SOUL REGALIA 作:秋水
大幅な変更、改訂を行う可能性があります。
1
ギィン――…!
鈍い音と共に、刀身が半ばから叩き斬られた。
「フン……」
今まで使っていた大剣は決して安物ではないが……それでも、鈍らと言わざるを得ない。
何しろ、うっかり直撃させて殺してしまっては元も子もないのだ。俺の使っていた物は、元よりわざと刃を潰してある。
それに。あれから結局、余計な邪魔はほとんどなかった。
おかげで相手が疲れ果て、動けなくなっている間以外は、ほぼ訓練――今や、何とかそう呼べる域に達していた――に時間を費やしている。
これだけの時間、ほぼ休みなく打ち合い続ければいかに頑強な大剣でも摩耗して当然だった。
だが――
『ヴォオオオオオオオッ!』
それでも、へし折られたのではなく、叩き斬られたとなれば――
「上出来だ」
まずまずの出来と言えよう。
さらに襲い掛かってきた猛牛の鼻面を、餞別代りに少し本気で殴り飛ばす。
流石に大きく仰け反った猛牛を、そのまま用意しておいたカーゴへと放り込む。
「あとはゆっくり休め。すぐにお前にふさわしい敵がくる」
まさか言葉が通じたとは思えないが、猛牛は不思議とカーゴの中から出ようとはしなかった。
与えた剣を抱え、俺の真似でもするようにじっとしている。
ただの獣から一端の戦士へと確実に近づいているようだ。
「餞別だ。受け取れ」
無傷の――そして、俺自身の愛剣を除き、手持ちの中で一番上等な大剣を放ってやる。
(少し肩入れが過ぎたか)
小さく呟きながら、カーゴの扉を閉ざした。
…――
「そういや、【ロキ・ファミリア】は今日から遠征らしいね」
その日の朝、アイシャが――どこで聞いてきたのか――思い出したように言った。
「そりゃいい。面倒ごとが少なくとも一つは減る」
しばらくの間は、誰も頼みもしないのに俺達を追い回してくる事はない訳だ。
それに、あの何とかいう金髪の小人が
(となると、これでひとまず決着したと見ていいか)
ギルドの
何でも、俺の偽物だかそっくりさんだかが暴れたらしいが……その報復をしてくるなら、とっくに仕掛けてきているだろう。
今の時点で動きがないなら、この一件で動く気はないということだ。
シャクティ達は……まぁ、ある意味一番危険だが。
(ウラノスとガネーシャ次第だな)
俺にまだ利用価値があるかどうか。全てはそれ次第だろう。
それぞれ俺の知らない
ただ、そこまで勝算の低い賭けだとは思えない。
そして、あの小人どもがダンジョンにこもったなら、ひとまず脅威はなくなったと言えよう。
「ところで、お前。本当に知らなかったのか?」
「何をだい?」
「いや、俺が不死人だってことをだ」
神罰同盟がギルドに駆け込んだ日。
拠点の館に引っ込んですぐに、お互い――四年越しに――身の上話を済ませている。
そこでアイシャにも不死人だと打ち明けたわけだ。
「当たり前だろ。霞の奴も何も言わなかったしね」
それはまぁ、霞には口止めしてあるが。
「急にどうしたんだい?」
「いや……。知っていたから、俺に関わってきたのかと思っただけだ」
呻くと、アイシャはハッ、と鼻を鳴らした。
「あんたは誰もがあんたに誰かを殺させようとしてるでも思ってるのかい?」
「……いや、そういうわけでは、ないんだが……」
歯切れが悪くなるのを自覚していた。
ロードランでもドラングレイグでもロスリックでも、求められていたのはまさにそれだった。
大体、アイシャと出会ったのは中途半端に記憶を取り戻し、荒れていた頃だ。お世辞にも穏やかな出会いではない。
「そりゃまぁ、ずいぶんと
露骨に体をすり寄せながら、アイシャが笑う。
……まぁ、そういう事だ。特に最初の内は酷かったと我ながら思う。
普通なら、二度目もないはずだが。
「まぁ、理由は色々あるさ。やられっぱなしは性に合わないってのもその一つだしね」
ま、今も負け越してるけど――と、アイシャ。
「他にもあるのか?」
「そうだねぇ……。まぁ、
「優越感?」
まったく思いもしなかった理由だった。
「そうさ。『
だが、それは決して愛情ではない。
むしろ、正反対の感情。八つ当たりめいた――いや、八つ当たりそのものの憎悪だった。
初めてアイシャに抱いた感情はそれだ。彼女とて
……そんなことは、充分に伝わっていただろうに。
「……そーいうもんか?」
しかし、普段は、そんなに冷めていただろうか。
少なくとも
「今もある意味そうかもね」
「今も?」
両手で顔を包まれた。
琥珀色の瞳に自分の姿が映りこんでいる。
「男の獣性を鎮め、女は世界の安寧の柱となる」
「誰の言葉だ?」
それを、アイシャのものと考えるのには微妙な違和感を覚えた。
「イシュタルの言葉だよ」
アイシャが、小さく笑う。
そこにはもう、憎悪はおろか嫌悪の色すら見られない。
やはり、この時代の人と神の関係は推し量れそうになかった。
「ま、今さら言うのもなんだけど。
そういうものか。
いや、思えばグヴィンとて神にとっては優れた為政者であり、偉大な王だったはず。
すべては互いの価値観の違い。あるいは、互いの立ち位置の違いでしかない。
(……いや、俺だって無関係じゃないか)
イシュタル自身を殺したところで――いや、殺したからこそ、その言葉からはもう逃げられない。
否定すべき相手はすでになく、拒否すべき時は遠い過去となり果てて……そして、もう手放せない。
「ただ、あの時のあんたと今のあんた。その両方を知っている私はその言葉を否定できないね」
あの時のあんたをそのまま放っておけば、オラリオ中に死体の山ができていたところさ――と、彼女が笑う。
だが……ああ、確かにそれは笑い話にもなりはしない。
あの時、アイシャと霞と出会っていなければ、今頃は亡者となり果てていただろう。
「自覚はあるようだね」
すっかり見透かされているらしい。
確かに、その自覚はあった。
何も不死人が亡者に堕ちるのは死んだからだけではない。心折られ、人間性を見失えばいつでもそうなりえるのだから。
「やれやれ、私と霞はギルド辺りから感謝状と金一封くらい貰ってていいんだけどねぇ」
返す言葉もなかった。
「あの時ほどその言葉の正しさを実感した時はないってことさ。別に英雄を気取るつもりはないけど、世界を救っている実感があるってのは悪くないね」
案外、霞もそう思ってるかもね――と、彼女は冗談交じりに呟く。
いや、彼女にとっては実際冗談だったのだろう。
……俺にとっては冗談にもならないが。
どうやら、つくづく神の思惑からは逃れきれない運命らしい。
「ま、そんな小難しい事は考えなくても、単に強い
もっとも、どうやら他に何人も女がいるようだけどね――と、アイシャが目を細める。
蛇に睨まれた蛙というか何というか……ここは沈黙を保つのが最適解だろう。
「だから、これからも末永く楽しませておくれよ、
「お前な……」
そもそも身請けの契約は成立していないんだが。
「強い
瞳が熱を帯びる。実にアマゾネスらしい。
「まぁ、しばらくは続くだろうな」
どうせまたウラノス辺りが妙な面倒ごとを持ち込んでくるだろうしな――と、声にせず呟く。
アン・ディールか黒教会か。どうせ近いうちにその辺と渡りをつけろと言ってくるに決まっている。
もちろん、俺としても連中が持っているであろう情報は欲しいが……・。
(狂人と狂信者ならどちらがマシなんだろうな?)
もっとも、『火の時代』に未来を求めるならあれくらい振り切れなくてはやっていられないだろう。
かくいう俺自身、二度も世界を滅ぼしたくらいだ。
ともあれ、奴らと取っ組み合うまでの間くらいは平穏に過ごしたいところだ。
それに、その時が来るまでに済ませておかなくてはならない事もある。
「なら、今のうちにお前の『移籍先』を考えないとな」
アイシャの新たな主神をどうにかしなくては。
「ま、あんたがいう『ソウルの業』とやらに乗り換えるのも悪くないと思うけどね」
確かに篝火がある今なら、そこまでの苦労はない。
だが、それならそれで、できれば火防女がいてほしいところだった。
(効率が悪いんだよな)
もちろん、篝火がなくとも多少の成長は可能だ。
だが、あった方が圧倒的に効率がいい。
そして、そこに火防女がいてくれるなら最高だ。
(何しろ、ここじゃ大してソウルも手に入らないしな)
ソウルを無駄にしていては、いつまでたっても成長できない。
とはいえ、火防女なんて巡礼地にでも行かない限りはいないだろう。
(彼女達がいてくれたらな)
我が誓約主である白い蜘蛛姫様。
因果に囚われていた竜の娘である緑衣の巡礼。
そして、共犯者である最後の火防女。
いかに彼女達に支えられてきたのか、あらためて思い知る気分だ。
「もちろん、それも考慮に入れておくけどな。何しろ、いつまでその【ステイタス】が
「そりゃまぁ、確かに今日まで封印されなかっただけでも幸運だけどね」
主神を失ったアイシャだが、その【ステイタス】は今もまだ健在だった。
「しっかし、本当に何だってまたこんなことになってんだか」
この数日間で、何度目かの疑問をアイシャが口にした。
実際のところ、明らかな異常事態だった。
少なくとも、他の
アイシャだけが例外だった理由として考えられるのは――
「それはまぁ、やはり血を浴びた影響とみるべきだろうな」
この数日、あれこれと考えてみたが……やはり、これが一番可能性が高い。
あの時、アイシャは俺とイシュタルの血をほぼ同時に浴びている。
そう、俺がイシュタルのソウルを喰らっている最中にだ。
その結果――
「『
何しろ、『
(血とソウルには特別な関係があるはずだからな)
それこそ、狼血を酌み交わす事で『王の器』を得た【薪の王】もいる程なのだから。
「まぁ、要するにあんたは今、正真正銘私のご主人様ってわけだろ」
それはまた少し違う訳だが……。
(せいぜい保護しているだけだな)
いや、ただ単にまだイシュタルが生きていると錯覚させているだけか。
いずれにしても不自然な状態だ。いつまで続くかは定かではない。
それまでに主神を見つけるか、『ソウルの業』に乗り換えるか――あるいは、その両方を成立させておかなくては、アイシャはある日突然、完全な丸腰になりかねない。
(一番危険なのは、俺が
ダークリングの力を発動させるにしろ、そうでないにしろ、ソウルが大きく揺れ動き、あるいは体外に流出ないし消失する。その瞬間が、おそらく一番危ない。
それに、仮にこのまま永続するとして、それでも俺では成長させられない。
それでは片手落ちだろう。
いや、問題――危険性はまだ他にある。そちらの方が、より深刻だ。
(まぁ、今のところ影響は出ていないらしいが)
そちらは神罰同盟とやらを蹴散らしてすぐに、念入りに確認してある。
幸い、今のところこれといった影響は出ていないが――
「ヘファイストスにでも頼むか。せめて【ステイタス】の更新だけでも」
何だったらミアハかガネーシャでも……いや、この際ヘスティアでもいい。
とにかく、この状態が続くのは避けたい。
いや、
どんな形であれ、正常に戻す努力を惜しむべきではないだろう。
「ま、私の事はあとで考えるさ」
などと考えていると、アイシャが改めてしなだれかかってきた。
「今はあんたを労ってやるよ、ご主人様?」
……因果は動き始めた。『火の時代』から『古代』、そして今この時。
すべてを通して降り積もった因果が、いずれこの地に吹き溜まる。
そうなれば、またうんざりするほど殺し合いが続くだろう。
それなら――
(今はもう少しだけ、こうしているとしようか……)
アイシャの体温を感じながら、ふと気になった。
今頃、ベルは何をしているのだろうか――と。
…――
「何かありましたか?」
世界の果て。その一歩手前で、その方に問いかける。
いつも貞淑さと気品を放つ女性……我が君の従者は小さく微笑んでいる。
いや、いつも微笑を浮かべている方だが、今日はいつもよりずっと。
「ええ。『王たちの残り火』が、小さく火の粉を上げています」
「『残り火』が? あの方ではなく?」
だからこそ、アン・ディール様は『試練』を科したというのに。
しかし、
「あの方の火は初めから消えていませんよ」
その女性は、何を気負うでもなく小さく微笑んでいる。
これが信頼というものなのだろうか。そう思えば、羨ましくもあった。
「蠢く因果の嵐の中で、この小さな火は燃え上がる事が出来るでしょうか……」
それとも、潰えて飲み込まれるのでしょうか――と、微かな憂いと共に彼女が呟く。
「新たな火が熾ったと?」
「いいえ。この火は、初めからこの世界に灯るはずだったもの。今までも何度となく火の粉を舞い上がらせては、その度に消されてきたものです」
千年の間、幾度となく熾っては消されてきた希望。
新たな時代――いや、この『時代』を正しい形に導くための篝火。
「では、また地上に蔓延る亡者共が……」
「それはどうでしょう」
私の悲鳴めいた声に、その方は緩やかに首を横に振った。
「古い神たちの末裔。その幾ばくかも、事態を察したようです」
「だとしたら、なおさら……」
「いいえ。この火が潰えたなら、その時こそあの方は殺すでしょう。地上に蔓延る古い神たちを」
この場所……いえ、この先に再び戻る事で――と、その方は告げた。
「ただ……。まだ、この『白い火』にとってここは遠すぎます。果たして、間に合うかどうか……」
神の枷に囚われた裏切者たちが、この場所につくのは容易ではない。
「その方……『白い火』は、神の枷に囚われていないのですか?」
その血は、奴らに一時の力を与えてはいる。だが、それもまた枷の一つだ。神どもが遊戯の駒に自分達を超える力など与えるはずがないのだから――と、アン・ディール様おっしゃっていた。
「さぁ、どうでしょう」
私には、この方のように未来を見通す目などない。
……そもそも、あの方の従者たり得るような力など、何一つ持ち合わせていなかった。
「あら……」
と、そこで。その方は小さく呟いた。
頭冠で見えないものの、少しだけ眉をひそめているのが雰囲気で分かる。
「まったく、困ったお方です」
ため息と共に、小さく肩をすくめた。
いつもの貞淑な姿とは違うその仕草も、見事に様になっているのだから少しずるい。
いえ、今はそんな事より――
「これは……」
玉座の守護者として顕在しているはずのあの方が、侵入者も訪れていないのに動き始めていた。
実に四年ぶりの事だった。
「それほど、ですか。その『白い火』とは……」
「それを見定めるために向かったのでしょう。五年前のように」
なるほど。間に合わないとはそういうことか。
この四年間の間に訪れた何者か。
(いえ、もしかすると……)
新たな火とは、あの時傍らにいた少年なのだろうか。
とても荒事に向いているようには見えなかったけれど……。
「しばらくの間、守りを固めねばなりません。セレン、お願いできますか?」
「はい、火防女様」
未だあの方の代わりを務められる程の力はない。
だが、それでも――
(同胞たちの未来を守らなくては……)
あるいは、人の時代も。
それを終わらせようとするモノはすぐそこまで近づいてきていた。
2
「敵対する積年の
何で、こんな時に――!
