その日の授業が全て終了し、夕食の時間を迎えた頃には、ネビルがボガートをお婆さんの格好をさせたセブルスに変えたという、生徒達にとって面白い話題がホグワーツ中に広まっていた。
そのせいで、今夜の夕食中ずっとセブルスは変に目立っていたし、彼の耳にも入ったのかどこか不機嫌そうな雰囲気を放っていた。生徒達が、友達と話しながら教員席に座っているセブルスをちらちらと見る度に、明らかに不機嫌になっていく彼は、時々ルーピンを睨んでは終始溜息をついていた。
夕食が終わり、生徒達もすっかり寝静った頃、一応ここに仕事で来ている私は何もせずに寝るのは気が引けて出来ずに、見回りという名の夜の学校の散歩をしていた。
月明かりだけを頼りに真っ暗な廊下を歩いていても、ブラックに出くわすことなどあるわけがない。
静まり返っている廊下には私の足音しか響いておらず、少し不気味に感じるというのに何故か心が落ち着く。
廊下を歩き進めていると、暗闇が広がっている奥の方で、何やら動いているような影が見えた。気のせいかと思ったのだが、その影はふらふらと揺れながらゆっくりと私の方に距離を詰めている。
……こんな夜中に堂々と生徒が歩くわけもないし、教師であったとしても、こんなおぼつかない足取りなのが、引っかかる。
杖に手を掛け警戒していると、ゆっくりと近づいてきた影を窓から差し込む月明かりが照らし、正体が誰なのかはっきりと分かった。
ブロンドの髪に、グレーの瞳、寝間着を身に纏っている彼女はどこからどう見てもルーナで、今にも転けるんじゃないかと思うほど足がおぼついていない。
直ぐに私の名前を呼びながら駆け寄ってくれるいつもの彼女とは少し雰囲気が違く、私は杖から手を離してルーナに近寄った。
「こんばんは、ルーナ」
そう呼びかけてみると、私の顔を見た彼女は初めて私に気づいたように挨拶を返してくる。
「…こんばんは、ヘルキャットさん。今日はとても素敵な夜ね。」
そう話すルーナはぱっと見いつも通りなのだが、虚ろな目をしている彼女を見ていると少し心配になった。
「何をしているの?」
「……お散歩をしているの。」
寝ぼけているのかどうか分からないが、彼女の足元に視線を落とすと、しっかりと靴は履いていた。
「あんたは?」
突然、私に問いかける声が聞こえてきて、顔を上げると、虚ろな目をしたルーナがじっと私を見つめていた。
「…………私もよ。………そろそろ戻ろうとしていたんだけど、ルーナもどう?」
このまま彼女を放っておけるはずもない。何とか寮に戻さなければならないと思いながら、問いかけてたのだが、少し悩んだような仕草を見せた彼女は、表情1つ変えず、何も言ってくれない。
こうなったら、寮に連れて行くのが1番手取り早いだろう。
私は彼女の手を優しく握りしめて、レイブンクローの寮への道順を思い浮かべながら、ゆっくりと廊下を歩いた。
あまりレイブンクローの寮に行ったことがない私は、ルーナに正確な道順を聞きたかったのだが、虚ろな目を見ると聞くことはできなかった。
他に誰もいない廊下には、私達の足音しか聞こえず、先も薄暗くはっきりとは見えない。
私は何も話さず、ただ彼女の手を引きながらレイブンクローの談話室に向かっていると後方から微かに音がしたような気がした。
床に何か当たるような、…足音のようなそんな音。
反射的に振り向いてみたが、目の前に広がっていたのは真っ黒の闇だけで、人などいるわけがない。
……まただ…
誰もいないというのに、違和感だけが残り、私は誰いない廊下の先の闇を見つめていると、違和感の正体がゆっくりと私の中で姿を現した。
………ユニコーンに見惚れて忘れていたが、…
そういえば、あの時私の後ろにいたユニコーンとは違う方向から枝が折れる音がした。
………私は…誰かに後をつかれている…。
一体誰が私の後ろをついているのかは知らないが、今は確かめようがない。
それに大体予想はついている。ダンブルドアに私を見張れと命じられたセブルスが監視するために、私の行動を見張っているのだろう。
ここで、私がもし気づいたような素振りを見せたら、一番最初に困るのは彼なのは間違いない。
今私ができるのは、…気づかないふりをしながらルーナを談話室まで送り届けることぐらいだ。
私はその後、ほぼ勘だけで何とか螺旋階段の下に辿り着くことができた。
急な螺旋階段を上っている時に、ルーナが夢遊病だということを思い出したのだが、今まさにそれなのだろうか。
階段を上り終え、扉の前に立つと、鷹の形をしたドアノッカーが目に入った。
……そうだった…レイブンクローは、合言葉ではなく謎解きだった。
すっかりそのことを忘れていた私が、溜息をつけば、私達に気づいたドアノッカーが謎解きの問いを投げかけてくる。
「正義とは何ですか?」
手を握っているルーナに視線を移してみたが、彼女は答えるような様子など一切見せずにただ前をぼーっと見ているだけだ。
