木製の、扉を開ける。
月明かりが射し込んで、パキラの影が、ゆらゆらと足元に落ちている。
憎たらしいほどに、晴天だった。
ベッドに、ぽふり。
私は、行き場のない怒りを拳に集め、ベッドの上へと、力強く振り下ろします。
低反発の枕が、無抵抗の反発をします。
…………罪のないモノに当たったことで、私は、さらに強い憤りを、自分自身に感じました。
私は、先程までの事を回想しようと考えますが、出来ません。
まだ、そこまで、精神が落ち着いていません。
私は何があっても、お兄ちゃんが帰ってきたら、笑顔でいるつもりでした。
許してあげる、つもりでした。
……でも、それは出来ませんでした。
何よりも、お兄ちゃんの気持ちを微塵も考えず、自分のことだけを考えてしまっていたことを、気付かされます。
あの様子だと、既にどこかで食事を済ませて帰ってきたのでしょう。
お兄ちゃんは、寺で過酷な修行を終えたあとで、目の前にご飯があったら、一目散に食べてしまうのも無理はありません。
それに、寺の周辺は、電波が届かない地域だったようなので、連絡を取ることもできなかったでしょう。
なのに、そんなお兄ちゃんの状況を考えることが出来ずに、私の料理を楽しみにしてくれているという言葉だけを信じて待ち続けた私は、大馬鹿者でした。
……しかし、もう後戻りはできません。
私はひとり、先ほど拳を喰らわせた枕を、涙で濡らしました。
二時間ほど経って。
人の足音が、階下から近づいてくるのが聞こえました。
私の、お兄ちゃんの。
そのどちらともとれる扉の前に立ち尽くしているのか、そこで音は止みます。
……たった、1メートル。
わかりやすい距離でいえば、一歩。
その一歩が、私は踏み出せません。
お兄ちゃんに、冷たい態度をとって悪かったと、謝りたい。
これからの関係を、壊したくない。
そんな思いが、部屋の中を埋めつくします。
たった1メートルの物理的な距離が、地球の反対側にいるのではないかという程の心理的な距離に感じられて。
私は、ベッドに突っ伏したままです。
月明かりが静かに頬の滴を反射して、皓々と輝きます。
京香の、部屋の扉の前。
ひとしきり罪悪感に苛まれ、全身を針のようにして自分を戒めたこの俺は、京香とのこれからについて思いを巡らせていた。
「……お兄ちゃんは、私のために、何か犠牲にできますか」
京香が吐いた台詞の、意味。
その真意について、頭を捻る。
普通の恋人同士であれば、このような台詞を聞いた場合、歪んだ考えだと思うのが妥当であろう。
好きな人のために何かを犠牲にする。
犠牲にしなくてはならない恋などしなければいいと、俺は論じることだろう。
しかしながら、俺と京香は、普通の恋人同士ではない。
恋人同士の前に、血の繋がった兄妹である。
これから二人に降り注ぐ困難は、計り知れない。
以前、京香の妹系ライトノベルを借りて読んだことがあったが、そのどれもが、思いを遂げたところで終わっていた。
そう。
俺たちの物語は、小説ではない。
つまり、終わりなど、無いのだ。
それと共に、始まりは、出発点は、思いを遂げたところである。
現実には、兄妹での恋愛に、ハッピーエンドなど存在するのだろうか。
俺は、不安になる。
しかし、京香はいままでも、ずっと、そうだった。
俺のために、あらゆるものを犠牲にしてきた。
それを俺が喜んでいいのか、それはわからない。
しかし、この恋が上手くいくために、俺の意識が鍵になってくるということは、明白だった。
階段の踊り場の、小さな窓から除く、街灯が、赤々と照らす。
俺は、その街灯にも負けない紅い炎を、この胸に密かに灯すのであった。
続く。