれが底値だったりするのか?)

 戦闘娼婦(バーベラ)と言えば、客を選ぶ権限もあると聞いている。

 おそらく高級娼婦並みの待遇なのだろう。いや、単なる放浪者だった俺としては、漠然とした噂しか知らないので確かな事は分からないが。

(そう言えば、アイシャは安売りするつもりはないが、あまりに高値を付けて相手がいなくなるのも退屈だとか言っていたような……)

 となると、金額もある程度は自分で変更できるのか。『過ごし方』で変わってくるのか。それとも、そこまで含めて『客を選べる』という事なのか。

 だが、いずれにせよ――

(押し売りされるには結構な額だよな)

 美人局という単語がチラリと脳裏に浮かんだが……むしろ、それでこそ戦闘娼婦(バーベラ)の面目躍如と言えるのか。

(まぁ、ぼったくりではないけどな)

 何であれ、それだけの価値はあるのは間違いない。

「馬鹿言ってんじゃないよ」

 などと。下世話な事を考えていると、耳に馴染んだ声がした。

 さらに言うなら、麝香の匂いも。

「いいじゃねぇか、アイシャ。少し味見させろよ」

「そりゃ止めないけどね」

 嘆息してから、アイシャが言う。

「そろそろ時間だ。急がないと、文句を言われるよ」

「だからだよ。その前にちょいと味見させろって」

 どうでもいいが、まずは本人に尋ねるべきではないだろうか。

 流石に押し売りしてくる娼婦は一人いれば充分なのだが。

「どういうつもりだ?」

 そもそも、アイシャが同僚を連れてくること自体が今までなかった。

 ここ数日自分を取り巻く『状況』を併せれば不吉さしか感じない。

「悪いね。私も神の眷属なのさ」

 どうやら、予感は当たりそうだった。

「本当にLv.0なのかよ?」

 アイシャ達に連れ込まれたのは馴染みの宿より、さらに一つ位が高そうな宿の一室だった。念のため支払いを押し付けられない事を祈りつつ、しなだれかかってくるアマゾネスに応じる。

「ああ。何なら背中を見てみるか?」

 もっとも、あくまで『神の恩恵(ファルナ)』とやらがLv.0というだけの話だが。

『ソウルの業』に関して言えば、極まっている。

(……まぁ、今は三割も使えていないがな)

 目覚めたばかりの時は、二割にも届かなかった……いや、記憶と共に呪術や魔術を『忘れていた』事を考えれば一割にも満たなかった事を考えれば、ずいぶんとマシになった。

(よくもまぁ、あの状態で七〇階層までたどり着けたものだ)

 それも『ソウルの業』のない時代のおかげだ。

『火の時代』の殺し合いとは、すなわちソウルの奪い合いである。その術を持っているならば、例え駆け出しの不死人でも格上のデーモンを殺せる。

 そして、その術を持たない者――殺し切るだけの力を持たない者が相手なら、不死人はまさに『不死』の存在となり得るのだ。

 だからこそ、忌避されて『北の不死院』送りにされる。

(あそこはまだマシだったがな)

 今にして思えば、ずいぶんと温情ある処置だったのだ。

 不死刑場に放り込まれてまさに『死ぬまで』轢殺される羽目になったり、半端な『ソウルの業』の使い手達に『埋葬』され、奇妙な『籠蜘蛛』に加工された連中に比べれば。

 ともあれ、冒険者にとっては致命傷でも、不死人にとってはそうではない……つまりは、不死人の不死人たる所以に物を言わせて、強引に踏破したというのが現実である。

 そして、その結果分かった事と言えば――

(『深層』を進むごとに、『ソウルの業』らしき力が増していく)

 魔石の力の影響なのか、六〇階層を超えたあたりからモンスター共の攻撃がかなり『痛く』なってきた。

 直接引導を渡してきたのは名も知らぬ闇霊だったが……奴がいなくとも、時間の問題だっただろう。今の俺が単独で進めるのは、あの辺りが限界らしい。

(いや、今ならもう少し下まで行けるかもしれないが……)

 あの時と違い、エスト瓶や灰瓶が使える――と言っても、今度の巡礼地はその辺りは代替品がいくらでも手に入るので、そこまで大きな影響はないかもしれないが。

(……まぁ、今は四割しか使えないがな)

 目覚めたばかりの時は、三割程度しか使えなかった……いや、記憶と共に魔術や奇跡を『忘れていた』事を考えれば三割にも満たなかった事を考えれば、ずいぶんとマシになった。

 しかし、尋常ならざる敵を相手にするにはまだ心許ない。

 改めて自分の性能を把握しなおすと同時、新たに数人が部屋に入ってきた。

 褐色肌の美女。全員が概ね同じような――つまりは、露出の多い――格好をしている。

「お前がクオンか?」

 その中の一人。一際豪奢な格好をした女が、問いかけてきた。

 ザワリ――と、項の毛が逆立つ。

(こいつ……)

 アイシャの主神の名はイシュタル――つまり、あの女と同じく『美の神』とやらだ。

 恩師達が授けてくれた≪巡礼の黒衣≫と、唯一弱体化していない……そして、他の同胞よりも多少は優れているといえる『人間性』が、目の前の亡者の『魅了(呪い)』の侵蝕を食い止めている。

 この『時代』の人間はどういう訳だが――いや、おそらくバシリスクどもがいないせいだろうが――『呪い』に対する耐性をまるで軽視している。

 それどころか、オッタルとその手下どものように嬉々として受け入れる変人どもまでいる始末だ。

 だが、俺達(不死人)にとっては対応すべき障害の一つでしかない。

 そして、白竜シースのブレスや、渇望のデュナシャンドラの『呪い』を相手にしてきた俺にとってすれば、この程度はまだ余裕をもって抗える範囲だった。

(とはいえ、過信は禁物だな)

 相手は腐っても神だ。油断などできるはずもない。

「ああ。そちらはどなたかな?」

 念のため確認だけはしておくべきだ。

「フフッ。あの女神(おんな)に喧嘩を売るだけあって豪気だな」

 あの女というのがどの女か知らないが……ああいや、この言い方ならオッタルの飼い主辺りだろう。同族嫌悪というやつだろうか。

「私は『美の神』イシュタル。お前の女の主神だよ」

「そんな大物が、ただの放浪者に何の用だ?」

 アイシャの『生業』を考えれば、関係を持った事を咎められるとは思えないが。

「そう警戒するでない。お前とてあの女神(おんな)には手を焼いているのだろう? 女神として手助けしてやろうと思っただけだ」

「手を焼いている……?」

「連日襲撃しては戦力を削っているのだろう?」

(連日だと?)

 アン・ディールに嗾けられたあの五人組以外とは関わっていないはずだが。

 ああいや、【ソーマ・ファミリア】のゴロツキなら三人ばかり叩きのめしているか。

「私がお前に力をやろう。望むだけの女も、骨まで蕩ける程の快楽もな」

 腐臭に代わる直前の熟した甘い匂い――その体から発せられる『魅了(呪い)』がその密度を増していく。

「――――」

 部屋の片隅には、無表情のアイシャがいた。

(ま、アイシャが手に入るならそれもいいか)

 と。そう思わせる事こそが、この『呪い』の一番の恐ろしさかもしれない。

(いや、【魅了】の極意とはこういうものなのか)

 いわゆる心の隙間を狙う。それが極意という事か。

 不死人――というよりは亡者の場合、ソウルを求めるという唯一絶対の本能だけしかないからこそ、ああまで容易く通じるのだろう。

(しかし、そうなると……)

 あの時師匠に【魅了】されたのは、別に亡者化が進んだままだったからではなく――

(いや、今はいい)

 何であれ、目前で放たれる『呪い(魅了)』の力は通じない。何しろ、こうして他の女を思い浮かべられる程度のものでしかないのだから。

「ああ、それもいいな」

 ……驚いた。てっきりアイシャには――時々シャクティやリヴェリアがするような――冷たい目で見られるとばかり思っていたのだが、

(そんな顔もするのか)

 予想に反して、まるで泣きそうな顔をした。

 無論、ほんの一瞬だ。薄暗い部屋が見せたただの錯覚だったのかもしれない。

 どちらかと言えばその可能性の方が高そうだ。

「だから、私に従え。私のモノになれ。お前を更なる高みに連れて行ってやる。次に月が真円を描いたその夜にはな」

 それでも、腹を括るには充分な刺激だった。

 ……ああ。それに今、この亡者は聞き捨てならない事を言った。

「月が真円か……」

 満月。アン・ディールが言った『鳥羽の石』――いや、そこから生み出される『殺生石』とやらが真価を発揮する時である。

「『殺生石』だな?」

「ああ、そうだ」

 つまり、この亡者こそがアン・ディールが用意した『生贄の羊』という事だ。

 勝利を――『魅了』の成立を確信したらしい亡者が嗤う。

「殺せというなら、遠慮なく殺すさ――」

 ソウルから≪盗賊の双短刀≫の片割れを取り出し――

「この『時代』に残る神。その悉くをな」

「イシュタル様!?」

 ――振り下ろす。

「……『魅了』が通じていない、だとッ!?」

 刃は亡者の肩口を掠めるに留まった。

 なるほど、『神の力』を封じたとしても神は神か。

「貴様ぁあぁああっ!」

 フィリア祭でガネーシャが発していたそれと同じ気配――確か、神威とか言ったか――が放たれる。だが、そんなものに臆するような不死人はいない。

 もう片方の短刀を取り出し、一気に間合いを詰める。

「や、やらせっかよ!」

 急所に刃を滑り込ませるより早く、取り巻きの一人――先ほど放り投げたアマゾネスが再び突進……なりふり構わぬ体当たりをかましてくる。

(これがアイシャの同僚でなければな……)

 躊躇わず、背中から心臓を刺し抜けるのだが。

 そう嘆息する自分にいっそ驚いていた。

(ずいぶんと人間らしくなったじゃないか……)

 だからこそ、アン・ディールがちょっかいを出しに来たのだろうか。

(上等だ)

 あの狂人が殺戮を望むら――

(標的はただ一人)

 ――俺が殺すのはあの亡者だけだ。

 思惑通りに踊るのはもう飽きた。半ば以上につまらない意地であり、ただ単に己に不利な状況を生み出すだけの愚行だが……知った事か。

 

 呪いを纏う方、苦難を求めなさい――

 

 いつかどこかで聞いた言葉が耳の奥に蘇る。

 皮肉か。嘲笑か。……いや、ここは己の愚行を肯定してもらったと思っておくとしよう。

(ま、俺なんていつも愚行しかしていない気もするがな)

 勇猛な女戦士の無謀な突進にあえて逆らわず、床を蹴った。

 背後には窓。それを突き破ると同時、左手に『火』を宿す。

 口ずさむ物語の名は【フォース】。

 自分の周囲に衝撃波を放つ奇跡。

 もっとも、その衝撃波だけでは傷を負わせる事すらできないが――

「何だとッ!?」

 がっちりと抱き着いたままのアマゾネスを引きはがし、ついでに受け身の代わりをさせるには充分だった。

 それでも、一瞬は仰向けで地面に転がる。

 無防備な姿を見逃すほど、アイシャの同僚は親切ではないらしい。

「くたばれっ!」

 ナイフを構えて飛び降りてくる敵を蹴り飛ばし、その勢いのまま跳ね起きる。

 武器は斧槍に。続けざまに襲い掛かってくる女戦士達をまとめて薙ぎ払ってから、近くの路地に飛び込む。

 今さら宿に戻ったところで、あの亡者は殺せない。

 それに、『殺生石』を完成させる気なら、生贄となる誰かがいるはずだ。仮にも神が切り札と呼ぶほどの代物の要だ。狐人(ルナール)なら誰でもいいという訳でもあるまい。

(どういう効果だか知らないが――)

 その力を求めるのはおそらくアイシャの主神だけではない。

 あの女も糸目の小僧も……オラリオにいる神とその手下の全てが求め始める可能性がある。

 全員参加の争奪戦になる前に保護するなり何なりしておかなければ、流石に身が持たない。

「―――――」

 適当な横道に飛び込むと同時、素早く詠唱を終える。

 曰く【擬態】。その名の通り、その場に相応しい何かに擬態する魔術だ。

「消えた!?」

「バカ言うな。この辺にいるはずだ。探せ!」

 木箱に転じた俺の前を、アマゾネス達が駆け抜けていく。

 彼女たちの足音が充分に遠のき、気配も感じられなくなってから、改めて別の魔術を詠唱する。

 曰く【見えない体】。そして、【隠密】。

 効果はどちらも名前の通り。体を透過させ、音を消す。【隠密】に関して言えば、加えて高所からの落下ダメージを無効化する効果もあるが……今はあまり関係ないか。

 ともあれ、それに加えて夜道である。よほどの手練れが相手でもない限り、発見される可能性はほぼなくなった。

(三日……いや、四日後か)

 空の月を睨み、胸中で呟く。

 いずれにせよ、満月の夜までに決着をつけなければならない。

 

 

 

 一夜明けて。

「よう、爺さん。腰はもういいのか?」

 適当な――なるべく目立たない――防具をまとい、西地区のいつもの水路に向かう。

 そこには年季の入った麦藁帽を被った犬人(シアンスロープ)の老爺が簡素な折り畳み椅子に座り、水面に釣り糸を垂らしていた。

「ええ。おかげさまで」

 いつものように、その隣に椅子を置き同じように釣竿を構える。

「いい天気ですねぇ」

 目を細めて陽光に煌めく水面を見つめ、その老爺はおだやかに笑う。

(分からないものだな)

 その姿は、どこから見ても好々爺にしか見えない。

 トマス・カーネル。先日出向いた『カーネル食堂』の女主人の義父。

 本名をオレック・ドーリー。

 五〇年以上前からオラリオの裏社会で暗躍した凄腕の『情報屋』だという。

 本人曰くすでに隠居の身だが……それでもなお、糸目の小僧の晩酌の銘柄からあの女の今夜の相手の素性まで余すことなく把握しているとまことしやかに語られている。

「また厄介な事に巻き込まれているようですね?」

「そういう星のもとに生まれたらしい」

「難儀な事ですな。霞ちゃんも気が気でないでしょう」

 笑うと同時、浮きが沈む。同時に実に素早い動きで、その老爺は釣竿を動かした。

「大物ですな」

 釣り糸の先では両掌程度の大きさの川魚が、激しく体をくねらせていた。

 それを手早く針から外すと、水路に沈んでいる魚篭に放り込む。

 見えた限り、今日の釣果はなかなかのようだ。

「今夜は骨酒で一杯か?」

「いいですねぇ。いやはや、浄化柱様々です」

 そのおかげで清水に満ちたこの水路には、本来清流にしか棲まない魚までが自生していた。

 その反面、モンスターも巣食っているが……連中は、地下水路に引きこもっている。どこぞの湖ではモンスターによって漁礁が壊滅していると聞くが、オラリオの水路では何とか住み分けが成立しているようだ。

「それで、本日はどういったご用件で?」

 のんびりとした口調のまま、その老爺が問いかけてくる。

「【イシュタル・ファミリア】について話が聞きたい」

「おやおや。お互いの事情には深く関わらないのではなかったのですか?」

「何故知っている?」

 いや、愚問か。

 この老爺は半世紀以上もオラリオ屈指の『情報屋』として名を轟かせてきた――神ですら秘密を守れないと言わしめた男だ。

 とはいえ、

「俺達だって、お互いに言葉にしたことはないってのに」

 言葉にして申し合わせた事は一度もなかった。

 それを知られているというのは、少々ゾッとしない話だ。

「いえいえ。これはただ単に年の功というやつですよ」

 そういうものか。

「しかし、あなたが動くとなるといよいよ『歓楽街』も終わりですか。若かりし日の思い出の場所がなくなるのは寂しいものです」

「へぇ。『歓楽街』に縁があったのか?」

「私は元『情報屋』ですよ? 女と酒と欲望。それにご禁制の薬。あの『街』にはそれが揃います。いえ、それこそがあの『街』の全てと言ってもいい。『繁華街』と並ぶ『情報屋』の聖地ですよ」

 おそらく、それは正しいのだろう。

 だが、活用できるのは、この老爺の手腕あっての事でもある。

「しかし、何だって俺が『歓楽街』と事を構えようとしていると思うんだ? アイシャを身請けしようとしているだけかも知れないだろう」

戦闘娼婦(バーベラ)を身請けですか? なら、最低でも五〇〇万ヴァリスは固いでしょう。まして、【麗傑(アンティアネイラ)】は幹部の一人。下手をすれば、もう一桁か二桁は上かも知れませんね」

 冗談を言ってやると、なかなか現実的な返答が返ってきた。

「二桁だと?」

 素直に考えて五億ヴァリス。

 五一階層で水汲みしつつトカゲの王様と戯れてこなくてはならない。

 流石に即金では厳しいものがある。

 ……ああいや、この前汲んできた水を売ればどうにでもなるか。

「ええ。一介の娼婦なら五〇〇万あればまず問題ないでしょうが、戦闘娼婦(バーベラ)は『冒険者』でもありますからね。まぁ、無所属(フリー)のあなたが身請けするなら『改宗(コンバージョン)』する必要がないので、多少値引きしてもらえる可能性もありますが」

