休日の昼下がり、海鳴市にある有名なスポーツジムで1人、サンドバッグに拳を撃ち続けている男がいた。
彼は海鳴市出身のプロボクサーであり、短期間でバンタム級王者に輝いた天才ボクサーとして名を轟かせていた。だがその2年後、天才に思わぬ悲劇が起こる。交通事故に巻き込まれるのだった。原因は警察が追っていた暴力団の車両が信号を無視し、その時走行中だった彼の車両に突っ込んだのだ。
この事故により、彼は右手と右足が機能不全になってしまう。入院生活を続ける中で医者から深刻な顔で告げられる『手足はリハビリを続ければ動くようになりますが、もう二度とボクシングはできないでしょう』と。
彼は信じられなかった。今まで大好きだったものを諦められる筈がないと、そこから地獄の日々が続いた毎日進歩があるか分からない地味なトレーニング、思うように動かない手足、でも諦める事が出来なかった。再びリングに立つ事を夢見て地味なトレーニングを毎日する。3週間後、上手く動かせないならさらに量を多くし、3週間後まだ動かせないなら、さらに多くする。あまりにも苦しくて嘔吐する事もあったがそれでもやめなかった。家族は彼の姿を見て痛ましくなり止めに入る。だが彼は『俺は、もう一度、夢を……ベルトを掴むまでは諦めない』と言うだけだった。
そして一年後、彼は私生活なら問題なく過ごせるようになった彼は再びリングに立つため、この日から約2年後の今日までずっとサンドバッグを叩き続けていた。
(――こんなパンチじゃ、世界に通用しない)
彼はひたすら自分の心に語りかける。
(ステップも遅い! もっとしっかりしろ!)
室内はサンドバッグが叩かれる音と揺れる音のみが木霊し、さらにサンドバッグの撃つ音は大きくなる。だが、突然音はなくなり男は膝をついて左手で地面を強く叩く。
「くそっ!! 何で動かないんだ!? 動いてくれよッ!!」
彼は精神的限界が近かった。もうすぐサンドバッグを撃ち続けて3年目に入る。彼は我慢できなかった。『早くリングに立ちたい』その一言だった。だが肝心の手足は昔のように動かない。苛立ちだけが募り、俯いて泣いていたら誰かが近付いて来た。
「お兄さん、何で泣いているの? もしよかったら、教えてくださる?」
(何だ? この子供は……? 今日は貸切にして貰った筈だぞ)
彼の目の前に現れたのはどこか不思議な雰囲気が漂っている少女だった。格好はスポーツジムなのにゴスロリである。男はわけもわからず唖然としていると少女が近付いてくる。
「あ! あなた、5年ほど前に有名になったプロボクサーでしょ? もしかして練習の邪魔だった?」
「……笑いに来たなら帰ってくれ」
「えー? せっかく、動かなくなった手足を動かせるようにって、面白いもの持ってきたのに」
「……え? 本当なのかッ!!」
「ええ、本当よ―――これこれ、これを胸元に埋め込めば昔のように、いえ昔以上に動けるようになるわ」
少女が肩からかけているバッグから青い結晶体取り出した。男は怪しそうに眺めているだけだったが、それを手に取る。精神的に追い詰められていなければ、手を出さなかっただろう。だが彼は怪しい物に手を出してでもリングに上がりたかった。
ただそれだけだった。
「いいだろう。お前は何を企んでいるかは知らんが、俺はこれを使ってでもリングに上がってやる」
「ええ、楽しみにしているわ。バンタム級元王者さん」
少女は薄ら笑みを零すのだった。
その頃、俊秀は右手には麻袋に入れた鉄パイプを持ち、頭にカスミを乗せ公園に向かっていた。なのはとユーノに約束していた1週間がたったのだ。しかし、約束の時間には明らかに早かった。ただ天気がよかったので外で考え事をしようと思っただけではない。
この1週間、独自に動いてジュエルシードを1個手に入れた俊秀だったが、それ以上に謎が増えた。突然現れた男の正体、熱を帯びる鉄パイプ、謎の声、そして今日、家のクローゼットの奥に大量に発見された買った覚えのない米焼酎『白い悪魔』。オマケに製造日は最近だった。これを見た瞬間、怖くなって家を飛び出したが特に行くところもなく、とりあえず公園に向かっていたのだった。
(はぁ……考えても答えが出る筈ないか――偶にはその辺をぶらつくのもありか)
俊秀は考えても答えの出ない事をいつまでも考える事は止め、その辺を歩き回る事にしたのだった。
しばらくして、海鳴市のオフィス街にたどり着いた。ここには特に面白い物はなかったなと思い俊秀は引き返そうとするが誰かに呼び止められた。
「お兄さん、一緒に遊ばない?」
「ん? 俺……とか?」
俊秀が後ろを振り返れば、どこか不思議な雰囲気を漂わせた少女が立っていた。