状況を見る限り、私が答えないといけないらしい。
「正義とは何ですか?」
もう一度問いかけてくる声を聞きながら、私は1番最初に思ったことを口にした。
「…そんなの知らないわ。正義が何なのかなんて誰にも分からない。」
こんなことしか考えられない私は、答えた後に後悔が襲いかかってくる。嘘でも、それっぽいことを適当に言っとけば良かったのかも知れない。
少し待ってみても全然開く気配がなく、もうこの際私の部屋に連れて行こうかと思いながら、螺旋階段を下ろうとした時だった。後ろから鍵が開くような音が聞こえてきた。
後ろを振り向けば、さっきまできつく閉ざされていた扉が開いている。
開いたことに大分驚いたが、ルーナを寮の中に戻せると思うと、少しほっとした。
ルーナの背中を優しく押してやれば、彼女は私の方を見て、ゆっくりと口を開いた。
「おやすみなさい。ヘルキャットさん」
「おやすみ。」
寮の中に入っていくルーナの背中を見送って、扉が閉まったことを確認すると私はひとりで急な螺旋階段を下った。
………それにしても…謎解きの問いが何とも嫌なものだった。
正義とは何なのかなんて、まるであのドアノッカー、人を選んで問題を選んでいるみたいだ。私はもう二度とここには来たくないという思いを抱きながら、自室へと戻った。
地下牢へと続く階段を下り、薄暗い道を歩いていると、一気に眠気に襲われ頭がぼんやりとしだした。
今すぐ眠りにつきたいほどの眠気に襲われて意識がぼんやりとしていたが、それも魔法薬学の教室の前で立っている人物を見た瞬間に眠気は吹き飛び、意識もはっきりとする。
魔法薬学の教室の前に立っている彼は、暗闇と同化していて、今にも溶けてしまいそうで見ていると少し怖くなった。
こんな夜中に、更にはこんな廊下でひとり立っている姿を見る限りでは、こんな所で睡眠をすると考えるには少し無理矢理すぎる。途中で引き返して私の帰りを待っていたとしたら、一体いつからここで待っていたのだろう。
何も言わずに彼の前を通り過ぎようとするがそんな簡単にいくわけがなく、腕を組み、扉にもたれかかっていたセブルスの声が聞こえてきた。
「……夜中の散歩にしては、随分と長かったな」
低い声は地下牢ではよく響いて聞こえやすく、彼の口から出た散歩という言葉を聞いて私の後を追っていたのはセブルスだと心の中で確信した。……単なる偶然かも知れないが、ルーナと話していたあの場所に居なければ、私が散歩だと言ったことは知らないだろうし、私の中ではそれだけで十分だった。
「…そう?……こんな夜中にご丁寧にお出迎えをしてくれるなんて、一体何の用事なのかしら?」
セブルスの顔を見ながら言葉を並べると、彼は表情を一切変えずに私の瞳だけを見つめてきた。真っ黒な瞳を見つめ返すと、まるでその瞳に吸い込まれそうな感覚に襲われる。その瞬間、何故か頭から血の気が引いていくのが分かり、違和感の感じて、咄嗟に目を逸すと胸が楽になった。
ほんの数秒見つめただけだというのに、随分と見つめていたような感覚がまだ体に残っている。
……今、確実に…開心術を使おうとしていた…
気を張っていたから、僅かな違和感に気づけたものの、ここまですんなりと中に入ってこられようとする感覚は、初めてで心臓の鼓動が速くなった。あの人を欺くほど、開心術の達人のセブルスに真正面から受け止めようとしても無理に決まっている。
………目が合うたびこんなことされていたら身が持たない。
私は緊張している心臓の鼓動を落ち着かせるために、ゆっくりと呼吸を繰り返しながら、口走った。
「……私は今、魔法省の人間としてここにいる。…貴方が思っているようなことはするつもりはないわ。」
セブルスの顔を見ずに彼の前を通ったものだから、彼がどんな顔したかなんて分からないが、きっと表情なんて変えなかったに違いない。
開心術をされる前に、目を逸らしたからぎりぎり気づかれていないとは思うが、もし今ので私が閉心術を使えるということを気づかれてしまっていたら、後から色々厄介になる。
呼び止められずに無事部屋に戻った私は、扉の前で溜息と一緒に全身の力が抜けていった。
………あの時…気づかなかったら絶対心の中を見られていた。セブルス相手に防げたこと自体奇跡だろう。
………知られたくない…
…………彼にだけは絶対、知られたくない。
胸をおさえるように服を握りしめても、楽になるどころか、どんどん不安と知られた時の恐怖が募っていくばかりで、血の気が引いていくのが分かった。
………側に居たいと思うのに……今は、今だけは居たくないと思うのは、どうしてなんだろう。
どうしてこんなにも愛しいのに、苦しいのかな……
思ったことを消し去ってしまおうと瞼を下ろすと、例のあの人の顔が浮かんでくる。
もう少しだけでいいから……もう少しだけ……
私に時間を欲しい。
そんなことを思っても、時間は残酷に過ぎていく。