 それは要するに、いざという時は戦闘要員として借り出される事を許容しろという意味なのではないだろうか。

「なかなか豪気な買い物ですが、今回はそうではないのでしょう?」

「……お見通しか」

「ここ数日の奇妙な出来事を加えれば、私でなくともそういう結論に至れますよ」

「奇妙な出来事?」

「ええ。ここ一〇日ばかりの間ですがね。【フレイヤ・ファミリア】をあなたが襲撃しているという噂が立っていますよ」

「何だって?」

 いや、確かに昨夜の亡者もそんな事を言っていたが。

「その様子では、やはりあなたの仕業ではなさそうですね。【女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)】と【炎金の四戦士(ブリンガル)】以外は、といったところでしょうか」

「その何某とやらが、一〇日前に返り討ちにした五人組ならその通りだよ」

 そうこうしているうちに、隣の老爺は二匹目を釣り上げる。

 同じ場所で同じ餌を使い、同じように糸を垂らしているのに、一体何が差を生み出しているのやら。ついついそんな事が気になってしまう。

「ついにあなたが【フレイヤ・ファミリア】と決着をつける気になったというのが巷の噂ですよ。まぁ、【猛者(おうじゃ)】はまるで信じていないようでしたが」

「オッタルが?」

「あなたが本当にその気になったなら、躊躇わずに神フレイヤを狙うでしょう?」

「それはな。あの女さえ殺せば、取り巻きは無力化できる」

「相変わらず怖い事を言いますね」

 老爺は露骨に肩を震わせて見せる。

 だが、口元の笑みは隠し切れない。神すら恐れさせた凄腕の『情報屋』は今も顕在らしい。

「ですが、普通は信じないでしょう。そして、実際に【フレイヤ・ファミリア】を襲撃している何者かがいる。だから、そんな噂が流れているのですよ」

「なるほどな」

 俺がダンジョンにこもっている間も、アン・ディールは地上で暗躍し続けていたという事か。

 それに踊らされたあの亡者も哀れな事だ。……もっとも、今さら情けはかけないが。

「アン・ディールですか?」

 内心を見透かしたように、老爺が言った。

「知っているのか?」

「ギタから聞きましたよ」

 先日、この老爺が紹介した『情報屋』の少女か。

「私もまだ詳しい話は知りませんが、どうやらギルドでは機密情報の一つらしいですね。とはいえ、オラリオでは全く話を聞きません。リヴィラの街も同様です。はてさて、一体どこにいるのやら」

 一体どこまで把握しているのやら。相変わらず末恐ろしい老爺だ。

「いやはや、あなたといると本当に退屈しませんねぇ」

「放っておいてくれ」

 俺だってできる事ならいい加減平穏に過ごしたいと思っているんだ。

「話を戻しますと、神イシュタルがあなたに接触したのはその『噂』のせいでしょう。神フレイヤに隔意を抱いているのは有名ですからね。女神の嫉妬とはつくづく恐ろしいものです」

 同類嫌悪というやつか。それに巻き込まれた俺もいい面の皮だ。

「俺を抱き込もうというのは、アイシャの進言なのか?」

「それはないと思いますよ」

 それだけははっきりさせておかなくては――そんな問いかけに、老爺はあっさりと応じた。

「【麗傑(アンティアネイラ)】は先ほども言った通り幹部の一人です。Lv.4へのランクアップ目前と見られている有力な冒険者ですし、その美貌から娼婦としても高い人気を誇ります。まぁ、生半は男では諸々搾り取られて終わりですがね」

 あなたはここでも規格外ですが――と、老爺は性質の悪い笑みを浮かべた。

 それこそ放っておいてくれ。それは主に不死人という特性のおかげだ。

「団長である【男殺し(アンドロクトノス)】は冒険者としての腕は立ちますが、娼婦としては悪い意味で有名すぎます。しかも、団員からの人望にも難があるようですね。その辺りは、副団長のタンムズ・ベリリも似たようなものです。彼の場合は、主神への信奉が強すぎて統括者としての自覚が薄いのでしょうね」

「ふむ……」

 信奉が強いというなら、オッタルも似たようなものだろう。

 ……もっとも、あの男はあれで統括者としても意外と有能だから厄介なのだが。

 あの男がただの腕力馬鹿、突撃馬鹿だったなら、今頃とっくに決着がついている。

(加えて派閥の頭脳があの女自身だからな)

 あの女の意思を、あの男が配下と共に容赦なく実行する。

 派閥の結束力および足回りの良さはオラリオ最高と言って過言ではないはずだ。

(いや、単に類が友を呼んだだけか)

 全員揃って『魅了』されているのだ。手足の如く動くのは必然とも言える。

「一方で【麗傑(アンティアネイラ)】は面倒見がよく、多くのアマゾネス達から慕われています。いわゆる姉御肌というものでしょうね。その辺りはあなたも分かっていると思いますが」

「ああ、そうだな」

 剛胆で気前よく、憎まれ口を叩きながらも何だかんだと情に厚い。

 そこに確かな実力と面倒見のいい性格が加われば、自ずと人望は生まれるだろう。

「実際、派閥の中では団長代行と言ってもいいほどの人望を集めているようですね。ただ、主神との関係はあまり良くないようです。特に二年前からは」

「二年前?」

「ええ。詳しい話は分かりませんが、主神の手で『制裁』を受けたという話を聞きます。いえ、この場合は見せしめでしょうか」

「見せしめ?」

 いや、怪物祭の日――その夜の様子からして、何かあったようだとは思っていたが。

「ええ。団員が揃って震え上がったというのですから、よほどでしょうね。それ以来、【麗傑(アンティアネイラ)】自身も主神へは一切反発しなくなったとも聞いています。これはあくまで私の勘ですが、おそらく()()()()()()()んだと思いますよ」

「『魅了』か」

 やはりそれは『呪い』と同義ということなのだろう。

「そんなところでしょうね。あなたが『美の神』を嫌う理由も分かるというものです」

 三匹目を釣りあげてから、老爺は続けた。

 いや、美の神とやらに仕えていると知った時から、あるいはと思ってはいたが……

(まさか本当にそうなっているとはな)

 悪い予感ばかりよく当たるものだ。

「加えて言えば、先に言った通り【麗傑(アンティアネイラ)】は多くの若い戦闘娼婦(バーベラ)に慕われていますからね。迂闊な事はできないのでしょう」

「人質か」

 となると、やはり他の団員には手心を加えておく必要がありそうだ。

(殺せばアイシャに恨まれるだろうからな)

 顔見知りと殺しあうのはよくある事だが、未だに慣れない。

 慣れるくらいなら、何とか回避する手段を模索すべきだろう。

 まだその程度には『人間性』を保っているつもりだ。

「そうなりますね。彼女達が【フレイヤ・ファミリア】との抗争という無謀にも唯々諾々と従っているのは主神への恐怖という理由もありそうです。そうですね……。昔、とある塔で火災が起きた時、不運にも逃げ遅れた方々は上層にある窓から次々に身を投げたそうです。もちろん、冒険者ではありませんから、飛び降りたらまず命はありません。本人達も……少なくとも、火災が起こる前だったならそれは分かっていたでしょうが……」

「どちらにしても死が待つ。それが分かっていても、他の選択肢がない、か」

「ええ。もちろん、火災云々は例え話ですが、心境としては近いのではないでしょうか?」

 とはいえ――と、前置きをしてから、オレックは続けた。

「まぁ、そこは生来勇猛な女戦士(アマゾネス)達を多く有する派閥ですからね。そこまで消極的だとは言い切れません。無論、神イシュタルは戦いの女神でもあります。勝算なく戦いを仕掛ける程無謀ではないでしょう」

「まさか【フレイヤ・ファミリア】との抗争のために、俺も抱き込もうとしているとでも?」

 あるいはそこに勝算を見出しているのだろうか。

「まぁ、あなたを味方につければそれだけでオラリオを支配すらできそうですね。ですが、神イシュタルはあなたが来る前から準備を始めていたようですよ」

「具体的には?」

「五年前に、【イシュタル・ファミリア】がギルドを訴えた事があります」

 問いかけると、老爺はそんな事を言った。

 今一つ繋がらないが……この情報屋が無意味な話をするはずがない。黙って先を促す。

「これは当時【イシュタル・ファミリア】と対立していたいくつかの派閥が、Lv.を偽っていると訴えた事が始まりです。公式のLv.より団員の力が遥かに上回っているというのがその派閥の言い分でした」

「どこかで聞いた話だな」

 小さく苦笑して見せる。

「ええ。それで、ギルドもあなたと同じ対応をしたのです。いえ、実際にはもっと穏便で神イシュタルに調査協力を申し入れただけですが」

「その結果が白だったと?」

「ええ。神イシュタルは有力な団員の【ステイタス】を掲示したうえで、それを証明しました。申告しているLv.通りだとね」

 Lv.を偽る。もしや『暗い穴』なのか。

 ふと思い浮かんだその考えを否定するため、問いかける。

「それはアイシャも含まれているのか?」

 五年前だとまだLv.1だったはず。そうなると可能性は低いだろうか――

「ええ。当時はまだLv.1でしたが、新進気鋭の戦闘娼婦(バーベラ)として名が知れてきていましたからね」

 ならば、違う。彼女の身体には『暗い穴』は穿たれていない。

 少なくとも、つい先日……怪物祭の日の夜までは。

「ともあれ、その過程でギルドに機密である【ステイタス】の詳細、『スキル』や『魔法』までが流出しました。それで、訴えた派閥とギルドを相手取って賠償金を請求したという訳です」

「払ったのか?」

「払うしかないでしょう」

 それもそうか。結果として白だったのだから。

 ……俺もそうすれば良かった。いや、それはともかく。

「その直後、【イシュタル・ファミリア】は罰則(ペナルティ)で大幅に弱体化した各派閥を壊滅させました。主神である女神達を天界に送還させるほど徹底的にね。この一件はギルドを委縮させるに充分だったようで、以降『歓楽街』に一切干渉していません」

「ふむ……」

 まぁ、ウラノスやフェルズはともかく、あの何とかいうエルフはそういう人間だ。

 別に驚くに値しない。

「私が気になったのは『公式のLv.より団員の力が遥かに上回っている』という訴えです。基本的に腰の重いギルドが動いたという事は、彼女達の訴えにはそれなりの根拠があったはず。ですが、実際には白だった。この矛盾は何を意味するのでしょうね?」

 実に楽し気に老爺が笑う。

「まぁ、妥当なところならマジックアイテムか『魔法』だろうな」

「ええ。私もそう思いましてね、ちょっと探りを入れてみたのですよ」

「結果は?」

「ちょうどその頃、身売りされてきた少女がいましてね。もちろん、オラリオで人身売買は違法ですが……まぁ、そこは『歓楽街』ですから。それだけなら、珍しいとはとても言えません」

 もっとも、この街の娼婦には玉の輿を狙って自分達から集まってきた女性も多いですが――と、老爺は付け足した。

 その辺りの話は、アイシャからも聞いた事がある。商会の主や有力な冒険者の女になれば、それだけで一財産得られると。

 それと冒険者は早死にするから、それまでに絞れるだけ絞っておいた方がいい、とも。

「気になるのは、この少女についてずいぶんと念入りに情報を隠蔽していた事です。当然ですが、五年前はLv.1だったのでギルドの調査の際にも【ステイタス】は公開されませんでした。おかげで、私も詳細までは調べきれなかったのですけどね」

 だからこそ、気になった。そういうあたり根っからの『情報屋』なのだろう。

 敵に回せば恐ろしいが、味方でいるうちは心強い。

「ですが、Lv.1でも『魔法』が発現する事はあり得ます」

「まさかそこで発現したのがLv.を上げる魔法だと?」

「おそらく一時的なものなのでしょうけどね。そうであれば、矛盾が解消されます。それに、徹底的に情報が隠匿された理由もね。もし私の考え通りなら、前代未聞の希少魔法ですよ。もし情報が洩れれば、オラリオ中の【ファミリア】が彼女を求めるでしょう」

「時に、その少女の種族は分かるか?」

「ええ、狐人(ルナール)のようです。そのおかげで、この少女が怪しいという結論に至ったのですがね」

「どういう意味だ?」

 いや、見当はついている。おそらく――

「この時期から、神イシュタルは、とあるご禁制のマジックアイテムを求め始めています」

「『殺生石』か?」

「おや、どこでその名前を?」

 やはりか。

「古い知り合いにちょっとな」

「それはまた博識なお知り合いのようですね。それとも物騒な、と言うべきなのでしょうか?」

 その両方が正しい。何しろ、博識な狂人なのだから。

「ええ。その通りです。もうご存知かも知れませんが、『殺生石』とは取り込んだ狐人(ルナール)が身に着けた魔法を一つ、誰でも発動させられるようになるものです。また、完成した石なら砕いたところで力を失いません。それどころか、欠片一つでも同様の効果を発揮します」

 なるほど、そういう事か。

「その石があれば、派閥全員のLv.を上げられる。そういう事か」

 一時的である代わりに自身に代償を残さない『暗い穴』と言ったところだろう。

 露見すれば本当にオラリオがひっくり返りかねない。

「そうなりますね。もっとも、団長の【男殺し(アンドロクトノス)】ですらLv.5です。仮にLv.6になったとしても、まだ【猛者(おうじゃ)】には届きません」

「それはまぁ、そうだろうな」

 もし同じLv.7になったとしても、凡庸な冒険者があの男に勝てるとは思えない。

 まぁ、凡庸な巡礼者の俺が互角に渡り合えているのも事実だが……それは偏に身体の性能差のおかげだ。それを補わればどうなるか知れたものではない。

「ええ。ですので、他にもいくらか策を巡らしているようですね。テルスキュラに渡りをつけたり、闇派閥(イヴィルス)の残党に資金提供したり、といったところです」

「なりふり構わないという事か」

 テルスキュラとやらは知らないが、闇派閥(イヴィルス)というのは聞いた事がある。

 ウラノスとガネーシャにその残党狩りを押し付けられた事があるせいだ。

 ただの生者のくせに、平然と自爆特攻かましてくるイカレタ連中だった。

「ええ。つくづく女神の嫉妬とは恐ろしいものです」

 そんなものと関わるとは、あの亡者もいい具合に狂っているらしい。

「そこにあなたが加われば、盤石の布陣と言えるでしょうが……残念ながら、欲をかきすぎたようですね?」

「そうなるだろうな」

 何であれ、互いに手を取り合うという展開はもはやあり得ない。

「ところで、結局何でアイシャは二年前から疎遠なんだ?」

「ああ、それはその少女の世話役だったからです。まぁ、情が移ったという事でしょう」

「要するにその少女を庇ったせいだと?」

「そうでしょうね。二年前に一度『殺生石』が運び込まれたようですから」

 あっさりとした言葉に、思わず納得していた。

 つまり、それを破壊したせいで自分が『制裁』されたという訳か。

 アイシャらしいと言えばそれまでの話だが――

「そういう事は早く言えよ……」

 主神を殺さないまでも、その少女を連れだすくらいの事はいくらでもやったのに。

 それとも、それすら()()()()()()()()()のか。

「昨夜から『歓楽街』は厳戒態勢が敷かれているようですね」

 どのみち、もはや加減は無用だ。

 あの女神は俺を殺しにくる。そして、その少女を殺すだろう。

 ならば、あとは誰が生き残るかだ。二人死ぬよりは、一人で済ませた方がいい。

 ……まぁ、俺の場合、例え神が相手であってもそう簡単に死ねないが。

(それに、その少女が広く知られてしまうと話が変ってくるな)

 最悪はオラリオ中の神々とその手下どもを殺し切るしかなくなる。

 いや、それも所詮は遅いか早いかの問題でしかないか。

(腹を括れという事か)

 ……今なら、人助けという大義名分が多少の慰めくらいにはなってくれるかもしれない。

「だろうな」

 嘆息してから、最後の質問を口にした。

「その少女の名前は?」

「サンジョウノ・春姫。今年で一六歳になるようですね」

「若いな」

 五年前なら一一歳か。幼いとすら言える。

「ええ、そうですね。痛ましい話です」

 似たような境遇の少女を引き取り、娘として育て上げた老爺が呟いた。

「それともう一つ。数日前に『殺生石』が運び込まれたようです」

「誰の仕業だ?」

「直接運び込んだのは神ヘルメスのようです。ですが、あの男神がそれをどこから入手したかまでは……」

 あるいはそれもアン・ディールの差し金なのだろう。

 ……もっとも、あの狂人はいずれ来たであろうその時を前倒しにしただけだ。

 忌々しい事に変わりはないが、それよりも――

「あのクソ野郎が……」

 ヘルメス。奴を仕留め損ねた己の迂闊さを改めて呪う。

 この『時代』に目覚めてから今に至るまで俺が犯した最大の失敗は、間違いなくあの時奴を殺し損ねた事だ。

(いや、待てよ。つまり、奴もここに戻ってきているのか?)

