手紙が届いたのは仕事が一段落ついた午前中だった。
アルバス・ダンブルドアと書かれた送り主の名前を見ただけで、手紙の内容は見なくても何となく分かってしまい、出来ることなら見たくなかったがそうもいかない。手紙の内容は堅苦しい挨拶から始まり、去年のお礼と私が教師を引き受けたことにする感謝、そして一度説明したいことがあるから都合のいい日程を教えて欲しいと書かれていた。
残念ながら私には、羊皮紙の相手以外これといった用事がない。ダンブルドア宛にいつでも大丈夫だという返事の手紙を書くため、便箋を取り出し、羽根ペンを持つがどうやら紙の端で指を切ってしまったらしく、血が一滴、便箋に落ちた。
彼は大臣を交せば、私が断れない事を十分理解した上でファッジに話をしたのだろう。何故、そこまでして私に拘るのか、それだけがどうも思い当たる節がない。
学生の頃群を抜いて成績が良かった訳でも、魔法に長けていた訳でもない。どちらかといえば、目立たないようなそんな生徒だった。ただ寮で孤立しているそんなどこにでもいるスリザリン生だった。
そんな人間に対して何を期待し、はたまた何を企んでいるのか、ダンブルドアの考えている事がさっぱり分からない。
死喰い人をわざわざホグワーツの中へ引き込むなんて、何を考えているんだ、あの人は。
彼の顔が浮かんだが、偉大な魔法使いだと言われている彼の考えを想像できるわけがない。
滲んでいく血を眺めながら、全く痛みを感じない切った指を舐めて申し訳ない程度の応急処置をすれば、口の中が、血独特の鉄の匂いが広がる。
……無駄になったな
血で汚れた便箋をくしゃりと握り潰して、新しいものを手に取り、ダンブルドアに返事の手紙を書く私の手は重たかった。
深い眠りについて、どれぐらい経っただろうか。人の気配と微かに物音が聞こえ、意識が浮上し閉じていた瞼を開けると、薄暗い視界の先に誰かが動いているのが見えた。
「……誰?」
寝起きで声は枯れていたが、どうやら相手には聞こえたらしく、ピタリと足を止める。何も答えず、何も言わないその人物が誰なのか、まだぼんやりとする意識の中、目を凝らせば、段々と視界がはっきりと見え、見覚えのある後ろ姿がそこにいた。
「………アウラ?」
恐る恐る名前を出すと、どうやら合っていたらしく、振り返る彼の姿が暗闇に浮かんで見える。
「どうしたの?」
アウラがこんな夜中に来るなんて、そう滅多にない。呼んだ覚えもないし、心配になりながらも目を擦りながらベッドから出ようとすれば、それまで一言も話さなかった彼が慌てるように口を開いた。
「いけません、お嬢様。そのままで大丈夫でございます。どうぞおやすみなさってください」
ベッドから出ようとする私を止めながら、駆け寄ってきたアウラは、私に掛け布団を掛けてくる。
「申し訳ありません。起こすつもりはなかったのですが」
謝ってくるアウラの頬には涙の跡がついており、何かあったのは明白で離れようとする彼の腕を咄嗟に掴んだ。
「………お嬢様?」
「何があったの?」
不思議そうな表情を浮かべていたアウラは、私の問いかけを聞いて、表情が少し険しくなっていく。
「………何も、何もございません」
「何も無いわけがないじゃない、隠すなら涙の跡ぐらい隠しなさい」
彼の頬に手を伸ばすと、アウラは抵抗することなくますます悲しそうな表情を浮かべた。少しだけ静まり返った部屋で彼は、言いにくそうに俯く。
「少し……少し夢を見て、不安になってしまったので………すみません」
今にも泣きそうな声でゆっくりと話す彼は、今にも零れ落ちそうな涙を必死に堪えながら、私に迷惑をかけまいとしているのか、無理矢理笑顔を取り繕う。
それはあまりに痛々しい笑顔で、胸が締め付けられるような感覚に襲われた私の体は意志とは全く関係なく動き、気がつけば、アウラの小さな体を抱きしめていた。
