落ち着きを取り戻した私は、結局何故手が震えていたのか分からないまま、学校中を見回るように歩いていた。
もうそろそろ1限目の授業が始まるのだろう。廊下は、重たそうな教科書を抱えながら教室に向かっている生徒達で賑わっている。
廊下で生徒達とすれ違う度に、私を怖がっているかのように避ける生徒の姿をしばしば視界の端に入れながら、それはしょうがないと半端諦めている。魔法省の人間だと分かっていても、目つきが悪い知らない大人が、廊下を歩いていたらきっと怖いだろう。
それぞれの授業に向かっている生徒達にぶつからないように歩いていると、前からハーマイオニーが重たそうな本を抱えながら1人で歩いてきた。何故ハリーやロンがいないのかという疑問が頭に浮かぶと、さっき、ハリーとロンが2人っきりで歩いていたことが頭に浮かんできた。
ハーマイオニーとロンはよく言い争いをしてしまうし、きっと喧嘩でもしたのだろうと、勝手に決めつけながら、廊下を歩き進める。
歩いている生徒が多いのはしょうがないが、ずっと部屋で篭りっぱなしの私にとっては、それだけで疲れてしまう。人通りが少なそうなところに行こうと、角を曲がった時だった。
誰かが慌てたように走っていたようで前を見ていなかった私は、勿論避けることも出来ずぶつかってしまった。
生徒の体を何とか受け止めることで、精一杯な私は少し体勢を崩しながら転けないように、体で受け止めるしかない。
どうやら生徒も前を見ていなかったらしく、思っていたよりも衝撃が強くて、足がよろける。重たそうな本が落ちる音が聞こえてくると、落ち着いたような声が耳に入ってきた。
「すいません。」
謝ってくる生徒はどうやら女の子らしい。
私は足元に落ちた本を手に取り、顔を上げ生徒の顔を見た瞬間、口からは驚きの声がこぼれ落ちる。
「………えっ…」
私の目の前に立っていたのは、さっきすれ違ったハーマイオニーだった。
グリフィンドールのローブに、栗色の髪の毛、どこからどう見ても彼女だ。ついさっき、私とは正反対に歩いて行った筈だというのに今こうして目の前にいる。
私の顔を見た彼女は、驚いた表情を浮かべるとすぐに何か慌てたようにキョロキョロと戸惑いだす。
「……これ、落としたわよ」
拾った本を差し出すと、ハーマイオニーはすぐに受け取っては、何度も謝りながら逃げるように走り去って行ってしまった。
不思議でたまらなかったが、よくよく考えてみれば、彼女はタイムターナーを持っていた筈だ。そう考えればさっき身を持って体験した現象は十分にあり得る。
私は考え抜いた結論に納得しながら、乱れていたローブを整え、彼女が走ってきた方向へと歩いた。
授業が始まると、あんなに廊下にいた生徒達の姿は誰一人として居なくなり、一気に静けさが襲ってくる。
私1人の力で、凶悪犯であるブラックを捕まえられるとでも思ったのだったら、魔法省も落ちたものだ。まぁでも権力を横暴した行為が何度もされているから、最初から期待していない。
壁と隣接している石造りの椅子に腰掛けたりと、時々休憩を挟みながら、散策するようにホグワーツ中を歩き回った。
ホグワーツは私が学生の頃と、大きく変わっている様子はない。何度も行き来した廊下も、よく暇を潰すためにいた図書館も何も変わっていない。
私の時と何が変わったかと聞かれて答えられるのは、セブルスとポッター達の喧嘩や、セブルスとエバンズが2人で仲良く話している光景がもうそこには広がってないことぐらいだ。
私は窓から顔を出して、思いっきり空気を吸い込むと息を吐いた。顔を伏せて目を閉じると、思い出したくもないセブルスのあの表情が頭に浮かんできた。
………やっぱり…凄いな…
私は誰もいない廊下の壁にもたれ、俯いたまま瞼を下ろす。
彼もここには、良いことばかりがあった訳ではない。何なら、彼にとって思い出したくもないことばかりな筈だ。
ポッター達に喧嘩という名の虐めを受け、怪我だって沢山しただろうし、見世物にされたことだってあっただろう。
…それに……ここは…彼にとって、大きな過ちを犯してしまった場所だ。
自分の手で、大切な人を傷つけてしまったことなんて、思い出したくもない筈だし、それは私も身を持って体験している。
それなのに、セブルスはここで何年も教師をしている。
私はまだ一夜過ごしただけだというのに、もうこんなに嫌なことを思い出してばかりで、嫌になっているというのに、彼は何事もない顔で教師をしている。
きっとセブルスも…嫌な記憶ばかり思い出している筈だというのに、……もう慣れたのだろうか。
「…………やっぱり……敵わない…」
呟いた私の声が聞こえてくると、自分よりも何倍も勇気も優しさも上回っている強い彼を本当に私が救えるのか不安になってきた。