明滅する思考に、荒波のような波紋が広がる。
遠征初日。それも、まだほんの入り口で発生した
再び上層にミノタウロスが出現した――いや。
白髪のガキが襲われているのを見て――
そんな目撃情報に、嫌な予感を感じ飛び出してから。
その予感を肯定するように、傷ついた
「あの人を、ベル様を助けてさい……!!」
噂は聞いている。この子が、あの少年と行動を共にしているサポーター。
「場所は!?」
「正規ルートッ、E-16の
最後まで聞く必要はなかった。
担ぎ上げ、走り出す。
我が身を顧みず助けを求めに来たこの少女が遺した
それが、あの少年の場所を教えてくれる。
そして、不気味に静まり返ったダンジョンに響く、あの子が抗う声と音が。
(もう少し――!)
目標
その先に――
「止まれ」
飛び込む前に、告げられたその一言があらゆる動きを止める。
決して大きな声ではない。怒声でもない。
でも、まるで
分厚くも引き締まった胸板の上から軽鎧を着込んだ、巌のような巨躯。
竜の尾よりも強靭な筋肉で象られた四肢。
身の丈なら二Mを超える。
錆色の短髪からは、獣の耳――獣人の中でも特に獰猛と知られる
髪と同じ色の瞳に見入られただけで、咽喉を締め上げられたように呼吸が乱れた。
「……【
掠れた声で、その名を呼んでいた。
【フレイヤ・ファミリア】団長、オッタル。
【ロキ・ファミリア】に対敵する第一級――いや、オラリオ最強の冒険者。
それは、モンスターが蠢くはずのダンジョンの一画。そこに生み出された無人の野に、ひとり悠然と立っていた。
「【剣姫】。手合わせ願おう」
背負っていた背嚢を投げ捨て、静かに大剣を引き抜く。
「どうしてッ!?」
何でこんな時に――!
そこで、思考が一つの結論を導きだ出した。
『今後、一切の余計な真似をするな』
数日前の襲撃。あの時の『警告』の真意。
いや、
(ま、さか……!)
あの女神が企んでいる事は――!
あり得ない。あり得ない。あり得るはずがない。
でも。それでも。これは――
(そう言えば、あの時も……)
前兆は、確かにあった。
フィリア祭。あれだけ完全に『魅了』されたモンスターが、あの子だけ襲っていた。
それと同じこと。シルバーバックの次はミノタウロスを嗾けている――
(今はあの人が、いないから……!)
今まで手出ししなかったのは、あの子達の傍にクオンさんがいたからだろう。
でも、今は神罰同盟との抗争が終わったばかりで傍にいない。
だから、ここぞとばかりに動き始めたのか。
問いかけながら――何一つ言葉を交わすまでもなく、確信を得ていた。
どういう意図かは定かではない。それでも、分かった。
神の気まぐれに翻弄されるあの少年を今助けられるのは、私しかいないのだと。
「娘を下ろせ」
死ぬぞ――と、その双眸が細められる。
意識すらないまま、血で染まった手で必死に縋りついてくるその少女を、一瞬だけ抱きしめてから、そっと通路の隅に降ろし、≪デスペレート≫を引き抜いた。
選択の余地などない。
「来い、【剣姫】」
圧倒的な武威が、ダンジョンの薄闇すらも押し返す。
「【
出し惜しみはしない。今は一刻一秒を争う。
風を纏い、剣を構えた。
相手はオラリオ唯一のLv.7。やりすぎるという心配だけはしないでいい。
階位の壁もろとも、この強敵を撃ち抜く――考えるのはそれだけだ。
「リル・ラファーガ!」
階層主さえ貫く風の閃光。
「オオオオオオオオオオッ!」
迎え撃つのは
その激突は、ダンジョンを揺るがして――
「な――ッ!?」
神風は、
「ほう……」
いや、まったくの無意味ではない。
防具のいくつかを破壊し、その体にも傷を負わせている。
でも――
(浅い……!)
かすり傷だ。戦闘不能に追いやるには程遠い。
「そうか。新たな高みに至ったか。だが――」
頬を伝う血を指先で払いのけ、【
「――まだ温い」
反撃が、来る。
「くッ!?」
その一撃を受けきれない。風を纏っているのに。
「――ぁ!?」
もはや両手は用いていない。片腕での一撃だというのに――!
(重い……!)
こちらは両手で構えてやっとだ。
いや、それでも後退させられていた。
絶対的な身体能力の差。昇華した『器』の違い。
通路の果てまでおよそ一〇M。普段なら一瞬で駆け抜けられるはずのそこが酷く遠かった。
「―――あああああっっ!!」
委細構わず、強引に反撃に転じる。
咆哮と共に放つは神速の連撃。そのすべてが必殺の一撃。
これなら、例え『深層』のモンスターであっても瞬く間に斬り刻める――!
「――ッッ!?」
だというのに。目の前の武人は、そのすべてを弾き落とした。
(攻撃が通らない……!)
波一つない水面のように静かな双眸は、こちらの動きをすべて見透かしているかのようだ。
それどころか――
「―――ぁ!?」
絶妙な角度に逸らされ、ほんの一瞬体勢を崩した私に、容赦なくその剛閃が迫る。
「【
【エアリエル】に新たな
威力を増した風が、すぐそこまで迫った死を押し返した。
(力押しはダメ!)
首の皮を一枚断ち切られながら、自分に言い聞かせる。
剣技だけ見ても、良くて互角。地力と経験の差は向こうが上。次に受け流されたら、その後に来る反撃を私は躱せない。
(速さ――!)
頼れるのは、この風だけ。
あらゆる敵を切り刻み、あらゆる攻撃を払いのける、私だけの風。
「はぁあああぁああっ!」
剣速がさらに一段階跳ね上がった。
だというのに、その武人は僅かな揺らぎすら見せない。
巌どころか巨大な山脈の様だ。
「少し、本気を出そう」
「――ッ?!?!」
再び繰り出された両手での一撃。
気づいた時には、【
――いや、それは錯覚だ。
実際に飛ばされたのは私。
一瞬にして、一〇Mも後方に吹き飛ばされていた。
それどころか、踏みとどまれずに片膝をつく始末だ。
「そこを通してッ!!」
焦りが生まれていた。
このままでは
――行かなくては。
――助けなくては!
――死なせたくない!!
「……ッッ!」
思い出したのは、少年と過ごした一週間。
それは自分でも驚くほどの糧となった。
立ち上がると同時に、再加速。再び間合いが零となる。
だが、それだけだ。
(斬り崩せない……!)
弾かれる。逸らされる。反応を上回れない。予測を振り切れない。
(これが……!)
その手にある一振りの刃と、もう片腕にまとう手甲。
たったそれだけで、あらゆる攻撃を払いのける。
これが、オラリオ最強。そこにあるのは途方もない『技』と『駆け引き』。
(力の底が見えない!)
レヴィスより上。
それなら、あの人斬りと同等か。それとも、あの剣士と並び立つのか。
ああ、それ以前に――
(【
全ての冒険者が超えるべき壁。全ての冒険者にとっての悪夢。
あの人と、オラリオで唯一互角に渡り合える――まだ、『
「こんのおおおおおっ!」
たんっ、と――軽やかな跳躍音と、それに反する重い一撃が放たれた。
「【
超重量武器の
「どうなってんの、コレー!?」
叫びながら、ティオナが追いついてくる。
二人同時の連続攻撃だが――
(通じていない……?!)
連携がうまくいかない。互いの呼吸が微妙に乱されている。
これではまだ一対一。少しでも気を抜けば各個撃破されかねない。
「猪野郎ッ!」
さらに、地を這うような疾走が加わる。
いや、それだけではない。
ベートさんの一撃に続き、
「どうなってんのよ、コレ……!」
ティオナと同じセリフを口にしながら、ティオネも参戦した。
これで四対一。私達の波状攻撃に、ついにその山脈が揺らぎを見せる。
「ルオオオオオオオッ!」
ベートさんの蹴りを避けた瞬間、防御に綻びが生じた。
(通った――!)
千載一遇の好機。その一瞬を、確実にものにした。
……そのつもりだった。
「今のは、なかなか悪くなかった」
足首を掴まれた。
「この猪やろ――ッ!?」
そのまま追撃を仕掛けるベートさんに向かって
あまりの速さに悲鳴を上げる暇もない。
「ぅが――ぁ!?」
うまく衝撃を逃がして受け止めてくれたものの、二人そろって後方に吹き飛ぶ。
「こんのおおおお!」
「アイズに何てことするのよ!」
私達と入れ替ってアマゾネス姉妹が襲い掛かる。
「お前達は、まだ変わらんか」
「余計なお世話だよ!? っていうか、これからまだ育つし?!」
「いつまでも自分だけがLv.7だなんて思わないでよね!」
Lv.5二人の猛攻を前にしても、その山脈は動じない。
荒れ狂う
そこに
「邪魔だアマゾネスども!」
「はぁ?! あんたが邪魔なのよ!」
何故、【
(狭い……!)
