魔法省の部屋に篭って、ひたすら羊皮紙に向き合っていると時間の感覚も狂うらしく、気づけば日も落ちていた。
気分転換に部屋を出てみると、もう日は落ちているというのに、まだ忙しそうに働く人とすれ違う。体を伸ばしながら歩き、少し体越しに後ろを振り返ると、人混みに紛れながら、私の方を見てくる1人の男が目に入ってきた。
………やっぱり…私の……勘違いではないな
最初は気づかなかったが、最近同じ人物が私のことを見張るように、部屋を出ると高確率で近くにいることが多い。
分かるのは、男だというだけで、名前もどこの所属なのかも分からない。ただ、私には1つ心当たりがある。
神秘部の……オーガスタス・ルックウッド 。
彼だとしたら、私を監視するように見てくるのも十分に理解できる。
こんなことが分かったとしても、…状況が良くなるなんてことはない。
私は部屋に戻り、ローブを羽織ると姿くらましをした。
足が地面につき、顔を上げるとソファーに座り、本を読んでいるレギュラスの姿が目に入ってきた。
「お帰りなさい。……状況は良くなりましたか?」
私に気づいた彼は本を閉じて、机に置くと私に問いかけてくる。
「あまり良くはないわね。……それで何か変わりはある?」
「いえ、何も変わりはありませんよ。…」
レギュラスの声を聞きながら、椅子に座ると、アウラがキッチンから出てくるのが見えた。
「お嬢様、お帰りなさいませ。今、お茶をお持ちしますね。」
「えぇ…ありがとう」
アウラがキッチンの方に入っていく音を聞いた、レギュラスはまるでタイミングを見計らったかのように、口を開いた。
「…………すいません。…」
突然謝ってくる声が耳に入ってきた私はただ目の前に腰掛けている彼を見つめるしかできない。
「…協力すると言いながら、…貴女だけを危険な目に合わせてしまって…。」
申し訳なさそうに話すレギュラスの姿を見て、何となく彼が今思い詰めているように感じた。
「そんなこと、気にしないでも大丈夫よ。……貴方は、今は見つからないことだけに集中すればいい」
アウラは、話を邪魔しないようにと静かに私の前にティーカップを置くと、奥へと消えていく。
目の前に置かれた、淹れたばかりの紅茶を飲んでいると、彼の話し出す声が聞こえてきた。
「………僕の…話を……少しだけ聞いてもらってもいいですか?」
「……えぇ、いいけど…」
レギュラスが急に問いかけてくるものだから少し戸惑ったが、彼はそんなこと気にせずに後を続ける。
「…………僕の家系は、純血主義の思想を抱いていて、その考え方が正しいと教えられてきました。
僕は今でもあの考え方が間違っているとは…思っていません。そんな家で育ったんですから、あの人の下につきたいと思うのも自然の事で、あの人が、僕にとっての憧れで尊敬していました。
でも、両親の思い通りに育った僕に対して……兄はそうはいかなかった。」
私から視線を逸らし、話すレギュラスは何か胸の内を明かすように言葉を繋いでいく。
「…兄は純血主義を全否定して、両親に反抗しました。そんな兄の姿を見て、滑稽だと思ったのが正直な気持ちです。
だけど……ホグワーツに入学し、目に見た兄は、友達に囲まれ、楽しそうに活き活きとしていて…何より幸せそうだった。
兄の考え方が、全く理解できなくても別に嫌いだった訳ではないんです。僕にとっては…たった1人の兄で…兄弟ですから、だから見たことのないあんな笑顔見た瞬間に何か崩れてしまった気がして、いつの間にか兄が憎くなっていた。」
そう話すレギュラスは、どこか苦しそうで、私は何も言わずに耳を傾けた。
「………両親が兄のことで頭を悩ませる姿も、親戚が…兄のことを全否定する姿も…耐えきれなくて、だから…僕が両親期待に応えないといけなくなった。
自分の気持ちに正直で、強いられた道ではなく、ただ自由に生きる兄を見ていると自分が惨めになるんです。
僕は、両親の期待に応えようとただひたすらに頑張ってきたはずなのに、それなのに何か大切なものが失った気がしてならない。」
彼は認めたくないように、両手で顔を覆うと小さく呟いた。
「……僕は……シリウスが……羨ましかった」
そう言うレギュラスに、学生の頃の彼が自然と重なって、私はティーカップを机の上に置いた。
「…………私は最初……ブラックを見たとき彼は純血主義だと思ったわよ。」
私が静かに話し出すと、彼は驚いたように顔を上げる。
「…あんなに名が知られている純血主義の子供だってことも勿論理由だけど、……ホグワーツ特急に乗る前、明らかにそういう雰囲気を醸し出していたし、目が死んでいて、何より何かに怯えていた。」