 ならば、今のうちに始末することも可能となる。

 一人殺すも二人殺すも、今さら大した差ではない。

「生贄の儀式とやらはどこでもできるのか?」

「いいえ、どうやら相応の祭祀場が必要のようですね。そして、間違いなく余人の目につかない場所で行うでしょう。となると――」

本拠地(ホーム)か……」

 確か『女主の神娼殿(ペーレト・バビリ)』とか言ったか。

 直接行った事はないが、噂位なら聞いた事がある。

「ええ。実際、二年前大規模な改修工事を行っています。中心となったのは空中庭園なのですが……これがまた奇妙でしてね、依頼する派閥を頻回に変えているのです。つまり、全容を知っているのは、【イシュタル・ファミリア】のみという事ですね」

「それは怪しいな」

 だが、分かりやすくていい。

「ええ。そして、次の満月まであと四日です」

「ああ、分かっている」

「……では、最後に。これが『女主の神娼殿(ペーレト・バビリ)』の見取り図です。最新版ではありませんが、空中庭園の位置に関しては間違いないはずです」

 やれやれ。一体どこまで予見していたのか。

 折りたたまれた羊皮紙を受け取りながら、内心で驚嘆の吐息をこぼす。

「オラリオにいるすべての派閥を敵に回す事になりかねませんよ?」

「それがどうかしたか?」

 神殺しなど、飽きるほどしてきた。人類への背信も、既に経験している。

 それに――

(どのみち、そこまで脅威じゃない)

 アノール・ロンド。王城ドラングレイグ。ファランの城塞。深みの大聖堂。

 それらに比べれば、ここ(地上)にいる脅威()はオッタル一人だけだ。

(ま、神どもが()()()にならない限りは、だがな)

 椅子と釣竿をソウルに戻して立ち上がる。

(いや、今回は道中の敵を皆殺しとはいかないか)

 むしろ、標的以外の殺しは厳禁となる。

 流石にそれは経験した事がない戦い方だった。

 ならば、念のため針鼠のように武装しておくとしよう。

 幸いにして、まだ時間はあるのだから。

 

 

 

「あの男を近づけさせるな! もし近づいてきたなら殺せっ!」

 自慢の『魅了』が通じないどころか、傷まで負わされたイシュタルはホームに戻ると同時にそう檄を飛ばした。

 元々『歓楽街』は私達の島だ。ここにいる娼婦の全てが目となり耳となる。

 そこに厳戒態勢が敷かれたのだ。いくらあいつでも突入は容易ではない。

 守りの堅牢さだけなら、【フレイヤ・ファミリア】より上となる。

 もちろん、化物揃いのあの派閥なら頭数に物を言わせて蹂躙してくるだろう。

 だが、生憎とあいつは一人だ。いくらオッタル並みの化物でも、この数を無視してイシュタルのところまでたどり着けるはずもない。

 ……加えて言えば、別にそんな義理もない。

 私は娼婦で、あいつは客。ただそれだけの関係だ。

(チッ、私も焼きが回ったね……)

 いくらあいつでも、行き刷りの女に命を懸けるほど酔狂なはずもない。

 それでも、期待している。そんな自分を自覚して、舌打ちした。

 あれからもう五日。もし来るならとっくに仕掛けてきているはず。

 そして、今日来なければもう意味はない。

(今夜は満月か……)

 窓の外を見やり、嘆息した。

 おそらく今頃イシュタルも苛立っている事だろう。

 何しろ朝から日の光すら届かないほどの大雨が降り続いている。

 あと数時間で日没。それまでに止むかどうか。

 だが、仮に止まなかったとして一体何になるのか。

 あいつが『仕掛けてこない』なら、所詮は一時の幸運に過ぎない。

「夜までに晴れてくれりゃ、今度はこっちから仕掛けられるようになるな」

 いつの間にか近くにいたサミラが言った。

「本気でそう思ってるのかい?」

「あん?」

 いや、思っているのだろう。イシュタルも。

(私達の破滅はもう決まってるんだけどね)

 どう足掻いても、もはやそれは避けられない。

 イシュタルの策が全て完全に成功すれば、あるいは【フレイヤ・ファミリア】を壊滅させる事はできるかもしれない。

 だが、クオンに殺される。

 どうせイシュタルはあいつも殺そうとするだろう。そして、そのために私達が打って出れば、その隙にあいつはイシュタルを殺す。

 それは絶対だ。

「しっかし、分からねぇな。『魅了』されかけたのが気に入らないにしたって、ああまで抵抗する事か? せっかくフレイヤをぶちのめせる好機だったってのに」

 そりゃするだろうさ――と、嘆息して見せる。

「あいつはね。フレイヤが嫌いなんじゃない。神が嫌いなんだよ」

「だから今もLv.0だってか?」

 サミラは茶化すように笑う。

 それも仕方がない。冒険者――ダンジョンに挑む者にとって、『神の恩恵(ファルナ)』は不可欠だ。万が一それがなくなれば、世界はモンスター共が跋扈する『古代』に逆戻りする。

 神どもが笑えない騒ぎを起こしても許されているのは、究極的にそれが理由だった。

 どれだけ傲慢に振舞われたとしても、その力の恩恵を手放す訳にはいかない。

 その前提がある限り、例え『神の力』を地上で振るえなくなっていたとしても、人は神に抗えない。

 だが、あいつだけは違う。

神の恩恵(ファルナ)』を持たずとも、Lv.7に匹敵する、あるいはそれ以上の力を持つあいつだけは、神の傲慢さに付き合う必要がない。

 クオンは『神の枷』から解放されているのだ。

 しかし、神どもも含めて、オラリオにいる多くの者がそれを理解していない。

 ……それが、どういう意味を持っているのかを。

(だからこうしてあてにしちまってるんだけどね)

 馬鹿げた話だ。

 いくらその傲慢さに付き合う必要がないとはいえ、本当に神殺しなどすれば、オラリオの総てを……場合によっては世界の総てを敵に回す事になる。

 それ以前に、あいつにとって私はもう敵だ。その判断において、あいつは容赦がない。イシュタルが『魅了』するための片棒を担いだのだからそれも仕方がない話だった。

 そんな娼婦のために世界を敵に回すほど、あいつだって馬鹿ではないはずだ。

(あのヘッポコ狐が好きな御伽噺にだって、そんな馬鹿は出てこないからね)

 それでも、女々しい希望を捨てきれないのは、一〇日程前――『何者か』による【フレイヤ・ファミリア】襲撃を目撃してしまったからだ。

(あの時の襲撃者……。あいつはクオンじゃない)

 姿形だけは瓜二つだったが、それだけだ。

 あいつは違う。

『【イシュタル・ファミリア】か……』

 あいつは私を見てそう言った。

 もちろん、あいつが気づいていないとは思っていない。

(ま、互いの身の上話をしなかったのは、確かだけどね)

 だが、それは当然の事でしかない。

 娼婦の過去など聞いたところで――アマゾネス(私達)のように好きでやってる場合を除けば――概ね悲壮なものだ。あえて聞きたがる悪趣味な客がいないわけでもないが、あいつはそういう手合いではない。

 そして、客の事情に深入りしないのは娼婦の嗜みだ。客に情を移した娼婦が泣きを見るのはもはや宿命と言っていい。

 ちょいと付き合いが深く、そして長くなってきてはいるが……それでも、基本的には客と娼婦の関係だ。踏み込んだところで、どうなるものでもない。

 だが、それでも幾夜となく食らいあった馴染みの……そして、上得意の客だ。

 だからこそ、あの一言はいただけない。

(あいつは私を知らなかった)

 つまり、あの襲撃者はクオンではない。

 それはあまりに単純な結論だった。

(四年前から、あいつを死地に追いやろうと暗躍している誰かがいる)

 クオン自身に自覚があるかどうかは知らないが、少なくとも私はそう感じていた。

 例えば【ロキ・ファミリア】ともめた時だ。霞の話を聞く限り、あまり()()()()()誤解が積み重なっている。まるで誰かが狙ったかのように。

(あの時よりも、ずいぶんと直接的だけどね)

 だが、それでもいい。

 その誰かがクオンとイシュタルをぶつけようとしてくれているなら、この際何でも良かった。

(ったく。情けないったらないね)

 要するに私は、その誰かがクオン自身の思惑を無視してここに飛び込ませる事を期待しているのだ。もしその何者かの思惑通りに事が進めば、最悪あいつはオラリオ中の【ファミリア】を敵に回す事になると知っていたとしても。

 今や『助け』を求める事すら許されない私には、他に方法はなかった。

(【ファミリア】は血の掟、か……)

 もし二年前のあの時に、クオンがいてくれたなら。

 あるいは、違う結果になっていただろうか?

(バカバカしい)

 吐き捨てて、私は窓辺から立ち去った。

 雨は、まだ降り続いてくれている。

 

 …――

 

(天恵だな)

 夕暮れの迫る『歓楽街』を一人歩きながら、小さく笑う。

 ここはすでに【イシュタル・ファミリア】の縄張りだ。飾り窓に立つ、あるいは路地で客引きする娼婦の全てが――いや、客すらも彼女達の目となり耳となる。

 言うまでもない事だが、彼女達の本拠地(ホーム)は『歓楽街』の最奥にある。そして、仮にもオラリオ有数の大派閥を相手にするのだ。魔力とて無駄には使えない。

 さらに言えば、当然ながら厳戒態勢が敷かれていた。そんな中を勘付かれずに近づくというのは流石に限界がある。……普段なら。

(勘が鈍っていなくて何よりだ)

 放浪者――あてのない旅人にとって、天候は生命を左右する要素の一つだ。

 たかが雨などと侮れない。身体から体温と体力を奪い、野営できる場所を制限し、暖をとる、あるいは獣避けのための薪を得難くする。さらに場所によっては滑落を誘発させ、鉄砲水や土砂崩れの原因になり、時には落雷という驚異すら伴うのだ。しかし、干天が続けば今度は飲み水が確保できるかどうかがそのまま生命を左右する。

 そんな中で旅を続けていれば、天気の一つ位は読めるようになる。

 近々大雨が来る。そんな直感は、こうして見事に正鵠を射ていた。

 これこそ、まさに天恵と言えよう。

 この大雨の中では如何に『歓楽街』と言えど客足は鈍り、客引きをする娼婦の数も減る。となれば、包囲網に綻びが生じるのは必然だった。

 慌てず、慎重に、そして速やかに目覚めつつある夜の街を進む。

 まだ日没までには時間がある。多少の遠回りを惜しむべきではない。

(急ぎすぎてもいけない)

 当面の元凶を始末し、『殺生石』とやらを破壊し、祭祀場を焼き払ったとして、生贄の少女――春姫とか言ったか――を放っておいては片手落ちもいいところだ。

 どのような決着を迎えるにしても、この一件がオラリオの噂になるのは間違いない。何かの弾みでその少女の情報まで流出したなら、本当にオラリオ中の神とその手下どもを殺し尽くす羽目になる。

 いや、覚悟の上だが――それでも、面倒事を避けられる目があるなら、それに越した事はない。

(ウラノスかガネーシャ辺りなら、何とかしてくれると思いたいがな)

 そのためには確実にその少女を奪還し、あの二人のどちらか――最悪はヘスティアかヘファイストス、ミアハ辺りでもいいが――に保護させるしかない。

 連中なら、少なくとも生贄にはしないはずだ。当面はそれで良しとする。

(保護しようと思うなら――)

 まずは少女の所在を知る必要がある……が、

(去年あたりから遊郭に出ていたらしいが)

 しかし、俺が亡者と出会った日からの足取りは不明だという。あの老爺ですら把握していないものを俺が一人で見つけ出せるはずもなかった。

 だからこそ、あえて今夜――儀式が行われる満月の夜まで待ったのだ。

 何しろ、生贄の儀式が始まる直前なら確実に祭祀場に居合わせている。これ以上確実な瞬間は他にない。

 とはいえ、当然ながら危険も伴う。

(雨が上がる前に、祭祀場に到達しなければならないな)

 この風の強さからして、雨はおそらく夜には上がる。

 そして、雨が上がり、月が姿を現せば、儀式が行われるのは疑いない。

 いや、アン・ディールの話を信じるなら、『砕かれる前』ならまだ問題ないという事になるだろう。だが、そこにどれほどの時間があるのやら。

 大体、俺では元に戻す手段も分からない。

(遅くても早くてもいけない)

 改めて考えればなかなか厄介な条件だが致し方ない。

 おそらくはこれこそがアン・ディール肝煎りの『試練』なのだから。

 むしろ、この程度で済んだ事に安堵すべきだろう。

(どんな隠し玉が仕込まれているか知れたものじゃないがな)

 デーモンの一体程度ならいっそ安いものだ。この際、深淵の異形どもでもいい。

 何しろ可能性で言えばあの亡者が『神の力(アルカナム)』を解放してくる事だってあり得るのだ。

 そして、もしそうなれば今の俺では苦戦どころでは済むまい。

(仕掛けてからは速攻だな)

 一気に祭祀場まで攻め込み、本気を出される前に全てを始末する。

 とるべき手段はただそれだけだ。

 覚悟を決めると同時、今宵の戦場――『女主の神娼殿(ペーレト・バビリ)』が視界に入った。

(流石に警備は厳重か……)

 だが、構わない。一切心は動じなかった。

 当然だ。この程度、在りし日のアノール・ロンドや、ファランの城塞に比べれば取るに足らない。

 手頃な場所に身を潜め、仕掛けるべき時を待つ。

 雨脚は、ほんの僅かに弱まりつつあった。

 

 …――

 

「春姫を連れてこいだとさ」

 日没を迎えた頃、やってきたサミラがそう言った。

「私が?」

 予想外ではあった。

 警備として祭壇周辺に配置されるだろうとは思っていたが……一方で、儀式に立ち会わせはしないだろうとも思っていたからだ。

「ああ。どうせ逆らえやしないだろう?」

「そりゃそうだ」

 今さら嘆息も出やしない。

「んじゃ、確かに伝えたぜ」

 言うだけ言うと、サミラはさっさと配置に戻っていった。

 何しろ今日はわざわざ『臨時休業』にしてまで、ホームの警備を固めさせている。

 Lv.3以上の戦闘娼婦(バーベラ)は、全員が祭壇に集結。それ以外も完全武装で警備についている。まぁ、そうは言っても大半がアマゾネスだ。防具については普段と変わらないが……久方ぶりに『冒険者』の本拠地らしい有様になっている。

 いや、『暗黒期』だってここまで物々しい空気ではなかった。

 ここが正念場だ。イシュタルがそう思っている証拠だろう。

(相変わらず悪趣味な奴だね)

 通路を抜けて、春姫のいる遊郭に向かう。

 いっそ連れて逃げようか――と、思う程度ならできる。

 骨の髄まで『魅了』されているとはいえ、フィリア祭のモンスター共のように完全な傀儡になっている訳でもないのだ。

 だが、できない。もちろん、刻まれた恐怖というのもあるが……

(逃げられやしない)

 それをすれば、今度は他のアマゾネス達が巻き込まれる。

 まだ若い、妹分達が。

 春姫と他の連中を天秤にかけさせられている。

 それは、忠誠を試されているというよりは、単に玩具にされているだけだ。

「あ、アイシャさん」

 部屋に向かうと、春姫はすでに身支度を終えていた。

 サンジョウノ・春姫。

 金髪碧眼。私から見ても整った顔立ちの少女だ。

 その姿は娼婦見習いではなく御伽噺にでてくるお姫様を思わせる――ああいや、実際に良家の子女だったか。

 それが娼婦に身をやつし、さらに生贄にされるというのだから、つくづくこの世は悲劇に満ちているらしい。

「時間だよ」

「……はい」

 少しひんやりとした空気が漂ってくるのは、水垢離をしたからか。

 風呂だって好きに使えるのだから、あえて水浴びなどする必要もないだろうに。

「…………」

 春姫を連れて、来た道を引き返す。

 元々辛気臭い小娘だが、今日は輪をかけて静かだ。

 まぁ、それも当然か。これで陽気だったら、ついに狂ったと思うところだ。

「物々しいのですね」

 本拠地を半ば過ぎたあたり――自身が『死ぬ』事になる祭壇まであと半分と言ったところで、不意に春姫が呟いた。

「まぁね」

 この時間に嬌声の一つも聞こえてこないのは、確かに違和感を覚えた。

 それどころか、このヘッポコにも伝わる程度には殺気立っている。

「アイシャさん。今までお世話になりました」

 祭壇のある空中庭園。そこに続く扉の前で、春姫は小さく微笑んだ。

 いや、少なくともそうしようとした。

 差し迫る『死』を前に、唇は青ざめているし、体は小さく震えている。

「あの、どうか他の皆さんにも……」

 名目上は臨時休業だ。普通の娼婦は本拠地(ホーム)に一人もいない。

 迂闊に巻き込まれて『商売道具』に傷がついては値が下がるからだ。

「ああ。伝えとくよ」

 娼婦に身をやつし――と、言っても、正しくは娼婦見習いでしかない。

 いや、見習いですらないか。

 今年から客が割り当てられるようにはなったが……客の裸――しかも上半身だけ――を見た途端に卒倒するという驚異のヘッポコぶりを発揮し続けている。

 何と未だに処女なのだから、そのヘッポコぶりも極まっている。

(ま、どうせ元々そっち側では期待されちゃいなかったんだろうけどね)

 何しろ、今ではこのヘッポコが卒倒した後に、担当者が客を相手する体制が敷かれている。

 私自身もそれを担当する一人だ。

 元々世話役を押し付けられているので、当然と言えば当然だった。

 もちろん、本人は全く自覚がない。どうやら卒倒している間に淫夢――いや、『悪夢』を見ているらしく、それが現実だと思い込んでいる。

 未だ処女というのも含めて、私達(担当者)の中では有名な話だが、未だに春姫自身はそれを知らない。

(それも今日までだけどね)

 おそらく、あと数時間もすればそうなる。

 雨脚は確実に弱まっていた。

(いっそ教えてやろうか)

 未だ純潔だという事を。最後の手向けになるかも知れない。

 それとも、信じないだろうか。

「そ、それと。これからも、どうか……」

「当たり前だろう。あんたは切り札になるんだからね」

 このまま【フレイヤ・ファミリア】とやりあうにしても、クオンと敵対するにしても、『殺生石』の――いや、春姫の力は切り札となり得る。

(……いや、そうでもないか)

 クオンが敵なら保険が精々か。

 何しろ、あいつはあの【猛者(おうじゃ)】に深手を負わせられる怪物だ。

 そこにきてLv.が一つ上がったからどうなるものでもない。

 そして、ついに空中庭園にたどり着いた。

「遅かったねぇ。こっちに来なぁ~」

 カエルのモンスターじみた大女――団長のフリュネが手招く。

 そこはイシュタルのすぐ近く。祭壇脇であり、陣形の最奥だ。

 つまり、外側からも内側からも一番突破しがたい場所だ。

「チッ、早く雨が上がらないかねぇ。水も滴るいい女にも限度があるよぉ~」

 フリュネが毒づく。

 ヒキガエル並みの容姿のくせに、この女は本気で自分を美女だと思っている。

 まぁ、本人にすればそれが幸せだろう。

 ……ただ、娼婦としては致命的だった。客から見た場合は特に。

 それすら気にしない図太さだけは――あるいはその妄信は――ある意味尊敬に値する。

「つーか、大げさすぎんじゃねぇか?」

 春姫がイシュタルの傍に連れていかれるのと入れ替わりに、サミラが近づいてくる。

「こんだけ守りを固めてあれば、いくら【正体不明(イレギュラー)】でも来るわけねぇだろ。春姫と顔見知りってわけでもないんだしよ」

「さぁね」

 気のない返事を返しておく。

 ひょっとしたら知っているのかもしれない。そう思わないでもなかった。

 少なくとも『殺生石』については知っていた。おそらく、裏で糸を引いている何者かの入れ知恵だろう。それなら、春姫を知っていても驚きはしない。

 もっとも、それが来る理由になるかどうかは別の話だが。

(ダメか……)

 驟雨だったものは、すでに小雨に変わっていた。

 薄くなった雲の向こう側に月の明かりが透けて見える。

 満月がその姿を現すまで、もう時間はない。

(そりゃ、来るわけないね)

 ああ、それでも――

「なッ?!」

 その時、突如として爆音が響き渡った。

 一度ではない。数回に渡り、連続してだ。

「何事だいぃ~?!」

 本拠地が騒然となるのが、この空中庭園にまで伝わってくる。

 何事もクソもあるか。

(あンの馬鹿が……ッ!)

