夜に太陽なんて必要ない   作:望月(もちづき)

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2 ホットミルク

 

 

久々の休暇を利用して、ローブを新調しにダイアゴン横丁に訪れると、学校が長期休暇に入ったこともあってか、家族連れで大いに賑わっていた。

アイスクリームを美味しそうに食べている子供達や、高級箒用具店の前で泣きながら駄々を捏ねている幼い子供の姿など、そんな何気ない平穏な光景が自然と目に飛び込んでくる。

 

どこからともなく聞こえてくる楽しそうな笑い声。

 

手をしっかりと繋ぎ、買い物を楽しんでいる親子。

 

挨拶を交わし、会話をする人達。

 

逃げも隠れもせず、何も変わりない日常を過ごすこの光景に溶け込む私は、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店に訪れていた。

店内はお客さんで大いに賑わっており、天井まである本棚に積まれている本を眺める。

 

『死から身を守る方法』『予知者は知った』

『君ならどうする?こんな時』

 

気になる題名ばかりで、どれがいいものかと随分、悩んだがぱっと目に止まった本を、数冊購入した。

新調したローブと一緒にしてくれた本を抱え、店を後にしようとすると、突然に声を掛けられた。

 

「あら、貴女は...」

 

声がした方を振り返れば、そこには見知った顔の老婆が居た。

 

「...この前はありがとうございました。」

 

彼女が、一度だけルーピンと訪れたお店の店主であることを思い出した私がお礼を言うと、老婆は変わらず温かい笑みを浮かべる。

 

「いえいえ、とんでもございません。ネックレスの方はいかがでしたか?」

 

「とても喜んでくれましたでしたよ」

 

「それは良かったです」

 

何人ものお客さんと接する彼女に覚えられていることに少しばかり驚きながら、たわいのない会話をしていると、入口付近で話していたのがいけなかったのか、突然後ろから押され、持っていた紙袋を落としてしまった。

急いで拾い、顔を上げると、新調したばかりのローブを手にする老婆が視界に入ってくる。

 

「ありがとうございます」

 

汚れを払い、綺麗に畳んで紙袋に入れてきた彼女にお礼を言うと、にっこりと笑いかけてくる。

 

「いえいえ。是非またいらしてくださいね。」

 

では失礼しますと言い、店内の奥へと進む彼女とは反対に店を出た私は、道行く人の声や足音、生活の音を聞きながら歩く。

 

 

次はどこへ行こうか...

 

そんなことを思いながら、目的地を決めずにふらふらと歩いていると、視界の先に居た兄弟が目に入ってきた。

まだホグワーツに入学してないような年頃の2人の周りには、親の姿はない。

心配そうな表情や泣いていたら声を掛けていたかもしれないが、何せ2人は表情はやけに明るいし、迷子になったような様子はない。

 

彼等から目を離そうとするが、兄であろう少年がノクターン横丁へと続く裏道の方を指さすのを見て、それも出来なくなる。

 

ほとんどの家庭では、ノクターン横丁に行っては駄目だときつく言い聞かせている筈だが、やってはいけない、してはいけないと言われるほど子供というのは興味を持ってしまうものだ。

なんの躊躇もせずに、裏道へと走る彼らの姿を見た私は、道行く人を避けながら後を追いかけた。

 

 

裏道に入り少し歩けば辺りは薄暗くなり、不気味な雰囲気が漂っている。一歩歩く度に、後ろから聞こえてくる賑やかな声は遠ざかっていった。

 

歩いているのは如何にも怪しそうな人ばかりで、そんな世界とは無縁の彼等はあまりに場違いで、よく目立っている。

道の真ん中で佇むように居た彼等の背中をしっかりと捉えた私は少し早歩きで近づくと、腰が曲がった年寄りが兄であろう少年の腕を逃がさないように握っているのが見えた。

 

「私の子に何か用でしょうか?」

 

割り込むように立ち、彼等を背中に隠すと腰が曲がった年寄りの瞳がフード越しに怪しく光る。

 

「こんな所を子供だけで歩いているものですから、迷子かと思いましてね」

 

「ご迷惑をお掛けしてすいません。何せこの歳ですから色々と好奇心があって」

 

笑顔を作って答えると、目の前にいる年寄りは何も言わずに、背を向けて覚束無い足取りで去っていく。

後ろにいる少年達に視線を移した私は、如何にも私を警戒している彼等を見て視線を合わせた。

 

