SOUL REGALIA   作:秋水

30 / 36
※20/02/23現在、仮公開中。
大幅な変更、改訂を行う可能性があります。


第二節 深淵を覗く時――…

 

 

 一六階層でヘスティア……もとい、ヘスとティアとその仲間たちを拾ってからしばらく。

「さて、あちらに見えますが一七階層の名所。『嘆きの絶壁』となります」

 俺達は一八階層へと通じる連結路前……正確にはそれよりもう一つ前までたどり着いていた。

 迷子の捜索もかねていつもより余計に回り道をしてきたせいで、想定より少し遅くなったが……。

「えっ、名所?」

「絶壁って……。ロキの奴、こんなところで何してるんだい?」

 適当なことを言いつつ進路先を示すと、霞とヘス――いや、ティアだったか?――が、ひょこんと覗き込んで――

「ほああぁあぁああっ!? ロキの癖に何かでっかいぞぉぉぉおぉおおおおっっ!?」

 ティアが絶叫するので、その口を塞ぎつつ、霞を連れて通路の陰に引っ込んだ。

 気づかれたら流石に少し面倒なことになる。

「あれが階層主ってやつなの? 本当にでっかいわねぇ……」

「ああ。やはり、ゴライアスはもう産出されていたか」

 霞の問いかけに、シャクティが少しだけ肩をすくめた。

 別に遠回りしたせいだとは思わないが……。いずれにせよ、面倒なことに変わりはない。

 何故だかいつもより豪快にベチベチと腕を叩いてくるティア――と、いう事にしておこう――を抱えながらぼやいていた。

「まぁ、ベル達が素通りできていれば、この際それでいいか」

 通行人が来ないせいか、大人しくしている灰色巨人(ゴライアス)の足とも辺りを見ながら、肩をすくめる。

「ところで、クオン。そろそろ手を放してやれ」

「うん?」

 シャクティの言葉に、よく分からないまま両手を放す。

 当然ながら、ヘスだかティアだかはそのまま地面に落ちるわけだが――…

「鼻まで塞ぐなぁ! あと、両手とも離すなぁ!?」

 意外と元気そうに顔を上げ、そのまま叫んで見せた。

「あ~…。悪い」

 いかん。一山超えたことで、少しばかり気が抜けているのかもしれない。

 場合によっては一八階層こそが本番だというのに。

「それと、『嘆きの絶壁』ではない。『嘆きの大壁』だ」

「……いや、それは別にどっちでもいいだろ?」

 どちらにしても、大して変わらないだろうに。

「前回討伐したのは、おそらく【ロキ・ファミリア】だと思いますが……」

 何故だかため息を吐いてから、リュー……もとい、ヘスが呟く。

「ああ。次産期間(インターバル)は二週間。順当に考えれば、今日だな」

 シャクティが頷いてから、小さく呟いた。

「産出されているのは仕方がないとして、彼らは間に合ったのか……」

「とりあえず、ベル達らしき死体は落ちていない」

 遠眼鏡を使って見回すが、それらしいものはない。

 骨が欠片も残さず貪られ、血痕まで消え失せるほどの時間差があるとは思えない。

 大体、ヘスティアが平然としているのだ。ベルの生存はまず間違いなかった。

「確かにLv.2なら強引に突破できる可能性もあるが……」

「あのベルに、リリルカ達を置いていけるほどの度胸があるとは思えないな」

「ええ。私もそう思います」

「当然だろ!」

 シャクティの言葉に肩をすくめると、ヘスとティア(リューとヘスティア)までが頷いた。

「となると、三人とも突破したか。大したものだ」

「うむ。やはり、人の噂というのは当てにならんものだな」

 シャクティの言葉に、ソラールまでが感心したように頷く。

「噂?」

「一ヶ月半でランクアップって前代未聞でしょ。だから、何かインチキしたんじゃないかって噂があるのよ」

 首を傾げると、霞が呆れたように言った。

「あいつがそんな器用な真似できるとは思えないがな」

 特に、俺が思いつく()()()()を実行できるとはとても思えない。

 大体、あれはあくまで一時的なものだ。どうせすぐにバレる。

 今ではウラノス(ギルドのボス)の知るところでもある訳だし。

「あまり気にすることはありません。名を挙げた冒険者の宿命のようなものです」

「そうだな。……だが、正直に言えば疑う気持ちも分からないではない。同じ冒険者としてはな」

「ま、よりによって一ヶ月半だからね。私も思わず目を疑ったよ」

「そういうものか」

 リュー達の言葉に、まとめて頷いておく。

 今まで次から次に現れる格上の化け物どもと殺し合い、転げ落ちるようにソウルの力を高めてきたせいか、正直あまりピンとこないが……。

「それにしても、あれが階層主ですか……」

「凄い威圧感……」

 黒髪を結った娘と目元を隠した娘……確か、命と千草と言ったか。

 見事に気配を断ちながら、通路の先を眺めていた三人のうちの二人が、畏怖すら宿った声を上げた。

 確かに、このダンジョンにおける最初の尋常ならざる敵だ。

 圧倒されても何ら不思議ではない。

 見たところ、まだ新人のようだし……何より、生者だ。

 俺達のように、死んだら篝火からやり直せばいいとはいかない。

 強敵を前に、慎重になるのはむしろ必然だ。

「どうするつもりだ?」

 ヘスティア一行の中で唯一の男――確か桜花と呼ばれていたか。

 彼が険しい面持ちで問いかけてくる。

「見ての通り一本道だからな。ここを突破しないことには一八階層に到達できない」

 わき道を作ろうにも、この大穴は勝手に塞がっていく。

 ……まず間違いなく、どこかに抜け道があるはずだが、生憎と場所が分からない。

 現時点では、是が非でもここを突破するしかないわけだ。

「その娘たちを守りながら駆け抜けるというのは、少々危険ではないか?」

 霞たちを見ながら、カルラが言う。

 同意見だった。常人と変わらないヘスティアの体力を考慮すれば、全力で広間を駆けるのは少なからぬ危険を伴う。

 この場所を安全に進もうと思うなら……

「やはり倒すしかないか」

「ああ。その方が安全だろう」

 少し面倒だが、仕方がない。

 肩をすくめると、ソラールが頷いた。

「……階層主と戦うのか? この人数で」

「いや、流石に全員で突っ込む気はない。背後から『深淵種』に襲われては面倒だからな」

 折角、これだけ人数がいるのだ。ここは役割分担をしておきたい。

 その方が、お互いに楽ができるはずだ。

「そいつが言いたいのは、そういう事じゃないと思うけどねぇ……」

 何故だかアイシャが肩をすくめてから、

「具体的には、どうするつもりだい?」

 ふむ――と、小さく唸る。

 先ほど、眼晶(オルクス)経由でフェルズから連絡があったが、どうやらギルドが『保護』していた冒険者の中にリヴィラの住民が複数混ざっていたらしい。

 何でも、引き留めるギルド職員に食って掛かり、興奮状態――つまり、『要警戒』と判断され、今まで隔離されていたそうだ。

(あの街の連中は、基本的に柄と口が悪いからな)

 ……いや、オラリオの冒険者も大差ないような気もするが。

 何であれ、緊急時だ。ギルド職員もいちいち相手にしきれなかったのだろう。

 それはともかくとして。

 彼らの証言からするとリヴィラの街そのものが『深淵』の影響を受けているわけではなさそうだ。

 正直、その情報はもっと早く欲しかったが……まぁ、今さら言っても仕方がない。

 ベル達がいるなら、まったくの無駄足という訳でもない。

 ただ、問題は……

(あの小人どもがまだいるなら……)

 包囲網を敷き、上から来る何かを待ち構えているとみていい。

 ……いや、正直に言えばここまでの道中で遭遇しなかったのが不思議なくらいだが。

(ベル達をどういう扱いにしているかだな)

 生きてはいるだろう。それは間違いない。

 だが、どんな待遇を受けているかは不明だ。

 最悪は実力で奪還する必要が出てくるかもしれない。

 もっとも、こちらにもシャクティが……何より主神たるヘスティアがいるので、いきなり敵対することにはまずならないとは思うが……。

 ……いや、状況次第ではヘスティアの号令の下で開戦する可能性もあるか。

「ここは短期決戦だな」

 しかし、今の時点で優先して警戒するのはやはり背後だ。

 霞とヘスティアがいる以上、対応が僅かに遅れただけでも致命的なことになりかねない。

「アイシャ、シャクティ。リュ……ええと、ヘス。あと、そっちの三人も。悪いが、背中は任せた」

 正確には、霞とヘスティアを任せたい。

「え? 覆面君の方がお姉さんなのかい?」

 どこからか聞こえてきたそんな問いかけを、どこへとでも聞き流してから、

「お前はどうする? あれは一応、ここまでの間では一番まともなソウルの持ち主だが……」

 もし残るなら、代わりにアイシャかシャクティを連れて行こうか。

 そんなことを思いながら、問いかけた。

「あーうー…」

 その不死人――確かアンジェとか呼ばれていたか――ではなく。

 彼女に視線を向けられたヘスティアがしばらく呻いてから。

「無理しちゃダメだぜ?」

「承知いたしました」

 どうやら、決まったようだ。

「ソラール。カルラ。お前達もそれでいいか?」

「ああ、任せておけ!」

「仕方がない。もう少し体をほぐすとしようか」

「よし。なら、手早く済ませよう」

 素早く、しかし音をたてぬように通路を移動する。

「ほ、本当に四人で行くおつもりなのですか?!」

「落ち着け、【絶†影】」

「ええ。それよりも、覚悟を決めておいた方が良いかと……」

「あの……。覚悟って、どういうことですか?」

「下手すると心を折られかねないってことさ。『灰色の悪夢(アッシュ・オブ・シンダー)』って呼び名は伊達じゃないよ」

 ……何だか、後ろで酷いことを言われている気がしてならないが。

 何でわざわざ同行者の心を折らなければならないのか。

 大体、道中の動きからして、その三人の方が俺よりもずっと才能に溢れているだろうに。

「三分もあればなんとかなるだろう」

 何となく釈然としないまま、ゴライアスを見やる。

「おや、ずいぶんと大人しいことを言うようになった。やっと落ち着きというものを身に付けたか?」

 クスクスとカルラが喉を鳴らす。

「なら、一分で片を付けてやる」

 大体、ソラールとカルラがいるのだ。

 気合を入れていかないと、センの古城のアイアンゴーレムと同じように、ほとんど見ているだけで終わりかねない。

 普段ならそれでもいいが……今は後ろに霞とアイシャがいる。

 流石に、あまりみっともない真似はしたくなかった。

 シャラゴアには笑われそうだが……幸か不幸か、まだ見栄という感情も少しくらいは残っている。

「ウワッハハハッ! それでこそ我が友だ!」

 いつも通り快活に笑いながら、ソラールがタリスマンを握りしめる。

「やれやれ、余計なことを言ってしまったかな」

 苦笑しながら、カルラが杖を構え――

「これが巡礼者か。豪気なことだ」

 最後の同胞……アンジェもまた、タリスマンを握りしめた。

「どうせなら、魔術師も欲しかったな」

 手に『火』を宿しながら、肩をすくめる。

「うん?」

 まだ闇術という言葉がなかった時代のソラールが首を傾げ、

「ああ、なるほど。確かに」

 そして、カルラが小さく笑った。

 まぁ、ロスリックでも闇術という言葉は忘れられていたのだ。

 すべての系統が揃っていると言ってもいいか。

「奇襲を仕掛けて、そのまま押し切る。いいな?」

「もちろんだ」

 我らが姫君……イザリスの娘らから下賜された混沌の炎。

 かつて古竜を討ち、『霧の時代』に太陽の光をもたらした雷。

 黄金の魔術の国の最後の遺産。名も知れぬ小人が見出した闇。

(これはまた、随分と珍しい奇跡を使う)

 そして、かつて神々の時代を偲んだ者たちが用いた光輪が開戦を告げる烽火となった。

 

 …――

 

「うわぁ……。でっかいロキがもうボロボロになってる……」

 神ヘスティアが目を丸くして言う。

 ……いえ、相手は神ロキではなく階層主(ゴライアス)ですが。

「相変わらず容赦というものを知らない男だ」

「ええ。ですが、相手は階層主です。手加減は無用かと」

「それに、アイツだって手加減くらいはできるわよ?」

「そうなのかい? ……いや、できなきゃ剣闘士なんてやってられないか」

 一方で、【象神の杖(アンクーシャ)】たちは周囲を警戒しながら、ため息交じりに言いあっている。

「な、なるほど……。これは、覚悟が……」

「いる、かも……」

「そうだな……」

 俺達はといえば……もはや言葉もなく立ち尽くすしかなかった。

 あれほどの威容。あれほどに圧倒的な存在感を放っていた階層主が今や片膝をつき、瀕死の有様だ。

 もちろん、ゴライアスは冒険者たちが最初に経験する階層主である。

 二週間前にも、おそらくは【ロキ・ファミリア】たちが討滅していったはずだ。

 とはいえ――…

(戦闘の展開が早すぎる)

 いや、オラリオに名を馳せるかの英傑たちならば、やはりこれほど早く追い詰められるのかもしれない。

 しかし……少なくとも【正体不明(イレギュラー)】はギルド公認のLv.0だ。

 他の二人は分からないが、アンジェという女騎士はおそらくLv.1。

(これは確かに、心が折られかねんな)

 彼我の力量差を思い知るばかりだ。

 無論、俺はまだLv.2。武神たるタケミカヅチ様どころか、オラリオ最強のLv.7にすら遠く及ばない身だ。

 我が身の未熟さは承知の上。

 同じ冒険者なら素直に賞賛し、憧憬を抱く……あるいは、精々が嫉妬するくらいで済む。

 だが、『神の恩恵(ファルナ)』をその身に宿さない存在がこれとは。

 オラリオで紡がれてきた英雄神話。輝ける栄光を灰色に染める悪夢。

 目の前にある光景は、確かにそう言ったものだった。

(なるほど、『灰色の悪夢(アッシュ・オブ・シンダー)』とはよく言ったものだ)

 呻く俺の目の前でついに巨人は地に伏し、その首を容赦なく『灰色の悪夢(アッシュ・オブ・シンダー)』が斬り飛ばした。

 さらに返す刃で胸を掻っ捌き、今まで見た事もないほど巨大な魔石を回収している。

「終わったな。……時に、どれくらいかかった?」

「測ってはいませんが、およそ一分といったところでしょう」

「そんなところだろうね。……分かっちゃいたけど、本当に可愛げのない奴らだよ」

 魔石を失った巨体が、本物の灰となって霧散していく。

 その灰によって、異様な戦士たちの姿がかき消された頃。

「どう、私自慢の剣闘士は。凄いでしょ?」

 ある意味異様なその光景を、まったく恐れもせず……むしろ、誇らしそうに霞という女エルフが胸を張った。

 やはり、彼女もまた【正体不明(イレギュラー)】の関係者という事なのだろう。

「はいはい。凄い凄い」

 投げやりに拍手を送る【麗傑(アンティアネイラ)】。

 それを真似て拍手する【象神の杖(アンクーシャ)】と覆面の女冒険者。

 適応できるとは、やはり彼女達もただものではないのだ――…。

「あんた達もそのうち慣れるよ」

「ああ。人間とは、どうやら慣れていく生き物らしい」

「……慣れるなら、もう少し別のことに慣れたいのですが」

 俺達の視線に気づいたのか、彼女達がそれぞれ肩をすくめた。

 彼女達は呆れている。ただ、別に恐れてはいない。

「もしや、俺達はとんでもないところに足を踏み入れてしまったのでは……」

 何だか意味もなく弱気になり、思わず呻くと。

「あんた達、ここをどこだと思ってたんだい?」

麗傑(アンティアネイラ)】が呆れたように笑った。

「ああ。ここはオラリオ。神々すら熱狂する『未知』が集い、数多の英雄が生まれる。そういった場所だ」

「ええ。……私はもう第一線を退いた身ですが、最近姿を見せたいくつかの『未知』には多少思う事がある」

 そして、『未知』に挑むことこそ冒険者の誉れだ――と。

 三人の女傑はそう言って肩をすくめると、終わったと手招きする『未知(イレギュラー)』達の元へと歩き出すのだった。

「……やはり、険しい道が続きそうだな」

 まったく……冗談交じりのつもりが、強烈な発破をかけられてしまった。

 その背を見送って、改めて呻く。

 奇妙な男によって、冒険者の栄光は灰に埋まりつつある。

 だが、冒険者の歴史とはそもそもそういうものではないか。

 灰に埋もれ、その中から這い上がっては更なる栄光を紡ぐ。

 それを繰り返すことこそが冒険者であり、その集大成こそがオラリオではないか。

 ふと、柄にもなくそんなことが脳裏をよぎった。

(とんでもない時に、オラリオに来てしまったが……)

 今積もっている灰はずいぶんと分厚そうだが……あの三人はその灰の中から今まさに這い上がっている途中なのだ。

 彼女達にすら劣る俺とて遥かな高み、武神の背中を追っている。

「ええ、我らもますます精進しなくては」

 ならば、この灰とて一つの関門に過ぎない。

「うん……!」

 遥かな頂を目指そうと思うなら、このまま灰に埋もれたままではいられない。

 

 

 

 アイズさん達の言う通り、一八階層に『夜』が訪れてから。

 営火(キャンプファイア)のように積み重ねられた魔石灯を中心に、大きく輪を描くように座る何人もの冒険者たち。

 その中に、フィンさんの声が響き渡る。

「―――彼らは仲間(おたがい)のために身命をなげうち、この一八階層まで辿り着いた勇気ある冒険者だ。仲良くしろとまで言うつもりはない。けれど同じ冒険者として、欠片でもいい、敬意をもって接してくれ。……それじゃあ、仕切り直そう」

 フィンさんが手にした杯を掲げる。

 もちろん、周りの冒険者にも……そして、その中に混ぜてもらっている僕達のも同様の杯が配られている。

『乾杯!』

 合唱とと共に、ささやかな宴が始まった。

 杯に注がれているのは、魔導士たちが氷結魔法で作り出した氷水。

 この一八階層には清涼な水が豊富にあるらしく、まだ疲労が残る体に染み渡っていく。

 並べられた料理も、何と一八階層に自生するキノコや果実(フルーツ)が使われているらしい。

 そして、一人につき二つか三つ、赤い果実が配られる。

 ひとつは瓢箪の形をした赤い漿果。

 もう一つは、琥珀色で甘そうな蜜をたっぷり滴らせるふわふわの綿花に似た果実。

 およそ地上では見た事がないこの果実も、やはり一八階層で採れたものなんだとか。

 まずは、琥珀色の果実――雲菓子(ハニークラウド)の方を一口齧ってみる。

「?!?!?!」

 甘い。めちゃくちゃ甘い。甘すぎる……!