 そこまでか。あの馬鹿は。

「何笑ってんだいぃ、アイシャぁ~」

「これが笑わずにいられるかい」

 どうやら、私は笑っているらしい。

「馬鹿が来たのさ。飛び切りのね」

 まったく救い難い。一体何を考えているのやら。

 ああ、だけど――

(これで私達は終わりだね)

 今宵、この淫都は燃え落ちる。

 

 

 

「―――……」

 ふと思い立って【見えない体】の詠唱を中断した。

 本拠地に乗り込むのだ。その程度の小細工がいつまでも通じる訳もない。

(そうだな)

 せっかくの殴り込みだ。どうせなら、派手にいくとしよう。

 城と見紛うばかりの巨大な娼館を見上げ、小さく笑みを浮かべた。

「止まりな。今日は休みだよ」

 近づくと、門番らしきアマゾネスが怪訝そうな目で言う。

「いえ、待って。黒衣に大剣って――」

 もう一人が慌てた様子で身構えるが、もう遅い。

「今日は、じゃないな」

 火を宿した左手を構える。

「こいつ、【正体不明(イレギュラー)】――!」

「今日で閉店だ」

 特大の火球が、閉ざされた鉄柵を蒸発させ、石畳を溶岩に変え――さらに、『神娼殿』の名にふさわしい立派な大扉を吹き飛ばした。

 曰く【混沌の大火球】。

 イザリスとその娘たち――そして、彼女達の王国を焼き滅ぼした『混沌の炎』を司る大呪術。俺が持つ切り札の一つである。

「ひっ……!」

 ソウルが流れ込んでこなかった以上、今の呪術に巻き込まれて死んだ者はいない。

 門番二人もその場で腰を抜かしていた。

 見れば、まだ若い。新人という事か。

(幸先は良いな)

 二人は無視して、一気に神娼殿に突入する。

 入り口付近にいた他のアマゾネス達――いや、それ以外の種族も数人混じっているようだったが――も、似たり寄ったりだった。

 息を吹き返される前に、さらに内部へと駆け抜ける。

「敵襲だああああ!」

 その背を、そんな絶叫だけが追ってきた。

「くそっ! 先に行かせるなっ!」

「あんた達、ビビってんじゃないよ!!」

 流石に、立て直しは早い。

 すぐさま行く手に複数の女戦士が立ちはだかる。

 半裸の美女に囲まれているというのに、全くさっぱり嬉しくない。

(ああ、これはあれだ)

 王城ドラングレイグで、『ガーゴイル』に強襲され、慌てて逃げ込んだ先で『砂の魔術師』達が()()に出迎えてくれた時と同じだった。

 ああいや、あの魔女達ほどの火力を持っていないだけまだマシか。

 ともあれ、まとめて斧槍で薙ぎ払う。無論、刃は使わない。いわゆる『峰打ち』だ。あるいは、『石突き』側で突くか。いずれにしても死なない程度に加減している。

 今のところ、上手くいっている。少なくとも、ソウルは流れ込んでこない。

 しかし、そうなると――

「囲め! 奥に行かせるな!!」

 回復薬一つであっさり戦線に復活してくるわけだ。

 ……倒したはずの敵が次々蘇っては背後から迫りくる様は、どうにもロードランの地下墓地を思い出させた。

(気が滅入るな)

 何も知らずに迷い込んでは訳も分からないまま囲まれ、そのままなす術もなく惨殺された恐怖と絶望感は、それから結構長い間尾を引いた。

「――――――」

 左手に火を宿し、鮮烈な物語を口ずさむ。

 その名を【雷の槍】。太陽の戦士達が操る奇跡。

 左手に生じたその『槍』を床に向けて投げつける。

 竜狩りの神話が元となっている奇跡だ。背後の床を崩落させるくらいは容易い。

(【雷の杭】が使えればなおいいんだがな……)

 今の俺では少々力が足りない。

「くそっ!」

 まぁ、代用できたのだから、ひとまずはそれでいいか。

 それなりに大きな穴が行く手を阻む。これでひとまず背中の心配はしなくていい。

 飛び越えるにはそれなりの手間がかかる。その分、迎撃もしやすい。

「くたばれ!」

 とはいえ、そこは相手もさるもの。

 上階から縄を使い、窓を突き破って襲撃してきた。

 いやはや、豪快な事だ。伊達にアイシャの同僚ではないという事か。

「―――」

 そのままごく短い物語を口ずさむ。

 その名を【フォース】。相変わらず、使い方さえ考えれば便利な奇跡だ。

「何っ!?」

 放たれた衝撃波が彼女達をもう一度壁際に追い返す。

 その隙に間合いを詰め、まとめて斧槍で殴り倒した。

「っと!」

 ついでに、そのまま窓の外に落ちそうになった戦闘娼婦(バーベラ)をウィップで絡めとって引きずり戻してやる。

 普段ならまだしも、昏倒した状態では受け身もとれまい。念には念を入れておくべきだ。

(まったく、我ながら面倒な事を始めたものだ……)

 殺さない戦いというのは思った以上に厄介だった。

 しかも、相手は容易く命を落とすただの生者ときている。

(いつまで意地を張っていられる事やら)

 何より厄介なのは、数が多い事だ。

 この状況で数を減らせないというのは最悪の状況である。

(まだ半分と言ったところか)

 ここ数日、穴が開くほど眺めた見取り図を脳裏に思い描く。

 目的地の空中庭園まで、あと半分と言ったところだ。

(思ったより時間がかかるな)

 少し急がなくては、月が出るまでに間に合わない。

 この期に及んで間に合わないというのはあまりに間抜けすぎた。

「がっ?!」

 死角から、気配を殺して近づいてきた獣人――と言っても、やはり戦闘娼婦(バーベラ)なのだろうが――の鼻先に盾を叩き付け、先手を強引に奪い取る。

 その獣人の鳩尾を斧槍の石突きで打ち抜いてから、なけなしの『黒い火炎壺』を近くの扉に投げつけた。

「ああっ!?」

 本来ならここで挟撃するつもりだったのだろう。

 扉の前に陣取っていたらしい数人が爆発に巻きこまれて倒れた。

 何しろ加減の利かない武器だ。使用するには若干ならず不安はあったが……ソウルが流れ込んでこない以上は死んでいないはずだ。

「くそっ!」

 とはいえ、安堵している暇はない。

 爆発に巻き込まれなかった数人の戦闘娼婦(バーベラ)達が、慌てて飛び出してきた。

 流石に通路が狭い。武器を直剣に切り替えて迎撃する。

「しまった!?」

 室内用の短槍の柄を両断してから、直剣の柄頭でこめかみを抉る。

 駆け出しの頃に『直剣の柄』で戦った経験がこんな形で生きてくるとは思わなかったが、この際良しとしておこう。

(この戦い方もいつか役に立つのか?)

 シャクティのところでバイトでも始めれば役立つかもしれない。

 人間が相手なら、今の状況と大差ない事態に陥るのは明らかなのだから。

「剣闘士の分際で……っ!」

 白目をむいて昏倒するそのエルフ――まさかエルフの戦闘娼婦(バーベラ)までいるとは驚きだ――が倒れこむ前に、両手にナイフを構えたアマゾネスが斬りかかってくる。

 少し近づかれすぎた。両手の武器を消し、素手――と、言っても手甲はつけたままだが――でそれを迎え撃つ。

 理屈としては普段と変わらない。

 最初に振り下ろされた側の腕を『受け流し(パリィ)』して強引に隙を生み出し、その隙に拳で鳩尾を貫く。それだけだ。

(これじゃ拳闘士だな)

 苦笑しながら、左手に火を宿す。

 口ずさむ物語の名を【放つフォース】。カタリナの騎士達が得意とする奇跡だ。

 狙いは、扉を吹き飛ばした室内。爆発の影響から立ち直りかけている残りの戦闘娼婦(バーベラ)達に向けて、球状の衝撃波を射出する。

 同系統の【フォース】と違い、衝撃波そのものにもダメージを伴う。さらに、着弾と同時に破裂し、更なる衝撃波をまき散らすという代物だ。

 威力を加減しても、息を吹き返しかけた生者をもう一度昏倒させる程度は容易い。

「こっちにいたぞ!」

 やはり本拠地というだけある。敵はまるで尽きる事を知らないようだ。

(そんなはずもないがな)

 馬鹿げた妄想を鼻で笑い、素早く詠唱を行う。

 曰く【ソウルの閃光】。巨大な魔力の輝きが行く手を遮る戦闘娼婦(バーベラ)達をまとめて飲み込んだ。……とはいえ、威力はだいぶ加減している。

 本来であれば、敵の悉くを撃ち貫き、消し飛ばす大魔術だが――流石にこれでは形無しか。

 踏みとどまったらしい数人を大剣の『腹』でまとめて薙ぎ倒して駆け抜けると、ちょっとした広場に飛び出していた。

「弓隊撃てぇ!」

 同時、号令の声をかき消すように弓弦が震える音が重なり合う。

「―――ッ!」

 とっさに盾を構えるが、流石に無傷とはいかなかった。

 右の太股に突き刺さる。それを見て射手達が歓声を上げた。

「何っ!?」

 確かに生者であれば、嫌でも戦闘能力は落ちただろう。

 だが、生憎とこちらは不死人だ。足を射抜かれたせいで動けなくなるような『人間らしさ』はすでに残っていない。それどころか、ソウルさえ奪われないなら、脳天を射抜かれたところで構わず戦闘を続行できる。

「何で動けるのよ……!」

 不死人だからだ。

 例え(はらわた)をたれ流そうが、脳漿をまき散らそうが、その体にソウルが留まっている限り戦い続けられる。俺達(不死人)とはそういう怪物なのだ。

 だからこそ、忌み嫌われている。

(慣れれば悪くないがな)

 そう思うようになった時点で、俺は完全に人間ではなくなったに違いない。

 さらに何ヵ所かを矢で抉られ、あるいは貫かれながら自嘲する。

 ……こんな姿を見れば、普通は誰だってああはなりたくないと思うだろう。

 そう思わなくなった時点で、俺は完全に不死人という存在になったのだ。

(だが、それはいつの事だった?)

 弓の間合いを強引に踏破しながら、自問する。

 多くの人間が抱く不死人への嫌悪を、俺は抱いた事があっただろうか。

 この身に『ダークリング』が浮かんだ時ですら、俺は絶望を覚えた気がしない。

「化物が……!」

 まぁ、その通りだろう。

 ただ、我が友ソラールや、呪術師ラレンティウスも概ね『気にしなかった』というような意味の言葉を口にしていたはずだ。

 ならば、俺だけが異端ではない。……彼らの言葉は、強がりだったのかもしれないが。

 手早く弓兵達を叩き伏せてから、太腿に刺さる矢を引き抜く。

「――――」

 そのまま黒弓に番えて、弓弦を引き絞った。

「うわ!?」

 その矢は物陰に身を潜め、強かに好機を狙っていたアマゾネスの右足を射抜いた。

 それで、彼女の戦闘能力はほぼ失われる。

(ま、これがまっとうな生者だな)

 近づき、盾で殴って昏倒させてから嘆息した。

 ああ、まったく。

「ああクソ……」

 一体何をやっているのか――と、場違いな疑問が胸中に浮かぶ。

 今さら一人で神を目の敵にしたところで何がどうなる訳でもない。

 ここは『神の枷』を甘受して――それどころか、自分達から隷属を選び、枷からの解放を目指した英雄達を殺し、追放した連中の末裔達の街だ。

 俺一人が神を目の敵にしたところでどうなるものでもない。

 いや、気に食わないなら、さっさと最下層にでも行けばいい。四年前ならまだしも、篝火を得た今なら、例え幾度殺されようと足を止める理由はないのだ。

(ベルが最下層に到達できるようになるまで、本当に待つつもりか?)

 それまでに、こんな馬鹿げた騒ぎがあと何回繰り返されるのか。

 その度にこうやって殺し合うつもりか。

「いたぞ! 囲めぇええええぇ!」

 ……まったく、戦場で考え込むような事ではない。

(こんな様だから、アン・ディールがこんな茶番を用意するんだ)

 凝ったままのソウルに舌打ちする。

 いや、違うか。アン・ディールがちょっかいを出してくるのは単にソウルが凝っているからではない。

 ……まぁ、そんな事は自分が一番自覚している事だった。

 

…――

 

 店に設えられたマスター(アルドラ)自慢の大型自動琴(オルゴール)が、哀切ある音色を奏でていた。

 物憂げながらもどこか懐かしいその調べを聞きながら、グラスの中の氷を回す。

「雨、上がってきたみたいね」

「ああ、そうだな」

 朝靄が消えるのを見計らって降り始めた大雨のおかげで、今日はすっかり開店休業だった。

 すっかり馴染んだ店には、お世話になっている気のいいドワーフと二人きり。

 オラリオ生まれ、オラリオ育ちのハーフエルフにとってはドワーフだからどうというものでもない。

 エルフにだってろくでもないのはいるし、ドワーフにだっていい人はいる。

 それを種族(生まれ)で括って論じる事に意味を感じた事はなかった。

「今夜が満月、だったな」

「ええ。今頃は、もう仕掛けているんじゃない?」

 一昨日の夜、久しぶりに見かけ――夜を共にした相棒の話を思い返す。

「『歓楽街』の最後、か。関わっているのがクオンでなければ……それと、トマスさんから話をきいていなければ、とても信じられんな」

 いや、今でも実感が湧かんが――と、マスターは呟く。

「あら、ひょっとして馴染みの子でもいるのかしら?」

「からかうなよ。生憎と私はクオンのように女慣れしていなくてね。おかげで未だに嫁さんもおらん」

 それどころか、世話のかかる娘の方が先にできたよ――と、彼は軽やかに笑った。

「どこかにいい人がいればいいんだけどねー」

 それこそ、何だかあちこちに知り合いがいるらしいトマスお爺さんにでも相談してみようかしら――と、胸中で呟く。

「それにしても、止めなくて良かったのか?」

 丹念にグラスを磨く手を止めて、マスターが言った。

「クオンを?」

「ああ。四年前の表には出てこれない連中とは違う。文句なく大派閥の一つ……それも文字通り一つの『街』の支配者が相手なんだぞ?」

「『街』の支配者と事を構えるのは、これが初めてじゃないわよ」

 四年前、まだ彼と出会って精々二ヵ月程しかたっていなかった頃。

 私達はいくつかの派閥と――正しくは、それを飼っていた貴族と対峙した。

 神様の次の次くらいには厄介な相手である。

「まぁ、そりゃそうだろうが……」

 手に持っていたグラスを置き、マスターが嘆息する。

「大体、止められると思う?」

「お前なら止められたんじゃないか?」

「無理よ。だって、アイシャが絡んでるんだもの」

 もう四年も付き合いが続く、気の置けない友人を思い浮かべる。

 まぁ、確かに言われてみればちょうど二年位前からこの店に来る数も減っていた。

 幹部になったから――と、本人は言っていたけれど……。

(まぁ、相談されても力にはなってあげられなかったでしょうけど)