「そうそう私、お兄さんと遊びたいの」
「折角のお誘いだが、断らせて貰う。俺は今日はそんな気分じゃない……」
「えー面白くないなぁ、せっかく、ジュエルシードの場所を教えてあげようと思ったのに」
「!? どう言う事だ」
「うふふ、興味を持ってくれたようね。遊んでくれるよね? お兄さん」
「くっ……わかった。何して遊ぶんだ?」
俊秀は直感的にこの少女は危険な人物と判断していた。全く隙がなく、逆にこちらが油断していると食われそうなのだ。俊秀の額に緊張による汗が流れる。
「そうね、ゲームをしましょう。ルールは簡単、私の作った作品を破壊、もしくは戦闘不能にしたらあなたの勝ち……でもあなたが死ねば私の勝ち」
「は? ……何を―――」
この時、オフィス街を中心にして海鳴市全域に爆発音が轟く。この衝撃でオフィス街のビルのガラスが一気に割れ、下の道路に落ちていく。道路を歩いていた人達はパニックに陥り、慌てふためく。空にはいくつも黒い煙が上がり、火災が発生していることがわかった。
「い……一体何が!?」
「うふふ、どうやらうまくいったようね」
「は? どう言う事だよ!!」
「そうね・・・私は『テキスト』を証明する為に様々なモニタリングを行っている。それがうまくいったってわけ」
「テキスト? 何だよそれ」
「それは教えられないわ、それに早く行かないと町がなくなっちゃうわよ……それじゃあジュエルシードの為に頑張ってね
「え? 『町がなくなっちゃう』ってどう言う事だ!? 何でお前は俺の名前を!?」
俊秀の質問に返答はなく、少女は霧のように掻き消える。俊秀はわけもわからず立ち尽くすがすぐに行動を始める。まず頭に乗っていたカスミを下ろしてここから逃げるように指示、カスミがこの場から離れるのを見送ってから俊秀は鉄パイプを麻袋から取り出し、少女の言っていた作品を探す為走り出した。
探し始めて1分ほど経過した。俊秀は変わり果ててしまったオフィス街を見て呆然とする。道路は所々大きな亀裂が入っており、大きな穴がいくつも出来ていた。ビルは倒れ瓦礫の山となっていた。一体、一瞬で何人の人が死んだのだろう。瓦礫の中から助けを求める声が聞こえて、俊秀は大きな瓦礫を鉄パイプなどを使って持ち上げようとするがまったく動かず、助けられない。自分がいかに無力な存在かわかってしまう。胸が痛み涙が流れる。そんな時、後ろから声が聞こえる
「はははは…………動く―――動くぞ!! 右腕も右足も!! これでまたリングに上がれる!!」
俊秀は声のする方へ向く、そこには人型の化け物が歓喜を上げて立っていた。身体はドラゴンを連想させる鱗で覆われており、両足両腕共に筋肉が発達している事がわかる。両肩からは相手を威嚇するかにのように棘のような物が生えている。そして、胸元には俊秀の見覚えある青く光る結晶体があった。
「まさか……ジュエルシードが人の姿を変えてしまったのか!?」
「ん? 少年か……まあいい、ちょっとスパーリングを手伝えよ」
「!?」
化け物は構えもせず、ふっと消えたと思ったら俊秀の目の前に現れた。化け物の速さは人間の限界を超えていた。俊秀は何もする事が出来ず、右のストレートを腹に貰う。そのまま殴り飛ばされた俊秀は、20メートルほど飛んでやっと勢いを殺す事が出来るのだが、あまりに重い打撃に血を吐いてしまう。
「げほげほ……なんつぅパンチだよ(くそ……内臓のどこかがいかれたか)」
「ほう……俺のパンチをくらって立てるのか――――面白い!! 面白いぞ小僧!!」
左腕を前に出す。すると化け物の目の前に解読できない文字が書かれた光の円が現れる。俊秀はそれを見た瞬間、危険を察知し、頭で考えるよりも体先に動き回避運動を始める。それと同時に化け物が出した光の円から何かが出ようとしていた。
「くらえ……!!」
「なっ!?」
辺りは閃光が包み込み俊秀には何が起こったかわからなかった。
その頃、なのはとユーノは一足遅れて、オフィス街のあった場所へと着いていた。
「……ひどい」
「一体ここで、何が……」
オフィス街の変わり果てた姿を見てなのはとユーノはショックを受ける。彼らは爆発音と共にジュエルシードが発動した事を知りここまで来たのだが、ここに広がるのは瓦礫の山と瓦礫に飲まれ助けを呼ぶ声だった。
「早く、助けないと……!!」
「なのは……その前にジュエルシードを何とかしないと二次災害が起こってしまうかもしれない―――ここは耐えて……!!」
「……うん、わかった」
なのはは持っているインテリジェントデバイス『レイジングハート』を強く握り締め、ジュエルシードの気配がする場所へと向かった。だがユーノはある事に気付く。