「今日は誰と来たの?」

 

「.........お母さんと......妹」

 

答えたのは兄で、自分の後ろに隠れる弟を守ろうとしているのかしっかりと手を握っている。

それでもやっぱり怖いのか、拳を作っている手が震えていることに気づいて、少年の頭に腕を伸ばすと優しく撫でた。

 

「偉いわね。弟をちゃんと守って。しっかりしたお兄ちゃんじゃない。」

 

名前も知らないその子は、ぎゅっと口を結ぶ。

 

「大丈夫よ。私も一緒に貴方達のお母さん探しに行きましょう。」

 

掌を差し出して彼から握るのを待っていると、少年は小さな手でぎゅっと私の手を握った。

 

彼等の歩幅に合わせ、光が射し込む方へとゆっくりと歩く。

 

「ダイアゴン横丁にはお買い物しに来たの?」

 

彼等が退屈しないようにと話しかけると、下から小さな声が聞こえてきた。

 

「...うん......だけどお母さんがお話ばっかりするから冒険しようって」

 

大人の話は長いから、きっと退屈だった彼等は、何も言わずに母親の元を離れたのだろう。

となれば、今頃母親は必死になって探しているに違いない。

 

「冒険は楽しかった?」

 

「うん、楽しかったよ。楽しかったけど、さっきの所は楽しくなかった」

 

私の問いかけに答える彼の言葉を聞きながら、小さな手をぎゅっと握る。

 

「もうあそこに行ってはだめよ」

 

「何で?」

 

言い聞かせるように口を開いた私の言葉に、無垢な彼は声を出す。

 

「真っ暗だったら、進む道も、今自分がいる場所も分からないでしょ?」

 

少し難しかったのか、下から直ぐには言葉が返ってこなかったが、代わりにとても幼い少年の声が聞こえてきた。

 

「じゃあ...あかるくしちゃえばいいんじゃない?」

 

素直な子供は、時に残酷なことを言う。

 

「...暗くなるのは一瞬だけど、明るくするのはとても時間がかかる」

 

彼らに視線を移すと、二人共不思議そうに、じっと私の目を見つめてくる。

視線を戻すと薄暗い道に射し込む暖かい光が見え、少しずつ音が鮮明に聞こえてきた。

 

「ほら、もうすぐ出るわよ」

 

2人にそう呼びかけると、大勢の人が行き来する大通りへと出た。

子供を探す母親らしき女性の姿は居ないかと、辺りを見渡すが、見つけることが出来ず、とりあえず手を繋いだままゆっくりと歩く。

 

ひと通り歩いていても、母親らしき姿を見つけることが出来ず、最初は元気だった少年達もどんどんと不安そうな表情を浮かべていた。

 

「お母さん!」

 

私達を追い抜き母親の元へと駆け寄っていく子供の声が耳に入ってくると、それまで大人しく着いてきていた彼等が足を止めた。

どうしたのかと思い、視線を移せば、お母さんという単語を聞いた瞬間急に寂しくなったのか、今まで我慢していたものを吐き出すかのように、幼い弟がポロポロと涙を流していた。

 

「おかあさん、おかあさんどこ」

 

弟を泣き止ませようと声をかけていた兄も、なかなか泣き止んでくれない弟につられるように、泣きそうな表情を浮かべる。

とりあえず通行の邪魔にならないように道の端に寄り、しゃがみこむと、耐えきれなくなったのか兄の方も流れる涙を隠すように目を必死に擦っていた。

 

「大丈夫。お母さんもきっと貴方達のことを探しているから、もう少しだけ頑張りましょう?ね?」

 

2人にそう呼びかけても、彼等は頷くことも返事もせずに泣き続けている。

 

......どうすればいいんだろう...