「…怯えていた……?」
聞き直してくるレギュラスは、驚きを隠せない様子だった。
私は新入生の時を思い出しながら、後を続ける。
「何に怯えていたのかは分からないけど、…組分け帽子の時に見た時には、もう怯えてもいなかったし、目も死んでいなかったわね。
……きっと、何かあって彼を変えたんじゃない?」
まだ記憶を思い出していない私は、あまりの変わりように驚いたから良く覚えている。
今だったら、大体予想はつく。
……彼を大きく変えたのは、ポッターに出会えたから。
自分の命を犠牲にしても守りたいほどの、親友の存在ができたからだ。
「…そんなに慌てなくてもいいんじゃない?まだ死ぬには早すぎる年齢だし、…人生なんて、まだまだこれからよ。
………それに…お楽しみは最後にとっとくのが一番よ」
私が明るめに答えると、彼は可笑しそうに、優しくふわりとした笑みをこぼした。
いつもの張り付いたような笑顔ではなく、暖かくなるようなそんな笑顔。
私は、笑うレギュラスを見て少し呟くように声に出した。
「………笑えるじゃない。」
私の言葉に、意味が分からないように頭を傾けるレギュラスを見ていると、私も笑いが溢れた。
「私、貴方のその笑顔好きよ。」
レギュラスと話している今、少し楽に笑えているような気がして、胸らへんが軽くなる。
「…そろそろ行くわね。」
ゆっくりと立ち上がり、彼に話しかけた。
「…また何かあったら、私で良ければ聞くわよ。…………じゃあ、アウラにお茶美味しかったって言っといて」
ローブを羽織り、姿くらましをしようとすると後ろからレギュラスの声が聞こえてくる。
「……………ありがとうございます…。」
柔らかい表情を浮かべる彼の姿が少し見つめて、笑いかけると私は魔法省に戻った。誰にも私が留守にしていたということはばれていないことにほっとしながらローブを脱ぎ、1人掛けのソファーに腰掛ける。
……隠れながら暮らしているレギュラスにとっての話し相手は、時々顔を見にくる私と、アウラしかいない。
まさか、急に自分のことを話しだされるとは思っていなかったが、きっと自分1人では抱えきれなくなったんだろう。
そう思ってしまうと、兄に泣きついた時のことが昨日のことのように頭に映像が流れる。
「……………上手くいかなかったな……」
兄のように励ますことができなかった。
レギュラスは、私に話して少しでも楽になっただろうか。
兄の体温が恋しくなった私は、少しでも紛らわすためにローブを羽織って誤魔化した。
今日はどうやら土砂降りの雨が降っているらしく、魔法省の中は所々濡れていたり、気持ちいつもよりか暗い印象だった。
部屋に1人で篭っている私は、羊皮紙を眺めながら今後のことを考え込む。
殺されそうになったあの日から、もう随分と時間が経っているし、……殺されるのももうそんなに遠くないことだと思う。
今までは、ただ叔父から会いに来てくれるのを待っているだけだったが、そろそろ自分から探しに行かなければならなくなった。
………もし…見つからなかったら……私が殺される。
……一応…レギュラスに全て話して、彼に託すべきだろうか。
そしたら……私が死んでも、彼が代わりにやってくれるという保険は一応つく。
私が死んで、レギュラスが必ず私の代わりに成し遂げてくれるなんて保証もないが、……何も伝えずに死ぬよりかはマシだろう。
……今夜…叔父と会えなかったら、…レギュラスに全て話そう。
私は、心の中でそう決心して、とりあえず今夜まではいつも通り家に行くことを決めた。
すっかりと夜が更けた頃、私はローブを羽織い、家に向かった。
視界が歪むのを止めると、相変わらず荒れ果てている部屋の景色が視界に飛び込んでくる。窓に激しく打ち付ける雨の音を聞きながら、何とか支えられている椅子に腰掛けながら外を眺めた。
こんなにも雨の音が激しいと、足音もはっきりと聞こえないかも知れない。
そんな考えが思い浮かんでも、私は体を動かすことがめんどくさくて、実際立ち上がろうなんて思いもしなかった。
それはきっと、叔父が私の目の前に現れるわけがないと諦めているからだと思う。
毎晩、家で待っていてもこんなにも姿を現してくれないというのなら、……生きていないという確率だって高いし、……もし生きていたとしても私の前に必ず姿を現してくれるという保証なんてどこにもない。
それにしても、何故あの人は叔父を殺そうと必死なのだろうか。
叔父が裏切ったしたら、一体何を……裏切ったというのだろう。