「魔力がかき集められてる……これは砲撃魔法!? なのは、くるよ!!」
「え!? うん!!」
『Round Shield』
なのはが桃色の障壁を作った瞬間、辺りは閃光に包まれた。ラウンドシールドで防いだなのはとユーノは傷つかなかったが、辺りは先程の攻撃で焼け野原なっていた。
「え……うそ、なんで……なんで!?」
見慣れた町が爆発により変わり、そして今の一撃で文字通りオフィス街は何もなくなった。突然すぎる出来事、高町の頭の中は理解できない。しかし、目の前に広がっている風景は現実と認めなくてはならない。
「……そのこえは――高町か?」
なのはの右後の方から弱弱しいが聞き覚えのある声がした。高町は振り向くとそこには血まみれになって倒れている人がいた。高町は急いで駆け寄り顔を覗く。
「岩井さん! 岩井さん何があったんですか!?」
「にげろ……早くここから逃げろ!!」
「逃げろって、でもジュエルシードが―――」
「ほほぅ……アレをくらってまだ息があるとはタフな奴だな」
なのはとユーノは声のした方へと向く、立っていたのは人型の化け物、胸元には青く光る結晶体があった。
「あれは、ジュエルシード!? まさか、人間を取り込んだのか」
「貴方なの・・・貴方がここを、岩井さんもこんな風にしたの?」
「そうだとしたら?」
「絶対許さない!!」
「待て!! 戦うな、高町!!」
「なのは!! 駄目だ!!」
なのはは俊秀とユーノの制止も聞かずに駆け出した。化け物はにたっと笑い、突っ込んでいったなのはを軽くあしらう。だが、頭に血が上っているなのははそれでも突っ込んでいく、単調な攻撃に飽きた怪物は軽く蹴り飛ばす。
「きゃああああああああ!!」
「なのは!!」
「つまらん、俺はこんな弱い奴とスパーリングをするために時間を潰すわけはいかんからな。引っ込んでろ……さぁ小僧立て、俺とのスパーリングはお前がふさわしい」
化け物はゆっくりと近付いていく、ユーノは化け物を俊秀に近付けさせないよう、さまざまな魔法を使うが、全て看破される。あと少しで俊秀をつかめる位置まで来て化け物に桃色の魔弾が直撃する。
「ぐ……まだ立てたのか?」
「その人に近付かないで!!」
なのはの周りには桃色の魔弾が2個あり、全部化け物に向かって撃つ。化け物は一瞬怯むが狙いを高町に切り替えくる。
「そんなに戦いたいなら、先に殺してくれる!」
「私だって……私だって戦える!!」
なのはは自身の魔力をチャージし、砲撃魔法を撃とうとするがそれ以上に化け物の動きが早かった。砲撃魔法を撃つ前にレイジングハートを弾かれる。
「あ……」
「少し調子に乗りすぎたな小娘、あばよ」
なのはは死を覚悟し、目を瞑る。だがいつまで経っても痛みはこない。おかしいと思い目を開けると身体を突き抜け、化け物の拳が目の前で止まっている。
「え……岩井さん、なんで?」
「ほう、流石だな。まだ動けたか――――でもこれで俺の勝ちだな」
「…………かち? いたみわけ……だ」
俊秀は左手に持っていた熱を帯びている鉄パイプを化け物の右腕に振り下ろした。化け物の右腕は簡単に切断され、怪物は叫びを上げる。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!? 小僧、俺の右腕を――――キサマァァァ!!」
化け物は自分の左腕に刺さっている俊秀を投げ捨て切り落ちた部分を左手で抑える。ユーノは化け物の胸元にあるジュエルシードの光が弱まっている事に気が付く。
「なのは、早くレイジングハートを!! ジュエルシードの力が弱まっているうちに」
「くっ……俺は、まだ封印されるわけには……まだリングに――小僧! この勝負後日、ここで勝負をつけよう。さらばだ!!」
化け物は疾風のように撤退していった。脅威が去ったのがわかったなのはとユーノは俊秀に駆け寄る。
「岩井さんなんで……」
「と……とししたが…………がんばってんのに……がんばらんと…………」
「なのは、早く病院に連れて行かないと手遅れになるよ!!」
ユーノは落ちていたレイジングハートを高町に渡し、高町は俊秀を背負い飛行魔法で運び始める。
「ごめんなさい、岩井さん……ごめんなさい」
「きにするなぁ…………たかまち……これぐらい、もんだいない―――ゆーの、おれすこしねるわ」
「え? 駄目だよ。……絶対寝ちゃ駄目だ!!」
「いいじゃん、すぐおきるって……」
「岩井さん? ――――岩井さん!!」
太陽が沈み始める頃、上空で俊秀の名前を呼ぶ声がむなしく木霊した。
次回もよろしくお願いします。