夏休みを迎えたからといって嬉しい気持ちになるわけがない。終わるかどうかも分からない課題の山に、この夏休みが終わればあの出来事が起こる一年が始まるという現実が待っている。
このまま時間が止まればいいのに………
私は叶わないことを思いながら兄がくれた魔法のかかったコインを机の上でコロコロと転がした。
………そしたら…セブルスがエバンズにあんなことを言ってしまうこともなく、平和に過ごせるのに。
………ずっとこのままだったら……
…………セブルスが死ぬこともないのに…
考えたことを消し去るように、コインが机から落ちる直前に拾い上げて、目の高さまで上げる。
………これ、無くしそうなんだよな…
クリーチャーに渡していない方のコインは学校には持っていかず家の机の引き出しにしまっておいたのだが、それでも無くしてしまいそうで怖かった。
クリーチャーにコインを渡したからといって、レギュラスが救えるという訳でもない。それにそもそもクリーチャーが使ってくれるかどうかはその時にならないと分からない。さらにいえばコインをその時まで持っていてくれているのかさえも分からないのだ。
………それにしても…驚いたな…彼から話しかけてくるなんて
3年間も一言も話さなかった私に、更にいえばよく思っていない私にわざわざ親切心だけで話しかけてくるだろうか?
………何かしら……訳があって話しかけてきたと言った方がしっくりくる。
兄の怪我のことを謝るためなのか、それとも別の事があって私に話しかけなければならない状況だったのか。
考え込んでいる私の手から握っていたコインが滑り落ちて、音を立てて床を転がった。
「…あ〜ぁ…もう……」
拾うのが面倒で溜息をつきながらしゃがみこんでコインを拾い上げると、ふとあることが浮かんだ。
………クリーチャーが自分に見覚えのないコインを持っているのをレギュラスが目にしたら彼はどうする?
…私だったら…それは誰に貰ったのか問いただす。
…きっと…ほとんどの人がそうするだろう……
屋敷妖精は主人に忠実だ。…高確率でクリーチャーは、レギュラスに話すだろう。
そこまで考えてなかった……レギュラスには何も知られずに事を進めると簡単に考えていた私が馬鹿だった。
まぁ…渡してしまったものはしょうがない。
別にレギュラスの命を助けようが助けまいがセブルスの死には直接関係はしてこないだろう。コインを捨てられたら、彼が私の知っている物語通り死ぬだけだ。
とりあえず無くしそうなこのコインをアウラに預けておこうと思い、ポケットにしっかりとしまいこんで部屋の扉を開けると何やら賑やかな声が聞こえてきた。どうやら玄関の方からしているようで、ここまで声が聞こえるということは相当声が大きいらしい。
吸い込まれるように声がする方へと向かうと、扉の前で父と母、そして2人の人影が見えた。二階の手すりで乗り出す体を支えながら名前を口ずさむ。
「……セリーヌ叔母さん……?…エド叔父さん!!!」
顔がはっきりと見えた瞬間に、私は2人の元に駆け出して思いっきり抱きついた。
「レイラ、大きくなったねぇ〜元気にしてた?」
少し男勝りの叔母は、しっかりと私を抱きしめてくれると笑いながら頭を撫でてくる。
「……レイラ?…あの?」
背が高く滅多に表情を変えない叔父は、少し驚いたような表情を浮かべながらジロジロと私を見つめてきた。
「レイラよ。あの時の」
叔母とは四年ぶりだし、叔父に至っては私がまだ9歳ぐらいの時に遊んだのが最後だった。
「…………背…伸びたね…」
感心したように優しく撫でてくる叔父を見つめながら私は緩みっぱなしの頰をあげて笑いかけた。
「そろそろ離してあげなさい。レイラ」
笑いながら言ってくる母の声を聞いて初めてずっと叔母に抱きついていることに気がついた。私は言われた通り叔母を抱きしめるのをやめて、2人に話しかける。