想像もつかない私は、ぼんやりと窓を眺めると、外は相変わらず、激しい雨が降り続いていた。
どれ程の時間待ったのか分からないが、あんなに土砂降りだった雨は少し止み、小雨になっていた。
こんな暗い部屋で1人いると、だんだんと眠たくなってくる。
…………そろそろ…戻ろうかな…
長時間留守にしすぎるのも、誰か部屋を訪ねてきたら私がどこにも居ないことがばれてしまうし、…きっと、今夜も会えないだろう。
私がゆっくりと椅子から立ち上がり、立ち去ろうとした時だった。姿くらましをした時に聞こえる弾ける音が、遠くから聞こえたような気がして、心臓が緊張したように跳ね上がった。
一歩も動かずに、耳を澄ますと、誰かが歩くような音が聞こえてくる。
……どうやら…意外と近いらしい。
私は杖を取り出して、部屋を出ると足音が聞こえた方の、隣の部屋のドアノブを握り、勢いよく開けてみるがそこには誰もいなかった。
………いや、絶対に誰かいたはず。
私は諦めきれずに、その部屋を出ると隣の部屋を開け、杖を構えながら入ると暗闇の奥で人影らしきものが動いた。どうやら私の前にいるのは魔法使いらしく、私と同様、杖を握っているように見える。
ポタポタと、床に落ちる水が滴るような音だけが部屋に響き、私は目の前の相手が誰なのか確かめるために声を出した。
「…貴方は…誰?」
私の声が部屋に響き渡ると、目の前にいる人影が、杖を下ろすような仕草を見せる。
「…………レイ…ラ……?」
私の名前を呼ぶ弱々しく、震えているその声は、聞いたことのあるもので、自然と心当たりのある人の名前が口からこぼれ落ちた。
「…エド……叔父さん?」
小雨だった雨は止んだようで、タイミングよく雨雲から顔を出した月の明かりに照らされ、叔父の姿がはっきりと見えた。顔は影になってあまり見えなかったが、どこかほっとしているような表情を浮かべたのが、うっすらと見える。
「………良かった……無事だったんだな」
そう言う叔父を見ても、私は嬉しいという気持ちより、殺さなければならないということだけが頭を巡る。
「……レイラに………どうしても…伝えたいことがあって…」
叔父は決して、私に近づこうとはせずに一定の距離を保ったまま話そうとする。私が近づこうとすると、叔父は少し声を大きくした。
「そのままで、聞いてくれ」
私は何も答えずに、素直に従って、叔父を見つめた。
「………お前の家族が……死んだのは……レイラのせいじゃない。
……全部…僕のせいだ。
だから、………思い詰めることなんて…何もない。」
そう話す叔父は、明らかに私のことを励まそうとしている様子だった。
「……叔父さんは、…本当に……死喰い人なの?」
「……………脅されていた。……何か有力な情報を話さないと、殺すと、言われた……。
すまない………レイラ…。
…本当に……すまない。」
何度も謝ってくる叔父は、私を見つめて途切れ途切れになりながらも後を続ける。
「………………レイラ……ペンダントは……持っているか?」
「……それが…どうしたの?」
私の言葉を聞いた叔父は、お腹に手を回しながらゆっくりと口を開く。
「……………ペンダントは……使うな。……終わらせるんだ。
じゃないと…レイラは死に近い人間になり続ける。」
「…分かりやすく、説明して」
叔父が伝えたいことがわからずに、問いかけると、何か焦っているような声が聞こえてきた。
「…そのペンダントは、自分を必要としてくれる人間だけに力を貸す。
…自分の存在意義を示すように、……所有者を色んな手を使って殺しにかかってくる。
…………意思があるんだ。…そのペンダントは単なる物じゃない。
……レイラ…に………は…死んでほしくない…」
……ペンダントに意思があると言われても…そんなのもう遅い。今更、意思があるとかないとかそんなのどうだっていい。
……私は………今目の前にいる叔父を…殺さないといけない。
そればかりが頭に浮かび、ペンダントのことを言われてもどうでも良くなっていた。
「……………分霊箱……。」
弱々しい声で叔父の口から出た言葉が耳に入ってきた瞬間、驚きで何も言えなかった。
「……例のあの人は…分霊箱というのを作っている…………。全部……壊さないと………どんなに頑張っても……殺せない……。」
どうして、叔父がそんなことを知っていることに驚きながらも、必死に途切れ途切れに話す叔父を見ていると何故か不安が襲いかかってきた。
どうして………こんなにも…息が切れているの……
疑問に思った私が杖先を灯して前の方を照らすと、叔父の身に何が起こっているのかがはっきりと視界に飛び込んでくる。