 実は甘い物が苦手な僕にとっては致死量とも言えそうな糖分に、思わず吐きそうになった。

(これ、クオンさんは好きそうだなぁ)

 涙に滲む視界の中で、そんなことを考えては吐き出したい衝動を抑え込む。

(あの人の味覚は、本当にどうかしてるし……)

 これくらい強烈な味じゃないと分からないんじゃないかな――と。

 内心で苦笑しようとして、今さらながらに思い至った。

(いや、それは、クオンさんだけじゃない……)

 アンジェさんだって、もう味覚など()()()()()()()と……。

(不死の、呪い……)

 繰り返される死の中で、少しずつ人間性を失い――いずれは亡者になり果てる。

 もしかして、クオンさんの味覚も、それと同じことなのでは……。

「あの、ベル様。大丈夫ですか?」

「顔色、少し良くないよ?」

 気づけば、左右に座るリリとアイズさんがそれぞれ顔を覗き込んでいた。

「え? あ、うん」

 咄嗟に返事をしてから、果肉を飲み込んでいることに気づく。

 甘味は、それでもまだ口の中に残っているけど、それだけだ。

「甘い物、実は苦手で……」

 言い訳のように―――いや、嘘じゃないんだけど――そんな言葉を口にしていた。

 それにしても、実際にどうしよう。

(食料は貴重だって言ってたし……)

 流石に残すのはもったいない。

 掌にある強敵を前に、割と真剣な覚悟を決めようとして――

「あ、それでしたらリリが頂きましょうか?」

 何故だか少し目を輝かせて、リリが言った。

 ……そう言えば、【ロキ・ファミリア】の女性団員達もとろけるような顔で雲菓子(ハニークラウド)を齧っている。

『不機嫌な女には甘い物を捧げるといい。ひょっとしたら、首の皮一枚繋がるかもしれない』

 クオンさんがリリと初めてダンジョンに潜った後

 拗ねたリリのご機嫌を取るためにクレープ屋さんに向かっていった時に零していた台詞が蘇る。

 ああ、確かにそうなのかもしれないなぁ――なんて。そんなことを思いつつ、

「う、うん、あげる」

 リリの申し出に、ありがたく頷く。

「でっ、ではっ――あーんっ」

 わざわざ僕の前に移動し、小鳥のように口を開けるリリ。

 何となく微笑ましく思いながら、その口に果実を入れようとして――

「ああ、任せろ。俺が全部食ってやる」

 ひょいと、ヴェルフが手を伸ばし、そのまま綺麗に強奪(しょり)する。

「こりゃ確かに甘すぎるな」

 眉を寄せ、胸焼けに耐えるように喉を押さえながらヴェルフ。

 真っ赤になり、涙目でそのヴェルフを蹴るリリ。

 そして、その二人を見てきょとんとするアイズさん。

(ま、まぁ、これはこれで、微笑ましい光景のような……)

 少なくとも、リリとヴェルフはすっかりいつも通りだった。

 まず問題はないとフィンさんもリヴェリアさんも言っていたけど……例の呪詛(カーズ)の話を聞いた後だ。

 なおさら、安心する。

「それにしても、噂には聞いていたが……不思議な階層だな、ここは」

 すっかり飲み干したのだろうか。

 胸焼けから立ち直ったヴェルフが、周囲を見回して言った。

 例えば『空』は、『太陽』の代わりだった白水晶はすっかり沈黙し、青水晶だけが僅かな光を放っている。

 暗い天井に煌めくそれは、まるで星空のようだ。

 野営地が森の中にあるので、周りからは木々のざわめきが聞こえてくる。

 その向こう側からは獣の――いや、潜んでいるのはモンスターだけど――息吹が感じられる。

 ともすれば危険の前触れでもあるけど……田舎育ちの僕にはそれすらどこか懐かしい。

「珍奇な実があって、空があって、空には星まである。……リリスケの話からすると、『街』もあるんだったな」

「あ、そう言えば!」

 英雄譚(えほん)の一幕のような野営地にばかり目を惹かれていたけど……リリは『街』――『拠点』があるって。

 思わずアイズさんの方を見ると、ブロック状の携行食に口をつけていた彼女は、小さく頷いた。

「……明日、行ってみる?」

「ぜひ!」

 即答で何度も頷く。

 まだ本調子とは言い難い(くび)が不満の(いたみ)を上げたけど、それもちっとも気にならない。

 ダンジョンの中にある『街』だなんて!

 どんなところなのか、誰がどんなことをしているのか……想像するだけでわくわくが止まらない。

 興奮を抑えきれずにいる僕の顔を、アイズさんは横から見つめ……小さく、笑ったような気がした。

「アルゴノゥトくーん!」

 と、そこでそんな声が聞こえた。

 スキルがバレた――のではなく、童話の『アルゴノゥト』からとった渾名らしい。

 ちなみに、僕をそう呼ぶのはティオナ・ヒリュテさん。

 アマゾネスのヒリュテ姉妹といえば、アイズさんに並ぶ有名な第一級冒険者である。

 それだけでも恐れ多いというか……とにかく緊張してしまうのだけど。

 アマゾネスらしく薄着なので、目のやり場にも困ってしまう。

「話、色々聞かせなさいよ。一宿一飯の恩よ、構わないでしょ?」

「うん、聞きたい聞きたーい」

 その双子のアマゾネスは、どかっ、と僕の左右に腰を下ろす。

 ティオネさんに押し退けられたリリがぎょっとし、アイズさんが小首を傾げた。

 僕は……多分、顔が赤くなっている。耳がめちゃくちゃ熱い。

「どうやったら能力値(アビリティ)オールSにできるの?」

 最初の衝撃から立ち直ったリリが、眉を逆立て剣呑な空気を放つ中。

 爛漫な笑顔と共に聞いてくるティオナさん。

 その言葉に、顔が引きつるのが分かった。

 能力値(アビリティ)をバラされたこととか、そもそも何で知っているのかとか、とにかく焦る気持ちが盛大に燃え上がる。

 救いか逃げ道か……自分でもよく分からない何かを探して視線を彷徨わせると、ティオネさんが薄く笑っていた。

 話すまでは逃がさない。そんな声が聞こえたのは……できれば、幻聴だと思いたい。

 それに、一体何と答えればいいのか。

 僕はとにかく憧憬(もくひょう)を追い続けただけだ。

 でも、「努力デス」と正直に言ったところで、果たして信じてもらえるのだろうか……?

 ちなみに、その憧憬(もくひょう)の人はというと。

 膝を抱え、何でもない風を装いながら聞き耳を立てている。全力で。全神経を集中して。

 憧憬(あこがれ)は時に残酷だ。

(ええと……)

 救いを求めて、ティオネさんのさらに向こう側に視線を向ける。

 そこには、最後の希望(ヴェルフ)がいるはず――…

「なんじゃヴェル吉、我々の後を追ってきたのか。フフ、愛々(あいあい)しい奴め」

「おい、止せ、てめぇ、来るな?!」

 あ、駄目だ。ヴェルフも冒険中(ピンチ)だった。

 先輩の鍛冶師(スミス)らしき女の人――アマゾネスかな。『ドワーフの火酒』を持ってるけど――に絡まれ、割と本気の悲鳴を上げている。

 孤立無援。

 できることなら、今すぐに意識を手放したい。

(何か、前にもこんなこと考えた事があったなー…)

 あの時は確か(記憶の中の)ミノタウロスに縋りついた気がする。

 今回もお願いしてしまおうか……。

 

 ピィイ―――!

 

 その時、鋭い警笛の音が鳴り響いた。

 一七階層に通じる連結路前。そこに、異形対策として監視所があるとは聞いていたけど……。

 

「総員準備!」

 フィンさんの号令が飛ぶ。

「全幹部およびレフィーヤは監視所へ! アキ、負傷者テントの防衛班を指揮しろ!」

 その指揮をかき消すように――…

 

『ほあぁああぁああぁああっっ!?』

 

 いきなりだった。

 いきなり、誰よりも聞きなれた声が響き渡る。

 でも、間違っても迷宮(ここ)で聞こえる声じゃないはず――!

 半ば反射的にリリの方を向くと、目を丸くしながらも肯定するように頷いた。

「すみません、先に行きます!」

「あ、アルゴノゥトくーん?!」

 フィンさん達の返事も待たず、一気に走り出す。

 少し遅れて、リリとヴェルフが追いかけてくる気配がする。

 連結路の正確な方向を知っているわけではない。

 音だけ頼りに森の中を走り抜ける。

 すぐに森は切れ切れになり、高く聳える岩壁が見えてきた。

 近くには魔石灯と、炎の光がいくつも。

 そこが監視所なのは間違いない。

「俺はアストラのソラール! 貴公らはまだ人か?!」

 聞こえたのは、誰何の声だった。

 いや、誰何ではない。

 まだ正気なのか。呪詛(カーズ)にやられていないのか。

 それを確かめる問いかけだ。

「アストラ……? いや、自分は【ロキ・ファミリア】のラウルっす! そちらこそ正気っすか?!」

 阻塞を挟み、一人の青年が叫び返す。

「【超凡夫(ハイ・ノービス)】か! 【勇者(ブレイバー)】……フィン達は無事だな?」

 続けて、女の人の声。

「今の声は【象神の杖(アンクーシャ)】か……」

「どうやら、地上(うえ)で何か動きがあったようだね」

 気づけば、すぐ後ろにフィンさん達がいた。

 流石は第一級冒険者。こんなにあっさり追いつかれてしまった。

「やぁ、シャクティ。久しぶりだね。正気のようで安心したよ」

 僕達を仕草だけで制すると、フィンさんは先頭に立ち声をかける。

「ああ。……どうやら、お前達も正気のようだな」

「その様子だと、君達は情報を持っているようだ。それとも、もう対処済みかな?」

「ああ。ひとまず片はついている」

 その言葉に、周りから安堵の吐息が零れた。

「それは何より。なら、何が起こっていたのか、説明してもらえるかな?」

「歓迎してもらえるならな」

「もちろん。これはあくまで異形対策だからね」

 フィンさんが背中越しに手を振ると、全員が武器をしまう。

「色々と話すことはあるが、まずはこれを渡しておこう。すぐに目を通してくれ」

 それを見届けてから、シャクティと呼ばれた女の人――確か、霞さんが言っていた人だ――が、フィンさんに近づいてくる。

 フィンさんもまた、槍を置いて歩き出し――ちょうど真ん中あたりで、二人が向き合う。

 そこでシャクティさんが何かの書簡を手渡し、フィンさんもまた言われた通りすぐに開封し目を通して……。

「何だって?」

 ――何故だか、険しい声を上げた。

「……これは、本物か?」

 それを、フィンさんの後ろからその書簡を読み取ったリヴェリアさんまでが、少し険しい声で問いかける。

「私がギルドの書類を偽装すると思うか?」

「寄越したのがお前でなければ、偽物だと断定しているところだ」

 背中を向けているので表情は見えないけど……どうやら、本当に困惑しているようだ。

「ねー、フィン! リヴェリアー! どうしたのー!?」

「クオンが免罪されたらしい」

 ティオナさんの問いかけに、リヴェリアさんが短く応じた。

「はぁ?!」

 驚きの声が重なる。

 そこには、僕やリリ、ヴェルフの声も混じっていた。

「七件の神殺しを全て不問にする。闇派閥(イヴィルス)残党が相手だったしても、俄かには信じがたいな……」

「だが、事実だ。見ての通り、創設神ウラノスの著名もある」

「ああ、確かに」

 フィンさんがため息を吐いてから、

「免罪理由はあの呪詛(カーズ)かな?」

「その呪詛(カーズ)が、()()()()()()()()()()()()()()()()()の事なら、まさにその通りだ」

 その問いかけに、シャクティさんもしっかりと頷いた。

「あの呪詛(カーズ)はそれほどだと?」

「ああ。実際、かなり厄介な代物だった。そして、犠牲者も多い。こちらはどうだ?」

「少ないとは、とても言えないね。僕達ではなく、リヴィラの住人に、だけど」

 フィンさんの返答に、シャクティが深くため息を吐いた。

「詳しく聞かせてもらえるかな?」

「ああ。……だが、その様子ならまだ【凶狼(ヴァナルガンド)】は戻っていないようだな」

「ベート? 確かに戻ってないけど……。関わっているのかい?」

「ああ。『深淵』……呪詛(カーズ)の元凶の奥底まで入り込んでいる」

 飛び入り参加の癖に、私よりよほど深く関わっているぞ――と。

 シャクティさんはそんなことを言った。

「ところでパルゥム君! ベル君を知らないかい?! ここに来ているはずなんだ!」

「君……いや、あなたはまさか――」

 やっぱり!――と。

 そう思う頃には、再び走り出していた。

「神様!」

 阻塞を飛び越え、一気に駆けよる。

「ベル君!!」

 神様もまた走り出し――そのまま跳躍。

「おふぅ?!」

 一直線に飛び掛かってきた神様の頭が、ちょうど鳩尾に直撃した。

 思わずそこでひっくり返る。

「ベル君! ベル君!! 本物かい!? 何か口から手が生えてきたりとかしてないかい?!」

「かみひゃま……?!」

 完全に押し倒された形で、体中をぺたぺたと触られ、頬をぐにぐにと引っ張られる。

「ふぇいきです。ひゃいじょうぶですよ、かみひゃま」

 何とか体をひねって、上体を起こす。

 それより、どうしてこんなところに――と。

 問いかけるより早く、安堵したように神様の体から力が抜ける。

 そのまま、神様は縋りつくように僕のお腹に顔をうずめた。

 熱い吐息が肌を震わせ、今度は僕の体に緊張が走り抜ける。

 意味もなく口をぱくぱくさせていると――

「良かったぁ……」

 今にも消えそうな声が、耳朶に触れた。

 強張っていた体から余計な力が抜け、冷静さが戻る。

 どうして、なんて聞く必要はない。

 僕達のことを心配して、体裁なんて放り投げて、ここまで探しに来てくれたのだ。

 細い腕で僕の体を抱き寄せる神様の体は、幼い子どものように震えていた。

 ぐすり、なんて。何かをすする音まで聞こえてくる。

 それでも意気地のない僕は散々迷ってから、意を決してその背中を抱き返すために手を持ち上げて……あと一歩のところで、周囲の視線に気づいてしまった。

 フィンさん達は流石にシャクティさんと話でいるけど……それでも、結構な数の冒険者に見守られている。

 途端に羞恥が復活し、中途半端に持ち上げた腕をわたわたと彷徨せていると、

「いい加減にしてください、ヘスティア様!」

 代わりに伸びてきた腕が、神様の襟首を掴んだ。

「あ、コラ! 感動の再会に水を差すんじゃない!?」

 神様もじたばたと抵抗するけど……そこは下界の定めというか何というか。

 やっぱり『恩恵(ファルナ)』があるリリの方が力が強かったりするわけで。

「ほわぁー?!」

 幼女(リリ)に引きずられていく幼女(かみさま)を、冷や汗と共に見送っていると――

「ベル君! 良かった!」

「わぁ?!」

 ひょいと、今度は別の誰かに抱き上げられた。

 力いっぱいに抱きしめられたみたいで、二つの柔らかい感触の間に顔が埋まる。

 これはまさか――!

「「ああー!?」」

 神様とリリの悲鳴と同時、パッと解放された。

 ちょっとざんね……いやいや、助かったんだって!

「リリルカちゃんも平気?! 何か口から手とか生えてきてない?!」

「ふぁ!? 平気ですっ?!」

 地面に座り込んだまま、ぶんぶんと首を振って邪念を払っていると、続けて――やっぱりというか何というか――霞さんはリリを抱き上げ、思いっきり抱きしめる。

「良かったぁ!」

「ほぁあ?!」

 感極まったのか、リリのおでこに軽く口づけして、その勢いでヴェルフに向き合って――

「ええと、アナタが噂の三人目?」

「……いや、まぁ、多分そうなる」

 ――二人の間に、じりっ、と謎の緊張感が漂う。

 そう言えばこの二人は初対面だった。

「ええと……」

 まずは霞さんにヴェルフを紹介しよう。

 まだ色々な動揺が抜けきらない頭で、何とかそんなことを考えついた。

 よし!――と、何となく気合を入れて立ち上がろうとして――…

「わぁ?!」

 直前。またしても誰かに抱き上げられた。

 背中越しに持ち上げられ、思わず悲鳴を上げる……頃には、くるりと身体を反転させられていた。

 抱き上げた誰かと、至近距離で視線が交わる。

「へぇ、よく見ればなかなか()()()顔をしてるじゃないか」

 艶やかな長い黒髪。紫水晶(アメジスト)色の瞳。蠱惑的な笑みを浮かべる潤った赤い唇。

 一言でいうなら、凄く綺麗な女の人だった。

 それに……肉感的というか。今まで出会ったことのないタイプの人だった。

 思わず視線を逸らした先にあったのは、踊り子のような衣装に包まれた体。

 胸の深い谷間が見えて、慌てて視線を戻す。

「あんたが、噂の【リトル・ルーキー】だね?」

「ええと、多分……」

 噂って、どんな噂になってるんだろう……?