「……大丈夫よ、アウラ。大丈夫」
何が大丈夫なのか、そんなことは分からない。根拠なく大丈夫だと繰り返す私は、それが無責任な言葉だとしても、そうしなければならない気がした。
「所詮夢に過ぎないから、」
彼がどんな悪夢を見ていたのかは分からないが、私の元にわざわざ来る程だ。耐えきれないものだったということは、聞かなくても分かる。夢は時に温かくて、時に残酷なものだということを身をもって知っている私は、ただただ彼の小さな体を抱きしめ続けた。
「……きっと大丈夫よ、アウラ」
私が静かに言い切ると、アウラは何も言わず、温もりを求めるように私の背に手を回し、抱きしめてくる。
静寂が訪れ、自分の呼吸音と彼の心臓の鼓動が聞こえそうなほど静まり返っているこの空気が耐えきれず、何か声に出そうとするが、それもアウラが私の服を力強く握りしめたのが背後から分かり、遮られた。
何の前触れもない彼の行動に少しだけ驚きいていると、呟くような小さな声が耳元で聞こえてきた。
「………………いかないで、ください…」
零れ落ちたようなそんな言葉はすぐに溶けていき、アウラは握りしめていた手の力を一層強めたのとほぼ同時に、肩が濡れたような気がした。
「………お願い、置いていかないで」
すぐに消えたその言葉に答えるように、私はその言葉の真意も知らないまま、無責任な言葉を彼に語りかける。
「……大丈夫、行かないわ。私はどこにも行かない」
安心させるように何度か背中を叩いても、アウラはますます私を離さないように服を力強く握りしめてきた。
「大丈夫、大丈夫よ、アウラ。貴方を1人になんてしないから」
明かりもついていない部屋で、私はただただアウラを抱きしめながら、小さな子供をあやす様に頭を撫で続けた。
どれくらい経ったかは、分からない。短くとも長くとも感じたその時間は、「お嬢様、もうおやすみください。私はもう大丈夫です」というアウラの言葉で終わりを告げた。
さっきのか細い声が嘘のように、いつものように話しかけてきたアウラの顔を覗き込んで見たが、彼は涙の痕以外変わった所はなく、いつも見る笑顔を浮かべていた。
「本当に?」
「はい。本当でございます。さぁさぁ、ベッドへ。明日も早いんですから」
まるで子供を寝かしつけるような言葉を発するアウラは、大人しくベッドに入る私に掛け布団を掛けてくる。
いつもより過保護の行動に少し疑問を抱きながらも、されるがまま寝転がるが、どうやらアウラは私が寝落ちするのを見届けるらしく、まだそこに立っていた。
「ねぇ、アウラ」
見つめられていたら、寝れるものも寝れない。
あまり見ないで欲しいと伝えようと名前を呼んだのだが、アウラは何を思ったのか、数回瞬きを繰り返すと、何か思い出したような表情を浮かべて、幼い子供を寝かしつけるように一定のリズムで優しく叩いてきた。流石にそんなことをしなくても寝れると言おうとしたが、彼があまりに幸せそうに微笑んでいたものだからそんなこと言うことも出来ない。
しょうがなく諦めて、抵抗することもせず睡魔に身を預ければ、この感覚に少し懐かしく感じた。この歳になって、こんなことされるのは、どこかこしょばく恥ずかしいが、それ以上に何か冷たいものがゆっくりと溶けていくようなそんな温かい感覚に襲われた。
「おやすみ、アウラ」
意識が飛ぶ直前、彼に声を掛けると、ほぼ眠りに落ちそうな私の耳に、名残惜しそうに私を呼ぶアウラの返事が聞こえてくる。
「………おやすみなさい、お嬢様」
眠りに落ちる瞬間、瞼の隙間から見えたアウラは、幸せそうで、悲しそうな、名残惜しそうに微笑んでいた。
羊皮紙から部屋の掃除をしてくれているアウラに視線を移す私は、動かしていた羽根ペンを止めて、いつも通りの彼の姿を目で追いかける。