雨に濡れてたから、水が滴るような音がすると思っていた。
違う。
雨じゃない。
叔父の足元には、真っ赤な血溜まりが出来ていて、押さえている腹部から血が滴り落ちていた。
顔色が良くない叔父は、やっと立っているような様子で、叔父に聞きたいことも何個もあったというのに、全部消えていった。
もう限界が近づいたのだろう。叔父が全身の力が抜けるように膝をつくと、血がだんだんと広がっていく。
私はもう居ても立っても居られず、叔父の側に駆け寄ると、血が出続ける腹部部分を力いっぱい押さえた。
「……………レイ…ラ…………ごめん…な。」
「話さないで。出血が酷くなる」
どんなに治癒魔法をかけてみても、血が止まることはなく流れ続ける。
……お願い…止まって、止まって…
叔父を殺さないといけないというのに、体は勝手に動き、思いが溢れてくる。私は杖を握ったまま、腹部を圧迫し続けた。それしかできない。
「……………死ぬのが…怖かったんだ…。……自分の…ことを……犠牲にできるほど……強くない……そんな…勇気なかった…。」
「お願い、喋らないで。叔父さん」
「………守り…たかった…………。」
私がいくら頼んでも、叔父は力なく話し続ける。
「…………終わらせるつもりだったのに………結局……こんな…中途半端で………レイ…ラを…1人残す…なんて……できない…のに……」
ゆっくりと私にもたれてくる叔父の必死に繰り返す呼吸が耳元で聞こえてきても、血を止めるために腹部を押さえるしかなかった。
「………………ごめん…レイ…ラ…。…」
もう今にも事切れそうな声が耳元で聞こえた瞬間、込み上げてくる涙を堪えながら声を出す。
「……謝らないでよ…」
「………………レイラ…の…おかげで……レイラが……必要としてくれたあの日から………」
私は叔父の背に腕を回して、服を力強く握りしめた。
「……僕は………救わ……れた…………。」
……あの日って…いつのこと言ってるのよ。
そんなの知らない。叔父なんて救った覚えなんてない。
だんだんと重くなってくる叔父の体重が嫌という程感じる。服に血が染み込んでいると分かるほど、流れ続ける血にどう頑張っても止まることはない。
「…止まってよ、お願い、止まって…」
呟いても、止まることなんてない。……止まったとしても…殺さないといけないというのに、……今は叔父に死んでほしくなくて、………助けたいと思っているのに、…何もできない。
こんなに苦しそうなのに………。
やっと…逢えたのに……。
「…………レイ………ラ………も……ぅ…だ……ぃじょう……ぶ………。」
叔父のか細い声が聞こえてきても、私は涙を堪えながら腹部を圧迫することしかできない。
…どうすればいい。この血を止めるためには、どうすれば…
必死に頭を回転させていると、叔父の大きな手が私の頭を優しく撫でてきた。髪の毛を巻き込みながら、撫でてくる叔父の掌は本当に大きく感じると、思考が停止する。
「……………あ…り……が…とう………レイラ…」
小さな声でそう言った叔父の体は、一気に力が抜け、頭が私の肩にもたれかかってくると、撫でてくれていた手は力なく垂れ下がり、床に落ちる音が聞こえきた。
「………エド…叔父さん…?」
震えている声で問いかけてみても、叔父は答えてくれない。
耳元で聞こえていた呼吸も、声も、聞こえなくなり、あんなに温かかった叔父は、少しずつ冷たくなっていく。
……あぁ…死んだんだ……
そう思っても、涙が出ることはなく、頭の中にある考えが浮かんでくる。
……どうせ…殺さないといけなかったんだ…
だからこれで良かったんだ。
……殺す手間も減ったし、…それに……私が殺したわけじゃない。
結果的には…同じ………だからこれで良かった。
……しょうがなかった。
自分に何回も言い聞かせながら、叔父の体を床に寝転がし、顔を見ると私の中の何かが争うように、再び浮かび上がってくる。
……本当に?………これで良かったの?
これが……正解だった?………
叔父を助けられずに……殺すことが……正しかった?
これで…セブルスを救うことに……一歩近づいた?
「……………………分からない…」
私は、開くことのない叔父の目を、見つめながら呟いた。
分からない。何が正解で、何が間違っているのか。
今私は間違ってる?
どうすれば、いいの。
どうすれば、セブルスを助けられるの?
お願い………誰でもいいから…教えて。
叔父の亡骸を見ていると、私1人、どこかに取り残されたような感覚に襲われ、どうしようもなくなった。