 なんて、そんなことを考えている暇もない。

「今から、私の一晩を買わないかい?」

 温かい吐息に頬と首筋を犯され、卒倒しそうになった。

「こらー!?」

「何言ってるんですかぁああぁあっ!?」

 神様とリリの怒声が響く。

 というか、多分飛びつこうとしたんだと思う。

 ただ、その人は僕を抱えたまま、あっさりとそれを避けて見せた。

「ぶぁ?!」

「ふぎゃ?!」

 標的を失った神様とリリが、そのまま地面に激突(ダイブ)するのが視界の隅に見えたような……。

 風邪でも引いたようにぼんやりとする頭に、何とかそんなことだけが思い浮かぶ。

「もう」

 動きが止まった瞬間、横から手が伸びてきて――

「アイシャったら、戦闘娼婦(バーベラ)は引退したんじゃないの?」

 ――そのまま、ひょいと奪いとられる。

(僕はぬいぐるみとかじゃないんですけどー!?)

 なんて。そんなことを叫んでいる暇もない。

「まさか。ただ単に囲われただけさ」

「またそんなこと言って……」

 素直じゃないわよねー?――と、霞さん。

 ええと、何が何だかよく分からないので、同意を求められても困るんですが……。

 曖昧に呻いていると、とりあえず霞さんはそのまま地面に降ろしてくれた。

 何だか凄く久しぶりに自分の足で地面に立った気がする。

「ええと、霞さん……」

 バクバクと暴れ回る心臓を押さえつつ、霞さんの方を向く。

「ああ、彼女がこの前話したアイシャよ」

「ええ?! この人がもう一人の――」

 何といえば良いのか。よく分からなくなって、そこで唐突に言葉が途切れる。

 というか、師匠!? 霞さんの他に、こんな綺麗な人を?!

「もう一人で済めばいいけどねぇ」

「ねぇ」

「それはすまないことをしたな」

 揃ってため息を吐く霞さんとアイシャさんに声をかけたのは、見知らぬ女の人だった。

 大きな三角帽子に、節くれだった奇妙な杖。

 まるで、本当に童話の世界から抜け出してきたような魔女だった。

「いいさ。むしろあんたの方が先約なんだろう?」

 アイシャさんがそう言うと、その人は小さく肩をすくめたらしい。

「ところで、この少年達が探し人かな?」

 落ち着いていて、どこか少し掠れたような声でその人が言った。

「ええ、そうよ」

「そうか。無事なようで、安心したよ」

 クスクスと笑いながら、ゆっくりと手が伸びてくる。

 冷たくて柔らかい指先が、優しく頬を撫でた。

 何だかちょっと照れ臭い。

「なかなかいい目をしている。私の弟子よりも筋がいいかもしれないな」

「弟子……?」

 さっきの霞さん達の様子からして、クオンさんの事だろうか。

 となると、

「ひょっとして、呪術師の……?」

 この≪呪術の火≫を、クオンさんに分け与えたっていうクラーナさん。

 と、そう思ったんだけど。

「……フン、相変わらず酷い男だ」

 マズい。違ったみたいだ。というか、何かやらかした気がする……!

「……どうせ私は罪人。忌み子だ。仕方ない事か」

(クオンさぁん!?)

 完全に拗ねてしまったらしいその魔女を前に、冷や汗が背中を伝う。

 少し気になる内容だったけど、これ以上の深入りは危険すぎる。

 というか、クオンさんは今どこに……!?

「クラネル様。ご無事で何よりです」

 救いを求めて視線を巡らせていると、傍らに見覚えのある姿……というか、鎧姿が近づいてきた。

 小さな金属音と共に、その人は僕の傍に跪く。

「え? アンジェさん?!」

 この鎧は間違いない。一二階層で僕達を助けてくれたアンジェさんだ。

 急に片膝を着くなんて、やっぱりまだ傷が治ってないんじゃ……!

「女神ヘスティアより恩恵を授けられ、眷族となることを許されました。これよりは、この身朽ち果てるまで御身の剣となりまた盾となりましょう」

「えっと……」

 まるで騎士の誓いのような言葉に、思わず目を瞬かせる。

「あの、神様……?」 

「ええと、堅苦しいのは後で何とかするとして」

 困ったような顔で言ってから、

「……そうさ、ベル君! 【ヘスティア・ファミリア】二人目の眷属だぜ!」

 咳払いをすると、神様は、ぐっ、と親指を立てて見せた。

「本当ですか、アンジェさん?!」

 というか、新しい眷属(かぞく)ができたんですね?!

 思わず踊りだしたくなる僕の横で、不意にリリが顔を曇らせた。

「そ、そうなんですね……」

「もちろん、サポーター君も待ってるぜ?」

「ですが、その方がいるならリリは……ふぎゃ?!」

 鈍い僕は、そこまで聞いてやっと、リリが何を気に病んでいるのかに思い至る。

 クオンさんやアンジェさんの『スキル』は、確かにサポーター泣かせなのだ。

 でも、そんなのは気にしなくていいのに。

「まーたいじけてるのかい?」

 僕が何か言う前に、神様がリリのほっぺたを左右に引っ張った。

「ひたたた!? ひたいですぅ!!」

「一人より二人。二人より三人の方がいいと思わないかい?」

「そ、そうだよリリ!」

 僕は荷物持ち(サポーター)だからいて欲しいんじゃなくて……リリと一緒に冒険がしたいんだから。

 と、心からの本心を迷うことなく伝える。

「ベル様……いったぁ?!」

 何とか元気を取り戻してくれたのか顔をほころばせるリリ。

「神様?!」

 途端、何故だか神様がリリの頬を思い切りつねった。

 

「……なかなかよく仕込んだと見える」

「あいつはあんな歯の浮くようなセリフは言えないと思うけどねぇ」

「や、やればできるわよ、アイツだって。……多分」

 あの、ところで霞さん達は何の話をしてるんですか?

 

「何するんですかぁ!?」

「うるさーい! いつもいつもサポーター君ばっかり! ズルいぞー!!」

 いや、それはともかくとして。

 何故か唐突に取っ組み合いが始まってしまった。

 おろおろとしている僕の傍に、さらに誰かが近づいてくる。

「クラネルさん、無事でしたか」

「え? り、リューさん?!」

 覆面で顔を隠しているけど、間違いない。

 目が覚めるほど澄んだ空色の瞳。ケープ越しに僅かに覗く整った相貌。

 豊饒の女主人に務める、美しいエルフの彼女だ。

「ど、どうしてここに……」

「霞さんと神ヘスティアに冒険者依頼(クエスト)を申し込まれました」

「そうだったんですね……」

 まさかリューさんまで助けに来てくれるなんて。

 改めて、僕はいろんな人に支えられ、助けられているのだと実感する。

「ありがとうございます」

「構いません。公式ではありませんが、正式な契約ですから」

 これで無事に達成できそうだ――と。

 リューさんが少しだけ微笑んだような気がした。

「貴公が噂の少年か」

 最後に声をかけてきたのは、大兜を被り、太陽の絵が描かれた白いサーコートを羽織った男の人だった。

 見覚えはないけれど……鎧越しにも、すごく鍛えられた体をしているのが分かる。

「あなたは?」

「俺はアストラのソラール。かつて友と……クオンと共に旅をしたものだ」

 友が世話になっているようだな。

 そう言って差し出された手を握り返す。

「い、いえ! 僕の方こそ……!」

 大きくて硬く、力強いその手は、それでもどこか柔らかいぬくもりが宿っていた。

「どうやら、そちらの話も終わったようだね」

 ソラールさんとの握手を終えると、フィンさんが言った。

 すぐ傍にはリヴェリアさんと、シャクティさんもいる。

 もう少し後ろには、アイズさん達も。

「事情は大体聞かせてもらったけど……クオン本人はどうしたんだい?」

「む、そう言えば」

「後ろからモンスターどもが来たんで、それの相手をしていたけどね。ほんの数匹、しかも通常種だ」

「それにしては、妙に時間がかかっているな」

 と、ソラールさんとアイシャさんと魔女さん――そう言えば、まだ名前を聞いてない――が首を傾げて、

「各々方、避けてください!」

 どこかで聞き覚えのある声が連結路の方から響き渡った。

 その場にいる全員が、一斉に武器を構えるなか、飛び出してきたのは二つの黒い影だった。

「クオンさん?!」

 その黒衣も、竜の紋章が施された盾も。

 今さら見間違えるはずもない。それはクオンさんだった。

 続けて、音もなく誰かが連結路から飛び出してくる。

 四方から向けられる魔石灯の明かりを反射して、鈍く光る軌跡。

 飛び散る火花と激しい激突音。

「チッ……!」

 そして、クオンさんの体が近くの水晶柱に叩きつけられた。

「……え?」

 それは、いったい誰がこぼした言葉だろうか。

 クオンさんが押し返された。いや、打ち負けた?

 でも、そんなことに驚いている暇もなかった。

 

 ()()()()()()()()()()のだから。

 

 …――

 

「終わったぞ」

 ゴライアスの遺灰がある程度霧散したところで、アイシャ達に合図を送る。

 幸い、モンスターを呼び寄せられる前に片が付いた。

 が……階層主がいなくなった以上、しばらくの間はこの広間も他のモンスターの縄張りとなる。

 と、いうより。一八階層は本来、モンスターたちにとっての楽土だ。

 そこに向かうモンスターが途絶えることはない。

 階層主がいようがいまいが関係なく、この広間への長居は無用だった。

「魔石もこんなに大きいとは」

「これだけあれば、タケミカヅチ様に少しは楽を……いや、仕送りも増やせるか」

「うん……」

 新人三人が目を丸くしている。

 彼らの事情は分からないが、なかなか健気なことを言う。

「本当にでっかい魔石だねぇ……ごくり」

 ヘスティア……お前という奴は。

 少しは欲望を隠せ。露骨につばを飲み込むな。

「あとで折半……と、言いたいところだが」

 新人と神の視線を前に、肩をすくめてから続ける。

「多分、残らないだろうな」

「残らないとは?」

 怪訝そうな顔をする黒一点(おおおとこ)に、頷いてから。

「宿代と治療代だ。ベル達がリヴィラに身を寄せているなら、別の意味で足止めを食らっているかもしれない」

「リヴィラとは?」

 髪を結った少女が首を傾げた。

「一八階層に存在する拠点。街の名前だ」

「ダンジョンの中に、街があるんですか……?」

 何となく気弱そうな少女が前髪に隠れた目を大きく見開いた。

「ああ。ならず者の、ならず者による、ならず者のための街だ」

 小さく笑うと、シャクティも頷く。

「あの街は、厳密にはギルドの管轄にない。だから、彼らは好きなようにそこで生活している」

「領主気取りの奴はいるけど、行儀のいい規則(ルール)なんてないからね。値段だって吊り上げ放題さ」

 私達(バーベラ)だって、あそこまで露骨な真似はしないよ――と、アイシャまでが肩をすくめた。

「ま、なるべく弱い冒険者の店を狙うのが高く売って安く買う基本だな。あとは弱みを見せないことだ」

 つまるところ、商品の売買までもが腕っぷしがものを言うのである。

 マフミュランですら、あれほど露骨にふっかけてくるような真似はしなかったような気がするが。

「恐ろしいところだな」

 呆れた様子で、大男が嘆息する。

 まぁ、その認識は全く間違いではないのだが――…

「別に彼らの肩を持つわけではないが」

 そう言って肩をすくめたのはシャクティだった。

「ダンジョンの中で補給ができるというのは、その実かなり助かる。一概に無法だとは言い難い」

「水辺の街ではただ同然の水も、砂漠の街では貴重品扱になる。理屈としてはそれと同じだ」

「ま、奴らはそれを承知の上で、全力で足元を見てくるけどね」

 シャクティの言葉を引き継ぐと、アイシャまでがそう言って肩をすくめた。

「だから、残らないんですね……」

「ああ。買取価格が地上の半額以下になることも珍しくないからな」

 もちろん、それも()()次第だが。

 ボールスの顔面をちょっと凹ませられるくらいの腕があれば、多分定価で買い取ってもらえる。

「道中でも魔石が大量に手に入ったから、足りなくなることは流石にないだろうが……」

 あのオッタルまでが異常発生などと呼ぶ始末だ。

 多少は分散したようだが、それでもそれなりの数と対峙する羽目になった。

 もっとも、それほどの魔石とて油断すると底をつきかねないのが、あの街の恐ろしいところだ。

「ま、とりあえず先に進むとしよう。ここで立ち尽くすのは少し危険だ」

 ヘスティア一行を引き連れて、先に進む。

「これが『嘆きの大壁』ですか。自分も、噂だけなら耳にしていましたが……」

「まるで誰かが磨き上げたみたい。見て、私達の姿が映ってるよ」

「ああ。『壁』とはよく言ったものだ。いや、関門という意味でもあるのか?」

 広大な広間も、今は静かなものだ。

 新人たちが息をのみ、興味深そうに石壁に見入っている。

 こんなに素直に驚いてくれるなら、連れてきた甲斐もあるというものだ。

(ベル達には、そんな余裕もなかっただろうな)

 念のため周りを見回すが、やはりそれらしい『血痕』は残っていない。

 ベル達が到達してから俺達が訪れるまで、ソウルが完全に霧散するほどの時間があったとは考えづらい。

 素通りしたか、必死に逃げ回ったか。どちらかは分からないが、いずれにせよここを突破している。

 しかし、それにしても――

「ようやく一八階層か」

 何だかんだと、いつもの倍以上の時間がかかっている。

 目前に迫る連結路を見て、思わずぼやいていた。

「これでリヴィラの連中がいつもの悪党面を晒していたなら、祝杯でも挙げるとしよう」

 まぁ、フェルズの話からしてほぼ間違いなく晒しているだろうが。

「祝杯にはまだ少し早いぞ」

 せめて地上に戻ってからだ――と。

 真面目なシャクティがすかさず釘を刺してくる頃には、連結路がのぞき込めるところまで来ていた。

「念のため、陣形を立て直す。一八階層に深淵の影響がないとは断言できないからな」

 ほの暗い通路の向こう側を見据えて、シャクティが告げる。

「それに、おそらくまだ【ロキ・ファミリア】が逗留している。リヴィラの街に異形が運び込まれていたなら、フィンが警戒しないはずがない」

 向こうの状況次第では、降りた途端に攻撃を仕掛けられん――と。

 シャクティの言葉に、ヘスティアが小さく呻いた。

 まぁ、ここまで来て人間相手に殺されるなど笑い話にもなるまい。

 ……不死人同士なら大笑いしているだろうが。

「まずは私が先頭に行く。クオン、アイシャ、お前達は一番最後だ。見えないところで、しばらく待機していろ」

 免罪されたことを先に伝えておかなければ、お前達のせいで攻撃されることになる。

 その言葉に肩をすくめた。

 ……向こうにとっては千載一遇の好機だ。誤解を承知で殺しに来たところで何の不思議もない。

「【ロキ・ファミリア】とは別に、モンスターの異常発生の影響も懸念される。ソラール、すまないが私と一緒に降りてくれるか?」

「ああ、任せておけ!」

 続けて、ソラールが大きく頷く。

 彼がついて行くなら、多少の事では問題になるまい。

「リオ……お前とアンジェは、かみ……霞たちの護衛を任せる。私とソラールの後ろについてきてくれ」

「はい」

「分かっている」

 リュー……確かヘスだったか?――と、アンジェがそれぞれ首肯した。

 この二人は、なるべくなら目立たない方が良い。

 いや、それを言うならヘスティアもだが。

「お前達三人は、中間で待機。私が合図したらクオン達を呼んでやってくれ」

「承知した」

 三人を代表して大男が頷く。

 どうやら彼が団長らしい。

 もしこの三人だけなら、ヘスティアと大差ない小さな派閥といえよう。

 仕送り云々というのもその辺が影響しているのかもしれない。

「では、行くぞ」

 打ち合わせが終わり、改めてシャクティが連結路に踏み込もうとしたその時――

「ほぁ?!」

 反射的に、ヘスティアを突き飛ばしていた。

 同時に掲げた盾に、何かが激突する。

「人の膿……?」

 弾きとばしたのは、蠢く汚泥……『人の膿』のような何かだった。

「ぁあぁあぁぁああああぁああ?!」

 ただ、それにしては妙に小さく、動きが素早い。

 ……それはそれとして、何かヘスティアの悲鳴が長いような。

「ヘスティア様!」

「待てアンジェ! まず私達が先に行く!」

 視線だけ振り返ると……何故かヘスティアがいなかった。

 どうやら、そのまま連結路を転がり落ちているらしい。

 誰かにぶつかって止まると思ったのだが……何というか、運がない奴だ。

「俺はアストラのソラール!」

 舌打ちするより先に、連結路の向こうから、警笛とソラールの声が響いてきた。

 シャクティがアンジェを引き留めている間に追いついたらしい。

 ……警笛を吹いたのは小人どもか、それともボールスか。

 いずれにせよ、その先に誰かいるようだ。

「アンジェリックさん、行きましょう」

「ええ!」

 続けて、霞たちが駆け降りていく。

「貴公らも先に行くと良い。近づいてきたものを撃ち落とすくらいなら、私にもできる」

「いや、それなら俺が前衛盾役(ウォール)を務めよう。それくらいの役には立たねば、ついてきた意味がない」

「なら、その言葉に甘えるとしようか」

 最後に、カルラ達が連結路の中へと滑り込んだ。

 向こうの準備が整うまで、連結路前の防衛を優先する。

「ちッ! すばしっこい奴だね!」

 その間に、アイシャがその『汚泥』に斬りかかっていく。

 が、当たらない。僅かなところで避けられた。

 もっとも、彼女が太刀打ちできないほどの速さではない。

 アイシャなら、すぐにでも順応する。それは間違いない。

 問題は――…

(あれはいったい何だ……?)