一時限目の授業が終わると、さっきまで静まり返っていたのが嘘のように一気に騒がしくなる。
やることもない私は、壁にもたれかかったまま前を行き来する生徒達を見ていると、占い学の帰りであろうあの3人の姿が他の生徒達に紛れながらもしっかりと視界に入ってきた。ハリーとロンはどこか浮かない表情を浮かべていたが、ハーマイオニーは特に気にしていない様子だ。
多分、あの様子からしてトレローニからグリムが見えたとでも言われたのだろう。ハーマイオニーだけが何も気にしていない様子で、2人に話しかけていたが、特にハリーは思い当たることがあるのか少し暗い表情を浮かべたままだ。
3人を見ていると、この後彼らがハグリッドの授業を受けることを思い出した私の頭にはバックビークの姿が過ぎる。実は少し会ってみたいというのが正直な気持ちだが、見に行って丁度ハリーがいる学年の授業と重なったら面倒だ。
だ。
……生徒達がいない時間帯は、朝一か、昼食の時間か、それか夜中ぐらいだろう。
私は生徒達が昼食を食べている時間帯を狙って、禁じられた森に行くことを決めて、彼らとは真逆の方向に歩きだした。
授業が始まった頃、私は中庭で飛行訓練をしている一年生の様子を見ながら、暇を潰していた。
ずっと歩き回る体力があるわけもないし、ブラックを捕まえる気がない私にとっては、この仕事はとても馬鹿馬鹿しい。
石造りの窓から顔だして、授業をただ眺めていると、地面に置いた箒に手をかざし、必死に上がれと言っている生徒達はなんだか可愛らしく思えてくる。
そんな光景を見ていると大分時間が過ぎ、そろそろ授業が終わるだろうと思いながら、廊下を歩いているとまるで禁じられた森の方向から、医務室に向かって赤い血が点々と印をつけるかのように床に落ちているのに気がついた。
………ドラコかな
杖を一振りして床の汚れを落としながら、血の跡を辿っていくと、何故か床に落ちている血は医務室の方向に向かっていなかった。ドラコだと思っていたのだが、もしかすると別の生徒のものかもしれない。
不思議に思いながらも、地面に落ちている血に視線を移しながら廊下を歩いていると、弱々しい声が聞こえてくる。
「死んじゃう、死んじゃうよ。」
廊下の突き当たりを曲がると、ハグリッドらしき姿が視界に入ってくる。よく見ると彼の足元にはドラコの血が一定のリズムでポタリポタリと滴っていた。ハグリッドの様子を見る限り、慌てすぎて医務室の方向を忘れてしまったように見える。
私が床に落ちている血を消しながら彼に近づくと、足音で気づいたのか話しかける前に振り返ってきた。ハグリッドの腕の中には、顔色を真っ青にして、今にでも泣きそうなドラコの姿があった。
「生徒が怪我をしたんですか?」
「あぁ、ちょいと腕をな」
「医務室はこっちの方向じゃないですよ。」
私がそう言うと、彼は何か口元で小さく呟くように言う。あまりに小さな声で、何と言っているのか全く分からなかった。
「痛い…痛い。死んじゃう。」
「大丈夫、それぐらいじゃ死なないから。」
私が励ますようにドラコに話しかけると、彼は私をキッと睨みながら、さっきよりも大きな声で言ってきた。
「こんなに血が出てるんだぞ!」
そんなに声が出ている時点で死ぬはずもないというのに、ドラコは怪我をした腕を抑えながら怯えたような表情を浮かべた。私はしょうがなく杖を握り直して、彼の怪我をしている腕を掴む。
「なっ何をするつもりだ⁈」
何も説明もなしにいきなり掴んだものだから、彼は身を縮めながら驚きの声をあげた。ドラコが何か言っていることには聞こえないふりをして、傷近くに杖先をもっていくと、彼の体はビクッと動いた。
怖いのかぎゅっと瞼を瞑るドラコを見ながら、簡単な治癒魔法をかける。
「ほら、もう目を開けても大丈夫よ。」
そう呼びかければ、彼は素直に瞼を開けて恐る恐る自分の腕に視線を移す。
「……止まってる…。」
血が止まっていることに驚いたのかは知らないが、聞こえてきたドラコの声を聞き流して私は口を開いた。
「応急処置をしただけだから、早く医務室に行きましょう。ほら、早く。」
私は中々動こうとしないハグリッドの腕を引っ張って、医務室の方向に向かいながら、後ろを振り返る。さっきまで彼が立っていた所に出来ている小さな血溜まりを消し、前を向く。医務室まで誰も話そうとはしなかったせいで、着くまで気まずい空気に耐えなければならなかった。
無事ドラコを医務室に届け終わった私は、午前中の授業が終わるまで、壁と隣接しているベンチに腰掛けながら時間を潰した。
午前中の授業が終われば、廊下には昼食を食べに大広間に向かう生徒達の声で賑やかになる。