特に素早さを武器とする私やベートさんにとって、この通路は狭すぎた。
四人も並べば、お互いに動きを阻害されてしまう。
もちろん、凡百の相手ならその程度は何の問題にもならない。
でも、オッタル相手なら話は別だ。僅かな制限は著しい障害へと変貌する。
何より、【
同時に仕掛けられるのは二人まで。これでは、数の優位を活かしきれない。
「セコい真似しやがって、この猪野郎がァ!」
それに勘付いたベートさんが毒づく――けど。
「貴様らが未熟なだけだ」
戦場での駆け引きに負けたのは私達の方だ。
予想される最大の敵とその人数。兵装。それを見定め、もっとも迎撃しやすい場所に陣を敷く。
【
最初から全力で。一切の容赦なく、私達を敵と見定めている。
「まずはひとり」
「ヤバ――!」
乱れた陣形からはみ出たティオネに、【
「はぁあっ!」
それより一瞬だけ早く、黄金の閃光が奔った。
それを避けるべく、初めて【
「団長!」
それを成し遂げたのは、フィンの槍だった。
「やれやれ。妙に親指が疼くと思っていたけど……まさかこれほどの大物とはね」
その言葉の最中、互いにいったん間合いを開く。
「やぁ、オッタル」
「……フィンか」
旧友同士で交わされるかのような挨拶。
だが、場の空気はさらに張り詰めたものとなっている。
「今一つ状況が掴めていないんだが……何故この場所で、この時に僕達と矛を交えたのか。その理由を訊いてもいいかな?」
「敵を討つために時と場所を選ぶ必要があるか?」
「ごもっとも。では、それは派閥の総意、ひいては君の主の神意と受け取っていいのかな? 神フレイヤは、僕達との全面戦争を望むと?」
「
笑みを浮かべながら尋ねたフィンに、オッタルもまた小さく笑って見せた。
「違うな。これは、俺の独断だ」
笑みは一瞬。あくまで平然と、その武人は言葉を続けた。
「四年前。あの男は単独でお前達の
「……」
誰の事を指しているかなど、訪ねるまでもない。
あの人は――【
「繰り返すが、これは俺の独断だ」
覇気が膨れ上がる。
「あの男にできて、俺にできない道理はない」
その巨躯が、さらに一回り大きくなったような錯覚を覚えた。
「邪魔をするな。邪魔をするなら、ここで
それ以上の言葉は、もはや無用だった。
「テメェがくたばれ猪野郎がァ!」
再び戦端が開く。
「――未熟」
先程との違いは、【
「がァ!?」
ベートさんの蹴りより早く、拳が放たれる。
「こんのおおおおおおっ!」
「まだ温い」
「なめんじゃねぇぞ、クソ猪がぁ!」
「雑な動きだ」
そして、烈火の如き狂奔にも動じない不動の心。
「その程度か」
狭い通路を活用され、動きを阻害されたところを、まとめて刃の暴風が薙ぎ払っていく。
圧倒的だった。
心技体。その全てが不足なく揃っている。
これが――これこそが、【
今代の英雄たり得る『器』の持ち主。
「くっ!」
四年前の一騎打ちは【
確かに、その言葉は完全な間違いではないのかもしれない。
でも、だからどうした。
仮にクオンさんに敗れたとして、それでもこの武人が弱くなったわけではない。
オラリオ唯一のLv.7であることも。積み重ねられた膨大な経験も。果ての無い鍛錬によって育てられた体も。徹底して磨き抜かれた技術も。何一つ損なわれていないのだから。
(ううん、それどころじゃない――ッ!)
敗北を知った――あるいは感じた――事で、【
更なる高みを見据え、飽くなき飢えを取り戻したこの英傑は――!
「どうした、フィン。『
ついに前衛――Lv.5三人が蹂躙された。
「言ってくれる……ッ!」
私よりずっと経験を重ね、【ステイタス】を育てているフィンにも余裕があるようには見えなかった。
最初から全力で、それでも少しずつ押されている。
でも――
(今が
フィンの動きに合わせ、一気に間合いを詰める。
ニ対一。何より、お互いに武器の相性がいい。
フィンの槍は言うに及ばず、≪デスペレート≫も刺突を主体として戦える剣だ。
狭い通路でも動きをさほど制限されない。
「はぁあああぁああっ!」
戦いは佳境へと突入しつつあった。
…――
(さて、教えてもらおうか)
【ロキ・ファミリア】――地上で用意できる最大の敵を前にしても、心は動じない。
同じ失態は二度は晒さない。
(今の俺の力が、一体どの程度なのかを)
それを見定めるのには、適役と言えよう。
そう、特に――
(最初の一撃は悪くなかった)
流石は【剣姫】と称されるだけの事はある。
腕にはまだ、痺れに似た痛みが残っているほどだ。
余波によって負った傷も、単なるかすり傷というには少しばかり深い。
(魔法の上乗せがあったとはいえ、これほどか)
そろそろこの『器』の限界――上限が近い。
それは自覚していたが、まさかここまで迫られるとは。
まったく、驚くべき魔法だと言えよう。
『あの男にできて、俺にできない道理はない』
己の言葉を証明するべく、フィンの槍を真正面からはじき返す。
切れは良い。純粋に槍術の冴えで言えば、クオンにも勝るだろう。
だが、それではあの男には通じない。ならば、俺にも通じない。
(四年前。あの時のクオンと今の俺の力。そこに、それほどの
クオンは四年前に【ロキ・ファミリア】を破っている。ならば、今の俺にできないはずがない。
(次の場所へと至る。その糧の一つとなれ、【ロキ・ファミリア】)
次に破るべき壁。それは、すでに見えていた。
ここでこの派閥を潰せれば、その壁にまた一歩近づける。
「舐めるな!」
速さを増したフィンの槍が、ついに体を掠める。
(流石に、そう簡単にはいかんか)
今のは対応できたはずだ。クオンなら防ぐか、下手をすれば受け流していた。
そして、あの男に受け流されるのは概ね死を意味する。
その一歩がまだ詰められない。
(だが、これでいい)
今の俺に見えているのは『
だが、それとは別にもう一つ――
(これで、こちらの
己の内。より深いところで胎動し始めた何か。
五年前から時折は感じていたそれは、四年前の……そして、先日のクオンとの一戦を経てよりはっきりと感じるようになった。
青白い輝き。あるいは、あの時奴が放とうとした闇よりも暗い何か。
これが何なのか、それは分からない――
(いや……)
俺とクオンの差。いや、俺と
それこそが、この何か。冷酷で、凶暴で、仄暗い。しかし、どこか生温かい何か。
これを己の物とした時こそ、俺は奴らと同じ場所に立てるはずだ。
(それとも、この狂気に呑まれて消えるか?)
さもありなん。これは、少しでも扱いを誤ればたちまちのうちに俺を食い殺すだろう。
一切の容赦なく。
(だからどうした)
この身。この力は全てフレイヤ様のために。
あの方に仇成すクオンを超える。それはあの方の眷属として当然の義務だ。
(再び差を開かれたがな)
横腹――もう痕も残っていない傷が痛んだ。
今の俺を超えるとなると、奴はすでに階位の壁を越えている。
文字通り、一歩先を行かれた。
(忌々しいな、Lv.0が)
まったく、一回りしていっそ清々しいほどだ。
だが――
(更なる高みへ。あの男など、その途中にある壁の一つにすぎん)
あの方に仇成すクオンを超える。それはあの方の眷属として当然の義務だ。
俺が真に求めるのはその先。その先にある神の領域。
神武と呼ぶに相応しいあの高みだ。
「はぁあああぁああっ!」
【
「まだだ」
流石にLv.6二人は手ごわい。
手ごわい? 馬鹿な事を――!
(俺の限界はここではない……ッ!)
あの少年――いや、あの
背中からその気勢が伝わってくる。
ならば、先達として、俺もそれくらいはやってのけねばなるまい。
所詮
「まだ温い……ッ!」
閃刃の驟雨――立ちはだかる限界の壁……いや、その幻影へと踏み込む。
ここでは終わらない。
「オオオオオオオオオオッ!」
狙いは【
「―――ッッ!?」
これをへし折れば、この連中は烏合の衆に成り下がる。
だが――
「まだ、神域には至らんか……ッ!」
己の未熟さを呪う。
槍こそ断ち斬ったが、それだけだ。精々が薄皮一枚。その先には届いていない。
刃が通っていれば届いたはずだ。
それが『斬る』止まりだったが故に、敵に回避する余裕を与えてしまった。
「テメェ、このクソ猪がぁ!」
止めを刺すより先に、死角から飛び込んできたアマゾネス――【
だが、
(あの男にとってはいい鴨だろうな)
その圧倒的な暴力ですら押し切れない相手。それと敵対した際に冷静さを欠いている事の危険性は、つい先日嫌と言うほど味わっている。
「シッ!」
ともあれ。【
その一瞬をモノにし、フィンが攻撃を仕掛けてくる。
迫るのは、半分になった槍の穂先。それを払いのけるのは容易いが――
「ほう?」
追撃を手甲で受け止めていた。
左手に残るもう半分。槌代わりに振るわれたそれはガラクタだが――それでも、Lv.6の膂力だ。
まともに受ければただでは済むまい。
「芸を増やしたか?」
繰り出される連撃は、いわば刺剣と槌の変則二刀流。
「そういう訳でもないんだけどねッ!」
左右の手に異なる武器を持ち、同時に併用する。
それは、言葉にするほど簡単な事ではない。いかに『
だが、フィンの動きには含蓄がある。
「僕だって四年前のままじゃいられない」
二刀流ならぬ二槍流を会得した、と言ったところか。
「それでこの程度か? いつまでそこで燻っている」
「言われなくとも、すぐに追いつくさ……ッ!」
わずかに動きが良くなった。
フィンもこの戦いで最後の誤差修正を行っているらしい。
だが――
「その程度で破れるほど容易い壁ではない」
「分かっているとも。もうずいぶんと長いこと睨んでいるからね」
「はぁあっ!」
次に迫りくるのは【剣姫】の一撃。
流石に拳ひとつで払いのけられるほど安くはない。
「ぬぅ……!」
手甲を使って受け流した――が、少し焦りがあったか。
あの男がやってのける完全なそれよりは多少強引だった。
だが、目的は果たした。
「フンッ!」
「やらせるかよ、猪野郎がァ!」
【
「どちらが猪だ」
技など欠片もない。純粋な加速力だけを頼りにしたその突進は、それでも、この状況であれば確かに有益だったと言えよう。俺の狙いを狂わせるほどに。
しかし、それだけだ。
「ガ―――ァ!?」
【
無論、凡百の冒険者に比べれば遥かな高みにいる。それは認めよう。
だが、この状況ではその僅かな未熟も致命的なものとなる。
組み付くがゆえに衝撃を逃せない今、Lv.7の蹴りは相応に響くだろう。そして、ほんの僅かでも拘束が緩めば、引きはがすのは容易い。
「こんのおおおおおっ! ――って、うわあぁ?!」
そのまま【
「ベート邪魔ぁあぁああっ!」
残響を残して吹っ飛んでいく【
あのアマゾネスは、技も心も少しばかり真っ直ぐ過ぎる。
(……まぁ、別にそれが悪いとは言わんが)
それとも、何かを自制しているのか。
(そういえば、この姉妹の生まれは確か――)
――いかん。どうやら、まだ師の気分が抜けていないらしい。
(俺自身もまだ道半ばなのだがな)
知らず、敵の欠点……言い換えれば、次の課題を思い浮かべている自分に気づき、自省する。
討つべき敵を前にして、それは流石に礼を欠く。
「離せ、この猪野郎!」
「そうだな」
元より、そのつもりだった。
「うぉ……ッ!?」
「返すぞ、リヴェリア」
通路の最奥に陣取り、詠唱を行っていたハイエルフへとその
「チィ!」
無論、都市最強の魔導士の並行詠唱を中断させるほどではない。
だが、完成を一瞬だけ遅らせるくらいはできた。
「やらせないよ」
やれやれ、流石にそう容易くはないか――と、改めてフィンと打ち合いながら苦笑していた。
「……笑うなんて余裕だね?」
「そうだな」
それは、この壁を破れるという手ごたえのせいだろう。容易くはないが、それだけだ。
……いや、やはり俺もまだ未熟だということか。
「そろそろ、終わりにするとしよう」
得ていない勝利など、蜃気楼より実体がない。
むしろ、【
「オオオオオオオオオオ―――ッ!!」
今の『器』の限界へ。
あるいは、まだ見ぬ何か――俺の奥底に
そして、最後の激突――
「……むっ?!」
――より、ほんの僅かに早く。
その気配に気づき、舌打ちしていた。
……そもそも【ロキ・ファミリア】の足止めなど、枝葉末節に過ぎない。
本題は、あの冒険者の最初の冒険を邪魔させない事だ。
(何故、今さら動き出した……ッ?!)