 いくら魔法が使えても、それだけだ。

 あいつのように神様たちの度肝を抜くような力はない。

 不満はあるけど――相談して欲しかったというのは単なる感情論だ。

「おや、ずいぶんと弱気じゃないか」

「あら、あの女たらしを独占できる訳ないじゃない?」

 からかうように笑うマスターに、私も冗談――ではないけれど――を返した。

「まぁ、相変わらず世話の焼ける二人よ。あいつらは」

 グラスを置き、大きく背伸びをする。大雨のせいか、何だか陰鬱な雰囲気が続いていた。

 マスターに断って、自動琴(オルゴール)の円盤を変えた。

 今までの哀切な音色から一転して、軽快な音色が店内を満たす。

(アイシャも、クオンが帰ってきているのを知っているんだからさっさと泣きつけば良かったのに)

 とはいえ、あの女傑が泣きつく姿はちょっと想像できないのは確かだ。

 ……まぁ、夜だとあれで結構可愛いところがあったりする訳だけど。

 と、それはともかく。

 あいつなら、嫌な顔一つせず……余計な事を聞きもせず、二つ返事で頷くのは知っているくせに。

 そうすればここまでの事には――うん、多分ならなかったはず。きっと。イシュタル様が素直に話を聞いてくれさえすれば。

「クオンの奴もかい?」

 椅子に戻ると、マスターが言った。

「ええ、そうよ。あいつは時々面倒くさいの」

 溶けた氷で薄まったお酒を一気に飲み干す。

「どうせ腹は決まってるくせに、うだうだ悩んでいるふりをしてるのよ」

 アイシャと出会った頃――続く抗争の中で、半端に記憶を取り戻し、一番荒んでいた頃の方がある意味扱いやすかったかもしれない。

 あの頃は自分を削り落とす危うさと、剣闘士の謳い文句(剣の切っ先より死に近い)を地で行く血腥さ。そして、何より諦めの悪い男の荒々しさと強靭さがあった。

(ま、それを鎮めちゃったのはある意味アイシャなんだけど)

 憎悪の対象だった冒険者と情を交わした事実は、良くも悪くもあいつに影響を与えた。

 荒々しさ――殺戮へと誘う狂気を取り去り、身を焦がす憎悪を鎮めた。

 そうでもなければ、今頃はオラリオ中に死体の山ができているところだ。

 それくらい、あの頃のあいつは荒んでいた。

(そう言えば、そういう御伽噺を聞いた事があったわね)

 いや、英雄譚だったか。

 聖娼シャハート。

 猛り狂い暴れる英雄を鎮めた、知られざる英雄の語られざる偉業。

 娼婦を中核に据えるという珍しい物語だったので、今も記憶に残っている、

(ま、アイシャは聖娼って柄じゃないけどねー)

 ……彼女自身にその気があったとはとても思えない。

 剛胆かつ色欲に忠実なアマゾネスを思い出して苦笑した。

 彼女もまた神聖さよりも野性が似合う。

 ああ、それにしても――

「あーもー。妬けるわねー!」

 マスターにお代わりを要求しながら、足をばたつかせる。

 悪い魔女(めがみ)に囚われたヒロインを、我が身の危険も顧みず助けに行くとか、一体どこの英雄譚なのか。

「大体、他の女を助けに行くのに、私に尻を蹴らさせるんじゃないわよバカー!!」

「ハハハッ。それは選んだ相手が悪かったな」

「マスターまでアイシャ達と同じこと言わないでよ」

 むくれて見せる。……けど、私も他人事なら同じように思っただろう。

 流石にそれは否定できない。

「ところで霞。アイシャの心配はしていないようだな?」

 拗ねたふりをしていると、マスターが表情を改めて問いかけてくる。

「する必要があると思う?」

 新しく注がれたお酒に口をつけた。

「私自慢の剣闘士が助けに行ったのよ?」

 燻っているふりをしていても、本当に火が消えてしまっているわけではない。

「あいつが生贄を求める悪い魔女(めがみ)になんて負けるはずがないじゃない?」

 例え立ちはだかる相手が神だろうが、迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)に名高い大英雄アルバートだろうが、あるいは彼と双璧をなして語られる狼騎士アルトリウスだったとしても負けるものか。

 誰も知らない不屈の英雄は、今も健在なのだから。

 

 …――

 

 人間、やはり慣れない事はすべきではないらしい。

 ひとまず誰も殺さずにここまで来たが……おかげで予想より時間がかかった。

 ついでに言えば、決して少なくない手傷を負っている。

(とはいえ……)

 頬を伝う血を適当に拭い、エストを煽ってから胸中で呟く。

(おかげで、体がほぐれてきたな)

 もっとも、ソウルの凝りは相変わらずだが。

 とはいえ、オラリオで目覚めてから、ある意味最も()()に戦ってきたおかげか、錆びついていた勘が戻ってきた。

(これで最低限の義理は果たしたか?)

 アン・ディールへの、だ。

 ここから先は、余計な事は考えない。

 この先に待つのは神だ。油断すれば、あっさり殺される。

「――――――――」

 続けて灰瓶を煽ってから、とある物語を口ずさみ歩く。

 程なく、祭祀場があるはずの空中庭園に続く大扉が見えてきた。

 そして――

前衛壁役(ウォール)ども、気合い入れな!」

 その前に陣取り、揃って詠唱を開始する戦闘娼婦(バーベラ)達の姿がそこにあった。

 どうやら、ここに来るまで派手に暴れすぎたらしい。

 向こうも自分の棲み処への損傷を気にしなくなったようだ。

 ひとまずは殺到する前衛を迎え撃つ。可能な限り手早く片を付けたが、流石に詠唱が完成する方が早かった。

「―――――」

 右手に≪オーマの大盾≫。左手に≪レーヴの大盾≫。左右一対として使用される事を前提としたその大盾を構える。

「撃てぇええぇええっ!」

 その特殊な形状は二つの大盾を城門に変え『固く閉ざす』事を可能とした。

 そして、両足に全力を注ぎこむ。

 踏みとどまるためではない。

「―――――!」

 そのまま突撃するためだ。

 堅牢な守りに物を言わせ、炸裂する魔法の中を強引に走破する。

 そして、そのまま戦闘娼婦(バーベラ)達に突撃した。

「正気かお前ぇぇっ!?」

(余計な世話だ)

 正気かどうかなど知った事か。

 そして、正しいかどうかも関係ない。

 理由が何であれ、ここでアイシャ達を見捨てられるようなら――

(あの時、俺は火など継いでいない!)

 最後の逡巡を投げ捨て、在りし日の傲慢さを蘇らせる。

 身勝手なのはお互い様だ。

 自らの時代を存続させるため、人間を謀り薪とした神々も。

 自らの願いのためにそれに便乗し、火継ぎを完成させ――その後蘇っては、それを終わらせた俺自身も。

 そして、勝手と勝手の殺し合いなら――

(あとは生き残った方が全てだ)

 激突し逆巻く余波が盾の裏側にまで吹き込んでくる。

 それを黒衣越しに感じながら、逃げ遅れた数人を突き飛ばし、守りを解いた。

「ひるむな! 武器を取り出す前に――」

 いや、武器なら既に持っている。

 堅固かつ重量のある大盾は、そのまま鈍器となる。

「ぐおっ!?」

 事実、この大盾を愛用した騎士達は武器を持たず、盾だけで敵を叩き潰したのだから。

 その蛮行を、今ここで再現してやるとしよう。

 

 …――

 

(チッ、風が強くなってきたね……)

 夜目にも雲が流れていくのが見える。

 もはや雨は上がった。あと数分もすれば、月が姿を現すはずだ。

「まだ殺せないのか?!」

 イシュタルの怒声が飛ぶ。

 ホームから響く破壊音は途切れる事はなく、それどころかもはや震動すら感じさせるほどに近づいてきている。

「チッ! 春姫、こちらに来い!」

「は、はい!」

 未だ状況を分かっていない春姫が、祭壇から降りる。

「アイシャ、お前もだ!」

 イシュタルの座る大椅子の脇に、春姫と並ぶ。

「フリュネ、分かってるだろうな?」

「分かっているよぉ、イシュタル様ぁ」

 フリュネの指示で、私達を中心に陣形が組まれていく。

「おいおい、本気かよ……?」

 サミラの顔から余裕が消えて久しい。

 陣形こそ整然と保っているが、動揺までは覆い隠せていない。

「ええい、うろたえるな! あの女神を仕留める前の前哨戦だ!」

 イシュタルが檄を飛ばすが、あまり効果はない。

 そもそもイシュタルの対【フレイヤ・ファミリア】戦略は、こちらから仕掛ける事が大前提となっている。向こうから仕掛けられたなら、【フレイヤ・ファミリア】にすら私達は勝てない。

(オッタルを降せる化物だよ、あいつは)

 これは()()()などではない。

 もし、この戦いを勝ち抜けられるなら【フレイア・ファミリア】と真っ向からやりあっても勝てる。

 しかし、現実にはそうではない。だから、この結末は必然だった。

「あ、あのアイシャさん……」

 この場を満たすただならぬ気配に、春姫が今さら不安そうな顔をした。

「アンタって奴は最後の最後で悪運がいいのかもね」

 娼婦になっても純潔を失わず、生贄になっても命を失わない。

 このヘッポコ狐は、案外そういう星の元に生まれているのかもしれない。

「飛び切りの大馬鹿が、後先考えずに余計なおせっかいを焼きに来ているのさ」

「お、おせっかいでございますか? アイシャさんのお知り合いが……?」

「理由なんて聞くんじゃないよ。私にも分からないかね」

 ああ、いや気に入らないだけか。神の思い通りになる事が。

「傲慢で、荒々しく、強い。雄ってのはそういう生き物なのさ」

 これだから、交わるのが止められない。

 約束された破滅を前にしてなお、こうして血が滾るのだから。

 そうこうしている間に、いよいよ死神の足音は近づいてくる。

 この空中庭園に繋がる大扉の向こう側で、最後の防衛班の悲鳴が響く。

 そして、大扉が吹き飛んだ。

「よう、いい夜だな」

 漆黒の長衣を着込み、無造作に大剣を担いだ男が一人、小さく帯電する扉の残骸を踏み砕きながら、平然と祭壇に近づいてくる。

 追ってくる者は、一人もいない。最後の防衛班も全滅だった。

(つくづくこの男は……)

 たった一人で、この神娼殿を踏破してきやがった。

 ああ、まったく。

 こいつを『灰色の悪夢(アッシュ・オブ・シンダー)』と最初に呼んだ奴は先見性がありすぎる。

「化物が……!」

「そいつはお互い様だな」

 毒づいたイシュタルを、クオンは鼻で笑った。

「お前たち、時間を稼ぎなぁ!」

 フリュネの号令に、サミラ達が身構える。

 そして、全滅するのだろう。

(さて、私も最後の戦いと洒落こもうか)

 愛用の大朴刀を担ぎ、一歩踏み出そうとして、

「アイシャ。お前は行かなくていい。そこにおれ」

 イシュタルがそう言った。

「はぁ?」

 まさかフリュネだけでどうにかなるとこの期に及んで思っているのか。

 だとしたら、相当に追い詰められている。

 とはいえ、逆らえるはずもない。

「さて、イシュタル。この提案は俺からの最後の善意だ」

 身構えるサミラ達などまるで見えていないかのように、クオンは近づいてくる。

 そして、大きな布袋を放り投げてよこした。

「アイシャ・ベルカ……と、サンジョウノ・春姫とかいう娘を身請けしたい。代金は二人で合計二億ヴァリス。即金で払おう」

 やたらと重い音がすると思ったら、ずいぶんと大金が詰まっているらしい。

 そんな額をポンと払えるとは。

(どうりでいつでも私の一晩を買えるわけだ)

 投げられた衝撃で口紐が緩み、中からヴァリス金貨がこぼれている。

 それを見やって、思わず驚嘆した。

(そういや、七〇階層だかまで行ってるだったね)

 正直、あまり信じていなかったが、どうやらこの様子なら本気なのだろう。

「足りないとは言わないだろう?」

 普通なら充分すぎる。

 だが、生憎と私達は――特に春姫は普通ではない。

 何より、この嫉妬深く尊大な女神が、この状況で命乞いするはずもなかった。

「そういうわけにはいかんな」

 そして、それが最期の失策となる。

「残念だ」

 交渉は当然のように決裂した。

「それなら、仕方がない」

 さして気にもせず、クオンもまた大剣を構える。

「力尽くでいただいていくとしよう」

 この期に及んで、クオンは小さく笑った。

「何でも、男が女を連れ去る時は、そうするのが礼儀らしいからな」

 ああ、確かに。

『男が女を連れ去る時は、力尽くと決まっているのさ』

 いつだったか私は、そいつにそう言った事がある。

「そのソウル諸共、俺が貰い受ける」

 相変わらず、変なところで素直な奴だ。

「は――っ」

 小さく、サミラが笑った。

「はははははははっ! 身請けに二億?! オレ達をまとめて皆殺しにしてでも?! アイシャ、お前一体どんな『食い方』をしたんだ!? あとで教えてくれよ!!」

「そりゃ無理だね。どっちかと言えば、『食われた』方だからね」

 肩をすくめてやる。それに、嘘ではない。

 寝台の上でもそれ以外でも、この男に勝てた試しがない。

「はっ! お前がか?! そりゃいい!」

 その笑い声に釣られて、他の連中まで笑い始めた。

「春姫! 詠唱を始めな! それくらいの時間は稼いでやるからよ!」

 まぁ、それでこそアマゾネス。それでこそ戦闘娼婦(バーベラ)だ。

「アイシャさん……」

「いいから始めな」

 その程度の小細工で覆せるような状況では、すでにないのだから。

「【――大きくなれ】」

 春姫の詠唱が始まると同時、役目を終えたと言わんばかりに雨が上がる。

「行くぞ、お前ら! アイシャの情夫(おとこ)の味見をしてやろうじゃねぇか!」

 薄い雲の向こうから差し込む月光の下で、最後の激突が始まった。

 

 …――

 

「そりゃ無理だね。どっちかと言えば、『食われた』方だからね」

 いや、それには異議を唱えたい。

 押し売られたのはこちらであり、全ては正当防衛というやつだ。

 ……まぁ、あの時はちょうど中途半端に記憶を取り戻したせいで一番荒んでいた時期だし、諸々世話になったのは認めざるを得ないが。

「行くぞ、お前ら! アイシャ情夫(おとこ)の味見をしてやろうじゃねぇか!」

 まぁ、アマゾネスとはこういうものか。それ以外の種族も見られるが――それこそアイシャの同僚だ。是非もあるまい。

 ため息を飲み込んで、最後の挑戦に挑む。

 今のところ、不殺を貫けている。とはいえ、今度の相手は精鋭だ。

 ここまで来てしくじらないよう、慎重に対応しなくてはならない。

「―――――――」

 苛烈な物語を口ずさむ。

 その名を【神の怒り】。圧倒的な破壊力を宿す衝撃波が辺りを蹂躙する。

 それで、飛び込んできた連中をまとめて迎え撃つ。

「がぁ―――!?」

 最初に飛び込んできた相手の中で、唯一灰色髪の女が踏みとどまった。

 加減しすぎたか。それとも、単に彼女が手練れだという事か。

「テメェ……!」

 だが、それでどうなるものでもない。

 拳で鳩尾を打ち抜く。

「冒険者を舐めんじゃねぇ!」

 巡礼者を侮らないでもらおうか。

 如何に凡庸な不死人とは言え、この程度の相手に後れを取っては、あの時殺した偉大な()()()に申し訳が立たない。

 相手の特攻を躱し、肘でこめかみを抉る。それでようやく、灰色髪の女は昏倒した。

「クソっ!」

 武器を特大剣――≪呪縛者の特大剣≫に切り替える。

 無論、その秘めた力を解放するつもりはないが――それでも渾身の力で振り抜けば、ただの生者をまとめて昏倒させるに充分な威力を発揮する。

「囲め!」

 武器を≪傭兵の双刀≫へ。

 包囲をすり抜けながら、連続して峰打ちを叩き込む。

 流石に精鋭だけあって丈夫だ。一撃では昏倒させられない。

「【ウチデノコヅチ】」

 それでも八割ほど叩きのめしたあたりで、金髪の少女が詠唱を完成させた。

 ひとまず盾を構える――が、特に何も飛んでこない。

 と、なると――

(これが……)

 いや、あの少女が――

「ゲッゲッゲッ! これで終わりさぁ! 可愛がってやるよぉ【正体不明(イレギュラー)】ぁ!!」

 今までで一番重い戦斧の一撃が襲ってきた。盾で受けつつ、後ろに飛ぶ。

(こいつは――)