 素早い動きからして、まさかベルか……いや、ヘスティアが何の反応もしなかった。

 それに、汚泥の中に魔石の欠片のようなものが混じっている。

 元々はモンスター。となると、『深淵種』のなれの果てか。

(なら、大した問題じゃない)

 右手に『火』を灯す。

 思い描くのは、天より降り注ぎ一つの都を――そこに住む人間だけを焼き尽くした【罪の炎】。

 その標的だけを書き換える。

「横に跳べ!」

 アイシャが飛び退くと同時、その憧憬を解き放つ。

 収束する炎は、その汚泥を飲み込み完全に焼滅させた。

 アイシャに任せておいても問題はなかっただろうが……何しろ、得体の知れない相手だ。

 下手に斬りつけて、鬱血亡者のように破裂されても困る。

「何だい、これは。魔石ってわけじゃなさそうだけど」

「何だろうな?」

 見たままを言うなら、結晶化したソウルに魔石の破片が大量に刺さっている。

 いや、逆か。砕けた魔石を結晶化しかけたソウルが繋ぎ合わせている。

 魔石かソウルで言えば……多分、魔石寄りの代物だとは思う。

 気になるのは、色が紫紺ではなく紫黒《しこく》ということだろうか。

 何か、また妙なものと出くわしてしまったらしい。

 想像の中で、フェルズが両手で頭を抱えている。

(よし、あいつに押し付けよう)

 その肩をポンと叩いて、それを押し付けた。

 もちろん、実際にはまだ手元にある。……が、心情的にはもうこれはあいつの案件(もの)だ。

 というか、こんなものを投げられても俺にいったいどうしろと。

(いや、まずはカルラに相談してみるか)

 彼女は闇術以外の術にも理解のある類まれな魔女だ。

 何かいい知恵を貸してくれるかもしれない。

「二人とも、【象神の杖(アンクーシャ)】が呼んでいるぞ!」

 そこで、大男が叫んだ。

「思ったより早く済んだね」

「ああ。もう少し揉めると思ったが」

 あの小人にとっては、名を挙げる絶好の好機だったはずだ。

 それを失った割には、随分とあっさりして……いや、元から思い切りの良い手合いだったか。

 自分の目的に沿わないものは全て、容赦なく切り捨てられるその思い切りは、俺も見習った方が良いのかもしれない。

 そうすれば、いつまでも腐っていなくて済む。

 ……もっとも、今の状況でそんなことをすれば、同時に亡者へと墜ちるだろうが。

「降りた途端に襲い掛かってきたりしてね」

「かもな」

 仮にそうだとして、ソラールとカルラがいるなら、さほどの問題にはならない。

 霞たちを守りながらでも、何とか突破できるはずだ。

 現時点で彼女達が拘束されていないなら、だが。

(いや、それこそソラールがいるしな)

 あの小人どもに後れを取るはずもない。

 戦闘音が聞こえてこない以上、今の時点では拘束されてはいまい。

「うん?」

 アイシャと共に連結路を降りようとした時、またしても後ろから足音が迫ってきた。

 それなりに重いが、鎧は着込んでいない。

 振り返ればミノタウロスが三体。

 どこかの猪がベルに嗾けたような特殊な個体ではない。

 外見から、初めて見た時は面食らったが……動きが把握できた今なら、何を恐れることもなかった。

「何というか……運のない奴らだな」

 一八階層(モンスターの楽土)で優雅に過ごすつもりなのだろうか。

「まったくだね」

 もう少し遅く来てくれたなら、お互いに一八階層でのんびりできただろうに。

「先に行っててくれ」

 すぐそこに小人どもがいるのは間違いない。

 長話に付き合わされている間に後ろからどつかれても面倒だ。

 それに、冷静に考えても見れば。

 ここで見逃したところで、どうせすぐそこにいる小人……というか、あの金髪小娘に斬殺されるのは目に見えている。

「ん、まぁ、二人がかりでやるまでもないか」

 こちらに気づいたミノタウロスが、咆哮を上げて突進してくる。

 その姿をあっさり無視して、アイシャが背中を向ける。

 相変わらず豪気なことだ。……いや、ここは信頼されていると自惚れておくか。

 ひらひらと背中越しに手を振りながら連結路を降りていくアイシャを横目に見送ってから、ミノタウロスを見据える。

 武器は≪グンタの斧槍≫。

 ああいう、でかくて分厚い装甲(けがわ)の持ち主を叩き斬るにはちょうどいい。

 先頭の一体にそのまま突撃。突き出した切っ先はあっさりと魔石を粉砕した。

 当然、すぐさまミノタウロスの体は色彩を失い、灰となって散る。

 その灰に紛れて二体目の背後に回り、致命の一撃(バックスタブ)

 今回は魔石を抉りだして回収しておく。

 リヴィラに行く以上、先立つものが多いに越したことはない。

 砕こうが抉りだそうが同じこと。体内から魔石が失われたモンスターの体は灰となるのみ。

 さらに濃度を増す灰燼のなか、最後の一体を―――…

「ッ?!」

 慣れ親しんだ悪寒に従い、なりふり構わず離脱する。

 同時、ミノタウロスの巨体もろとも灰燼の霧が()()()()()

 立ち込めていた血の灰の匂いが断ち切られ、場違いに清涼な空気へと変わる。

「――――――!」

 しかし、すぐさまそこに鉄の焼けるすえた匂いが混ざり込んだ。

 盾の表面を刃が削り、火花を咲かせる。

 防御は間に合ったが……だが、それだけだ。

 中空に浮いた状態ではぶんばりようがない。

 直撃した()()の衝撃に、さらに突き飛ばされる。

 着地の姿勢が、致命的に乱れた。

 強引に身を投げて、地面を転がる。

 追撃を凌げれば、ひとまずそれでいい――…

「ああ、何という僥倖。流石は武神の導きよ」

 追撃はなかった。

 代わりにそんな声がする。

「お前は……」

 視線の先にいるのは、()()()の大鎧を着込んだ剣士。

 携えているのは、異様に柄の長い刀――いや、()()

 どちらも見覚えがあった。

「騎士アーロン?」

 今は遠いドラングレイグ……と、言っていいかは分からないが。

 そこに存在した黒霧の塔。

 飾られていた大鎧に触れた先、取り込まれた『記憶の世界』にて対峙した東国生まれの剣士。

 溶鉄城で散々に世話になった『アーロン騎士』を束ね、育て上げた鉄の古王の懐刀。

 かつての時代、まず間違いなく英雄と呼ばれていたであろう武人。

「随分と縮んだようだな」

 縮んだといっても、偉丈夫であることに変わりはない。

 身の丈は、一八〇cm……ミアと同じか少し大きいくらいか。

 ただ、記憶にあるよりも体が細い。正確には、無駄なく引き締まっているように見えた。

「この姿を見てそう言うという事は、やはり貴公はあの時の剣士か」

 夢幻の中、この私を破った不死の英雄。

 いっそ恍惚とした様子で、その剣士が呟く。

「何の用だ?」

 やはり、彼は……いや、彼こそが()()のアーロンなのだろう。

 再現された――あるいは、加工された()()ではなく。

「なに、恥を忍んでもう一戦挑みに来たのよ」

 あのまま破れては騎士の名折れ。

 刀を構えながら、その武人が言った。

「あのように無理矢理に膨れ上がった体では、武が死ぬ。騎士アーロンも所詮あの程度と思われたままでは、死んでも死に切れん」

 故に剣鬼となって舞い戻った。

 その宣言ともに、ソウルの気配が膨れ上がる。

(余計な心配を……)

 あの時の彼は……あの時の彼ですら、俺にとっては尋常ならざる敵だったというのに。

 声にしないまま毒づくと同時――

「いざ、再戦を」

 アーロンの巨体が()()()

 いや、違う。単に視界を振り切られただけだ。

「――――?!」

 防御が間に合ったのは、単なる幸運だ。

 なるほど。体が縮んだ分だけ、あるいはあの時より筋力は落ちているのかもしれない。

 だが、そんなことは何の救いにもならない。

 その一撃は記憶にあるよりも遥かに重く、深く、何よりも鋭く響く。

 速さも鋭さも段違いだ。まったく、冗談じゃない。冗談にもなりはしない。

 こちらはソウルが凝って、あの時よりも弱体化しているというのに。

「ちぇあぁッ!」

 無駄のない動き。滑らかに奔る刃を前に、反撃の隙が見いだせない。

 記憶にある剣士より、遥かに早い。

 あの時ですら、尋常ならざる剣士だったというのに。

 刃圏から逃れるべく後ろに跳び――己の失策を悟った。

 この剣士の刃は、後ろに跳んだところで逃れられない。

「破ッ!」

 まだ僅かに漂う灰が、空間すら斬り裂くその剣閃を垣間見せる

 今度こそ防御が間に合わなかった。

 左胸から肩にかけて深く斬り裂かれる。

 噴き出る血に混じり、ソウルの流出が始まった。

(クソったれ……ッ!)

 返す太刀が盾の表面を削る。

 その衝撃の中、声にもできず毒づく。

 記憶にある動きと違いすぎる。まったく成す術がない。

(いや、そんなはずがない)

 諦観を無理矢理に押し込める。

 この騎士があの時のアーロンと同一なら、根底にある思考や癖もまた同じだ。

 ならば、動きが読めないはずがない。

 必ず見慣れた動きがどこかに混じり込んでいる。

 速さが変わったところで関係ない。

 動きさえ読めるなら、対応できる。

 でなければ、俺ごときがここまでたどり着けるものか。

「かぁああッ!!」

 そのまま地面まで両断しそうな斬り下ろし。

 辛うじて受けたが――

(な――?!)

 ガクン、と。

 地面が本当に斬り落とされた。

 いや、違う。そんな馬鹿げた話であるものか。

(しま――!?)

 連結路。その入口にまで追い詰められている。

 その傾斜に足を取られ、身体が傾くいただけだ。

(この間抜け……ッ!)

 こんな無様は、ソウルがどうこうとは全く関係ない。

 自分を罵りながら、仕方なく地面を蹴る。

 このまま転げ落ちるより、自分で跳んだ方がいくらかマシだ。

 左手に『火』を。

 思い描く憧憬はごく単純に【大火球】。

 とにかく少しでも牽制になればいい。

 半ば滑り落ちるようにして薄暗い連結路から飛び出す。

 そこには『星』の明かりが……そして、おそらく魔石灯の光が広がっていた。

 そんなものに気を取られている暇はない。

 即座に武器を大剣(クレイモア)に切り替え――しかし、体勢を立て直す前に、真正面から打ち込まれる。

「チッ……!」

 飛び退いた先には水晶柱。

 背中をぶつけ、思ったより距離が開けなかった。

 後ろに下がれないなら仕方がない。

 打って出るしかない。

 アルトリウスの剣技を模倣する。

 俺が知る限り、二番目にマシな戦い方だ。

 跳躍し回旋。全ての加速を刀身に宿す――

「その児戯は見飽きた」

 膝を曲げた右脚、その脛から大腿へと熱が突き抜けた。

 アーロンの刀がそこを貫通している。

 動きを合わせられた。加速が失われ、威力が霧散する。

 何より、致命的な隙を晒していた。

「――――!」

 体を捻り、無理矢理にその側頭を狙って蹴りを放つ。

 だが、そんないい加減な攻撃が当たるはずもない。

 刀身が翻り、右脚を斬り開きながら自由になる。

「――――――!」

 それをただ見ている訳もない。

 左手に『火』を灯し、苛烈な物語を口ずさむ。

 その名を【神の怒り】。

 空間すら歪めて奔るその衝撃波が、追撃を強引に押しのけた。

 同時、地面に激突する。

 お世辞にも着地とは言えない。

 だが、その頃には痛みは忘却の淵に沈んで消えた。

 傷は深いが、不死人には関係ない話だ。

 脚が繋がっているなら、それでいい。

 立ち上がり、間合いを開く。

「まだ抜かんのか?」

「……抜かせてみろよ」

 彼が何を言っているのか、分からないはずがない。

 俺が最も得意とする武器。最も信頼するその刃。

 それを使わずして勝てる相手ではないし、それを使ったところで勝てるとは限らない。

(そんなことは分かっている)

 だが、不死人にとっては死もまた糧。

 自らの屍を積みあげながら、相手の手札を暴いていく。

 だからこそ、最後の切り札を使うなら、その時は必殺でなければならない。

 仮にそれに対応されたなら、本当に正攻法では勝ち目がなくなるのだから。

 

 ……もっとも、それを言うならアーロンにはすでに知られているわけだが。

 

「強情なことだな」

 まったくだ――と、内心で呻く。

(ここが人目のない一七階層ならな)

 迷わず武器を切り替えているところだが。

 視線の片隅に、小人どもの姿を認めて舌打ちする。

 相変わらず、嫌な時に姿を見せる奴らだ。

「しかし、これも敗者の習いか」

 再び間合いが消滅する。

 特別に早く動いているようには見えないというのに、反応が追いつかない。

 徹底して磨き上げられ、一切の無駄が失われた動き。

 それが圧倒的な速さを生み出していた。

 そして、無駄がないということは隙が無いという事だ。

(ないなら、作るだけだ)

 剣の切っ先で地面をひっかき、飛礫(つぶて)を飛ばす。

 ほんの一瞬でも動きが止まってくれたならそれでいい。

 左手に『火』を。

 思い描くのは我らが姫君に長らく仕えていた偏屈な爺さん。

 元々は大沼生まれの呪術師が得意としたその業を、吐息に乗せて吐き出す。

 曰く【毒の霧】。

 見るからに毒々しい紫の霧が互いの姿をかき消した。

「またつまらぬ小細工を」

「当然だ」

 彼我の技量差は圧倒的。

 加えて、ソウルは今もまだ至る所で凝ったまま。

 大体、一介の放浪者が本物の武人を相手にしているのだ。

 小細工の一つも弄さないで、一体どうしろと言うのやら。

(ああ、まったく―――!)

 いつも通りの劣勢に、思わず笑えてきた。

 ああ、まったく。()()()()()()()調()()()()()

 ぐだくだとつまらないことは削ぎ落され、目の前のソウルを喰らうために必要なものだけが然るべき場所に整っていく。

 軋みを上げながら、ソウルが体の中を奔りだす。

 極上の獲物を前に、刻まれた闇の刻印(ダークリング)が蠢いた。

「危ない!」

 誰かの叫び。

 それが耳に届くより先に、互いに動いていた。

 俺達の鼻先をかすめるように、闇の塊が通過する。

(【闇の玉】……!?)

 目だけで術者を確認する。

 カルラではない。いや、むしろ――

(深淵の異形!)

 闇術――元は魔法かもしれないが――を使ってきた以上、原形は人間。

 その一瞬で判断できたのは、そこまでだった。

 そして、それ以上は必要がなくなった。

「なっ?!」

 誰かが零したその叫びも含めて、それはいつかの光景の焼き直しだった。

 その異形は、連結路から飛び降りてきた剣士に背中から串刺しにされる。

「ホークウッド……」

 それは、ファランの不死隊――【深淵の監視者】。

 象徴たる兜こそ被っていないが……俺が知る限り、彼こそが唯一の生き残りだ。

 正真正銘のファランの不死隊。

 ……いや、兜だけではなく手にしている剣もまた、バスタードソードに戻っているが。

「やはりお前だったな」

 なおも蠢く異形に、さらに深々に大剣を抉り込みながらホークウッドが言った。

「王狩りの次は深淵狩りとは、勤勉なことだな」

「まったくだ。本職がいるなら、任せておけば良かったよ」

 半ば反射的に言い返してから、

「まさか生きて――」

「生きていたのか、なんてのはお互いに陳腐な台詞だと思わないか?」

 その通りだった。

 死に方など、お互いにとっくに忘れてしまっている。

 それどころか、灰になってなお墓場から叩き起こされる始末だ。

「何の用だ、とも聞いてくれるなよ」

 それもまた。聞くまでもない事だった

 気は進まないが、彼が再び俺の前に姿を見せたなら。

「さぁ、続きだ。認めてもらうぞ。ただ俺こそが竜なのだと」

 俺で良ければ、いくらでも認めてやるが。

 もっとも、盗むつもりもないという。

 どうしても俺は、ファランの不死隊と――あの狼の血統と殺しあわなくてはならない宿命らしい。

 まったく……今さら呪う相手もいやしないというのに。

「チィッ!」

 天を仰ぎたいところだが、そんな暇すらもありはしなかった。

 ホークウッドが剣を振り回し、死体を投げ飛ばしてくる。

 向こうは知らないだろうが……まさにウーラシールの再現だった。

「ハァアッ!!」

 飛び退いた先に、すでにホークウッドは入り込んでいた。

 回避は諦め、素直に防御に徹する。

「―――!」

 とはいえ、防御も容易なことではない。

 本来の得物(特大剣)ではないとして、それでも剛剣は健在だ。

 だが、ファランの剣技の神髄は、むしろその独特な体捌きから繰り出される狼の剣。

 彼らは、卓越した技量を誇る剣士たちなのだ。

(速い……!)

