いつも通りの時間に起き、いつも通り教員席に座り、朝食を食べているといつも通りに梟達が大広間に入ってくる。生徒達が自分の手元に届いた手紙や小包を開けている姿をただぼっと眺めていると私の目の前に、手紙を咥えた茶色の梟がすっと着地した。
私に手紙とは有り得ないと思ったが、試しに梟から手紙を受け取り、宛先を見てみるとそこにははっきりと私の名前が書かれてあった。手紙の封を開けると、そこには堅苦しい文章がつらつらと書かれている。
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レイラ・ヘルキャット殿
ダンブルドアから君はよく働いてくれているという知らせを受け、私も大いに嬉しい限りだが、ひとつ急用の知らせがある。
最近、シリウス・ブラックらしき姿を見たという目撃情報が後を絶たない。どの目撃情報が正しいかはこちらからは確かめようがない。ただ一つ言えることは、ホグワーツ周辺での目撃情報も多数増えてきていることだ。
そこで、君にひとつ頼みたいことがある。
ハリー・ポッターという少年から目を離さずに、側で彼の安全を確保してほしい。君も知っての通り、彼は例のあの人を倒した生き残った男の子として魔法界では有名だ。勿論ブラックが脱獄した理由もハリーが大きく関係していると私は考えている。
今日からハリーの安全を確保することだけに集中してくれ。ダンブルドアには私から知らせておく。
コーネリウス・ファッジ
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ハリーの安全……
私は手に持っていた手紙を握りしめて、視線を落としてため息をこぼした。
……冗談じゃない。ハリーから目を離すなですって?側で安全を守る?
あんな校則をごく普通に破るような生徒から、目を離すなと言われても無理がある。何をしでかすか分からないというのに、面倒なことが増えた。
ダンブルドアに何故わざわざ知らせるのだろう。知らせる必要なんてないと私は思うのだが、これは私がおかしいのだろうか。
「だっ……大丈夫ですか?」
横から聞こえた声に顔を上げると、隣に座っていたトレローニが心配そうに私の方を見てきていた。私は頭を抱えていた手を下ろし、彼女に心配をかけないようにするために笑顔を浮かべた。
「えぇ大丈夫です。すいません、ご心配をおかけして」
「いっいえ。大丈夫ならいいんです。貴女が謝る必要なんてありませんわ。」
慌てたように言うトレローニは、気にしてないようにパンを一口食べたが、チラチラと私を気にしている様子だった。
クィディッチの練習をするグリフィンドールの選手達を、私は観客席から眺めていた。ハリーの練習姿を見るためにわざわざ来たのではない。ただ仕事として、魔法大臣から直接言い渡されたら下の者はそれに従わなければならない。
雲ひとつない晴天が広がっている今日は、良い練習日和でもうすぐ試合が近いからなのか練習にも熱が入っている。
箒に跨り、スニッチを追いかけるハリーは、猛スピードで空中を飛んでいた。
目立たないように、ベンチの端に座っていたのだが、それでもやっぱり目立っているらしくさっきから視線が痛い。
ハリーからすぐ横に視線を移すと、ちらほらといた生徒達が私がここにいることが不可解に感じるのだろう。
生徒達の表情は決して良くはなかった。
「君がこんな所にいるとは珍しいこともあるんじゃのう。」
後ろから聞こえてきた呑気な声は、振り向かなくとも誰の声なのか直ぐに分かった。後ろのベンチに腰掛けたのかよっこらせっという何とも年寄りくさい言葉が聞こえてくる。
「好きでここに居るわけではありません。」
「そうじゃろうと思っておった。後ろからでも不機嫌なのが分かったわい。」
ダンブルドアは愉快そうに話してくるが、私はクスリとも笑えない。
「…しかし、意外じゃったの。いくら仕事とはいえ、素直に聞くとは思っておらんかったのじゃが。残念ながら儂の予想は外れてしまったようじゃの。」
「逆に仕事じゃなかったら、こんなことしませんよ。こう見えても大臣のご機嫌取りをしなければ私の居場所なんてすぐになくなってしまいますからね。」
私の言葉を聞いたダンブルドアは楽しそうに笑って、他人事のように言ってきた。