アウラが突然やってきた昨夜の出来事は、朝起きた後も鮮明に覚えていたのだが、朝起こしに来た彼があまりに普段通りすぎて、戸惑っている。
普段通りなのは特に問題なのだが、普段通りすぎるのだ。
まるでそんなことなかったかのように、普段通り、いつも通り私を起こして、お茶を淹れ、部屋の掃除をしている。
「ねぇ、アウラ」
「はい、何でしょうか。お嬢様」
手を止めて、こっちを見てくるアウラの頬には涙の跡はなく、笑顔も様子もいつも通りすぎて、逆に聞きにくい。確かに本人が解決したならそれでいいのだが、あまりの変わりように少し頭が追いつけない。
「今日、いらっしゃるお客様のおもてなしの準備は、ほぼ終わっております。クッキーと軽い焼き菓子は後から持ってきますね」
「……えぇ、ありがとう」
あまりに普通すぎるのが引っかかるが、アウラの中で解決したというのに、掘り返すのは悪い気がする。何も変わらない彼が、楽しそうに掃除をしている姿を見て、私はまぁいいかと無理矢理、違和感を塗りつぶした。
約束の時間ピッタリに、自室の扉を叩かれ、動かしていた羽根ペンを止めて、ノックに返事をしながら立ち上がり、扉を開けるとよく見慣れたとんがり帽子が視界いっぱいに入ってきた。
「こんにちは、お久しぶりです」
私に挨拶の言葉を言ってくるマクゴナガルを見て、私も挨拶を交わすと、彼女を部屋へと通す。ソファーに腰掛けるよう促し、アウラから教わった事を思い出しながらに紅茶を淹れていると、後ろから声が聞こえてきた。
「しかし、意外でした。貴女が引き受けるなんて」
ダンブルドアから私が断っていた事を聞いてきたのか、後ろから聞こえてきた彼女の声はどこか不思議そうな怪しんでいるようなそんな感じに聞こえてならなかった。
「そうですか?そんなに意外ですかね……」
白い湯気が立っているティーカップと、アウラが作ってくれた茶菓子をマクゴナガルに出して、私はひとりがけのソファーに腰掛ける。
「えぇ、あんなに頑なに断っていたのに、今回はあっさりと引き受けたので。私はてっきり今回も断ると思っていましたよ」
「ダンブルドアとの意地の張り合いに私が負けただけですよ」
マクゴナガルの言葉を聞く限り、きっと大臣は私が了承したと、ダンブルドアに手紙を送ったのだろう。おかしな話だ。私は一度も了承していないと言うのに、こんなに話が進んでいるのだから。
「それで、今日は話があるんでしたよね?」
本来の話に戻そうと、話を振ると、紅茶を一口飲んだ彼女は思い出したように話し出した。
「えぇ、従来でしたら校長が出向いて、面接と連絡事項を伝えるのが決まりですが、今年は彼が手が離せない用が立て込んでいたので、……まぁ貴女の場合、面接がメインではないですから、代理として私が幾つか連絡事項を伝えに」
そう言いながら、懐から分厚い手帳のようなものを取り出したマクゴナガルは、段階を踏むように説明しだした。
「もうご存知だと思うので、ベクトルのことは省きますが、…………ひとつ、貴女に伝えたいことが」
私としては何故セプティマ・ベクトルが黒班病にかかったのか、その経緯が聞きたいのだが、どこかかしこまった様子の彼女を見てしまえば、途中で遮ることも出来なくなる。
「これから話すことは私、個人の意見で、私の立場的なものとは全くの無関係です。……ベクトルの病がいつ完治するのか、それはまだ分かりませんが、もし彼女がまた教鞭を執ることができるようになったら、彼女に譲って頂きたい」
何を言われるのかと思ったら、彼女が言ったのは当たり前の事だった。
「ベクトルは、子供達と関われるこの仕事に就いている事を誇りに思っていたので、勿論強制的ではありませんが」
「何を言っているんです?最初からそのつもりですよ」