 盾を構えた一瞬の停滞。その隙に死角に潜り込まれた。

 当然だ。ファランの不死隊とは、かの英雄アルトリウスの後継者。

 目の前にいるのはその一員であり……あるいは、この時代に遺る【薪の王】とすらいえる存在だった。

 生半な巡礼者では、成す術もなく敗れ去る。

 まして、凄腕の剣士が今はもう一人いるのだ。

「無粋な御仁だ。一騎討ちに水を差すとは」

「悪いな。だが、俺が先約だ」

「私の方が先だと思うがな」

「夢の中の話なんだろう」

 一体いつから聞いていたのやら。

 言い合い、時に互いに斬り結びながらもアーロンとホークウッドは攻撃の手を緩めない。

 つくづく冗談じゃない。

 ソウルが凝った今の様では、まともに反応することすらままならなかった。

 文字通り骨身に刻まれている相手の動きから何とか先読みしているが……そんなものはただの勘でしかない。

 まだ辛うじて凌げているが、いつまでもこんな幸運が続くものか。

(こいつらをまとめて相手になどできるか)

 だが、どうする。

 いったいどうやってこの二人を分断したものか……いや、分断できたとして、それでどうなる相手でもないが。

「一つ提案があるんだが」

 ホークウッドに思い切り蹴り飛ばされ、また別の水晶柱に叩きつけられてから。

 口に溢れてきた血を吐き捨てて言った。

 今は、少しでも思考を巡らせる時間が欲しい。

「お前たち二人で頂上決戦、ってのは駄目か?」

 二人が顔を見合わせる。

 破れかぶれだったが、これはひょっとして――

「さぁ、続きだ」

 二人の声と動きが重なった。

 やはり、駄目らしい。

 しかし、一対一でも成す術がないというのに、一体どうしろと。

「く……ッ!」

 呻いている間に、防御を破られ、いよいよ体に刃が届く。

 アーロンとホークウッド。いずれ劣らぬ……あるいは【薪の王】になっていたかもしれない戦士たち。

 その一撃を前に、いつまでも体内にソウルを留めておけるはずもない。

(これはいよいよ篝火が見えてきたな……)

 小人どもの前でそうなるのは、極めて厄介だが……しかし、人間性を消費して戦闘続行をしたところで、結果はさほど変わらない。

 奴らは『アンデッド』、つまりは亡者を知っている。

 また余計な勘繰りをしてくるのは目に見えていた。

「まさか、本当に腑抜けているのか?」

 どうやって死を誤魔化すか。

 その一点に傾きかけた思考の中で、ホークウッドが毒づいた。

「この程度の相手に殺されたなど、あいつらも浮かばれないな」

 ファランの不死隊。誇り高き狼血の英雄。

 この手で殺した、偉大なる後輩たち。

「―――――ッ!」

 左手に『火』が宿る。

 思い浮かぶのは、ただ炎だけだった。

 こんな使い方をすれば、師匠にどやされる……いや、それだけでは済まないだろうが。

 この『時代』で目覚めてから初めて。

 

 ――火を畏れよ

 

 その教えを忘れて炎を――【炎の大嵐】を世界に解き放った。

 莫大な炎によって蹂躙される世界。制御し損ねた炎が黒衣越しに腕を炙る。

 ――が、それら一切を無視して疾走した。

 左右の手に装備するのは、≪傭兵の双刀≫。

「チィ―――ッ!」

 ホークウッドの剣を、左手のシミターで払い除け――右の切っ先をその胸に突き立てた。

 ――そのつもりだったが。

 流石は不死隊。精々が左肩を抉るにとどまった。

 構うものか。左手のシミターを切り替える。

 拳にまとうのは≪骨の拳≫。

 所詮は喧嘩殺法の域を出ないが……それで何の問題がある。

 今度こそその腹に拳をめり込ませてやる。

(誰が腑抜けてるって?)

 その拳を基点に。異形の骨を触媒として。

 呪術の要領で、荒れ狂うソウルをそのまま放射する。

 手ごたえからして、胸の骨に皹くらいは入ったはずだ。

 お互いに、そんなものはかすり傷にもならないが。

「どうした、ホークウッド。抜かないのか?」

 左手に再びシミターを握りながら、どこかで聞いたような言葉を投げかける。

 偉大なる後輩。確かに存在したその英雄たち。

 例え愚かで凡庸な放浪者と言えど、彼らの名誉を穢すわけにはいくまい。

「抜かせてみやがれ」

 が、どうやら余計な世話だったらしい。

 それも当然か。

「ふむ。……そういう趣向なら、仕方あるまい。今しばらく付き合うとしようか」

 アーロンまでが妖刀を鞘に納め、代わりに大弓を取り出した。

≪鬼討ちの大弓≫――いや、あれこそが正しく≪アーロンの大弓≫か。

 好都合だ。相手が本気でないなら、こちらにもやりようがある。

 もう一度抜かれる前に決着をつけるとしよう――

「―――!?」

 などと、そんな容易い相手ではないか。

 半ば勘だけで、その大矢を斬り払う。

 流石に鷹の目のゴーほどではないだろうが……それでも、恐ろしく精密に眉間を狙ってきた。

「呵々! 弓は武芸者の嗜みよ!」

 驚くことはない。

 狙撃してきたアーロン騎士たちも、元は彼の薫陶を受けているはずだ。

「少しは張り合いが出てきたじゃないか」

 迫るのは英雄の剣撃。

 得物を変え、多少は劣化しているとはいえまともに受けられるものではない。

 左右に構えた双刀で斬り払い、受け流し、逸らす。

 少しでも体勢が崩せればいい。それが反撃の隙となる。

「ぬっ?!」

 ホークウッドを、アーロンの射線上に引きずり込む。

 射抜いてくれるならそれでよし。躊躇ってくれるならそれでもいい。

 果たして、矢は放たれなかった。

 ホークウッドの足首を蹴り抜き、体勢を崩す。

 隙と言えるほどではない。だが、その体を飛び越えるくらいはできる。

 狙いはアーロン。双剣を交差させ、【王の黒い手】と呼ばれたとある剣士の妙技を再演する。

「ほう……!」

 大矢が横腹を浅く切り裂き――そして、交差する刃もまたアーロンの喉首を掠めた。

 交差は一瞬。先ほどとは逆に、アーロンが間合いを開こうと後退する。

 逃がすつもりはなかった――が。

「フッ!!」

 その横腹に、孤狼の(きば)が迫る。

 追撃のための時間を回避に費やす。

 分かってはいたが……なかなかうまくはいかないものだ。

「やはりこうでなくてはな!」

「違いないな」

 こちらには舌打ちしている余裕もないというのに、向こうはいかにも余裕たっぷりといった有様だ。

 ……ああ、まったく。

(面白くなってきたじゃないか)

 二つの嵐から弾き出される様にして、間合いを開く。

 かつて、戦いこそが呪いに抗う手段だと考えられていた時代があったのだ――と。

 どこかで出会った誰かが、そんな話をしていたような気がする。

 本当かどうかも怪しい話だ……が、一理あるのかもしれない。

 死が迫るごとに、生を実感する。

 ……今殺しあっている全員が、どうせ死に方など覚えていない癖に。

 密度を増していく殺気。むせ返るほどの(ソウル)の匂い。

 まだ俺は()()()いる。亡者になり果ててはいない。

 その昂揚が烈火の如く体を熱していく。

 その熱に呼応して、軋みを上げながらソウルが奔り――…

「いい加減にしろぉおおぉぉおぉぉぉぉおおぉぉおおっっ!!」

 同時、背後から炸裂した『神の怒り』には……まぁ、とりあえず殺気だけはなかった。

 完全に反応が遅れたのはそのせいだ。

 

 …――

 

「い、いったい何事なんですかぁ?!」

 ほとんど錯乱した様子で、リリが叫ぶ。

「分からないよ!」

 僕自身も、同じような有様だった。

 いきなり戦いが始まったのもそうだけど……。

「クオンが押されているだと……」

 リヴェリアさんが呻く。

 どう見てもそうとしか見えなかった。

 一対二という事を差し引いても、クオンさんが劣勢なのは間違いない。

「むぅ……。見事な使い手だが、何者だ?」

「一人はファランの不死隊。【深淵の監視者】の最後の生き残りだな。……まさか生きていたとは思わなかったが」

 ソラールさんの問いかけに、魔女さんが応じた。

「大剣を持っている方だ。刀を持っている方は私にも分からん。しかし、貴公も私も知らないなら、ドラングレイグの時代を生きた者と見てよかろう」

「そうなるか。過去の英雄となら俺も何度か出会ったことがあるが……未来の英傑に出くわすとは。これからは、こういう事もあるのだなぁ」

 この地はロードランと違い、ズレているわけではないというのに。

 その言葉の意味は、よく分からなかったけど。

「アーロン殿! 急にどうされたのです!?」

 叫んだのは、あの時の女の人だった。

 それどころか、僕達に怪物進呈(パス・パレード)を仕掛けようとしたパーティの三人が揃っている。

「お、お前ら!」

 表情を険しくするヴェルフ。

 それを他所に、魔女さんがああ、と小さく呟いた。

「貴公。今、アーロンと言ったな。もしや、騎士アーロンのことか?」

 少し離れたところにいる三人に問いを投げかけた。

「い、いえ。あの方は自分たちの派閥(ファミリア)ではないので、詳しいことは」

「あ、でも、どこかの国に仕えていたことがあるって……」

「ああ。以前タケミカヅチ様と酒……般若湯を酌み交わしている時に、そんなことを零していた」

 三人が投げ返してきた答えに、魔女さんが小さく頷く。

「やはりか」

「知り合いなのかい?」

「直接の面識はない。ただ、多少の縁くらいはあるかも知れないな」

 アイシャさんの問いかけに、魔女さんは首を横に振ってから、

「騎士アーロン。煤のナドラ……寄る辺を見つけられなかった憐れな同類がとり憑いた遺跡。その国が栄えていた頃、王に仕えていた騎士だ」

 魔女さんが小さく肩をすくめる。

「かの騎士こそが栄光をもたらし、その出奔と共に栄光は陰り、ついには滅びた。だが、彼が育てた騎士団の名は、国が滅び、その名すら忘れられてなお語り継がれていたという」

 もっとも、私があの弟子と出会った頃には、それも忘れられていたがね。

 その言葉に、アイシャさんが問いかけた。

「その割にはずいぶんと詳しいね」

「ああ。私の弟子から聞いた。ずいぶんと手を焼いたらしい」

 別に珍しくもない話だが――と。彼女は小さく笑ってから、

「さて、どうしたものか。今の馬鹿弟子に勝ち目はなさそうだが」

「しかし、勝ち目のない相手に勝ち抜けてきたのが我が友だ」

 ふぅむ――と、ソラールさんが唸る。

「それに、決闘というのであれば余計な手出しは……」

「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないだろぉぉおぉぉぉっ!?」

 神様が叫んだ。

「あれ、ひょっとしなくてもガチの殺しあいって奴じゃないかぁ?!」

 それは間違いないと思う。

 この前、夜の路地裏での襲撃よりもずっと危険だ。

「早く止めないと!! 早く早く!」

「神命、拝受しました。この身朽ちても必ずや」

「それじゃ意味ないんだってばあぁあっ!!」

 何だか物騒なことを言いだしたアンジェさんに抱き着き、神様が絶叫する。

「ベル様も絶対にダメですからね!!」

 死んでも離さない。そんな覚悟を目に宿して、リリが全力で抱き着いてくる。

 というか、押し倒された。

「でも、リリ。誰かが止めないと……!」

 別の意味で慌てながら、何とか座り込むまでに体勢を立て直す。

 その途中で、偶然にソラールさんと目が合った。

「う、うむ。では、俺が止めに――」

 そのソラールさんが頷きかけて、

「それでは、余計に混沌とするだけだ。貴公とて、三人まとめて打ち倒せる訳ではあるまい?」

 三つ巴が四つ巴になったところで意味がなかろう――と。

 魔女さんが、ゆるゆると首を横に振った。

「なら、私も――」

「お前が加わったところで何も変わらん」

 続けて名乗り出たアイズさんを、リヴェリアさんが制止する。

「いや、むしろ悪化する。お前はただ単に彼らと戦いたいだけだろう」

 あの、アイズさん。何でそこで目を逸らすんですか。

「なら、どうするんだよぉおおおおおおっ!!」

「さて……。あの戦いに割って入るなら、僕達も全力で、ありったけをぶつける必要がある」

 でも、それじゃ四つ巴どころか大乱戦になるだけだと、フィンさんが肩をすくめた。

「うむ。……いっそ、リヴェリアにまとめて氷漬けにしてもらうか? あやつらなら死にはすまい」

「それでは、やはり貴公らに飛び火するだけではないか?」

 ガレスさんの言葉に、魔女さんが改めて小さくため息を吐く。

「だが、バケツの水をぶちまけた程度で止まるとも思えんが――」

 リヴェリアさんが肩をすくめた時、

 

「この程度の相手に殺されたなど、あいつらも浮かばれないな」

 

(……え?)

 不意に聞こえてきた言葉に、思考が止まった。

 殺した。いや、それは、でも……。

「いかん! 全員下がれ!」

 今さらながらに、動揺している。

 でも、そんな暇すらありはしなかった。

 

 ソラールさんが叫ぶと同時、見ている()()()()()()()()のだから。

 

 いや、違う。これはクオンさんの呪術だ。

 今まで見た事がない規模で、それが解き放たれただけで。

「あちあちあち!?」

 一番薄着のティオナさんが、小さく悲鳴を上げながら、全身を手でバタバタ叩く。

 インナーの上から火精霊の護布(サラマンダー・ウール)を身に着けている僕だけど……大きく裂けた肩から熱が入り込んできた。

 とっさに神様とリリを庇ったのは大正解だったらしい。

 ソラールさんも盾を掲げて、霞さんたちを守っている。

「どうした、ホークウッド。抜かないのか?」

「抜かせてみやがれ」

 つい先ほど、アーロンさんと交わした会話が、役者を変えて繰り返されて――

「ふむ。……そういう趣向なら、仕方あるまい。今しばらく付き合うとしようか」

 そのアーロンさんもまた刀を鞘に納め、代わりに大弓を取り出した。

 ……もう、だんだんと驚かなくなってきた。

 多分、クオンさんやアンジェさん達にとって、それはできて当たり前の事なんだろう。

「どうやら、あの馬鹿もやっとその気になったらしいねぇ」

 どことなく恍惚とした様子で、アイシャさんが微笑を浮かべる。

「ホント……。相変わらず、変なところで意地っ張りよねぇ、アイツは」

 一方で、霞さんは帽子のつばを指先で少し引き下げ、小さく肩をすくめている。

「ああ。それに、相変わらず無茶な使い方をする……」

 魔女さんまでが、呆れ半分に嘆息した。

「それに、火がついてしまったなら、いよいよ止まらんな」

「そうね。時々面倒くさいくらい負けず嫌いになるし」

 Lv.2となった僕でも、もうほとんど追いきれない。

 途切れることなく打ち鳴らされる剣戟の音だけが、その苛烈さを伝えてくる。

 それに、何だか妙に寒くて息苦しい。

「あーもー!」

 そんな空気を押し返すように。

 タシタシと地面を蹴りつけてから、神様が叫んだ。

「こうなったら、最後の手段だ。ボクが――」

「もし神の力を使おうとしているなら、やめておきたまえ」

 それより先に、魔女さんが肩をすくめる。

「あの三人がまとめて襲ってきたなら、私程度ではとても庇いきれん」

 もっとも、ドラングレイグの時代には、神の存在などほとんど忘れられていたようだが――と。

 やっぱり、魔女さんの言葉には気になることが多いけど……。

「それなら、こうだ!」

「あ、神様?!」

 クオンさん達の動きが止まった一瞬、神様が走り出した。

「いい加減にしろぉおおぉぉおぉぉぉぉおおぉぉおおっっ!!」

 とりゃー!――と、神様が跳び蹴り(ドロップキック)を放つ。

 最悪の事態を想定して、思わず背筋が凍り付くが――…

「うぅむ……。あれほど殺気がなければ、やはり反応できんか」

 その蹴りは、思った以上にあっさりとクオンさんの膝裏あたりに直撃した。

「だっ?!」

 完全に不意を突かれたのか、カクンと、その体が大きく揺れる。

「ヘスティア、お前!? さてはここぞとばかりに殺しに来たな!?」

「ちがわーい!! ボクを何だと思ってるんだ?!」

 振り返り、割と本気で怒鳴ったクオンさんに、最大級の気迫で神様が怒鳴り返す。

 それどころか、下から突き上げるようにその顎辺りに頭突きまで叩き込んでいた。

「だいたい、何でいきなり殺し合いをはじめるんだよぉぉおぉぉぉおおおおおっ!?」

「いや、だってあいつらが……」

 ホークウッドさん達を指さして、クオンさんが言い訳する(ぼやく)けど――

「だってもあさってもなぁぁああああいっっ!!」

 ――やっぱりというか、火に油を注ぐだけだった。

 ああ、でも。さっきまでの張りつめた空気がもうすっかり弛緩しきっている。

 流石です、神様!

「やぁ、貴公。ずいぶんと元気そうじゃないか。安心したよ」

「……カルラか」

「貴公の事情は分からぬが、ここは剣を引け。無関係の者を巻き込むのは本意ではないだろう」

「ふぅむ……」

 それを好機と見たのか、魔女さんとソラールさんが二人の間に立ちはだかった。

 というか、魔女さんはホークウッドさんと知り合いらしい。

「というか、君たちはタケが寄越した援軍とかじゃないのかい?!」

 二人がため息とともに武器を降ろしたところで、僕達も傍に駆け寄る。

 それより先に、神様が叫んだ。

「いや、人違いだろう。そのタケって奴には心当たりがない」

「うむ。私も精々迷い子の捜索しか頼まれておらん」

ボク()の言葉には『はい』か『YES』で答えろおおぉぉぉっ!!」

 がおー!――と、神様が吼える。

 あの、神様。ホークウッドさんは多分、本当に関係ないんじゃ……。

「これだから神って奴は……」

 そのホークウッドさんとクオンさんの舌打ちが見事に重なった(ハモった)

「今回は絶対に君たちのせいだろう?! そんな悪態ついても騙されないぞぉ!」

 左右に結った黒髪を逆立たせ、神様も一歩も引かない。

「今日は負けないからなぁあぁああぁぁああ?!」

「よし分かった。覚悟しろ。今の俺はちょっとソウルに飢えているぞ」

 いつも通りの取っ組み合いに、何だかちょっと安心した。

 ……それに、確かにいつもよりちょっとだけいい勝負になっている。

 あっさり関節を極められても、まだ降参(ギブアップ)してない。

 あの、神様。あまり無理しないで。クオンさんも程々のところでやめてあげてくださいね。

「さて、どうする?」

「流石に興が削がれた。貴公はどうだ?」

「同感だ。それに、このまま続けても意味がない」

「無念だが、そのようだ。何やら、妙なことになっておる」

 アーロンさんとホークウッドさんが揃って肩をすくめる。

「ソウルが凝っておるようだ。失ってまではいないが、意味を成しておらん」

 何をどうすれば、あのようなことになるのか。

 アーロンさんが兜の向こう側から、怪訝そうな視線を向けて――

「それにすっかり腑抜けていやがる。墓場から這い出してきたばかりの方がまだマシな(ツラ)をしていたな」

 一方で、ホークウッドさんは小さく舌打ちして――

「放っておいてくれ。こっちにも色々と事情があるんだ」

 クオンさんが苦々しい声で呻いた。

「フン……。どこかにバシリスクの新種でもいるのか?」

「今のところ見かけてはおらんがなぁ」

 いずれにせよ、と彼らは嘆いた。

「今のそいつに勝っても意味がない。ソウル云々より腑抜けていることが問題だ」

「うむ。同感だ」

「つくづく放っておいてくれ。一応自覚だけはしているんだ」

 クオンさんまでが、片手で顔を覆ってはため息を吐く。

 それは、つまり、本当に本来の力を発揮できていない――?