「君も大変じゃの。」
私はダンブルドアの言葉を無視をして、選手達の練習姿を眺めた。
「しかし、これで安心じゃ。君がハリーの安全を守ってくれるというのなら心強い。」
「……そうですか。貴方を安心させることができて良かったです。」
呟くように言った言葉が彼に届いていたかは分からないが、ハリーが丁度スニッチを捕まえたらしく、箒に跨っている彼は自分の手のひらを見つめていた。
ハリーから目を離すなと言われても、そんな毎日付き纏っていたら、怪しまれるに決まっている。流石に授業中や、寝る時まで側にいろなんていう意味ではないだろう。
そんなことを考えている私は今前の方を歩いている3人の後ろ姿を視界に入れながら、廊下を歩いていた。ただ行く方向が同じなだけだと誤魔化しながら、3人の後ろ姿を見つめていると、向こうから歩いてくるルーナの姿が視界に入る。
私は動かしていた足を止め、来た道を向くと彼女に背を向け、その場を逃げるように後にする。
ルーナは他の生徒達に何を思われようが関係ないらしく、一緒にお昼を食べたあの日以降もごく普通に私に話しかけて来たり、お昼を誘って来たりしてきた。周りの目など気にしない彼女らしいと言ったら彼女らしい。
だが私のせいで、学校が楽しいと言っていたルーナが楽しくなくなってしまったら、巻き込まれてしまったらと考えるとどうも私は、自分からルーナを避けていた。
しかし何故、生徒達にこんなにも避けられるのだろうか。
色々な心当たりを思い出すために、静まり返っている図書館に入り、高い天井に届くのではないかと思うほどある本棚と本棚の間を抜け、角を曲がろうとすると小さな声が聞こえてきた。
「ねぇ、あの噂って本当なの?」
どうやら直ぐそこに生徒がいるらしく、内緒話をするかのようにひそひそと話しているほどのボリュームだったが、静まり返っている図書館ではよく聞こえてくる。
「あれでしょ。……シリウス・ブラックを手引きしてるんじゃないかっていう……」
「そうそう……中にはダンブルドアに直接言いに言った人もいるみたいで」
……ブラックを手引き…
「それにしても魔法薬の課題、難しすぎよ。…あっこれじゃない?」
「そう、それよ。多分それに書いてたような気がした。」
立ち止まっている私の前に、ハッフルパフの女子生徒が角から姿を現わすと、2人とも本に夢中だった。1人が顔を上げ、私に気づくと気まずそうな表情を浮かべ、友人の腕を無理矢理引っ張っては逃げるように横を通り過ぎる。
これで、納得した。
どうやら生徒達の間で、私がブラックの手引きをしているという噂が流れていたらしい。
これは尚更、ルーナを極力避けなければならない。
大雨というよりか、嵐といったほうがぴったりな天候の中でもクィディッチの試合はするそうで、生徒達は風に吹き飛ばれそうになりながら競技場に向かっていた。勿論私もこの試合の結果は知っていたが、任された仕事を守るために一緒に大荒れな天候の中、教師達専用の観客席に腰掛けて、試合が始まるのを待っていた。
大雨が降り続ける中、グリフィドールとハッフルパフの試合が始まるホイッスルが鳴り響いた瞬間、箒に乗った生徒がすごいスピードで横切る。
この試合で、ディメンターの邪魔が入るのも、ハリーが落ちるのも知っている。だが、ダンブルドアが呪文を唱えることで大事にならなくて済む。
ここで私のやることなどないだろう。
試合が順調に進んでいるのかどうかも分からないほど視界が悪い中、私が選手達からダンブルドアがいつも座っているはずの席に視線を移すと、そこには居るはずの彼はどこにも居らず、代わりにマクゴナガルが腰掛けていた。
一気に血の気が引いて、頭が真っ白になるとグリフィンドールがタイムをとるホイッスルの音が聞こえてくる。私は居ても立っても居られずに、勢いよく立ち上がり、座っている教師達を掻き分けながらマクゴナガルに近づいた。私が突然立ち上がったことに、他の教師達は驚いている様子だったがそんなの今は気にしてられない。
「マクゴナガル先生、校長は?」
私に突然肩を掴まれ、驚くマクゴナガルは、少し戸惑いながらも答える。
「校長ならついさっき、魔法省に呼び出されて出かけていますよ」