「今日泊まってくの?」
私が期待しながら見つめたからだろう。そんなつもりなどさらさらなさそうだった2人だったが、しょうがなさそうに笑ってくる。
「じゃあ、そうしようかな」
叔母の言葉を聞いた私は、すっかりコインのこともこの夏休みが終わったら訪れる出来事も忘れていた。
外はすっかり暗くなり、私の部屋で叔父と叔母にあれやこれやと言って聞かせた。叔母は大笑いをしてくれて、叔父は紅茶を飲みながら少し頰が緩んでいた。長い間会っていないと話すことも沢山あって、私は休むことなく話を続けた。
話が終わった後は魔法のチェスを叔父の力を借りながら叔母と対戦したり、アルバムを引っ張り出してきた叔母が小さい頃の私と兄の写真を見せてきながら昔話をしてくれたりとのんびりとした時間を過ごしていた。そんなところに突然扉を叩く音が聞こえ、アウラが顔を覗かせ口を開く。
「……セリーヌ様、ご主人様がお呼びになっております。」
「…分かったわ。今いく」
そう言った叔母は今までの表情とは一変し、一瞬叔父の顔を見た気がして何かが引っかかった。
「じゃあ、レイラ。エドに昔のように遊んでもらいなさい。」
すぐにいつも通りの笑みを浮かびながらからかってくる叔母は、アウラの後をついていくように部屋から出て行った。
「…………レイラ…読み聞かせでもしてあげようか?」
何か悪巧みをするように口角を上げる叔父は、普段は冗談を言わない人だから少し不気味に聞こえた。
「何を言ってるのよ。そんな歳じゃないわ」
笑いながら言う私を見て、どこか安心したように眉が下がったのがわかった。
「…………ところで…レイラ、兄からこれぐらいのペンダントは貰った?」
指で丸を作り、尋ねてくる叔父の言葉を聞きながら紅茶を一口飲む。
「貰ったわよ。ちょっと前のクリスマスで…それがどうかしたの?」
「いや、……そうならいいんだ。」
何か誤魔化すように言った叔父はマグカップを傾ける。
…………何か知っている……
叔父は、あのペンダントの使い方を知っているのかもしれない。そう思ったら、聞かないわけがない。
「ねぇ、エド叔父さん?」
「ん?」
「………何か知ってるの?ペンダントのことについて」
ペンダントとという言葉を聞いた一瞬だけ、叔父の体が固まったような気がした。
「…ペンダントの存在は知っているよ。……でも、レイラが期待しているようなことは知らないと思うよ」
表情が変わらない叔父を見ていると、何故かセブルスと重なる。
「……そんなことより、好きな人はできたのか?」
タイミングが良すぎて、私は紅茶を吹き出しそうになるのを堪えながら何とか飲み込んだ。
「急にどうしたのよ…らしくない」
「少し気になっただけだよ…まぁ、その反応だといるんだね…好きな人」
どこか楽しそうな叔父は余裕そうに、ソファーに深く腰掛けた。
「……きっと素敵な人なんだろうね…レイラが選んだんだから」
素敵…か
微笑んでくるセブルスの顔が浮かんできて、私は無意識に声に出していた。
「………えぇ…そうね…不器用だけど…優しくて……落ち着くの……もっと2人でいたいと思うほど」
自分が何を言っているのかを気づいた時にはもう遅くて、これ以上ないほどにやけている叔父の顔が見えた瞬間恥ずかしくて部屋を出ることしか頭に浮かばなかった。
「ちょっとトイレ!!!」
後ろから何か言ってきたような気がしたが、熱くなっている頰を触りながらとりあえず廊下を歩き進めた。
勿論トイレなんかに行きたいわけもない。少しこの体温の上がった体を冷やしたくて飛び出してきただけだ。
恥ずかしさで少し汗をかくほど熱くなった体を冷やすために服を動かし風を送り込みながら歩いていると微かに声が聞こえてくるのに気がついた。
そこは、応接間で扉の奥からは何やら深刻そうな会話が耳に入ってくる。私は扉にゆっくりと近づいて耳を澄ました。