「フン……」

 ホークウッドさんとアーロンさんが、それぞれ武器を納めた。

 ……事情はよく分からないけど、とりあえず戦いが終わったのは間違いなさそうだ。

 衝撃を飲み込めないまま、何とか無理矢理に納得する。

「行くのか?」

「ここにいても仕方がない。あんたは?」

「ふむ。貴公と死合うのも愉しそうではあるが……」

 アーロンさんは肩をすくめて言った。

「物事には順番がある。まずは宿願が叶う時を待つとしよう。……互いにな」

 フン、と。最後に鼻を鳴らすとホークウッドさんはそのままどこかに向かって歩き出す。

「ああ、そうだ。我が名はアーロン。これも何かの縁だ。貴公の名を教えてもらえるか?」

「ホークウッドだ」

 それだけ言い残すと、今度こそホークウッドさんは歩き去っていった。

 ……多分、リリ達が言う『街』に向かっていったのだろう。

「では、私もまずはひよっこどもの世話でも焼いてくるとしようか」

 そう言って、アーロンさんは、この前の……ええと、確か命さん達の方へと歩いていった。

「流石に疲れた……」

 それを見届けてから、クオンさんが剣を杖代わりにして地面に膝をつく。

「相変わらずで安心したよ。この未熟者め」

「それ、絶対に褒めてないだろう」

「なに、まだ貴公の師を名乗っていられそうだと思っただけさ」

 クスクス笑う魔女さんに、クオンさんがぐったりした様子で呻いた。

 確かに、ここまで疲れ切った姿は初めて見る。

「あの、クオンさん……」

 それどころか、こうして会うことすら随分と久しぶりのような気がする。

 何だか、妙に緊張してきた。

「あー…。ええと、何だ……」

 クオンさんも困惑しているらしい。

 しばらく言葉を探ってから、

「何か、思ったより元気そうで安心したぞ」

「いや、それはまぁ、今のクオンさんに比べれば……」

 クオンさんは、それこそ初めて見るくらいボロボロになっているし。

「……そりゃそうだな」

 ため息とともに、右手に『火』が灯る。

 聞き取れない言葉で物語が紡がれ、金色の魔方陣が浮かび上がり、その光に包まれてクオンさんの傷が消えていった。

 ……これで力が発揮できていないって言われても全く信じられないだけど。

「やぁ、クオン。久しぶりだね」

 フィンさんが声をかけてきた。

「ああ。……シャクティから聞いているだろう。今さら寝首を掻いても一ヴァリスにもならないぞ」

「残念だけど、そのようだね」

 再び険悪な空気が漂い出す。

 ……ああ、やっぱり安心したのは間違いだったのかもしれない。

「まぁ、それはともかく。例の呪詛(カーズ)……『深淵』と言ったね。それについて教えてもらおうか」

「ああ。分かった」

 何だか、リヴェリアさんが言っていた言葉が嘘のようにクオンさんはあっさり頷いてから。

 よっぽど驚いたのか、目を丸くするフィンさんとリヴェリアさんに向かって言った。

「シャクティに聞け」

「私に丸投げするな」

 色々と気になることはあるけど……でも、うん、まぁ。

(やっぱり、クオンさんだよなぁ)

 変わっていない姿に。

 あと、何だか慣れた様子で肩をすくめるリヴェリアさん達を見て、奇妙な安堵を覚えていた。

 

 

 3

 

 それから、すぐに。

 フィンさん達が言っていた呪詛(カーズ)――『深淵』というものについて、情報交換が行われることになった。

「もはや地上の冒険者の多くが知ることだ」

 話の邪魔にならないよう、僕達は辞退しようと思ったんだけど……シャクティさんに引き止められた。

「むしろ、聞いておいた方が良い」

 これからは全ての冒険者が最大限の警戒を要する異常事態(イレギュラー)として認識しておく必要がある。

 シャクティの言葉に、思わず唾を飲み込んだ。

「とはいえ、僕達の方は全員参加とはいかないかな。人数が多いし、まだ寝込んでいる者もいる」

「人数と言えば、リヴィラの方にも声をかけておいた方が良いだろうな」

「そうだね。……となると、やっぱり全員参加とはいかないか。幹部と幹部候補を招集。残りは後で僕達が説明しよう」

 フィンさんとリヴェリアさんが揃って肩をすくめた。

「急いで会場を用意する。すまないが、少し待っていてくれ」

 その指示に従って、今は待機中なんだけど……。

 

「あれは俺が出した指示だ。そして俺は、今でもあの指示が間違っていたとは思っていない」

「……それをよく俺達の前で口にできるな、大男」

「まったくです。しかも、その団員を最後に助けたのはベル様ではありませんか」

 僕達は僕達で、解決しないといけない問題があった。

 まぁ、問題と言っても……『怪物進呈(パス・パレード)』は、ダンジョンの中では日常茶飯事だ。

 ダンジョンで生き延びるための手段の一つでもあり……それとは別に、まったく意図せず仕掛けてしまう事もある。

 例えば、初めてアイズさんと出会ったあの日……まぁ、つまり初めてミノタウロスと遭遇した日だけど。

 あの一件も、不測の事態だったらしい。大量発生したミノタウロスが一斉に逃走するという。

(あのミノタウロスが群れで逃げ出すって……)

 やっぱり、アイズさん達って凄いんだなーと、少しだけ現実逃避してから。

 理由は何であれ、全ての冒険者はいつ加害者(しかける)側になるか分からない。

 明日は我が身ではないけど……だからこそ、『怪物進呈(パス・パレード)』には一定の理解を示さなくてはいけない。

 そこに悪意がない限りは。

 ――と、エイナさんから教わったことがある。

 

 悪意。

 あの時のこの人達……桜花さんたちにエイナさんの言うような悪意があったかどうか。

 

 僕達から見れば『悪意』はあったと言えるけど……本質的には仲間を守り生還するための行為だ。

 とはいえ、そのせいで僕達が文字通りに死線を彷徨う羽目になったのも事実。

 それに、あれは果たして『怪物進呈(パス・パレード)』と呼べるのか。

 あの時、桜花さんたちと合流できなければ、背後から現れたモンスターの大群に襲われていたかもしれない。

(連結路前で崩落さえ起こらなければ……)

 いや、そんなことを言いだしたら切りがなくなる。

 まずは一種即発のこの空気をどうにかしないと……っ!

「クオンさん……」

 天幕の隅っこの方で胡坐をかき、成り行きを見守っているクオンさんへと振り返る。

「あ~…。いや、大体事情は分かったし、心情的にはお前達の味方のつもりだが……」

 困った様子で眉間を指先で掻いてから、

「シャクティ」

「だから、何でも私に振るな」

 同じ天幕の中に、シャクティさんたちもいる。

 ……結構な人数なので、中にいるのはシャクティさんの他にアイシャさんだけだけど。

 まだ免罪が周知されていないので、クオンさん達が外にいると余計な騒ぎが起こりかねないんだとか。

「これに関しては、冒険者(おまえ)こそ専門だろう?」

「……それは、そうだが」

 ため息を吐いてから、

「ダンジョンの中では不測の事態が起こるものだ」

 改めて僕達を見回して言った。

 怪物の宴(モンスター・パーティ)迷宮の陥穽(ダンジョンギミック)

 武器やアイテムを失う。

 現在地を見失う。

 強化種の発生。

 淀むことなく、いくつもの危険性をシャクティさんを指摘した。

 それは悉く、今回の僕らが経験してきたことでもある。

「他に他派閥に抗争を仕掛けられるということもある。悪意を持った『怪物進呈(パス・パレード)』はその一つだ」

 もちろん、今回はそうではないことは承知しているが――と。

 不満そうな桜花さんを制してから、

「ダンジョンとはそういう場所であり、また不用意に他派閥と関わるのは基本的に危険な行為だ」

 暗黒期よりはマシになったが、今も悪名を誇る派閥には事欠かない。

 シャクティさんがため息とともに肩をすくめる。

「だから、常に備えておけ。今回で言うなら、目の前にいるパーティがどういうものかを知っておくだけでも少しは違ったはずだ」

 具体的には助けを求めたなら、法外な報酬を請求してくる相手か。

 逆に怪物進呈(パス・パレード)を仕掛けてくる相手か。

「もしくは、連携を組んだところで諸共に全滅するだけか。……警戒したのは、そんなところだろう?」

「……違うとは言わない」

 桜花さんが唸る。

 実際、あの時の僕達に余裕はあったかと言われれば……。

(ちょっと厳しかったかな)

 桜花さんたちを追っていたモンスターの群れが加わったなら、逃げ出すしかなかった。

 ただ、連携さえ組めたなら、もう少し状況が違ったとも思う。

 なし崩しに協力し合った撤退戦。ギリギリだったけど……それでも、まだ何とかなっていた。

 崩落さえ起こらなければ――と、今さらそれを言っても仕方ないけど。

 それに、例え崩落が起こらなくても、絶対に大丈夫だったとはとても言えない。

「せめて自分たちと実力の近い派閥については情報を集めておくことだ」

 なるほど、と。声にせず頷いた。

 ランクについては公表されているんだし、大体の到達階層は予想できる。

「大よその力量と雰囲気くらいなら、ギルドのアドバイザー達が教えてくれる。それだけを信じるのも危険だがな」

 それでも、やらないよりはずっといい。

 シャクティさんの言葉を聞きながら、ふと思い出した。

(そういえば、パーティの斡旋なんかもしてくれるんだっけ)

 リリと会う前に、僕もサポーターについてエイナさんに相談したことがある。

 ヴェルフも空きのあるパーティがないか相談したことがあるんだとか。

 つまり、ギルドはある程度のパーティ事情を把握しているということだ。

「他にも、思いつく限りの想定をしておけ。何があっても乗り越えられるように。それが冒険者というものだ」

 偉大な先達からの助言に、全員が真剣な顔で頷いた。

 シャクティさんもそれに頷き返してから、

「もっとも、彼に関する情報はほどんど出回っていなかったからな。今回ばかりは仕方がないとも言えるか。何しろ、前代未聞の大躍進だ」

 全くの無名からいきなり上級冒険者の仲間入り。噂になる暇もなかった。

 少しだけ口調を柔らかくし、シャクティさんは冗談めかして言った。

「情報を集めるのは難しかったのは確かだな。実を言えば、私達も大した情報は持っていない」

「やっぱり」

 ――と、リリとヴェルフ……それどころか、アイシャさんまでが頷く。

 あ、あれ。何だか凄く気まずい……っ!?

「他には……そうだな。冒険者らしく言うなら、大きな貸しを作ったと思っておけ」

 少しだけ空気が軽くなったところで、小さく笑ってシャクティさんが続ける。

「いざという時に返してもらえばいい。少なくとも、彼女は踏み倒すことはしない。そうだろう?」

「ええ。勿論です」

「……そういう、ことでしたら」

 すぐに力強く頷いた命さんを見て、リリも少し躊躇いがちに頷いた。

「それと、念のため伝えておくが。彼らを連れてきたのは私達ではない。偶然にダンジョンの中で出会っただけだ」

 私達はギルドからの強制任務(ミッション)で、一四階層から一八階層の調査中だった。

 その言葉に、クオンさんとアイシャさんが肩をすくめる。

「彼らがお前達を窮地に追いやったのは確かだろう。だが、助けに来たこともまた彼らの意思だ」

 その言葉に、神様もまた頷いた。

「あとは、お前達が決めるといい。どうしても許せないというなら、それも仕方がないことだ」

 私から言えるのはそれくらいだな――と、シャクティさんは肩をすくめる。

 その言葉を最後に、しばらくの間沈黙が続く。

「……割り切ってはやる。だが、納得はしないからな」

「ああ……それでいい」

 ヴェルフの言葉に、桜花さんも神妙な顔で頷く。

 それで、とりあえず不穏な空気は取り払われた。

 ……まだちょっとぎこちないけど、それは仕方ないことか。

「話はまとまったか?」

「リヴェリアさん……」

 気づけば、天幕の入り口にリヴェリアさんが立っていた。

「ちょうどな。そちらも終わったか?」

「ああ。ようやくお前が持ってきた書簡が本物だと納得させられた」

 眉間を押さえながら、リヴェリアさんが疲れた様子でため息を吐く。

 ……会場の準備というのには、あの書簡を伝えることも含めているのか。

 なんて、今更ながらにそんなことに気づく。

「では、行くか」

「ああ。説明、頑張ってな」

「今度は間違いなくお前が専門だ!」

 座ったまま無責任にひらひらと手を振るクオンさんに、シャクティさんが叫んだ。

 

 …――

 

 リヴェリアさんに案内された天幕には、フィンさんとガレスさんがすでに待っていた。

 他にもアイズさんやティオナさん、ティオネさん。他にも何人か。

 多分、噂の『街』の人もいるんだろう。見覚えのない、強面の冒険者が何人か混じっている。

 そこにクオンさんとシャクティさん。

 僕とリリとヴェルフ。もちろん神様と……他に桜花さん達もいる。

 免罪されたことは全員が知っているのか、敵意のようなものはない。

 ……思っていたよりはずっと。

 

「――と、まぁ。大体『深淵』というのはそういうものだ」

 説明もまた思ったよりも短かった。

 と、いうか。短すぎてよく分からない。

(闇よりも暗い闇。神々ですら抗えない厄災。忌まわしき呪い……?)

 いや、忌まわしい呪いっていうのは納得だけど。

「それでは抽象的すぎてよく分からない。もう少し詳しく話してくれ」

 僕の心境を代弁するかのように……と、いうよりその場にいる全員を代表して、リヴェリアさんが言った。

「そう言われてもな……」

 クオンさんも困ったように呻いてから、

「要点だけをまとめるなら、性質の悪い『呪い』だから近づくなって話だ。異形や『深淵種』がいたなら、間違いなくどこか近くに『深淵』が発生している。異形どもがいなくとも、周りが不自然に暗くなったら要注意だ。もしくは、『虫こぶ』……ダンジョンの中に巨大な石柱か、それに似た不自然な造形物があっても同じだな。間違っても突いて破裂させるなよ」

 虫こぶ……不自然な造形物。

 その言葉に思い出すのは、やっぱりあの『変異種』をさらに変化させた『蛹』だ。

 となると、フィンさん達が言うように、あれはその『深淵』というものの影響で生まれたのだろう。

「あと、さっきも言ったが、念のためこの薬は常備しておけ。決して過信はできないが、それでもないよりはずっといい」

 最後に小箱に入った黒い丸薬を示して、クオンさんが言う。

「それはどこで手に入るんだい?」

「オラリオでは『イーリアス』って店に売ってるらしい。詳しい場所はギルドに問い合わせろ。実は俺もまだ行ったことがない」

 ウラノスからの情報だから間違いはないはずだが――と。

 クオンさんの言葉に、シャクティさんが付け足した。

「イルタ……第一次調査隊が、その店員から薬を受け取っている。それを服用した者はほとんど生還した。私達もな」

「なるほど。地上に戻り次第、手配しよう」

「『イーリアス』に売っている『黒虫の丸薬』ですか……。リリもすぐに買いに行かないと……」

 きっとすぐに品薄になる――と。

 フィンさんの言葉に合わせて、隣のリリまでがため息を吐いた。

「だが、あまり過信するな。『深淵』そのものに落ちたなら、大体の奴は()()()()()()()()()()

「悪ければ、あの異形の仲間入りか?」

「そういうことだ」

 あっさりとした肯定に、リヴェリアさんが嘆息した。

 もちろん、嘆息したのはリヴェリアさんだけではないけれど。

「対処法は?」

「とりあえず、正気のまま地上に戻ってギルドに知らせろ。あとは、こちらで何とかする」

「それについてだが、一つ訊きたい」

 リヴェリアさんが鋭い視線を向けて言った。

「何故お前だけがその『深淵』に入ることができる?」

「別に俺だけってわけでもないんだが……」

 肩をすくめてから、クオンさんは続けた。

「大昔に『深淵』を生み出した公王ども……簡単に言えば『深淵の主』を殺したからだ。その時に耐性ができたらしい」

「『耐異常』のようなものか」

「おそらくな」

「それなら、次に出現した『深淵の主』を討伐すれば、僕達にも耐性ができると?」

 フィンさんの問いかけに、何故かクオンさんは首を横に振った。

「可能性がないとは言わない。だが、極めて低いだろうな」

「何故だい?」

「お前達が、『神の血』を寄る辺にしているからだよ。言っただろう。()()()()()()()()()()()だと」

 その言葉に、ざわめきが起こる。

「これはもう単純に相性の問題だ。何とかしろと言われても困る」

 ()()()()()()()()、それには対応できない。

 クオンさんが言っているのはそういうことだった。

 ざわめきが起こらないはずがない。

「ベートが君について行ったと【象神の杖(アンクーシャ)】から聞いたけど、それはどういう絡繰りなんだい?」

「まったく方法がないなら、まず俺自身が公王どものところに辿り着けるはずがないだろう」

 クオンさんが取り出したのは、一つの指輪だった。

「【深淵歩き】……神々の英雄が命がけで残した代物だ。こいつの力があれば、何とかなる。外さない限りな」

「神々……。まさか神創武器の一種だと?」

 フィンさんの言葉に、先ほどとは別のざわめきが満たしていく。

 ほう!――と、どこかで歓声にも似た声まで上がり……何故かヴェルフがため息を吐いた。

「おそらくな。もっとも、俺も実際にどうやって作られたのかまでは知らないが。だが、その神が遺したものだという事はまず間違いない」

 彼の墓に安置されていたものだからな。

 クオンさんは、何故か嘆息しながら言った。

「となると、そちらを量産するのは、ほぼ不可能か……」

「待て、フィン! それは早計というものだ。まずは手前どもに見せてみよ! 」

 興奮した様子で言ったのは、ヴェルフに絡んでいた女の人……【ヘファイストス・ファミリア】の団長、椿さんだった。

「落ち着け。あれは武具というより魔道具(マジックアイテム)だろう」

 リヴェリアさんがため息を吐く。

「ここは鍛冶師(スミス)ではなく、魔道具作製者(アイテムメイカー)の出番だ」

「むむ……」

 一転して、無念そうな唸り声を上げてから、小首を傾げて。

「しかし、【万能者(ペルセウス)】が所属するのは――…」

「頼む。何も言うな。話が進まなくなる」

 リヴェリアさんが遮るように……そして、まるで懇願するように言った。

「『耐性』に関してだが」

 さらに畳みかけるように、シャクティさんが続ける。

「その指輪を使い、【凶狼(ヴァナルガンド)】が『深淵』内部に侵入。いわゆる『深淵の主』を討伐している」

「ベートに耐性が発生しているかもしれない。そういうことかい?」

「だが、『耐異常』と同じく発展アビリティだとすれば、ランクアップを待つしかない」

 確かめられるのは、いつになることか……。

 リヴェリアさんが柳眉を寄せる。

「その通りだが……もし『スキル』であれば、いつ発現してもおかしくはない。賭けではあるが」

「ああ。……これは倍率(オッズ)の高い賭けになりそうだ」

 オラリオに名を馳せる大派閥の団長や幹部たちが揃って深々と嘆息した。

 ひょっとしたら、物凄く貴重な光景かもしれない。

 ……いや、そんな呑気な話じゃない。それほどに深刻な事態なのだ。

「そもそもの話、何故『深淵』は発生する? 過去に発生例はないはずだ。少なくとも、ダンジョン内では」

「誰かが発生させていると見ていい。今のところは、だがな」

「では、その誰かを止めれば?」

「新しく発生することはない。ダンジョンがその呪いを取り込まない限りは」

「なら、術者の捜索を優先……いや、それこそが急務だね。心当たりは?」

「あったらまずそっちを潰しに行っている」

「それもそうか」

 今のところ、対処する以外の方法がない。

 でも、このまま放っておいてダンジョンの至る所にそんな呪いが発生するようになったら、それこそ終わりだ。

 探索することもままならず、ダンジョンからは『変異種』――『深淵種』が溢れ出てくることになりかねない。

 本当に神々ですら封じきれないなら、神蓋(バベル)の封印もまた意味を失いかねないのでは……?

