執務室に、ペンを走らせる音が響く。
それ以外には俺と、秘書艦である加賀の息遣いしか聞こえない。
100隻を超える艦娘が在籍しているこの騒がしい鎮守府に置いて、ここだけは静かだ。
みんなで騒ぐのも嫌いじゃないが、書類仕事をするにはここが一番落ち着く。
「……そろそろ休憩にしようか」
「そうね。息抜きは大事だわ。飲み物はいるかしら?」
「ああ、コーヒーを淹れてくれるかな」
「分かりました」
いつのまにか加賀が持ち込んだコーヒーメイカー。
加賀は手際よく、コーヒーを淹れてくれた。
昔は急須と茶葉しかなかった執務室だが、いつのまにか色んなものが溢れてる。
「どうぞ」
「ありがとう」
ミルク多めの、砂糖少々。
何も言わずとも、加賀はいつも俺の好みのコーヒーを淹れてくれる。
「舌にあったかしら?」
「ああ、好みの味付けだ」
「そう。良かったわ。少し待っていて。赤城さんにいいお茶請けをいただいたの」
加賀が持ってきたのは、最近艦娘の間で話題になっているクッキーだった。
鎮守府近くの老舗和菓子屋さんが出した、和菓子に似せたクッキーらしい。
噛むと、上品な甘さが舌から伝わってきた。しっとりした舌触りも、新鮮で美味しい。
「これ美味いな」
「ええ、そうね。流石は赤城さんだわ」
「加賀も一緒に食べよう」
「いいの?」
「もちろん」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただくわね」
暫く、コーヒーと飲む音とクッキーを食べる音だけがした。
俺と加賀はこうして良く一緒にお茶をするが、あまり話したりはしない。
「……提督」
「なんだ?」
「私は、お役に立てているでしょうか」
「どうした急に」
口を開いたと思ったら、変な話題を出してきた。
加賀はこの鎮守府で、間違いなくトップスリーに入るくらい強い。その上秘書艦としても働いているから、たぶん、一番仕事してるんじゃないだろうか。
それなのに何故こんなことを……?
「急に、ではないわ。口には出していなかったけれど、私はいつも不安なの。提督を困らせているのではないか、と」
「どうして」
「私はあまり口が達者ではないわ。こうして休憩をしていても、提督を愉しませるようなお話の一つも出来ない。そんな自分が、私はとても嫌いよ」
「俺は別に、こうして静かにしているのも嫌いじゃないけどな。加賀は嫌か?」
「いいえ。私は大好きよ。こんな時間が未来永劫続けばいいのに、といつも思っているわ」
「なら、いいじゃないか」
「でもそれは私の感情だわ。私は私の感情よりも、提督のことを優先したいの。あなたの幸せが、私にとっての幸せなのよ」
「俺は今、幸せだぞ」
「ありがとうございます。本当に嬉しいわ」
加賀は手をキュッと結びながら、幸せを噛みしめるように笑った。
しかし次第に、その顔が辛そうなものに変わっていく。
「でもやっぱり、私は不安になってしまうの。次の瞬間には提督の幸せに、私は必要なくなってしまうのではないかと」
「俺は加賀が必要だと思ってるけど、確かに未来のことは分からないからな」
「そうね。だからいつか、提督が私に飽きて秘書艦を解雇してしまうかもしれないわ。それがとても不安なのよ」
「俺が別の秘書艦にすると言って、加賀は素直に従うのか?」
「もちろんよ。あなたがそうしろと言ったら、私はそうするわ。提督の負担になりたくないの。私はあなたが好き。だからあなたの嫌がることは、絶対にしないわ。自分のやりたいことを押し付ける人は、最低よ」
「……まあ、そうかもしれないない。それじゃあ抵抗はまったくしないのか?」
「そんなわけないわ。次に秘書艦になる人を徹底的に調べます。提督に相応しくないと思ったら……そうね、少なくとも何かはすると思います」
「相応しかったら?」
「死にます」
「えっ?」
ハッキリした声。
とてもじゃないが冗談には聞こえなかった。
「提督に迷惑がかからないように、人知れず死にます。あなたの側に他の誰かがいるなんて、私には耐えられないもの。でも、心残りはないわ。提督が幸せなら、私はそれでいいの」
「これは加賀を秘書艦から外すわけにはいかなくなったな。加賀がいなくなれば、うちの鎮守府は大打撃だ」
「……ごめんなさい。提督の負担になってしまったかしら」
「いいや、なってないさ。元々俺にそんな気はない。加賀はもう少し、わがままを言ってもいいと思うぞ」
「それは絶対にダメよ」
「どうして」
「私、重い女だもの」
それは、そうかもしれない。
加賀は物事を少し重く捉えすぎてしまう気がする。