「………でも……何のために…?」
「……分からないが…本格的に動きだしたと考えるしか…ない」
「………身を隠し……人も……と…聞いたわ」
あまりに途切れ途切れで何を話しているのか分からないが、声が叔母と父そして母のものだということは分かった。
「………万が一………の時は…」
「……大丈夫………分かってる…エドにも……伝えたわ」
「…………貴方達は……大丈夫…の?」
「………今の…ところは…」
「……それでも…一応…………を用意しといた…方がいい」
盗み聞きをしているから、こんなに緊張しているのかどうか自分でも分からない。ただ、冷や汗が背中を伝ったのが分かった。
「………それにしても…ノアは…こんな時に大丈夫なの?」
「……心配ない………あの子が…あそこに行くのも…これで一旦最後に…なる」
「………はい…これ…手紙よ……なんとか無事…終わりそうだと…」
「…………やっぱり…やめといた方がいいんじゃない…」
「………あの子自身が…望んだことだ……それを出来るだけ…後押し…する…」
「……アメリア………貴女…は平気…?…」
「…大丈夫よ……何度も3人で…話し合って…決めたことだから………ただ…レイラが…これを知った時が心配なの…「レイラ」
突然後ろから聞こえてきた私の名前を呼ぶ声に、心臓は飛び跳ねて体がびくりと反応した。ゆっくりと振り返ると叔父がいつもと変わらない表情で、話しかけてくる。
「……もうそろそろ…寝る時間だよ…」
怯える小動物を扱うように、叔父は私の頭を優しく撫でると背中を押してきた。
……どういう意味なんだろう?
……ノアは、……ドラゴンの研究に行ってないの?
………叔父は、叔母は、父は、母は、兄は
………何を隠してるの…?
聞けない、聞けるわけがない。
『ただ、レイラがこれを知った時が心配なの』
確かにあの時聞いた声は母のものだった。
私がベッドに潜り込んだのを見た叔父がゆっくりと扉を閉めたのを見届けたが、当然瞼を下ろしても眠れるはずがなかった。
…どこにいるの?…ノア………
兄は今一体どこに行っているのだろう……
私が聞いてはいけないことを聞いてしまったことはきっと確実だ。
すっきりと目を覚めることができるわけもなく、朝一ででないといけなかった叔父と叔母を見送った時に私を安心するように頭を撫でてきた叔父の手の感触は今だに残っていた。
私は溜息をつきながら、机に頬杖をつきぼーと外を眺める。
盗み聞きをした私が悪いのだから聞けるわけもないし、どうせ、父や母に聞いたところで誤魔化されるのだろう。
机の上に今だに積み重なっているコインに視界に入れた瞬間、あんなに重かった私の体は一気に軽くなった。
……コイン!!!!どこにやったっけ⁉︎
私は慌ててポケットを触ってみるが、昨日着ていた服のポケットに入れたのだからあるはずもなく、アウラの姿を探すために部屋を飛び出した。
「アウラ!!!」
前を歩くアウラは振り返り、いつもの調子で丁寧に話してくる。
「何でしょう?お嬢様」
「昨日、私が着ていた服洗った?」
「…いえ、今からするつもりでしたが……」
「お願い。洗う前にここに持ってきて」
焦っている私を見て何か感づいたアウラはすぐに私の服を持ってきてくれた。服のポケットからは案の定一枚のコインが出てきて、安堵の溜息が溢れると全身の力が抜けた。
「………アウラ…少しお願いがあるんだけど」
座り込んでいる私はアウラと丁度視線合って目を見つめながら私は彼の手にコインを渡す。
「……これを私の代わりに持っといて。…何かしら反応があったら、私に教えて…あっ…これは誰にも言っちゃダメよ?」
頼まれたことが嬉しいのか、アウラは瞳を輝かせながら元気よく返事をする。
……もうこれで…無くす心配もないし…
とりあえず一段落したと思いたかったが、
…………もうすぐ夏休みも終わる。