 そう言えば、闇派閥(イヴィルス)と繋がりがあるとか言っていたか。

 いったん間合いを開きながら、思わず毒づいていた。

 目の前にいるそれは、さしあたって言えば、蛙のデーモンと言ったところか。

 いや、アマナの祭壇で出くわした『謳うデーモン』と違って人型だ。ならば、『蛙頭のデーモン』とでも呼んだ方がいいのかもしれない。

「遠慮する事はないよぉ! アイシャなんかよりも、私の方がいい女だからねぇ!」

 ……どうやら、デーモンの美意識は人間と著しく乖離しているらしい。

 別に他人の好みにケチをつける趣味はないが、相互理解には極めて困難を伴いそうだ。

 嘆息しながら、迫る戦斧を『受け流し(パリィ)』してやる。

 最初の一撃を受けた時点で、把握していた。

 目の前のデーモンは、今まで出くわした中で飛び抜けて()()だ。

 ならば、何の問題もない。

「なぁ!?」

 あっさりと体勢を崩し、無防備になったその胴体にクレイモアを突き立てる。

 いくら不殺とは言え、デーモンは埒外だ。

「ゴフ―――ッ!? あ、あんたぁ……!?」

 どこぞの禿丸風に言えばノーカウントというやつである。

「フリュネが、一撃だと!?」

「春姫の魔法があるんだぞ!?」

「バカな! 今のあいつはLv.6相当なんだぞ!?」

 まぁ、そんなものか。

 せめてオッタル並みの膂力があれば話はまた変わっただろうが。

 軽く蹴飛ばして、剣を引き抜く。

 その時点で、前座は半ば終わっていた。

 切り札だったらしいデーモンを潰され、完全に浮足立った残りの連中を叩きのめすのは、さしたる手間ではなかったのだから。

「さぁ、そろそろ決着をつけようか」

 残りは、神一人。

 どれほどのものだろうか。

(女神イシュタル。愛と美の女神。豊穣の女神。そして、戦いの女神、だったな)

 戦いの女神ともなれば、どれほど低く見積もっても銀騎士以上の力はあろう。

 まさか竜狩りの戦神である無名の王やオーンスタイン程ではないとは思いたいが――

(その半分でも、今の俺には手に余る)

 忘れてはいけない。勘違いしてはいけない。

 この神どもは『神の力(アルカナム)』を失っているわけではない。ただ封じているだけだ。なりふり構わないなら、いつでもその力を振るえる。

 だからこそ、本気を出される前に始末しなければならない。

 

 …――

 

「バカな! 今のあいつはLv.6相当なんだぞ!?」

 今さら取り乱す団員に、思わず嘆息していた。

(ああ、いや。分かってたけどね)

 クオンがオッタルと互角だという話は、言うほどには信じられていない事くらい。

 四年前の決闘は【古王(スルト)】の乱入によって有耶無耶になった。

 だが、あのまま続けていれば、何だかんだ言って最後にはやはりオッタルが勝っていただろうというのが、オラリオに住む多くの者達の見解だった。

 それほどに【猛者(おうじゃ)】の武名は圧倒的であり……そして、クオンがこの街にいた時間は短すぎた。

 その結果、凄腕のLv.6相当という()()()()()が定着して……いや、それこそ場合によってはあの決闘自体が八百長だったと決めつけている奴らすらいる。

 それは私達も同じだ。

 オッタルを上回る相手はいない。誰もがそう思い込んでいたはずだ。

 ……あるいは、イシュタルまでもが。

「さぁ、そろそろ決着をつけようか」

 そして、残る戦闘娼婦(バーベラ)は私一人になった。

 大朴刀を構えて、前に出る。

「お前もやる気か?」

「当然だろう? 【ファミリア】は血の掟だ。それに、今さら私一人だけ生き残るってのも筋が通らない」

 まぁ、最期の相手がこの怪物なら申し分ない。

 精々派手に戦って死ぬとしよう――と、その覚悟を嘲笑うように、

「待て、アイシャ」

 イシュタルが、私の名を呼んだ。

「私が、お前を勝たせてやろう」

「はぁ?」

 焦りを滲ませつつ、それでもしぶとく笑みを浮かべる主神を見やる。

 ついにとち狂ったか。この状況で、どこをどう捻ればそんな言葉が出てくる?

 いや――

「分かっているな、アイシャ。お前が『人質』だ!」

 骨の髄までしみ込んだ『魅了(呪い)』が、その神意を正確に読み解く。

 抗うなど考えもできないまま、私は愛用の大朴刀を自分の首筋に添わせていた。

「動くなよ? こいつは私には絶対に逆らえない。少しでも妙な真似をしたら、自分の首を落とす」

 イシュタルが狂気と紙一重の笑みを浮かべた。

「ば、馬鹿かあんたは!?」

 こんなものが通じる訳がない。あまりに馬鹿げている。

 敵の命を盾にしたところで何の意味もない。

 どうせ死ぬなら、せめて強敵と戦って果てたいというのに。

 しかし、主神の命令には逆らえない。逆らおうと思うだけで手足が震える。しかし、神命によって倒れる事すらできない。だが――

「武器を捨てろ! 【正体不明(イレギュラー)】!!」

 狂っているというなら、クオンも同じだった。

 あろう事か、主神の言葉に応じて、手にした剣を放り投げやがった。

 続けて、盾も。さらに両手を上げて見せる。

「ほう? 言ってみるものだな。アイシャ、よく誑し込んだものだ」

 あっさりと床に突き立った大剣を見やり、イシュタルが余裕を取り戻す。

「チィ!?」

 狂っているというなら、私も同じだ。

 命令には逆らえない。棒立ちのクオンに向けて大朴刀を構え、一気に突進する。

 クオンはと言えば、振り下ろす直前、一歩前へと踏み出してくるだけだ。どんな剣であれ、根元の方が斬りづらい。だが、その程度でどうなるものでもない。

「こンの大馬鹿がぁあぁああぁっ!」

 ズンッ――!

 会心の踏み込みと共に放たれたその斬撃は、充分すぎる手ごたえと共に左肩から右脇腹のまで斬り裂いていた。

 ……もちろん、間にあるはずの心臓諸共に。

 

 …――

 

 勝算は、当然あった。

「こンの大馬鹿がぁあぁああぁっ!」

 余計な世話だ。そして、今のお前に馬鹿呼ばわりされる筋合いはない。

 一体どうした。お前は悲劇のヒロインなど素直に演じる柄ではないだろうが。

 だが、文句は後だ。

(アイシャは『暗い穴』を穿たれていない)

 そして、『ソウルの業』を知らない。

 ならば――

(俺達を簡単には殺せない――!)

 次の瞬間。袈裟斬りに、半ば両断されかかっていた。

 確実に心臓は両断されている。相変わらずいい腕だ。

 凄惨な光景に、金髪の少女――おそらく生贄の狐人(ルナール)――が卒倒するのが見えた。

 どうやら、思った以上に擦れていないらしい。

「――――ッ!」

 痛みというよりは喪失感。その刹那、血に混ざってソウルが体外に流れ出ようとする。

 だが、踏みとどまった。あらかじめ施しておいた『保険』すら発動していない。

「クククッ! ハハハハハハハッ! よくやった! よくやったな、アイシャ!!」

(いいや、俺の勝ちだ)

 高笑いする亡者に、声にできないまま吐き捨てる。

 死んでいないなら、戦える。不死人とはそういうものだ。

 手に馴染んだアイシャの腰を抱き上げ、走り出した。

「な――!?」

 高笑いが途切れる頃には、近くに突き立てておいたクレイモアを回収していた。

「う、動くなぁあああぁああああっ!」

 神の気配が強まる。怪物祭の時のガネーシャと同じだ。

 剛胆なアイシャが、小さくもまるで生娘のような悲鳴を上げた。

 ――だが、今さらそんなものに臆する不死人などいない。

 地面を蹴り、さらに加速する。

「あ、アイシャあああっ!」

 次の手は何となく読めている。

 舌を突き出し、大きく口を開いたアイシャの頭を抱き寄せ、右の首の付け根――肩の筋肉辺り喰いつかせた。彼女が自分の舌を食い千切る前に、だ。

 首筋を食い千切られようと、腕は動く。

 腕が動くなら、目の前の亡者を殺せる。

「ひぃ―――!?」

 引きつった悲鳴と共に、その亡者は椅子から転げ落ちる。

 そこに加えて、アイシャを抱えているという不自然な態勢のせいで、切っ先の狙いが逸れた。心臓を狙ったはずが、左胸を斬り裂くにとどまる。

 とはいえ、偶然で避けられてしまうほど、哀しい一撃ではなかったつもりだ。

 なるほど、戦いの神というだけあるという事か。

「が―――ぁ?!」

 しかし、あれはもう致命傷だ。

 この亡者はもはや『神の力(アルカナム)』を発揮しなければ死ぬ。

「何故死なない!?」

 そんな事は俺達の方が聞きたい。

 何故、自分が『呪い』に選ばれたのか――そう嘆く同胞が一体何人いたと思っているのか。

「来るなああああああ!」

 断末魔じみた絶叫に、項の毛が逆立った。

 ついに、本気の攻撃が来る。

「しっかり捕まっていろ!」

 首筋に喰いついたままのアイシャに叫びながら、右に飛ぶ。

 同時、黄金の光が濁流となって放たれた。

「よし―――!」

 盾を使って、強引に濁流を逸らす――が、腕が耐えきれなかった。

 アイシャへの直撃を避けると同時、左腕がへし折れる。

 盾の守りが意味を失った左腕が消し飛ばされた。

 楔石の原盤まで用いて強化された≪金翼紋章の盾≫のみが空を舞う。

 直撃したのは精々肘から先のはずだが、余波だけで肩辺りまで……いや、アイシャに負わされた傷口から裂け、胸の半ばまで持っていかれた。

 抱えたままのアイシャが無傷だったのは、ほぼ奇跡に等しい。

 ……まぁ、俺達(不死人)にとって奇跡の対価が腕一本なら安いものだ。

 とはいえ――

「――――ッ!」

 これは間違いなく()()()だった。

 ソウルの流出はすでに始まっている。

 次の一撃は確実に人間性を削り落とすだろう。そして、いずれは亡者となり果てる。

 篝火と縁を結べた幸運な不死人ならば、そうなる前に『ダークリング』の力を解放して逃げ帰るのが通例となる。例えソウルを失っても、その方がまだ安全だからだ。

 ――そう。本来なら。

「何ッ?!」

 予め仕掛けておいた『保険』が、その効果を発揮した。

 消し飛んだ部分が、灰となって渦を巻いては再び肉体に戻る。

 胸の傷も見た目には完全に繋がった。

 ……無論、完全に回復した訳ではない。

 もう一撃受ければ、再び()()()()。もし放たれれば今度こそ防げない。

 だが、それで充分。()()()を負っているのはお互い様だった。

「お前は、一体()()……?」

 ただの愚か者だ。お前達の思惑のままに踊った愚かな放浪者でしかない。

 形を取り戻した左腕を添えて、両手でクレイモアを構える。

「そのソウル、貰い受ける」

 突き出した剣の切っ先は、容易く亡者(めがみ)の胸へと滑り込んだ。

 同時、『ダークリング』が蠢く。

 それは、相手のソウルを貪る咀嚼音だった。

 目の前の神が持つ膨大なソウルを喰らい、飲み干していく感触。

 あまりに慣れ親しんだ感触が身体を満たす。

 これこそが、俺が【薪の王】たる証。これこそが、【薪の王】たる資格。

 玉座に至る資格。血濡れた王権。王の器。

 それを今一度ここに証明しよう。

 

 …――

 

「が―――ぁ?!」

 剣の切っ先が、乳房諸共に胸を半ば両断した。

 これはもう致命傷だ。『神の力(アルカナム)』を発揮しなければ()()

 だというのに――

「何故死なない!?」

 それ以上の傷を負うこの人間は、何故死んでいない?!

 人間なら死なぬはずがない。即死して然るべきだ。ならば、何故――!?

 死を前に発動した『神の力(アルカナム)』が――魂の色を見分ける『美の神』の力が、最大限に発揮され……言葉にならない悲鳴がこぼれた。

(何だ、これは……!?)

 炎に縁取られた果ての無い闇。かつて下った冥界のそれよりも遥かに暗く、底の見えない闇。それが、その男の――いや、その怪物の魂の色だった。

 ああ、そうだ。神威が通じない人間などいるはずがない。

(逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!)

 早く天界へと!――そう叫ぶ。

 さもなくば――

()()()()!!)

 超越存在(わたしたち)が下界で感じるはずのない悪寒が背筋を舐め上げる。

「来るなああああああ!」

 もはや下界での規則などどうでもいい。

(天界への送還が始まるまでの時間を稼がなくては――!)

 封印が解かれる中、今の状況で放てる最大の『神の力(アルカナム)』を槍に変え放つ。

 その直前に、そいつはアイシャを抱えて横に跳んだ。

 だが、遅い。

「よし――!」

 盾諸共に左腕が消し飛ぶ。それどころか、アイシャの負わせた傷から体が()()()

 心臓を両断され、まだこれほどの血があったかと思うほど、派手に血がまき散らされる。

 今度こそ致命傷だった。そのはずだった。

 だが――

「何ッ!?」

 消し飛んだ肉体が、そのまま復元されていく。

 それはまるで『神の力(アルカナム)』を使ったかのように。

(いや、違う。これは――!)

 模倣。奇跡(神の力)を再現している――!?

「お前は、一体()()?」

 こんなもの存在してはいけない。私達(かみがみ)を殺せる人間など――!

 しかし、私はすでにその闇に見定められていた。

(ひぃ――!?)

 もはや天界など遠すぎる。冥界など浅すぎる。

 怪物の剣は――その深淵ヘの入り口はもうすぐそこにあるというのに! 

「そのソウル、貰い受ける」

 男の剣が胸の谷間に突き立つ。

 その瞬間、男の闇が……その『呪い』が、全身に駆け巡った。

 魂が喰われる。呑まれる。欠片も残さないと啜られる。

(あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッ!!!)

 悲鳴ですらない。意味すらない音の羅列。それが末期の言葉――断末魔の悲鳴だった。

 それを最期に、神すら抗えないその闇に魂の真髄まで犯され抜かれ……その果てに、私は――女神イシュタルは完膚なきまでに『殺された』のだった。

 

 

 

 ソウルを奪い尽くされた女神の身体が、ついに灰となって消える。

 しかし、それでも流石は名のある女神ということか。奪い取り――しかし、喰らい切れなかったソウルが結晶化し、そこに漂っていた。

「あ、あんたは一体何を……?」

 遺された『イシュタルのソウル』を、砕かぬまま自分のソウルに放り込んでいると、抱えたままのアイシャが小さく呻いた。

 ……まぁ、仕方がないか。

 彼女には俺の素性を話してない。傍から見れば単なる化物だろう。

 今さら忌避される事を気に病んでも仕方がないが……まぁ、かといって慣れるものでもない。

 嘆息しようとして――まだ()()がそのままだったことを思い出した。

 奇跡【惜別の涙】は、本来死にゆく者に一時の猶予を与え、最期の別れを交わさせるためのものだ。死を超越するのではなく、あくまで先送りする。そのための奇跡でしかない。

 ……元より死から見放されている不死人(おれたち)が使ったのでなければ、だが。

 とはいえ、流石に俺達とて()()()を丸々無視できるわけではない。精々一歩手前。

 まぁ、所詮は先送りだ。生者ならいずれ消える僅かな猶予だが、死を失った不死人はその猶予を保ち続けられる。ただそれだけの話でしかない。

 だから、まぁ……気を抜いた途端、眩暈の一つも起こしたところで何の不思議もなかった。

 まだ感覚の鈍い腕の中から、アイシャの身体がすり落ちる。

「しっかりしな! 死ぬんじゃないよ!」

 墜落感に抗っていると、アイシャが強引に肩を貸してきた。

 ……いや、ほとんど抱きかかえるような形になっている。つい先ほどとは逆の状態だ。

 ずっと抱えていたせいで、俺の血――他におそらくイシュタルの返り血――をたっぷりと浴びて、なかなか凄惨な事になっている。

 いや、全身に血化粧を施したその姿はいかにも勇猛な女戦士(アマゾネス)らしいというべきか。

 というか。それでも色気を失わない辺り、本当に大したものだと思う。

「いや、あのな――」

 咽喉に詰まっていた血塊を吐き出してから、呻いた。

 そんなに慌てる必要はないのだが――と、言うより早くアイシャは携行していたらしい万能薬をぶちまけ、また強引に飲ませてくる。

 もったいない。エストならまだ残っているのに。

「いや、エストなら……ええと、万能薬なら自前であるから、落ち着け」

 二本目を取り出すアイシャを制して、エストを煽る。

 アイシャの一撃もさることながら、流石に神の一撃は効く。

 とはいえ――

(ま、予想はできていたが……)

 などと余計な事を考えていたのが悪かったのか。

「持ってるなら早く飲みな、この大馬鹿が!」

 怒鳴り声と共に蹴り倒された。

 一応これでも怪我人だぞ。もう少し労われ。

「悪い!」

 しかし、ついうっかり気迫負けしたせいで気づけば俺の方が謝っていた。

 ……それに。自白してしまうなら、常と変わらないやり取りに安堵していたというのも事実だ。

「この馬鹿が! 大馬鹿が! そろそろ規格外にも限度ってもんを作りな! 神に喧嘩売って『神の力(アルカナム)』を使()()()()のも規格外なら、吹っ飛んだ腕が勝手に生えてくるのも規格外すぎるだろう!? ええい、クソ―――」