きっとマクゴナガルは彼女とはそれなりに付き合いがあるのだろう。
「私は彼女の代わりに教鞭を執るだけです。彼女の病が完治したら、問答無用でこの仕事は降りますから、ご心配なく」
それでも、嘘偽りない私の言葉に安心したような表情を浮かべお礼を言う彼女が、仲間を思いやる性格だということが痛いほど伝わってくる。
「では、幾つか事前に聞きたいことが、……これがベクトルが指定した教材ですが、変更点などはありますか?」
マクゴナガルが取り出した一枚の羊皮紙には、教科名の横に教材の題名であろう文章が書かれていた。
「いえ、それでお願いします」
「分かりました。ではこれを渡しておきますね」
彼女が渡してきたのは、少し使い古された教材と分厚い手帳だった。
「ベクトルが貴女にと。彼女が使っていたものです。それを見て、鞭を執れば問題ないかと」
確かに受け取った教材には、子供達に伝えるポイントが事細かく書き込まれており、大臣に渡された教材とは比べ物にならないほどに頼もしかった。
「手帳には在籍中の生徒の成績などが記されているらしいので、くれぐれも無くなさようにお願いしますね。個人情報ですので」
「分かりました。確かに受け取りました」
パラパラと手帳を捲っただけでも、成績だけではなく、苦手な箇所などこと細く記されていて、如何に彼女がこの仕事に真剣に取り組んでいたかが見て取れる。
「それから、今年は例年にはない行事もあることは、ご存知ですか?」
「えぇ、ここにいると直接でなくとも耳にしますよ。三大魔法学校対抗試合でしたよね?」
「そうです。安全に行事を終えるように今慎重に準備を進めていますが、万が一のことも考えて、備えていて欲しい事と、貴女にも教師として協力いただきたい」
「勿論です」
有無を言わせないマクゴナガルの無言の圧力をじりじりと感じながらも、難なく答えて、少し乾いた口を潤す為に自分で淹れた紅茶を一口飲む。
「では、そろそろ……お茶、ありがとうございました。美味しかったです」
そう言いながら立ち上がる彼女を見て、見送るため私も立ち上がれば、マクゴナガルが何か思い出したように話し出す。
「あぁ、そうでした。学校に来る日程が決まり次第、私に知らせてください。生徒達と一緒にホグワーツ特急に乗るのも良しですし、事前に来てくださってもどちらでも大丈夫ですよ。ただ、報せだけはなるべく早めにお願いしますね」
「分かりました。近々梟を送りますね」
マクゴナガルが帰った後、他の部署に私の所に仕事が回ってこないように調節しようと考えながら、言葉を返すと、扉に向かっていたはずの彼女が本棚の前で足を止めていた。
「どうかしましたか?」
「……いえ、何も」
不思議に思い、後ろから問いかければ、我に返ったマクゴナガルは言葉を濁して、本棚から視線を逸らし、何事もなかったかのように私に別れの挨拶を交わしてくる。
「それでは、またホグワーツで」
「はい、よろしくお願いします」
彼女の後ろ姿を見送り、自室の扉を閉めた私は、1人になった部屋の空気を吸って、何となく彼女が足を止めていた本棚の前に立ってみる。何か目新しいものでもあったのかと、マクゴナガルと同じ場所に立って見てみるが、視界の先には、何の変哲もない本が並んだ棚があるだけだ。
何故、彼女が本棚を見つめていたのかが全く分からず、マクゴナガルが手をつけなかったお菓子を口に放り込み、すっかりぬるくなった紅茶を流し入れた。
同じ場所、同じ景色でも、立つ人間が違えば見えているものも違うのだろうか。
机に置いている手帳と教材に視線移し、どことなくそんな事を思いながら、アウラが作ってくれたクッキーを食べると、口の中いっぱいにバターの香りが広がった。