 

あやすことひとつも出来ず、途方に暮れていた私は泣き続ける2人からふと後ろに視線を移す。

 

『フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラー』

 

視界に入ってきた看板を見た私は、2人にここから動かないように言い聞かせて、2つアイスクリームを買い、泣き続ける2人に差し出した。

 

「少し休憩しましょうか。ほら、溶けちゃう前に」

 

半泣き状態だが、受け取ってくれたことに少し安堵しながらも、空いていたベンチに腰掛けて道行く人を眺める。

 

こんなに探しても見つからないんなんて、どこかですれ違っているのだろうか。

 

一度漏れ鍋に行ってみようかどうか考えていると、幼い子供を抱っこしている女性の隣を歩く、チャリティ・バーベッジと目が合った。

 

まさかこんな所でばっちりと目が合うとは思ってもおらず、少し驚いたがそれは私だけではないらしい。

 

驚いたような表情を一瞬浮かべた彼女は、直ぐに何かに気づいたように隣にいる女性に話しかけていた。

 

彼女の隣にいる女性が幼い子供を抱っこしているのを見て、少年らが母親と妹とここに訪れていたことを思い出した私は彼等に話しかける。

 

「貴方達のお母さん、見つかったかもしれないわよ」

 

そう声を掛ければ、2人ともばっと顔を上げた。

 

「おかあさん!」

 

食べ終わっていないアイスクリームを気にせずに走り出した弟は、真っ直ぐ母親の元へと駆け寄り、抱きついた。

走った勢いで地面にアイスクリームが落ちているが、それは良しとしよう。

 

 

「あら、貴方は行かないの?」

 

弟の泣き声を聞きながら、まだ隣に座っている少年に問いかけると彼はぎゅっとアイスクリームを握ったまま何も言わなかった。

 

「じゃあ、私と行きましょうか」

 

そう言って手を差し出せば、彼は大人しく握ってきて、一緒に母親の元へ向かう。

 

「何処に行ってたの」

 

泣き続ける弟を抱き締めながら、問いかける母親から視線を逸らす彼は、叱られるのが嫌なのか私の後ろに隠れようとする。

 

「本当にありがとうございます。アイスまで買って貰って。おいくらでしたか?」

 

深々と頭を下げてきた母親はアイスの代金を返そうとしているのか、財布を取り出そうとする。

 

「いえいえ、お金は大丈夫ですよ。私は何もしていません。」

 

「そういう訳には」

 

「本当に大丈夫です」

 

「いえ、そう言わずに。ご迷惑をお掛けしたので」

 

断っても断っても中々引き下がろうとはしてくれない彼女を見て、私はお金を取り出そうする母親の手を優しく握った。

 

「本当に大丈夫なんです。私、この子達と一緒に冒険していただけですし、逆に楽しませてもらいましたから」

 

「...しかし......「そうですね、強いて言うならこの子達をうんと褒めて上げてください。この子はしっかりとお兄ちゃんの言うことを聞いて、彼はしっかり弟を守ってましたよ。素敵なお子さんたちですね」

 

そう言いながら、私の後ろに隠れる彼の背を優しく押す。

 

「彼女もこう言っている訳ですし、ここは甘えさせてもらってはいかがですか?」

 

きりがないと思ったのか、それまで口を挟まなかったバーベッジの言葉で、やっと財布をしまってくれた母親の姿を見て、近くにいる兄に視線を合わせた。

 

「...ありがとう......お母さん見つけてくれて」

 

「...貴方がしっかり弟を守ってくれたからこうしてお母さんに会えたのよ」

 

お礼を言ってくる彼にそう言葉を返すと、その子は母親の手をぎゅっと握った。

 

 

母親と去っていく彼等をバーベッジと見送るが、くるりと振り向いた兄は何を思ったのか私の方に駆け寄ってくる。

 

「どうしたの。またはぐれちゃうわよ」

 

少し息を切らしながら走ってきた彼にそう言いながら視線を合わせると、綺麗な瞳で私を映し、しっかりと口にした。

 

「僕、思ったんだ。大きくなったら、ホグワーツに行くからそこでいっぱい友達作って、手伝いに行くよ。今度は僕がお姉さんを助けられるように、頑張るから待っててね。約束だよ!」

 

そう言いながら、浮かべてきた無邪気な笑顔は胸に突き刺さり、ぎゅっと痛くなる。

 

「分かったわ。約束ね」

 

幼い彼の頭を撫でると、嬉しそうに笑ってくる。

 

大きく手を振りながら、今度こそ母親と一緒に去っていった彼の後ろ姿を見送っていると、何故か悲しくなった。

 

 

 

 

 

 

「まさかこんな偶然、あるんですね。」

 

そう言って話しかけてきたバーベッジに、質問を投げかける。

 