 そんなささやきが天幕の中を満たしていく。

「何というか……。こりゃ、俺達も本気で他人事じゃないな」

「『中層』どころか『上層』に発生してもおかしくないということですからね……」

 深刻な空気にげんなりとした様子で、ヴェルフとリリが呻いている。

 それは僕も同じ気分だったけど……。

(本当にモンスターも変容するんだ……)

 安心する、と言うのも変な話だけど……それでも、やっぱり――…

「やっぱり、連結路近くで遭遇した変なモンスターは……」

「ええ。あれはアルミラージです」

 胸に(つか)えていた不安を呟くと、近くにいた命さんが頷く。

「『深淵種』と言われる状態にならない限り、自分の『スキル』は元のモンスターと認識するようです。ここまでの道中でもそうでした」

 その言葉に、改めてホッとする。

 もちろん、リヴェリアさん達の言葉を疑っていたわけじゃないけど……。

「最後に念を押しておくが」

 そんな僕の安穏とした考えを見透かしたようにクオンさんは言った。

「異形化したなら、後は殺すしかない。殺されるのが嫌なら、その闇には近づかないことだ」

 その言葉を最後に、その説明会は幕を下ろした。

 

 …――

 

 それからいくつか、質問が飛び交ってから……。

「ところで、ベル。お前達はずっとここにいたのか?」

 最後まで天幕の中に残っていた僕達に、説明を終えたクオンさんが問いかけた。

「え? はい、ずっとアイズさん達にお世話になってました」

「そうか……」

「あの、どうかしましたか?」

 何かを考えこむようなその表情に、少し不安を覚えつつ問いかける。

「いや、宿代が高くついたのか、それとも安く済んだのか考えてただけだ」

 肩をすくめ、ため息を吐いてから、

「おい」

「何だい」

「受け取れ」

 何事か打ち合わせをしていたフィンさんが振り返ると、クオンさんは結構大きな何かを投げ渡した。

「おっと! ……これは?」

 小人族(パルゥム)のフィンさんが両手で抱えなくてはならないほど大きな魔石だった。

 恩恵(ファルナ)を宿した冒険者でなければ、平然と受け止めることはできないんじゃないかと思うくらいに。

「ベル達の宿代と治療費だ。お前達はもう地上に帰るんだろう? 地上価格で売れば、それ一つで充分だと思うが」

「ああ、確かに。でも、ここじゃお釣りは出せないよ?」

「気にするな。初めから期待してない」

 その言葉に苦笑して、フィンさんがそれを傍にいた黒髪の優しそうな男の人に渡した。

「あんなに大きな魔石があるんだ……」

「あれは、ゴライアスの魔石だね」

 目を丸くしていると、アイズさんが言った。

「え? ゴライアスの?」

「うん。何度か、見た事があるから」

 ……それは、そうだろう。

 二週間前にあの巨人を倒して、アイズさん達は『深層』へと向かっていったんだから。

(それに……)

 逃げるのがやっとだったあの巨人。

 それよりももっと強大な階層主を、アイズさんは一人で倒している。

 二週間以上前に聞いた話を……成し遂げられた『偉業』の過酷さを改めて思い知る。

 憧憬はまだ遥か先にいるということも。

「何だったら、帰りの護衛代も出るけど……」

「それは本人達に聞いてくれ。とりあえず、俺達はもうしばらく一八階層にいるからな」

「ここに残る。ああ、リヴィラの住人の安否確認だね」

「ああ。さっき何人か見かけたが、念のためな」

「僕達の把握している範囲では、何人か異形化しただけだけど……。それと、地上に向かった冒険者が帰って来ない」

 でも、そちらはギルドに『保護』されているんだろう?

 フィンさんの問いかけに、クオンさんが小さく笑う。

「ああ。あいつらは口も人相も柄も悪いからな。どうせ『要警戒』扱いになってるんだろう」

 違いない――と。今度はフィンさんが笑った。

「あの様子なら、本当に単なるリヴィラ観光で終わりそうだな」

 祝杯はシャクティに止められているが――と、小さく呟くのが聞こえた。

「だろうね」

「だが、顔だけは出しておかないと、後でギルドに文句を言われる。それは面倒だ」

 頷くフィンさんに肩をすくめて見せてから、クオンさんは天幕を出ていった。

「ええと……」

「ああ、気にせず泊まって行ってくれていいよ。もちろん、帰路に同行してくれていい」

 困惑していると、フィンさんが苦笑した。

「と、いうより。帰還はともかく、リヴィラに泊まらせるのは色々と不安がある」

 あの、何で僕を見て言うんでしょうか……。

 何かどことなく幼子でも見守るような目でリヴェリアさんに見つめられ、困惑する。

 あと、性懲りもなくちょっとドキドキした。

「でも、クオン君がいるだろ? あの子がいるなら――」

「それだけなら、問題ないが……」

 首を傾げる神様に、リヴェリアさんが少し視線を泳がせてから言った。

「今は、その……霞や【麗傑(アンティアネイラ)】が同行している」

「はっ! 確かにっ!?」

「ベル様、ここは素直にお世話になりましょう! ええ、折角のご厚意ですから!!」

「ええ?! き、急にどうしたの?!」

 目の色を変えて、神様とリリが迫る。

 こ、これはまさか『はい』か『YES』で答えなくちゃいけないやつなんだろうか……っ!

「あの、すみません。お世話になります」

「ああ、ゆっくりしていってくれ」

 それで結局。

 頭を下げる僕に、フィンさんは苦笑しながら頷いてくれたのだった。

 

 そして、それから。

 

「ところで、シャクティ。君はどうするんだい?」

「クオンと共にリヴィラに向かう。お前を疑う訳ではないが、直接この目で見て……念のため、他の住民からも話を聞いておきたい。それに、私もロイマンに文句を言われるのはごめんだからな」

 リヴィラの安否確認も強制任務(ミッション)の一部だからな。できる限りの情報を集めておきたい。

 シャクティさんはそこで、僕達の方に視線を向けてから、

「宿は別にとるさ。奴は、わざわざ寝込みを襲ってくることはないからな。それよりも、お前達に貸しを作る方が怖い」

「酷いな。困っている同業者に手を貸すくらいは僕達だってする。……まぁ、君達のような大派閥になら、流石に少しくらい見返りを求めるか知れないけどね」

 フフッ……と。小さな笑い声。

 うん、これは第一級冒険者同士が交わす一流の冗談に違いない。

 何となく微妙に漂っている気がする緊張感は単なる錯覚だという事にしておく。

「……ところで、【象神の杖(アンクーシャ)】。一つ気になっているのだが」

 実際、その一言でその変な空気はあっさり霧散していった。

「どうした?」

「彼女は、神ヘスティアだろう。……私の記憶が確かなら、神々がダンジョンに立ち入ることは禁止されていたはずだが」

「ええ?!」

 悲鳴を上げながら神様を見ると、何故か神様はぐっ、と親指を立てていった。

「大丈夫だぜ、ベル君! 今のボクは霞君の妹のヘスだからね!」

「……はい?」

「あれ、ティアだったかな?」

 問題はそこじゃないです!

 可愛らしく首を傾げる神様に、思わず突っ込みそうになった。

「何も言うな」

「分かった。何も言わない」

 頭を抱えて呻くシャクティさんに、リヴェリアさんが沈痛そうな顔で頷いた。

 あの、何だか本当にすみません……。

「よく分かりませんが……グダグダなことになっている気配がします」

 そもそも、ここでネタバレしてどうするんですか――と。

 半眼のリリまでが、呆れた様子でため息を零している。

「……だが、どのみちひとりで地上に帰せるわけもない。詳しい話は地上に戻ってからだ」

「な、何だってー!?」

 神様の悲鳴を聞き流し、シャクティさんは何故か僕に視線を向けた。

「ベル・クラネル」

「は、はい!」

 第一級冒険者に名前を呼ばれ、つい背筋が伸びる。

「本来なら、真っ先にするべきことだったが……すまない。フィリア祭では、私達の落ち度で迷惑をかけた」

 どうか神ヘスティアにも伝えておいて欲しい。

 わざわざそう付け足してくれるシャクティさん。やっぱり、色んな意味で良い人に違いない。

 いや、今はそんなことよりも――…。

「い、いえ、そんな……!」

 フィリア祭の裏側であったことは、何となくだけど分かっている。

 僕達が巻き込まれたのは、多分ちょっと運が悪かっただけの事だ。

 別にシャクティさん達が悪い訳じゃない。

「それなら、少しだけボクの相談に乗ってくれるかい?」

 一方、神様は妙に真剣な顔でそんなことを言いだした。

「……いくら【ガネーシャ・ファミリア】の団長でも、ギルドの規則は曲げられないと思いますよ?」

 というか、曲げられたならそっちの方が問題です。

 まだ半眼のままのリリが言う。

「ち、ちがわーい! それに今のボクは霞君の妹だし!」

「『今の』と言っている時点でアウトではないですか?」

「……それで、相談とは?」

 シャクティさんが何事もなかったかのように問いかける。

 リリとのやり取りは、鋼の精神力でなかったことにしてくれたらしい。

「うん、それなんだけど……」

 ちょいちょい、と神様は手招きをする。

 シャクティさんが軽く身をかがめると、

「いえ、それは……」

「頼むよ。多分、もうボクも――」

 聞き取れたのは、それだけだった。

 色々なことがあったせいだろうか。何だかちょっと不安だ。

「分かりました。私からもクオンに相談してみましょう」

「うん。よろしく頼むよ」

 神様の言葉に頷くと、シャクティさんも天幕を出ていった。

 

 

 

「わざわざ呼び止めて、今度は何のようだ?」

 先ほどとは別の天幕の中で、クオンが問いかけてくる。

 不機嫌そうなのはいつもの事だけど……今回は、それに加えて警戒の色がある。

「ソラール達どころか、わざわざアーロンまで呼びつけて……」

 ソラール――彼の友人だという戦士と、カルラという女魔導士。

 彼女とクオンの関係については、特に深掘りする気もないけど。

 それとは他に、【タケミカヅチ・ファミリア】と関わりのあるらしい、アーロンという剣士も招いていた。

 他にいるのは、リヴェリアとガレス、それにアイズ。

 もちろん、クオンへの言伝を頼んだ【象神の杖(アンクーシャ)】もいる。

「勧誘したいなら、本人に直接交渉しろ。俺に仲介を期待するだけ無駄だぞ」

「その助言は有り難く受け取っておくけど、今回はそうじゃない」

 肩をすくめて見せるが……それで機嫌が直る訳でもない。

 これ以上悪化する前に、本題に入ることにした。

「彼の名前をアーロンと言ったね。そして、彼女はその名を冠した騎士団が存在したとも」

「ああ。アーロン騎士団と言えば、当時は精鋭で鳴らした存在だった」

 クオンに続いて、アーロンもまた頷く。

「もっとも、栄枯盛衰は世の常。私が出奔してさほどの時を置かず、デーモン一匹に滅ぼされたと聞くが……」

 未熟者どもめ。その言葉から、感情を読み解くことはできなかった。

 口調の通り呆れているのか。それとも、単なるありきたりな演技なのか。

「実は以前、ホークウッドと共にとある冒険者依頼(クエスト)に赴いたことがある。もっとも、僕じゃなくてアイズとベート、そしてレフィーヤだけだけど」

 正確には、他に【ヘルメス・ファミリア】も加わっているのだが……あの男神とクオンとの関係性は僕達より遥かに悪い。

 迂闊に名前を上げては、まとまる話もまとまらなくなる。

 もっとも、

(おそらく黒ローブの男は神ウラノスの私兵だ)

 ならば、すでにクオンの耳にも入っていたとして、何ら不思議はない。

 ……いや、神ウラノスもまた同じことを考え、あえて伏せている可能性もあるか。

「それがどうかしたか?」

「その時に、奇妙な人物と敵対することになった」

 もっとも、それが本当に人間だったかどうか。

「さては、こういう鎧を着たやみれ……()()()()()だな」

 クオンの体が青白い燐光に包まれる。

 いつもの『スキル』だ。

 そして、光が消えたのち、纏っているのは見慣れた黒衣ではなく、紫黒の鎧。

「その鎧……!」

 それを見て、アイズが少しだけ声を荒げる。

「アイズ、間違いないかい?」

「うん。あの人が来ていた鎧と同じ」

「ふむ……。確かにそれは、我らがアーロン騎士団の鎧だが……」

 唸るアーロンに、クオンがあっさりと頷いた。

「中身は多分、アーロン騎士じゃないだろうな」

「うむ。まず得物が違う」

「ああ。それに、太刀筋もだ」

 アーロン騎士には、俺も散々世話になったからな。

 クオンはそう言って肩をすくめる。

「あの刀は≪人斬り≫だ。こいつと同質の代物だな」

 クオンの手には、赤錆び、刃毀れすら見られる刀が握られていた。

 一見すると、ロクに斬れそうにないけど……。

「ほう、これはまた珍しい物を持っている」

「知っているのかい?」

「うむ。多くの命を奪った刀は、時にああいった代物に転じると聞く」

「刃に染みついた血は呪詛となり、毒となって新たな死者を招く。……と、まぁそういう伝説だな」

 これだけ錆びて欠けた刀で斬られたら、傷口が腐るのは当たり前だが――と。

 クオンは苦笑してから、

「だが、こいつには確かに毒が宿っている。それに、奴の長刀にもな」

「うん。斬られてすぐに毒が回った。化膿とかじゃない」

 その言葉に、アイズが力強く頷く。

「それに、赤黒い人影じゃ、なかったよ。見た目は、普通の人間みたいだった」

「ほう」

 少しだけ驚いた……いや、違う。

 何かを納得したように、クオンは呟いた。

「やはり本体がいるか……」

「何か知っているのかい?」

「四年前に返り討ちにあった。まぁ、元々消耗してたってのもあるが」

 特に気にした様子もなく、クオンは言う。

(……まさか本当だったとはね)

 悪い冗談か。さもなくば人違いであって欲しかったけど。

 ……もっとも、そういうこともあるのだろう。

 黒金の鎧を着込んだ剣士を横目に見やり、内心で呻く。

(あのまま続けていたら、クオンは負けていた)

 監視所前での戦闘を思い出す。

 三つ巴であったことを差し引いても、劣勢だったのはクオンだけだ。

 

 ――俺など、別に大したことはない

 

 事あるごとにクオンが口にするその言葉は、最悪なことに真実だったらしい。

(……いや、それはどうかな)

 彼を圧倒していた二人。

 しかし、その言動からして、彼らこそがクオンに敗れている。

 だからこその再戦だ。

 そして――…

「あと、赤黒い人影とも、会ったよ」

「何だと。どこでだ?」

 アイズに問いかけたのは、【象神の杖(アンクーシャ)】だった。

「ダンジョンの中。今回の『遠征』で……」

「【象神の杖(アンクーシャ)】。やはり、君も知っているのかい?」

 彼女に視線だけで問いかけられたクオンが肩をすくめる。

「詳しいことは言えんが、メレンで少しな」

「メレンだって?」

「ああ。地上に戻れば、おそらく耳にするはずだ。ただ、これに関しては私達が預かっている案件でもある。繰り返すが、お前達にも詳しいことは言えん」

 メレンは自治権を持った街である。

 ギルド支部は存在するが、オラリオと違い都市運営には関わらず、魔石交易の窓口を務めているだけだ。

 少なくとも、建前上はそう言う事になっている。

 従って、あくまでオラリオの憲兵である【ガネーシャ・ファミリア】はメレンないしギルド支部からの要請がない限り介入できない。

 介入したということは、何かしら異常事態(イレギュラー)が発生していて……おそらくは、メレンとの外交問題も絡んでいる。

 となれば、メレンの住民からの信頼も厚い【ガネーシャ・ファミリア】の独壇場……いや、彼女たち以外には任せられない案件だ。

「他に、『女主の神娼殿(ペーレト・バビリ)』でもな」

「待て。それは俺も初耳だぞ」

「お前達の後始末に行った時の話だ。感謝しておけ。おかげで闇派閥(イヴィルス)残党との繋がりがはっきりした」

 少し焦った様子のクオンに、【象神の杖(アンクーシャ)】がため息を吐いて見せた。

「こちらもまだ調査中で、あまり確かなことは言えんが……首謀者は【タナトス・ファミリア】だな。他に死兵を用いてきた」

「なるほど」

 二四階層の一件でも、死兵が用いられている。

 となると、今の闇派閥(イヴィルス)派の中核は【タナトス・ファミリア】と見ていい。

 暗黒期から今にかけて、壊滅したという話は確かに耳にしていないが……。

(それほどに人員が豊富なのか……)