ダンブルドアがこの場にいない。ということは、ハリーはこのままだと確実に死んでしまう。
今日はペンダントは、机の引き出しの中にしまったままだ。
完全に油断していた。……まさかダンブルドアがいないなんて、未来が大きく変わるなんて想像もしなかった。
私の心臓の鼓動はばくばくと緊張したように速くし、頭は何をすればいいのか分からなくなるほど混乱しているのかが分かった。
そんなことをしているうちに、試合が再開される合図のホイッスルが鳴ると、風を切る音がやけにはっきりと聞こえてきた。
私は空中を飛び回る生徒達に視線を移して、目で追いかけた。
……ハリーを探さないと
柵に乗り出すようにしてハリーの姿を必死に探していると、後ろから心配そうに話しかけてくるマクゴナガルの声が聞こえてきた。
「一体どうしたのです。そんなに蒼白になって」
答える余裕なんて無い私は、ハリーを探すのに必死だった。後ろでは、私の焦る姿を見て何事かと教師達の声が聞こえてくる。
「……いた…」
雨で見えにくかったが、ハリーらしき赤いユニホームを着た生徒が、上空を飛んでいる黄色のユニホームを着た生徒を見て、箒の柄の上に身を伏せてぐんぐんと上へ上へと高度を上げていっていた。
箒のスピードというのはもう一瞬で、ハリーは、あっという間に雲の中へと突っ込んでいく。
私は何かしなければならないという焦りからなのか、無意識に小さな声で呪文を唱えていた。
「アクシオ、箒」
大丈夫…これで1番近くにある箒が来てくれるはずだ。
ハリーが突っ込んでいった雨雲を見ながら、自分を落ち着かせるように呼吸を繰り返していると後ろから肩を掴まれる。
その反動で振り返ると、雨に濡れたセブルスが視界に入ってきた。怪しんでいる様子の彼が口を開いたかと思ったら、低い声が聞こえてくる。
「何をしている」
答えたくても混乱している今の私は、そう簡単に思ったことが、こんな時に限って口から出ない。
「おい、聞いているのか」
セブルスの声が聞こえた時には、もう私の視線の先にある雨雲からはディメンター達が姿を現していた。
何かが猛スピードで風を切る音がだんだんと大きくなると、誰も乗っていない箒が勢いよく私に向かって飛んでくる。何をするべきなのかもう整理がついていない私は本能のまま体を動かした。
……ごめんなさい…セブルス
心の中で一言謝った私は自分の肩を掴んでいるセブルスの手に爪を立て、彼の手を傷つける。男相手に力づくで振り払うなどできるわけがない。丁度私の爪も伸びていたし、血が出るんじゃないかと思うほど力強く引っ掻くように傷つければ、相当痛かったのか彼の顔が大きく歪んだ。
私に引っ掻かれた手を握りながら、ゆっくりと顔を上げるセブルスを見ている瞬間は、ほんの一瞬なはずだというのに長い時間見つめ合っているように感じた。
私がセブルスの黒い瞳を見つめながら箒を手に取ると、彼は今から私のやることが分かったかのように、瞳孔を開き、怪我をした手をほったらかしにして私にゆっくりと手を伸ばしてくる。
………貴方はどこまでも優しいのね。
私はセブルスから視線を逸らすと、そのまま柵の外に身体を投げ出した。
……だから…私は貴方に甘えたくなってしまうのよ。
私が落ちたとでも思ったのか、悲鳴が聞こえてきたが、雨音に消されてすぐに聞こえなくなった。地面に落ちる前に箒に跨り、箒の柄をしっかりと握り、高度を上げながらハリーの姿を探していると、もうそこには箒に跨っていたハリーの姿はなく、雨音に負けないほどの劈く悲鳴が聞こえてきた。
箒から手を離している気を失ったハリーが、力なく下へと落ちていく姿が視界に入った瞬間、何も考えることをしないまま箒を力強く握りしめた。私は体を前方に倒して、重力に従って地面に吸い込まれるように落ちていくハリーに突っ込む勢いでスピードを上げる。
左腕を伸ばし、全体で彼を抱き寄せるように落ちるハリーの体に突進すると、左腕が嫌な音を立て、痛みが全身に走った。
何とか気を失っているハリーを、抱きかかえるような形で掴めることはできたが、スピードを上げすぎた箒が急に止まることもできるはずもない。