「貴女は何故...」

 

その言葉で、私が聞きたいことが分かったのか彼女は思い出すように話し出す。

 

「あぁ、彼女が顔色を真っ青にして、困っていたものですから、話を聞いたんです。そしたら子供とはぐれてしまったと言っていたので、2人で探していた所に、子供を連れた貴女が」

 

「そうだったんですか...」

 

偶然すぎるこの状況に少し戸惑っていると、提案する彼女の声が聞こえてきた。

 

「どうです?この後少しお茶でも」

 

期待に胸をふくらませたようなきらきらした瞳で見つめられてしまっては、断ることもできるはずもなく、もちろんだと答えれば、彼女はこれまた嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

 

漏れ鍋でお茶をしようかと思い、店に入ってみたものの、ほかのお客でいっぱいで席が空いておらず、彼女は残念に話しかけてくる。

 

「あら、この時間はやっぱり混んでるものですね」

 

また今度にしましょうかと提案するために口を開きかけるが、彼女が思い出したように少し大きな声を出したせいで、声が外に出ることはなかった。

 

「あぁ!そういえばこの近くに今流行りのお店があるんですがいかがですか?アップルパイが絶品らしいですよ」

 

「じゃあ...そこに」

 

熱心に話す彼女の勢いに押されながら答えると、バーベッジは私の腕をしっかりと握り締めて、漏れ鍋を出るとマグル達に紛れて歩く。

 

買ったものを落とさないように気を配りながら歩いていると、前を歩いていた彼女の声が聞こえてきた。

 

「ここです。...今マグルの間で人気なお店らしいんです」

 

私の耳元で話すバーベッジの声を聞きながら、お洒落な外観のお店を視界に入れる。

迷うことなく店の中に入っていく彼女の後を追いかけ、何が何だか分からないまま彼女と同じものを頼み、私の分まで支払ってくれたバーベッジは、私をソファーに座らせた。

 

「良かったです。貴女とお茶をすることが出来て。是非一度ゆっくりお話をしたいと思っていたんですが、ほら昨年は色々と」

 

饒舌に話すバーベッジは、どうやら話し上手らしい。

 

「そうですね......」

 

私は気まづそうに笑っていると、頼んだアップルパイと紅茶が運ばれてきた。

 

「昨年は、本当に大変でしたものね。...そういえば、怪我は大丈夫でしたか?」

 

突然の問いかけに戸惑っていると彼女が後付けしてくる。

 

「ほら、クィディッチの」

 

「あぁ...大丈夫ですよ。結構痛かったですけど」

 

少し笑いながら話すと、バーベッジは良かったとだけ呟いて、紅茶を一口飲む。

 

「しかし、盛り上がっていましたね。ワールドカップがあるからかしら?」

 

「お好きですか?クィディッチは」

 

私の問いかけに彼女は、にっこりと笑みを浮かべながら頷いた。

 

「えぇ、見ている分にはとても楽しいですよ。ただやれと言われたら話は別ですが」

 

絶えず笑顔を浮かべる彼女との話は、想像以上に盛り上がり、クィディッチワールドカップの話は勿論、今まで彼女が見てきた生徒の話、特にマグルの事になれば熱心に話してきた。

マグルに聞かれないかと少し心配になったが、皆自分の話に夢中になっていて、余計な心配だったようだ。

 

 

どれぐらい時間が経ったかは分からないが、アップルパイもとうに食べ終わり、おかわりした紅茶もすっかり飲み終わった頃には、まるで昔から知っているかのように仲良くなっていた。

 

「あら、いつの間にこんな時間。今日はこれまでにしておきましょうか」

 

彼女の一言で店を出た私達はマグルに紛れて歩き、漏れ鍋に戻るバーベッジと魔法省に戻る私は、行く道が別れてしまった。

 

「今日はありがとうございました。バーベッジさん。とても楽しかったです」

 

そうお礼を言いながら、笑いかければすっかり仲良くなってしまった彼女は笑いながら言ってくる。

 

「止めてください。チャリティと呼んで」

 

これ以上は仲良くなってはいけない。

 

そう思っていても、目の前にいる彼女は何も知らないまま、砕けた文章で親しく話してくる。

 

「私もレイラとお呼びしても?」

 

「えぇ、もちろん」

 