なればこそ、この
「な……ッ!?」
俺の勘が外れていないなら、もはや【ロキ・ファミリア】にかまけている暇はなかった。
…――
「え? 逃げた……?」
戻ってきたティオナが目を瞬かせる。
「いや、そんなはずが……」
フィンも、曖昧に言葉を濁した。
そもそも、【
「あ、アイズ!?」
今はそんな事はどうでもいい。
障害がなくなったなら、すぐにでも駆け付けなくては。
「クソが! 一体何が起こってやがる!?」
「リヴェリアー! そこの
少し遅れて、ベートさんとティオナが追ってくる。
そして、目的地まであと数Mと言ったところで、【
何かに斬りかかろうとして――
「な――ッ!?」
思わず絶句していた。
逆に、その巨躯が崩れ落ちたからだ。
流石に膝をつくほどではない。でも、その寸前まで行った。
でも、本当に驚くべきはその先に
「あれは――!」
身の丈なら、
ところどころが溶けた骸のような全身鎧を着込んだその姿には見覚えがあった。
オラリオで名を馳せる冒険者なら、誰もが。
「【
五年前、オラリオに出没した謎の怪人。
それが、ついに【
「え……?」
その怪人は、炎を纏ってはいない。
いや、剣すら構えていない。【
それどころか――
「フン……。どういうつもりだ?」
僅かにふらつきながらも立ち上がる【
その先に、あの少年もいた。
(間に合った!)
まだ生きている。急いで割って入る。
そのつもりだった。
「もう、アイズ・ヴァレンシュタインに助けられるわけにはいかないんだ……ッ!」
それを制止したのは、【
静止したのは、あの少年自身――!
「待って……!」
傷ついた体で立ち上がり、両手に武器を構え、ミノタウロスを見据えている。
「――勝負だ」
ああ、もう止められない――と。
その時、全ての理屈を超えた場所で理解していた。
『――アイズ、そこにいなさい』
最後に見た、お父さんの背中と重なっていたから。
「今さら、俺が足止めする必要もないだろう」
【
「おおおおおおおッ!」
少年の――『冒険者』の
3
「早く、行けぇえええええええっ!!」
リリの足音がようやく聞こえなくなった途端、
『ヴヴオオォォオオォォオオオオオオオオッ!』
僕は赤黒い
(死んだ……)
昔、まだ泳げなかった頃、川に落ちた時を思い出す。
あの時、大量の水に抱かれたその瞬間に、上も下も右も左も分からなくなった。
今もそうだ。その一瞬、何が起こったかすら理解できなかった。
(死んだ……ッ!)
誰かがどこかで喚く。
ただひたすらに、重く暗い何かが体に絡みつく。
呼吸すらできやしない。水流に翻弄され、水面に沈むその感覚は浮遊感にも似ていた。
空を飛ぶとは、こんな感覚なのかもしれない――激痛から逃れるため、思考はそんな意味のない空想を繰り返すばかりだ。
息を止めろ。心臓を止めろ。そうすれば、この恐怖と激痛から
(――わけ、ねーだろ……ッ!)
リリが離れて行って、まだ数秒。
僕が今ここで死んだら、リリまで道ずれにしてしまう。
コイツをこの
その執念――あるいは恐怖――だけを頼りに跳ね起きた。
「が……ぁッ!」
苦い何かが口の中に広がる。
吐き出したいが、咽喉はすっかり乾ききっていた。
傷の度合いを確かめている余裕もない。
(前に――前に、出ろ!)
もう少しだけ、この場所に引き留めなくちゃいけないのに――!
ミノタウロスの双眸が、僕を睨みつける。
ただそれだけで――
「畜生……ッ!」
前に――出れない……!
頼りの綱だったショートソードは、どこかに落としてしまっている。
体が竦む。膝が笑う。呼吸だってろくにできない。
「ふ、ふぁ――…」
こわい、怖い、怖くて仕方がない……!
「ファイアボルトオォオオォオオォオオッ!!」
身動きできないまま右腕を突き出し、裏返った声で叫んだ。
あの時にはなかった力に縋る――が、
『ウヴォオオオオオオオッ!』
「うわあああああああああああああッ!」
叫びながら、魔法を乱射する。
でも、効いていない。後退させたのは初撃だけ。それも、たった一歩だけだ。
有効打を与えられない。その巨躯を押し返せない。それどころか――
(切り払われる!?)
その手にある大剣の一振りでまとめて薙ぎ払われる。
(どこのどいつだよ、この化け物に大剣なんて持たせた奴は――!?)
悲鳴を上げている暇もない。
炎雷の雨をものともしないその怪物は、もうすぐそこに迫っている。
「くッ!」
容赦なく放たれる断頭台の一撃。
掠めでもしたら、それだけで体を持っていかれるのは間違いない。
生き残りたいなら、死角へ飛び込まなくては――
「―――がぁ……ッ!?」
その動きを読まれていた。
その脚が動く。自分の体に迫る蹄が、妙にゆっくりと見えた。
咄嗟に両手を交差させて、防御姿勢をとる。
そして、衝撃。その瞬間には、痛みすら感じなかった。
ただ、自分が多くの人に助けられたのだと。それだけを理解していた。
(神様)
この体に『
(クオンさん)
あの人に教えてもらった咄嗟の体捌き。アイズさんも褒めてくれたその動きがなければ。
(エイナさん)
信頼するアドバイザーが贈ってくれたそのプロテクターがなければ。
(ヴェルフさん)
まだ顔も知らない鍛冶師。この軽鎧を打ってくれたその人がいなければ。
(アイズさん)
憧憬と過ごした一週間。あの人が教えてくれた『技』と、育ててくれた耐久アビリティがなければ。
僕は――ベル・クラネルはここで死んでいただろう。
遠かったはずの壁に叩きつけられながら、ただそれだけを自覚していた。
「……ぁ、ぎ……ぃ!」
まだ致命傷じゃない。
これは死の先触れではなく、まだ生があることを伝える激痛だ。
だけど――
(どんだけ、派手に吹き飛ばせば気が済むんだ……ッ!?)
最初の一撃でガタが来ていた軽鎧がついに崩落した。
贈ってもらったプロテクターは砕け散り、もう影も形もない。
残っているのは、縋りつくように握りしめている≪神様のナイフ≫だけ。
まだ生きてはいる。だが、死を退けたわけでもない。
まるで生殺しだ。怖くて仕方がない。発狂しそうだ。そうすれば楽になる――
「ひっ!?」
ひきつった悲鳴すら上げている暇はない。それすら断ち切るように、大剣が迫っていた。
なりふり構わず、地を這うようにしてそれを躱す。
『ウヴオオオオオオオオオォ!』
逃げるな!――と、そう一喝された気がした。
だけど――
(もう、無理……・)
その
あれだけ強張っていた体が弛緩する。『
迫りくる大剣にもまるで現実感を感じない。
そして――
「――――ッ!」
次の瞬間には、僕の意識は闇よりも暗いどこかへと落ちて行った。
…――
世界の果てにいた。
朽ちかけたその建物は、世界の果てなのだと誰かが囁いた。
『――――ォォオォォォ!』
目の前にいるのは身の丈一〇Mはありそうな醜悪な怪物。
■■■■■■など目ではないほどの威圧感を放ち、岩とも大樹ともつかない何かでできた大槌を携えたそれは、英雄譚に出て来る伝説の怪物を連想させた。
でも、それと相対するのは、
その身にまとうのは草臥れた――どこかで見た覚えのある――革製の旅装。
握りしめているのは、今にも折れそうな古びた曲剣のみ。
ならば、両者の激突など……その結果など、火を見るよりも明らかだった。
「がぁ……ッッ!?」
信じられない力で振り回されるその大槌に、その人の体は枯葉のように吹き飛ばされる。
全身の骨が砕け、あらゆる内臓が破裂する感覚。即死していたはずだ。
さらに、驚くべき身軽さで跳躍した巨体が、その人を押しつぶす。
それでも、その人は
恐ろしい勢いで何かに蝕まれながら――あるいは、喪いながら――その人は、立ち上がっては怪物へと挑む。
錆の浮いたその剣だけを頼りに。
そんな一方的で絶望的な戦いが、どれだけ続いただろうか。
偶然にも、その体は近くの通路へと放り込まれる。
そして――
本当に世界の果てに迷い込んでしまったらしい。
崩れた壁。穴の開いた天井。瓦礫が散乱する通路。
嘆く死体。動く白骨。瓦礫の隙間を縫って逃げていく鼠すらも、その体が腐りかけていた。
この廃墟に生はない。全てが終わってしまっている。
終わりながら、こうして存在している。
「おお、君は■■じゃないんだな。よかった……」
その廃墟を他の出口を求めて彷徨って……その人は。己の運命を定める出会いを果たす。
傷つき倒れたその騎士こそが、彼を解放してくれた恩人なのだと、何故か僕は知っていた。
「君に、願いがある……」
託されたのは竜の紋章が施された――ああ、それを知っている――盾と、黄金に輝く瓶。
「これで、希望も持って死ねるよ……」
そして、一つの使命。
「ありがとうな……」
それを胸に、末期の囁きに見送られて、その人は歩き出した。
たどり着いたのは、屋根の名残の上。
「―――――」
眼下にいるのは、獲物を見失ったあの怪物だった。
もとより、逃げ道などありはしない。
ならば、それを超えて先へと進むしかないのだ。
最初の壁を見据えて、剣を握りしめる。
一撃だ――
と、
この一撃に、全てを賭ける――
あの騎士の願いに応じる資格が、果たして
噛みしめるように呟き、地を蹴った。
『ォォオオォォォオオオオッ!』
天から舞い落ちるその人と、天を睨む怪物と視線が入り交わる。
そして、激突。今にも折れそうなその曲剣が、怪物の体に深々と突き刺さった。
何かが蠢き、何かを喰らっていく。それこそが、
「―――――ォ!」
この咆哮こそが、きっと産声だったのだろう。
この人は、この時この場所で、あの騎士の願いに応じて自らの資格を確かに示したのだ。
崩れ落ちた怪物が、光となって消える。
地面に転がったその人はやがて立ち上がり、その先にある大扉を押し開けた。
これが、その
数多の怪物。巨大な竜。鋼鉄の巨人。闇よりも暗い何かの主。騎士たち。そして、
尋常ならざる敵が、その人の行く手に次々と立ちはだかる。
星の数ほどの敗北を重ねながら、這うような早さでその人は先へと進んでいく。
煌びやかさとは無縁の、暗くて泥臭く、死に塗れた旅路だった。
神の都へ。遠い過去へ。貴壁の大国へ。王たちの故郷へ。そして、世界の果てへ。
魔境から魔境へと終わりの見えない旅を続けるその英雄。
黒衣を纏ったその人は――
その名前を呼ぶより先に、白くて何もない世界に転がっていた。
「どうした、ベル。もう降参か?」
村の英雄が小さく笑う。
ここで頷けば、きっと許してくれる。あの時のように、助けてくれるだろう。
「もうちょっとだけ頑張って、向こうを見てみるといい」
指さす向こう側を、残った力を総動員して向いた気がした。
見えたのは、今まで見たこともないほど必死な顔をして、誰かと戦う女の人。
(あ、アイズさん……)
アイズ・ヴァレンシュタイン。黄金の憧憬。
「そこを通してッ!!」
その叫びの真意を、何の根拠もないまま正しく理解していた。
「どうする、ベル?」
ああ、本当に……。時々、この人は本当に意地の悪いことをする。
このまま転がっていれば、すぐにあの人が助けにきてくれる。それは分かっていた。
そう、分かっていた。だからこそ――
(この人に助けられるだけの弱い自分なんて、絶対にっ、ご免だ!!)
消えかけた火が再び燃え上がった。
みじめな強がりなんて百も承知だ。
(立て。立てっ。立てよっ!)