 言葉を選ばずに言うなら、死兵とは使い捨ての駒だ。

 補給の目途が立たない状況で、その戦術を使い続けることはできない。

 暗黒期が終わって久しい今、一体どうやってそれだけの人数を集めているのやら。

「なら、せめてその『赤黒い人影』についてだけでも教えてもらえないか?」

 いや、そこまで人員が多いわけではないのかもしれない。

 だから、ああいった奇妙な存在を利用しているという可能性もある。

「『闇霊』と呼ばれる存在だ」

 応じたのは、やはりクオンだった。

 気づけばすでに、いつもの黒衣に戻っている。

 まったく、相変わらず便利な『スキル』だ。

「召喚のされ方はいくつかあるが、基本的に誰かのソウルを求めて侵入してくる霊体だ。過去からか未来からか。……例の『人斬り』はどこか別の場所からだろうが」

「魂を奪うために人を殺すと?」

 まるで御伽噺に描かれる死神のようだ。

「別におかしな事はないだろう。お前達が魔石や経験値(エクセリア)とやらを求めてダンジョンに潜るのと同じだ」

「僕達の相手はモンスターだよ」

「選んで殺すのが、そんなに上等か?」

 ……どうにも彼とは価値観が噛み合わないらしい。

(案外、彼にとっては神もモンスターも変わらないのかもね)

 だとすれば、やはりいずれは決着をつけることになるのだろう。

 冒険者以前に、地上に生きる人間の一人として避けては通れない。

「呼ばれてくる奴は、基本的に『(オーブ)』に見入られた奴の力量と大差がない。赤いサインを踏んだ場合はその限りじゃないがな」

「金色のサイン云々の噂なら、僕も聞いたことがあるけど……」

「それは多分、ソラールのことだろう」

「おそらくな。ダンジョンの何ヶ所かに、時々サインを書き残してある」

 クオンの言葉に、ソラールという戦士が頷いた。

「俺は【太陽の戦士】の一員だからな。苦難に挑む者たちを勝利へと導くことこそが使命。分かち合った勝利こそ何よりの誉れだ」

「その【太陽の戦士】とは?」

「『太陽の光の長子』を主神とする古くからの誓約だ」

 答えたのはクオンだった。

「ファミリアのことかい?」

「それとは少し違う」

「その神の真名は何だ?」

「さぁな。伝わっていない」

「何?」

「竜狩りの戦神。父である『太陽の光の王』グヴィンに劣らぬ武勇の持ち主。そして、神々に背を向け、宿敵たる古竜に与した愚か者。だからこそ、その名はすでに失われている」

「追放された神だと?」

「ま、そう思っておけ。だが、それでも多くの信徒がいる。大王グヴィンの名が忘れられた後にもな」

 グヴィンより人望があったんだろう。

 小さく笑うクオンの言葉に、ソラールが困ったように身じろぎした。

 ……まぁ、彼にとっては返事に困る話題だろうけど。

「古い信仰か。それなら、僕も分からないことはないな」

 僕ら小人族(パルゥム)の心の拠り所だったフィオナ信仰。

 神々の降臨と共に、その幻想は打ち砕かれ、今や廃れた。

 しかし、廃れ果てなおも、今も手放せない。半ば呪いのようなものだ。

(まぁ、彼の信仰はまた違うみたいだけどね)

 神の座から追放されていると知っていてなお信仰が続いている。

 理由は分からないけど……なるほど、確かに()望があるのだろう。

(いや、滅びゆくその古竜を憐れんだとかそんなところかな?)

 苦難に挑む者たちを勝利へと導くことこそが使命。それがその無名の神の神意なら。

 それに従い、神の名を捨ててまで滅びゆく古竜(モンスター)に手を差し伸べたのかもしれない。

 神の道楽とはいえ、酷く愚かな行為だと――…

(いや、これ以上考えるのはよそう)

 思考をそこで打ち切った。

「知っているようだが、俺のサインはよく目立つ。見かけたら遠慮なく呼んでくれ」

「できれば、あんまりこいつらとは関わらない方が良いと思うが……」

 ソラールの言葉の陰で、クオンが小さく呻く。

「その時は頼りにさせてもらうよ」

 それは聞こえなかったことにして、ソラールの言葉に頷いた。

 魂喰らい(ソウルイーター)相手には攻撃が通じづらく、また対策がないというのが現状だ。

 ならば、例え一時的にとはいえ、クオン側の存在を味方につけられるのは心強い。

「話はそれで終わりか? なら、俺達はそろそろ行くぞ」

 返事を待たず、クオンは天幕を出ていった。

 つき従うように、カルラという魔導士も。

「それでは、失礼する。いずれまた会う事もあるだろう」

 一礼して、ソラールが。

「おそらく『闇霊』に関しても、近いうちにギルドが公表するはずだ。これから、私達にとっても『深淵』と同じく共通の脅威となる存在だからな」

 続けて、【象神の杖(アンクーシャ)】が出ていく。

 そして――

「……では、私も失礼するとしよう」

 最後にアーロンもまたそう言った。

「もっとも……ベル・クラネルと言ったか。あの童どもを連れて戻るのが、武神殿の頼み。彼らが貴公らに同行するのであれば、また会う事もあるだろうが」

 天幕を出ていこうとする彼を呼び止める。

「すまない。一つ……いや、二つだけ教えてもらえるだろうか?」

「私に答えられる事であれば」

 思いのほか、あっさりと承諾の言葉が返ってくる。

 これは、二つと言わずもう少し欲をかいておくべきだったか……。

(いや、ここは慎重に行こう)

 三度目の正直とは言わないが。

 クオンやホークウッドでの失敗を少しは活かしておくべきだ。

 特にクオンとの関係性を改善するのはおおよそ絶望的だ。

 彼が持っているであろう情報は、誰か別の相手から手に入れるしかない。

 これ以上の伝手を失う訳にはいかなかった。

「クオンが力を失っているというのは本当なのか?」

「何を以ってあ奴の力と言うかにもよる。経験や技量であれば、私が知るより上だ。……もっとも、大剣の扱いは相変わらず含蓄がないがな」

 なるほど。どうやら、クオンが本当に得意とする武器は大剣ではないらしい。

 力を失い、さらに武器まで制限してあれとは……。

 内心で、深々とため息を吐く。

「確か貴公らは『らんく』だの『ふぁるな』だのを基準としているのだったな」

 ふぅむ……と、アーロンもまた少し唸ってから言った。

「我らにとってそれに類似するもので例えるなら、確かに衰えておる。ソウルが完全に凝っておるわ」

 ソウル……つまり魂こそが、彼らの力の源であるらしい。

 それについても気になるが、今ここで深入りするのは避けておこう。

 だが、やはり、クオンもまた『魂喰らい(ソウルイーター)』だと結論してよさそうだ。

 あるいは、このアーロンという剣士や『人斬り』達も同じだろう。

「では、あなたの記憶にあるクオンと今のクオンを比較して、いったいどれほどそのソウルの力は衰えているんだい?」

「ふむ……。まぁ、おおよそ四割といったところか」

 思わず声が上ずりそうになった。

 それを何とか宥めすかしてから、呻く。

「四割も失ってあれか……」

 それだけでも驚愕すべきことだった。

 だというのに。

「いや、違う。言い方が悪かったな。残っているのが四割だ。六割ほどが失われておる」

 その言葉が理解できなかった。いや、理解するのを体が拒んでいた。

 今度こそ、完全に言葉を失う。

「今ある力は、半分以下だと?」

 かすれた声でリヴェリアまでが呻く。

 アイズが絶句し、豪胆なガレスまでが目を剥いている。

「だが、そう言った強さは、我らにとって……特にあ奴にとって()()()()()()()()()()

 嘆くようにして、アーロンが肩を落とす。

「今のあ奴が私に勝てない道理はない。例えばあのベル・クラネル程度の力しかなかろうと……あるいは常人のそれと変わらずともな。我らの戦とはそういうものだ」

 そして、あ奴は必ず勝ち目を見出す。あれはそういう怪物だ。

「あ奴の『強さ』とはソウルの力とはまた違う場所にあるからな」

 あの時のあ奴は、実に恐ろしかった。

 呵々と上機嫌に笑ってから……一転して、しかし、と彼は肩を落とした。

「何があったかは知らんが、今やそれが()()()()()()()()()()

 嘆かわしいことだ。

 肩を落としたまま、彼は嘆息と共に首を左右に振る。

「あれでは見たままに、只の凡庸な剣士でしかない。今のあ奴を打ち負かしたとて、我が未練は晴れんなぁ」

 もしや、それが二つ目か?

 その問いかけに、何とか頷いた。……おそらく、頷いたはずだ。

「では、今度こそ失礼しよう」

 未だ言葉は失われたまま。

 ただ、天幕を出ていくその背中を見送るばかりだった。

 

 …――

 

「あれで、四割だと……?」

「仮に本当だとするなら、推定ランクはいくつになるかの?」

「今の時点でLv.7以上は堅いからね」

 単純に考えて一七ないし一八。前代未聞もいいところだ。

「彼一流の冗談だと思いたいな」

 そんな者は、かの大神ゼウスやヘラの眷属にもいなかった。

 あくまで僕が知る限りだが、人類の最高到達ランクはLv.9なのだから。

 その倍など悪夢という言葉すら生ぬるい。

(どうりで、僕達を歯牙にもかけないわけだ)

 半分以上の力を失った自分にすら劣る相手だ。

 相手をするだけでも馬鹿馬鹿しいだろう。

 ……まったく、笑えない話だ。こんな馬鹿げた話はない。

「……アイズ、くれぐれも早まった真似をするなよ」

「……うん」

 リヴェリアの心配も、今回ばかりは早計だろう。

 今のアイズはほとんど茫然自失と言った有様だ。

 僕だって、まるで足元が崩れ落ちそうな感覚に苛まれている。

「問題は、クオンじゃない」

 今まで何度となく感じてきた死の気配。

 それがすぐ背後にまで忍び寄ってきているせいだ。

「その力を取り戻さなくては太刀打ちできない何かが、今オラリオに迫っているということだ」

 だから、彼を知る誰もがその力を取り戻させようとしている。

 ……まぁ、アーロン達はもっと個人的な理由だろうけど。

「それは黒竜と同格か、下手をすればそれ以上の脅威になる」

 ゼウス、ヘラの二大派閥すらも打ち破った最悪の怪物。

 クオンとは、それでもまだ何とか平穏な関係を築くこともできるだろう。

 実際にそれを成し遂げている神は何柱(なんにん)かいる。

 だが、その『何か』はどうだろうか。

 それとも――…

「もしくは、彼こそがその厄災そのものかもしれないけどね」

 神々の天敵たる【闇の王】。

 あの治療師(ヒーラー)の言葉を信じるなら本物の『深淵の主』。

 その言葉を全く否定できるだけの情報もない。

 クオンこそが全ての元凶。その可能性もまた完全に否定できてはいなかった。

 何しろ、彼は前例のない異常事態(イレギュラー)に関わりすぎている。

「『深淵』というものに立ち入れるのは真実と見ていい。力を失っていることも。そこに加えて苛烈な神嫌いだ」

 神々の天敵たる力……その失われた一部が『深淵』という形で出現しているのではないか。

 その可能性もまだ無視はできない。

「やはり、【クァト・ファミリア】……あの治療師(ヒーラー)にもう少し詳しい話を聞いた方が良いか」

 とはいえ……もし四年前に戻れるなら、もっと冷静になれと自分自身を諭したいところだ。

 こんな薄氷の上に成り立つ小康状態でなければ、もう少し他のやりようもあったかもしれない。

 少なくとも、もう少し積極的に腹の探り合いをしかけられたはずだ。

 だが、今となっては、探ろうとした途端、その腕ごと斬り捨てられかねない。

 それに、今回のように素直に情報を渡してくれたとして……果たして、本当に信じていいものなのか。

 疑念を捨てきれずにいるのは、リヴェリア達も同じだろう。

 そう思ってしまう程度には、関係が拗れている。

(……だが、そう言った心情的なものだけなら、まだ何とかなる)

 本当に必要なら、飲み込めないことはない。

 しかし――

(あの女魔導師……)

 カルラと言ったか。

 彼女に近づくと微かに……ともすれば錯覚だと思うほどごく僅かにだが、背中に焼けつくような悪寒を感じる。

 その矛盾した感覚は、デーモン――正確には、そこから生じた『汚泥』と対峙した時に感じるものと同じはずだ。

 少なくとも、ガレスたちも『焼け付くような悪寒』と表現していた。

(シャクティの話からすると、彼女もまた耐性を持っている)

 そして、その彼女は……まぁ、間違いなくクオンと深い関係にある。

 クオンが神々の天敵たる【闇の王】であり、『深淵の主』だとするなら……あの魔女もそれに連なる存在なのではないか。

 あるいは、彼女こそが一四階層に深淵を生み出した元凶と言う可能性も充分にあり得る。

 だとするなら、クオンから情報を得たところで果たしてどれほどの意味があるのか。

 それとも、これは単なる私情か。今も燻る敵愾心が見せている幻なのか。

 それもまた、否定できるものではない。それくらいの自覚はある。

(本当に厄介な相手だ……)

 クオンと言う人間。その人物像を描くために、何かが決定的に足りていない。

 そのせいで、どうにか描いたそれすらもすぐにズレてしまう。

 彼だけの話ではない。

 オラリオで起こっているいくつかの異常事態(イレギュラー)

 それを伝っていくと、その多くがクオンという闇に迷い込む。

 クオンは敵なのか。それとも味方になりえる存在なのか。

 ……いや。

 誰が敵で、誰が味方なのか。

 それすらも曖昧にするほどの暗い闇がそこにあった。

 ならば、方法は何であれ、まずはその闇に火を灯さないことには始まらない。

 黒竜と同格の脅威に不意など打たれては、それこそ成す術がないのだ。

 敵の正体を照らし出す『火』。それが必要だった。

「折角の手がかりだからね。しばらくの間はリヴィラに網を張ろう」

 本人からその『火』を得られないなら、本人の預かり知らないところから手に入れるしかない。

「今度こそ、神々までが『正体不明』と呼ぶ男の正体を暴く」

 オラリオに迫る得体の知れない脅威の正体を知りたいなら、その闇へと踏み込むしかないのだから。

 

 

 




―お知らせ―
 評価くださった方、お気に入り登録していただいた方、感想を書き込んでいただいた方、ありがとうごいます。
 次回更新は3月中を予定しています。
 21/04/11:誤字修正

―あとがき―

 不死人が相手なら、神の怒りを使わざるを得ない
 
 巡礼地でよく見かける、ごく標準的な灰の人達。
 とりあえず観戦を決め込むベテラン冒険者達。
 参戦したがるヒロイン。
 この惨劇をヘスティア様以外に誰が止められるのか…!
 …まぁ、不死人達の殺伐(ほのぼの)とした日常の一コマなのですが。
 
 さて。今回は、ちょっと真面目に設定の補足など。
 あらすじにもあるように、拙作では基本的に『不死人>冒険者』という力関係になっています。
 何故そうしたのかについて、少し補足したいと思います。
 冒険者は『器』を昇華するごとに少しずつ神へと近づいていく――と、原作を読む限り『神の恩恵(ファルナ)』とは概ねそういったものと説明されています。
 そして、原作内で明示された最高レベルは今のところLv.9。
 ダンまち世界におけるいわゆる『カンストレベル』がいくつかはまだ分かりませんが、現時点で最強のオッタルもまだLv.7。
 従って、彼もまた、まだ道半ばと考えていいのではないかと思います。
 
 一方で、『はじまりの火を継いだ薪の王たち。神のごとき彼らの化身の大剣』
 と、火継ぎの大剣のフレーバーテキストに書かれています。
 
 この二つを比較するなら、神の如き者になっている、あるいはもうすでにかなり近づいているのが不死人で、まだ道半ばというのが冒険者と解釈してもいいのではないかな…と、そんな理由から拙作ではこのように設定してあります。
 もちろん、全ての不死人がそうではなく、ゲーム中で触れられることはないにしても、主人公である灰の人達が『火の炉』に辿り着く裏で、たどり着けないまま亡者となった名もなき灰や不死人が無数にいると思うのですが…。
 
 なので、拙作内での力関係については『薪の王ないしその候補者>冒険者』と書くのが本来なら正しいですね。
 神のごとき薪の王となることを迫られたのが灰の人達で、神の領域を目指す途中にいるのが冒険者達。
 あるいは…少しメタ的な話にもなりますが、灰の人は完結した物語の主人公で、ベル君達はまだ道半ばの主人公だと考えていただければ、少しなりと納得していただけるのではないでしょうか。
 もっとも、個人的には強敵相手に七転八倒しながら進んでいくのがダークソウルシリーズの魅力の一つだと思っています。
 なので、灰の人もあの手この手で追い詰めていく予定ですのでご安心(?)ください。
 対応を誤ると、その辺のMOBにもあっさりボッコボコにされるのがダークソウルですからね!
 
 と、そんなわけで今回はここまで。
 
 どうか次回もよろしくお願いいたします。
 また、返信が遅くて恐縮ですが、感想などいただけましたら幸いです。
 
 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。