ブラックが寮に忍び込んだ事があっという間に広まっていくと、それと同時に消えかかっていた私に対する噂は、また確証の近いものとして広がっていた。
変に避けてくる生徒達や、教師達の痛い視線は居心地の良いものでは無いが、ここまで分かりやすかったら逆に清々しく感じる。
私に近づく者など居ないと言いたい所だが、ただ1人前と変わらず話しかけてくる生徒がいた。それは勿論ルーナで、周りに何を思われようが気にしない彼女は噂が流れようが何だろうが、よく話しかけてくる。
そんな彼女を見て、私がブラックの手引きをしていると思っている生徒達が何も思うわけがない。彼女を変人扱いしだしたのは始まったことじゃないが、ただ困ったことに、ルーナもグルなのではないか、そんな噂をつい最近小耳挟んでしまった。
それから一度ルーナを避けてみたが、彼女はそんなこと気にすることなく私を探し回っては、見つけて話しかけてきた。
.........これ以上...ルーナを巻き込む訳にはいかない
そう思いながら、今前に座っているルーナに視線を移すと、焼きたてのパンを食べていた彼女は何か勘違いしたのか、一口サイズにちぎって私の口元に手を伸ばしてくる。
「あーん」
言われるがまま口を開けると、一口サイズのパンが入ってきて、ルーナは満足そうな表情を浮かべていた。
「美味しい?」
「...美味しいよ」
口元を隠しながら答えれば、彼女の口元は嬉しそうに綻ばせ、目を細める。幸せそうに笑うルーナを見ていると、嬉しいことも何もないというのに胸がじんわりと温かくなった気がした。
生徒達も寝静まり、静寂が訪れた城の中を暇つぶしの為の本を手に持ちながら歩く私は、誰も腰掛けていない石造りのベンチに腰掛ける。
本を読むぐらいなら部屋に戻って、ゆっくりとした方がいいということは分かっているが、星空を眺めながら、月明かりで本を読むというのも何か特別なことをしているように思えて、気分も上がるものだ。
それに、こんなに月が綺麗な夜に部屋に籠るのは勿体ないような気がする。
夜空を見上げてみれば、今夜の月は何もかも見透かしてしまうのではないかと思うほど煌々と輝いて、月明かりだけで文字が読めるほどだった。
本に視線を移した私は、ページをめくっては文字を目で追いかける。
ただ夜中に本を読んでいるだけ。ただそれだけなのに、時間の進みがゆっくりに感じ、心が穏やかになるような気がした。
.........このまま...朝が来なければいいのに...
叶わない願いを心にしまい込みながら、ページを捲って、文字を読み進めた。
読み始めてどれほど時間が経ったかは分からないが、10ページほど読み終わった頃、突然人の気配がして私は無意識に本から顔を上げた。
周りを見回してみるが、勿論私以外誰も居らず、廊下の先はいつもと変わらず闇が続いている。
気の所為だと思いたいのだが、確かに今この時も気配がする。
......敏感になりすぎか...
そう思いながら、本に視線を移そうとすると遠くから足音が聞こえてきた。それは昼間だったら、他の音に掻き消されるほどの小さい音だったが、物音ひとつしない今の廊下には響き渡り、嫌でも耳に入ってくる。
遠ざかるどころか、近づいてくるその足音を聞く私の心臓は何故か緊張に鼓動を速くしていき、私は真っ暗な闇が続いている廊下の先を遠目で眺めていた。
人影のようなものがぼんやりと闇に浮かぶと、一定の速さで歩き、今にでも溶けて消えてしまいそうな彼の不健康な肌が月明かりに照らされた。
白すぎる顔色には、少しの隈も目立ってしまうようで、いつもの何倍も不機嫌そうに眉間に皺を作っているセブルスを見てると、この姿を見た生徒達がいつも以上に怖がる姿が簡単に想像出来る。
......きっと...あの隈も、あんな表情をさせてるのも私のせいなのよね...
そんな思いが浮かんでくると、私の口は無意識に開き、彼に声を掛けていた。
「どこに行くの?こんな夜中に」
私の声が届いたのか足をゆっくりと止め、こちらを見つめてくるセブルスは何も言ってくれない。
昼間のように生徒達の声も、足音も、物音ひとつさえ聞こえない真夜中に二人っきりだということを思い出し、私は一気に後悔の念が襲ってくる。
セブルスと二人っきりで話した時を思い返してみれば入院していた時っきりだ。息がしずらいこの張り詰める空気はやっぱり何回経験しても慣れるものじゃない。
「.........顔色も良くないし、隈も出来てるわよ」
重い空気に耐えきれず出た言葉は、触れてはいけない事で、私達以外誰もいない廊下にはよく響いた自分の声を聞きながら、私はまた後悔をする。
「...誰のせいだと思っている」
聞こえてきた彼の言葉を聞いた私は数秒前の自分を恨みながら、誤魔化す為に本を閉じながら気持ちを紛らわした。
「.........誰なのかしらね。私にはさっぱり」
謝罪の言葉ひとつ言えない私は、ふざけたような事を言いながら立ち上がり、その場から逃げ出そうと
その場を立ち去ろうと背を向けるが、後ろから近づいてくる彼の気配を感じて、咄嗟に振り返ってしまった。
すぐ後ろにいたセブルスと目が合った瞬間、鋭い眼差しで睨むように見てくる彼の瞳が温もりひとつ感じられず、途端に悲しくなる。
.........あぁ...またその目...