答える私の言葉を聞いたチャリティは、それは本当に嬉しそうに笑みを浮かべて、ハグをしてきた。

 

「じゃあ、また今度ね、レイラ。風邪には気をつけて」

 

感じた彼女の温もりに、途端に悲しくなりながらも、チャリティに悟られぬようしっかりと声に出す。

 

「...えぇ、チャリティも」

 

ダイアゴン横丁に用がある彼女の後ろ姿を見送る私は、ハグをした時に確かに感じた彼女の心臓の鼓動を思い出し、まだ彼女が生きているということを思い知らされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔法省に戻った私は、買ったものをソファーに置いてとりあえずローブだけ皺にならないようにと、袋から取り出そうとすると、袋に入っていた本までも床にぶちまけてしまった。

 

しゃがむことすら面倒で、魔法で拾うとするが、床に落ちている本の数が買った時より多いような気がして、目を細める。

本を宙に浮かせ拾い上げてみると、買った覚えがない本が確かにあった。

 

『吟遊詩人ビードルの物語』

 

幼い頃よく目にしていた本の題名が書かれているその本は、購入した覚えがないが、そうなると今私の手元にある理由がつかない。

 

......しかし...懐かしいな...

 

吟遊詩人ビードルの物語の本を持って、椅子に腰掛けた私はあまりの懐かしさに表紙を捲ると、目次には見慣れた題名が並んでいて、自然と幼い頃よく読み聞かせをしてもらったことを思い出した。

 

それは寒い冬の夜、暖炉の前で兄と一緒に母の声を聞きながら、アウラが作ってくれた蜂蜜たっぷりのホットミルクを飲んでいた。

そんな日は必ず、父がリクエストしたお菓子をアウラが運んでくれて、家族みんなで夜更かしをする。

お菓子を食べて、ゲームをして、その日だけは家族みんなで寝床につく。

 

 

ふわりと浮かんだそんな何気ない日常は、弾けて消えていく。

跡形もなく消えた記憶は、遠い昔の日常の色を奪っていき、静まり返った部屋の空気が重く感じて、わざと音を立てながら、激しく本を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パチパチと暖炉の火が燃える音を聞きながら、ただぼっと火を眺める。

くもっている窓から暖炉、そして机に視線を移す私の視線は座っているとしてもやけに低く、机の上にある描きかけの絵に向かい合う。

クレヨンを握り締めて、大胆に描く私は、手が汚れようが気にすることなく描き続け、大きく翼を広げたドラゴンの上に乗っている女の子と男の子の瞳を描きあげると満足そうにその紙を持って部屋のドアへと向かう。

 

少し背伸びをしてドアを開けようとするが、誰かが入ってきたのか上から聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

「レイラ、何をしているんだい?」

 

「おえかきしたの。ノアにあげなきゃ」

 

私の意思とは関係なく出したその声は、確かに幼い私の声だった。

 

「ノアは風邪だからね。それはまた今度にしよう。あぁ...こんな汚して」

 

私を抱き寄せ、困ったようにクレヨンで汚れた手を見て笑い、暖炉の火に照らされた男の人はエド叔父さんだった。

ベッドに座らせられた私は、湿らせた布で汚れを落とす叔父をただじっと見つめる。

 

「ほら、いい子は寝る時間だよ」

 

「いや、ねむたくないの」

 

「そうだな。じゃあ本を読んであげようか」

 

そう言いながら、近くにあった吟遊詩人ビードルの物語と書かれた本を私に見せてくるが、私はぶんぶんと頭を横に振る。

 

「それはいや」

 

「困ったな......あぁ...じゃあレイラには特別なお話を教えてあげようかな」

 

子供というのは特別という言葉に弱いらしく、頭を縦に振って、「じゃあ、布団に入ってね」という叔父の言葉を素直に聞き、布団に潜り込む。

 

「どんなおはなし?」

 

「嘘っぱちな魔法使いたちのお話だよ」

 

そう言いながら、布団を私の肩まで被せる彼は一定のリズムで叩きながらゆっくりと話し出した。

 

「ある所にひとりの魔法使いが居ました。

そんな彼の周りにいる人達も彼が魔法使いだということを信じていました。」

 

ゆっくりと話す叔父をじっと見つめながら、少しワクワクしながら耳を澄ます。

 