とどまるところを知らない思いの丈。それだけを頼りに体を引きずり起こす。
「この意地っ張り」
そう言って笑うクオンさんの手が、それでも無様にふらついた僕の体を引っ張り起こした。
「なら、思う存分に格好つけてこい――」
立ち上がると同時、白い世界が消え始める。
その最後の一瞬。
からかうように。冷やかすように。
「――あんな相手、お前なら楽勝だろう?」
そんな激励とともに、軽くその背を押された。
…――
「―――ぁっ!?」
こひゅ――と、そんな音ともに呼吸が再開した。
不規則に脈打つ心臓が、今も生を伝える。
右手には≪神様のナイフ≫。左手には≪呪術の火≫。
場所は薄暗いダンジョン。その中空に灯るのは【ぬくもりの火】。
そして――
『ウヴォオオオオッ!』
なおも迫りくる猛牛の剣戟。
新たな死の気配に、まだ朦朧とする意識を捨ておいて体が勝手に対応していた。
(あの一瞬――)
転がっていた床から跳ね起き、飛び退きながら呻いていた。
(咄嗟に……)
全身を包む痛みの中で、なおジンジンと疼く右手。
このナイフで、あの大剣を防いでいたのだろう。だから、まだこの体は両断されていない。
そして、意識を失う前にあの呪術を放っていたからこそ、まだ生きている。
それとも、蘇生しただけか。
地面に転がっていたその瞬間、走馬燈のようなものを見ていた気がする。
(どっちでもいい)
口の中にたまっていた血と唾とを吐き捨てる。
今もこうして生きているなら、それが全てだ。
「フ――…」
強張っていた肺がほぐれ、吐息が零れた。
柔らかな火は、まだ体を癒してくれている……が、それでも損傷は深刻だ。
プロテクターはすでになく、軽鎧はほぼ失われている。
(残っているのは……)
神様のナイフ。リリから貰った
そして、壊れかけの体を突き動かす滑稽なまでの思い。
「――――」
それ以外のものは、すべて燃え尽きていた。
竦む体も。怯えも。恐怖も。すべて。
猛牛を――
「もう、アイズ・ヴァレンシュタインに助けられるわけにはいかないんだ……ッ!」
だから――
「――勝負だ」
――冒険を、しよう。
左手に≪神様のナイフ≫を。右手には≪
それぞれ構えて、恐怖の鎖を引き千切るために地面を蹴る。
(死んだのか?)
そう思うほど、体が軽かった。
頭が冴えていた。
想いが燃えていた。
全てはこの壁を――ベル・クラネルにとって最初の冒険を乗り超えるために。
「――――ッ!?」
ゾンッ――と、恐ろしい音とともに、刃が振り下ろされる。
ギリギリのところで回避が間に合った。
決して早く動けるようになっているわけではないのだと自覚した。
だが――
(見える……ッ!)
それがどうした。
動きなら見えていた。そして、読めてもいる。
この動きを知っていた。記憶にあるそれは、もっと、ずっと恐ろしい。
(図体に騙されるなッ!)
直撃すれば、死は免れない。
掠めただけで戦闘不能に追いやられるだろう。
だが、それだけだ。この程度の動きなら
(もっと速い動きを知っているだろうッ!)
もう一人の師であるあの少女の剣はもっと速い。
当たり前だ。黄金の憧憬は、まさに剣の名を神々から拝しているのだから。
『ヴォオオオオオオオッ!』
「おおおおおおおおおッ!」
咆哮が重なる。
今この時。目の前にいる敵だけが世界の全てだった。
(読めてるんだよ!)
先の読める攻撃を迎え撃つのは簡単だった。
大ぶりの一撃を掻い潜り、がら空きの横腹を
だが、
(硬い……ッ!)
馬鹿みたいに分厚い筋肉は、ただそれだけで刃を押しのけてくる。
この両刃短剣もまた駆け出しの冒険者には充分すぎるほどの業物だ――が、今回ばかりは流石に相手が悪すぎた。
そして――
(力押しはできない――!)
体躯の差。……いや、前提となる力の差がありすぎる。
どうあっても力では勝てない。まともに受けたら、そのまま押しつぶされる。
(それがどうした!)
続く紫紺の剣閃が、猛牛の体を斬り裂き、揺るがせた。
この武器なら通じる。他ならぬこの猛牛自身の動きが、それを証明している。
紫紺の輝きを前に、不動だったはずの猛牛が回避を選択しているのだから。
ならば、あとは然るべき場所に確実に当てればいい。
それこそが『技』であり、それができる状況を生み出すことが『駆け引き』だ。
(甘いんだよ!)
見え透いた必殺を躱し、弾き、また逸らす。
狙うのは剣の側面。憧憬の少女から教わった防御術。
「あああああああああッッ!!」
燃え上がるほどの熱を帯びた背中に押されるように、さらに加速していく。
こここそが自分の間合い。ベル・クラネルが最も得意とする領域――!
『グォオオオオオオッ!?』
軋みを上げる両刃短剣で大剣を逸らし、再び紫紺の輝きが奔る。
神の刃は、確実に分厚い毛皮の向こう側に届いている。
しかし――
『ウヴォオオオオッ!』
その程度では倒れないからこその
互いの間に横たわる圧倒的な基礎の違いは、小手先の技など圧倒する。
肉を切らせて骨を断つ。
明らかに何者かの手ほどきを受けているこの猛牛なら、それを心得ているはずだ。
『オオオオオオオオオオッ!!』
横薙ぎに振り回される大剣。
竜巻めいたそれから、弾き出される。
加速が殺され、間合いが開いた。
仕切り直しだ。
「【ファイアボルト】!」
誰よりも速い己の炎雷を解き放つ。
「切り払いやがった!?」
どこかで誰かが叫んだような気がした。
何を今さら。そんな事は、端から分かっている。
一発や二発では役にも立たない。
ついに弾幕に押され、切り払いが追い付かなくなった。
「軽い」
「ああ、決定打には届かない」
通らない。だから、どうした。
それもまた、端から分かっている。
(そのまま、来い!)
炎雷を押し切って迫る猛牛を見据え――左手に火を宿した。
連射性なら、圧倒的に魔法――【ファイアボルト】が有利だ。
だが――
「ああああああああッ!!」
一撃の重さなら呪術――【発火】の方が上だ。
『ウヴオオオオ――』
炸裂する炎雷に目をくらまされ、敵の反応は明らかに遅れた。
猛牛の口元を引っ掴み、零距離から爆炎をお見舞いする。
口からいくらか体内へと届いたらしいその炎に焼かれ、ミノタウロスがくぐもった悲鳴を上げる。
「おぉおおおおおおぉぉぉぉおおッ!!」
一撃で済ますものか。時間が許す限り、爆炎を叩き込む。
時間にすればほんの数秒ほどか。手を放し、猛牛の向こう側に転がり出る。
あのまま留まっていたら捕まっていた。そして、捕まったら終わりだ。
そのまま力づくで引き裂かれる。
(クソ――ッ!)
顔面を焼かれたくせに、思ったほどのダメージはない。
でも、多少動きは鈍ったはず――
「はぁ……ッ?!」
思わず、間の抜けた声を上げていた。
その猛牛は、明らかに
『ヴヴヴォゴオオオオオオオ!』
そして、猛牛の突進。
逸らす事など、とてもできない。なりふり構わず、その場から転がり退いた。
(しま――っ!?)
結果として、敵を死角に入れてしまった。
今度は僕の反応が遅れる。
それでも、圧倒的な死がすぐそこまで迫っているのは分かっていた。
直感にすべてを託して、剣を構える。
『ヴォオオオオオッ!』
ギィン――!
と、鈍い音を立てて、両刃短剣が半ばから
「――――ッッ!?!?」
折られたわけじゃない。明らかに斬られた。
何度目かの戦慄が背筋を駆け抜けていく。
(ごめん、リリ!)
それと、ありがとう。おかげで、まだ生きている。
でも、これはマズい。
(こんなに剣を使いこなすとか、本当にモンスターかよ!?)
相手もまた、この戦いの中で剣の使い方をものにし始めている。
万が一にも技術で並ばれたなら、もう勝ち目はない。
(クソ、かまうもんか!)
こっちはもう体中がガタガタなんだ。
どのみち、そう長い事は戦えない。追いつかれる前に嫌でも決着がつく。
そんな事は分かっていた。
すぐそこに迫る
「はぁああぁあああッ!」
残る武器は≪神様のナイフ≫だけ。
防具はない。
(――たい)
それらが失われた全ての場所で、僕自身が死んでいたとしてもおかしくはない。
(――に、なりたい)
武器を、防具を失い、気力すら擦り切れて――それでもまだ残っている。
まだこの体を突き動かしている。
(英雄に、なりたい!)
コイツを倒せるような、英雄になりたい!
その願望が。火の粉をあげて、まだこの胸の中で燃え盛っていた。
「ああぁあああああぁあああッッ!!」
決着に向けて加速する戦いの中で、
剣劇が重なる。猛牛の一撃を、こちらも渾身の力で迎え撃つ。
一撃打ち合うごとに、体が軋みを上げる。
このまま打ち合っていては、まず体がもたない。『器』の差は絶対的だ。
(大剣ってのは、こう使うんだよッ!)
攻撃を掻い潜り、声にならない声で叫ぶ。
思い描くのは、黒衣の英雄の剣技。それを、拙いながらに模倣する。
いっそ放り投げるようにして放った横薙ぎの一撃が分厚い胸板に赤い傷跡を刻み付ける。
再び、猛牛が体を崩した。だが、すぐに踏みとどまりさらに前へと出てくる。
だが、遅い。その頃には、もう跳躍していた
「んのぉおおおおおおおおおっ!」
上空で一回転し、そのまま再び剣の重さを威力へと替える。
『グヴヴォ――!?』
通った。その一撃は、今までで最も深い。
「うああああああああッ!」
大剣を突き出す。狙いは、魔石のある胸――!
『ヴヴォオオオォオ――――ッッ!!』
物理的な威力すら感じるほどの
それですら、もはや心は折られない。だが――
「が―――ぁ!?」
打ち負けた。
技をかなぐり捨てた力任せの一撃が、こちらの必殺を叩き潰す。
(マズ――ッ!?)