自分自身で招いたことが今この状況に繋がっているというのに、私を疑うセブルスの瞳を見ていると胸がぎゅっと締め付けられ、ひとりで勝手に傷つく。
腕を力強く掴まれてもほぼ放心状態だった私は、気づけばそのまま壁に押し付けられていた。
あまりに一瞬の出来事で、セブルスと壁に挟まれていた私の頭は何が起こったのか理解出来ずにぐるぐると回る。
「......お前がどこで何をしようが勝手だが、我輩がお前の身勝手な行動で振り回されることにいつまでも我慢できると思っているのか」
あまりに近すぎる距離に心臓が爆発しそうになっている私の心情を知るはずがないセブルスは、表情ひとつ変えずに淡々と話してくる。
「......残念ながら身に覚えがないわ。......とりあえず離してくれないかしら?」
「いつまで、そうやって逃げ続けるつもりだ」
聞こえてきた彼の言葉が冷たく感じ、あんなに温かく感じていた体はひんやりと冷えた気がした。
話を逸らそうと少し口を開いたが、まるで喉で何かが引っかかっているかのように、声を出そうとしても何故か外には出てくれない。
......またこれだ...
こういう時に限って、私は自分自身を守るかのように途端に言葉を失う。そのくせ、言ってはいけないことは簡単に口から滑り落ちる。一度吐き出してしまった言葉は取り消せないというのに、私は何度も過ちを犯してきた。
......本当...つくづく自分が嫌になる...
「.........都合が悪くとなると、話さなくなるのは今も健在か」
溜息混じりに聞こえてきたセブルスの呟くような声は、はっきりと耳に入ってきて、私はますます声が出なくなってしまった。
何かを話してくれた方が楽なのに、途端に何も話さなくなった彼の瞳が見れずに、目線をずらして閉じたままの口を開くことも出来ず、どうしようかと頭で悩んでいると、どんよりと重い空気には似つかない呑気な声が聞こえてきた。
「おや、お邪魔じゃったかの」
いつからそこにいたのか分からないが、ニッコリと笑っているダンブルドアの姿に視線を移すと、この状況から解放される安堵感が襲ってくる。
「...一体こんな夜中にどうなされたのですか」
さっきまで握られていた腕は解放され、私から少し距離を取りながら話すセブルスの横顔を見ると、どこか不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「今夜の月は美しいのでの。眺めながら散歩でもしとるところじゃ。」
普段と変わらず笑顔を浮かべながら、セブルスに話しているダンブルドアを、今回ばかりは来てくれた事に有難く感じたが、彼は笑えない冗談を言ってくる。
「どうかの?皆で散歩するのは」
「いえ、遠慮させていただきます」
この状況から3人で時間を過ごすなど、気まづくてしょうがない。提案してきたダンブルドアにお断りの言葉を返すと、彼はとても残念そうな表情を浮かべた。
「...残念じゃの。......3人でゆっくりと話せるかと思ったのじゃが」
「......私は結構ですので、どうぞお二人でお話ください。きっとこの月夜でしたら、お茶も美味しいですよ」
......こんな月夜にセブルスとゆっくりとお茶が出来たら、どんなに楽しいのだろう。
頭に自然と浮かんできた、そんな小さな幸せな光景をかき消しながら、自分を誤魔化すように声を外に出した。
「...では、ごゆっくり」
逃げるように2人に背を向けると、後ろから私を呼び止める声が聞こえてきた。
「レイラ」
それは勿論セブルスであるはずがなく、もし彼に呼び止められいたらなんて事を考えている私の気持ちなど知らないダンブルドアは、優しく微笑んでいた。
「おやすみ...いい夢を」
「...おやすみなさい」
できるだけ笑いかけながら答えると、私は背を向けそのまま部屋へと足を進める。
ダンブルドアが私を信用しているのかどうかがさっぱり分からない。そんな様子を見せるどころか、私がハリーを守るなんて事を断言までしている。
しかし彼にはセブルスもついているわけで、私が死喰い人だということは知っているはずだ。
セブルスが報せてない訳が無いし、そうなると死喰い人だということを分かりきった上で、野放しにしていることになる。
.........分からないな...