私はなす術がないまま観客席から垂れている寮の色に染まった布の中へと突っ込んだ。布が視界を遮っていたせいで、観客席を支えている何本も木の柱が目の前に見えた時には、もう避ける距離などあるわけがなく、私は反射的にハリーを守るように痛む左腕で抱き寄せて箒を回転させるしかなかった。そうすれば柱には自分の背中から思いっきりぶつかるわけで、衝撃で舌を噛んだのかすごい量の血の味がする。
もう原形をとどめていない箒で、気を失っているハリーを何とか地面に下ろすと、競技場に侵入したディメンター達が目に入った。
…なんで、呪文を唱えなかったのかな。
ハリーを無事に救えたことにほっとしたのか、私の頭にはひとつの疑問が思い浮かんでくる。
自分がどうしてわざわざ箒に乗り、助けに行ったのかが分からない。…呪文を唱えればそれで良かったはずなのに、それだというのにあの時はただ必死で気づけば行動していた。
私は気を失うハリーの前に立ち、左腕と、背中の痛みに耐えながら、なんとか踏ん張ると杖を取り出した。彼に襲いかかろうとするディメンター達に向ようとしたが、頭にはあることが浮かんでくる。
……死喰い人は守護霊の呪文を使えない……
もしここで使ってしまったら、セブルスは何と思うのだろう。
………というより……私にとって幸せな記憶って……何だろうか…。
だんだんと近づいてくるディメンター達を見ながら、ただ立ち尽くしていると突然、先がとんがった帽子が視界に入ってきた。
私の前に立ち、ディメンター達に向かって杖を向けるマクゴナガルの後ろ姿を見た私は、後ろにいるはずのハリーに視線を移した。
……マクゴナガルが…来てくれたなら、ディメンター達は大丈夫だろう。
とりあえずハリーが無事かどうかを確認する為に、力の入らずに垂れ下がっている左腕を支えながら、寝転がっている彼に近づき、膝をついて顔を覗き込んでみる。
緊張が途切れたせいなのか、突然体の力が入らなくなり、視界が大きく歪み、私は荒くなっていく呼吸を繰り返しながら、ハリーの脈を測ってみた。顔色は悪いが、死んではいないようだ。
ハリーから視線を上げると、マダム・フーチや、選手達、さらには教師達も駆け寄ってくる姿を見て私は安堵感に襲われた。
力の入らない体に喝を入れて、立ち上がろうとした時だった。突然一気に耐えきれなくなったかのように、夥しい量の血が口から出てきて、立ち上がろうとしていた私の体はまた地面に膝をつく。咄嗟に口を押さえて、血を吐き出す私の姿を見た生徒達は固まり、真っ青にしたマクゴナガルの顔だけがはっきりと見えた。私の肩を持って何か言ってくるが、今は息をするので精一杯で何を言っているのかもわからず、マクゴナガルであろう肩を握って、小さく呟いた。
「………私ではなく……ハリーを………先に…」
舌を切っただけと思っていたが、この血の量はもしかしたら内臓がやられたかもしれない。そう思うと、柱に背中からぶつかったことを思い出して意識が朦朧としだした。
あまりに痛いからだろう。だから逆にあまり痛みを感じていないのかもしれない。
地面に広がっていく自分が吐き出した血溜まりを見つめながら思って、顔を上げてハリーを確認すると、人影が私の方に駆け寄ってくる姿が見えた。
すると突然にさっきよりも少しずつ、痛みが増してきて、息をすることでさえ苦しい私は服を握りしめながら、私の前にしゃがみこんでいる誰かの胸にそのまま倒れ込むと、薬草の香りと懐かしい匂いがした。
…………このまま死んでもいいな
何故かそんなことを思った。
逆に気を失ってしまったほうが楽なのだが、残念ながらそうはさせてくれない。
耳元で、落ち着く低音の声と、冷静な女の人声が遠くで聞こえてきて、私はもたれかかっている人のローブをぎゅっと握っていた。
…少しだけ………怖い……な
あまりに人の体温が感じれなくて、怖くて恐ろしかった。
すると誰か分からないその人は私を優しく抱きしめ返してくれて、傷物のようにそのまま立ち上がる。少し揺れるたびに痛かったが、それでも何故かこの人の胸の中は落ち着いて、恐怖心も溶けていった。
…………セブルス……
私はその人の温もりを感じながら、気を失う直前にセブルスの名前を心の中で呼んでいた。
……隣には居なくても、名前を呼んだだけでも、私はそれでもやっぱり安心する。
自分が辛い時にとっての愛しい人の存在というのはそういうものだ。