 ともあれ。それからしばらくの間、罵声を吐き出してようやく満足したのか――

「ったく……」

 ――いや、まだしていないのか。

 何であれ、最後に苛立たしそうに舌打ちしてから、

「イシュタルは死んだのかい?」

 つい先ほどまで主神が座していた玉座を見やり、アイシャは言った。

「ああ。……仇討ちでもするか?」

 この『時代』の人と神の関係は、俺にはとても図り切れない。

 ……仇討ちを望むなら、一度や二度は()()()()やるべきだろう。

「まさか。生憎と、もうそんな義理もないね」

 うっすらと血が滲む首筋を撫でて、アイシャが鼻で笑った。

 とはいえ、どことなく寂莫とした色を宿しているのは……まぁ、あえて指摘はすまい。

「ああ、でも。仇討ちはしておかないとマズいかね。……イシュタルはともかく、他の連中のさ」

「馬鹿言え。あの亡者――あの女神以外は誰も殺してない」

 もし殺して良かったなら、もう少し早くここまで到達できている。

「は?」

 ポカンとした顔のアイシャに、嘆息する。

「……いや。元凶の神はともかく、お前が誇りを投げ捨ててまで守ろうとした同胞まで皆殺しにするほど、悪趣味じゃないつもりなんだが」

 もっとも、最後の連中は結構危なかったが。

 特に灰色髪の女は。

 加減したとはいえ、まさか【神の怒り】で一掃できないとは思わなかった。

「それはそうと。お前、怪物祭の時に初めてデーモン見たんじゃなかったのか?」

「はぁ? 当たり前だろう?」

「なら、あの蛙頭はお前も知らなかったのか?」

「……フリュネの事かい? だったら、あれでも一応アマゾネスだよ。ダンジョンに行くとちょくちょくモンスターに間違えられてるけどね」

 流石に血の気が引いた。

 慌てて立ち上がり、ソウルから万能薬を取り出す。

 そして、()()()()()から『致命の一撃』を叩き込んでしまったアイシャの同僚に、それをぶちまけてやった。念のため二本ほど。

「よし、これでノーカウントだ」

 幸い、まだ息はある。流石はアイシャの同僚。主神を失って――つまり『神の恩恵(ファルナ)』を失っても、ずいぶんとしぶとい。いや、見事な生命力だ。

(よし。これなら、何の問題ない)

 生きているんだからノーカウントだ。

 ……まさかあの禿丸と同じ発言をする日が来るとは。

「それで、あんた。一体どういうつもりだい?」

 ちょっと真剣に泣きそうになっていると、アイシャが問い詰めてくる。

「神殺しなんてすれば、オラリオ中の神が黙っていないよ?」

「まぁ、それはそうだろうが……」

 それは所詮、遅いか早いかの違いでしかない。

「贔屓にしている『情報屋』から、お前の事情は聞いた。理由としてはそれだけでも充分だろ?」

「ふざけんじゃないよ。たかが娼婦一人のために、オラリオ中の神を敵に回すってのかい?」

「馬鹿言え。いくら俺でもそこまでお人好しじゃない」

 流石に見ず知らずの娼婦のためだけだったなら、もう少し別の方法をとったはずだ。

 だが、今回は神の思惑で生贄にされる少女が絡むという大きな――そして、身をつままされる――理由がある。

 しかも、

「俺に神殺しをさせたくて仕方がないどこぞの狂人がお膳立てしたんだ。そこまで分かっていて見殺しにしたら流石に寝覚めが悪い」

 今回の『殺生石』の出どころは、間違いなくアン・ディールだ。

 流石に無視はできない。が、あの男は選択を誤った。

 いや、最終的に目的は達したのだから間違いではないだろうが――

「誰かの思惑だけで殺すのは癪だが……まぁ、お前のおせっかいを焼くためならそれも悪くない」

 生贄がどうこうという話がなくとも、いずれあの亡者とは敵対しただろう。

 それが殺すかどうかまで発展したかは定かではないが……まぁ、それなりに世話になっている女を痛めつけられて黙っていられるほど、俺は無抵抗主義ではなかった。

 まぁ、少々傲慢だったかもしれないが……それはお互い様だ。

「それより、あの子が春姫だな?」

 青い顔で卒倒している少女を見やり、問いかける。

 何であれ、のんびりしている余裕はない。

「ああ、そうだよ」

「なら、これを持ってその子と一緒にギルドに行け」

 つい先ほど放り投げた布袋と、あらかじめしたためておいた書簡、そして『祈祷の間』に通じる隠し通路に関するメモを渡す。

「そのメモ通りに進むんだ。そこにフェルズという魔導士がいる。そいつを頼れ。あいつなら『殺生石』の意味も分かるはずだからな。事情を話せば、保護してくれるはずだ」

「ギルド? 信用できるのかい?」

「ギルドそのものはあてにならないが、あいつなら多少はな」

 何しろ、異端児(ゼノス)のために身を粉にしているようなお人好しだ。

「あんたはどうするんだい?」

「まずは『殺生石』を砕いて、あの祭祀場を焼き払う。ああ、それと資料もだ。保管されている場所が分かるなら教えてくれ」

「ああ、それなら見当がつくよ」

 アイシャの言葉に頷いてから、祭祀場に向けて【混沌の大火球】を放つ。

 イザリスを飲み込んだ劫火は、その祭祀場を容易く飲み込み、蒸発させ、また溶解させていく。

 もちろん、その中には『殺生石』も含まれていた。

「こっちさ。ついてきな」

 それを見届けてから、春姫を背負ったアイシャが走り出す。

 イシュタルが死んだ事で、『神の恩恵(ファルナ)』とやらが失われたのだろう。

 ホーム内は突入した時以上に混乱の気配で満ちていた。

 その中を、アイシャの誘導で人目につかないまま駆け抜ける。

「ここだよ」

 案内されたのは書庫だった。

 明かりが落とされた薄暗い部屋を進むと、机の上には羊皮紙と巻物が無造作に置かれていた。

「ここで燃やすと引火しそうだな」

 どこぞの大書庫のように特殊な加護を受けているとは思えない。

 そして、至る所で倒れている団員達は、『神の恩恵(ファルナ)』を失っているはずだ。

 そんな状況で大火事にでもなれば、最悪死人が出る。それではこれまでの苦労が水の泡だ。

「それなんだけど、これ持ち出せないかい?」

「それはもちろん可能だが、何故だ?」

「あのね。あんたは神殺しだよ? さっきも言ったけど、他の神々が黙ってない。けど、これがあれば、ギルドに対してある程度の大義名分は得られる。どれくらい役に立つかは知らないけどないよりはマシさ」

「……まぁ、そういうことなら」

 俺はともかく、彼女達の安全をより確かなものにするためには必要になるだろう。

 とはいえ、ギルドも完全には信用できない。片っ端から持ち出して、あとで渡して大丈夫かどうかを精査する――と、そういう事で話はまとまった。

「相変わらず便利なスキルだね……」

「まぁな」

 資料を一通りソウルに放り込み終わると、近くの水場で返り血を流してきたらしい――ついでに着替えも済ませた――アイシャが呆れたように言った。

「それじゃ、行こうか」

「ああ。なら、適当に暴れて人目を集めておくから――」

 その隙に、その子を連れて逃げろ。と、最後まで言葉にはできなかった。

「何言ってんだい。あんたも来るんだよ」

 口腔に残っていたらしい血が付いた唇を舐めながら、彼女は不敵に笑う。

「最後まであんたに丸投げしたら女が廃るってもんさ。ここから先は一蓮托生だよ」

 とりあえずサミラに後の事は全部押し付けてきたからね――と、アイシャ。

「馬鹿言え。死ぬぞ」

 そして、アイシャは一度死ねばそこまでだ。

 何しろ、ここから先はオラリオ中の神とその眷属が敵となり得る。

 そして、殺せば殺すだけ増えていくだろう。

 文明圏で人を殺すというのは、そういうことだ。

『みだりに人を殺すなよ』

 戦友であり師であった男が、記憶の中で囁く。

 誰の命であれ、いつか報いがあるものだ――と。

(報いか)

 未だ何かと殺し合わなくてはならないのはそのせいかもしれない。

 誰よりも殺されているのと同じく、おそらく誰よりも殺しているのだから。

「そういや、あんた結局何で生きてるんだい?」

「そんな哲学的な事を訊かれても……」

 いつだったかと同じ冗談を返すと、素で蹴られた。

「心臓ぶった斬られた挙句、体半分ふっ飛ばされても生きてる理由を訊いてるんだよ、()()()()?」

 いや、待て。最後の一言はどういう意味だ?

「二億……いや、このヘッポコと折半として、それでも一億ヴァリスで身請けしてくれるんだろう?」

「い、いや。それは最後の忠告というかだな……」

 どちらかと言えば、お前達の逃走資金にするために用意してきたものなのだが。

 ちなみに。これは完全に余談だが。

 この二億はオラリオに戻って早々に汲んできた『カドモスの泉水』を値崩れを起こさない範囲で売り払って得たものである。

 ……ナァーザに嫌味を言われながら、何とかいう大手の医療系派閥に足を運んでまで。

 と、現実逃避――にもならなかったが――はこの程度にしておこう。

「次の売値は最低でも一億ヴァリス以上。流石に次の買い手はつかないだろうねぇ」

 身請けとはそういう制度だったのか?――いや、それよりも何がそんなに嬉しいのやら。

 こんな状況だというのに上機嫌なアイシャに、小さくため息を吐く。

 ああ、だが――

(まぁ、いいか)

 それは、四年前に目にした陰りの無い魅力的な姿だった。

 それが見れただけでも、アン・ディールの思惑に乗って殺し合った甲斐はあっただろう。

 

 

 

 翌日。

【イシュタル・ファミリア】消滅――いや、女神イシュタル殺害の報はオラリオ全域に強い衝撃を響かせ走った。

 神殺し。

 オラリオに――いや、下界における最大の禁忌を侵され、一部の神々は怒り狂った。

 特に【イシュタル・ファミリア】との懇意派閥――いや、イシュタルと繋がりを持つことで甘い汁を吸っていた神々。あるいは女神イシュタルに『魅了』され、子飼いとされていた神やその眷属達は、ギルドの制止を振り切り神殺しの大罪人である【正体不明(イレギュラー)】クオンの討伐を断行。

「これは戦争遊戯(ウォーゲーム)などではない! 断罪だ!!」

 御旗となったとある神は声高にそう叫んだという。

 無論、それに賛同した神ばかりではない。だが一方で、一昔前――『暗黒期』と言われた時代の刺激が戻ってきたと内心でほくそ笑んでいた神もいた。

 神々の放つ熱狂は性質の悪い熱病の如くオラリオ全域に広がり、さらに七派閥の冒険者が『神の子供の使命』と口にしてはかの神の元に集まる。

 その事実はさらに熱病はオラリオを蝕んでいき、ついには自らに血を分け与えた主神の制止を振り切って駆け付ける冒険者達までが現れ――その数はついに三〇〇人を超えた。

 中堅派閥の規模を超えたそれは【神罰連合】などと名乗り、同日の夜には【正体不明(イレギュラー)】の身柄が監修されていたギルド本部『万神殿(パンテオン)』に殺到。必死に仲裁に入るギルド職員すらも背信者と罵り、ついには刃を向けた。

 白亜の神殿に無辜の民の血が流れ、いくつもの悲鳴が響き渡る。

 血の匂いに昂るのは神罰の代行者と謳う三〇〇名の冒険者。

 それを迎え撃つのはついに『万神殿(パンテオン)』より現れた神々の殺戮者。

 正義と狂気が錯綜し、悲鳴と罵声が入り混じる神殿前にて、両者はついに激突する。

 断罪? なるほど。確かにそうとも言えよう。

 ただし、勘違いしてはいけない。

 その執行者は遥か昔、ロードランの地で神の奸計に踊らされた不死人の一人。巡礼の果てに一度は炎に消えた不死人最初の【薪の王】である。

 それとも、神々の王ですら恐れた唯一真なる【闇の王】というべきか。

 かつて世界蛇が謳い、後のロンドールの黒教会が求めた【炎の簒奪者】――【亡者の王】などではない。火を継いで後、再び蘇ってはさらに二度の巡礼に挑み、ついに神々の時代……『火の時代』に終止符を打ったが故に。

 いや、彼の者にはよりふさわしい名がある。

 三度の巡礼において、神も竜も英雄も巨人も王も――あらゆる超越存在を殺してきた彼に、とある王が与えた称号()

 すなわち【王狩り】。

 オラリオを蝕む狂気は、その再臨を告げる烽火となってさらに燃え上がる。

 王の決断は早く、そして無慈悲なものだった。

 三〇〇の冒険者たちの旗印となっていた神。その眷属の長の額を貫くのは一本の矢。

 ほんの束の間とは言え、弓弦の震えるかすかな音すら響くほどの静寂が神殿前に戻る。

 その中で崩れ落ちるその男から【ファミリア】のエンブレムを奪い取ると、長を失って混乱する冒険者達を無視して『万神殿(パンテオン)』前から離脱する。

 新たな冒険者を旗印に徒党を組んでは王を――あるいは、それを狩る者を――追う代行者たち。

「断罪か。奇遇だな」

 しかし、すでに彼は最初の神の元にたどり着いていた。

「俺もそう思う。貴様らはやりすぎた」

 そして、神殺しの刃は振り下ろされる。

「ひぃ……!」

 断罪だと声高に叫び御旗となった神が真っ先に討たれ、新たに一つの【ファミリア】が消える。

 しかし、その熱狂はまだ醒める事はなかった。

 むしろ彼らは更なる蛮行に怒り震え、更なる賛同者を求め――そして、応じる者もまだいた。

「かの者を殺すのだ。邪魔をする者にも容赦はいらぬ」

 しかし、その神までが討たれ、また一つ【ファミリア】が消え――それでようやく、彼らの内にも幾ばくかの恐れが生まれた。

 その頃には、ギルド職員にすら刃を向けたその蛮行もまた周知の事実となり果て、協力者を求める彼らの声に応じる者は急激に減っていた。

 それでも、集った神々の怒りは消えなかった。

 ……いや、それは本当に怒りだったのか。

「あの女神の()()が狙いか?」

 その問いかけに返答はなく。

「な、何をしている! 大逆者を許すな!」

 そしてまた一柱(ひとり)の神が斃れ――それでようやく、誰もがこれは遊戯ではなく、娯楽などと言っていられる相手でもない事を思い知らされた。

 ああ、それでも。

「まさか本当に私達(神々)を皆殺しにはしないだろう」

 残った神は、それでも口々にそう言い合ってはかの王(狩人)を追い――また一柱(ひとり)が殺された。

 残された神々はついに震え上がった。その頃にはもはや新たな賛同者はなく、救援を求めたとしても、それに応じる神や人は、もはやただひとりとしていなかった。

 

 …――

 

「ほう?」

 イシュタルなる女神を唆してから。

 久方ぶりに『館』で休養を取っていると、地上に残してきた影が報告に現れた。

「あの灰を狙う者がいると?」

「御意。件の女神の取り巻きだった神どもで、徒党を組んでは『神罰同盟』などと名乗っております」

「ふむ……」

 それ自体は驚きもしない。

 地上に巣食う亡者共は、『首輪』までつけた娯楽の駒(にんげん)に殺されるなど考えてもいなかっただろう。短絡的に報復を企んだとしても、何らおかしい事はない。

 しかし、

(あの女神が、切り札の情報を流出させていたとも思えんが……)

 そこまでの度量があるとは思えない。

 となると――

「あのハイエナの仕業か?」

「いえ、あの男神は女神に石を渡してから再びオラリオを離れ、まだ戻ってきておりません」

 ふむ――と、小さく唸る。

「時に、あの灰はいつあの女神と対峙した?」

「一昨日の夜です」

 なるほど、確かに情報が流出するには、少々早すぎるようにも思える。

(となると、誰かが意図的に流したか)

 しかし、一体誰なのか。

 他にあの石の情報を知っているとなると、【ロキ・ファミリア】の小娘共だが……、

(エルフの小娘は多少切れ者らしいからな)

 おかげで、四年前に()()し損ねた。

 もっとも、今にして思えば少々性急すぎた。

 若気の至り――などとはもはや言えまいが、柄にもなく周りの激情に影響されていたらしい。

 そんな折に、都合よくあの灰が姿を見せたというのも無関係ではない。

(なかなかどうして、まだ人間臭いものだ)

 しかし、そのせいで貴重な手札の使いどころを誤るところであった。

 あの連中の代わりを用意するのは容易ではない。

 然るべき時に然るべき場所で()()しなくては流石に惜しい。

(ふむ……)

 まぁ、彼奴等の事は今は置いておこう。

(動き出したか)

 あの灰の重要性を知り、しかも()()()()()()()者となると、現状ではロンドールの黒教会が最有力となる。ロスリックでは対立していたと聞くが――

(まぁ、心変わりしたのだろう)

 共に『火の時代』を生きた者ならば分かる。

 一体誰があの灰の背信を責められよう。

 数多の【薪の王】達が火継ぎを行ってなお一掃できなかった『不死の呪い』が一掃されたばかりか、あの死に絶えた世界がここまで見事に息を吹き返したのだ。

 例えそれが捧げられた犠牲全てに対する背信の果てにあったとしても、この偉業を認めざるを得ない。あの時代に未来を求めていたとするなら、なおさらだ。

 あるいは――

(いるな、おそらく)

 ()()()()にも、切れ者が。

 影の報告によれば、あの灰はイシュタルとかいう女神に『神の力』を使わせたという。

 そうでなくとも、すでに少なくない数のデーモンを討っているのだ。

 そろそろ、勘付く……いや、勘付いたからこそこうして()()()()()()()()とも考えられる。

(近いうちに盤面が動くか)

 目下、()()()での小競り合いはほぼ膠着状態だ。

 が、あの灰が動くなら、事態も否応なく動き始める。

 ならば――

(そろそろ準備を整えておくとしようか)

 然るべき時に、最善の一手を打つために。

 

 …――

 

 夢を見ている、という自覚があった。

 それは一〇年前……。いや、一二年前だったか。まぁ、真の人である私たち不死人にとっては時間の流れなど些末なものだ。こだわる事はない。

 そう、およそ一〇年以上前の記憶だった。

 気づけば、私は森の中を歩いていた。

 亡者や得体のしれない異形共の姿はない。

 代わりに瑞々しい緑に満ち、清流が流れ、野鳥の囀りや獣の気配を感じる()()()森だ。

「ここは、一体……?」

 何より、緑の天蓋の隙間からは眩いばかりに日の光が差し込んでいる。

(ロスリックの周辺にこんな場所が……?)