どんなに考えても、ダンブルドアの考えていることがさっぱり分からない。
.........それでも私はやり遂げないといけない。
世界中の人間を敵に回そうが、偉大な魔法使いと対立しようが、愛している人から憎まれようが、私は私のやるべき事をしないといけない。
今度こそは彼が幸せになるように、今度こそは彼を救えるように、彼の笑顔を見るために。
「..................今度こそは...」
誓うように呟き、本を握りしめるとまた人の気配を感じた。
反射的に振り返ってみるが、勿論視線の先には2人の姿もなく、私ひとりだけだ。
さっきから人の気配がするのに、誰も居ない。私の気の所為なのか.........それとも......
可能性を考える頭にある言葉が浮かぶと、ある人の名前が連想される。
......透明マント.........ハリー...
咄嗟に手を伸ばしてみるものの、私の手は何も掴めず宙を切っただけで、微かに感じていた人の気配も無くなっていた。
昼食の時間を迎えた大広間は、生徒達の賑やかな声で溢れかえり、長机には昼食にしては豪華な食事が並べられている。
ルーナに連れられるようにレイブンクローの端の方の席に腰掛けると、当たり前の事のように私の前に座る彼女は、皿にパイや揚げ物、サラダを取り分けて幸せそうに頬張っている。
生徒達は私達を避けるように、すぐ隣に座ることはせず、3人分ほど間隔を空けて腰掛けていた。
誰も私には興味はないと言いたい所だが、視界の端には時折こちらを見てくる生徒達の姿や、ルーナの後ろに座り、彼女を怪訝そうに見る生徒達は嫌でも視界に入ってしまう。時間が経つにつれ、噂は消えるどころかどんどん大きくなっているらしい。
かぼちゃジュースを飲むルーナは、そんなこと気にしていないようで、パイを食べている。
.........もう...これ以上......彼女を巻き込むことは出来ない
私と一緒にいて、巻き込まれるのならやることはただひとつ。ルーナが私から離れてくれないのなら、彼女を突き放してしまえばいい。
「...どうしたの?ヘルキャットさん。食べないの?」
私が何も手をつけていないことに気づいたルーナは、不思議に私の前に置いている真っ白いお皿と私を交互に見て問いかけてくる。
私は少し震える手を握りしめて、真剣な面持ちで彼女を見つめると、ルーナは何か悟ったようにフォークを置いた。
「......ルーナ...もう止めにしましょう。」
私の言葉を聞いた彼女は意味が分からないのか、頭を少し傾げて、質問してくる。
「どういう意味?」
「...疲れたのよ。貴女と一緒に居ると。」
「あたしは疲れないよ。」
冷たく言ったつもりだったのだが、ルーナには効果がなく、気にする素振りも見せない。
「...子守りは懲り懲りなの」
「ヘルキャットさんはあたしのお母さんじゃないから大丈夫だよ」
「貴女が良くても私が良くない」
少し声を大きくすると、ルーナの体が少し固まったのが分かった。
「......気にしてるの?あたしは大丈夫「貴女の心配なんてしてないわよ」
途中で遮ると、流石の彼女も表情を少し崩す。
「......やだよ。あんたが何を言おうがあたしは離れない」
「............そういうのが迷惑だって言ってるの」
少し溜息をつきながら、目を逸らさずに後を続ける。
......後......ひと押し...
「友達でもないのに、一緒にいるなんておかしな話じゃない?「おかしくないよ。友達じゃなくても、少なくともヘルキャットさんは赤の他人じゃないもん」
さっきと比べると、私の言葉を訂正してくるルーナの表情どこか必死だった。
「あたしは誰が何て言おうとあんたが好きだよ。沢山話を聞いてくれて、頭を撫でてくれるヘルキャットさんが「私は何とも思ってない」
冷たく言い放つと、彼女は口を閉じてぎゅっと結ぶ。そんなルーナから視線を逸らし、立ち上がり見下ろすと彼女は何か言いたげだった。
「私は貴女が思っているような人間じゃない。」
.........きっと私はルーナの傍にいてはいけない
冷たく言い捨てると、大広間を後にする私は後ろを振り向くことなど出来なかった。
後ろからルーナが呼び止める声がする訳がないというのに、私の足は何か期待しているように歩みを緩める。彼女だったら、呼び止めてくれると期待していたのだろうか。
......自分から突き放しておいて...なんて自分勝手な人間なんだろう......
廊下を独りである事など今まで通りだというのに、昼間に廊下を独りで歩いていることが、寂しく感じた。