とある木曜日の、夜。
俺、有栖川涼介は、自宅のリビングで頭を抱えていた。
「やっぱり、そうだよなぁ......」
悩みの種はといえば、自分の、実の妹のことである。
俺の妹、京香は、なんというか..……えーっと、あー……ブラコンかもしれない。
いやいや、自分でも何を言ってるのかは分かってるぞ!
それに、俺は別にイケメンでもなんでもないし!
ただ、俺の勘違いかもしれないんだが、京香と俺は、仲が良すぎる。
普通さ、兄妹って、あるときを境に仲が悪くなったり、関係がギクシャクしたりするもんだろ?
でも、俺たちには一切それがないんだ!
そうやって俺が、誰もいない家で誰もいないのに誰かに一生懸命に弁明していると。
「ただいまです。お兄ちゃん」
……妹が、帰ってきた。
玄関で靴を脱いだ妹が、丁寧に靴の向きを揃えてから、こっちにやってくる。
そして。
後から俺に無言で抱きつくと、俺の背中に顔をうずめた。
……ほらな。
俺がこんな疑いを持っちまうのも、わかってもらえただろうか。
他の家庭の兄妹がどんな関係なのかなんて創作の世界でしか見たことはないが、帰ってきてすぐにこんなことがあるか。
……これは、対策を講じねばなるまい。
まだ確証は持てないが、このままでは、妹にとってきっと良くない。
(学校ではあんなに大人しくて、人見知りなんだけどな……)
俺は、今日から妹を更生させようと、密かに心を決めるのであった。
……疲れました。
あのあと、先生は私に、ついでに進路の話をしてきました。
私の決めた進路先で、ほんとにいいのかーって。
確かに、私の成績は、県内二位で、優秀なほうだと思います。なのに、中堅クラスの高校に進学しようとしているのは事実です。
でも、私が決めた進路にとやかく言われる筋合いはありません!
私が行きたい高校には、私の好きな人がいるんです!
そう。私の、お兄ちゃんが。
「えへ、えへへ、えへへへへへへ」
自然と、笑みが生まれます。
きっと私はいま、傍から見たらさぞ気持ち悪い笑い声を漏らしているのでしょう。
それでも、仕方ありません。
だって、お兄ちゃんのことを考えると、胸の奥が、きゅぅぅって締まって、声が漏れてしまうんです。
お兄ちゃんは、ほんとに毒です。
……嘘をつきました。
お兄ちゃんは、薬です。
お兄ちゃんは、私の満たされない心を癒してくれる唯一の薬です。
でも、ひとつだけ、副作用があります。
それは、お兄ちゃんがそばにいないと、私の心が張り裂けてしまいそうになることです。
お兄ちゃんに会いたい。お兄ちゃんと話したい。お兄ちゃんの笑顔が見たい。
そのどれもが、私の心を蝕みます。
我慢、できませんっ。
「お兄ちゃんっ、お兄ちゃんっ……」
学校からの帰り道、私はいつも、心を弾ませつつも張り裂けそうになる自分自身を、押さえつけます。
「あとちょっとで、お兄ちゃんに会えます。あとちょっとで、お兄ちゃんを、感じられます……」
目を爛々と輝かせ、私は、獣のように覚束無いスキップをします。
……見えてきました、我が家です。
(お兄ちゃんに、抱きつきたいっ!)
私は強く、そう思います。
でも、お兄ちゃんが望む妹は、こんなはしたない妹じゃないはずです。
上品で、麗しい、乙女な妹です。
だから、私は、弾んだ呼吸を殺すように整え、できるだけ静かな声でいいます。
「ただいまです。お兄ちゃん」
今のは、練習です。
ドアノブに手をかけ、ゆっくりと、まわします。
まるで、慎重に作業を行う、鍵屋さんのように、ゆっくりと、ゆっくりと。
そして、あまり何も考えないように、すぅっと、ドアの隙間から中に入ります。
すると、リビングに、背中をこちらに向けたお兄ちゃんがいるではないですか!
どどどどどうしましょう!
これは、想定外でした!
えーっと、えーっと、とりあえず、落ち着いて……。
「たらいまれふっ! お兄ちゃん!」
ああああああああぁぁぁあっ!
最悪ですっ! 噛みましたっ!
……ちらりと、お兄ちゃんの方を見ます。
私が帰ってきたのには気づいたようですが、噛んだことは気づいてないみたいです。
……はっ。
でも、優しいお兄ちゃんのことです。
実は気づいていても、気付かないふりをしてくれているのでは……?
そう考えていると、顔が熱くなっていくのがわかります。
(お兄ちゃん……っ。お兄ちゃん……っ)
心の中で、何度もお兄ちゃんを反芻します。
大好きです、お兄ちゃん。
愛しています、お兄ちゃん。
……と、そこで、私の何かが切れた感覚に陥りました。
私は、精いっぱい幸せそうな顔になって、お兄ちゃんの背中にそっと顔をつけ、両手で抱きつきます。
大きい、背中。
あったかい、背中。
思わず、ほっぺをすりすりしてしまいます。
今日は、もうご飯はいりません!
こうしているだけで、私は、有栖川京香は!
「お腹いっぱいです……」
そのまま私は、お兄ちゃんを自由にできる、夢の世界に船出してしまいました……。
続く。