今溜まっている仕事をこなしつつ、仕事の調節をするのは容易なことではなく、きりのよい所までやってしまおうと切り詰めすぎてしまったことがいけなかったのか、それともこれでワールドカップの警備の仕事も来てたら大変だったななんてことをふと思ってしまったのがいけなかったのか、私の元に数日後に行われるワールドカップの警備につくよう命ずる業務連絡が届いた。
こればかりは、嫌がらせとしか思えない。ホグワーツへ行く人間に、仕事に埋もれていると誰が見ても分かる人間に普通回すだろうか。
いや、普通はないだろう。
大臣に嫌われている事をひしひしと感じ、羊皮紙の山に視線を移した私は、溜息をつきながらレギュラスの事を考えた。
あれ以来、彼と話すどころか会ってもいない。避けていないと言ったら嘘になるが、何せ時間が無さすぎた。
羽根ペンから落ちるインクが染み込んでいくのを見つめながら、私は唐突に立ち上がると、ソファの背もたれに掛けていたローブを羽織って、姿くらましをした。
ぐにゃりと歪んだ視界が元に戻り、宙に浮いていた足が地面を捉えると、いつもの定位置のソファーに腰掛け、本を読んでいたであろうレギュラスが顔を上げ、少し驚いたようなそんな表情を浮かべていた。
それもそうだろう。私がここに来るのはレギュラスと言い争いをしたあの日以来で、彼と顔を合わせるのも久しぶりなのだから。
それに、今まで行ける日をアウラ経由で彼に伝えていたことが殆どだったし、予告なしに帰る時だって、必ず魔法省の仕事が終わった夕方だった。仕事が終わっていないであろう真昼間にいきなり、行くことなんてなかったものだから、驚いて当然だろう。
「おかえりなさい、レイラ」
少し戸惑いながらも、声を掛けてくれたレギュラスは、ただいまという言葉を待っているのかじっと見つめてきた。
「……ただいま」
小さな声でそう言えば、彼は満足そうに本に視線を戻すが、何か思い出したように顔を上げて問いかけてくる。
「あぁ、そうだ。ちょっと暇だったんで、蜂蜜パイ作ってみたんですけど、どうです?」
決して、私に何かあったかは問いただすようなことはせず、全く関係がない事を話すレギュラスの前の机には、確かに食べ終わった後であろう皿とフォーク、そしてティーカップがあり、部屋にはほんのりと甘い香りが残っていた。
「そうね、頂こうかしら」
そう言えば、彼はどこか嬉しそうにアウラに呼び掛けて、少しすればアウラが切り分けた蜂蜜パイと淹れたての紅茶を私の前に置いてくる。
彼にお礼を言いながらパイに手を伸ばすと、自分が作ったからなのか、前に座っているレギュラスが凝視してきた。少し食べにくく感じながらも、フォークで一口大に切り分けて頬張った瞬間に、口いっぱいに蜂蜜の甘い香りが広がり、サクサクのパイ生地が更に食欲をそそってくる。
「……どうですか?」
「美味しい」
不安そうに問いかけてくる彼は、零れ落ちた私の言葉を聞いて嬉しそうに頬を緩めた。
「良かった……アウラ、君の言った通り蜂蜜多めにして正解だったみたいだ」
アウラの方を振り返りながら話すレギュラスの姿はどこか幼さを感じて、少しだけ可笑しく感じ、自然と笑いが込み上げてくる。口元を隠し笑っていると、自分が笑われていることに気づいた彼はどこか不機嫌そうな声を出す。
「何が可笑しいんですか」
「いや、貴方があまりにも嬉しそうだから」
笑いながらそう答えれば、レギュラスは少し照れくさそうに、嬉しそうに口角を上げた。
「何ですか、それ」
何故か笑いのツボに入ってしまった私は、笑いを抑えることが出来ずに笑い続け、そんな私を最初は見ていただけの彼も、つられたように笑いだした。心から誰かと笑ったのは本当に久々で、自然と出てきた涙を拭って、「あぁ、可笑しい」と自然と声が出た。
「そういえば、最近面白いものを見つけたんですよ」