悲鳴を上げる暇もなく、続く一撃に吹き飛ばされていた。
…――
(最近のLv.1は凄いものだね)
などと、いまいちキレの悪い冗談を胸中で呟く。
ただ、他に言いようがない。
目の前の光景を前にすれば、他に一体どんな気のきいた台詞があるというのか。
「……一ヵ月前」
この一ヵ月程。クオンの動向を調べるうえで、知った事がある。
「ベートの目には、あの少年が
彼は【イシュタル・ファミリア】と事を構える直前まで、とある新人冒険者を気にかけ、その
もちろん、報告をくれた団員はおろか、幹部陣の誰もがそれを信じなかった。
本人も所属する派閥も完全に無名だったからだ。
(知人の孫、か……)
その白髪の少年は、クオンの知人の孫だという。
確かに、あの時……『豊穣の女主人』でも、彼はそう言っていた。
そういう縁なら――と、納得したものだ。
(これは、まんまと騙されたかな)
小さな予感とともに、呻いた。
いや、知人の孫というのが嘘だとは思わないけど。
視線の先にいるのは、駆け出しの冒険者ではない。
確かな才覚を感じさせる、紛れもない
いや、もはや新人などとは言えないかもしれない。
Lv.1でありながら、Lv.2相当のミノタウロスと互角に渡り合っている。
支えているのは、磨かれた『技』と『駆け引き』だった。
(よく仕込んだね)
もっとも、動きを見る限り、仕込んだのは
「切り払いやがった!?」
一方で、そのミノタウロスもまた只者ではない。
少年の超短分詠唱――それとも、まさか無詠唱だとでもいうのだろうか――魔法を、手にした大剣で切り払って見せた。
まだまだ拙く、力任せだが――あれは、明らかに剣術だ。
少なくとも、鱗片をその身に宿しつつある。
「軽い」
問題は他にもあった。
「ああ、決定打には届かない」
あの少年の魔法は威力が足りない――と、思ったのだけど。
「ああああああああッ!!」
どうやら、まだ手札を隠し持っているらしい。
炎雷とその直後の爆炎に紛れていたけど、その左手は確かに『火』に包まれていた。
そう、クオンが魔法を使う時と同じように。
「あれは君の仕業だろう、オッタル?」
そちらはともかく。
連続する爆発に紛れて、問いかける。
「……さてな」
気になるのは、ミノタウロスの動きだ。
あれはどう見ても――
(クオンの動きだね)
もちろん、そのものではない。かなりの部分で我流が入っている。
ただ、その下地として、確かにそれが選ばれているのは疑いなかった。
それを仕込めるほど知っているのは、本人か、さもなくばオッタルくらいなものだ。
そして、この二人が組むはずがないのだから、誰の仕業かは消去法的に明らかである。
(まったく、おかしなことになっているな)
まぁ、オッタルの一連の奇行はどうせ神フレイヤの仕業だろう。
実に悪趣味だし、あの少年にとってはこの上ない災難だろうけど……今はいい。
問題は、僕達から少し離れた場所に座っている存在だ。
(【
五年前に、オラリオ中の冒険者を次々に襲い、尽く打ちのめしたその怪人。
それが愛用の
……いや、その少年の戦いを見守っているというべきか。
そんな事もありえるか――と、そう思わなくもない。
「『アルゴノゥト』……」
ぽつりと、ティオナが呟いた。
『アルゴノゥト』
それは、一つの物語。
英雄を夢見る青年が、人の悪意と数奇な運命に翻弄される御伽噺。
時に人に騙され。時に王に利用される、滑稽な男の物語。
そして――
精霊に愛され、友人に知恵を借り、なし崩しに王女まで救ってしまう英雄譚の名前だ。
「あたし、あの童話、好きだったなぁ……」
万感の思いを込めるように、ティオナが呟く。
ああ、そうだ。
これは、きっと、おそらく、新たな英雄譚の最初の一頁なのだろう。
女神に翻弄され、王者に遊ばれ、そして――
「やりすぎじゃないかい?」
それにしても、少し仕込み過ぎだ。
まったく、弟子が欲しいなら、素直に人間を相手にすればいいだろうに。
鼻を鳴らすオッタルに、小さく肩をすくめる。
(【
などと思っていると――
「いかん!」
リヴェリアが小さく悲鳴を上げた。
ミノタウロスの一撃で、少年が手にした剣が
「……どうかな」
一方、オッタルは小さく笑った。
確かに。残った剣を投擲し強引に隙を生み出しては、少年はさらに果敢に挑みかかっていく。
……ティオネではないけど、彼は本当にLv.1なのだろうか。
あの速さはすでにLv.2の域に手を届かせつつある。
もちろん、その度胸も新米のそれではない。
「な――ッ!?」
次に驚愕の声を上げたのは、一体誰だったのか。
アイズか、リヴェリアか、ティオネか、ティオナか、ベートか、オッタルか。
それとも、僕自身だっただろうか。
「【
その
受け取った少年はおそらく自覚していないだろう。
その剣がどこから来たのか。持ち主が誰か。そんな下らない事は、一切意識の範疇にない。
闘志に燃える赤い瞳には、目の前の敵しか映っていなかった。
「ベル様……」
あの少年の相棒らしき
その声すら届きはしないだろう。
彼は今、僕達は言うに及ばず、この子がここにいる事にすら気づいていないだろうから。
「……彼も、なかなか厳しいね」
いや、彼女かもしれないけど。
渡されたその
赤く捻じれているだけのその刀身は錆びているようにも見え、何とも頼りなく感じられる。
もちろん、実際には恐るべき切れ味を誇ることはよく知っている。知っているからこその言葉だ。
「ずいぶんと威力が落ちている」
あの少年の手にある剣に、その切れ味は見る影もない。
もっとも――
「だが、まだ通じている」
それでもまだ、そこいらの数打ちに比べればはるかに上等だ。
「ああ。あのナイフと同じくらいかな」
傷口の様子からして、今の切れ味はおそらく紫紺の輝きを宿すナイフと同程度といったところか。
確かにあれでもミノタウロスを倒し得る可能性は充分にある。
何より――
(あの動き……)
身体能力で圧倒的に劣る少年が、ああまで食い下がれた理由の一端に気づいた。
いや、予想していた。それが、証明されただけにすぎない。
(彼も知っていたのか)
少年が見せるのも、クオンの動きだ。
もちろん、拙い。それだけなら、おそらくミノタウロスの前には意味をなさない。
だが、あのミノタウロスに限れば話は別だ。
手の内を知っている。
その利点が紙一重の攻防を支える『技』と『駆け引き』をさらに一段先へと押し上げている。
攻撃の先読み。本来なら積み重ねた確かな戦闘経験があって初めて可能となるそれを、疑似的にその少年は行っていた。
……もちろん、相手の未熟さにも大いに救われているだろうけど。
「うわっ、下手っくそ……!?」
言うまでもなく、その少年の動きもまた拙い。
一見すれば、武器の重さに振り回されているようだ。
しかし――
「でも、通った……?」
横薙ぎの一撃は、確実にミノタウロスに傷を刻んだ。
そして――
「おい、あれは……!」
跳躍からの一撃。紛れもなく、それはクオンの一撃だった。
威力も動きも全く拙いが、それは間違いない。
(決着か……?)
剣の切れ味にも助けられ、今までで最も深い傷を負わせている。
再び、僅かに仰け反った猛牛。その少年の速さを前にすれば、致命的とも言える動きの停滞。
「うああああああああッ!」
その一瞬を少年が見逃すはずもなく、切っ先が繰り出される――
『ヴヴォオオオォオ――――ッッ!!』
Lv.1なら
少年の加速は止まらず、怪物も攻勢を緩めない。そのまま両者は激突した。
そして――
「が―――ぁ!?」
少年が、打ち負けた。
勝敗を左右したのは、やはり基礎の差。
片やまだLv.1の新人。片や圧倒的な肉体を生まれ持つ怪物。
残酷なまでのその差が、最後の最後で全てを左右した。
だが――
「……よく凌いだ」
少年は、それでもまだ己の敗北を受け入れたわけではなかった。
続くとどめの一撃。
それを、咄嗟に左手から放った爆炎を盾代わりに辛うじて凌いで見せた。
(そろそろ終幕かな)
五Mほども吹き飛ばされ、その先でさらにふらつき、崩れ落ちかけ――それでも剣を杖代わりに辛うじて踏みとどまったその姿を見て、半ばから切断された槍を握りなおす。
これほどに見事な健闘を見せてくれたあの少年を失うのは――いかに他派閥に所属しているとはいえ――あまりに惜しい。
「いや、まだだ」
オッタルの言葉に応じるように、少年の体から火の粉が舞い上がった。
いや、違う。実際に火の粉を放っているのは、手にした
「あれは……ッ!」
何度目かの驚愕。
少年の持つ剣が燃え上がっていた。本来の持ち主の手にあるかのように。
「まさか!?」
この場にいる誰もが――あるいは
あの
槍へ。曲剣へ。杖へ。両刃剣へ。特大剣へ。斧へ。槌へ。弓へ。
持ち主が望んだであろう、あらゆる武器へと。
果たして、その少年の手にあったのは――
再び、炎は消えていた。しかし、剣は今も変化したままだ。
何より――
(火はまだ宿っている……!)
死んでいたはずの刀身は今や蘇り、赤熱を宿していた。小さく火の粉すら舞い上げて。
ほんの一瞬とはいえ、彼はその剣を己のものとしたでも言うのか。
「―――――」
無言のまま座している【
いや、これは歓喜だろうか。
もちろん、文字通りに鉄仮面の怪人物から表情が読み解けるはずもない。
ただ、兜の向こう側で彼は小さく笑っているような――
『ヴォオオオオオオッ!!』
憤怒とも歓喜ともつかぬ雄たけびが、ダンジョンに谺する。
「おおおおおおおおッ!」
それに応じるように、少年もまた咆哮する。
その両手には小剣とナイフ。
そして、最後の激突が始まった。
…――
手にはショートソード――いつどこで回収したんだったか――とナイフ。
何であれ、最も戦い慣れた状態に戻っている。
互いの距離はおよそ五M。どちらかといえば、向こうに有利な距離だろう。
(それなら――)
一気に詰める。
「おおおおおおおおッ!」
敵の咆哮を押しのけるように叫んだ。
そして、激突。
(こんのおおおおおおおっ!)
速度が足りない。もっと速く。
力が足りない。もっと強く。
一撃ごとに加速していく攻防の中、己を鼓舞する。
削ってはいる。確実に削っている。だが、まだそれだけだ。
もっと早く、もっと強く。
その一瞬一瞬に、持ちうる全てを注ぎ込む。
「【ファイアボルト】!!」
再び、嵐のような猛攻からはじき出される――その一瞬前に、雷炎を叩き込む。
攻撃直後の硬直を突かれ、切り払いはおろか防御すらできないままミノタウロスは仰け反った。
だが、それだけ。互いに食い下がる。もはや後退などしない。
「―――ぁあああああッ!」
擦り切れた咆哮とともに再度突貫する。
迎え撃つのは、容赦なく重い一撃。それで動きを止められた。
再び真っ向からの斬りあいが始まる。
だが、足を止めての攻防なら、明らかに僕の方が不利だった。
あっさりと優劣が逆転する。
逸らせ。弾け。受け流せ。まともに受けたらそのまま圧し潰される――
飛び散る火花の中、じりじりと押し退けられながら自分自身に言い聞かせる。
憧憬から教わったその技術のおかげで、今この時まで生き延びてきたのだ。
すべてを託すのに何の不安もありはしない。
だが、
(このまま壁際に追い詰められたなら、確実に終わりだ)
速さを――ベル・クラネルの最大の武器を殺されたなら、もはや勝ち目はない。
(必ず隙ができる。その隙を見逃すな)
そして、壁まであと一Mと言ったところで、ついにその時が来た。
下段からの斬り上げ。その猛牛にとって、僕の体重などあってないようなものだろう。
体が浮く。空中では次の攻撃を避けられない―――
「――――ッ!」
迫る剣に向けて渾身の【発火】。その反動で、強引に飛ぶ。
目指すのは壁。ナイフを突き立て、強引にそこに
反動の残りは、まだ膝にたまっている。
そして――
『ヴォオオオオオオ!』
剣を構えて突進してくる猛牛と目が合うと同時、全ての力を込めて
矢のような加速。交差は一瞬だった。
「――――ッ!」
確かな手ごたえ。会心の一撃だった。
剣で地面を削り、強引に制動をかけながらそれを感じていた。
『ヴヴゥ……』
振り返ると、右肩を大きく切り裂かれた猛牛の姿があった。
あれなら、今まで通りには剣を振れない――いや。
いいや、そんな容易い相手ではない。
現に、コイツをそんなものを無視してこちらに斬りかかってきている。
飛び退こうとする本能を黙らせ、ギリギリまでそれを引き付けて――
「―――ぁ!!」
ついに声すら枯れ果てたか。
額から両断しようとするその大剣を、両手で構えたショートソードで受ける。
傷などものともしない圧倒的な重さに、そのまま圧し潰されそうになった。
力も打たれ強さも――体の性能はあらゆる面で、このミノタウロスが上回っている。
あるいは『技』でもすでに並び立たれているのかもしれない。
だとすれば、頼りになるのは――
(今――!)
――
『ォオォ!?』
全ての力を叩き込まれるその一瞬前に、武器の下から体を逸らし、そして剣を手放す。
虚を突かれた――力を叩き込む先を失ったミノタウロスの巨体がガクンと、大きくつんのめった。
この猛牛は
力押しで攻めることしか知らない。
一週間前、速さを頼りに突っ込むことしかしていなかった僕と同じ。
だからこその隙。だからこその停滞。
その一瞬に、無音の叫びとともにナイフを抜き放ち、その右腕に突き立てた。
グズリ――と、鈍い音ともに骨も筋肉も健もまとめてねじ切り、手首もろともに斬り飛ばす。
『ゴ、ォオオオォォオオオオォォオッ!!』
血飛沫とともに、苦悶の声があたりを震わせた。
それに交じって、大剣が地面に突き立つ音も。
ようやく、相手が武器の一つを失った――と。
大槌と大差ない左の拳を躱しながら、そんな余計な事を一瞬だけ考えていた。
そして、僕に残る武器は再び≪神様のナイフ≫だけ。
『フゥー…。フゥー…』
互いの距離は、再び五Mほど。
失った
頭は低く、代わりに臀部は上にあがる。後ろ脚には、相応の力が蓄えられているだろう。
それは、まさに猛牛の姿。暴力の具現だった。
大剣を失ったミノタウロスは、己に残る最大の武器――その片角に全てを賭けるつもりらしい。
最後の勝負。
その瞬間、互いの意思が確かに混じりあった。
眼光をぶつけ合いながら、しっかりと地面を踏みしめる。
『ヴヴォオオオオオォオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
猛牛が動いた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
――と。果たして、ちゃんと叫べたかどうか。
燃え上がるほどの熱を帯びた背中に押され、迫りくるそれへと真正面から突っ込んだ。
「駄目です、ベル様ぁ!?」
渦巻く疾風の音に混じり、どこかでリリの悲鳴が聞こえたような気がした。
それすら振り切って、最後の加速を行う。
狙うは猛牛――ではなく、その途中に突き立つ大剣。
引っ掴み、跳躍した。再びクオンさんを真似た上空からの一撃。
猛牛もまた、それを迎撃すべく跳躍してくる。
だけど――
(こんなもの――)
どうせ使い慣れない武器だ
(――まともに使う必要は、ない!!)