「もし提督にわがままを聞いてもらえるなら、私はあなたをここから一歩も出さないわ。他の人とコンタクトを取るのも、他の人のことを考えるのも禁止するでしょうね。私と常に抱き合って、私のことだけを考えてもらいたいの。でもそれは無理でしょう?」
「まあ、一応指揮官だからな。仕事が出来なくなる」
「それに私は、調子に乗りやすい性格だわ。きっとどんどんエスカレートしてしまいます。だから私は、わがままを言わないの。自分を押し付けるようなことは、絶対にしないわ」
「加賀は器が大きいな」
「そうかしら? 好きな人のことを大切にするのは、当たり前のことではなくて」
「当たり前のことが出来る人間は、案外少ないもんだよ」
「そうね。そうかもしれない。私も、たまに自分の気持ちが抑えられなくなりそうだもの」
「我慢強いんだな」
「それは提督も同じよ。あなたこそ、もう少しわがままを言ってはどうかしら」
「そうだな。じゃあ一ついいか」
「何かしら。なんでも言ってちょうだい」
「好きだ」
もしかして世界中の時が止まったんじゃないか、と思うくらい加賀は見事に固まった。
顔が少し赤らんだのを見ると、一応意識はあるらしい。
少し時間を置いてから、加賀は再び動き出した。
「……ずるいわ」
「なんでも言っていいって言ったじゃないか」
「それがずるいのよ。言質を取ってから動くのは、流石軍人と言ったところかしら」
「これでも一応、そこそこ上の立場にいるからな。言葉遊びは慣れたものだよ」
「私は慣れそうもないわ。あなたに好きと言われると、いつも世界が違って見えるもの。過去の作家達は言葉の不自由さに、想いを全て伝えられないことに苦悩したそうだけれど、私はあなたのたった一言で全てこと足りるわ」
「一言でいいのか?」
「ええ。これ以上は、分不相応というものよ。それにこれ以上言われたら、気分が高揚し過ぎて、私は私を抑えられそうもありません。私を最低な女にしないでちょうだい」
「俺はどんな加賀でも受け止めるよ」
「なっ、何を言うの。何を……やっぱりあなたは、ずるいわ」
加賀はもっと顔を赤くして、そっぽを向いてしまった。
少し身を乗り出して、追撃する。
「こんな俺は嫌いか?」
「すっ、好きよ。それこそ、私はどんなあなたでも構いません。でも、提督。あなたを求めることはあっても、あなたに何か求める気はないのよ」
「……やっぱり、加賀はわがままを言うべきだ。さっき言ってたことも、一日くらいなら叶えられる」
「そ、それは! ……いえ。非常に魅力的な提案だけれど、遠慮しておくわ。やっぱり私は、私が怖い」
「そうか。加賀がそう思うなら、それがいいのかもな。わがままを言わないのも、わがままの一つだ」
「わがまま、でしょうか。でも提督が言うなら、私は望みを言った方が……いえ、でもそれは良くないことだわ。ごめんなさい、私が弱いせいであなたに迷惑をおかけして」
「加賀は深く考え過ぎだ。そんなに気負はなくていい。いや、これは俺が悪いのかもな」
「提督が悪いことなんて、一つもないわ」
加賀がどう思おうと、これは俺が悪い。
俺がこういう風に言えば、加賀が重く受け止めてしまうのは分かりきってることだ。
「ごめんな、加賀。無理なことを言って」
「やっぱり私は、私が嫌いです。私が弱くて最低な女だから、こうして提督に罪悪感を感じさせてしまう。そのことがとても嫌です。そして心の何処かで、あなたに心配されていることを喜んでいるのが、とても辛いです」
「そんな風に思わなくていい」
「心配してくれてありがとうございます。やっぱり提督はお優しい方だわ。提督の方こそ、もっとわがままを言ってちょうだい。私に出来ることなら、なんでもやるわ」
そう言うところが重いというか、気負い過ぎなんだけどな。
実を言うと加賀に叶えて欲しいわがままは、ある。
机の中にひっそりと忍ばせた指輪。カッコカリ用の物だが、これを受け取って欲しい。
これを渡したら、加賀はきっと受け取ってくれるだろう。
だけど今は、言わない。
加賀はきっと「同情してくれただけ」とか「私なんかで相応しいのかしら」なんて考えてしまうだろうから。
俺には加賀しかいない。
向こうがそう思ってくれるようになるまで、俺はわがままを言わない。
自分を押し付けるのではなく、相手にそう思ってもらえるように頑張る。それが本当に愛してる、と言うことなのだと、俺は思う。
包丁で刺してきたり、監禁したり、他の女の子と話すだけで殺そうとしてきたり、自分の髪や血をお弁当に入れたり。そんなヤンデレもありですが、こんなヤンデレも有りだと思います。