「彼は嘘をついていました。自分は魔法は使えないということを知った上で自分にも他人にも嘘を吐き続けました。」

 

ゆっくりと話す叔父の話し方は、睡魔を誘うらしく、少しだけ瞼が重たくなってくる。

 

「時は経ち、彼に親友が出来ました。皆から信頼されている勇敢な魔法使い、それが彼の親友でした。

親友にもまた彼は嘘を吐き続けました。使えもしない魔法が使えるといい、魔法使いの振りを続けたのです。」

 

少しだけ悲しそうに話す叔父はゆっくりと後を続ける。

 

「そんなある日、彼の親友が彼の前から姿を消しました。深い悲しみにうちひがれた彼は、同時に底知れぬ恐怖を感じました。

魔法でも死という存在に勝つことは出来ないと思い知らされた彼の元に、悪魔が現れました」

 

視界がぼんやりとしだして、少しづつ叔父の声が遠くなっていく。

 

「悪魔は言いました。

『お前が吐き続けた嘘が私を生んだ。お前が吐き続けた嘘が人を殺した。さぁ、ひとつ願いを聞いてやろう』

 

親友を失った彼は言いました。

『力が欲しい。死にも勝る力が欲しい』

 

悪魔は彼の親友の遺品であるペンダントを禍々しいものに変えてしまいました。

その禍々しいペンダントは、使い方次第では死に勝ることが出来ました。そのペンダントを使い続けた愚かな彼は大きな声で言いました。

 

『私は魔法使いだ!』 ...と」

 

睡魔に襲われている私に気づいたのだろう。今まで話していた叔父は私の頭をゆっくりと撫でた。

 

「...続きはまた今度にしようか。......おやすみ、レイラ。いい夢を」

 

叔父の声もぎこちない撫で方も、何故かとても落ち着いて、手をぎゅっと握るとそのまま吸い込まれるように体が重くなり、視界が真っ暗になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何か近付いてくる気配を感じ、ゆっくりと瞼を上げると目の前に手を伸ばしてくるアウラが居た。

 

私が目を覚ますとは思ってもいなかったのか、彼は直ぐに腕を引っ込める。

 

「...どうしているの?」

 

最近は魔法省できちんとベッドで睡眠を取っていることもあり、呼んでもいないのに何故彼がいるのか不思議でたまらなかった。

 

「......それは...」

 

言おうかどうか悩んでいるのか、腕を後ろに組んで少し私から離れる。

 

まだ冬ではないはずなのに、少し肌寒く感じて、掛け布団を口元まで持ってくる。

 

「...ねぇ......アウラ...」

 

暗い暗闇に浮かぶ彼に呼びかけると、アウラは直ぐに私の方を見て、返事をした。

 

「...ホットミルク......頂戴」

 

私の声は少し小さかったが、静まり返っているこの部屋にはよく響いた。

 

「...蜂蜜たっぷりの」

 

そう後付けをすれば、彼はとても嬉しそうに、何故か涙を浮かべて元気よく返事をする。

 

「はい、直ぐにお作り致します!」

 

そう言い、姿くらましをしたアウラを見送って、ぼっとしていれば、コップを持った彼がバチンという音を鳴らして、姿を現す。

 

「...ありがとう」

 

アウラからコップを受け取ると、口をつけ一口飲むと、ホットミルクの味はあの頃から何も変わっていなかった。

 

「...ねぇ......アウラ...」

 

「はい」

 

彼の顔がはっきり見えないことをいいことに、私は真っ直ぐ見たままゆっくりと声に出す。

 

「......貴方は....私より先に死なないでね」

 

一度零れた言葉が取り消すことが出来ず、溢れた言葉が口から出てくる。

 

「......私をひとりにしないでね」

 

少し震えていた私の声を聞いた彼は、ゆっくりと近付いてくると、しっかりと私の手を握ってくる。

 

「もちろんでございます。私は決してお嬢様をお独りにはしません。お約束致します」

 

「......そう良かった」

 

それだけ呟いて、ゆっくり瞼を降ろせば、頬に何か温かいものが伝った。

 

こんな弱音を吐いたのも、頬に温かいものが伝ったのも、ホットミルクが飲みたくなったのも、こんなに苦しいのも、悲しいのも、怖いのも全部今が夜だからだ。

 

きっとそうだ。

 

そういうことにしておこう。

 


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