大広間に近づけば、入らなくとも前を通っただけで賑やかな声が聞こえてきた。昼食を抜いてまで、バックビークに会ってみたかった私は、早歩きで大広間の前を通り過ぎる。
出来るだけ早く外に出たかったのだが、前からよく見たことのある生徒が歩み寄ってきては、話しかけてきた。
「こんにちは、ヘルキャットさん。」
じっと目を見つめながら話しかけてくるルーナの手には何か握られている。
「こんにちは、ルーナ」
挨拶を返すと、彼女は手に持っていた何かを持ち直しながら私に問いかけてきた。
「お昼ごはんは、食べないの?」
「少し、用があるの。」
別に急ぎの用ではなかったが、誤魔化すように言うとルーナはふーんと言っただけだった。
「手に持っているのは何?」
さっきから何を手に持っているのか気になった私は、ルーナの手元に視線を移しながら問いかけると彼女は手に持っているものを私に見せてくる。
「日刊予言者新聞だよ。さっき、そこで拾ったの。」
彼女から日刊予言者新聞を受け取ると、まず目に入ってきたのはブラックが目撃されたという記事だった。
そんな記事を見て思うことは、私の記憶通りに進んでいるということだけだ。
「ありがとう」
お礼を言いながら、新聞を返すとルーナはまだ話したいことがあるらしく真っ直ぐ私を見つめてきた。
「今度、お昼一緒に食べよう。ご飯は1人で食べるより大勢で食べた方が美味しいってパパも言っていたもの。」
「分かったわ。約束ね。」
ルーナは頭を撫でながら言った私の言葉を聞くと、何とも彼女らしい言葉が返ってくる。
「約束なんてしなくても、あんたが気が向いた時でいいよ。あたし、待つのは得意なんだ。」
彼女が言っている意味が全く分からなかったが、適当に返事をすると、ルーナは満足したように1人大広間に入っていった。
ハグリッドの小屋の方向に向かっていると、歩いている生徒の姿もだんだんと少なくなり、外に出てしまうと、誰一人として歩いている人などいなかった。
整備されていない階段を下り、細い道を進むと、あっという間に小屋についた。ハグリッドの小屋を見上げると思っていた以上に小さく、小屋の近くに置いてある植木鉢には見たことのない植物が生えてあった。授業で使おうとして準備したものだろうということは大体予想がつく。
少しある段差を上り、木でできた扉を叩いてみたがどうやら留守らしく、どんなに待ってみても扉が開く様子がない。
バックビークの所に連れて行ってもらおうと思ったのだが、彼が居ないとどうすることも出来ない。
しょうがなく諦めようとしたが、森に視線を移すと、私は好奇心に駆られて足が自然と動いていた。
学生の時は行くなと言われなくても、この森自体不気味に感じて、よっぽどの用がない限り、近寄ることもしなかった。
…だが今は、不気味というより、森の中がどうなっているのかということの方が気になって仕方がない。
学生の時、あんなに恐ろしく感じたというのに、今はこんなにも躊躇なく入ることが出来る。
森の中に足を踏み入れると、細い枝が折れる音が聞こえ、少し肌寒く感じたが、そんなことよりも好奇心の方が勝っていた。まだ昼間だというのに、奥に入れば入るほど暗くなっていく森は、少し不気味な雰囲気を醸し出していた。こんな広い森で、バックビークを見つけ出すことは不可能に近いことは分かっていたから、見つけだすつもりなどない。ただ今は、この森には私以外の人間はいないということを考えると、何とも言えない気持ちになった。
気づけば、結構深いところまで来ていたらしく、周りは静まり返っている。見上げてみると、背の高い木の葉が空を覆っていた。
葉の隙間から差し込む太陽の光が、地面から突き出ている木の根や石に付いている苔の水滴を輝かせ、遠くから見ると小さな宝石が散らばっているように見える。
あまりに神秘的な光景に、見惚れていると後ろから誰かが枝を踏み、折れる音が聞こえてきた。
誰もいないと思っていた私は、聞こえた方向を振り返ろうとすると、すぐまた後ろでその音がする。
反射的に後ろを振り向くと、私の直ぐ後ろにいたのは人間ではなく、堂々とそこに立っている動物は、この神秘的な景色に似合っていた。
白色の毛並みに金色の蹄、額から突き出ている角。
……ユニコーンだ…
私の姿を見て、警戒しているのかじっと見てくる大きな瞳は、綺麗に透き通っている。敬意を持って接しなければならない動物というのは、きっとこういうことを言うのだろう。
私を避けることもなく横を通り過ぎたユニコーンは、立派な鬣を靡かせながら森の奥へと消えていく。
神秘的な光景を背景に見る、ユニコーンの後ろ姿は儚い存在のように感じたが、それ以上に美しかった。