唐突にそんな事を言い出す彼は、ゆっくりと立ち上がると、積み重なった本の中から絵本を数冊手に取り、渡してくる。
「前の住人が置いていった本の中に、それがあったんです。マグルのおとぎ話なんて読む機会なんてないですから、試しに読んでみたら意外に面白くて」
レギュラスの言葉を聞きながら、パラパラと捲れば、子供向けのイラストと文章が書かれており、以前の持ち主が読み込んでいたのか、少しよれていた。
「中には魔法使いが出てくるのもあったんですよ。マグルは僕達の存在を知らないはずなのに、空想の物語としては出てくるなんて、可笑しくありませんか?」
「……へぇ、何だか不思議ね」
話す彼の言葉を聞きながら、パラパラと絵本を捲ると、とんがり帽子を被った老婆のイラストが目に入ってくる。
「……でも、それを見て、ふと思ったんです。同じ景色でも立場によっては、全く違う意味になる」
少し真剣みな声になったレギュラスの言葉に顔を上げると、彼は私が思ってもいなかった事を話し始める。
「例えば、主人公が悪役を倒して世界を救うハッピーエンドな物語だとしても、悪役の立場になればそれはバッドエンドだ」
「レギュラス……貴方、今凄くおかしい事言ってるわよ」
変な話を持ち出す彼は、私の言葉を聞いても止めることなく、後を続けた。
「要は、僕と貴女では見え方が違うということです。それが全く同じ景色でも、それを見て感じることも、何もかも異なる」
レギュラスの声に耳を傾けながら、ティーカップに手を伸ばす私は一口紅茶を飲むと、相槌を打つように口を挟む。
「それで、貴方は何が言いたいの?」
前に座っているレギュラスに問いかけると、彼は目を逸らすことなく、はっきりと答えた。
「少し前言い争った時、違和感を感じたんです。貴女が行ってしまった後、1人で考えている内に、その違和感の正体が何なのか、気が付きました」
何か失言をしてしまったのか、この前の言い争いを思い出す私は、万が一に備え、言い訳になりそうな言葉を頭に並べた。
「貴女は、未来に自分の話を出したことがない」
誤魔化すことなく、はっきりと口にしたレギュラスは私が口を挟む暇さえ与えないよう、後を続ける。
「例のあの人が居なくなった後の話に、僕やシリウス、先輩は出てきても、貴女は出てこない。それどころか、貴女は嘘をついている」
レギュラスの強い眼差しを向けられた私は、平常心を保ちながら、ティーカップを置いた。
「レイラ、貴女は……本当に先輩を救いたいそれだけですか?」
レギュラスの問いかけが響いた部屋に静寂が訪れ、少し空気が重くなる。キッチンへと続く扉の先でもアウラが息を殺して会話を聞いていることが、何となく伝わってきた。
「それだけよ。他に何があるって言うの?」
迷うことなくそう答えると、レギュラスの表情が険しくなる。
「レギュラス、貴方は少し考えすぎよ。私はセブルスに死んで欲しくない、本当にそれだけ」
「僕には言えませんか」
「言えないも何も、本当にそれだけだから、話すことがないわ」
どこかで不安を感じているであろうレギュラスを安心させようと笑顔を浮かべながら、大丈夫だと後足すと、彼は安心したような表情を浮かべる所か、何処か傷ついたような、複雑な表情を浮かべた。
「……やっと、貴女の言っていた意味が分かりましたよ……」
「何のこと?」
小さく呟くレギュラスに反応すると彼は、寂しそうに笑いながら答えた。
「……笑っていない笑顔ってそういう事だったんですね。今だったらあの時の貴女の気持ちが痛いほど分かります」
今にも泣き出しそうな表情を浮かべる彼は何か避けるように、私から視線を逸らす。
「面白いこと言うのね。笑っていない笑顔なんて、それは笑顔じゃないわ」
私の言葉を聞いたレギュラスは、小さく「そうですね」とだけ答えて、口を閉ざした。