師匠の真似をしたところで所詮は付け焼刃。
直撃する幸運が二度もあるとは初めから思っちゃいない。
それ以上に、あの時の手ごたえから分かっていた。
例え直撃させたとしても、致命傷にはならないと。その確信があった。
一瞬だけ動きを止めてくれれば、それでいい。
下から突き上げられたその角が大剣を迎え撃つ――より、早く。
再び、武器を手放した。
元より、そのつもりだった。真正面から打ち合えば負ける。
この突進を前に防御など役に立たない。
回避するにも限界があった。確実に、相手より先に僕が力尽きる。
なら、残された方法はただ一つ。
この攻防で決着をつける。そのための隙を作りだすしかない。
悪手なのは分かっていた。同じハッタリを二度も使うのだから。
だが、勝算もあった。この加速力なら、分かっていても対応が遅れるだろうと。
互いの手札を探り、勝敗の間で揺れる天秤を見定める。
これがおそらくは『駆け引き』というものなのだろう。
弾き飛ばされる大剣を置き去りに、体は地面へと激突していた。
同時、激痛が横腹に走る。避け切れなかった。
致命傷じゃない。けど、決して無視できるほど浅い傷でもない。
今の交差で勝敗が決まっていてもおかしくなかった。
――と、そんな余計なことを考えている暇などない。
(これが――)
でたらめな着地からの強引な跳躍。最後の加速。
(―――最後の勝負だッ!!)
酷使し続けている膝が。引き裂かれた横腹が。体中が悲鳴を上げたが、そんなものは後回しだ。
深手を負ったこの体では、今までのようにはもう動けない。
死神の鎌はすでに首筋にかかっている。
この一撃に全てを賭けなくては。
そう。これは、初めから分かっていたことだ。
ミノタウロスの最後の武器がその
その切り札が完全に失われる前に、中空にあってがら空きの胴体へと再度突撃した。
ナイフが猛牛の体に滑り込む――
『ヴォオオオオオオッ!』
――が、相手の加速分だけ、
だが、もう関係ない。これ以上の勝機は、用意できない。
あらゆる力を注ぎ込んで、ナイフを握りしめる。決して、手放さないように。
地面に激突し、さらに荒れ狂う猛牛に半ば縋りつき――その瞬間、枯れ果てたはずの声が戻る。
「ファイアボルト!」
その号砲のためにだけに。
ナイフを伝った雷炎が、ミノタウロスの体内で炸裂した。
だが、まだ足りない。
振り払うことを諦めた猛牛の肘鉄がすぐそこに迫っているのが、視線を向けてもいないのにはっきりと見えた。
「ファイアボルトッ!!」
そのあがきを無視して――いや、ねじ伏せるためにさらに叫ぶ。
焼け焦げたミノタウロスの咆哮が鼓膜を揺さぶる。
それでも、死の気配はすぐそこまで近づいていた。
頭髪の先端に
「ファイアボルトオオオオオオオオオオッ!!」
あらゆるものを、その
爆炎が視界を覆った。炎に包まれている。あるいは、吹き飛ばされたのか。
今、自分が一体どんな姿勢なのかすら分からない。
『―――――――ォ!!』
そんな中で、猛牛の断末魔の叫びに叱咤されるようにして地面――だと思う場所――に、爪を立て、最後の力で体を引きずり起こす。
もし、僕が勝者なら自分の足で立たなくては――と、それが最後の意地だった。
「ひゅー…、ひゅー…」
今度こそ枯れ果てた喉が奇妙な音を立てている。
朦朧とする意識の中で、確かに見た。
消し飛んだ上半身と、話に聞く火山のようになった猛牛の下半身を。
燃えながら降り注ぐ血肉の雨の中で、その屈強な下半身がぐらりと揺らぎ、崩れ落ちた。
そして、もう動かない。
(勝った……)
吹き飛ばされていた巨大な魔石が、薄暗いダンジョンの空で煌めいている。
それに手を伸ばそうとして――僕は意識を手放していた。
…――
「勝ち、やがった……」
呆然と、ベートが呟く。
その少年は、文句なく勝者だった。
最後まで生き残り、傷ついた体で立ち上がり、そして今もまだ自らの足で立っている。
「……
「た、立ったまま気絶しちゃってる……」
……意識すら失ってなお。
「見事だ」
いつになく感情の宿った声でオッタルが呟いた。
「それは、どっちに言っているんだい?」
あの少年か。それとも、あの猛牛か。
「さぁな」
それは、本人にも分からなかったのかもしれない。
「それはそうと、ちょっとマズい相手に手を出したんじゃないかな?」
クオンの関係者らしいと伝えてやる。
あの少年がまだ生きているからまだ良いものの、下手をすれば本当に【イシュタル・ファミリア】の後を追う羽目になりかねない。
「そうらしいな」
まぁ、あの動きを見れば教えるまでもなく察していただろうけど。
「急ぎ、地上に戻るとしよう」
あのミノタウロスが携えていた大剣を拾い上げ、オッタルは立ち去っていった。
……それが、諸々の疑問に対する何よりの答えだろう。
「おい、まだかよ!」
「待て、もう少しで読み終わ――」
オッタルの背中が見えなくなる頃には、ベートにせっつかれたリヴェリアが、少年の【ステイタス】を読み解いていた。
そして――
「……くっ、ふふ、はははっ」
珍しいことに、彼女が声をあげて笑い始めた。
一体、どんなことが書かれていたのやら。
悪態をつくベートに、リヴェリアが応じるより先に、同じく
「オールS」
「あぁ?」
「全アビリティ、オールS」
「……何だと?」
流石に驚いた。いや、さっきから驚きっぱなしだけど。
これでも結構長い事冒険者をやっているけどオールSなんて初めて聞く。
「名前は?」
これで無名だというのだから――まったく、どこから驚けばいいのやら。
正直なところ、そういう規格外は一人いれば充分なんだけど。
(ああいや、これは……)
先ほど、ちらりと脳裏に浮かんだ可能性。
それが、いよいよ現実味を帯びてきていた。
「彼の名前は?」
「知らねぇ……。聞いていない……」
まぁ、確かに聞く機会もなかっただろう。
となると、頼りの綱は【ステイタス】を読み解けるリヴェリアなんだけど……。
「楽しそうなところ悪いんだけど、もう一仕事お願いできるかな?」
まだ笑っているリヴェリアに、改めて問いかけた。
「ああ、すまない。……それで、何だったか?」
よっぽどツボに入ったのか。
目尻に浮かんだ涙を拭いながら、リヴェリアが言った。
「彼の
「ああ、分かった。少し待て――」
と、リヴェリアが読み解くより先に、
「ベル」
アイズが、告げた。
「ベル・クラネル」
あるいは、恐るべき
…――
「全アビリティ、オールS」
それは、嘘だった。
Sなのは、耐久アビリティだけ。
……そう。一週間の訓練の中で、私が
それ以外は、
(一体、どうやって……?)
改めて突き付けられた、異常な成長。
(その理由を知ることができたなら、私も――)
もっと強くなれる――と、その囁きがすべてを支配する。
再び力尽き、すぐそばに倒れている
大きく裂けた
隠されている魔力アビリティから下。そこに記されている『スキル』を――
「――止せ。これ以上は道理に合わん」
――読み取ろうとしたその手を、リヴェリアが止めた。
リヴェリアの翡翠色の瞳に見つめられ、奇妙な興奮が静まっていく。
「ごめん……」
それは、誰に向けられるべき言葉だったのか。
いくつも入り乱れる感情を持て余し項垂れていると、ガシャリ――と、鎧が軋む音がした。
咄嗟に視線を向けると【
本来の持ち主の手に戻った途端、その刀身はたちまち炎に包まれ
「――――ッ!」
今さらになってその怪人物が己の得物を携えていることに危機感を覚えた。
せめて意識のないベル達だけでも守らなくては――と、知らず鞘に納めていた≪デスペレート≫に手をかける。
でも――
「――――」
そもそも、その怪人物は私たちなど見ていなかった。
素顔のかけらも見えないその兜の向こう側。その視線は、ベルに向けられている。
そして、
「えっ?」
あっさりと、【
そして、そのまま立ち去る。
いや――
「ッ!?」
途中で立ち止まり、何かを拾い上げてから、それを放って寄越した。
咄嗟に切り払わなかったのは奇跡に近い。
「これ、ベルの……」
鞘に納められていたそれは、ベルが本来使う――初めて出会ったあの日、私たちが逃がしたミノタウロスに突き立てていた
そちらに気をとられている隙に、今度こそ【
「……結局、あいつは何しに来たのかしら?」
その足音すら完全に聞こえなくなったところで、ティオネが呟く。
「さぁ。彼の戦いを見に来たんじゃないかな」
「まさか。それは、Lv.1とは思えない戦いでしたけど……」
とはいえ、ティオネも途中で曖昧に言葉を濁した。
そんな事も、あるのかもしれない――
ベルの戦いは、そう思わせるだけの何かがあった。
もちろん、私たちの方がもっとうまく戦える。それは、間違いない。
でも、確かにあの戦いは――ベルの姿は、今もこの胸を焦がしていた。
全てを賭けた死闘。すべてを出し切り――そして、限界すら超えてみせた姿。
そう。おそらく、きっと、あれは――
(英雄譚の、一頁)
私達が忘れ去ってきたもの。
遠い昔から神々が愛し、見守ってきた【
少なくとも。
私は、もう二度と忘れる事はないだろう。
――ベル・クラネル
あらゆる万感と、過去の憧憬が胸を満たす。
父の背中すら思い出させたその少年――産声を上げた『冒険者』……あるいは、その先。『英雄』へと名乗りを上げた彼の名前を。
4
「――はぁ……」
あの子の死闘――最初の『冒険』を見届けてから数時間。
今もまだ、その余韻が体を火照らせていた。
お気に入りの銘柄の
まさか、あれほどとは。
あれほどに光り輝きながら、それでもまだ穢れを知らない。
澄み渡った透明。真っ白な炎。
純粋な願望。抱きしめたくなるほどに愚直な想い。
あれこそが、人のうちにある――あの子のうちに芽吹いた可能性。
「ふふ……っ」
思わず、笑みがこぼれた。とても堪えきれない。
あの子の輝きを見れただけでも満足だというのに。
ああ、それだけで天に還るほどの恍惚を感じたというのに。
まだ他にも、ここまで胸を高鳴らせるものが見られるなんて。
(そう。そういうことなのかしら……?)
四年前に答えを得られなかった
その正体に、指先が触れた確信がある。
まだ分からない。まだ全容は見えてこない。ただ、最も重要な欠片は手に入れた。
(ああ、困ってしまうわね……)
興奮が抑えきれない。
高鳴る胸の鼓動は、いつか限界を超えて止まってしまいそうなほどだ。
(【
神々でも見通せない謎の存在。その名前を――仮初の呼び名を呟く。
何故、今さらになって姿を見せたのか。
何故、あの場所に姿を見せたのか。
(ええ、そうよ。そうなのでしょう?)
彼は、ただ探していたのだ。この五年間、ずっと。
自らと並び立つもの。あるいは後継者を。
それとも――
(貴方すら超えていくもの、かしら)
ああ、なんて幸運。まさに今、
その時に、その中心にいるかもしれないこの子の最初の一頁をこの目で見られたのだから。
「ああ、でも……」
少し控えめにした方がいいかしら――と、胸中で呟く。
何しろ、あの子は彼も目をかけている。
あまり意地悪をすると――
(イシュタルと同じ目に合っちゃうかしらね)
この先を見られないというのはとてもつまらない。
だから、少し。そう、少しだけ我慢しなくては。
「できるかしらね?」
これほどの興奮を知ってしまったというのに。
(ふふっ。オッタルもあんなにはしゃいじゃって)
可愛いわね――と、小さく呟く。
数年ほどの前から、オッタルにも荒々しさが戻っていた。
それでいて、揺るぎない巌のような落ち着きもそのまま。
いや、完全に凪いだ水面のような静けさと言うべきか。
(どんな秘密の相手と出会ったのかしらね?)