 途方に暮れながらも、記憶をたどる。

 長年に渡る巡礼地(ロスリック)での布教。

 その果てに、ついに我らロンドールの王に相応しき者を見出だした。

 しかし、その男は愚かにも『暗い穴』を捨てた。

 不死であり、『王の器』を持ちながら、それを否定する愚か者。

 失意と共にその黒衣の男と対立し、その果てに私はロスリックを離れた。

 そこまでは覚えている。

(さて、それからどうしたのか)

 気づけば、ただ一人この世界に辿り着いていた。

 ……朝と夜が巡り、天には太陽が光り輝くこの世界に。

 

 ああ、困惑したのを覚えている――と、夢現に思い返す

 しかし、本当に驚くのは近くの街にたどり着いてからだった。

 

「これは、一体……?」

 森を抜けてたどり着いたのは、とある街だった。

 豊かな森と山に抱かれた小さな平野にぽつんと存在するその街は、小さいながらも栄えていた。

 豊かな森と山の恵み。小さいながらも肥沃な平原は作物の栽培にも向き、彼らに生きる糧を与えていたおかげだろう。

 特に葡萄の栽培が盛んで、そこから造り出される上質な葡萄酒を求めて、一部の行商人達は街道から逸れてまで仕入れに来るほどだった。

 人の行き来があるせいか、住民も決して偏屈すぎる事はなかった。

 得体のしれない来訪者だったはずの私が容易く迎え入れられたのは、それが影響しているのだろう。

 無論、苦も無くという訳ではない。

 大らかな者。善良な者。快活な者ばかりではない。

 偏屈な者はいた。よそ者を嫌う者もいた。そして、悪徳をなす者も。

 ……いや、善良な者が時に悪徳をなし、悪徳を常とするものでも、時に善行をなす。

 大げさなものではない。そこは、ごく普通の平凡な人々が生活する、ごく平凡な人の街だった。

 そう。ごく平凡な()()の街だ。

 誰一人として『最初の火』を知らず。『火継ぎの儀』を知らず。何より、真の人たる不死人を知らない。

 これだけ人が住まえば、真の人たる不死人が生まれないはずがないというのに、だ。

 それどころか、地を旅しているであろう行商達ですらそれを知らないと言うのだ。

 もはや認めざるを得なかった。

 この世界には『最初の火』もなく、『不死の刻印(ダークリング)』を持つ者もいない。

 生者がただ正者として限られた生を謳歌し、そしてごく普通に死に絶えていく。

 ここはそういう『世界』なのだ。

「ああ、貴公。よもや本当に……!」

 思い浮かんだのはあの黒衣の男。『王の資格』を持ちながら、それを捨てた愚か者。

 火を奪うでも継ぐでもなく、この手で消すのだと告げた、あの背信者の姿だった。

「本当に火を消したのか!? 簒奪するのではなく?! ならば、ここが、今この時こそが――」

 カアス様が謳った『闇の時代』――かつて神どもが恐れたという『人の時代』なのか。

 その時に抱いた衝撃は今も忘れていない。

 驚愕。感動。羨望。絶望。羞恥。それらが一体となって、身体を突き抜けた。

 真の人たる不死なきこの時代において、我らロンドールの理想もまたなし。

 しかし……ああ、しかしだ!

「この世界の何と美しい事か!」

 人はただ人として光に満ちた朝と穏やかな闇に包まれた夜を謳歌する。

 例え真なる人である我ら不死人がおらずとも、この世界は美しいのだと認めざるを得なかった。

 そして、それを認めてしまえばもはや信仰に殉ずる事などできはしない。

 闇こそが我らの本質。しかし、光に焦がれるのもまた人の性。所詮は私もその性からは抜け出せていなかったらしい。

「ああ、貴公。我らロンドールの……いや、我ら人の王よ。その背信、その偉業、この私が賞賛しよう。見事だ……!」

 死に絶えたあの世界が、まさかここまで見事に息を吹き返すとは。

 ついに理想こそ相容れなかったが……それでも、共に『火の時代』を生きた者として、この偉業を認めない訳にはいかない。

 そして、私は剣を置いた。

 無論、『暗い穴』を穿ち、真なる人への目覚めを促す事はできる。

 不死人こそが真の人であるという信念も未だこの胸にある。

 しかし、それは行わなかった。

 それこそが、最後まで『火の陰り』に抗ったあの男に捧げる最後の敬意だった。

 剣を置き、信仰を隠し、ただの生者としてこの街で生きよう。そう心に誓った。

 

 ああ、そうだな。私も姉と同じ背信者だ――と、自嘲する。

 その街の名がアリアンデルだったのも奇妙な縁、数奇な偶然だと言えよう。

 

 そして、それから二年ほどが過ぎた。

 街の住人――かつて相容れなかった生者達ともどうにか打ち解け、年老いて倒れた者には聖職者として哀悼の祈りを捧げ、幼い子ども達には読み書きや算術を教え……我ながら、こんな生活がずいぶんと板についてきたと思っていた。……そう、思っていたのだ。

「おのれ――!」

 夢の中の私は、炎の中を走っていた。

 ……炎に包まれたアリアンデルの中を、だ。

 その日、私は街を留守にしていた。ほんの半日ほどだ。

 数日前から、特に私に懐いてくれていた少女の母親が風邪をこじらせ寝込んでいた。 

 母親と、彼女を心配するその少女のために夜明けと共に森に向かい、薬草を探していた。

 見つかったのは昼頃だった。

 そろそろ昼食の準備をするべく街中から竈の煙が立ち上っているはず。見舞いついでに焼き立てのパンでも買っていこうか――そんな事を考えながら森を抜けた私が見たのは、街を焦がす黒煙だった。

 意識せず、ソウルを体中に奔らせていた。

 燃える街を走る。

 朝日を浴びて黄金色に輝いていた麦畑が燃えていた。

 彼らが何代にも渡り育ててきた葡萄畑が燃えていた。

 読み書きを教えていた小さな教会が燃えていた。

 ……全てが燃えていた。

 陽気な農夫も。気難しい老人も。柄の悪い大男も。

 私に懸想していると冷やかされていた青年も。

 いつか世界一上手い葡萄酒を作ると語っていた少年も。

 誰もが等しく殺されていた。

「ユリアお姉ちゃん……」

 そう。等しく。

 懐いてくれていた少女は私の腕の中で事切れ、母親がいたはずの家は炎に包まれていた。

 

 自分で思う以上にその街の生者達に情が移っていたのか――と、夢現に自問する。

 もちろん、それもあるだろう。私とて感情の一つくらいはある。

 

 そして、その感情のままに気づけば、禁を破り置いたはずの剣を取っていた。

 かつて対峙した一〇〇人の騎士に比べれば雑兵もいいところだった。

 街から離れさえしなければ――と、悔恨の念を抱くほどに。

 斬って。斬って。斬り殺した。

 オラリオなる街から落ちぶれてきた者たち。神の血に酔い、人の矜持を失った新たな呪われ人ども。

 ……愚かな神と、神の眷属ども。その全てを。

 そして――

「未だ人の時代には程遠い」

 燃え尽きた街に立ち尽くし、呟いた。

 信仰が蘇っていた。あるいは、変質したのだろうか。

 革命だと謳い、浄化だと笑い、神意だと騙るその凡夫どもは立った半日の間に暴虐の限りを尽くしていた。

 抗おうとした街の若者の多くが無残に殺され、女達は犯された。幼子も老人も悉くが虐げられていた。

 街の大半は焼け落ちて、もはや見る影もない。

「元より神など不要」

 聞けば、神どもが姿を現したのはたった一〇〇〇年前だという。

 しかも、娯楽を求めてのこのことやってきたのだ。

 奴らの本質は『火の時代』から何も変わってなどいない。

「神の眷属など……神の血に酔い、人の矜持を失った新たな呪われ人など、不死人たり得ず、また王の拓いた時代に相応しくはない」

 我らの理想は相容れず、その果てに敗れた。

 だからこそ。

「我らの理想を打ち破ったあの男の理想。それを穢されるのは、我らの理想を穢されるに等しい」

 そして、私はアリアンデルを後にした。

 目指すは神どもとその血に酔う凡夫が住まう忌まわしき地オラリオ。

 辿り着いたそこでは、愚かにも内輪もめが続いていた。

 どうやらアリアンデルを焼いたのは闇派閥(イヴィルス)などと嘯くならず者だったらしい。

 正しく言えば、その主神――邪神などと名乗った神が、逃げ延びた先で新しく用意した眷属どもだったようだが……そんな事は些末な問題だ。

 全てはこの街から始まっている。あの神は、この街での遊戯に負け追放されたのだ。

 ここまでの道中で、複数の村や町が同様の被害を受けていた。

 オラリオに救援を求めた場所もあったというが、意味をなさなかったらしい。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()――と、その程度の理由でアリアンデルを含めて幾つもの村は見捨てられたのだ。

 さもありなん。

 とある二つの派閥が、それ以前に覇権を握っていた二大派閥を追放した事がこの惨事の引き金となったと聞く。身の丈に合わぬ野心を抱く愚か者達なら、外とは比べ物にならない戦力が集まるこの街でなお危険だと判断した存在を、ただ暢気に都市外に追放するような愚行も犯すだろう。

 ともあれ。手始めにその闇派閥(イヴィルス)なる愚か者どもを利用しつくした。

 連中を唆しつつ情報を正義と驕るもう片方の勢力に情報を流し、同士討ちを促す。

 ならず者共が劣勢に立った頃にはそれなりに手駒も増えていた。何より、その連中が主神と仰ぐ神のソウルが手に入ったのが幸運だった。

 妹がいない今、少々てこずったが――そのソウルを元に生み出した新たな奇跡を用いて神を演じ、ギルドの目を誤魔化してついに自らの【ファミリア】を立ち上げた。

 闇を騙る愚か者どもの多くが死に絶えたとて、状況は変わらない。神の血に酔う凡夫どもに虐げられる民は多く……救いを求めて私の元に集まる者は変わらず増え続けた。

 そして―――

「ユリア様……」

 そこで、目が覚めた。

 どうやら、執務中に転寝をしていたらしい。

 アリアンデルで過ごした日々の中で身についた生者らしい習慣は今も健在だった。

「どうかしたか?」

 眼前に立つのは腹心の部下――『白い影』の一人だった。

「【イシュタル・ファミリア】が壊滅したそうです」

「ほう?」

 淫都の主が潰えたか。

 この街でも有数の大派閥だったはずだが。

「何者の仕業だ?」

 普段なら、手駒の回収の指示を出すだけだが……今回は流石に少しばかり興味がわいた。

「ええ、それについて取り急ぎお耳に入れておいた方がよろしいかと思い、こうして報告に上がりました」

「ほう?」

 ()()は、あの街から共にある――あの時、最愛の子どもと夫を目の前で殺され、自身も犯された女性だった。

 今や三つもの『暗い穴』を得た精鋭の一人であり、最古参の団員の一人である。

 その彼女が()()()()と言った情報は今までも重要な物ばかりだった。

「【イシュタル・ファミリア】を滅したと目される男なのですが――」

 なるほど。彼女がその情報を重視した理由が分かった。

 いや、彼女だからこそその情報を重視できたというべきか。

 何分、今や気心の知れた仲だ。他の団員には告げていない話もいくらかしている。

 その中の一つが、あの黒衣の男。我らが人の王。

「確かにクレイモアを振るい、奇跡と呪術を使い、≪竜紋章の盾≫を持っていた?」

 あの女神を殺した男と、その特徴が合致したらしい。

「まだ確証までは……。今はギルドに身を寄せているようで、手の者を送れません。また、女神子飼いの神どもが不穏な動きを見せております。その裏では奇妙な老爺が暗躍しているとも」

 ふむ――と、唸る。

 そういえば、()()()()黒衣を纏った凄腕のLv.0が現れたという噂も届いている。

 一時噂になったがすぐに消えてしまった故、さほど気にしていなかったが……

「ひとまず様子を見る。その男が本物なら、あの程度の凡夫など物の数ではない」

 あるいは、という思いに今は変化していた。

 そして、まだ組織が未熟で諸々が立て込んでいたあの時と違い、精査するだけの余裕もある。

「御意のままに。では、手の者を――」

「いや、私が出向く。この目で確かめたい」

 愛刀を携え、教会の最奥から外へと踏み出した。

 そして、その翌日――

「おお……!」

 ギルドを襲った愚か者共の群れを斬り裂くその男を見て、驚嘆の声を上げていた。

「何という僥倖か! いや、あの鐘の音。まさか貴公を目覚めさせるものだったのか?」

 四年前の夜中に鳴り響いた鐘撞(かねつき)知らずの鐘の音。

 よもや、あれは本当に『目覚めの鐘』だったのか。

 そこにいるのは、紛れもなくあの男だった。

「ユリア様……」

「あれこそが、我らロンドールの王たる……いや、人の王たる存在」

 しかし、一体何かあったのか。その力はあまりに弱々しい。

 まるで凡百の不死人と変わらなかった。

「では、早速……」

「いや、待て。私と彼は少しばかり因縁がある。今すぐに顔を合わせても、残念ながら殺し合いにしかならない」

 遠い日の軽率な行動――当時ならともかく、今となってはそう言うより他にない――に小さく肩をすくめてから、

「それに、少しばかり様子がおかしい。今しばらくは様子を見たい」

 その言葉に、彼女はただ黙って頭を下げた。

 それを見届け、改めて視線をあの男へと戻す。

「今度こそ、貴公を我らの王に。そのためなら、私は全てを捧げよう」

 すべては、『(ひと)の時代』を築くために。

 その決意と共に、私は静かに一礼を捧げていた。

 

 

 




―お知らせ―
 お気に入り登録していただいた方、評価していただいた方、感想を送ってくださった方、誤字報告していただいた方、ありがとうございます。
 次回更新は18/08中旬から下旬ごろを予定しています。
 18/08/26:一部修正 
 18/09/30:一部変更
 18/11/20:誤字修正
 19/10/02:誤字修正

―あとがき―

 今回の副題は『祝福武器なし+屍術師不殺でロードランの地下墓地TA。ボス戦もあるよ!』です(大嘘)

 と、いう訳でようやく不死人らしい戦闘シーンが書けました。
 イシュタル様も『神の力』を使ってますが、状況的にはもうどう転んでも送還決定だったので、そこまで躊躇わないかな、と。
 主人公も主人公で吹っ切れたのか、延長戦では次々に殺してますが…。
 アイシャさんも正式にパーティ入りしたので、次からは活躍させられるはずです。

 そして、主人公以外に迷いこんだ新たな不死人、ルートによってはヒロインポジションとなるロンドールのユリアさんの登場です。
 掲げる理想は原作と少し変質していますが…火の時代を生きた人達が、ダンまちの世界(というか、不死の呪いの無い普通の世界)を見ればそれくらいの驚きを感じるかな、と。
 今作の設定だと『火の時代』の後、『火継ぎの終わり』を経た結果なので、なおさら衝撃的だと思います。
 そして、何事もなければきっと今も穏やかにそこで生活していたはずなのですが…。
 
 オラリオから追放された神は原作だと今のところ二柱いますが…なんか、どっちも流れ着いた先で同じような事をしそうな気がしませんか?
 何しろ、『不変の存在』な訳ですし。
 特に10巻の方は本当に大丈夫なのかな――と、読んでて感じた不安を一番悲惨な形で形にしてみました。
 この先作中でフォローできるかちょっと分からないので、ここで捕捉ですが、ユリアのいた街を焼いた名もなき神は追放されたのではなく、単に自分で逃げ出されただけ、というのが裏設定です。
 まぁ、いずれにしても大惨劇を引き起こし、厄介な人を目覚めさせてしまった事には変わりありませんが。

 と、諸々動き始めたところで二章は完結となります。
 ヤバい連中が次々と暗躍し始めたオラリオの明日はどっちだ?
 …と、言うところなのですが。
 申し訳ありません。ストックが切れました!!
 いえ、三章も途中までは書いてあったのですが、色々と納得いかなくて、途中で詰まってしまったんですよね…
 ひとまず納得がいく形で書き上げても、更新した途端に次々書き直したくなるという厄介な持病がある事に最近気づきましたし…このまま強行すると悲惨なことになりそうなので、ただいま一から書き直し中です。
 申し訳ありませんが、しばしお時間をいただければと思います。

 週刊誌に連載する漫画家の方々って凄いですね…と、プロの仕事に驚嘆したところで今回はここまで!
 なるべく早めに更新したいと思いますので、どうか次回もよろしくお願いいたします。
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