少し妬けるけれど……暴き立てるような野暮な真似はしない。
「ああ、本当に困ってしまうわね」
目移りしてしまいそう――と、小さく呟く。
何かが動き出していた。それはきっと、
その嵐の中で、彼らの魂はきっと誰よりも強く輝く。
(ああ、本当に……)
その時を想像するだけで、体の芯から火照るほどだった。
…――
ダンジョン一八階層――リヴェラの街均衡。
第二班との合流地点に、鎚の音が鳴り響く。
「ええい! おぬしの、武器は! そもそも、手前どもが、打ったものでは、ないと、いうのにッ!」
「本当にすまない」
一見すると苛立ち混じりに――しかし、実際には常と変わらぬ見事な鎚さばきで――錬鉄していく椿の傍らで、粛々と反省の姿勢を見せる。
本来の予定であれば、合流が済み次第素通りする予定の場所だったが、ダンジョンに入って早々に発生した『
(いや、むしろ『上層』でよかった……)
あの少年――ベル・クラネルとその相棒を抱きかかえ、バベルの治療室へと向かったリヴェリアとアイズに、ついでに両断された槍を直すための素材の手配を頼み……それから居残り班の精鋭が、必要なもの集めて届けてくれたのは少し前のこと。
今は即席の鍛冶場で、オッタルに両断された愛槍が元の形へと戻っていくのを見守っているところだった。一八階層を過ぎてからでは、こんな真似はできない。
もちろん、前回の経験から武器の破損は想定内だ。
それを見越してある程度の素材は持ち込んでいるので、安全さえ確保できれば修理は可能だ。
ただ、こうして消費分を補給する事はできない。物資管理が重要となる遠征において、消費分を補えただけでもありがたい。
……ちなみに、これは完全な余談だけど。
僕の槍――≪ファルティア・スピア≫は【ゴブニュ・ファミリア】製だった。
市場規模で見るならともかく、質で見るなら間違いなく椿たち【ヘファイストス・ファミリア】と並び立つ鍛冶系派閥である。
「見ておれ! 従来より、もっと、良いものに、して、やる、から、の!」
研ぎ直しだけならともかく、ほぼ打ち直しとなれば、流石に思う事もあるだろう。
「期待しているよ」
とはいえ。
先ほどの椿の言葉は、果たして本当に僕に向けたものだったのか。
「――――――」
そうこうしているうちに、椿は己の作業へと没入していく。
無我の境地。
こうなっては、僕はおろかモンスターの接近すら気に留めないだろう。
ただひたすらに神域へ迫らんとするこの姿に畏怖し、モンスターも近づいてこないかもしれない。
……もちろん、そんな夢想を確かめる気はないし、そもそも周囲には僕達【ロキ・ファミリア】が展開しているわけだから、近づけさせるはずもないけど。
「まったく……。おぬしが『上層』で武器を失うなど、一体何があったというのだ?」
それから、しばらくして。
僕の手に最も合うように最後の微調整をする最中に、彼女が言う。
「いや、実はオッタルに絡まれてね」
向こうにしてみれば、僕らが突っかかってきたんだろうけど――とは思うが、あえて言う事もない。
「ほう? 【
「いや、アイズたちも参戦していたよ」
「それはますます惜しい」
四年前に起こったという、例の一騎打ちを思わせるな!――と、剛毅な
「本当に見逃して惜しかったのは、その後の戦いだったのかもね」
もちろん、僕たちにとってはずっと次元の低い闘争だった。
それでも、彼の死闘は――その『冒険』と、成し遂げられた『偉業』は、まだ胸を高鳴らせている。
「ほう? 『上層』でそれほどの戦いとは……。あやつらが殺気立っておるのも、そのせいか?」
椿の視線の先にいるティオネたちも、それは同じということだ。
「まぁ、そんなところだよ」
あの戦いの意味は何だったのだろう。
いや、あの少年――ベル・クラネル自身にとっては、おそらく最初の『冒険』だ。それ以外の何物でもないのは、もちろん分かっている。
どこまでも純粋だったからこそ、僕達は見入っていたのだから。
だが――
(【
クオンとの一騎打ちからおよそ三年間の沈黙を破り、何故今さら姿を見せたのか。
あの一戦を見定めに来た――と、するなら、あの死闘にはどんな意味があったのか。
分からない。分からないが――
(ベル・クラネルは『何か』を証明した)
あの炎に焼かれないという史上二人目の偉業を成し遂げた。
例えほんの一瞬とはいえその
彼自身も全く知らないところで、何かが動き出している。
その手ごたえがあった。
(これは、いよいよ可能性が高まってきたな)
知人の孫――と、その報告を受けた刹那。
彼が、クオンの剣技を真似た時。
ほんのわずかに脳裏に掠めたもの。
(彼こそが――)
「仕上がったぞ。ほれ」
最後の一研ぎを終えた椿が、蘇った愛槍を差し出してくる。
受け取るついでに、ひとまず結論は先送りにした。
僕もまだ熱にあてられている。結論を下すのは、もう少し頭が冷めてからだ。
ただ、いずれにしても――
(恐ろしい競争相手が名乗りを上げてきたのは間違いなさそうかな)
彼がこのまま無名で終わるという事はもうあり得ない。
最短なら、あと三日後。
まさかとは思うけど……ひょっとしたら、その日の夕方には、彼の名はオラリオに響き渡っているのかもしれない。
(遠征を成功させなくてはならない理由がひとつ増えたかもね)
もっとも、失敗に終わるなどとは考えていない。
アイズのランクアップの興奮冷めやらぬところに、あの一戦だ。それも当然だろう。
ここまで士気が高まったのは【ロキ・ファミリア】の歴史を振り返っても、そうある事ではない。
これで届かないなら、あらゆる編成を一から見直さなくてはならない――と。
真剣にそう思うほどなのだから。
(ベル・クラネル、か……)
槍の具合を確かめながら、改めてその名前を胸中で呟いていた。
…――
――やぁ、君。いい子を見つけたものだ
――確かに見事な戦ぶりであった。だが、あのような童にまで重き荷を背負わせるなど……
――所詮は呪いのようなもの。その『火』を継いでしまったなら、苦難からは逃れられない……
――そう、悲観したものでもあるまい。なぁ、■■■■■■■よ
――そう、だな。彼は私たちとも、また違うのかもしれない。だが――
――と。
王たちの驚嘆とも賞賛とも呪詛ともつかぬ声が次々に浮かんでは消える。
それもまた、仕方がない。
彼らを飲み込んだ欺瞞に満ちた巡礼の旅。その始まりに、確実にかかわっているのだから。
再び繰り返しているだけだと――そう、罵られたとして反論できようはずがない。
だが――
――どうかな。あいつが俺たちと同じ末路を辿ると決まったわけじゃない
それでも、告げていた。
――神の枷とは存外簡単に壊れるものらしい
遥か昔――『火の時代』から続く『火の封』はともかく、新たに加えられた炉の女神の枷を、あいつはあっさりと越えて見せた。
馬鹿みたいな思いの丈。人の力一つで。
ならば。あるいは――
――貴公の言葉となれば、流石に説得力があるな
――ああ。神の枷、『火の封』が『闇のソウル』を、ひいては不死を封じるものだとするなら……
――この男の枷は意味をなしていない、か
――呪いすら飲み干す闇とは……。神が恐れたというのも分からないではない
……少し待ってほしい。
流石に、散々に殺してくれたお前達に化け物扱いされる謂れなどない。
そもそも、死んでも死ねないのが俺たち不死人だろう。
――その際限のなさは真似できないとも。私達でもね
他の王たちが沈黙する中、彼が笑った。
――お前までそんな事を言うのか
思わず嘆息していた。
恨みつらみをぶつけられる事なら覚悟していたが……これでは何だか揶揄われた気分だ。
――あの少年なら、君の真似ができると?
――さぁな。そもそも、真似をさせてどうする
真似して欲しいなら、あの少年をあてにする理由などない。
自ら赴けばいいだけの話なのだから。
今までそうしてきたように。
――願わくは、その先へ
火でも闇でもない新たな時代。まだ、誰も知らないその時代。
もし、それが訪れるなら、俺達が遺したものにも何か意味があるのではないだろうか。
「――――ッ」
久方ぶりに、鈍い頭痛のような眩暈を覚えていた。
「どうかしたかい?」
「……いや、何でもない」
軽く頭を振りながら、アイシャの言葉に応じる。
何だか呪詛のような……もしくは、どうしようもない馬鹿話を聞いたような。
例によって記憶は曖昧だ。
まぁ、白昼夢をまともに覚えていろという方が無理がある。
だが、それでも――
「やったな、ベル」
胸に残るその感慨を、小さく言葉にしていた。
…――
それは、もう思い出せない記憶の欠片だった。
一番古く、一番思い焦がれた、いつかの願望。
『格好良かったぞ、ベル』
ゴブリンを蹴散らしたその老人は、その子供に大きな笑みを浮かべた。
――僕は、貴方のようになりたいです
――僕のことを助けてくれた、貴方のような強い人になりたいです
――貴方のような、僕だけの英雄になりたいです
夢の中の
それが、はじまりの願望。
『小さい小さい。儂なんか目標にするくらいなら、もっとでかいものを目指せ』
それが、すべての始まり。
『男なら、女の尻を追いかけろ。男なら
透いた瞳で、その人が言う。
『惚れた女子たちのためなら、英雄だろうが、何だろうがなれる。何だってできる』
始まりの夢。それが、終わる。
黄金の光景と、鮮やかな夕日が遠のいていく。
その中で。遠のく光の奥で、
『何せ、お前は儂の自慢の孫だからな』
その人は、最後にその言葉を口にしてくれた。
…――
「……色々と、言わなきゃいけない事があったはずなんだけどなぁ」
夜の帳の降りた治療室で、小さく呟く。
今、この部屋にいるのはボクら三人だけ。
(サポーター君の方が大変だった……)
あのエルフ君の魔法がよっぽどよく効いたのか、意識を取り戻したはいいけど……。
(まぁ、結構深い傷だったみたいだしね)
記憶が錯乱していてもおかしくないほどに。
実際、抱えてきてくれたエルフ君が
そこから抜け出せるまで、あのエルフ君が根気良く付き合ってくれて本当に助かった。
今は魔法と薬と安堵とでぐっすり眠っている。
もちろん、激戦を終えたベル君も。
「何の夢を見ているんだい?」
ベル君の顔は、ただただ穏やかだった。
ただ、その目じりから一すじの涙滴が伝っている。
激闘の末に勝利をつかんだたった一人の眷属。今も深く眠ったままのその姿に、改めて万感の思いが胸を満たしていく。
周りを何度も見まわし、隣の
「頑張ったね。……おめでとう」
白い前髪を静かにかき上げ、その額にそっと唇を落とした。
少し固いその感触に、かぁ――と、頬が熱くなる。
「……これで、一頁目だ」
言いたいことは、いくらでもある。目が覚めたら、きっとお説教だ。
でも、今は。今だけは。
少年の背に刻まれているであろう新たな――もっとも新しい英雄譚。
その始まりに、ありったけの祝福を贈ろう。
―お知らせ―
お気に入り登録していただいた方、感想を送ってくださった方、ありがとうございます。
次回更新は18/11中旬を予定しています。
18/10/28:一部改訂・加筆・誤字脱字修正
18/11/20:誤字修正
―あとがき―
何だか恒例になりつつある気配がしますが、まずは謝罪から。
すみません。ちょっと諸事情ありまして遅くなりました。
続きまして感謝を。
ついにお気に入り件数が300を超えました!
皆様ありがとうございます!!
さて、今回は予告通り強化大成功ベル君VS強化極大成功ミノタウロスの一本勝負です。
なんと全編通してほぼ戦闘シーンという…。
書くのは楽しかったですが、いつもよりかなり疲れました…。
もちろん、オッタルVSロキ・ファミリアの頂上決戦にも触れています。原作よりちょっとパワフルでワイルドなオッタルさんですが…本作ではまだ彼自身も挑戦者だからという事でひとつ。
それと、主人公とアイシャさんの関係にもちょっと触れています。
詳しい話はまた後々触れる予定ですが、関係の始まりについては大体こんな感じです。
アイシャさんがヒロインの一人である理由に少しでも説得力が出てきているといいのですが…
そして、ベル君最初の冒険です。
今回最大の見せ場――と、そのつもりで書いているのですが、いかがだったでしょうか。
大きな流れとしては原作に沿っていますが、その中に本作のオリジナリティが出せていればいいのですが…。
殻を破る最初の冒険であり、ランクアップの資格を得るに値する戦いだったと思っていただけたら幸いです。
と、そんなわけで今回はここまで。
次は第一部のエピローグとなります。
次回更新からは第二部へと移り変わります。
これからもお付き合いのほどお願いいたします。
また、返信が遅くて恐縮ですが、感想など頂けましたら幸いです。